ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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061.『覚醒』【艦娘視点】

 長門が具現化した二隻の大発動艇の上では、三八式歩兵銃や九七式手榴弾で武装した陸戦妖精達が、出撃の時を今か今かと待ちわびているようだった。

 特二式内火艇の上にも乗組員妖精が姿を現し、長門の指示を待っている様子だ。

 

「さぁ、私もぶっつけ本番だが……妖精達よ、準備はいいかッ!」

 

 長門の呼びかけに、陸戦妖精達は一糸乱れずにザッと敬礼を返す。

 それを見て、長門は満足気に微笑んだ。

 

「フッ、やはり声は聞こえぬが……この長門にはわかるぞ! いい返事だ、胸が熱いな!」

 

 長門は集積地棲姫に向けてバッと手の平を向け――良く通る凛とした声で号令を発した。

 

「目標、B島補給物資集積地っ! 砲台小鬼及び集積地棲姫を粉砕せよ! 征けぇーーッ‼」

 

 長門の檄と同時に、三隻の対地兵器は唸りを上げ、猛スピードで島へと突き進み始める。

 始動したその姿を目視して――ただでさえ蒼白な顔色から更に血の気が引いた様子の集積地棲姫は、まるで半狂乱になりながら叫んだのだった。

 

『アッ……アァァッ……⁉ アッ、アレヲ沈メローーッ‼ ココマデ辿リ着カセルナァーーッ‼』

『ミミッ……⁉ ミィィーーッ!』

『シャアァーーッ‼』

 

 集積地棲姫の叫び――指揮に反応し、砲台小鬼とPT小鬼群、更には遠巻きに艦娘達を包囲していた敵艦隊までもが、一斉に対地兵器に群がり、攻撃を開始した。

 下級の深海棲艦は高い知性を持たず、その為、上級の深海棲艦の指揮によって初めて組織的な行動が可能になる。

 先ほどまでの態度がまるで嘘だったかのように、指揮下の深海棲艦を総動員してまで排除しようとするほどに恐れを成しているのは何故か。

 その理由が艦娘達には理解できなかったが――やがてすぐに、その目で理解した。

 

 B島へ攻撃を開始した三隻のうち、二隻は敵の攻撃が直撃する寸前で行動を解除し、光となって長門の艤装へと戻ってきた。

 残りの一隻――陸戦隊は敵の攻撃に進路を遮られながらも上手く回避し、ついには射程圏内まで到達して攻撃を開始する。

 八九式中戦車による砲撃に加えて、陸戦妖精達が銃撃や手榴弾を投げつけたりしているのか、そこまでは流石に艦娘達の距離から目視できなかったが――。

 

『キィィーーッ‼』

 

 甲高い断末魔の叫びと共に、まるで地鳴りのような爆発音が空気を揺らし、照明弾が要らない程の巨大な爆炎が天を焼き、宵闇に染まった周囲を照らした。

 同時に、攻撃を終えた陸戦隊も光となって長門の元へと戻って来る。

 どうやら砲台小鬼を一匹仕留めたようだ、という事は理解でき、集積地棲姫が恐れていたものの正体も同時に理解する。

 だが――。

 

「……何、あれ……あんな威力、見た事無いんだけど……」

 

 兵装のスペシャリストを自称する夕張が、思わず声を漏らした。

 それを横で聞きながら、同様の感想を抱いていた大淀が生唾を飲み込む。

 他の艦が装備した際のそれとは、あまりにも威力、内包するエネルギー量が異なるためだ。

 その要因は何か――。

 

 例えるなら、運動量は物体の質量と速度に左右される。

 厳密には異なるが、単純に考えれば『運動量=質量×速度』と表すことができるであろう。

 時速十キロで走行する自動車と、アクセルを踏み込んで時速二百キロで爆走する自動車では、どちらが破壊力を持つかは言うに及ばない。

 また、速度が同じだとしても、時速十キロで走行する自動車とダンプカーでは、これもまた言うに及ばない。

 ましてや、時速十キロの自動車と、時速二百キロのダンプカーでは、比べ物にもならないだろう。

 

 艦娘の装備にも、多かれ少なかれこのような性質を持つものがある。

 質量に当たるものが艦娘自身の持つ火力。

 そして速度に当たる物が、装備自体の強化――つまり、艦娘の中で明石のみが持つ特殊能力、装備改修だ。

 つまり、ここでは『装備の威力=艦娘自身の火力×改修率』とでも例えられるだろうか。

 現在、長門が装備している特二式内火艇と大発動艇一隻については、過去に明石の手によってすでに限界まで改修が成されている。

 それに加えて、長門自身の超弩級火力――通常、対地兵装を装備する艦とは比較にもならない。

 更に、限界まで深まった提督への信頼が乗算され、その威力はもはや想像もつかない域へと突入した。

 

『アァーーッ⁉ ヤメロヨ‼ セッカク集メタノニ燃エテシマウ‼ ヤメロォーーッ‼』

 

 砲台小鬼を襲った爆炎が物資に引火でもしたのか、火消しに奔走している集積地棲姫の悲痛な叫びが響き渡る。

 司令塔が錯乱しているせいか、他の深海棲艦達もどう動けばよいのかオロオロと狼狽えているようにも見えた。

 一見、こちらが優勢にも思えるが――。

 

「しかし……敵の猛攻撃で二隻は目標に到達できず、ですか。あの威力でも届かなければ意味が無い……やはり二隻では到達が困難、三隻は必要であると予測していた……そういう事でしょうか」

「そういう、事よね……そうでなきゃ、どう考えてもおかしいもの。私と明石が二人とも把握していないなんて」

 

 大淀と夕張が話しているのは、明石による改修が施されていない陸戦隊の事だ。

 ここのところ出番が無かったため、装備の山に埋もれていた対地装備であったが、忙殺されていたとはいえ夕張も明石も数を把握できていないはずが無かった。

 横須賀鎮守府が現在所有しているのは、最大まで改修を施した特二式内火艇が一隻と、陸戦隊付きの大発動艇が一隻――それだけのはずだった。

 対地装備は貴重なので、必要に応じて各地の鎮守府に配備される。

 それ以外の対地装備は、現在は大湊警備府と佐世保鎮守府が所有している――夕張も明石も、それだけはちゃんと把握していたのだ。

 

 だが、提督が長門に積む装備として指示したのは、艦隊司令部施設と特二式内火艇一隻、陸戦隊付き大発動艇が二隻であった。

 提督の説明に色々と衝撃を受けてしまったため、大淀はその時は何も思わなかったが――まるでそこにあるのが当然であるかのごとく、いるはずのない陸戦妖精がそこにはいたのだ。

 そもそも艦隊司令部施設妖精についても、三艦隊分も存在していなかった事は明らかであった。

 

「提督が……連れてきたって事かしら」

「連れてきたというより、寄ってくるのでは……妖精は清き心身を持つ者の前に現れると言いますし……実際に妖精達に祀られているところも見てしまいましたしね。あの提督ならばおかしくはありません」

「そ、それでは私達、朝潮型全員に配備されたこの熟練見張員さん達も……⁉」

 

 夕張との会話を聞いていたのであろう朝潮が、大淀を見上げて訊ねる。

 その両肩には双眼鏡を携えた二人組の妖精が腰かけており、周囲をきょろきょろと警戒している。

 大淀も夕張も把握していたが、熟練見張員もせいぜい二、三人分であり、八人分もいなかった事は明白だ。

 これもまた提督の説明に合わせて、提督の肩や頭の陰から、にゅっと姿を現していた。

 

 ――『熟練見張員』。

 

 驚異的な回避性能を持つPT小鬼群への対策にはいくつかの方法がある。

 その基本とも言えるものが、小回りの利く駆逐艦による攻撃だ。

 回避性能は高いが装甲の薄いPT小鬼群には、威力は低くとも確実に当てる攻撃の方が有効だからである。

 航空隊による避ける隙間が無いほどの高密度広範囲攻撃も効果的だが、夜戦では逆に空母はいい的になってしまうため、昼夜問わず対策できる駆逐艦の方が向いている。

 そして、駆逐艦の攻撃でもなお回避する事の少なくないPT小鬼群への命中率を更に高める方法。

 それが、小口径主砲、機銃など取り回しの良い装備による攻撃と――『熟練見張員』の搭載だ。

 

 熟練見張員妖精の持つ能力は、その鍛え抜かれた肉眼視力による偵察力、索敵力の強化。

 艦娘に代わって常に周囲を警戒する事で、迫る脅威にいち早く気付く事が可能となる――回避性能の向上。

 そして、火力を強化する性能は無いが、砲撃時の僅かな誤差などを精密に修正し、確実に敵に攻撃を当てる事に特化した――命中性能の強化である。

 

 現在、朝潮型の八人は小口径主砲を二つと、熟練見張員をそれぞれ装備している。

 火力と命中率を両立できる組み合わせだ。

 集積地棲姫の前方の海域には大量のPT小鬼群がひしめいており、対地攻撃を届かせる事すらも困難であろう。

 だが、対策済みの駆逐艦が八人もいるならば、あるいは――。

 

 ――て、提督、流石です……!

 そしてこの大淀は我らが提督の……――右腕!

 

「――えぇ。貴女達の役割は、長門さんの対地攻撃が確実に届くようにPT小鬼群を排除する事。一撃を当てる事さえできれば、練度の低い朝雲、山雲でも対等以上に戦えるはずです」

 

 提督の神眼に内心打ち震えつつ、平静を装いながら大淀が答えると、朝潮は目を見開いて踵を返し、鎮守府の方角を向いて敬礼した。

 

「し、司令官! これなら戦えます! この朝潮、全身全霊を賭け、全力で司令官の期待に応える覚悟です! か、感服、感服……!」

 

 涙ながらに敬礼しながらガクガクと痙攣している朝潮の背中を見て、大淀は大真面目に、この娘は大丈夫だろうかと思った。

 夕張が何か言いたそうな呆れた目で大淀を見ていたが、どうやら気付いていないようだった。

 大淀の説明を聞いていた長門が、腕組みをしながら納得のいった様子で大きく頷く。

 

「なるほどな……よし、大淀! これより、この連合艦隊の指揮はお前に一任する。指示を出してくれ!」

「えっ⁉ い、いいんですか⁉」

「臨機応変に、だろう? やはり提督の領域に最も近いのはお前だ。それに、私も初めての対地戦闘と、皆を護るので余裕が無くなるだろうからな。私もお前を信頼してるんだよ」

「な、長門さん……りょ、了解しました!」

 

 長門の信頼に応えるべく、大淀は数瞬でその明晰な頭脳をフル回転させ、算盤(そろばん)を弾くかのように高速で思考した。

 敵の状況――長門さんの対地攻撃の桁外れの威力を目の当たりにして、司令塔が混乱している。

 B島には岸を埋め尽くさんほど大量の砲台小鬼。周囲には同じく大量のPT小鬼群。

 それ以外にも駆逐や軽巡、重巡などからなる敵艦隊が私達を包囲している。

 日が落ちたから空母はB島に帰らせたのだろうか。

 しかし、明朝まで戦えという提督の言葉から考えるに、おそらくこれから続々と増援が襲来するだろう。

 しかも集積地棲姫によって物資を補給され、万全の状態となって襲い来るはず。

 そうなれば敵にも余裕ができ、不利になるのはこちら。

 この僅かな時間で、一刻も早く態勢を整えねばならない。

 

 そしてこちらの状況は――。

 

 私達が成すべき事は――。

 

 提督の領域に最も近い私がやらねばならない事は――。

 

「――長門さんはB島への対地攻撃を絶え間なく継続して下さい! B島に到達できればそのまま攻撃! いっそのこと資源ごと燃やして構いません! 到達できずとも敵を混乱に陥れ、攻撃を誘う囮にもなるはずですっ!」

「了解だッ! 征くぞッ! てーーっ‼」

 

 長門の号令で再び特二式内火艇らが姿を現し、集積地棲姫目掛けて突貫すると、敵艦隊はまたもや激しい攻撃をそれらに向けて放ち始める。

 あれに当たれば一撃で終わる――集積地棲姫が明らかに恐れを抱いているのは明白であった。

 奴にとって、B島に迫り来る対地攻撃の排除は何よりも優先しなければならない事のはず。

 ならば、その隙に――。

 

「連合艦隊から通常艦隊へ隊列変更! 朝潮、大潮、満潮、荒潮は左舷! 朝雲、山雲、霞ちゃん、霰は右舷から回り込んで敵魚雷艇群を掃討! 敵は内火艇らに気を取られているとは思いますが、周囲の水上艦への警戒も忘れずに!」

「はっ! 了解しました! 行きますよ、皆! 朝潮型駆逐艦、出撃ッ!」

 

 朝潮の合図で、朝潮型駆逐艦達は見事に統率の取れた動きで隊列を組みなおし、対地兵器に注意を引き付けられているPT小鬼群に向かって突撃していく。

 

「夕張は私と長門さんと一緒に、時雨達の護衛を! 絶対に被弾させないように!」

「私達の装備を試すのは、この後って事ね……了解っ!」

「長門さんには対地攻撃してもらいつつ、しばしの間、盾にもなってもらいます!」

「あぁ、任せろ! この長門の背後には、徹甲弾さえ通さんよ!」

 

 B島に向かって正面に長門、そして左右を夕張と大淀が囲み、時雨達に攻撃が届かないように輪形陣を作る。

 一人、最後まで残されて不安そうな表情を浮かべる青葉に、大淀は目を向けて言葉を続けた。

 

「青葉がある意味一番重要な役目です。繋がるかわかりませんが、無線にて各艦隊、そして鎮守府へ、時雨達を保護した旨の状況報告を! 無線が通じなかった際には、鎮守府方面には発光信号でお願いします!」

「りょ、了解! でも、流石に鎮守府までは届かないんじゃ……」

 

 青葉の不安はもっともだった。

 距離的に、鎮守府まで発光信号は届かない。

 だが、こんな事もあろうかと――大淀はすでに手を打っていた。

 

『それと、千歳、千代田、香取、鹿島にもそれぞれ駆逐艦を率いて鎮守府近海の警戒に当たってほしい。必要とあらば連合艦隊に合流してもいいが、これらは夜間演習の一環とでも考えてもらっていい。』

 

 提督の言葉――連合艦隊の戦況に応じて合流する事を視野に入れるのならば、常に連合艦隊からの指示が受け取る事ができる位置にいなければならないという事。

 そして、イムヤ達の救援要請が鎮守府の艦娘に届かなかった事を考えると、野良を装った深海棲艦が無線妨害の為に鎮守府近海を徘徊している可能性が考えられる。

 万が一、無線が通じなくなる可能性を考慮すると、頼れるのは発光信号だ。

 故に、大淀は四つの演習艦隊にこのような指示を出していた。

 無線妨害をしている深海棲艦が潜んでいる可能性があるため、目に映った深海棲艦はなるべく全て確実に撃沈する事。

 そして、常に連合艦隊からの発光信号を見逃さぬような距離を保ちつつ行動する事――。

 

 つまり、四つの演習艦隊の内のいずれかは、この連合艦隊からの発光信号を視認できる位置に存在するはずなのだ。

 

「先に演習艦隊の行動海域は確認済みです。四艦隊のどれかに届きさえすれば、そこから鎮守府まで中継してもらいます!」

「な、なるほど! それならいけそうですね! それで、報告が終わったら……」

「その後は戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変にお願いします」

「なんか青葉だけふわっとしすぎじゃないですか⁉ えぇい、了解です! えーと、ワレアオバ……」

 

 納得がいかない様子の声を上げた青葉であったが、即座に無線と発光信号の準備を始める。

 あらかた指示を出し終え、大淀は残った三人――息も絶え絶えの様子で海面に腰を下ろしている時雨達に目を向け、言ったのだった。

 

「お待たせしました。本来ならば危険なこの状況、すぐにでも護衛退避させたいところですが……その前に、私の話を聞いて下さい」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――そして、大淀が語ったのは、時雨達が出撃してから現在に至るまでの間に、鎮守府で起こった騒動についてだった。

 

 完全に抜き打ちで、佐藤元帥自らが視察に訪れた事。

 そこで判明した、提督の秘密。

 提督が、かつては艦隊司令部で類稀なる手腕を発揮しており、不治の病を患い、退役した事。

 療養していたにも関わらず、横須賀鎮守府に着任してほしいという佐藤元帥の頼みに、二つ返事で了承した事。

 やんごとなき家系の長男、現当主であり、本来はこんな危険な場所に配属されてはならぬ存在であるという事。

 横須賀鎮守府の艦娘達の立場を良くするために、自ら勲章を辞退し、艦娘達の功績を称えて欲しいと佐藤元帥に直訴した事。

 本物の勲章よりも、暁に貰った折り紙の勲章が何よりの宝物だと言っていた事。

 着任してからすでに二回ほど不治の病による発作に襲われており、艦娘達に知られないがために下手な嘘をつき、身を隠していた事。

 横須賀よりも条件の良い舞鶴への異動を断り、横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟だと、佐藤元帥に何度も頭を下げて懇願してくれた事。

 盗み聞きという愚行を犯した艦娘達を、土下座も厭わず半ば無理やりかばってくれた事。

 轟沈寸前だったイムヤを応急修理要員で救ってくれた事。

 提督のために無理をしたイムヤを本気で叱った事。

 大破進軍は決して許さない、たとえ目的が果たせずとも必ず全員で帰還しろ、もう二度と沈むなと、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら提督命令を発した事――。

 

「うっ……うぐっ……、ひぐっ……提督……!」

「提督さん、ひっく、提督ざぁん……!」

「へっ、へへっ……参ったね、くそっ、涙が止まンねェよ……!」

 

 時雨達はそれを聞き、胸が熱くなり、こみ上げてくるもので言葉に詰まり、やがて溢れ出る涙を止める事が出来なかった。

 こんなタイミングで出撃させた大淀に恨み節のひとつでも言ってやりたいくらいだった。

 他の艦娘達があれほどまでに強化されているのにも納得がいった。

 奇跡の光景、癒しの桜――その場にいて、提督に忠誠を誓えなかった者などいるのだろうか。

 こうやって話を聞かされるだけで、身体は震え、胸に火が灯ったように熱を帯びているというのに――。

 

 時雨は今までの自分を恥じた。

 文字通り命を削りながら横須賀鎮守府に着任した提督が、どんな思いで艦娘達に接していたのか。

 残された僅かな時間を全て自分達に捧げる覚悟をしてくれた提督から、臆病なあまりに距離を置いた自分自身が許せなかった。

 いつか来る別れを恐れ、自分が傷つきたくないがために、提督が差し出してくれた手を取らなかったも同然だ。

 

 もしも提督が、近いうちに亡くなるのだからと、自分のようにこれ以上の出会いを、自分達と出会うのを拒んでいたならば――自分達は二日前の時点で沈んでいる。

 

 出会いは怖い。出会いは悲しい。

 出会ってしまったその瞬間には、すでに別れまでのカウントダウンが強制的に始まっているからだ。

 だが。だから。だからこそ――先ほど夕立に叱られてしまった通り、それまでの残された時間を大切にしなければならないのだ。

 その時間は別れをより辛いものに育ててしまうが――それ以上に大切なものを育ててくれる。

 残された者に、かけがえのないものを遺してくれるのだから。

 

 大淀は携えていた手提げ袋から、時雨達にひとつずつ包みを手渡した。

 よく見慣れた、戦闘糧食の包みだった。

 

「これは、提督が貴女達のために握って下さった戦闘糧食です」

「提督が……⁉」

 

 包みを解くと、確かにそこには、いつも見慣れた三角ではなく俵型のおむすびが二つ包まれていた。

 間宮達が作るものに比べて、大きさも不揃いで、ちょっと不格好で――しかし、心を込めて一生懸命握っている提督の姿が、三人の目に映る。

 口の中が切れて痛かったが、それでも一刻も早く食べたかった。

 恐る恐るかぶりつくと、冷えた米の甘味と、まぶされた塩気が、まるで舌の上で爆発したかと思うほどの衝撃となって全身に広がり、瞬く間に口内に唾液が湧き出した。

 

「……うっ、うっ……美味ひい……! 美味しいよぉ……っ‼」

 

 ぽろぽろと涙を流しながら、夕立は口いっぱいに頬張った米を咀嚼しながら呟いた。

 つい先ほど、死に瀕したからかもしれない。

 ただの補給でしかなかった戦闘糧食をこんなにも美味しいと感じたのは初めての事だった。

 ますます溢れ出す涙と口内の痛みも忘れて、三人は一心不乱に戦闘糧食にかぶりつき、添えてあった沢庵まであっという間に平らげてしまう。

 満腹感よりも、それ以上の何かで満たされたような感覚を、三人は感じた。

 

 ――瞬間、夕張と長門が叫ぶ。

 

「大淀っ! いつの間にか敵の増援が合流してる! こっちにも向かってきてるわ! 背後にも回り込んで……包囲するつもりみたい!」

「くっ……大淀! 増援によって対地攻撃が届かなくなってきている! この状況では、三隻でも突破は難しいか……!」

 

『アノ盗ッ人共……‼ 生カシテ帰スナ……! 沈メッ! 沈メェーーッ‼』

 

 同時に響き渡る、集積地棲姫の怒りの咆哮。

 見れば、PT小鬼群に軽巡、駆逐からなる水雷戦隊が数隊合流している。

 朝潮達が沈めた数隻の穴を即座に埋め、むしろそれ以上に守りを固めており、対地攻撃がB島に到達するまでにほぼ妨害する事が可能になったようだ。

 それにより集積地棲姫に少し余裕が出来たのか、守りに必要ないと判断された敵の一部が、こちらに狙いを定めて向かってきていた。

 狙われているのは、瀕死の時雨達三人。

 目視できるだけでも、駆逐イ・ロ・ハ・ニ級、軽巡ホ・ヘ・ト級、雷巡チ級、重巡リ級、輸送ワ級……。

 空母の姿が見えないのは日が落ちたからだとして、戦艦がいない事は救いだが、種類も数も多い――しかも数隻、elite級、fragship級も存在している様子だ。

 

「くっ……予想以上に早い……!」

 

 大淀の頬に一筋の汗が伝う。

 このまま交戦した場合、確実に時雨達は守り切れない。

 更に、時雨達を護るために自由に航行できない自分達まで重傷を負う危険性が高い。

 時間が無い……!

 

「大淀さんっ! 交戦中のためか、各連合艦隊には無線通じました! 演習艦隊は無線が妨害されている模様、発光信号にて応答確認! あちらで連携して鎮守府への中継を行うとの事! 報告完了です!」

「了解! 青葉も敵艦隊の牽制に加わって下さい! 夕張、長門さんもお願いします!」

 

 指示を出しながら、大淀も自ら敵艦隊へ砲撃を開始する。

 そして時雨達に背を向けながら、言葉を続けた。

 

「提督は、この戦闘糧食を貴女達に渡すように私に命じ……そしてこう仰りました」

「合流できたら、まず体調を確認してやってくれ。そして、もう戦えないようだったら帰投させて構わない」

「だが、時雨達がまだ戦えると言うのであれば、私達と一緒に行動させて翌朝帰投してほしい」

「しかし、決して無理はさせるな、と……」

 

 大淀の言葉に、時雨達は忘れていた疑問を思い出す。

 長門は護衛退避用の艦隊司令部施設を装備しているというのに、何故、大破した自分達をすぐに帰投させなかったのか、という事だ。

 大淀に聞いた話では、大破艦が出た場合は作戦を中止して即座に帰投、全員が無事に帰る事というのが提督命令であった。

 だが、大淀はこの危険地帯で時間を割いてまで時雨達に提督の事を話し、伝えた。

 提督命令とは早速矛盾しているようだ――と考えたが、そのような指示が出ていたのであれば納得だ。

 

 しかし、提督は一体何を考えているのか――。

 いや、大淀も何を考えて――。

 無用な思考を始めた時雨を制するように、大淀が言葉を続けた。

 

「従って下さい。私にではなく、提督にでもなく、理性にでもなく――貴女達の欲し、望む事……貴女達の『欲望』に‼」

 

 ――僕達の、欲し、望む事……?

 

 僕が今、欲しているもの、望んでいるもの……。

 

 体中が痛い……艤装も力ずくで剥がされてボロボロだ。

 今すぐにでも帰投したい。

 入渠したい。広い、温かいお風呂で、足を伸ばして、肩まで浸かりたい。

 あったかいご飯が食べたい。鳳翔さん達の手料理を口いっぱいに頬張りたい。

 布団に入りたい。肩まで毛布を被って、泥のように眠りたい――。

 

 …………

 

 ――何故だろうか。どれもこれも魅力的なのに、そんな事より、何よりも。

 

「――戦いたい」

 

 夕立が漏らした言葉に、時雨は我に返って目を向ける。

 ぼろぼろと涙を零しながら、夕立は嗚咽と共に言葉を続けた。

 

「戦いたいっ……! 提督さんのために、もっともっと戦いたいよぉ……!」

「……きひひっ、江風も……不思議だねぇ……! こんなんじゃ役に立てねぇってわかってンのに……あんなに痛ェ目に遭ったばかりだってのに……提督の顔を思い出すと、何かさ……! 無性に戦いてェよ……!」

 

 もはや自力では立ち上がれないほどに疲弊、負傷しているというのに、江風も悔しそうにそう言った。

 夕立と江風の言葉を聞き――時雨は気付く。

 

 あぁ、そうか。

 僕も、そうなのだ。

 

 理性が無理だと叫んでいる。

 だけどそれをかき消すように、抑え込んでいた僕の本能が、欲望が、胸の中で吠えた。

 お風呂も、ご飯も、お布団も、全部全部、どうだっていい。

 

 僕達だけが帰投しても意味が無い。

 提督は、それを望んでいる。

 気を遣ったわけじゃない。

 僕達は、本気でそれを望んでいるのだ。

 

 徐々に敵艦の放った砲撃が着弾する距離が近づいて来る。

 長門と夕張、青葉、大淀が四方を牽制しているが、やはり手が足りなすぎる。

 ここで時雨達が護衛退避してしまったら、護衛艦も合わせて六人が戦線を離脱する事になる。

 そうなれば、もはや戦況は覆せない。数に押されて蹂躙されるだけだ。

 

 それをわかっているのだ。

 夕立も江風も、そして時雨も、自分自身の不甲斐なさに泣いていた。

 

 お風呂やご飯やお布団よりも、この状況を何とかしたい。

 皆を救いたい。

 提督を悲しませたくない。

 強くなりたい。

 

 それが、息も絶え絶えで死に瀕した、轟沈寸前の時雨達が最も求めた欲望だった。

 

 ――提督。提督。

 

「……僕も……っ」

 

 ――貴方の力になりたい。

 

「……僕は……!」

 

 ――貴方が求める結果を出せるような力が欲しい。

 

「僕は……っ! 戦いたい! この戦いに……勝ちたいっ! そのための力が欲しい……! 提督の力になれる……提督が求める未来を築ける力が!」

 

 時雨がそう叫んだ瞬間の事だった。

 光が――暖かな光が、三人の胸の奥に灯った。

 それはやがて体中に広がっていき、その身体全てを覆い尽くす。

 脈に合わせて全身を軋ませていた疼痛が治まっていき、立ち上がる事さえ出来なかった三人は、ゆっくりと重かった腰を上げた。

 

「こ……これって……⁉」

「……提督さん……っぽい……?」

 

 江風と夕立、そして時雨は目を丸くしながら、発光する自分の腕を見つめた。

 夕立が漏らしたその言葉には何の根拠も信憑性も無かったが、時雨は確信していた。

 提督がどんな思いで、戦闘糧食を握ったのか。

 どんな思いを、戦闘糧食に込めたのか。

 この胸に灯った熱い光はなんなのか――。

 

 僕達は与えられていた。

 僕達は受け取っていた。

 一粒残さず、平らげてしまった。

 胸の奥まで、沁み込んでいた。

 

「あぁ……僕にはわかる。提督がおむすびに込めてくれた思いが……心が、真心が――愛情が! 僕達に力をくれた……!」

 

 全身を包んでいた痛みと疲労が薄れていき、やがては完全に消え去ってしまう。

 胸の奥からまるで泉が湧き出しているかのように、全身に力が漲っていく。

 だんだんと光は強くなっていき――それに伴って抑えきれなくなった、溢れ出す感情のままに、時雨達は口々に叫んだ。

 

「きっひひ、ありがたいね。さぁ、張り切って行くよ! やったるぜぇっ! 改白露型駆逐艦――『江風』!」

「提督さん……提督さんっ! 提督さんのためなら、夕立、どんどん強くなれるっぽい! ――『夕立』っ!」

「提督――ありがとう。少し、強くなれたみたいだ……――『時雨』……」

 

「――『改二』ッ‼」

 

 瞬間、強烈な閃光と爆風が放たれ、長門達は思わず振り向いてしまった。

 

「なっ……⁉ 何……だと……っ⁉」

 

 光と風の中心地――そこには傷一つなく全快し、その両足でしっかりと立つ三人の姿。

 共通するのは、三人とも外見が少し成長して見える事と、まるで獣の耳のように跳ねた髪の毛。

 夕立の瞳は澄んだ緑から赤へ、江風の瞳は水色から金色へと変わっており、身に纏う装束も艤装も大きく変わっている。

 改二実装。

 一段階上の力を手にした三人は互いの姿を見つめ合い、高揚する士気が漏れ出したかのように、三者三様の好戦的な笑みを浮かべた。

 

 求めよ、さらば与えられん――。

 手を伸ばさなければ、何も手に入らない。

 強くなりたいと求めた僕達に、提督が与えてくれた力。

 絶望的な状況を打破するための力。

 

 時雨は胸に拳を当てて、自分自身に誓った。

 

 ――この力、今こそ提督のために。

 

 …………

 

 あぁ、駄目だ。願いが叶ったばかりだというのに、満たされたばかりだというのに、まるで(たが)が外れたかのように、欲望が次から次に溢れ出して止まらない。

 僕はこんなにも欲深かったのか……?

 

 …………

 

 とりあえず、提督。

 勝手な奴だと呆れてしまうかも知れないけれど。

 

 ――(そば)に行ってもいいかな。

 

 今までの分を取り戻したい。

 僕の方から遠ざかっていた距離を埋めたい。

 提督の側にいたい。

 

 ――今は無性に、提督(あなた)を強く抱き締めたいよ――。

 

 溢れ出す思いを胸に秘め、時雨は自分達を守り切ってくれた長門らを見回し、静かに口を開く。

 

「……長門、大淀、夕張、青葉……横須賀鎮守府の皆。僕達を助けてくれて、守ってくれてありがとう……今度は、僕達の番だ。夕立、江風――行くよ!」

「夕立、突撃するっぽい! ソロモンの悪夢――見せてあげるッ!」

「フフン、いいねいいね! やっぱ駆逐艦の本懐は戦闘だよなー! いっくぜェーーッ‼」

 

 提督の想い、愛情の実感、力への渇望、欲望の自覚――それに伴う覚醒。

 死に瀕していた子犬は、瞬く間に鍛え上げられた歴戦の猟犬へと姿を変えて――時雨達は三方に散開し、それぞれ単艦で敵艦の群れの中へと突撃したのだった。




大変お待たせいたしました。

リアルでは私は隠れオタクなのですが、職場の昼休憩時間にスマホで遠征処理を行っていたところ、うっかり油断してしまい背後から同僚に秘書艦のハロウィングレカーレちゃんを目撃されてしまい、精魂尽き果てたりしていますが私は元気です。

原作の方では夕立に素晴らしいハロウィングラが実装されましたね。
春風にも鰯団子グラとか欲しいところです。

このお話でようやく時雨達に改二が実装されました。
連載を始めた時にはこんなに時間がかかる予定ではなかったのですが、思い通りにいかないものです。
原作での改二や新艦の状況によって、高度の柔軟性を保ちつつ臨機応変に当初のプロットを変えたりしているからだと思いますが、このお話はノリと勢いとライブ感で執筆しているのでご容赦下さい。

次回も艦娘視点になりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。

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