「ンなろ~……! よくも今まで好き放題やってくれたなぁ……! 全部まとめてお返ししたるぜ!」
長いマフラーをなびかせ、江風は深海棲艦の一団に向かって距離を詰める。
その先には
まるでオタマジャクシに手足が生えるかのように、砲塔を携えた黒塊から腕のようなものが生えた軽巡ホ級、ヘ級、ト級。
灰色と漆黒からなる異形の水雷戦隊。
いきなり息を吹き返した江風達に深海棲艦も僅かに困惑したのか一瞬怯んでいたようにも見えたが、下級のそれは元々知能が低い。
何故、などと余計な事は思考しない。思考できない。
ただ目の前に迫る脅威を排除せよと本能が叫ぶのみ――敵水雷戦隊は江風に向かって一斉に砲撃と魚雷を放った。
たった一隻の標的に向けるには過剰なほどの雷跡と砲火。
深海の砲弾が海面を叩き、複数の水柱が上がり、それらがスコールのように猛烈な勢いで降り注ぎ――。
――標的の姿が無い、と軽巡ホ級が気付いたのと、自分自身が爆散したのはほとんど同時の事であった。
「ンっ、いいねいいねー! やっぱ新しい装備は
標的の声、背後、いつの間に――そこまで思考する知能があったのかは定かではないが――江風の声に軽巡ト級が反転し、同時に複数の雷跡を視認する。
その終点は自分自身。軽巡ト級もまた、江風の姿を見る間もなく爆炎に包まれて沈んでいく。
それはまるで、闇の中を吹き抜ける夜風のようだった。
深海棲艦の間隙を縫って瞬く間に駆け抜け、気が付けばひとつ、またひとつと爆炎が上がる。
その光に目を奪われている僅かな隙に、江風はまた闇に潜み、獲物へ向けて音も無く駆けて行く。
もしも江風がいちいち甲高い声を上げていなければ、深海棲艦達は自身が轟沈した事にすら気付けないかもしれない。
その忍者のような戦闘スタイルは、通称、夜戦バカ――横須賀鎮守府で最も夜戦に長けた軽巡洋艦、川内を彷彿とさせた。
夜戦を愛するあまりに昼でも夜戦演習を決行し、目隠しをしてでも戦えるほどの夜戦バカ――そんな彼女のライフワークとも言える夜戦演習に、江風は常に付き合っていた。
夜戦となるとテンションが上がり、常に騒々しい川内であるが、対照的にその動きは一切の無駄がなく、月明かりひとつ無い漆黒の中でも確実に敵の姿を捉え、音も無く仕留める。
艤装として魚雷発射管を装備しているにも関わらず、魚雷を
江風もそれを会得したのか、砲を装備した右手とは逆の左手に、常に魚雷を握りしめている。
宵闇を駆け抜ける江風の姿を捉える事が出来ず、気が付けば周辺の敵水雷戦隊は駆逐ニ級ただ一隻。
直前に爆散した軽巡ヘ級から立ち上る炎を背にして、江風がようやく立ち止まり――駆逐ニ級はそこでようやく、改二が実装された江風の姿を間近で目視した。
闇に同化するような黒を基調とした制服に、黒のハイソックス、黒の艤装。
高級な猫のような金色の双眸に映るのは、次の標的の姿。
ニ級の巨大な緑の瞳――のような何かを前に、江風は右腕の砲塔を向けながら自慢げに笑みを浮かべる。
「そうさ。改白露型だよ? バランスいい身体だろう? なっ!」
答える間もなく砲弾が叩き込まれ、駆逐ニ級は断末魔の叫びを上げながら沈んでいく。
全てが下級で編成されていたとは言え、敵艦隊ひとつを単艦で殲滅するほどの力を得た事に、江風は自身も意外に思うほど、驚いてはいなかった。
むしろ、ようやく身体が追い付いたような感覚――これが本来、艦娘の持っていた力だったのかもしれない。
それを発揮できずに轟沈していたら――海風の姉貴、山風の姉貴はきっと号泣してたンだろうな。
また姉不孝をせずに済んで、本当に良かった。
ひゅう、と頬を撫でる海風の涼しさを肌で感じながら、江風は小さく笑った。
「……こンだけ強くなりゃあ、海風の姉貴の心配性も少しはマシになってくれっかな。まったく、提督
敵水雷戦隊を一掃した江風はきょろきょろと周囲を見回し――闇の中に次の獲物の姿を見つけ、歯を見せて笑った。
海風の姉貴には危険だと止められるかもしれないけれど、今だけはほんの少しの無茶も見逃してほしい。
提督から与えられたのは、川内さんから教えられたのは――この絶望の夜を最後まで戦い抜き、大切な仲間を護るための力なのだから。
「ンっ、敵艦隊発見! きひひっ、よぉし、一気に畳みかけるぜ! 突撃だ! 行っくぜぇーーッ‼」
◆◆◆
「イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト……わぁっ、
眼前に迫る船団を見て、夕立は呑気な声を上げた。
多勢に無勢――そんな事など考えてもいないかのように、いや、それどころか夕立の緋色の瞳は爛々と輝いており――。
例えるなら、おもちゃ屋を訪れた子供のような、そんな無垢な瞳であった。
「――まず何から撃とうかしら?」
ニィッ、と犬歯をむき出しにして笑みを浮かべた夕立の左手から、赤い光を帯びた魚雷が具現化される。
先端には見るからに凶悪そうな、子供の落書きのような顔がついており、それはまるで夕立が秘める無邪気な狂暴さを象徴しているかのようだった。
ぽちゃん、ぽちゃんと、それらは海面に落ち――数秒後、火のついた花火のような急激な加速と共に敵艦隊に迫って行った。
それと同時に、夕立もまた敵艦隊へ向けて猛烈な勢いで突撃していく。
迎撃しようと敵艦隊から放たれる砲弾の雨にも怯まず、恐れず、夕立の赤い瞳は的確に砲弾を捉え、被弾するものだけを最小限の動きで回避する。
――捕まったら最後、まるで子供に捕らえられた虫のように、無邪気に死ぬまで遊ばれる。
そんな恐るべき殺気を纏った夕立の存在感。
深海棲艦達の本能は、夕立こそがその場における最大限の脅威であると判断した。
――すぐ目の前に迫り来る魚雷の存在など、忘れてしまうほどに。
目の前から迫っていたはずなのに、それはまるで死角からの不意打ちであった。
いきなり三隻の深海棲艦が理由もわからぬままに爆散し、業火に包まれながら沈んでいく。
深海棲艦達がそれに気を取られたほんの一瞬で――赤い目の獣が牙を剥いた。
「さぁ! 最っ高に素敵なパーティしましょ?」
複数の砲撃音。空気を揺らす爆音、闇を焦がす爆炎、響き渡る断末魔の悲鳴。
幸運にも今回は標的から外された駆逐ロ級が、更に同胞が三隻轟沈した事に気が付いた時には、夕立は再び距離を取り、反転して向かい直る。
まるで遊ぶように、踊るように、歌うように。
戦場に似合わぬ楽観的な声を上げて戦うその姿は、自称・艦隊のアイドル――那珂に重なって見える。
彼女は出撃をお仕事、ライブやコンサートのようなものと例え、深海棲艦を観客やファンに見立て、笑顔を絶やさず戦うという変わり者だ。
だがその実力は折り紙付き。本人は可愛くないからとその名で呼ばれるのを嫌っているが、人呼んで横鎮の切り込み隊長。
満面の笑みで彼女は敵艦に攻撃を叩き込み、断末魔の悲鳴を聞いては、それを自身に向ける声援のように受け止めて手を振り返す。
時にはアイドルのように踊りながら戦う那珂の姿は、人に言わせれば無駄な動きなのかもしれない。
だが、無駄に洗練された無駄のない無駄な動きを支えるのは、歴戦の経験により鍛え上げられ、研ぎ澄まされた、敵の攻撃を的確に見極める眼力。
自分のやりたいスタイルで心から戦いを楽しむ姿。それを可能にする確かな眼力――好きに戦うには力がいる。
夕立は彼女からそれを学んでいたのかもしれない。
瞬間、何かに気付いた夕立は回避行動を取り、僅かに遅れて幾多もの砲弾が辺りに着弾した。
別の敵艦隊――駆逐艦や軽巡よりも、より人型に近づいた異形が編成されている。
上半身はかろうじて人の形を取っているものの、下半身は未だ鉄の塊である雷巡、チ級。
ついに全身が人の形となっており、両腕には小型化した駆逐イ級のような砲を装備している重巡、リ級。
その砲撃と雷撃の威力は、敵駆逐艦のそれとは比較にならない。
射程外からの砲雷撃を、夕立は息をつく間もなく回避する。
一見、窮地に追い込まれたように見えた。
本来ならば駆逐艦には荷の重い艦種。
しかし夕立の目に恐れの色は無い。
ただただ、無慈悲なほどの赤。それ一色に染まっていた。
そしてまた、好戦的な笑みを浮かべる。
新しいおもちゃを見つけた――子供のような、獣のような、ただひたすらに無邪気な笑みだった。
「ふーん……何それ? 新しい遊びっぽい?」
再び魚雷を具現化する。二本、三本――それらは意思を持つかのように、敵艦隊へと向かっていく。
それと同時に突撃する夕立に、雷巡チ級と重巡リ級は狼狽える事なく迎撃の姿勢を取った。
深海棲艦はその形が人に近づくほどに知能を獲得し、鬼級や姫級のように個の理性は未だに無くとも、駆逐や軽巡に比べれば考える力を持つ。
雷巡チ級と重巡リ級は夕立の殺気に目を奪われて魚雷の事を忘れるほど知性は低くなく、また、艦種による有利も理解していた。
先ほど瞬く間に沈められた下級の艦は頭が悪い。
駆逐艦を相手取る際に脅威なのは、砲撃よりも雷撃。
つまり、猛烈な勢いで突撃してくるあの駆逐艦は囮。
警戒すべきは魚雷――雷撃だけは、まともに受けてしまっては無事ではいられない。
だが、駆逐艦程度の砲撃ならば、一撃喰らった程度では沈まないだろう。
まずは魚雷を回避し、射程圏内まで接近してきた相手の砲撃の隙を見て、カウンターの砲撃を叩き込む。
艦種の差が大きく影響する砲撃戦ならば、こちらは耐えられるが相手は大きな損傷を避けられないだろう。
肉を切らせて骨を断つ――こちらの勝ちだ。
――そんな事を考えていたのかもしれない。
「ぽーいッ!」
夕立から放たれた砲撃はたった一撃で重巡リ級、雷巡チ級の装甲を粉砕し、爆炎に包み込む。
もはや駆逐艦の火力では無い――としか形容できないその火力。
駆逐艦や軽巡に比べれば高い程度の知能では理解もできず、何がいけなかったのか、訳もわからぬままに、重巡リ級と雷巡チ級は海の底へと沈んでいった。
魚雷が命中した随伴艦により更に数本の黒煙が上がり――夕立は再び距離を取って向かい直る。
夕立――夏の午後から夕方にかけ、多くは雷を伴う激しいにわか雨。
まるでその名が現す通りに猛烈な強襲。
ひとたび赤い目の獣が襲い来れば、爆炎の嵐が巻き起こる。
深海棲艦にとっては、まさに悪夢。
しかも、本当に恐ろしいのは、その爪と牙には憎悪など一切含まれていない事。
夕立は残った深海棲艦を指で差しながら数え、まだこんなにも獲物がいるという事を喜ぶようにニィと笑った。
――猟犬が獲物を発見し、追い立て、捕らえて戻り、尻尾をぶんぶんと振りながら頭を撫でられる事を期待しているかのように。
「ひぃふぅみぃ、たくさんっ! いっぱい頑張って、提督さんに褒めてもらうっぽいっ! ぽーいっ!」
そしてまたにわか雨に打たれるように――赤い目の獣による狩りが始まった。
◆◆◆
「――皆に、迷惑をかけてしまったな……この分は、きっと取り返すから……」
時雨が攻撃態勢に入ると共に、一見バックパックのような背中の艤装が即座に変形を始めた。
実は背負われておらず腰の辺りで固定されており、変形後には二門の砲塔を両手に装備できるような形となる。
それはさながら、二刀流といったところだろうか。
しかし目の前には二本の刀でも足りぬほどの船団。
人の形をした影もいくつか確認できる。
右手と左手の砲塔は、それぞれ異なる標的を見据え――放たれた砲弾は弧を描き、ほぼ同時に二隻の敵艦に命中した。
駆逐イ級が二隻。一撃で確実に沈められるものに狙いをつけたようだった。
重巡リ級が何やら指揮のような声を上げ、一斉に砲撃が開始される。
数は力。質よりも量。たった一人で攻め込んできた時雨にそう示すかのように、深海棲艦達は圧倒的な物量によって押し潰さんと猛進し、砲弾の雨を降らせた。
避ける隙間さえ与えない高密度の砲撃による集中豪雨。
時雨は即座にその場を離脱し、距離を取りながら回避に専念し始めた。
敵駆逐艦の射程外まで離れても、それよりも射程の長い軽巡や雷巡、重巡の攻撃は時雨まで届く。
そしてその状態では、時雨の砲撃は届かない。
「提督までの帰り道、提督が望む未来……ここは譲れない――通してもらう!」
そう言って、時雨は海面から高く跳ねた。
両脚の太腿に装備された魚雷発射管が変形し、次々に魚雷が射出される。
特筆すべきは、海を割らんばかりに突き進む異様に猛烈な推進力。
駆逐艦の放つ雷撃には、稀に通常のものとは威力が桁違いのものが放たれる時がある。
その艦の体調によるものだとか、気分によるものだとか、はたまた運によるものだとか、未だに原理は不明であるが――その会心の一発、渾身の一撃は、時には鬼級、姫級の装甲をもぶち抜くほどの破壊力を誇る。
時雨の放った雷撃、四連装酸素魚雷両脚で八発分の雷跡は、その全てがそれに匹敵するほどの――文字通り桁違いの勢いで敵艦隊へと迫って行った。
予測していたよりも遥かに速いそれを、密集していた敵艦隊は避け切る事が出来ず、命中した敵艦から複数の爆炎が上がる。
予想外の一撃に、一瞬生じた隙。
それを突いて、時雨は敵艦隊へと一気に突撃する。
迎撃するべく敵艦隊が時雨に再び砲撃の雨を浴びせんとした瞬間、猛烈な雷撃の第二陣が再び敵艦隊を襲った。
それにより生じた爆煙や水柱に紛れて、時雨は二門の砲で次々に敵艦を沈めつつ、混乱する敵艦隊のど真ん中に到達する。
袋の鼠――では無かった。
時雨はその場でフィギュアスケーターのごとく回転し、それと同時に魚雷が放たれる。
四方八方へ広がる雷跡――思わぬ方角から魚雷を喰らい、爆散する深海棲艦。
辺り一帯を黒煙に包まれ、もはや編成など完全に崩れてしまった混乱の渦の中――。
「――見つけたよ」
時雨ただ一人だけが、静かに、冷静に、淡々と切り捨てるかのように、目の前の敵艦を砲撃していた。
乱戦の中で敵を一刀両断する侍のごときその姿。
江風が川内、夕立が那珂の影響を強く受けているとするならば、残る時雨に重なるのは――。
華の二水戦旗艦。一部の駆逐艦から鬼と恐れられている、現在の横須賀鎮守府最強の軽巡洋艦――神通。
その性能もさることながら、真に恐るべきはその性能に驕る事の無い、自他共に向けられる厳しさ。
一言で表すならば、真剣。日常では物腰柔らかだが、戦場では文字通り真剣を携えているかのごとき鋭さとなる。
敵が誰でも真剣勝負。
獅子が兎を狩る時にも全力を尽くすように、神通はどんな敵にも慢心しない。
常に勝利へ向けて最善、最適の行動に全力で取り組むのだ。
姉の川内、妹の那珂とは対照的に、無駄な声は出さない、無駄な動きはしない。
その分、体力を温存でき、多くの敵と戦えるから。
無駄撃ちはせず、一太刀で切り捨てる――その方が、多くの敵を沈められるから。
たとえ鬼と呼ばれても過酷な演習を行うのは――生きて帰ってほしいから。
神通の想いを、時雨は十分すぎるほどに受け取っていた。
戦わなければ生き残れない。
強くなければ帰れない。
それで鬼だと恐れられるなら――それなら僕は鬼でいい。
そんな僕でも、きっと提督は抱き留めてくれるから。
右手と左手の砲門で、一隻、また一隻と確実に沈めていく。
狙うは射程圏内の、確実に一撃で仕留められる敵。
自分に出来る最善の行動をひとつずつ積み重ねていく。
大顎を開けて、噛み砕こうと飛び掛かってきた駆逐イ級の口内に砲弾を叩き込む。
砲撃音と爆音、断末魔はだんだんと少なくなっていき――。
「……雨は、いつか止むさ」
時雨がそう呟いていた時には、あれだけ降り注いでいた砲弾の雨は止んでいた。
辺りを見回している時雨目掛けて、黒煙の奥から砲弾が放たれる。
しかし、時雨はそれを即座に回避し、攻撃が放たれた方向へと向かい直った。
爆煙が晴れると、そこには怒りに表情を歪める重巡リ級が息を荒くして時雨に砲塔を向けている。
その纏うオーラの色は、敵が通常の深海棲艦ではなく、姿を同じくして数段階上の強さを持つ存在である事を示していた。
「elite……いや、flagship級か……」
重巡リ級flagship。
重巡の域を超えて戦艦にすら匹敵するその性能は、本来ならば駆逐艦が一対一で向かい合うような存在ではない。
おそらく時雨が全滅させた艦隊の旗艦だったのであろう。
時雨を決して許さぬという怒りと憎しみ、そしてflagship級の重巡である自分が駆逐艦に負けるはずが無いという確固たる自信が、全身から満ち溢れていた。
まるで西部劇のワンシーンのように、時雨と重巡リ級flagshipは向かい合う。
時雨が背を向けて逃げるのを待っていたのかもしれない。
そうなれば、重巡リ級は確実に無防備な背中を狙い撃てる。
だが、目の前の憎き駆逐艦は、重巡、それもelite級よりも格上のflagship級である自分に全く臆せず、怯む事なく、平常心を保ったままこちらを見据えている。
時雨から放たれる底知れぬ圧に、遥か格上の重巡リ級は呑まれてしまっているのかもしれなかった。
数の上では互角。ならば残るは純粋な力のみ!
戦艦に匹敵する火力と装甲、一対一ならば駆逐艦に負ける道理は無い!
痺れを切らした重巡リ級flagshipの砲口から恐るべき威力の砲弾が放たれた。
――駆逐艦の持ち味のひとつは回避性能。
当たれば一撃で大破してしまう攻撃も、当たらなければ意味が無い。
臆することなく敵の一挙手一投足まで観察していた時雨は、敵の砲口から砲撃の軌道とタイミングを読み、紙一重でそれを回避する。
同時にカウンター気味に放たれた魚雷は、猛烈な速度で敵艦目掛けて水中を突き進む。
駆逐艦の持ち味――雷撃火力。
その威力たるや、先に述べた通り、当たり所が悪ければ鬼級、姫級の戦艦の装甲ですら耐え切れないほどだ。
ましてや、その全てが通常の駆逐艦が放つ会心の一発に匹敵するほどの、現在の時雨の雷撃ならば、並の戦艦に
敵艦が攻撃した直後の僅かな隙を狙って反撃を叩き込む――
神通が夜戦の場において探照灯を用いて敵の攻撃を一身に引き付けるのは、決して自己犠牲精神などではなく。
仲間の援護をしつつ、自身が狙われる事により能動的に敵艦の隙を生み出す為。
自身の攻撃により生じる隙は与えない――何故なら一撃で仕留めるから。
後手にして必勝、一刀両断。
一対一の状況下において神通が得意とする戦法を、時雨もまた、身体で学んでいた。
爆炎に包まれながら沈んでいく重巡リ級を見据えながら、時雨は胸元に手を当て、名刀を手にした侍のごとき凛とした表情のままに言ったのだった。
「量で駄目でも質なら、って思ったのかもしれないけれど……――提督から貰ったこの力。質なら尚更、君達に負けるはずが無い。残念だったね」
◆◆◆
「……あれは本当に駆逐艦なんですかね」
「う、うぅん、例えはアレかもしれないけど、駆逐ナ級後期型flagshipみたいなものだと思えば、まぁ……」
青葉と夕張が、何とも言えない茫然とした表情でそう言った。
時雨達三人が周囲を包囲していた敵艦隊に単身突撃し、一騎当千の勢いで駆逐していったため、こちらに向けられる砲撃はいつの間にか止んでいる。
長門は時雨達の姿を見て、安心したように息をついた。
「これが提督の作戦か……まさか、この土壇場で改二に目覚めさせる事で傷を癒し、逆に戦力に加えるとはな」
「えぇ。念の為、提督への信頼を深める為に語る時間を頂きましたが……まさに薄氷の上を渡るような策でした」
大淀はようやく肩の荷が下りた心地で、安堵の息を漏らす。
そう、提督は時雨達の救出だけに目を奪われていたのではない。
時雨達を救出できたとしても、今夜、資材集積地をそのままにしてしまっては、今目の前に広がる光景のように続々と増援が現れ、二日前とは比較にならぬほどの大軍勢が横須賀鎮守府を襲う事が予測された。
私達、横須賀鎮守府、ひいては目と鼻の先にある我が国の首都さえ陥落してしまう。
提督の神眼は、時雨達の救出、その先にある私達の救出、我が国の死守――そのためにどうすれば良いか、そこまで見通していたのだ。
だからこそ、あの優しい提督が時雨達を諦める覚悟さえ決めたのだ。
それよりも鎮守府や我が国を護る事の方が優先だからだ――あの御方にとっては血涙を流すほどの苦渋の決断であっただろう。
時雨達の救出が間に合わなかったとしても、何とか私達の被害は最小限に、この国を死守する二の矢、三の矢はすでに考えていたはずだ。
改二実装艦への聞き取り、文月と皐月の明らかに不自然なタイミングでの改二実装、出撃を遅らせてまで提督自ら握った戦闘糧食。
話の流れから、大淀は最初、千歳のためだけに改二実装のヒントを得ようとしていたのかと考えたが――。
『――あぁ。そのおかげで中破した艤装も、燃料も弾薬も全て回復してな。命からがら窮地を脱する事ができたというわけだ』
『ほう。改二を発動すると損傷や資源も回復するのか?』
『いや、常時ではなく、最初の一回だけだった。奇跡のようなものだったのかもしれない……』
何気ない会話の流れとしか捉えていなかったあの瞬間、おそらく最悪の結末から逃れるべく足掻いていた提督は、一本の蜘蛛の糸が降りてきたような心地であっただろう。
たとえ死に瀕していたとしても、轟沈さえしていなければ、そして改二に至る素質さえあれば、何かの『気付き』さえあれば、改二が実装されれば――たった一度だけ、全快できる。
顔色ひとつ変えずに、他の艦娘との会話を続けながら、あの時提督は、たった一度きりの奇跡を作戦に組み込んでいた。
時雨、夕立、江風の三人は、元々その戦闘センスを見込まれて横須賀鎮守府に配属となった経歴を持つ。
いつ改二に目覚めてもおかしくはないポテンシャルの持ち主であり、提督もそれは把握できていたのだろう。
神通、金剛型、長門は予定外の様子だったが、那智による遠慮無しの爆風をあえて間近で観察しようとしたのは、何らかのヒントを掴むためだろう。
そしてその甲斐あってか、提督は何かを掴み――おそらく改二に至る素質を見抜いていたのであろう文月を指名し、それを実践した。
神の恵み――提督が何らかの力を与えていたのは明らかであったが、自分にも、とせがんだ皐月のような者が現れるのを懸念し、その力の存在は公には無かった事にされてしまったが――。
提督は、自身の手の届かない場所にいる時雨達にそれを与えるべく、戦闘糧食を握ったのだ。
のんびりしている場合ではないと川内が焦り、
提督はひとつひとつの戦闘糧食に神の恵み、皐月曰く提督パワーを込めたのだろう。
時雨達に与えるものだけは全て提督が握ったという事がそれを証明している。
ただの補給目的であれば、間宮や鳳翔が握ったとしても問題は無いからだ。
そして三つの連合艦隊の同時運用。
もしもこれが本来の流れであるならば、偵察、ギミックの視認、基点の捜索、敵編成の確認、対策、反復出撃、撃破、ギミック解除、敵本隊との交戦までに――膨大な時間と資源を必要としただろう。
だが、たった一度の出撃で済むのならば、必要な時間も資源も大幅に削減できる。
現在、どちらにも余裕の無い横須賀鎮守府が真っ向から戦うには、これしかなかったのだ。
だが、通常はそんな真似など出来るはずが無い。
偵察もしていないというのに、最適な経路で敵艦隊へとまっすぐに導いてくれる羅針盤の妖精。
そして敵艦隊と戦えるだけの編成と装備の指示。
神のごとき提督の謎の眼力がなければ、到底不可能な芸当だ。
今、大淀の中で全ての点が繋がって線となり、線が繋がり絵図となる。
死に瀕していた救出対象を逆に強大な戦力として捉える発想。
救出に向かった私達こそが、今まさに彼女達に助けられている。
大海原のごとき広すぎる視野と、深すぎる思考能力。
一度でいいから、提督の頭の中を覗いてみたい――底知れぬ提督の領域に、大淀は改めて畏敬の念に身体を震わせた。
まるで駆逐版川内三姉妹――三者三様のスタイルで縦横無尽に暴れまわる三人。
褒められるべきは香取の目であろうと、大淀はこの場にいない功労者を心中で労った。
初めは香取と鹿島の元で演習に励んでいた三人であったが、彼女達には実戦で学ぶ方が合っているとの香取の言葉により、川内三姉妹が推薦され、担当する事になったのだ。
他の駆逐艦達が恐れをなす川内三姉妹との実戦形式演習であったが、時雨達だけは嬉々として付き従い、教わるよりも目で見て、身体で学んだ。
現在の彼女達の、川内型の戦闘スタイルが重なる動きは、その鍛錬の賜物であろう。
「さて、これで防戦に徹する必要は無くなったな。大淀、私達はどう動く」
「長門さんは今までと変わらず、集積地棲姫への対地攻撃を絶え間なく続けて下さい。そしてその間、手が空くと思いますので……霞ちゃんの艦隊へ合流。練度の低い朝雲、山雲に特に注意を。盾になりつつ、周囲の重巡以上の敵艦を優先して砲撃。主砲を装備していないとはいえ、今の長門さんならば艤装の素の火力だけで脅威的なはずです」
「待ちに待った共闘か。胸が熱いな……」
大淀に指揮を仰ぎ、長門は前方へと突撃していく。その先には霞が率いる四人編成の艦隊。
上陸用船艇型の対地装備の利点は、艦娘の意思で操縦する必要が無く、妖精が状況を判断し、操縦してくれる事。
つまり長門が別の敵艦と交戦しながら、別に自立して的確に対地攻撃を実行してくれるのだ。
PT小鬼群と乱入してきた敵水雷戦隊に悪戦苦闘する朝潮型駆逐艦――朝雲を視界の外から狙う砲口。
放たれた砲弾が朝雲へと到達する寸前――。
「ハァァアアーーーーッ! ――フンッ‼」
低速であるはずの速力からは想像もつかぬほどの爆速で長門は距離を詰め、迫り来る砲弾を左の裏拳で弾く。
間近での爆発に、朝雲は目を丸くして振り返り、いつの間にか背後に接近していた長門を見て驚愕した。
「な、長門さん⁉」
「フッ、言っただろう。お前達には傷ひとつつけさせやしないとな。全主砲斉射! てーーッ‼」
長門の艤装から放たれた砲撃は一瞬にして朝雲を狙っていた敵艦を貫き、爆炎を上げる。
装備としての主砲を下ろし、対地特化にすることで火力が落ちてなお、この射程、この威力。
並の深海棲艦にとっては恐るべき脅威である事に変わりは無かった。
「背後は任せろ。この長門がここにいる。不安に思う事なく、安心して戦うがいい」
「あ、ありがとうございます!」
「フフフ……ついに訪れた、提督が与えてくれたこの好機。堪能せねば……いや、お前達にいい所を見せねばな」
「物凄く頼もしいはずなのに、やっぱりなんか不安なんですけど……」
「ねー?」
背後を超弩級戦艦に守られているというこの上なく安心できる状況のはずだが、朝雲達は何故か落ち着かない表情であった。
「大淀、私達は?」
「最優先事項、時雨達の救出は完了……本来の作戦に入ります」
「了解ッ! 早く試してみたくてうずうずしてたんだから!」
瞬間、夕張と大淀の艤装に追加の武装が具現化される。
『
大淀と夕張は主砲を二つとWG42を二つずつ装備しており、対地攻撃力と対艦火力を両立できる積み方であった。
通常、軽巡が装備を積めるのは三つまで。それを四つ積める数少ない軽巡洋艦――横須賀鎮守府では大淀と夕張にしか出来ない積み方でもあった。
提督が自分達の個性を活かしてくれる装備の積み方を指示してくれた事が、夕張には嬉しかった。
集積地棲姫、そして砲台小鬼にも有効な装備であり――横須賀鎮守府には二つしか保管されていなかったはずの代物である。
足りなかった残りの二つはわざわざドイツからついてきたのだろうか……。
そう言えば、と。着任する提督を出迎えたあの日、提督はドイツ語の本を読んでいた事を大淀は思い出した。
明石に聞いた話では、着任初日、お茶を淹れた明石に一回だけ「
おそらく無意識に出てしまったものだろう。
ドイツを訪れた事があるのか? WG42の妖精がついてきたのはその時?
留学、それとも私用、あるいは旅行? 一体何の為に。
随分真剣に読んでいたようだったが、あれは一体、何の本だったのだろうか――。
妖精はバームクーヘンをもぐもぐと咀嚼するだけで答えてはくれなかった。
ともかく、これも提督が与えてくれた力。
長門から放たれる三隻の対地装備だけでも脅威的であったのに、そこに更に空からの対地攻撃が加わればどうなるか――。
「この装備ならば集積地棲姫、砲台小鬼のどちらにも有効、かつ上陸用舟艇型の対地攻撃と異なり敵の妨害を受けません。最優先で狙うのは陸上にある敵の物資と補給艦。積極的に燃やしていきましょう」
眼鏡の位置を直しつつ冷徹にそう言った大淀に、夕張は引きつった笑みを浮かべる。
「……私、大淀だけは敵に回さなくて良かったと思ってるよ……」
「何を言っているんですか。現在の敵の増援は一部を除いて下級……おそらくその辺りの野良の深海棲艦に指揮を出しているに過ぎません。これから続々と本命の、上級の増援が現れる事が予測されますが……補給さえできなければ万全の状態で戦えません。数の上では圧倒的に不利な私達が対等に戦う為には、二日前と同じく敵の補給を断つ事が必須となるでしょう。それこそが、私と貴女が提督から与えられた役割です」
「いや、わかってるんだけど、なんか大淀怖い」
「失礼な事を……さぁ、早速いきますよ! よーく狙って。てーっ!」
「あっ、ちょっと待ってぇ! お、置いてかないでよぉ!」
大淀の号令に合わせて、大淀と夕張の艤装から複数のロケット弾が次々と発射された。
長門の大発動艇に気を取られていた集積地棲姫達の死角、今までノーマークであった上空から襲い来る対地攻撃。
着弾と共にB島に複数の火柱が上がった。
「よしっ! どーお? この攻撃はっ! 後で感想聞かせてねっ!」
夕張の言葉に返答したわけではないだろうが、混乱する砲台小鬼と集積地棲姫の悲痛な声が辺りに響き渡る。
『オアアアァーーッ⁉ ロケットダト⁉ アアッ、アッチニモ火ノ手ガッ⁉ 燃ヤスノハ止メテ! セッカク集メタノニ! 物資ガ、補給ガ……止メロォーッ‼』
『キィィーーッ⁉』
『アーーッ⁉ 戦車ニ上陸サレテルッ!? ワ、私ノ側ニ近寄ルナァァーーッ‼ 小鬼共ッ‼ 盾ニナレッ! フッ、防ゲェーッ‼』
『ギャアアーーッ‼』
長門の対地攻撃が成功したのか、またしても巨大な爆炎が上がった。
未だに辺りに響き渡る悲痛な罵声から集積地棲姫はまだ仕留められていないらしい。
「……案外すぐに感想聞かせてくれたわね。どうやら私達の攻撃、効果は抜群みたい」
「――計算通りです」
「なんか大淀怖い」
夕張に構わず、大淀は再びキメ顔で集積地棲姫をビシリと指差した。
「フフフ。まさにこの戦場の全ては、提督の掌の――い、いえ。まだ早いですね。最後までまだまだ油断はできません」
「…………」
もはや夕張も大淀には構わず、次の攻撃態勢を整え始める。
そこに、周囲の状況を探っていた青葉が大淀に指示を求めて声をかけた。
「大淀さん、青葉は何かありますか?」
「そうですね……まずはA島、C島方面の艦隊に、時雨達が窮地を脱した事を伝えて下さい。特に川内さんが心配していたので、救助しただけではないとわかれば安心して戦えると思います」
「了解です! いやぁ、まさか司令官の握った戦闘糧食に提督パワーが込められていて改二が実装されたなんて聞いたらビックリするかもですねぇ。それで、その後は……」
「その後は戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処して下さい」
「だからなんか青葉だけふわっとしすぎじゃないですか⁉ えぇい、了解です! 索敵も砲撃も雷撃も、青葉にお任せ!」
大変お待たせ致しました。
ついに秋イベの時期が発表されましたね。
新艦は勿論、そろそろ伊14ちゃんをお迎えしたいところです。
戦闘描写の資料として、特に艦これアーケードを参考にしておりますが、本当によく出来ていますよね。
時雨改二の砲撃、雷撃、共に動きが凝っていて見入ってしまいます。
艤装に足を組みながら座った状態で航行し、本気を出す時にだけ立ち上がるウォー様が斬新で面白いです。
提督への信頼と改二実装により、二代目夜戦バカ江風、砲撃全てクリティカル夕立、雷撃全てカットイン時雨という狂犬が誕生しました。
大淀と夕張も対地攻撃に加わり、集積地棲姫の受難はまだまだ続きそうです。
しかしこれから続々と敵増援が参戦する見込みであり、果たして艦娘達は勝利を掴む事が出来るのでしょうか。
次回も艦娘視点となりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。