ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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066.『覚醒』【艦娘視点⑤】

「右舷に敵艦隊を発見したわ!」

「よし、でかした暁!」

「ハラショー。やはり暁の索敵能力は信頼できる」

「と、当然よ!」

 

 天龍とヴェールヌイの誉め言葉に、暁は自慢げに無い胸を張る。

 暁の索敵能力は、もはや提督のお墨付きだ。

 一人前のレディに結びつくかはともかくとして、その能力の高さは疑いようもない。

 

「はわわ……暁ちゃん凄いのです」

「月に雲がかかって全然見えないわ。お子様なのにやるじゃない」

「お子様言うな! ぷんすか!」

 

 頬を膨らます暁に構わずに、天龍は闇の奥へと目を凝らしながら指示を出す。

 

「暁、探照灯だ」

「えっ。いいけど、位置がバレちゃうわよ。ちょ、ちょっと怖いかも……」

「敵の姿がちらっと見えりゃいい。確認したらすぐに消して構わねえよ」

 

 暁の改二状態の艤装には、神通改二や荒潮改二などと同様に探照灯が存在する。

 そのため、スロットをひとつ使わずとも常に探照灯を装備している状態なのである。

 しかし、探照灯を照射するという事は夜戦において的となる事と同義であり、暁は少しばかり萎縮してしまっていた。

 そんな暁に、(いかずち)がやれやれと肩をすくめながら呆れたような声をかける。

 

「暁もまだまだお子様ねぇ。探照灯といえば神通さんをお手本に戦えばいいじゃない」

「む、無理に決まってるでしょ! 神通さんは一人前のレディとかそんなんじゃないんだから! あれはもう(スーパー)……」

「暁ちゃんそれ以上は駄目なのです!」

「お前らちょっと黙れ。とりあえず暁はそれ絶対に神通の前で言うなよ。いいから早く照らせ!」

「りょ、了解!」

 

 暁が闇に向けて探照灯の光を照射すると、ほんの僅かに敵艦隊らしき姿が確認できる。

 瞬時に、敵艦隊もこちらに向けて砲撃を開始するが、どうやら射程外のようだ。

 ヴェールヌイは目を凝らしてその形状、オーラの色や濃淡を観察した。

 迫っているのは二艦隊。

 だが探照灯の光に反射的に反応し、射程外であるにもかかわらず反射的に砲撃を開始したことから、どうやら知性は高くない。

 敵影から推測するに、駆逐、軽巡級、それに加えて巨大な顎から直接人型の手足が生えている特徴的なシルエット。

 ほとんど人型の空母ヲ級の未成熟個体と言ったような風貌――軽母ヌ級が数隻。

 耐久も低く対潜攻撃も出来ない最下級の空母で、鎮守府近海でも見かけるのは珍しくはない。

 どうやらこれは敵本隊の増援ではなく、近海の深海棲艦を上級の敵艦がけしかけただけのようだ。

 そうでなければ、この時間帯に軽母ヌ級が活動しているのは有り得ない。

 

「よし、もう消していいぞ」

「ほっ……」

 

 暁は胸を撫で下ろしながら明かりを消したが、その安堵には敵艦隊が強力なものではなかったという事も含まれているのだろう。

 これくらいなら十分余裕で対処できるという自信が(いかずち)(いなづま)にも広がっていた。

 だが、天龍一人だけが何かを考え込みながら口を開かない。

 普段ならば我先にと突っ込んでいくところだ。

 それを疑問に思ったヴェールヌイは、航行を止めてその場に制止した天龍に声をかける。

 

「天龍、ちょっといいかい」

「あぁん? どうした響」

「……今の私はヴェールヌイだ。信頼できるという意味の名なんだ」

「春日丸もだけどいちいち名前変わんの面倒なんだよ。どっちでもいいだろ」

「信頼の名は伊達じゃないんだ」

「わかったわかった。ちゃっちゃと本題に入れ」

「ん……何か、気になる事でもあるのかい」

 

 ヴェールヌイの問いに、天龍は頭をぽりぽりと掻きながら答える。

 

「あー、何か妙だな。何かはわかんねぇが、妙な感じがする。暁はどうだ」

「そ、そう言われれば、嫌な感じがする、かも……?」

「ふむ……どちらの艦隊だい」

「この距離じゃはっきりしねぇな……」

 

 司令官のお墨付きを貰っている二人の勘だ。

 根拠は無くとも、それだけで十分に信頼できる――ヴェールヌイはそう思った。

 妙高率いる艦隊は、戦艦を含むような強力な敵艦隊を引き受けてくれている。

 これ以上こちらに手は()けないだろう。

 龍田、大鷹の帰りが遅いのも気にかかるが、都合よく帰ってきてくれる事は期待しない方がいい。

 そうなると、どう考えてもこの五人だけで対処しなければならない……。

 

 敵は二艦隊。

 一方は軽巡、駆逐が数隻の水雷戦隊。

 もう一方は駆逐に軽母ヌ級数隻。

 こちらも二手に分かれるとなると、数の上ではこちらが不利。

 だが、性能や質ではこちらが断然有利であろう。

 司令官への信頼が高まり、普段よりも力が漲るのを感じている。

 天龍と暁が予感している何かを除けば、余裕で対処可能。

 何より夜の軽母ヌ級はただの案山子(かかし)だ。

 見た目の数に惑わされてはならない。

 

 二手に別れるならば、やはり改二実装済の自分と暁、そして天龍、雷、電とするのが、一番バランスがいいだろう。

 それに雷の世話焼きなところは天龍と相性がいいし、攻撃の出来ない軽母相手なら、流石の天龍でも被弾しようがない。

 

 このまま待っていても時間は経つ。

 いずれ交戦するのは必然。

 ならば、次の増援が続々到着する前に対処する方が良いだろう。

 

「天龍。このままじゃ(らち)が明かない。ここは二手に別れよう。私と暁が水雷戦隊を、天龍は雷と電を率いて空母側を担当するのが最善だと思う」

 

 ヴェールヌイがそう進言したのは、決して天龍が弱いからだとか、頼りないからだとか、(あなど)っているからではない。

 他の駆逐艦の例に漏れず、ヴェールヌイも天龍の事が好きだった。

 龍田は羽黒の事を提督と似ていると評したが、ヴェールヌイは天龍もそうだと思っていた。

 もちろん、提督のあの常人離れした知性の事ではない。

 提督の弱さ。しかしそれでも、どうにも放っておけないところ。

 しょうがないなぁ、仕方ないなぁと言いながら、何とかしてやりたいと思うのだ。

 (いかずち)ほどではないが、ヴェールヌイもまたどうしようもなく天龍を補佐したいと思っていた。

 暁がリーダーで異論は無いが、第六駆逐隊のクールな参謀的ポジションは間違い無く自分だという自負も密かに持っている。

 クールに冷静に、時には冷徹に、最善の判断を下す事ができるのはこの場では自分しかいない。

 それは天龍もよく理解してくれているはずだ。

 

「ちっ……仕方ねぇな。虎穴に()らずんば何とやらって奴だな」

「そんな言葉を知っていたのか。ハラショー」

「天龍さん、凄いのです!」

「フフフ、まぁな……ってナメてんのかお前ら」

 

 方針は決定した。

 作戦通り二手に別れ、ヴェールヌイは暁と共に水雷戦隊の進行方向へと先回る。

 やがて再び月明かりが周囲を照らし、闇の中に敵影がくっきりと浮かび上がった。

 それはつまり、敵からもこちらの姿が見えているという事だ。

 

「暁、油断せずに行こう」

「わかってるわよ! やぁっ!」

「さて、やりますか。ウラー!」

 

 こちらの攻撃からワンテンポ遅れて、敵艦の砲撃が開始される。

 判断の遅さ、不正確さ――やはりどれも低級のそれだ。

 まさか懸念していた不安材料は天龍達の方に……? しかし最後まで油断はならない。

 敵艦隊にこちらの砲撃が着弾し、爆炎が上がる――瞬間、暁が探照灯を海面に向けて照射した。

 

「響っ! 何かいるっ⁉」

「――無駄だね」

 

 以心伝心。閃光の速度。

 暁が探照灯を照射したその瞬間には、ヴェールヌイはその先へと向けて砲撃を放っていた。

 水面をうねらせ飛沫を上げて飛び出してきたのは駆逐ナ級。

 低級の駆逐艦に気を取られている隙を狙って接近し、仕留めようという魂胆だったのであろう。

 油断していた口内に一撃を入れられたのは逆にナ級の方であったが、一撃で仕留めきれてはいない。

 策が失敗に終わった事で激昂したのか、駆逐ナ級は顎を固く閉じたままヴェールヌイに迫り来る。

 即座に追撃を叩き込むが、堅い装甲に弾かれてその勢いは衰えない。

 

「外側は硬いな……それならこれだ」

 

 ヴェールヌイは両脇の魚雷発射管を全てナ級に向け――引き付ける。

 他の敵艦を相手取っている暁の顔が青くなるくらいの距離まで引き付けたところで、駆逐ナ級は砲弾を撃ち込むべく大口を開け、口内から伸びる砲口をヴェールヌイに向けた。

 しかし、それこそが好機。

 

「――遅いよ」

 

 攻撃時には口内をさらけ出さなければならないナ級の弱点を瞬時に判断し、ヴェールヌイは即座に八発の魚雷を口内に発射した。

 数瞬遅れて、駆逐ナ級は口内から爆炎を上げ、甲高い叫びと共に海中へと崩れ落ちていく。

 ふぅ、と小さく息をつき、ずれた帽子の位置を直し、ヴェールヌイは怯えたような目でナ級の残骸を見つめている暁に目を向けた。

 

「他の敵艦は?」

「あ、暁が全部倒したけど……一人であんなの倒しちゃうなんて、なんか響の方が凄い感じ……全然落ち着いてるし」

「いや、暁のおかげだ。海中に潜む脅威にいち早く気付いた。私はそれに追随しただけ……流石は暁。実にハラショーだ」

「そ、そう? えへへ」

 

 その言葉はお世辞などでは無かった。

 暁が気付かなければ漆黒の海中に潜む駆逐ナ級に自分では気付かなかったし、言葉で伝えるよりも先に探照灯で正確に位置を示した判断が特に素晴らしいと思った。

 それと今の私はヴェールヌイだ、と言いたいところだったが、そんな時間も惜しい。

 天龍と暁が懸念していた脅威がこの場違いな駆逐ナ級であったなら一安心だが――。

 

「……! そう甘くはない……か」

「えっ、どういう事? この辺りに嫌な感じはもう無いけど……」

「脅威はどちらの艦隊にも潜んでいた、という事らしい。しかも……かなり最悪だ」

 

 その言葉を聞いて、暁の背筋にぞくりと悪寒が走る。

 消えてなんかいない――嫌な感じ。

 恐る恐るヴェールヌイの視線の先を追った暁の目に――必死の形相でこちらに向かってくる雷と電の姿が飛び込んできたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 現在、姿が確認されている軽巡艦娘の中で最も弱い者はと問えば、十中八九が天龍と答えるだろう。

 残りの一、二割はおそらく天龍の存在を知らないだけだと言ってもいい。

 性能面で見るならば間違いなく最底辺。

 

 旧式であるが故に仕方の無い面もあるのだが、ほぼ同性能である姉妹艦の龍田はその性能の低さを驚異的な戦闘センスで補っているという事を、知っている者は知っている。

 それとは逆に、羽黒はその性格が足を引っ張り、本来の高い性能を十分に引き出す事が出来ていなかった。

 艦娘とは単に艦であった頃の性能だけではなく、それ以外の要素も強さを左右するという対称的な事例だ。

 

 一方で天龍はと言うと、悲しいことに戦闘センスも皆無に等しい。

 そこまで言うと失礼だと思うかもしれないが、事実、彼女の戦闘スタイルを例えるならば子供の遊びだ。

 真剣を携え、技を磨き上げた侍のごとき神通に比べれば、気分のままに刀を振り回すチャンバラ。

 そこに技術は一切無い――子供の遊び。

 ただひたすらに。本能のままに、我武者羅(がむしゃら)に。

 単純で一本気な気質を現すとおり、吶喊(とっかん)と共に前へ出る。

 そして大概、返り討ちに遭う。

 

 だというのに、天龍は自分の事を強いと信じて疑わない。

 論破しようと考える大人げないものはいなかった。

 艦娘の性格は十人十色。全員が軍人肌かと言えばそうではない。

 横須賀鎮守府で言えば羽黒や潮、佐世保鎮守府で言えばガンビア・ベイのような、一見して戦闘に向かないような気弱な性格の艦娘は多く存在する。

 彼女達にもっと軍人らしくしろと叱咤(しった)しても、何の意味も無いのと同じように。

 天龍は「自分の事を強いと思い込んでいる」――それ以外に理由は無いのだ。

 

 それでもまだ夢や理想に真摯に向かい合っていればまだマシだ。

 この海に平和を取り戻すために! と。

 弱い自分が悔しい! と涙を流していればまだ艦娘としておかしくはない。

 

 天龍は違う。

 もちろん、平和のために戦っている事に疑いようはない。

 しかし、天龍にとってそれは二の次であり、戦いそのものの方を重要視しているのだ。

 川内や那珂のように、戦いを楽しんでいる艦娘は少なくないが、それでも彼女達は任務や作戦の成功ありきだ。

 それが大前提。

 

 だが、天龍は「いい戦いが出来るかどうか」しか見えていない。

 故に、自身の大破により作戦が失敗してもあまり気にしない。

 大破したという結果よりも、その過程。

 勝とうが負けようが、その戦闘自体が楽しめたかどうかの方が、彼女にとっては重要なのだ。

 勝つに越した事はないが、積極的に勝ちたいとも思っていないから成長もしない。

 

 最弱の戦闘狂という笑えない冗談のような個性。

 故に、天龍は艦隊司令部の一部の者から艦娘失格、不良品のレッテルを貼られている。

 

 そんな天龍は、何故か駆逐艦達からの人望は厚い。

 第六駆逐隊はもとより、全くタイプが違う朝潮や夕雲などにも慕われている。

 そして何故か、駆逐艦を率いた時の戦績は悪くない。

 天龍自身は大体が中大破しており、駆逐艦よりも使えないとすら罵られることも珍しくは無いのだが。

 本人の戦闘スタイルも含め、ガキ大将タイプと例えるのが最も適当かもしれない。

 適材適所。最終的には龍田と共に駆逐艦を率いて遠征部隊として出撃するのが最適だという事になり、他の鎮守府とのバランスなども考慮された結果、最弱軽巡との評価にもかかわらず精鋭揃いの横須賀鎮守府に未だに在籍しているのであった。

 

 単純そのものといった天龍だが、そんな彼女を真の意味で理解できている者はただの一人も存在しない。

 姉妹艦の龍田でさえ、そして本人でさえ、彼女の単純(シンプル)で複雑な思考回路は理解できていないのだ。

 

(いかずち)様の攻撃よ! てぇーっ!」

「なのです!」

 

 互いの射程まで接近し、砲撃戦が開始される。

 敵艦隊には駆逐ロ級が僅か一隻。残りは全て軽母ヌ級だ。

 昼戦ならば脅威となりかねない編成だが、夜戦においてはただの的だ。

 駆逐艦さえ沈めてしまえば完全に無力化できる。

 

 だが――嫌な予感は接近すればするほどに実感に変わっていく。

 そして駆逐ロ級が爆散し、天龍がその正体に気付き、()()が動き出したのはほとんど同時だった。

 

「――くそッ! 小賢しい真似しやがってっ!」

「て、天龍さん? 何を――」

 

 雷の言葉が途中で止まったのは、その答えが目に見えて理解できたからだ。

 まるで大樹に留まっていた小鳥の群れが瞬く間に羽ばたいていくように。

 軽母ヌ級数隻の中の一隻から、単眼の鳥のような艦載機が一斉に放たれ、闇に同化して消える。

 よく見れば、よく目を凝らせば、ただ一隻だけが明らかに異様な雰囲気を纏っていた。

 

「嘘でしょ……軽母ヌ級flagshipだなんて」

「それならまだマシだ! あれは多分、軽母ヌ級()flagship……ヌ級系統で最強の奴だ!」

「えぇっ⁉ そんなの……報告書でしか見た事がないわ!」

 

 軽母ヌ級改flagship。

 鎮守府近海に存在する軽母ヌ級とほとんど同じ姿をしていながら、全く似て非なる存在。

 その耐久性能はなんと()()ル級flagshipさえ凌駕し、空母ならではの高火力に加えて()()射程。

 更には対潜性能も高く、夜間攻撃能力すら兼ね備えているという馬鹿げた()()()だ。

 鬼級でも姫級でもないのにこの性能――もしもコイツを設計した神のような存在がいるならば、そいつはちょっと頭がおかしい。ヌカス死ね。

 そう艦隊司令部の誰かが愚痴をこぼした事すらあるという。

 

「はわわ! 対空戦闘用意なのです! 急いで輪形陣を……あっ!」

 

 電は自分達の現状に気付き、口元を押さえた。

 対空戦闘において有効な陣形――輪形陣。

 しかし輪形陣は最低でも五人いなければその効果を十分に発揮できない。

 たった三人では陣形など何の意味も無いのだ。

 つまり、こちらが二手に別れて迎撃することすらも、陣形を展開できなくするための敵の罠。

 長超射程を誇るにもかかわらずここまで接近したのは、射程外への逃走の可能性を確実に潰すため。

 木を隠すなら森の中――最下級の軽母ヌ級に紛れ、オーラを周到に隠してまで。

 二重、三重に張り巡らされた、あまりにも用意周到な策――改flagshipとはいえ知能の低いヌ級に立案できるものでは到底無い。

 そこから先は考える暇など無かった。

 

「ちっ……お前ら全力で離脱して暁たちに合流しろ! その後は四人で妙高たちに合流! 後は妙高の指示に従え!」

「えぇっ⁉ て、天龍さんは」

 

 雷の言葉に、天龍は刀を模した艤装を鞘から抜き、背を向けたまま答える。

 

「オレはこっから先は好きに戦わせてもらうぜ」

「そんな、そんなの駄目なのです! 電たちを逃がすために……」

「あぁ? 勘違いしてんじゃねーよ。犠牲だとか時間稼ぎだとか、そんな難しい事オレが考えられるとでも思ってんのか?」

 

 涙ぐむ電に構わず、ニィと歯を見せて、天龍はいつものように好戦的な笑みを敵艦隊に向けた。

 

「オレはいつだって自分がそうしたいように戦ってきた。今までも、そして今もな。死ぬまで戦えりゃあそれでいい。ヒリヒリしてきたぜ……! この感じ、たまんねぇよなぁ!」

「天龍さん……!」

「行けぇ‼」

 

 返事も待たずに、天龍は全速で敵艦隊へと駆け出した。

 天龍の言葉に嘘は無かった。

 戦闘のその先にある勝利と敗北、生存と轟沈という結果にほとんど興味は無い。

 犠牲になるつもりはないし、雷たちが逃げ切るまでの時間稼ぎをするつもりも無い。

 結果的にそうなるかもしれないが、そんな事は天龍には知った事ではなかった。

 今、目の前にある戦い。それだけが全て。勝ち筋を論理的に探る事のできない刹那的な思考――それこそが天龍の弱さのひとつだった。

 だが、天性の勘と眼力による無意識の判断力――それこそが天龍の強さのひとつでもあった。

 

「オラオラオラァ! 天龍様のお通りだぁーーッ‼」

 

 天龍はまるで自分の位置を伝えるかのように叫びながら、一直線に敵艦隊への距離を詰め、砲撃を続ける。

 軽母ヌ級改flagshipは確かに脅威だ。だが、その周囲の軽母ヌ級は攻撃のできない案山子(かかし)である事に疑いようはない。

 盾の役目も果たしているのであろうが、天龍の連撃が命中すれば容易く撃沈する事が可能だ。

 

 逃げる雷と電の背を上空から見下ろしていた敵艦載機が、一斉に向きを変えて天龍に迫る。

 嘴の代わりに人間のような歯を揃えた単眼の鷹。異形の艦載機は上空から次々に天龍に爆撃を開始する。

 この場で最も優先して片付けなければならない相手が天龍であると判断したからであった。

 

「はっはぁーっ! 怖くて声も出ねぇかぁ⁉ オラオラ!」

 

 天龍は敵艦載機に見向きもせずに、目の前の敵艦隊に突っ込みながら砲撃を続ける。

 時に右、時に左、あるいは一直線に進路を変えながら進み、それは不思議と敵艦載機の攻撃を紙一重で回避していた。

 天龍の側頭部に浮いている角のような艤装と関係があるのかはわからない。

 ただ、天龍自身は単純に、勘で進路を変えているに過ぎなかった。

 だが、物量の暴力――敵艦載機が天龍の進行方向全てを潰すように攻撃をしたならば。

 

「ぐわぁぁーーっ⁉」

 

 天龍を巻き込んで爆炎が上がる。

 当たり所が悪ければ戦艦さえも一撃で大破まで追い込まれる事も珍しくはない攻撃を受けて。

 幸運な事に、非常に幸運な事に、天龍はギリギリ大破寸前の中破状態で踏みとどまっていた。

 二門の砲塔がひとつ潰れてしまい、火力は半減。

 刀を杖代わりにしようとしたが、ぽっきりと折れて半分ぐらいの長さになってしまっている。

 仕方なく二本の足でフラフラと立ち上がり、まだ航行できる事を確認してニッと笑う。

 

「へ、へへへ……このオレがここまで剥かれるとはな……いい腕じゃねーか、褒めてやるよ」

 

 追い込まれたとは思っていなかった。まだ動けるからだ。

 万全ではないが、自分のやりたい事はまだやれるからだ。

 天龍は愚直に、それしか見えていないかのように前へ進む。

 次々に降り注ぐ爆撃の雨を潜り抜け、吶喊(とっかん)と共に砲撃を続け、砲弾を追いかけるように前へ、前へ。

 木を隠す森――軽母ヌ級の盾を全て沈めた頃には、軽母ヌ級改flagshipは目と鼻の先にまで接近しており――。

 

「うっしゃあッ!」

 

 速力に体重を乗せ、折れた刀で軽母ヌ級改flagshipを切りつけた。

 しかし、効かない。まるで分厚いタイヤを切りつけたような手ごたえ。

 重巡や戦艦の砲撃でさえも上手く当てなければなかなか沈められない装甲を持つのだから当然だが――。

 

「へへ……お前さては、オレ以上の馬鹿か……? せっかく長ぇ射程持ってんのによぉー、わざわざあそこまで近づけてくれるなんてよぉ……! おかげで沈む前にここまで接近できたぜ!」

 

 軽母ヌ級改flagshipはボロボロの天龍を攻撃しようともせず、全速力で後退する。

 だが、天龍はすでに動いていた――敵に両腕を回してしがみつき、密着する。

 背中の艤装から伸びる残った一門の砲塔が、がちりと敵艦の頭部に向けられた。

 

「この距離なら自慢の艦載機も使えねぇよなぁ! 喰らいやがれぇーーっ‼」

 

 まるで扉を叩くような零距離から一撃、二撃、三撃――身体に残った砲弾を全て打ち尽くす勢いで絶え間なく叩き込む。

 空母が最も苦手とするのが超接近戦。砲や魚雷の射程以上に接近し、目と鼻の先に迫った際の戦いだ。

 深海棲艦は下級のものならばその大顎で噛みついたり、人型のものであれば格闘戦に持ち込む事も可能だ。

 長門も資源が尽きた際の最後の手段として敵艦と殴り合ったりしているが、艦娘も深海棲艦も、その攻撃手段を艦載機に頼っている空母はそれが非常に不得手なのだ。

 そこまで天龍は考えていなかったが、感覚的にそれが最善だと判断した。

 

 先ほどまで脅威であった敵艦載機は天龍を攻撃できずに上空を旋回している。

 ここまで接近されてしまうと、もはや艦載機による攻撃は自分も巻き込んでしまうからだ。

 軽母ヌ級改flagshipは全ての艦載機をその頭部に着艦させ、目の前の天龍を振り払う事に全ての力を使う。

 すでに中破まで追い込んでいる。振り払うのは容易なはず。

 艦娘がそうであるように、深海棲艦も全てが女性型しかいないと推測されているが、それにしては武骨な太い腕を天龍の脇腹に何度も叩き込む。

 

「ガハッ! グッ……グゥっ……! へっ、効かねぇな! 腰が入ってねぇんだよ腰がよぉ! オラオラオラァッ!」

 

 零距離まで密着されている事、空母の格闘戦の不得手さによるものか、効いてはいるが有効打とはなっていない。

 だが絶え間なく撃ち込まれる天龍の砲撃も、中破しており火力が落ちているため決定打にはならない。

 しかし正直に言えば、天龍の言葉は痩せ我慢であった。

 本音を言うならば、殴られるたびに肋骨に激痛が走る。今すぐにでも掴みかかる腕を解いてのたうち回りたいくらいだ。

 そして戦艦以上の耐久力を持つ軽母ヌ級改flagshipの装甲の前には、今の自分が何十発、何百発の砲撃を叩き込んでも中破まで追い込む事は不可能であろう。

 ――そう判断した天龍の判断は早かった。

 

「これなら……どうだぁーーッ‼」

 

 軽母ヌ級改flagshipの頭部かつ胴体は大顎のような形状をしており、その中から艦載機を発艦させる。

 つまり、その口腔内が格納庫になっているはず。

 だからこそ、この大顎で噛みつきにこない。

 何故ならその奥には――!

 

 天龍は敵の大顎をこじ開けて砲塔を奥へと無理やり押し込み、再び砲撃を再開した。

 同時に、明らかに軽母ヌ級改flagshipは動揺し、なりふり構わず暴れまわるように天龍に拳を叩き込み始めた。

 その度に脇腹から全身の骨を砕かれるような激痛が走り回り、喉の奥から血ヘドが湧き上がる。

 

「うぐっ! ガハッ‼ へ……離してほしいか……? 別にいいぜ……テメェの艦載機全部ブッ潰したらなぁ! オラオラオラァーーッ‼」

 

 格納庫の中の艦載機そのものを超至近距離から攻撃されるという初めての経験。

 敵の逃亡を防ぐために近距離まで誘い込んだ事が原因だとはいえ。

 想定していない戦い方。馬鹿にしかできない戦い方。

 このまま潰されてしまうよりは。

 軽母ヌ級改flagshipは格納庫から一機の艦載機を発艦させ、そして――。

 

「なっ――⁉」

 

 瞬間、天龍のすぐ背後で爆発が起こる。

 熱。轟音。爆風。焼ける背面。水柱、飛沫。

 この至近距離で自分ごと爆撃――⁉

 艤装はさらに損傷し、唯一残っていた最後の砲塔も折れてしまう。

 大破――身体が言う事を聞かず、ついに天龍は敵艦から腕を離してしまった。

 

 軽母ヌ級改flagshipも衝撃に巻き込まれたとはいえ、皮肉にも密着していた天龍が盾になってしまった。

 更には戦艦の砲撃さえも耐える装甲も兼ね備えており、いかに至近距離での爆撃とはいえ、致命傷にはほど遠い。

 駆逐ナ級と同様に口腔内が弱点だったのか、天龍の砲撃すら小破程度にまでは削れていたが、艦載機の発艦には支障が無い。

 その戦闘力は未だ脅威。

 天龍は全身の力を振り絞って立ち上がろうとしたが、仰向けに倒れてそのまま動けなくなってしまった。

 

 軽母ヌ級改flagshipはどんどん距離を離していく。

 不用意に天龍を近づけてしまったせいで痛い目を見た事を反省したのか、その超長射程を活かせる距離まで離れるつもりだろう。

 

「へっ……肉を切らせて骨を断つってか……オレより頭悪いくせに……気合入ってんじゃねぇか……へへへ……」

 

 夜空を見上げて、天龍はいつものように笑い、思う。

 もう指一本動かせねぇ。

 砲は二門とも根元からブチ折れてしまったし、刀も折れて、肋骨も折れて、多分両足も折れている。

 折れてねぇのは心だけだ。

 

「ちっ……これじゃあ前にも後にも進めねぇな……龍田、悪ぃ……先に、逝くぜ……」

 

 目を瞑り、大きく息をつく。

 アイツが十分に距離を取ったら、後は艦載機が飛んできてお陀仏か。

 でも、まぁ……満足だ。

 最高の戦いだった。いい戦いだった。

 ギリギリの攻防。アイツに覚悟が無ければ全ての艦載機をブッ潰して無力化できていただろうが、そうはならなかった。

 ありゃあ明らかにまともなヌ級じゃねえ……気になる事はあるが、考える時間もねぇし……。

 とにかく負けちまったが、最高に楽しい戦いだった――。

 

『――旗艦のお前が六駆の皆を守ってやってくれよ。特に暁は怖がっていたようだったから……』

 

 ……提督との約束も、まぁ守れただろう。

 まぁ、守ろうとしたわけでもなく、結果的にそうなっただけだが……。

 妙高たちに合流できれば、軽母ヌ級改flagshipも敵じゃないはずだ。

 一人でも大破したら撤退って事だったが、轟沈しちまったらもう帰投する意味もねぇもんな。

 オレ一人いなくなっても、アイツらだけなら十分戦えるだろう。

 

『――天龍……本当にありがとうな』

『いや、こんなにボロボロになってまで戦ってくれたお前を背負っていたら、何だかな……申し訳なくてな。自分が情けなくなる』

『お前がそれでいいなら何も言わんが、頼むから轟沈だけはしないでくれよ。できればこんなにボロボロな姿も見たくは無いのだ』

 

 あぁ、そういやそんな事も言ってたっけ。

 着任した初日、大破したオレを背負いながら……。

 この約束は守れなかったが……まぁ、こればかりはオレには無理な相談だった。

 提督には悪いけど……。

 

 イムヤの時みてーに、また泣いてしまうんだろうか。

 オレなんかのために……。

 オレは別に後悔も思い残すことも無いけど……それはなんか嫌だな。

 悪い事しちまったな……でもまぁ、今のところ六駆だけは守れたはずだからよ、そこだけは……褒めてくれよな……。

 

「天龍さん!」

「天龍さぁんっ!」

 

「あ……?」

 

 ぽたり、と天龍の頬に熱い水滴が落ちる。

 瞼を開けば、涙目の雷たち四人が天龍を囲んで見下ろしている。

 天龍は思わず身体の痛みも忘れて目を見開き、声を張り上げた。

 

「お前ら……っ⁉ 馬鹿っ! こんなとこで何やってんだっ!」

「だって天龍さんがぁ……」

「早く逃げろっ! もう艦載機がこっちに向かってるっ!」

「天龍さんを置いていけないのです……!」

「馬鹿っ! 言うこと聞けよ! 暁っ! オレは旗艦だぞ!」

「嫌、いやぁ……! 天龍さん、死んじゃいやぁ……やだぁ……!」

「響っ! 何お前も一緒になって……!」

「……妙高には報告してる……合流できれば護衛退避が出来る……!」

 

 天龍の言葉も意思も無視して、雷たちはべそをかきながら天龍を抱え始める。

 指一本動かせないが、天龍は頭を抱えて掻きむしりたくなった。

 このクソガキ共……! 最悪だ。なんで旗艦のオレの言う事を聞かないんだ。

 もう艦載機がこっちに向かってきている。

 超長距離射程圏内からの離脱はもう間に合わないだろう。

 このままじゃ一網打尽。五人纏めて轟沈だ。

 せっかく、このオレがせっかく……!

 マジで最悪だ。もう心残りは無くなったってのに……!

 提督との約束を守れたと思っていたのに‼

 

「くそっ……どいつもこいつも……!」

 

 オレ自身はどうなってもいい。

 でもコイツらは駄目だ。コイツらが沈むのはオレが嫌だ。

 オレが旗艦になった以上は、絶対に守らなきゃあならない。

 

 あぁ、くそっ。提督よ。

 認めるよ、認めてやる。

 オレの性分的に大破するなってのは無理な相談だったが、それでも悪くなかった。

 お前に背負われるのは悪くないと思った。

 心配されるのは、泣かれるのは悪くないと思ったんだ。

 生きて帰るっていいなって思ったんだ――。

 

 旗艦に任命してくれて嬉しかった。

 コイツらだけは守りたかった。

 お前との約束も守りたかったんだ。

 

『ったく、わかってねぇな……オレは強くなりてぇなんて思った事は一度もねぇよ。フフフ……何故なら元々強いからだ』

 

 ――あぁ、そうだ。

 オレは強い。十分に強い。

 今の強さに満足していた。

 オレ一人が戦いを楽しむ分には、これ以上の力はいらないと思っていた。

 今まではそれだけで十分だと思っていたんだ。

 オレはそれだけで満足だったんだ。

 だが、コイツらを守るためには。

 お前を泣かせないためには。

 今の強さじゃ足りないっていうのか。

 

『――欲し、望まない限り人は成長しない。何かを成す際に、モチベーションというのはとても大切なんだ。話を聞く限り、天龍は自分の強さにすでに満足しているだろう? 満ち足りているのにそれ以上を求める必要は無いし、求める事は出来ない……と、私は思っている。天龍が自分の強さに満足しているのなら、これ以上強くなる必要は無いんだ』

 

『――つまり、天龍本人が満足しているのなら、お前がいくら急かしても意味が無いんだ。逆に天龍自ら、更に力を欲し、望んだのであれば、その時自然に成長するはずだと思う……焦らなくてもいいんじゃないか?』

 

 この天龍様が初めて願う。

 ヤベぇんだよ、このままじゃ駄目なんだよ。

 今のオレの強さじゃ駄目なんだよ。

 ――もっと強くなりてぇ。

 

 だから提督、提督よ。

 お前を泣かせないように頑張ってやるから。

 お前の望み通り駆逐共を守ってやるから。

 お前が言うなら、なんだってやってやるから。

 だから提督。頼む、頼むよ。力をくれ――。

 

 あのクソッタレの装甲をぶち破る砲はいらない。

 どんな相手でもぶった切る刀もいらない。

 矛はいらない。盾が欲しい。

 最強の盾じゃなくていい。最低限使い物になればいい。

 オレ一人が戦いを楽しむための力じゃない。

 万能じゃなくてもいい。

 これからも役に立つ力じゃなくてもいい。

 どんな場面でも使える力じゃなくてもいい。

 これからオレが使い物にならなくなってもいい。

 弱いと蔑まれてもいい、笑いものになってもいい。

 今だけでいい。今を乗り切れればそれでいい。

 今この場面、この瞬間、この窮地、上空から迫り来る脅威を排除する力。

 自分の事は二の次でオレを助けに来やがった、命令違反のクソガキ共を守るための力を‼

 

「敵の艦載機が頭上に!」

「対空射撃っ!」

「くっ……駄目だ、仕留めきれない……!」

「いやぁーーっ!」

 

 漆黒の夜空から次々に急降下してくる敵艦載機。

 その足には命を破壊し尽くす爆炎の種が握られて――。

 

 

 ――――

 

 

 ――

 

 

 軽母ヌ級改flagshipは爆炎によって赤く染まる夜空を遥かな距離から見つめていた。

 数秒遅れて爆発音が届き、そして違和感に気付く。

 想定よりも多くの艦載機が破壊されている――?

 絶え間ない対空砲火と空を割く掃射音。

 あの攻撃で仕留められていない――?

 命中する軌道のものだけ撃ち落とされた?

 いや、あれは――奴は。

 

「――遠いし暗いしよく見えねえけどよぉー……」

 

 対空砲火が止んだ。

 破壊された艦載機から上がる爆煙。

 奴らの周囲への爆撃が起こした水飛沫。

 そして奴自身の艤装が纏う硝煙。

 何故――?

 爆撃が命中する寸前のあの閃光は、あの爆風は、一体なんだ――?

 一体、何が起きた――?

 

「『何が起きた?』……いや、『何だお前は?』って顔してんだろ。どこが顔だかわかんねーが、オレにはわかるぜ――教えてやるよ」

 

 確かにへし折ってやったはずだ。

 二門の砲塔も、その刀も、両足も、肋骨も。

 服も何もかもボロきれのようになっていたはずだ。

 その肩に担いでいる太刀は何だ。

 傷一つない制服は何だ。

 銀色に光る八門の高角砲は何だ。

 さらに肉付きの良くなったその身体は何だ。

 何だ――()()()()()――?

 

 四人の駆逐艦の視線を浴びながら、その中央で威風堂々と立つその姿。

 刀身が伸びて太刀のようになった艤装を右肩に担ぎ。

 彼女は普段通りの不敵な笑みを浮かべ――自信満々に言葉を続けたのだった。

 

「オレの名は天龍……『天龍改二』――フフフ……怖いか?」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「て、天龍さんが改二に……!」

「ハラショー……」

 

 見惚れる第六駆逐隊の四人をじろりと見降ろして、天龍はその太刀の背で頭をゴンゴンと叩く。

 

「あうっ⁉」

「ひゃっ⁉」

「はにゃっ!」

ボーリナ(痛い)……」

「この馬鹿共がっ! 死んだらどうすんだっ! 次に命令違反したらただじゃおかねーぞ!」

「ごめんなさーい……」

「くそっ、ちゃっちゃと涙拭けっ! そんなんじゃ対空射撃どころじゃねーだろ。まだ全然危機から切り抜けてねーんだからよ」

「それなら格好つけてる余裕もなかったんじゃないのかい」

「うるせーよ。あぁいうのは気持ち的に大事なんだよ。皆やってる」

 

 ヴェールヌイの帽子を押さえつけながら見上げれば、五人の上空には敵艦載機が攻撃の機会を窺っている様子だ。

 漆黒の機体が夜空に同化し、その位置はほとんど目視できない。

 すぐに攻撃に移らないのは、軽母ヌ級改flagshipが天龍の変貌を警戒しているからか。

 

「天龍さんどうするの? 改二になってもこの雷を頼っていいのよ?」

「たりめーだろ。せっかく五人揃ったんだからな……輪形陣っ! 対空戦闘用意っ!」

「了解っ!」

 

 天龍を中心に輪形陣を展開したと同時に、上空の敵艦載機が攻撃態勢に移る。

 急降下してくる艦載機の気配――天龍には何故か、それがわかるような気がした。

 改二と共に掴んだ新たな力――対空能力。

 敵艦本体を貫く力ではない。

 手の届かない空から迫り来る脅威を穿(うが)ち、艦隊を守るための力。

 彼女が望んだのは、陣形を組んでこそ本領を発揮できる力。

 自分一人では活かせない力。

 

「オラオラオラオラァーー! 撃ち落とされたい奴からかかってこいやーーっ!」

 

 八門の高角砲から絶え間なく放たれる対空掃射。

 それは弾幕の壁となり、敵艦載機の逃げ場を塞ぐ。

 闇夜の中でまるで花火のように、次々に爆発が轟いた。

 

「ハッハッハーっ! これこれ! こういうの欲しかったんだよ! 提督よ、オレをこんなに強化しちゃって大丈夫かぁ?」

「す、凄い……あれ? なんかこっちに……」

「き、来てる来てるっ!」

「結構普通に撃ち漏らしてるのです!」

 

 悲しいかな、それでも天龍の対空能力は元々の低い戦闘センスや性能(スペック)もあり、最上級とは言えるものではなかった。

 子供のチャンバラは未だ健在――敵艦載機の位置や軌道はその能力で大まかに把握できていたが、精密な狙いはつけずにひたすら撃ちまくる。

 提督への信頼による底上げがあってなお、防空駆逐艦・秋月型や、海外の防空巡洋艦のそれに比べれば見劣りのするものとしか言えないだろう。

 しかし、それでも――。

 

「ちまちま狙いつけてる暇はねぇんだよォーーっ! 響ッ‼」

ハラショー(了解)

 

 天龍の撃ち漏らした敵艦載機を、ヴェールヌイが冷静に撃ち落とす。

 ほぇー、と間抜けに息を吐いた暁たちに構わず、独り言のように口を開く。

 

「ふむ。下手な鉄砲も何とやら……実に強力な対空射撃だが、まだ補佐する余地はあるらしい。天龍の対空射撃はほとんど狙いをつけない分、反応の速さと弾幕の広さ、厚さでカバーしている。撃ち漏らした分は私達で撃ち落とせばいい。そういう事でいいかい?」

「下手な鉄砲ってのが気になるが……フハハ! そうこなくっちゃなぁ! オラオラオラァ!」

「なるほどなのです!」

「つまり雷を頼ってくれてるのね!」

「一人前のレディの得意分野よ!」

 

 その瞬間、歯車ががちりと噛み合ったかのように、五人からなる水雷戦隊の防空性能は倍増した。

 天龍の持つ鼓舞能力により、第六駆逐隊の士気はこれ以上ない程に湧き上がる。

 天龍改二の対空能力――提督への信頼により、それもまた空間把握能力、威力、精度ともに向上しており、下手な鉄砲にもかかわらずほとんどの艦載機を撃墜していた。

 それでも撃ち漏らしたものは、輪形陣を組み、四方を固める駆逐艦が確実に撃ち落とす。

 敵が軽母ヌ級改flagship一隻のみであり、対空戦闘にのみ専念できるからこそ可能な戦法であったが、敵艦載機の数は確実に削られていた。

 

「――しまった……! 敵機直上っ!」

 

 天龍が撃ち漏らした一機をヴェールヌイが更に撃ち漏らす。

 当たったはず、いや、挙動がおかしい――撃墜寸前まで追い込まれて、自分もろとも特攻する気か。

 猛烈な勢いで頭上から急降下してくる敵機、どうする、駄目だ、間に合わ――

 

「――オラァッ!」

 

 横薙ぎ一閃。天龍の太刀が敵機を一刀両断し、弾かれてそのまま爆散する。

 対空射撃をしながら器用な芸当。

 そう、天龍は片目に眼帯をつけているにもかかわらず、意外と視野が広い。

 眼力というよりも、もはや肌で感じているのかもしれない。

 対空に秀でた改二が実装された事と、あの司令官に与えられた力の賜物か。

 司令官への信頼が今までの常識を覆すような力をもたらしてくれる事はもはや周知の事実だ。

 

「スパシーバ」

「おう!」

 

 捨て身の特攻も失敗。

 ――厄介だ。これ以上相手をするのは、あまりにもメリットが無さすぎる。

 今までの奴らならともかく、防空性能だけに全てを賭けたような姿となった天龍を相手に、空母が単騎で挑む必要も無い。

 こちらの装甲を穿つような火力は、あの艦隊は持ち合わせていないようだ。

 だが、このままでは全ての艦載機を撃墜され、自分は攻撃手段を失ってしまう。

 負けはしないが、勝ちもしない。

 ここは一度退いて、対空能力に長けていない別の獲物を狙った方が良いだろう。

 

 軽母ヌ級改flagshipがそう判断したのか、動きを見せた瞬間――。

 

「これ以上……やらせません!」

 

 一撃、二撃――予想だにしない方角からの砲撃。

 攻撃の主は羽黒。

 気が付けば、天龍たちに気を取られている内に接近を許してしまっていたらしい。

 自慢の装甲に亀裂が入り、その火力に驚愕する。

 これが――重巡の火力なのか?

 天龍といい、お前といい、一体どうなっているんだ、この艦隊は――。

 

「羽黒、筑摩さん! 三艦一斉射撃! 撃ちます! てーっ!」

 

 妙高の声に合わせて、羽黒、筑摩の砲撃が次々に叩き込まれる。

 中破、そして大破まで追い込むも、それでもまだ沈まない。

 

「流石の耐久性能……致し方ありません。なるべく鬼級以上にしか使いたくないのですが……」

 

 妙高はその太腿に装備された四連装酸素魚雷の発射管を軽母ヌ級改flagshipに向ける。

 羽黒の持ち味がその砲撃火力ならば、妙高の奥の手はその雷撃火力。

 今までの大規模侵攻において、何隻もの鬼級、姫級の深海棲艦を沈めてきた切り札。

 勢いよく放たれた八発の魚雷は海を割らんばかりの爆速で進み、そして――直撃した軽母ヌ級改flagshipはついに爆散し、海の中へと崩れ落ちる。

 同時に、本体を失った敵艦載機もコントロールを失い、爆散して次々に墜ちていった。

 

「や、やったぁーーっ!」

「助かったのです!」

 

 両手を上げて喜ぶ六駆の三人に、ヴェールヌイだけが帽子の位置を直しながら「ハラショー」とクールに呟く。

 それを見やりながら、天龍は大きく息を吐いてまんざらでもなさそうに笑みを浮かべた。

 

「ったく、やれやれだぜ。何とか切り抜けたか」

「天龍ちゃん……!」

「あ?」

 

 声のした方向に振り向くと、龍田が泣きそうな笑顔で向かってきていた。

 潜水艦を片付けて、急いで戻ってきたのだろう。

 龍田が息を切らせている姿なんて、滅多に見られるものではない。

 

「天龍ちゃん……! その姿……!」

「おう! オレにもついに改二が実装だ! 提督のおかげだぜ! へへっ」

「提督の……そう、そうなの……! 良かった、待ってた、本当に……!」

「ん? それより龍田、お前こそ、その姿……」

「あっ。こ、これは、そのね? 実は……」

 

 龍田もまた、天龍と対になるような装束に身を包んでいた。

 天龍の艤装が白銀の意匠であるのと対称的に、龍田の艤装は黄金の意匠で飾られている。

 天龍の刀と同様に、龍田の薙刀のような艤装も長く大振りになっており、身体の肉付きも天龍と同じく肉感的になっているような印象を受けた。

 何故か、何かを言いよどんでいる龍田であったが、天龍は目を輝かせ、がしりとその両肩を掴んで言葉を続ける。

 

「おいおい、まさかお前にも改二が実装されたのかよ! なんだよ、お前も提督のおかげかぁ~?」

「ハ、ハラショー!」

「えっ」

 

 龍田が周囲を見回すと、天龍や第六駆逐隊だけではなく、いつの間にか妙高たちも合流していた。

 天龍と六駆の目は何かを期待しているかのようにキラキラと輝いており、一瞬龍田の表情は固まってしまったが、すぐにいつもの朗らかな笑顔に戻る。

 

「えぇ、そうよ~。提督のおかげよ~」

「やっぱりそうかよ! フフフ、やはり提督は只者じゃねぇな」

「ハ、ハラショー!」

「流石は司令官だわ!」

「司令官さん凄いのです!」

「龍田さんをますますレディにしちゃうなんて!」

「司令官さん……!」

「そうですか。羽黒さんに天龍さん、龍田さんも提督のおかげで改二に……そう、そしてこの私も……」

 

 天龍と龍田の姿を見て、羽黒は拝むように手を合わせながら瞳を潤ませていた。

 誰もいない空間に向かって謎のアピールをしている赤城に妙高は首を傾げたが、大鷹の姿を見つけて声をかける。

 龍田の救援の為とはいえ、本来であれば苦手な夜の潜水艦相手の援軍に向かわせて心配だったからだ。

 

「大鷹さん、お疲れ様でした。危険な役目をお願いしてしまいましたね」

「ハイ」

 

 大鷹は真っ白に燃え尽きており、その目は死んでいた。

 よほど恐ろしい目を見たのだろうか……妙高は少しばかり胸が痛んだ。

 

「あ、あの。無事に帰ってこられて何よりですが、夜の潜水艦、やはり恐ろしかったですか」

「ハイ。夜の潜水艦というより、あ、いえ、大丈夫です。私は何も見ていません」

「何を見たんですか⁉」

 

 大鷹の背後から、その両肩にそっと手が乗せられる。

 ビクーン! と可哀そうになるくらい大鷹は跳ねあがり、息を荒くしてガクガクと震えていた。

 大鷹を励ますように背後から手を添えた龍田は、大鷹の代わりを務めるようにいつもの笑顔で口を開く。

 

「実は敵の罠で、思っていたよりも潜水艦が多かったのよ~。姫級もいて大変だったわ~。そうよね大鷹ちゃん」

「ハイ」

「えぇっ⁉ ひ、姫級⁉ な、何で無事だったんですか⁉」

「提督のおかげで土壇場で改二が実装されて、それがちょうど対潜向けの能力だったのよ~。九死に一生を得たわ~。そうよね大鷹ちゃん」

「ハイ」

「おっ! 龍田もか! オレもいい感じに対空向けの能力だったからなぁ。流石は提督だぜ!」

「ハ、ハラショー!」

「えぇ。私もちょうど欲しかった夜間戦闘能力が目覚めました。そう、提督のおかげで……」

 

 大鷹のリアクションと龍田の説明に僅かに疑問を抱きはしたものの、天龍と赤城は提督のおかげだと信じている様子だ。

 羽黒も『気付き』によって改二に目覚めたが、羽黒自身も提督のおかげだと主張している。

 自分の病を隠してまで最前線の横須賀鎮守府に着任した神堂提督。

 大切に思っている艦娘を失った時、壊れそうになるほど脆く優しい心を持ちながら、その恐怖から逃げずに着任してくれた心の強さ。

 龍田さんの言葉によって、提督と自分を重ね合わせた事で改二が実装されたのだと羽黒は語る。

 それは狭義では艦娘本人の『気付き』によるものだと思うが、広義では提督のおかげといっても過言ではないかもしれない。

 まだ誰も提督製の戦闘糧食を食べてはいないから、提督パワーとやらのおかげかはわからないが……。

 

「ま、まぁ、とにかく全員無事で良かったです。しかし、提督パワーというよりは皆さん従来通り『気付き』を得たという方が適切かもしれませんね。まさかハグはしていないでしょうし……」

「そういえば、天龍ちゃんは大破して提督に背負われたらしいし、昨日の歓迎会では肩を貸してたし、今日もヘッドロックを仕掛けてたわよね~」

「おぉ! あの時か! なるほどなぁ~!」

「いや提督に何してるんですか⁉」

 

 妙高も思わず突っ込んでしまったが、背負われる、肩を貸す、ヘッドロックのどれも、密着するという意味では、ある意味ハグと同じようなものではないだろうか。

 そう考えれば、天龍さんに改二が実装されたのは提督パワーのおかげというのも少しはあるのかもしれない……。

 龍田に続いて、赤城がハッと何かに気付いたような真剣な表情で口を開く。

 

「そ、そういえば……私は今日、提督を張り倒しています。まさか、その時に……」

「そんな一瞬で提督パワー伝わるんですか⁉」

 

 妙高はわからなくなった。

 赤城さんのあの表情……冗談のつもりなのか本気なのか全く読み取れない……!

 皐月さんが提督の掌を頭に押し当てても変化が無かったからハグが必要だと思っていたが、実は普通に接触するだけでも効果があるのだろうか……。

 そもそも何故提督の頬を張っているのだろうか……那智の姉である私が言えた事ではないかもしれないが……。

 妙高はちらりと羽黒を見る。

 

「まさか羽黒も……」

「わわわっ、私は司令官さんにっ! 指一本触れてませんっ! は、はぅぅぅ……」

「そ、そうよね。ごめんなさい。龍田さんは……」

「私も指一本触れてないわよ~。でもね」

 

 龍田は耳の先まで真っ赤にしている羽黒に目を向けて、言葉を続ける。

 

「きっと、大切なものは心で伝わるのよ。羽黒ちゃんや私がそうだったように……そうよね大鷹ちゃん」

「ハイ」

「龍田さん……!」

 

 何故、大鷹さんに同意を求めたのかわからないが、羽黒が納得しているようだし……もうこれ以上掘り下げなくてもいいだろう。

 妙高は改めて、ひとりひとり、艦隊の面子に目を向ける。

 

 姉をも凌ぐ火力に目覚めた羽黒。

 横須賀鎮守府の索敵の要・筑摩。

 ついに夜間戦闘能力さえ手にしてしまった横須賀鎮守府最強の空母・赤城。

 演習だけで改二に目覚めた天才軽空母・大鷹。

 改二実装により対空、対潜性能が格段に向上した天龍、龍田。

 横須賀鎮守府でも最上級の練度を誇る第六駆逐隊。

 C島の浜辺で膝を抱えて座っている五航戦・翔鶴。

 

 この僅かな時間で、羽黒、赤城、天龍、龍田に改二が実装された。

 これもまた提督の作戦なのだろうか。

 それとも、彼女達が提督の想いに応えただけなのか。

 どちらにせよ、士気は最高潮――負ける気がしない。

 

「――敵の増援です! まだまだ終わりそうにないですね……」

 

 筑摩の声と同時に、敵艦隊からの砲撃が開始される。

 長い戦いになるだろう。しかしそれでも、この面子ならば夜明けまで戦い抜けるという確信がある。

 第一艦隊旗艦・妙高は、第二艦隊旗艦の天龍と目を合わせ、こくりと頷く。

 

 特に、天龍さんが大きく成長した。

 もはや何も考えずに突撃を繰り返す今までのあの人じゃない。

 立派に旗艦を任せられる、一人前の強者の目だ――。

 隊列を組みなおし、妙高は士気を高めるべく大きく鬨の声を上げた。

 

「さぁ皆さん。しばしの休息はここまでのようです。最後まで戦い抜きましょう!」

「よーし! この天龍様の突撃を見せる時だなぁ! よっしゃあーーっ――ぐわぁぁあーーッ⁉」

「はわわ! 天龍さんに流れ弾が!」

「……」

 

 妙高は何も見なかったふりをして、敵艦隊を迎え撃つべく無言で速力を上げたのだった。




大変お待たせ致しました。

ようやく天龍ちゃんに改二が実装されました。
劇場版でもカッコいいところを見せてくれた天龍ちゃんでしたが、あれはちょっとイケメンすぎだと思います。

このお話では天龍ちゃんは固有魔法・三次元空間把握や獣の呼吸漆ノ型・空間識覚みたいな謎能力に目覚めていましたが、長門の装甲が異様に硬くなったのと同じく、おそらく提督への信頼によるものだと思われます。
龍田が夜の潜水艦相手に無傷で生還できたのは何故なんでしょう。きっと提督への信頼によるものだと思われます。ハイ。

次回は金剛視点になると思いますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。

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