さて、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』に従って、工廠にやってきた俺である。
ついさっきまで『
佐藤さんが丁寧に振り仮名まで振ってくれていたお陰で恥をかかずにすんだ。佐藤さんナイスアシスト。
おかげ様でクソ提督でもわかりました、ってやかましいわ。
工廠に着くと、緑がかった髪をポニーテールにしている女の子が声をかけてきた。
知っているぞ。夕張である。
オータムクラウド先生の『結構兵装はデリケートなの。丁寧にね』は名作である。たまにお世話になっております。
いつもの腹が冷えそうな明らかに丈の合っていないセーラー服とは違い、汚れた作業着を着ていた。
オータムクラウド先生の作品では爆雷型ローターとか三式弾型バイブとかろくでもないものばかり開発している、提督の頼れる味方だが、今も何か作っているのだろうか。
大淀が俺を紹介すると、夕張は慌てて俺に敬礼する。
「へっ、兵装実験軽巡、夕張です! どうぞよろしくお願いします!」
「うむ。お前の噂はよく耳にしている。これからもよろしく頼むぞ」
俺はそう言って、握手をするべく夕張に右手を差し出したのだった。
大淀や明石とはできなかったが、せっかくなのでボディタッチを試してみようと思ったのである。
これならば下心を悟られる事なく自然な流れで、艦娘に触れる事ができる。俺は天才なのではないだろうか。
夕張が手を差し出し、握手をした瞬間、俺は気付いてしまったのだった。
「あっ――」
大淀と明石、それに夕張が、ほぼ同時に声を上げた。
瞬間、俺は考える。
アッ。
しまった。コイツの手、めっちゃ汚れてんじゃん。
ボディタッチの事で頭がいっぱいで、すっかり忘れてしまっていた。
おまけにこの白い手袋のせいで感触が全くわからん。
新品の白手袋は汚れてしまうわ、俺はボディタッチ失敗するわ、夕張は上官を汚してしまって気まずいわ、誰も得しない結果を引き起こしてしまったではないか。
ど、どうしよう。
そんな事を考えていると、夕張に思いっきり手を振りほどかれた。凹む。
「もっ……申し訳ありませんッ!」
夕張は物凄い勢いで頭を下げたのだった。
し、しまった! 俺が何も考えずに手を差し出したせいで、夕張に余計な気を使わせてしまった。
俺は全然気にしていない。この軍服だって自腹で購入したものではなく支給されたものだから、いくら汚れたって俺の知った事ではない。
汚しすぎて弁償する事になっても、佐藤さんが何とかしてくれるだろう。あの人偉そうだし。
そう説明すれば、夕張もほっと胸を撫で下ろしてくれるだろうか。
――いや、違う。それはベターではあるがベストでは無い。
それでは救われるのは夕張だけで、俺は手を汚されただけではないか。面白くない。
ベストなのは、このピンチをチャンスに変えて、俺がいい思いをする事だ。
せっかく手を汚されたのだから、俺が見返りを求めてはならないなどという事があっていいはずが無い。
大丈夫だ。俺は提督だ。夕張の上司だ。権力者だ。
ヨ、ヨ、ヨシ。い、いっちゃうゾ。
「おおお、御手を汚してしまいましたっ! 本当に、本当にっ、申し訳ありません!」
なおも謝罪を続ける夕張に、俺は声をかける。
「夕張、顔を上げろ」
「はっ、はいっ……!」
俺はおもむろに両手の白手袋を放り投げると、なけなしの勇気を振り絞り、緊張した面持ちの夕張の両手を取ったのだった。
うひょお、手ぇ小っちゃ! 指細っ! 汚れてるけどすべすべで柔らかーい!
いかんいかん、顔に出ないようにせねば。
混乱している様子の夕張に対し、俺は今にも崩れてしまいそうな真剣な表情を保ちつつ、適当な事を言ったのだった。
「この煤と油まみれのお前の両手は、他ならぬお前の努力の結晶そのものだ。それに触れさせてもらえるとは、何とも光栄な事ではないか」
うむ。適当に言ったにしては、なかなかそれっぽい事が言えたのではないか。
俺は夕張の両手の感触を思う存分楽しめて、夕張は俺が汚れた事を気にしていないとわかって、俺に良しお前に良し。
俺は天才なのではないだろうか。
俺の心臓が過去に例を見ない速さで拍動している。機関部強化とはこの事か。
速き事島風の如し。このままでは俺の機関部がオーバーヒートして爆発、俺は轟沈してしまうだろう。島風の如く。
生まれて初めて女の子の手をこんなに握る事ができたのだから、もう死んでもいいカナ。
「あっ、あの、ありがとう、ございます、あの……で、でも、よ、汚れてしまいますから、あの……っ」
夕張はおそらく羞恥からであろう、顔を朱に染める。
いつもの俺なら、こんな大胆な事など出来るはずがない。
この提督の仮面は、俺の性格を上手く隠してくれる。
うむ。振りほどきたくても、相手は提督だ。上官である。
夕張はなかなか強気に出れないのだろう。そそる表情をするではないか。
あいにくだがまだまだ放すつもりはない。俺の心臓が爆発するまで、もうちょっと堪能させてもらおう。
チキンな俺の命を賭けたチキンレースである。
すべすべで柔らかーい! やーらかーい!
「提督。そろそろ建造を開始いたしましょうか」
アッハイ。
大淀が後ろから声をかけてきた。
くそっ、二人きりだったらあと三十分くらい堪能できたかもしれないというのに。
いや、それまで俺の心臓が耐えられるかはわからなかったが。
同じ手は二度と使えない。くそう、せっかくの機会が。大淀め、余計な真似を……。
「む……そうだったな。案内してくれ」
名残惜しいが、俺はしぶしぶ夕張の手を放す。
しかしこれで、提督の権力を上手く使えば艦娘にセクハラ、いやいやボディタッチという名のコミュニケーションが取れる事が確かめられた。
これは大きな収穫である。今後もこのテクニックは活用していこうではありませんか。
そんな事を考えながら工廠に足を踏み入れた俺の目に、耳に飛び込んできたのは――
『資材の状況はどうだろうねー』
『ボーキサイトが足りないみたい』
『しばらく建造してないから腕がなまるねー』
『でも前みたいに怒られながらは嫌だよねー』
どこか気の抜けるような声でお喋りしている、小さな少女達。
ヘルメットをかぶっていたり、作業服を着ていたり、様々な種類がいるようだ。
これが妖精さんか。初めてみた。
「おおっ」
俺が思わず声を上げると、それに反応してか、妖精さん達が一斉にこちらを向いた。怖っ。
『あれ? 誰あの人』
『前の提督と同じ服を着ているよ』
『それにしては形が違うねー』
『果物で例えるなら、前の提督は洋梨みたいな体型だったのに、あの人はチェリーみたいだね』
誰だチェリーっつったのは。ぶち殺すぞ。体型の話じゃねぇだろそれ。何でわかるんだ。
『もしかして、新しい提督さん?』
『わー』
『とり囲めー』
『おー』
俺は瞬く間に妖精さん達に取り囲まれてしまう。
見た目全員女の子なのだが、全然嬉しくない。
何人かが肩のあたりまで登ってきて、腰かけてきた。随分馴れ馴れしいなコイツら……。
『あなたが新しい提督さんですか』
「う、うむ」
『ご結婚はされているんですか?』
「エッ」
え、初対面の人に一言目にそれってかなり失礼じゃない?
たとえばその人が結婚してなくて、それを気にしてるくらいの年齢の人だったら、セクハラだからね?
いや、心の広い俺だから良かったけど、相手によれば訴訟されるからね? 気をつけたまえ。
いや、俺は全然気にしてないけどね?
「い、いや、していないが」
『おー』
『おぉぉー』
妖精さん達が何故か歓声を上げた。
『彼女さんはいるんですか?』
「エッ」
え、初対面の人に二言目にそれってかなり失礼じゃない?
たとえばその人が彼女できた事がなくて、いや、俺の話じゃないけど、それを気にしている人にそんな事言ったら、セクハラだからね?
いや、俺もできた事ないけど、俺は心が広いから許してあげるけど、相手によれば訴訟されるからね? セクハラは犯罪だからね?
もしかして妖精さんという立場を利用してる? 立場を利用してセクハラとか、もうパワハラとの合わせ技で速攻アウトだからね?
妖精さんがいないと色々できない事があるからって、調子に乗っちゃ駄目だからね?
いや、俺は全然気にしてないけどね?
「い、いや……今はいないが」
『おー』
『おぉぉー』
『今は、という事は、いた事はあるんですか?』
「エェェ」
何だこのグレムリン共は。
懐の深さに定評のある俺だが、流石に堪忍袋の尾が切れる寸前だ。
仏の顔も三度までという奴だ。
しかし、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』には、建造には妖精さんの協力が必要と書かれていたし……。
こ、ここでキレるわけには……!
「い、いた事は……無い、です……!」
『わー』
『わぁぁー』
『わぁい』
『囲めー』
『おー』
俺の周りの妖精さん達が大歓声を上げてながら万歳している。
何だこの状況は。一体何なのだ。何で俺が初対面の妖精さん達に彼女いない歴=年齢である事を暴露して大騒ぎになっているのだ。
大淀達を見てみるが、特に気にしている様子は無い。
あれ? もしかして妖精さん達の声が聞こえていないのか?
ええい、もういい。俺の女性遍歴暴露大会などどうだっていいのだ。大淀達に聞かれたら威厳など崩れ去ってしまうではないか。
さっさと目的の建造だ建造。試しに一回だけやればここにはもう用は無い。早く終わらせて、妖精さん達から逃げよう。
「大淀。建造とは、どのように行えばいい」
「はい。建造ドックはあちらです。妖精さん達が、詳しく教えてくれると思います。私達艦娘は妖精さんを見る事はできますが、会話はできません。顔合わせも兼ねて、お話ししてみてはいかがでしょうか」
大淀が掌で指し示した先には、『建造ドック』と書かれた区画がある。
うむ。やはり妖精さん達の声は聞こえていないようだ。俺の女性遍歴をバラされる事も無いようで、一安心である。
「ふむ。なるほどな。試してみよう」
俺は建造ドックへと歩を進めた。
その区画には、人間が一人、ちょうど入ることのできそうなくらいの大きさの水槽が、四つ並んでいた。
これが……建造ドックとやらだろうか。
なんか思っていたよりも小さい。
いや、艦娘が艦で、妖精さん達が作業員だと考えればこんなものなのか。
「何だこれは」
『海水です』
『この海水に、艦娘の建造に必要な資材を混ぜ混ぜするのです』
資材というのは人間である俺には見る事が出来ず、妖精さんや艦娘でなければ管理できない未知のエネルギーらしい。
俺達がオーラとか気とか、もしくはチャクラとかエーテルとか呼んでいるものの正体は、それなのかもしれない。
艦娘が艦娘である為のエネルギーなのだとか。
『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』によれば、『資材』には全部で四つの種類があるらしい。
『燃料』は、艦娘が海上で活動したり、大の大人以上のその膂力で艤装を運用する為など、艦娘としての行動に必要なエネルギー。
『弾薬』は艤装内で砲弾や魚雷などの装備を具現化し、補充し、発射するなど、主に攻撃に必要なエネルギー。
『鋼材』は艤装の具現化や艦娘の装束型装甲、艦娘自体の肉体の頑丈さを維持する為など、主に防御に必要なエネルギー。
『ボーキサイト』は艦載機を具現化し、エネルギーを長距離に渡り飛ばし、操作する為に必要な、空母が必要とするエネルギー。
これらのエネルギーを補給して、艦娘は初めて艦娘としての行動が可能になる。
必要なエネルギーが全て欠けてしまえば、それはもうただの人間の少女と変わらないのだとか。
「建造の為の資材はどこから持ってくるのだ」
『私達が保管しているものを運搬してきますー』
『提督さんは、どんな艦をお望みでしょうか?』
『戦艦? 空母? それとも駆逐艦?』
いや、どうでもいい。
チュートリアル、つまりお試しで建造してみたいだけなので、その結果は別になんだっていいのだ。
お望みを強いて言うなら、できれば明るくて見た目年上系で巨乳な方が好みだが。
『了解しましたー』
何、勝手に了解してんの? 俺まだ何も言ってないじゃん。心読めるのお前?
『それでは、燃料400、弾薬30、鋼材600、ボーキサイト30でいかがでしょうかー』
いかがでしょうか、と言われても、俺に判断できるはずもない。
妖精さんの思うがままにしてもらうのが一番だろう。
正直、この建造というのを今やる必要があるのかという事も俺にはわからんのだったが、まぁチュートリアルなのだからいいだろう。お試し感覚だ。
燃料とか鋼材の単位もよくわからんから、それが重要なのかどうかもわからんが、妖精さんが言うのだから使っちゃってもいいのだろう。
「うむ。任せる」
『お許しが出たぞー』
『資材を溶かせー』
『混ぜろー』
『おー』
妖精さん達が慌ただしく散らばり始めた。
しばらくすると無色透明であった海水が青く、蒼く、光り輝き始める。
それはとても幻想的な光景に見えた。
発光を続ける海水を見つめながら、俺の肩に座る妖精さんに声をかけてみる。
「どれくらいの時間がかかるんだ?」
『ほほう。ほほう。これはこれは』
「な、何だ」
『ふむー、私の見立てでは四時間ほどかかるかとー』
「そんなにかかるのか」
『提督さんの希望にお答えできるように頑張りますねー』
いや、だから俺何も希望言わなかったじゃん。
お前これで失敗しても知らないからね?
ま、まぁいい。とりあえずこれで、チュートリアル編その一は終了だ。
今度はその二、『編成で新しい艦娘を配置しよう!』とその三、『初めての任務を遂行しよう!』が待っている。
俺は建造ドックの外で待たせている大淀達の下へと、再び戻ったのだった。
このお話における『資材』や『艤装』などは、HUNTER×HUNTERの『オーラ』や『念』のようなものだとイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。