虹に導きを   作:てんぞー

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彼女は望まれていなかった

 ゆっくりと目を開けた先に見えるのは闇だった。完全に闇に包まれた空間の中に自分はいた。さて、ここからどう動くべきだろうか? エスコートを待つべきか? そう考えた矢先、闇の世界が足元からわずかに灯り、先へと進む通路が見えて来た。どうやら自分が文句を言いだす前に用意してくれたらしい。何とも憎い演出ではないか。そう口にしながら前へと向かって歩き出す。歩くたびに靴の裏から鋼の硬質な感触を受け、だんだんと進むにつれて明るくなって行く通路内の中、奥が見え始めてくる。やや広めになってくる通路内で、行く手を遮る様に浮遊する卵型のロボットには見覚えがある。数年前から()があれこれと便利に使っている玩具だ。やれやれ、こんなエスコートは頼んでいないのだが、と呟きながら片手で頭の上の黒いボルサリーノ帽を抑えた。自分のこのトレードマークはなくさないようにしっかりとつかんでおかないとならない。故に右手を帽子を押さえるのに使ったまま、前へと向かって飛び込んだ。

 

 それに反応して二体の卵型ロボットも加速してくる。瞳の様なレンズを光らせ、此方へと向かってレーザーを放ってくる。その出だしを見極めて悠々と回避しながら、左手を振るって袖の中にしまっていた自分のデバイスを取り出した。左手に簡単に収まる細長いそれは一本のクダだ。召喚専用、それに特化したデバイス。どんな次元、どんな次元断層の中であっても問題なく召喚機能を発揮させられるように開発され、それ以来愛用している召喚専用ストレージデバイス。戦闘能力は欠片も存在しないそれを軽く振るえば、中央部分が開き、起動状態に入る。

 

 それと同時に召喚魔法と固有がリンクされ、一瞬で召喚が発生した。

 

 次元を裂いて出現した裂け目から龍の獄炎が放たれた。それは一瞬でロボットの姿を飲み込むと、跡形もなくそのロボットのみを蒸発させ、形さえもあとには残さなかった。軽い運動にはなったな、と思いつつさらに先へと進んで行くごとに、さらに道は広く、そして明るくなって行く。だんだんとだが壁の塗装や紋様が見えてくる。そう思っているとまた新たにロボットが近づいてくるのが見える。今度のは先ほどのよりもかなり大きなサイズをしたロボットだった。彼の遊び心にやれやれ、と思いながらも再び召喚魔法を発動させる。

 

 虚空から出現した無数の巨大な拳が弾丸、雨霰の様に一気に降り注いだ。残像を残さず放たれた無数の拳は敵が破片となって完全に形を失ったのを確認すると、最初から幻であったかのようにその姿を消失させた。その残骸ですらない姿を回避しつつ進み、そろそろ彼の歓迎の仕方を少し考えるように言うべきだろうか、と考え始める。まぁ、彼の悪癖に関しては今始まった事ではない。苦言を呈したところでそこまで効果はないだろう、とどこか諦めを感じているのは事実だ。

 

 それはともかく、奥へと向かって進んで行くと先ほどまでの妨害はなく、段々と施設的な側面が強くなって行くのが見える。剥き出しの配管やコードの類が良く見られるようになり、設置されたカメラもいくつか見える他、設置されているコンソールの類も見かける。しかし、自分の直感は奥、更に奥に彼がいると告げている。そのため、他のものには特に目もくれず、前へと向かって進んで行く。

 

 そうやって先へと進んで行けば、やがて大きな鋼の扉の前に到着する。クダを出して少し強めにノックすべきだろうか? そう考えた所で、

 

『あぁ、待て待て。今開けるからね』

 

 すっかり忘れてた、みたいな言い方をしつつも目の前の鋼の扉は開いた。その向こう側に見えたのは大きなエレベーターの姿であり、それに乗れ、と促しているのだろう。それに乗ると自動的に扉が閉まり、そしてエレベーターが動き始める。エレベーターは恐ろしく静かで、動いているという事さえ感じさせない滑らかさが存在していた。しかもどうやら上下だけではなく、左右にも移動するタイプらしく、複雑な軌道を描きながら施設内を進んでいるらしい。ただ、待っている間は酷く退屈だった。そう思っていると声が聞こえた。

 

『いやぁ、すまなかったねぇ。君を警備の方にゲスト登録するのを忘れていたよ、システムの方には登録していたのに。ちょっとしたうっかりだったよ』

 

 やれやれ、と呟きながら帽子の位置を少しだけ調整した。いつもいつも、自分の好きな事ばかりを見ているからそんなミスをするのだ、と彼を責める。そのせいで失敗したことだって一度や二度ではない筈だ、と言ってやるとそれこそ困ったような声が返ってきた。

 

『うーん、自分ではそこらへん中々解っているつもりなんだけどね。これはもしかして私に与えられた呪いの様なものなのかもしれないね。最後の最後ではどっかドジったりする類の。まぁ、それはそれで結構楽しい、或いは愉快な世界だ。私はこういう凡ミス、嫌いじゃない。笑えるからね』

 

 それに巻き込まれる此方はまるでたまったものじゃないのだが、とため息を吐く。こいつのこういういい加減っぷりはどこか、計算されたものだ。意図的にどこかを適当にする事でわざとランダムな要素を取り入れて完璧じゃなくしている。そのランダム性が予想外の結果を生むのだから面白い、とはまさに狂人の言葉だった。そう、彼は紛れもない狂人だった。だからこそ誰も彼についてはいけない。そして社会も彼を許容することが出来なかった。そんな彼に付き合えるのはこの次元世界でも自分ぐらいだろう、という自負がある。とはいえ、毎回付き合っていると流石に疲れる。悪戯はなるべく止めてほしい。

 

 そんな風に呆れているとエレベーターは動きを停止していた。入ってきた方とは逆方向の扉が大きく開き、そしてその先に続く通路を見せた。ここまでくると完全に明かりが灯っており、普通に内部が見渡せる。一切の装飾が見渡せない実用的な鋼の通路は奥へと通じており、此方は先ほど通ってきた場所よりもさらに修繕か、或いは整備されているように見えるエリアだった。広がっていた通路は奥に見える普通の扉によって終わり、その前に立つと自動的に扉が開いた。

 

 そして、その向こう側に広がる研究施設の様な部屋が見えた。

 

「やぁやぁ、待っていたよ君の事を。この私を待たせるなんて本当に贅沢な時間の使い方をするもんだ」

 

 まるで神にでもなったかのような尊大な物言いを冗談めかしながら、白衣姿に菫色の髪の持ち主―――ジェイル・スカリエッティは宣っていた。部屋には無数の魔法陣と機械が設置されており、それを調整している様な女たちの姿が数人見える。そしてそれとは別に、小さな金髪の少女が目を閉じて部屋の隅のベッドの上で眠っている。傍から見ればジェイルのハーレムでしかないが、蔓延する空気がそれを否定する。

 

 そもそも、こいつに性欲ないだろう、と自分は思っている。

 

「いやいや、一応私だって性欲を持っているさ。ただし一桁歳の子供たちに発情する程見境ない訳じゃないのさ」

 

 どうやら周りにいる女性たちはあまり、口を大きくして言える手段で生まれて来たわけではないらしい。とはいえ、嫌々やっているようには見えないし、悲壮な空気もなく、少女たちはお互いに軽く談笑しながら作業を続けている辺り、ジェイルは悪くない待遇を与えているらしい。

 

「それはそうだろう? 悪く扱ったらその分作業効率の低下って形で不具合が出てくるんだ。人材だって道具の一種だ。だとしたら効率的に運用する為には定期的なケアとメンテナンス、そして正しい使い方をするべきだと私は思うんだけど間違っているかな?」

 

 いや、その言葉は正しい。だからこそそれを時空管理局に対して言って欲しいと心の底から思っている。あの連中はブラックにブラックという言葉を詰め込んでからブラックという言葉でコーティングするのが大好きなブラック集団だ。あそこで働こうとする人間の精神性が理解できない……とまでは言わないが、何を好き好んで自分から自殺したがっているのだろうか、と思わなくはない。まぁ、それはともかく、帽子を持ち上げて、軽く挨拶のポーズをとりながら、その中から一枚のカードを取り出した。

 

 道化師の描かれたジョーカーのカード。それはジェイルからのお仕事の依頼に送られてきた招待状だった。これを目印に誘われるがままにここへとやってきてしまったのだが、果たしてこれでよかったのだろうか、と疑問を浮かべる。そんな疑問に対してジェイルはあぁ、そうだった、と言葉を零す。

 

「いやぁ、こう見えてというか見ての通り私は話す事が好きだからね、コミュニケーションは人類が開拓した文化の中でも最も面白く楽しい物だと自負しているし、それを通して知識を披露するのは研究者として最も楽しい事の一つだ。だから毎回の事だがこうやって無駄に話を逸らして脱線してしまう。悪い癖だというのは解っているのだけれど、話を聞いてくれる相手がいるとついつい話が長くなってしまう」

 

「ドクター、痴呆症の始まった爺さんみたい」

 

「ドクター、今日から服は別々に洗おう」

 

「待ちたまえ君たち。その言葉は結構殺意が高いからやめるんだ。あぁ、私の精神力がまるでこれが現実ではないと否定していられる間にね!」

 

 どうやらジェイルは結構、娘たちと楽しくやれているらしい。まぁ、昔から趣味の男というか、好き勝手にやって盛り上がっている馬鹿ではあった。なら、やはり今も好き勝手に楽しくやっているんだろうなぁ、と思ったが案の定であった。まぁ、数少ない知り合いが楽しくやっているのだから自分に文句はない。それはそれとして、そろそろ財布の中が辛くなってきたので、仕事の話に入ってくれると非常に助かると視線をジェイルへ向ければ、また脱線していたことに気づいてくれる。

 

「あぁ、そうだったね。実はちょっと面白い事に挑戦してみようと思っていてね……事の始まりから話して良いかな? ダメって言われても話すけど」

 

 どうぞ、と告げると、アシスタントらしき女性の一人が椅子とマグカップを持ってきてくれた。帽子を取って挨拶をしながら受け取り、話が長くなりそうなジェイルに付き合うため、椅子に座ってマグカップに口をつけた。その中身はココアだった。そんなこちらに気にする事もなく、楽しそうにジェイルは立ったまま話を続けていた。

 

「まぁ、そんな長くなる話でもないよ。ただ単に私がちょっとした暇潰しに違法研究を見て回っていたら、聖王陛下のクローン成功作とやらを見つけて、それを攫った事が全ての始まりさ」

 

 もうのっけから普通ではないし、面倒な話になりそうな気がしていたが、ジェイルはそんな事には気にせず、ガンガン話すつもりであるように見えた。というかそんなことをやっていたのか、と軽く彼の所業に呆れてしまう。

 

「いやぁ、だって仕方がないだろう? こう見えて私は美学を持つタイプだ。悪事と研究を行うからこそ美学を持つべきだけどね、そういうのを欠片も持たずに無作為な欲望を振り回す連中はどうしても許せない。強い欲望を持つからこそそれを律し、そして振るうべきだとこの無限の欲望は思うわけだ。まぁ、私のモットーだよ。美学のない悪事と欲望なんてただの災厄だからね。そうなってくると人格や主義というものはちっぽけなものでしかなくなる。それは非常につまらな……おっと、また話が逸れてしまったね。いやぁ、君は話を聞いてくれるからどうしても話がそれてしまう。……えーと、どこまではなしたっけ?」

 

 研究を攫った、という話だと思い出させるとジェイルがあぁ、そうだったねと言った。

 

「まぁ、つまり私は管理局の老人会(最高評議会)を捨てて脱出する事に成功して、その目論見をくじいたおかげで色々と計画が狂ったらしいんだ。そして、その狂った計画の一部に聖王のクローンを使ったものがあって、気に入らない研究だから成果を攫って丸ごとデータを潰してやったわけさ! まぁ、そんなわけであそこで眠っている少女が件の聖王のクローンで、そして君を呼び出したこの遺跡がかつては聖王のゆりかごと言われ、次元世界を滅ぼした禁忌兵器(フェアレーター)となる訳だ。もはやこのセットだけでミッドチルダに大打撃が与えられるわけだが……まぁ、つまらないし、欠片も美学を感じられない行いだからこれは忘れておこう」

 

 重要なのは別のところにある、とジェイルは指を伸ばしながら言った。空になったココアの入ったマグカップをどうするかと思っていると、ジェイルの助手がそれを受け取ってくれた。こいつの様なクズのところにほんと良く出来た助手が来たな、と少しだけ感動を覚える。

 

 ジェイルが動きを停止して視線を此方へと向けているので、どうぞどうぞと先を促す。それに満足したのかジェイルが話を続ける。

 

「まぁ、ここからは本当に短い。聖王のクローンとゆりかごが揃ったんだ、このままミッドチルダを攻め落とすのも芸がない。だったら、他の誰もが出来ないことに挑戦するからこそ、私を天才として定義することが出来るんじゃないかなぁと思ったわけだ」

 

「ドクター、こっち配線終わりましたー」

 

「こっちも終わりましたよドクター」

 

「終わったのなら冷蔵庫のプリン食べていいよ!」

 

「わぁーい!」

 

 作業を終わらせた一部が我先にと部屋を飛び出してゆく―――見た目はそれなりに成熟しているが、精神的には一部的にまだ子供らしい、促進培養の弊害という奴なのだろう。まぁ、自分が口を出すようなことではない。それよりも、ジェイルの話の続きが気になる。

 

「うん? 興味を持ってくれたか? つまりはなんだ、私はこの歴史的な二つの遺物が揃ったところで非常に気になったわけだ―――聖王家は何故滅んだ? 一体何がゆりかごをあそこまで暴れさせたのか? 歴史の闇というものをちょっとした趣味で暴こうと思っていてね」

 

 趣味で、と断言するあたりが実にジェイルらしい。となると、データを探る作業でもするのかと考えると、違うとジェイルは言う。

 

「そもそも、そんな作業だったら私が本気を出して数時間で終了するだろう? それにデータとは改竄できるものだ。信用が出来ない。そうなると信じられるのは直接見て確認した出来事になる……あぁ、ここまで言えば解るだろう? 直接()()しようって話だよ。ここには聖王の遺骸を運んだゆりかごが、そしてそのDNAからクローニングされた聖王のクローンがいる。つまり材料としては十分なものが揃っているんだ。ならば、あとは送り込む人間を選出するだけだ」

 

 ジェイルの話す技術関連の事に関しては正直良く解らない。ただ、理解できるのはこの男がまたとんでもない話を引っ提げてきており、歴史を大きく覆すような事に挑戦しようとしているという事実だった。そしてその言葉にジェイルは、無論だともと自信満々の表情を浮かべていた。

 

「私は世紀の大天才、そして君は資質、そして固有共に史上最大の召喚魔導士。だから逆召喚のルーティーンを利用して、君の意識を聖王の血縁と聖遺物という縁を手繰り、システム的にサイコハックの要領で過去の記録へと送り込む。そうすれば君の精神だけを過去へと送り込めるという訳だ! これは一時的な時空干渉にもなるから次元初の試みになるぞぉ! なにせ、場合によってはタイムパラドックスを引き起こすからね! はーっはっはっはっは! まぁ、第一観測時空が塗り替えられたところで、その摂理を改変された事実を観測できる存在が地上には存在しないから、タイムパラドックスが発生したところでそれを認識する方法はないから一生実証できないんだけどね!!」

 

 また一人で盛り上がってるこいつ……そんな言葉に呆れつつも、仕方がないなぁと溜息を吐いた。どうやらジェイルの目的は聖王の真実を面白半分で暴く事と、そして彼が見つけた新しい技術を試す事にあるらしい。確かに召喚適性が理論最高値であり、そして固有能力として召喚に関するものを両方備えている己であれば、それを逆に利用した逆召喚で自分を送り込むというのはそこまで難しくはない話だ―――だがそれは次元の壁を超える話で、時間の壁を超える逆召喚なんて一度も試したことはない。

 

「ま、それは挑戦してみれば解る事さ。理論上は穴がない事は確認済みだ。あとは君さえ了承してくれれば始められるさ」

 

 じゃあ報酬は成果の山分けで、とジェイルに伝えれば、楽しそうな表情を浮かべた。

 

「これはまた欲張りな報酬を求められたものだ―――だけどそうだね、成果を山分けというのは実に夢のある話だ。私も嫌いじゃないね、そういうのは」

 

 成果の山分けとはつまり空手形である。成功するからこそ発生する報酬でもある。どうせ、この男だ。絶対に成功させるつもり以外で大きなことをするつもりはないだろうと思っている。それに聞く話、中々ロマンのある事だった。歴史の闇に消えた古代ベルカの謎、それを追いかけるのは中々楽しそうだ。

 

 その言葉を聞いたジェイルは中々楽しそうな表情を浮かべてくれた。頷きながら、

 

「うんうん、やっぱり君は私の友人だ」

 

「ドクター、唯一って言葉をつけ忘れています」

 

「……唯一の友人だ!」

 

 この男、社会に絶対に出すことが出来ないよな、と思っていると、小さく唸るような声が聞こえた。視線を部屋の隅へと向ければ、金髪の少女が目を覚ますところだった。両手で目をこすり、瞼を開ければその下には宝石の様なヘテロクロミアが隠されていたのが見えた。美しい赤と緑の両目はそれ自体が一つの芸術品のようで、価値のある宝物の様にさえ思えた。起きた少女は頭を持ち上げると、小さくあっ、と声を零し、此方へと視線を向けていた。

 

「おや、どうやら現代の聖王陛下は君が気になるようだね?」

 

 ジェイルが冗談めかす様にそんなことを言ってくる。となると、何か一芸を求められているという事だろうか。ふむ、と呟きながら頷いた。ならば任せて貰おう。この帽子のナイスガイ、こう見えて子供の相手は実に得意であり、好きな事の一つである。とどのつまり、任せろという事である。にこり、と笑みを浮かべながら少女へと近づく。それに少女は少しだけ怯えるような様子を見せるも、興味を持ったのか、近寄る此方からは逃げず、

 

 目の前に到着した。

 

 そして頭の上の帽子が発火して一瞬で燃え尽きた。

 

「ふぇ!? えっ!?」

 

 瞳を大きくして驚愕している少女の姿にふぅ、と満足げな息を漏らしつつ、懐に手を伸ばし、スーツのジャケットの内側からスペアの同じ帽子を取り出して被り直す。皺のない、綺麗で新品の帽子が明らかに入らない筈の空間から出てきて被り直している姿に、少女が頭の上にハテナを浮かべながら何度も頭の上の帽子と、そしてスーツの内側を覗き込もうとして来る。軽くスーツの内側を広げ、その下に来ている赤いシャツや黒ネクタイを見せるが、無論、そこに帽子をしまうスペースなどない。無論、手品なので魔法なんて一つも使ってない。故に魔力反応もない。それが解っているのか、舌足らずな言葉遣いで驚愕の声を零しつつ、此方のスーツや胸板をペタペタと触ってくる。

 

 その様子を見て、ジェイルへと視線を向けた。

 

「相変わらず子供の相手が上手だね……まぁ、好かれているのはいい事さ。人間関係が円滑に進むことは作業効率を上昇させる事だからね! 人間関係は歯車の間に差し込む油の様なものだしね」

 

 スーツの内側から新たな帽子を出して、それを少女に被らせつつジェイルに対して何時から始めるのか聞いてみる。それを受けたジェイルが、そりゃあもちろんという言葉を付け加えて返答してくる。

 

「―――君の準備が出来次第だよ」

 

 溜息を吐きながら、自分の友人は相変わらず性根が腐っているなと溜息を吐いて確信するしかなかった。再びジェイルに少女の無事を確認すれば、ジェイルが其方は問題はないと教えてくれる。そこに、ただしという言葉がつく。

 

「君の方は、完全にという訳じゃないけどね。歴史を追体験するサイコハックだ。場合によって不明な要素が絡んでくる。現代から観測している此方とは違って、実際にダイブする君の心の無事は確約できないさ」

 

 その程度なら問題ないとジェイルには言い返した。悪運と精神の強さに関してだけは、人類最強である事を自分は自負していた。もし心を害する可能性があったとしても、この自分の心ばかりは無理だろうと断言できる。それを聞いたジェイルは相変わらず楽しそうに笑った。

 

「まぁ、そうだね。君ならそういうと思ったよ。その傲慢さこそが私の友人である君の証だ。さぁ、それじゃあ準備を進めようか。其方の椅子の方に座っておくれ、その方がモニタリングしやすいし君も疲れ辛いだろうからね」

 

 ありがたい配慮だった。ジェイルが指さす方向を見れば、そこにはちゃんとクッションの敷いてある椅子があった。その足元には多重にセットされた魔法陣が、そして椅子からはコードが伸びている。それを軽く確認し、自分の理解を超えるテクノロジーの塊である事を完全に理解してから、躊躇することなく椅子に座った。そうやって椅子の上に座ると、ジェイルの助手らしき女性の一人が、ベッドの上にいた少女を持ち上げて此方へと運んで膝の上に乗せた。此方の膝の上に乗せられた少女が、スーツの裾をぎゅっと強く掴んできた。そこは皺になると少し辛いので、出来たらネクタイかシャツを握ってもらいたいものだが、幼子にそれを要求するのは酷だろう。落とさないように片手で少女を抱えつつ、足を組んで背を背もたれに落ち着かせる。

 

「……なんというか、妙に絵になるね」

 

 イケメンは大体何をやっても絵になると、そろそろジェイルは学習すべきだと思った。まぁ、一応こう見えて自称イケメンだ。何をやっても似合う自信はある。それを証明するように軽くポーズを決めるが、ジェイルがそれを軽く無視して機械や魔法陣に対してエネルギーを注ぎ込み始め、それが稼働するのが見えた。流石に少しだけの寂しさを感じていると、それじゃあという声がジェイルからかかった。

 

「準備完了だ。これから君の膝の上のその子を媒体に遺伝子という道を通して時空に介入し、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトが、人生のうちに迎えた人生の分岐点とも呼べる場所へとダイブする。それを通して眺めようじゃないか、歴史の真実という奴をね」

 

 軽いノリで歴史の真実を探りに行くのだから、本当にこいつの脳みそはどうかしていると思う。おそらく今、ジェイルが戯れ半分に自分を呼び寄せてやろうとしていることは、全ベルカ人が待望するであろう歴史の闇、真実だ。それに挑戦する事なのだが、この男は面白そうだから、という理由だけで挑戦し、成し遂げる。

 

 まさに天才にして天災。そうとしか説明の出来ない男だ。

 

「さぁ、目を閉じるんだ―――遺伝子を巡り、時を超える旅を始めよう。これはきっと、楽しくなるとも」

 

 物凄い軽いジェイルのノリに苦笑いを零しつつ、軽く帽子をかぶせた少女の頭を撫で、そのまま目を閉じた。完全な闇が視界を支配し、やがて音すらも消え去る。

 

―――そして明確に意識が落ちる。

 

 だが立っていた。

 

 気づけば闇の中で立っていた。意識が完全に落ちて消えるその瞬間を知覚するも、次の瞬間には立っていることを認識していた。その不思議な感覚に軽く首を傾げてしまうが、恰好はいつも通りスーツに帽子と安定した格好を保っていた。さてはて、ここからどうしたものか―――そう考え、この思考は少し前にしたな? と思い出す。天丼するのはネタとして弱い、改めなくては。そう思っていると声が聞こえた。

 

『あーあーあー、聞こえるかい? よしよし、その反応を確認すれば君がちゃんと存在を保っているのは解る。此方でも君の潜行を確認した。次元深度-2350という所だ。ATP粒子も確認できている、ちゃんと時間潜行が出来ている証拠だ』

 

 なるほど、まるで解らん。そう応えることしか出来なかった。その言葉をジェイルは笑った。

 

『まぁ、そうだね……時間軸をマイナス方向に進んでいるのを此方で観測できていると解釈してくれ。人類初の試みだからもう少し何らかのトラブルが発生するかと思ったが、上手く行ったようだ。やはり私の頭脳は人類最強だねっ!』

 

 少し言葉尻を可愛くしたつもりだろうが、気持ち悪い事この上ないので、そういう言い方は止めてほしいと心の底から頼み込む。それはそれとして、周囲が真っ暗でまったく何も見えない事の方が今は問題だ。

 

『あぁ、今は聖王クローンの遺伝子を媒体に時間軸を遡っている所だからね。遺伝子は実に面白い。そこには人の情報の全てだけではない、その先祖やその前の生活や学んだ事、その全てが情報として圧縮して記録されている。だが強烈で強力な出来事などは遺伝子の中でも構成に影響を遺す。それを私はその人物の人生における分岐点だと理解している。まぁ、つまりはその地点まで割り出して遡行しているという事だ。簡単だろう?』

 

 残念ながら非常に解り辛い―――ただし、なんとなくだがジェイルのやろうとしている事は解った。遺伝子をベースに記録を遡ろうとしているのだ、重要な場面まで。やっている事は解った。だがなんでそんなことが出来ているのかが解らない。やはり変態とはこの男の為にある言葉なのだな……とある種の納得を抱いていると、光の粒子が見えて来た。どうやら目的の時は近いらしい。ジェイルの言葉が運ばれてくる。

 

『気を付けてくれたまえよ? こっちは常にモニタリングしているが、通信が繋がるという訳じゃない。状況によっては此方からの言葉を届ける事が出来ない時もあるという事をね』

 

 まぁ、その程度なら問題ないだろう―――そう答えると、世界が闇から色を取り戻す様に形作られて行く。青い空が広がり、足元に緑の豊穣で彩られた大地が広がり、そして周囲を囲む石壁。そこは大きな建造物の中庭だった。囲むように存在する広い中庭は空から降り注ぐ太陽の光を浴びて、草花がその生命を表すかのようにわずかに光を纏っていた―――不思議な光景だった。

 

 その景色の中心に一つの姿が見える。

 

 肩を出した白いワンピースドレス姿の金髪の少女だった。おそらく歳は九ぐらい、膝をついて中庭の花を拾い上げ、それをつなげて冠を作ろうとしているのが見えた。その顔が持ち上げられ、

 

 赤と碧の瞳が見えた。

 

 一瞬、その視線は此方へと向けられたが、此方の姿をその視線で捉えるようには見えなかった―――ジェイルの言ったとおりに、本当に追体験しているだけらしい。少女に近づき、再び花の冠を作ろうとした彼女の肩に触れようとしてみるが、それがすり抜けてしまう。

 

 しかし聖王教会に残された通り、赤と碧のヘテロクロミア―――だとしたらこの少女がオリヴィエ・ゼーゲブレヒトなのだろうか? 彼女の人生の分岐点にしては偉く幼すぎるようにも感じる。片手で帽子を押さえる何時ものポーズで、わずかに感じる違和感を自分の中で消化しようとする。

 

「―――オリヴィエ! いないのか、オリヴィエ!」

 

 すると、名前を叫ぶ女の声が聞こえた。声に反応し、少女が冠から顔を上げ、振り返りながら立ち上がった。その先にあるのは開け放たれた扉であり、

 

「オリヴィエはここに居ますお姉さま」

 

 そう返答した。数秒後、扉の向こう側からオリヴィエと同じ金髪の女が出て来た―――こちらはオリヴィエよりも育っており、年齢は十代半ばごろに見える。薄いピンクのドレス姿は幼さをわずかに残しつつも優美さを見せる恰好であったが、彼女から感じられる怒気がその雰囲気を邪魔していた。彼女はオリヴィエらしき少女を口を開け、そして視線をオリヴィエの手元へと向けた。

 

「……オリヴィエ、それは?」

 

「これですか、お姉さま?」

 

 オリヴィエは手元の冠へと視線を向けてからそれを持ち上げ、姉と呼ぶ女へと見せた。

 

「これは庭師に教わった花冠ですお姉さま、花を編むことで冠を作って―――」

 

「浅ましい……母の命を奪い、それでも玉座を欲するのね」

 

 笑顔で説明しようとしたオリヴィエの言葉を遮る様に言葉叩きつけ、女は一気に近づくと冠を奪い、それを投げ捨てた。あ、と声を漏らすオリヴィエの声を無視するようにその腕をつかむと、引っ張る様に扉を抜けて、中へと戻って行く。

 

「母の命を奪い、聖王核を簒奪して生まれ、それで玉座を求めるとはなんたる強欲……貴女の命が陛下の慈悲によって保たれているという事を忘れたのね?」

 

「ち、違いますお姉さま! そうではありません! 私は、ただ―――」

 

 やがて、女に引きずられてオリヴィエの姿が消える。その姿を視線で追い、軽く溜息を吐いてから庭に落ちた花冠に触れようとするが―――当然の様に指がそれを貫通し、触れる事はなかった。完全に見ているだけの傍観者。

 

 少しだけ、ジェイルの実験に付き合ったのを後悔し始めていた。

 

 それにジェイルの声も聞こえなくなってしまっている―――通信が上手く行ってないのだろうか? まぁ、自分が出来る事といえば変わりなくオリヴィエの事を追いかける事だけなのだろうが。

 

 伝説の聖王にも、こんな苦労した時代があったのだなとどこか神秘的だった偶像に対して親近感を感じつつ、おそらくは城内へと通じる扉をオリヴィエの気配を頼りに進んだ。

 




 リハビリ目的で話数少な目で完結できる話を書こうかなぁ、という事でモットーは【陳腐でもいいから彼女を救おう】というお話で。

 遺伝子を遡って時を超え、彼女の人生に憑依して追体験する。オリヴィエ・ゼーゲブレヒトという少女の人生を追いかけるのだ。

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