虹に導きを   作:てんぞー

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彼女はそうやって愛を抱く腕を失った

 気配を追って歩けばすぐにオリヴィエと、その手を引く女の姿が見えた。それ以外にもここには大量の鎧姿の騎士の姿が見え、城内らしき場所であると把握が出来た。やはり、彼女がオリヴィエだとして、この年齢であればおそらくは古代ベルカ王城……とでも呼べる場所になるのだろうと思う。それにしても普通に王女二人の後ろを歩いていても誰もこちらを不審がる事はなかった。本当にジェイルの技術は完成度が高いらしい。ここまで完璧に他人の人生にダイブ出来るとは―――ある意味、これは悪魔の発明かもしれないな、そんなことを思わなくもない。と、後ろを歩いていると二人の会話が聞こえてくる。

 

「まったく信じられないわ……オリヴィエがまさかの継承権1位だなんて」

 

「お姉さま、オリヴィエは未熟です。確かに継承権は1位ですがまだ若く、経験も知恵も足りません。私が玉座につくことはおそらくありません。王としての象徴は強く、たくましい方が民に安心感があるからおそらくはお兄様の誰かが―――」

 

「何でもすぐに覚え、実行できるお前がそれを言うのかしら? 本当に母の才能も命も奪った子は言う事が違うわね。それで謙遜しているつもりなの? 才能も努力も一番している子がそういうと嫌味でしかないのよ」

 

「すみませんお姉さま」

 

「別にいいわよ……貴女の事を姉妹と本気で思ったことはないし」

 

 その言葉にオリヴィエが俯く様に視線を下げた。言葉がそこで完全に停止し、オリヴィエが黙って手を引かれるがままに奥へと進んで行くのを後ろを歩いてついて行く。どうやらオリヴィエ・ゼーゲブレヒトという女は幼少期はかなり疎まれていたらしい。話を聞く感じ、オリヴィエの出産時に母親が死亡した、という形だろうか? 聖王教会の公開情報ではそんな話をまるで聞いたことがないという事は、

 

『おそらくは聖王教会でも記録されていない事か、もしくは閉ざされた聖典(クローズドスコア)にでも記録されている事なんだろうね。どちらにしろ、歴史にはあっても現代には語られていない真実の1ページを君は目撃し、知ることが出来た。なかなかの成果じゃないか』

 

 横へと視線を向ければ、半透明のジェイルの姿がややかすれつつも見えた。どうやら現代との通信が回復したらしい。歩くのを止めずに進んでいるとジェイルのホロは足を動かさずにスライドするようについてくる。やはりこっちに来ているのではなく現代から通信を繋げているだけらしい。それはともかく、遅かったな、と思わずにはいられない。そう指摘するとジェイルが少しだけ困ったような様子を浮かべていた。

 

『いや……まぁ、予想通り、のダイブでもないというか……ほら、予想していた時代よりも遥か前に接続したことでなんとなくだけど完全な成功じゃないというのは理解しているだろう? うん……失敗じゃないけどイレギュラーかなぁ! ごめんね!』

 

 こいつ反省してねぇな? そう思いながらも初の試みである以上、仕方がない部分があるのは察していた。だけどまぁ、とジェイルは呟きながらホロを消失させた。

 

『此方から常に君の状態はモニタリングしているよ。君の存在証明率は現在100%だ。つまり100%この世に存在しているという事を証明できている。だから安心して歴史の追体験を進めると良いさ』

 

 言われなくてもそうするつもりだ。ただこの少女オリヴィエがこう、周りからいじめられている姿を見るのは正直心苦しい。できるのであれば手品の一つでも披露して笑顔にしてあげたいところだが、ジェイルの言葉が正しければこれは遺伝子を通して時空をハックして目撃している歴史の追体験。つまりは既に終わり、閉ざされた歴史の出来事だ。干渉する事は出来ない。映画館で上映されるのを椅子から見ているのと同じ状態だ。フィルムをバラバラにしても事実が変わる訳ではない出来事だ。

 

 問答無用のヒーローとしてはその点だけは心苦しい。とはいえ、自分が聞いた限りでの古代ベルカ時代とは欠片も救いのない時代でもあったらしいと聞く。現代ではロストロギア扱いされる数々の遺失物はこの時代で生まれたほか、質量兵器や次元すら崩壊させる禁忌兵器が乱射される戦争が発生し、それによって多くの次元世界がベルカと共に滅んだという話を聞く。その中で活躍し、救国と崩壊を招いたのがオリヴィエという人物だったはずだ。

 

 結局、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトはベルカを救った。だがその死後にベルカは滅んだ。聖王のゆりかごと呼ばれる禁忌兵器がオリヴィエの死後に暴走したと言われている。だがその話の大半は歴史の闇の中にあり、見出せない。果たして何故ベルカはゆりかごによって滅んだのか……興味深い話ではある。

 

 聖王教会ではオリヴィエが聖女の様に描かれているが、こんな境遇の中で彼女は本当にそんな精神を育てることが出来たのだろうか? そこを自分は少々疑問に思った。とはいえ、これは映画のようなものだ。追いかけて目撃すればよいだけの話。あまり心情的に深入りしすぎるほうが危険だろうと思う。

 

 そんなことを考えているうちにオリヴィエたちは目的地へと到着したらしく、大きな扉の前で足を止め、扉を叩いてから中へと入っていった。王族がそこまでの対応をする相手といったら、おそらくは一人しか存在しないのだろう。オリヴィエのあとを追うように部屋へと侵入する。

 

 広めの部屋の中央には細長いテーブルが存在し、その周りに座る人たちからすさまじいまでの重圧が空間を満たすのを感じられた。その重圧にオリヴィエと、そして女が足を止めた。それも仕方のない話だ。人外魔境とでも表現すべきプレッシャーがその幼い体に襲い掛かっていたのだから。

 

 室内にいるのはどれも見目の麗しい金髪の美男美女、しかし最も目を引くのは黄金律の肉体を誇る、美しい男の姿だった。一番奥、上座に座った男が最大の気配と圧の発信源であり、最も飾られた服装を着こなす男でもあった。その風格、底知れぬ気配、他者をその存在感だけで従える生物としての絶対強者の証―――説明なんて必要ない。

 

 あれが聖王なのだろう。この時代の。自分の人生で見て来た中でも1,2を争う怪物とでも表現すべき存在だった。まともに戦って勝てるかどうか―――そのことを瞬時に考えてしまうほどの相手でもある。とはいえ、これは過去の記録だ。戦う事は出来ないのが残念というか、安心というか。

 

 ともあれ、あの男、聖王と比べてしまえば他の人間は全てカカシの様なものだ。周りにいる姿の良いおそらくは王子や王女たちも聖王と比べてしまえば彼を引き立たせる引き役でしかなかった。これほどの男がいて滅ぶ古代ベルカという時代に戦慄を感じつつも、オリヴィエを追いかけて上座近くに座る。どうやら座る順番は継承権の高い物ほど聖王に近いらしく、オリヴィエは聖王のすぐ横の席に座った。室内にいる多くのものからオリヴィエに向けられる視線を感じる。

 

 妬み、憎しみ、怒り、困惑、様々な感情が視線には向けられており、そこに好意的なものは僅かにしか感じない。蠱毒の一種か、とこの状況を見て納得する。この環境の中で鍛え上げられた者ではないと聖王は務まらないのかもしれない。そんなことを考えながらオリヴィエの背後に立った。膝の上で拳を握って耐えるようにする少女の頭に触れようとするが、やはり手がすり抜けてしまう。解っていたことだが少しだけ悲しい話だった。

 

「―――ふむ」

 

 聖王が部屋の中にいる全員が座り、揃ったところで全体を見渡した。おそらくこの部屋に集まっているのは王子や王女たちばかりで、その背後には従者や騎士が控えているのが見える。おそらくは個人的な騎士、或いは派閥の人間だろうと察する。オリヴィエ自身が先ほどの発言から継承する気がない事、そして一緒にいる後援者がいないことを見るに、他の王子や王女たちで継承権を巡って争っているのかもしれない。聖王はそんな室内の様子を見渡し、オリヴィエへと視線を向け―――そしてその背後、此方へと視線を向けた。

 

「……ふむ、どうやら中々面白いものを()れているようだな、オリヴィエ」

 

「……?」

 

 聖王が放った言葉は完全にこちらを認識した言葉だった。首を傾げ、そして周辺の王族たちも首を傾げ、オリヴィエの背後―――此方へと視線を向けている。だがその視線は虚空を捉えているように見える。しっかりと帽子の下の瞳を見ているのは聖王、ただ一人だった。まさかこの男、本当に時間を超えて実体も持たない此方の存在をしっかりと捉えているのだろうか? だとすれば恐ろしいほどに驚愕に値する事実だ。そう、

 

―――挨拶をしなければ失礼だ。

 

 帽子を取りながら軽く挨拶し、口を開き、

 

 羊のリアルな鳴き真似をしてみた。

 

「っ!?」

 

「陛下? 大丈夫ですか……?」

 

「うっ、うむ……中々面白いというか愉快というか……まぁ、善き者であるから気にする必要はないか。オリヴィエ、その縁を大事にすると良い」

 

「は、はい……?」

 

 思わず笑い声を零しそうになっていた聖王のリアクションに対して心の中でガッツポーズを決めつつ、やはりこの手の挨拶は成功するな、と自分の中で確信を固めた。だがそれに反して他の王族たちは一切理解できていないのか完全に反応はなく、軽く首を傾げながらも視線は聖王へと集中した。帽子を被りなおしながらオリヴィエの背後で腕を組んで話に耳を傾ける事にする。

 

「これより報告会を始める。それぞれ、順に近況の報告を行うと良い」

 

 聖王の言葉と共にそれぞれの王族が順番に今やっている事、やろうとしている事、その成果の説明などを始める。ただその音声も少しずつ小さくなって行き、最終的にミュートされるのと同時にジェイルの声が聞こえてくる。

 

『驚いたね……まさか此方の存在を補足されるとは欠片も思っていなかったよ。時間軸を絡めたサイコハックの類だと私は認識していたけど、もしかしたら本質的にはタイムハックなのかもしれないね』

 

 専門用語が多すぎて良く解らないので、解りやすい説明をジェイルに求める。そうするとそうだね、とジェイルが言葉を放ってくる。

 

『君の言葉を借りるなら私たちはこれを映画館だと思っていた。だけど違っていた。私達が見ているのはシアターではある。だけどその本質は映画館ではなく舞台劇に近い。遺伝子をフィルム、施設を投射機、そしてスクリーンが景色だと思っていたが……遺伝子がチケット、施設がスクリーンだったという訳だ。成程、どこかで私の関与していない関数が術式に混ざったねこれは? 興味深い結果だ』

 

 なんとなくだがジェイルの言っている言葉は解った。つまりは完全に上映されているだけの状態だったと思っていたこの人生の追体験、実は考えていたのとは少々方向性が違うらしい。ジェイルが興味深そうに観察している辺り、本当にイレギュラーな事態なのだろうと思う。それはそれとして、大丈夫なのだろうかこれ? とは思わなくもない。その疑問に答えるようにジェイルの声が聞こえた。

 

『あぁ、データが少ないから何とも言えないけどね、相当おかしなことをしなければ大丈夫だとは思うよ。とりあえず君の存在証明率は此方でちゃんと確認している。これが減ればおそらくはやってはいけないタブーに抵触するんだろうが、今のところ君の存在率は100%で証明されている。つまり先ほどのジョークは許容範囲内だって事だ。どうやら君を見える存在があるらしいし、それぐらいになら多少遊んでも大丈夫なんじゃないかな?』

 

 何とも頼りになる言葉だ。結局のところ、良く解らないので危険な事はするな、という事に落ち着くのだから。やはり、少々手伝う事に関しては早まったかもしれない……と思わなくもない。予想外にこの技術、ふわふわしてる。判断に困る所だった。

 

 

 

 

 聖王を前に王族たちが己の報告を終える。それが終わると現在のベルカの情勢、周辺諸国の話となり、それが終わればこれからのベルカの動きに関して話し合う事へと続いた。正直な話、そこら辺の話はそこまで深い歴史マニアでもない身としては割と暇な内容であり、半分聞き流していたのは事実だった。そしてそれが終わればあっけなく王族たちの会議は解散となった。その感じからして月に開催される家族会議みたいなものだという認識を自分は抱いていた。しかしその内容は結構大きなもので、王族一人一人が己の有能さをアピールするような場でもあった。

 

 そこに媚びはないのが実にらしいとでも言うのだろうか。

 

 それが終わると本当に解散となり、全員が部屋を去って行く。そこには当然オリヴィエの姿もあり、どうやら勉学に励む彼女は中庭へと戻らず、勉強へと向かおうという腹積もりだったらしい。だが彼女を引き留める存在がいた。

 

「オリヴィエ、少しいいかな?」

 

「お兄様」

 

 部屋から出ようとしたオリヴィエを止めたのは優しそうな顔の青年であり、オリヴィエと同じ金髪をしている。聖王程の威圧感も風格もないが、一国を収めるには十分なほどの気風を纏った青年だった。彼はオリヴィエを言葉で止めると、少しいいかな、と再び言葉を送った。それにオリヴィエは笑みで答えた。

 

「お兄様の頼みを断れる訳がありません。私の様なものでよければなんでしょうか?」

 

「いや、改めてオリヴィエには聞きたかったんだ……君は本当に聖王の座に興味はないのかな、って」

 

「ありません」

 

 青年の問いかけにオリヴィエは寸分の迷いもなく答えた。その瞳はどこまでもまっすぐであり、汚れも穢れも知らない純朴な少女のそれだった。両腕を胸の前に寄せると、オリヴィエは言葉を続けた。

 

「お姉さまやお兄様達は私が才能に溢れ、そして成長すれば能力的に一番優秀に育つであろうと言っています。ですから未来の事を考えれば私が能力的に聖王にはふさわしいのかもしれません」

 

 だけど、とオリヴィエは頭を横に振った。

 

「私は聖王を責務としてしか考えられません。誰かのために、自分の為に、もっと良くする為に、そういう意思で聖王を目指す事は出来ません。王族の責務であるから王族として振る舞うべし。私はそれしかできません。ですから私は聖王になるべきではないと思っています。私では()()()()()()()()()()()という結果しかだせませんから……」

 

 オリヴィエは俯きながらそう呟き、だけど、と言葉を置いた。

 

「お兄様やお姉さまは違います。本気で心の底から聖王になろうとしています。報告会の話を聞けばどれだけ心血を注いでいるのかが伝わっています。本気で国を愛し、それを守り、発展させようという強い意志が言葉の端から感じます。それは私にないものです。ですから私は聖王にはふさわしくありません。きっと、お兄様やお姉さまのほうが100倍ベルカを素敵に出来るはずです」

 

 心からそう信じているようにオリヴィエは断言した。それを見て息を吐きながら青年はそうか、と呟きながらしょうがないなぁ、と言葉を零した。それに続く様にジェイルの言葉が聞こえて来た。

 

『この時期からこんな精神性をしていたのか……確かに聖女の様だとは良く言ったものだ。お兄様とやらもこれは安心したのかな?』

 

 ジェイルの言葉を聞きながら、言葉を返す。だからお前は人の心が解らないんだよ、と。

 

「それじゃあオリヴィエ、話ついでにちょっとだけ頼みをいいかな?」

 

「なんでしょうか?」

 

「実は今度、魔道実験に参加するはずだったんだけど……魔法に関してはオリヴィエのほうが才能があるだろう? 君が参加してくれた方が遥かに効率が良いから手伝ってくれないかな?」

 

「私で良いのなら喜んで」

 

 笑顔を浮かべるオリヴィエと青年の姿を見て、やはりジェイルには人の心というものが良く解っていないな、と断言する。この光景、オリヴィエと青年を見てそんな言葉を吐けるとは中々大した奴であるとさえも言える。一回人間関係を幼稚園から学びなおしたほうが良いかもしれない。

 

 つまりは?

 

 オリヴィエの中にあるのは絶対的な自信だ。()()()()()()()()()()()()という全能感じみた絶対的な自信が彼女の中には存在している。或いは既に確信している。望めば聖王になるだけの力量を自分は発揮できるであろう事実に。そしてだからこそ、彼女は聖王という道を選んでいないのだろう。その結果が既に見えているから。

 

 そして王子はそれを理解し、オリヴィエの精神性を完全に理解している。彼はオリヴィエという存在が正しく怪物的であり、父親である聖王と同じジャンルの人外であることを理解している。先ほど、青年がオリヴィエへと言葉をかけた時、その瞳の中にあったのは()()だった。彼はオリヴィエという存在が心底恐ろしく感じているかのような感情を完全に押し殺して兄を演じていた。

 

『ドクター、王族って怖いっすね』

 

『期待してた聖王家のイメージと全然違う……』

 

『聖王教会にこれを伝えたら面白そうだな』

 

『と、マイ・ドーターズの感想だ。ま、私は人でなしだからね。人間の心の機微なんてわからなくて当然さぁ!』

 

 ほんとこいつどうしようもねぇな……そんな感想を抱きながらも、オリヴィエがどうやら部屋へと戻って行くらしいので、その姿を追おうとするが、それに割り込んでジェイルが言葉を放ってくる。

 

『おっと、ここから数日はどうやら特に起伏のない平坦な流れしか観測できないようだ。数日後までは人生の分岐点に匹敵するような出来事を観測できない。数日先まで時間軸を飛ばそうかと思うんだが―――おっと、でもそうだね、聖幼女の生態とかちょっと気にならなくはないね! 本当にそれだけの才能があるのか私生活を確認しなきゃだめだね、これは! というか服の下は本当に人の体をしているのか? 確認する為にも風呂辺りまで―――』

 

 ジェイルの言葉が聞こえ、女の声に変わった。

 

『申し訳ありません、ドクターは疲労で倒れましたので、オペレーターを一時的に交代させてもらうウーノと申します』

 

 それはいいのだが、ジェイルはもう少しネーミングセンスというものを磨くべきではないのか? と思わなくもない。流石に女にその名前はダメだろ、と。ただ聞いている感じ、本人に不満はなさそうなのが救いなのだろうか。ともあれ、自分としても数日間此方で観察するだけで終わらせるのは時間が勿体ない。早送りする事が出来るならそれに越したことはない。人の時間は有限だ。何もないのならぐだぐだやっていてもしょうがない。

 

『了解しました。では分岐点少し前まで時間を進めます』

 

 ウーノの声が響くのと同時に世界全体がモノクロ色に染まり、完全に時間が停止した。その後で風に吹かれる砂の様に風景が溶けて切り替わって行く。先ほどまでは王城内の一室だったが、その風景は溶けるように切り替わり、木製の狭い空間へと場所は切り替わった。

 

 少しだけ揺れる木製の室内は―――馬車だった。

 

 この時代は移動手段は馬車だったんだな……なんて考えを抱いていた。現代ミッドチルダでは基本的に移動手段は車か、長距離転移用のポートか、もしくは次元航行だ。必然的に馬を使って引かせる乗り物なんてものは非効率的で、淘汰される。だからこそ物凄く珍しい物を見た気分だった。まだ魔道エンジンが存在しなかった頃の遺物―――しかし、確か古代ベルカ時代とは現代でさえ真似でいない超高度技術を保有していた時代ではなかったのだろうか? 普通にエンジンの一つや二つ、存在していない方が違和感がある。

 

 だがその問いに答えは出ない。説明したがりのジェイルはどうやら過労で倒れたままらしい。仕方がない、と思いながら視線を横へと向ければ、そこには馬車の椅子にクッションを敷いて座っている少女オリヴィエの姿が見えた。落ち着いた様子でおとなしめのドレスを着ている彼女の姿にはやはり、王者としての風格が今は宿っている。明確な公務とも呼べる出来事に対して覚悟を決めているのだろうか? 幼い表情を浮かべている癖に、大人顔負けの優雅さを感じる。

 

 軽く帽子を脱いで挨拶をしてみる。だが反応はない。やはり特別なのはあの聖王ぐらいだったらしい。オリヴィエの横に足を組んで座りながら周りを見た。人の気配が恐ろしく少ない馬車だった。感じる気配は馬車に乗っているオリヴィエのもの、そして御者をしている者の気配だけで二つだけだった。

 

 仮にも最大の継承権を持つ人物に対する警備ではなかった。解っていたことだが、オリヴィエは疎まれているらしい―――彼女が聖王の座に興味があるか否かなんてほぼ関係ないらしい。

 

 オリヴィエを消そうとしている人物がいる。それも王族の中に。解りやすいほどに。

 

『だけれども、後世においてオリヴィエ・ゼーゲブレヒトはベルカの希望となってゆりかごに乗りました……それはちゃんと記録として残されています。そうである以上、この後で彼女の人生を変えるような出来事があったのでしょうか?』

 

 だとしても、この状態からオリヴィエが聖王として祭られるようになるのは相当難しい、というか無理さえある様に感じる。まぁ、それもすべては自分が今、見ている光景や歴史が真実であれば、という前提がつく話である。のっけからジェイルの技術が不安定で完全ではないという事が証明されてしまったのだ、流石にエラーが皆無であるとは言えないだろう。

 

『まぁ、確かにそうではありますけど……』

 

 何やらウーノはジェイルの技術に不満があるのが嫌らしい。なんというか、本当にいい助手を持った、いや、この場合は作ったもんだ。あいつの倫理観は一体どうなっているのだろうか。そう思いつつ馬車にオリヴィエと共に揺られて行く。護衛が一切存在しない道行。

 

 それはやがて、停止と共に行く先が判明する。扉を開けてくれる騎士も居らず、御者も降りてこない。これは不敬ではないのか? と思いつつも、オリヴィエは一人で扉を開け、馬車から降りた。自分が知っている王族とはまるで違う。

 

「ここがお兄様の研究所でしたわよね。お兄様の為にも頑張らなきゃ」

 

 言葉だけを聞けば非常に可愛らしい。だがその中身を、そして育っているものを一概にもそうとは言えないのかもしれない。

 

 迷いのない足取りでオリヴィエは馬車から離れ、正面の研究所へと足を向けて進める。その前には当然ながら門番が存在するが、オリヴィエの姿を見て、そしておそらくはその気品と瞳の色を見て、一瞬で背筋を伸ばした。

 

「こ、これはオリヴィエ王女殿下!」

 

「楽にしてください。今日はお兄様に頼まれて魔道実験の手伝いに来ただけですから……ほら、身軽ですよ?」

 

「ハッ! 直ぐにお通しいたします!」

 

 場を和ませるためのオリヴィエの言葉はしかし、門番を恐縮させるだけだった。その事実にオリヴィエは少しだけ唇を尖らせつつも溜息を吐き、出現した研究所の職員に案内され、研究所内部へと進んで行く。男は張り付いたような笑みを浮かべながらオリヴィエを奥へ、研究所の内部へと導く。

 

「ようこそおいでなさいましたオリヴィエ王女殿下。貴女の到着を心待ちにしていました。何度もヘクトル王子からはオリヴィエ様の才に関して聞いていました。自分もあれだけの才があれば……と日常的に言っている程でして」

 

「いえ、私なんてそんな凄くありませんよ。専門の知識がある訳でもないので……私がここに呼ばれたのだってきっと、形式上仕事を割り振る為ですよ、きっと。とはいえ、お兄様の頼みですから、私も全霊をもって応えるつもりです」

 

「それはそれは、何とも頼もしいお言葉ですよ、えぇ」

 

 男の笑顔の裏からはありありと恐怖と殺意と憐憫を感じる。この時点で九割方、これがオリヴィエを殺すための罠であることを察しつつあった。それを口に出してオリヴィエへと伝えてみようとするが、やはり言葉は届かない。あの聖王の様な特殊な人物ではないと時空の壁は超えられないという事なのだろうか。

 

『まぁ、ステージに観客が上がるのはマナー違反だからね。普通は警備員に抑えられるものさ。そしてそれでも登ろうとするならペナルティを支払うものだ。それが我々学者が大好きなルールという奴だ』

 

 お帰りジェイル、お前の声が聞こえなくて寂しいと思っていたところだ。挟み込まれたジェイルの説明に苦笑を覚えつつ、オリヴィエが向かう奥へと一緒に歩く。扉を一つ、また一つと抜ける度にオリヴィエが死地に近づいて行くのを実感し、疑問に思う。

 

―――この子は果たして、どうやってこの死地から生存するのだろうか?

 

 それは純粋な疑問だった。才能はあっても彼女はまだ10にも満たない少女だ。それが今、施設の奥へと、厳重な警備の内側へと連れ込まれてゆく。その先で罠にはめるという意図を感じる。ここまで来れば半ば成功したようなものだ。だが後世にオリヴィエの名が残っている、という事は彼女はこの状況から生存したという事だ。

 

 ここまでハマればほぼ確殺とも呼べる状況だ。そんな状況からそう都合よく抜け出せる方法などあっただろうか?

 

 その疑問にはおそらく、この後の時間で答えが出るだろう、と一旦思考するのをやめる。最終的にはこの光景はフィルムを眺めているのとほぼ変わらないのだ。既に終わっている事件を眺めているのだから、答えは確かに存在する。そこは安心して観ていられる要素だった。

 

 彼女は命を狙われ疎まれるどん底から聖王として輝くのだ。

 

―――それが彼女にとって本当に幸せであるのかどうかは別として。

 

 やがて研究施設の奥へとオリヴィエたちが到着する。そこには複数の研究員がおり、大きめの部屋の中央には複数の魔法陣が連結され、大型の魔法陣を形成していた。自分でも初めて見るタイプの魔法陣に、少々興味心をそそられる。それはオリヴィエも同様らしく、少しだけ目を輝かせながら魔法陣へと視線を向けていた。

 

「あれは……魔力の循環魔道式……ですか?」

 

「流石オリヴィエ王女殿下、聖王様に匹敵する才を持つと言われるだけありますね……まさか見ただけで解るとは。えぇ、ですが少々惜しいです。正確には無限円環魔道術式です。もとはゆりかごにあった動力用の魔道式を研究、転用したもので込められた魔力をロス0で無限に再利用しながらそれを少しずつ増幅させるという魔道式です。これによって魔力接合解除空間という魔力を調達できない空間でも、限られた魔力を無限に使用し続けられるのです」

 

『これ一つで世界のエネルギー問題が解決するね。これ、ちょっとコピー取っておくか』

 

 流石ロストロギアを生んでいた文明、スケールからしてまるで次元違いの研究を行っていたらしい。術式とかの類は非常に不得手なので、自分が見てもまるでちんぷんかんぷんである。それだけにそれを一瞬で理解したオリヴィエの知識には驚嘆せずにはいられない。というか幼女以下の頭脳という結果がここで確定してしまった事が地味に心が痛い。

 

「ではオリヴィエ様、私は行かないといけなせんので……質問や命令はここに居るものに好きにやっても良いですから。どうぞ、宜しくお願いします」

 

「いえ、此方も勉強させていただきます」

 

 オリヴィエはそう言って頭を下げる研究員を見送った。アレは逃げたか、と足早に去る姿を見て確信しつつ、視線をオリヴィエへと戻した。オリヴィエは真剣な眼差しを魔道式へと向けており、それを理解しようと頑張っていた。

 

 そんなオリヴィエを周囲は眺めつつ、どうやって接するかに困っていたのが雰囲気で理解できる。実際、興味がないと言っても最も聖王という立場に近い人物ではある。そうなってくると恐れ多いという感情が大きいのだろう。オリヴィエとスタッフたちの間では一切会話が発生することなく、オリヴィエが終始魔道式を眺めているだけの時間がしばらく過ぎると、漸くオリヴィエが口を開いた。

 

「動かす……事、はできますか?」

 

「ぇっ? あ、あ、はい! できます! 今すぐ準備します!」

 

「あ、どうぞ焦らずに。時間はたっぷりありますので」

 

 苦笑いしつつも、オリヴィエから誰かの役に立てる、という事実に喜びを漏らすような感情を感じられた。やはり王宮では疎まれている分、誰かに必要とされることに対して飢えているのかもしれない。あの伏魔殿の中で味方の様な人物は今のところ全く見かけていない。そのことを考えればもっと性格が捻くれていそうなものなのだが。

 

 と、てきぱきとした手際で実験の準備が整えられて行く。

 

 その裏で自分へと向けられる殺意にオリヴィエは気づいてはいない。ただ純真に、そして真面目に自分が期待されていると思って、本気で手伝おうと思っている。それはあまりにも儚く、そして無残な幻想だった。確実に空気に混じり始める濃密な死の気配に、オリヴィエの幻想は砕かれるのだという確信が自分の中で既にあった。生きて鍛え、戦っているうちに、こういう第六感ともいうべき危機に対するアンテナは死線を潜り抜ける度に鍛え上げられる。

 

 故にこの後、この空間を破壊が襲うのは容易に察知できた。自分であれば迷う事無くここから逃げ出すか、或いは実験を停止させるだろう。だがそれに気づかない。オリヴィエは真剣に魔道式を見つめ続ける、その背後で進められることに一切気づかずに。その真剣な姿を眺める。

 

お兄様の助けになったら……お兄様は私を認めてくださるでしょうか?

 

 オリヴィエを眺めていると、彼女の声が聞こえた。それはまるで彼女の心の声そのものが漏れ出すかのようだった。周囲へと視線を向けるが、反応はなく、ジェイルからの反応を確認するが、向こうからも何も言ってこない。つまりは今、彼女の声が聞こえているのは自分だけだった。その原因に少しだけ心当たりを浮かべつつも、片手で帽子を押さえながらオリヴィエの心の声に耳を傾けた。

 

お兄様もお姉さまも誰も私を認めてくださらない……お父様……陛下は誰かに贔屓する事は聖王として許されない。侍女や騎士でさえも私を恐れて近づかない……きっと、私が足らない子だから……。

 

 だから、と言葉は続く。

 

頑張らないと……聖王にふさわしくなくても、王族として恥がないようにならないと。お母さまを私が殺したことに違いはないから。

 

 才人は心が解らない。或いは理解しすぎるからこそもっと簡単なところを見落としてしまうのかもしれない。彼女の心の声を聴いて、確かにオリヴィエになら何かを成し遂げる力があるのだろう、と納得できる。だけどジェイルとは別方向でオリヴィエは人間を理解していない。いや、違うだろう。

 

 オリヴィエが抱える、そしておそらくは後年に死ぬ理由となる致命的欠陥が見えた。

 

『それは―――』

 

 と、言葉が研究者の言葉によって区切られた。

 

「実験の準備完了しました」

 

「本当ですか? でしたら観察しているのでどうぞ実行してください。私もお兄様の為に全力で応えますから!」

 

 意気込むオリヴィエ、そしてその姿にやや恐縮する研究員。しかしその表情からはやや険ともいうものが取れてきている。或いはオリヴィエという人物を理解しつつある証拠なのかもしれない。このオリヴィエという少女は何故なら、自分の事を一切隠そうとはしない為、少しだけ接してみれば彼女がどういう人物なのか、それが解ってしまう。だから彼女の立場を気にしない人間、或いは立場に魅力を感じない人間ではない限り、オリヴィエに対して普通に接する人間はいない。

 

 だからこそ、それが致命傷となりうる。

 

 予測通り。

 

 或いは、当然の帰結として―――魔道実験は失敗した。

 

 目の前で無限の魔力を生み出すと言われた魔道式は暴走した。おそらくながら、それは王子によって用意されたものだったのだろう。一瞬で研究所内を閃光が満たし、そして魔力が満たした。光よりも早く反応できる生物は存在しない。故に全ての生物が反応したのは光った後であり、その時には既に魔法は完成されていた。

 

 研究所は一瞬で炎に包まれ、人間は生きながら腐り始めていた。

 

 それは現代においてはあまりにも人権を、命という存在を無視し、無造作な破壊を生み出し過ぎるという事から禁忌と呼ばれた技術の一端だった。苦痛と絶対なる死を与える事を目的として建造された兵器を禁忌兵器(フェアレーター)と呼ぶ。

 

 この魔道式に紛れ込んでいたのはその一部だ。

 

 だがそれだけでも人を一人、絶死へと追い込むには十分すぎた。腐敗の炎が研究所内を完全に満たし、そして炎の地獄絵図を生み出していた。直感的にシールドを張った男も女も、そのシールドから溶けて肉体を腐らせていた。苦痛と絶望感を味合わせつつ、腐敗という回復の魔法ではどうしようもない領域。細胞という細胞が壊死し、機能を果たす事がなくなる為に腐敗が始まれば切除以外の選択肢はないという鬼畜の所業、それが研究所を満たしていた。

 

 一瞬で腐臭が満ちる空間にそこは変わっていた。出入口は腐敗の炎で満たされ、酸素が少しずつだが腐食して失われてゆく。それこそ明確な殺意でも存在しなければ巻き起こせない事件の中で、

 

―――オリヴィエ・ゼーゲブレヒトは生存していた。

 

 一瞬光って見えたのは虹色の壁だった。まるで不動の壁か、盾か、或いは鎧か。それが幼いオリヴィエの体を守り抜いた。だが衝撃その物を殺せる訳ではなく、まだ幼く体の軽いオリヴィエは爆発の瞬間に巻き込まれて吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。そのまま壁から落ち、叩きつけられた衝撃で体を痛めたのか、口の端から血を流していた。

 

 そして虹色の鎧が出てきた時間も短かった。その間はオリヴィエは無敵といっていいほどの防御力を持っていた。だがそれが消えた瞬間、腐敗の炎がオリヴィエににじり寄り始め、伝わる熱が床から倒れたオリヴィエの体を、両腕を腐らせ始めていた。その中でオリヴィエは呻くように声を漏らし、立ち上がった。

 

「う、く、はぁ、はぁ……どうし、て……」

 

 そう呟くとオリヴィエは周囲へと視線を向けた。そこには腐敗し、燃えて散る人の形だったものがあった。それを見たオリヴィエが即座に気持ち悪さから口を押えるが、我慢しきれずに嘔吐する。

 

「な、にこれ……?」

 

 呆然とした様子で、オリヴィエがそれを呟いた。その景色に移るのは先ほどまで無事だった光景、普通だったはずの世界だった。それは一瞬にして変化した。その変化にオリヴィエは耐えきれず、嘔吐し、困惑と恐怖を隠せずにいた。オリヴィエの体が小刻みに震え、完全に停止する―――どれだけ才能があろうと、その精神は子供。経験をまるで積み重ねていない弱者、それが今の彼女。

 

 咄嗟に生き残れただけでも拍手して褒めるべき状況だった。

 

 だがそれすら長く続かない。明確に殺意がオリヴィエへと忍び寄るのを感じていた。オリヴィエの方は己の事だけでもはや手一杯だった。周りへと、そして迫りくる凶刃へと意識を向ける事なんて欠片もできない。やがて燃え盛る入り口の向こう側から、何らかの魔法か道具を使っているのだろうか、普通に歩いているはずだが炎が勝手に避けて行く騎士服姿の女が見える。

 

 彼女はオリヴィエを殺すだろう。

 

 唐突にだがそう思った。いや、違う。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()という確信があった。どこか予知じみている直感に、ここが運命の分水嶺だとも知覚する。ここ、この瞬間、この場所で選択肢がこの後のすべてを変える。そんな壮絶な予感があった。否、それは経験に基づく確信だった。()()()()()()()()()()()

 

 ……俺がどうにかしない限りは。

 

 いつも通り片手で帽子を押さえるポーズではて、()()()()だろうかというのを思考した。そして結論に至る。考えていてもこれはしょうがないなぁ、とも。こういう場合、理論や答えというものはあとから出せばよいのだ。つまり、自分がとる選択肢は一つ、

 

跳べ。

 

「っ!?」

 

「なっ―――!?」

 

 それはおそらくありえない事だったのだろう。オリヴィエの表情を見れば解る。自分でさえ何故動いたのかが解っていない。だがその瞬間、オリヴィエは跳躍した。横へ、逃げるように、嘔吐や恐怖や困惑や錯乱のすべてを捨て去って、超本能的に跳躍したのだった。そしてその結果、オリヴィエの意識外から気配を殺しつつ接近していた女騎士の凶刃はオリヴィエへと届かなかった。オリヴィエへと届くはずだったそれは空振った。

 

 女騎士、そしてオリヴィエ、二人が同時に驚愕の表情を浮かべており、先に回復したのはオリヴィエだった。襲撃者である女騎士を見て、声を漏らした。

 

「メアリーベル……お兄様の騎士がなんで……」

 

「オリヴィエ様……」

 

 女騎士はオリヴィエから視線を向けられると申し訳なさそうに、そして痛みをこらえるような表情を浮かべた。しかし次の瞬間には剣を構え直していた。その中には明確な敵意と殺意が混じっており、オリヴィエを殺すという意思を感じさせた。それを受け、オリヴィエが後ろへと一歩下がった。だがそれ以上は腐敗の炎によって逃げ場がなく、足を止めるしかない。故にオリヴィエは口を開けた。

 

「待って、メアリーベル。何かの間違いです貴女がこんなことをするなんて―――」

 

「いいえ、それは違いますオリヴィエ様。私は王子の騎士として貴女の()()()()()()()()()。今日、ここで魔道実験の事故に見せかけて貴女を葬る、と。しかし凄まじいまで豪運と能力を持っているでしょうから生き延びるかもしれない。故に確実に私が始末をつけろ、と」

 

「えっ……いや、だって……お兄様は……私が別に玉座を欲していない事を」

 

 オリヴィエのその言葉にメアリーベルは静かに頭を横に振った。

 

「オリヴィエ様、最期に教授しましょう。貴女は人の心を解っていない」

 

「いえ、解っています。疎まれている事も、恐れられている事も」

 

「いいえ、だからこそ解っていないと言っているのです」

 

 それはオリヴィエが知らない現実だった。

 

「オリヴィエ様……貴女は優秀すぎるのです。誰よりも才を持ち、生まれながらに聖王核を持って生まれ、神に愛されたかのような美しい姿を持ち、そして継承権でも……貴女は与えられるべく全てを受けて生まれたような存在です。そんな貴女を誰も……聖王様以外は人として見ていません。何かを任せれば成し遂げ、何かを教えれば10を学ぶ。それは天才でも何でもありません。ただの怪物です」

 

「だからお兄様やお姉さまは私を恐れるのですか!」

 

「いいえ、違います」

 

 再びメアリーベルは頭を横に振って、答えた。

 

()()()()()だからです。意思なんてものは水の様なもの、それこそ時の移り変わりで変化する不確かな形のないもの。能力があるけど望まない―――それはつまり望めば何時だって玉座を狙えるという言葉でもあります。そんな不確かな言葉に縋るよりは殺して万全を期した方が遥かに安心できるのですよ、オリヴィエ様」

 

「―――」

 

「そうやって漸く安心できるのです。王は人間に非ず。オリヴィエ様……貴女は人間ではありません。王としての資質は十分にあるでしょう。ですが貴女は人間という生き物を理解していません。人間という生き物は―――」

 

―――もっと愚かで、醜く、即物的だ。

 

 そう、それに尽きる。オリヴィエ・ゼーゲブレヒトという少女は人間に対して幻想を抱いている。誰もが良い人であり、何か悪い事するには相応の理由がある。そういう性善説の考え方を支柱に思考が構築されているように感じる。そこまではっきりとした考えではないだろう。だが幼いオリヴィエは純粋だ。故に、人間という生き物を信じているのだろう。閉鎖された環境の中しか見てないから。今までは疎まれていても、それでもまだ生きていた。殴られたり汚物を投げつけられた訳でもない。

 

 彼女は城壁の外の真実に触れていない、温室の姫君だった。

 

「わ、私は死んだ方が良いのですか!?」

 

「はい。貴女は死ぬべき人です。貴女が生きているだけで貴女以外の王族がみな、息苦しくしています。ある意味それは当然ともいえるのでしょう。ですが継承権1位の者がそこに興味もなく、そして捨てる訳でもなく、いらぬと言って座り続けるのはあまりにも()()()()

 

 オリヴィエが絶句し、言葉を吐き出せずに俯いた。言葉を探そうとし、しかし一切見つからず、絶望と失意の中で自分の存在というものを見失い哀れな子羊の姿だけがそこにはあった。それを見た女騎士が傷ましい者を見るような視線を向けた。

 

「申し訳ありません、とは死んでも言えません。ですがここで死んでいただきます。それが我が主君の命であり、そして同時に主君を玉座へと導く一手となりましょう」

 

「わ、わた、しは―――」

 

 ゆっくりと、スローモーションに時が流れて行く。ジェイルとの通信が繋がらない。果たしてそれは本当に状況が悪いから? それとも最初からちゃんと繋がっていたのだろうか? 残る多くの疑問はさておき、オリヴィエに触れる事は出来なかった。故に当然の帰結として彼女の横に立つこと以外に己が出来そうな事はなかった。

 

 だけど今、この状況でならできるという確信があった。

 

 ここはオリヴィエ・ゼーゲブレヒトの遺伝子に深く、とても深く刻まれた人生の分岐点の一つ。If、ここでなにかが―――ここでもし―――その可能性によって人生が大きく変わる瞬間、その場にある。故にどうしても少女には聞きたい事があった。

 

―――果たして君は草原に浮かぶ雨上がりの虹を見たことがあるだろうか、と。

 

 場違いすぎる言葉にしかし、オリヴィエが反応した。スローモーションの世界、ゆっくりと時が流れて行き、女騎士の姿は未だに到達しない。故にこそ言葉は彼女の中へとしみ込んで行く。

 

 オリヴィエ、君は森の空気を嗅いだ事があるだろうか? 果たして視界いっぱいに広がる大海を眺めた事があるのだろうか? 自由に解き放たれた動物たちのクソによってこの世の終わりみたいな匂いに包まれる道路を歩いた事があるのだろうか? おそらく、オリヴィエにはないのだろう。

 

 俺はそれが心の底から残念だと思えてしまう。

 

 オリヴィエが信じる人間の形は幻想だ。城外へと出て行けば人間はもっと愚鈍で、そして狡猾だ。正直者ばかりが損をする。嘘をついて金を騙し取る奴が最後には勝つ。人間は楽を選ぶ生き物だ。楽をして生きることが出来るのならば、問答無用でそちらを選ぶだろう。それが人間という生き物の本質なのだから。

 

 だけど果たしてそれの何が悪いのか? 好きな事をやって何故怒られなくてはならないのだろうか? 当然、それは法律とモラルという枠組みが世の中に存在しているからだ。

 

 つまり、この法律とモラルで守られる範囲であれば人間は自由なのだ。

 

 だけど―――オリヴィエはその範囲の内側しか見ていない。

 

 真っ白なカンバス。

 

 そこにオリヴィエは虹色を描いている。

 

 だけどそのカンバスの外側、フレームの向こう側はさらに大きなカンバスがある。そこを見てすらいない君の人生は、とても惨めで、見るに堪えない。世界は広く、そしてこんなしみったれた城だけが人生の全てではない事をオリヴィエは、育つ前に知るべきだと思う。そう、世界は広い。

 

 世界のどこかで親友になれる誰かがいるかもしれない。

 

 どこかで君の事を心の底から愛してくれる人がいるかもしれない。

 

 本当に困った時に助けてくれる仲間がいるかもしれない。

 

 オリヴィエはまだその欠片の可能性にすら到達していない。それはとても残酷で、しかし溢れている様な事でもある。世界のどこかで、常に誰かが死んで、そして生まれている。それはとても自然な話で、悲しい事であっても人の命を救うというのは簡単ではない。だけどオリヴィエ、この子は今、自分の命を選べる瞬間にある。

 

 果たして史実はどうだったのだろうか?

 

 それとも史実はこう生まれたのだろうか?

 

 ジェイルは言っていた、人間にタイムパラドックスを観測する方法はない。時空間の改変に対する人間の認識は平面上の行いである為、そこに改変が発生したところでその変化を理解、観測、記録する方法が存在しない―――たとえ、それが起こした張本人であろうとも。故にこれが真実か? それともこれは今から変わって行くのか、答えは出ない。

 

 だが、問答無用として愛のある言葉を贈らなくてはいけない。

 

 それは義務であった。故にこそオリヴィエ・ゼーゲブレヒトに、万感を込めてこの一言を送る事にする。言葉は長くはない。そもそもオリヴィエに言葉の全てが届くとは思えない。あの短い一言でさえ言葉自体は届いていなかった。ただそこに込められた意味だけを彼女は理解した―――そういう風に思えた。故にオリヴィエへと伝えたい気持ち、想いを短く纏める。そこに込められる魂を込め、奇跡をオリヴィエへと吹き込む。

 

―――生きろ、世界は美しい。

 

「……ごめんなさい、私、死にたくありません」

 

 俯いていたオリヴィエの目の端には涙が流れていた。その声はまだ震えている。だが瞳には覚悟が宿っていた。オリヴィエは戦う気であった。明確に生への執着を見せた。その事実にメアリーベルは少しだけ驚いたような表情を浮かべてから笑みを浮かべる。そこにはどこか、軽い喜びの感情さえも感じられた。メアリーベルは剣を握り直すと、騎士の礼を持ってオリヴィエへと構えた。

 

「そう、ですか。ではお相手いたしましょう―――!」

 

 直後、騎士の姿が消えた。常人ではとらえられない速度で一瞬でオリヴィエの横へと回り込み、剣を振り抜いてくる。完全にオリヴィエの知覚を超える速度で振るわれたそれに9歳の少女が避ける事は出来ないだろう―――どれだけ魔力を使って肉体を強化しても、動かせる速度は肉体的な限界が存在する。その一閃はオリヴィエが動かせる速度の限界を超えていた。

 

 故に次の瞬間、結果は出た。

 

 剣が折れた。剣が半ばから折れ、そしてそれが宙を舞う。虹色の障壁を前に、剣を振り抜いた形でメアリーベルは動きを停止させ、笑みを浮かべていた。

 

「お見事です……この目で王子の天下を見れなかった事が心残りでしょうか」

 

 そのまま、虹色の障壁が騎士を壁へと押し付けた―――炎の中へと。何らかの原因で炎が女騎士を避けるよりも早くオリヴィエの障壁によるカウンターが早く決まり、炎の中に叩き込まれた騎士は一瞬で腐敗し、そして即死した。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ごめん、なさい……私、死にたくないんです……まだ、死ねないんです……!」

 

 噛みしめる様な、吠える様な言葉がオリヴィエの喉の底から響いた。一瞬、誰かを探す様に周りへと視線を向けるが、結局此方の姿を見る事も敵わず、腐敗から黒ずんできた両手で拳を握りながら、オリヴィエは歩き出した―――研究所の出口を探すために。もはやオリヴィエはこの日は大丈夫だろう、と確信した。彼女は生きるという執着をこの瞬間、得た。

 

 何を言われても自分の意思で生を掴むという事を一度は成し遂げた。故に当然ながらオリヴィエは変化するだろう。この先の未来、果たしてそれは歴史通りなのか? それとも本来の出来事として物語は進むのだろうか?

 

 舞台袖からヤジを投げる事しかできない身としては歯がゆくも、物語の続きを楽しみにしているのは否めない。とはいえ、

 

 今夜はこれまでだろう。

 

 炎の中、腐敗していく両腕を引きずりながら出口という光を目指して歩き出すオリヴィエの姿を眺めながらゆっくりと目を閉じた。漸く通信が回復したようで、現代からの声が聞こえるのと同時に電子音が響く。ダイブ終了と共に消えて行く世界の感触に身を委ねつつ、

 

 現代へと帰還する。

 




 現代人とは根本的に思考回路が違うので殺すのは平気という世紀末時代の思考。ただし温室育ち。

 この物語は人生の分岐点、或いは重要な時を観察しつつオリヴィエに適切な助言を与える事で育成し、ラストイベントに向けてオリヴィエを育成するゲームなのだ……。

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