虹に導きを   作:てんぞー

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彼女は解き放たれ死地へと迷い込んだ

「―――これが空、ですか」

 

 横を雲が通り抜けて行く。目の前には無限に広がる空が見え、地上は遥か下に置いてきている。そこは自由の世界だった。魔力障壁によって吹きすさぶ風はかき分けられ、頬をくすぐる様な柔らかさまで抑えられ、寒さを感じないように調整されている。だがこの空は何にも束縛されていない。完全に自由で、どこまでも広がって行く景色にオリヴィエの胸の中に感動ともいえる感情が沸き上がっていた。そう、彼女は生まれて初めてベルカという土地から遠く離れた国へと向かうのだ。ベルカという大地に彼女は縛られていた。そこを出る時もベルカへと戻る事を考えなくてはならなかった。

 

 だけど今、その心配も必要なかった。

 

 王族、上級貴族に限り()()()()()()()()()という許可が出ていた。オリヴィエには既に王族としての価値はないに等しいのは、彼女が継承権を完全に失い、継承レースから外れた事にあった。だからオリヴィエに関して価値があるのはその血筋―――そして聖王家のみが知る、聖王核と呼ばれる核の存在のみ。その存在を他国が知らない以上、狙われる事もない。

 

 故にオリヴィエは王族という立場から自由に降りるチケットを手にしていた。それは彼女にいまだかつてない開放感を感じさせていた。義務がない自由な時間……それがオリヴィエに与えられていた。それを感動と共にオリヴィエは初めて実感していた。その感情が彼女の胸に湧き上がり、此方へと感染するように広がっていた。俺が彼女の考えや感情を感じ取れるのは当然だ―――精神そのものに憑依、付与しているのだから。いうならば寄生している様な状況なのだから。とはいえ、生まれた時からフリーダムだった自分としては自由を得た、それだけでここまでの感動を感じるオリヴィエに対して、愛おしさを感じていた。

 

 ただ未来を知る以上、彼女に輝かしい続きは来ないのも知っている。

 

 ここはシュトゥラへと向かって飛行する飛空艇の上。オリヴィエは突き出るように前方に伸びる甲板の上、進める一番前まで進み、そこから広がる景色に魅入られるように眺めていた。見た事のない空、見た事のない大地、そしてどこまでも続く、ベルカではない世界。初めて鳥かごを飛び出して進んで行く冒険に、彼女はずっと世界を甲板から眺めていた。

 

 そんなオリヴィエから少し離れた場所、ぎりぎり彼女から目撃できない甲板にある入り口付近の影に、壁を背にして寄り掛かっていれば、正面には全身黒の姿が見える―――ヴィルフリッド・エレミアだ。此方の事をしっかりと認識できる彼女は此方の前に立っており、しっかりと両目で捉えているのが見えた。前々から此方を認識していた彼女はしゃべりたそうにしていたが、周りの目もオリヴィエの事もあり、できなかった。だが今、外の世界を見るのに夢中なオリヴィエが意識を回していない時がチャンスだった。明確にこちらに対するコンタクトをヴィルフリッドは取ってきた。

 

「で―――お兄さんでいいんだよね?」

 

 どちらかというとイケメンだと主張したい。その事実の前に男か女だなんて些細な問題ではないのだろうか?

 

「確かに」

 

 そして俺がイケメンであるのと同時に君は美少女である。つまりここにイケメンと美少女という究極のコンビネーションが完成されてしまったという事実が完成された。これを良く考えてほしい……イケメン、そして美少女、そんな二人が実は何もなかった、というのはあまりにも絵的にももったいなくないだろうか? 絵として完成された二人組がこう、一緒にいるだけで見ている側が幸せになる気分はないだろうか?

 

「一理ある」

 

 つまりここで言いたい事は、イケメンと美女が揃った以上、ここは絶対にデートするべきである、という事実だった。

 

『すげぇ……アイツ、過去の人間をナンパしてるぜ……』

 

『ある意味史上初だな』

 

『別の意味で人類には早すぎた』

 

 個人的な事だが美少女を美少女と言って何が悪い、と思う。そして自分がイケメンであることを誇って何が悪いのだ、とも。人間の第一印象なんてものは大体清潔感、そして容姿からやってくる。あ、こいつ綺麗にしているけどちょっと格好悪い……きっちりしているけど恵まれなさそう―――なんて風に思われたりもするのだ。だから人間、しっかりと自分の見た目を適度に気を使っておくべきなのだ。第一印象とは割とコミュニケーションでは重要なところを取るし。そして同時にそういう部分に気を使っている人間はちゃんと褒める。褒めなくては頑張る意味がないから。

 

 そして大抵の人間は褒められてうれしいものだ。

 

 一部は褒められて当然だとか、褒められる事に飽き飽きだとか特殊な方々も存在するが、経験上褒められて気分を悪くする人間は少ない―――そう、イケメンに褒められると大抵の人間は喜ぶのだ。それはそれとして、見事な会話が時空を超えて成立してしまった事が証明されてしまった。なんという恐ろしい事実だろうか。

 

 人類が時空を超えて一番最初に行った事はナンパだった。

 

『あまりにもひどすぎる』

 

 そしてもう一つ、悲しい事実にオリヴィエの守護霊をやっている関係上、肉体が己には存在しない。正確にはここにはないし、持ち込むことも物理的に不可能だ。つまりこうやってヴィルフリッドの可愛いお顔を拝見し、洒落たジョークの一つでも披露してその関心を買うことは可能ではあるが、そのアフタータイムのデートへと誘う事は難しいのである。手でも掴めれば伊達男としてエスコートの一つでもしたのだが、やはり物理的干渉は不可能である。残念ながら、一緒にディナーの約束を取り付けられないのである。

 

「軽い気持ちで話しかけてみたけど面白すぎてちょっと後悔してきた。笑いださないようにちょっと我慢してるから覚悟する時間だけちょっと良い?」

 

 無論、許可を出す。とたんに、ヴィルフリッドが背中を向けながら両手で腹を抱えて、笑いをかみ殺している。その間にサムズアップを虚空―――つまりは現代に存在するジェイル達へと向ける。なんかもう、ミッションコンプリートでもした気分であった。

 

『君、根本的に女の子好きだよね。見かける度にナンパしているし』

 

 当然、女の子の相手をするのは大好きである。可愛いものは愛でたいし、仲良くなりたいし、男としての当然の欲求である。俺はそこらへん、一切隠さないし、抑圧するつもりはない。そういう事を含めて世間を好き勝手生きているのだから。だからこそジェイルとウマが合うのだけれども。

 

『その割には私達の事は誘わないわよね』

 

 助手の一人の言葉にそりゃあそうだ、と答える。ジェイルの言葉で大体の正体は察しているし、自分の審美眼で判断させてもらえれば主観での経験年数はおそらく二桁にも届かないレベルだろう。流石に一桁の子供にアプローチをかける程節操のなさを見せた覚えはない。未来へと向けて清く正しく育つ為に今のうちにたくさん遊んで、たくさん経験して、そしていい女に育ってほしいものだ。自分としてはお誘いを賭けるのは最低ラインで18からと決めているのだ。それ以下は性犯罪者になってしまう。ただレディとして扱ってほしいというのであれば待遇を考えよう。何せ、それが紳士という生き物だからだ。

 

 俺はジェイルと違って性癖は普通なのだ、ジェイルとは違って。

 

『ドクターの友人の癖して常識的な事を言ってる……』

 

 何故そこでそんな扱いをされるのかが解らない……そんなコントを繰り広げている間にヴィルフリッドは覚悟を終わらせたのか、尻尾の様に伸びる艶やかな黒髪を揺らしながら此方へと向き直り、サムズアップを向けて来た。本当に元気な娘だと思う。こういう破天荒さを隠さないタイプは基本的に性質として相性が良いと自覚している為、サクっと会話に入れる。しかしここで同時に思う。自分の目的、そして先の展開をどうにかしてヴィルフリッドに伝えたほうが遥かに早いのでは?

 

 そう思いさっそく実行する。

 

―――kjjはふぇfぴねyらい。ふhふぇsぱ。

 

 完全にダメだった。言語が自動的にスクランブルされて検閲された。自分の口から言葉を出そうとすると自動的に舌が動いて言葉にならない音が出てくるような気持ちの悪い感触だった。これを見るに、未来の情報に抵触する事を伝える事は出来ないらしい。ほかにも手段を試そうとしても、どうせ同じような結果に至るだろう、という事から実行するのは止めておく。

 

『興味深い話ではあるけどね。言葉を話すのを阻害されたという事は自動的に妨害するシステムか、或いはそれを感知する法則が存在するという訳だ。これは面白い。私たちがまだ解明していない、或いは知覚していない概念・フィルターが存在しているという訳だ』

 

 目に見えないものがあるのは残念だ。見えれば殴り飛ばせるのに。そう思いながらヴィルフリッドに少々置き去りにして済まない、と軽く謝る。だがそれをヴィルフリッドは気にした様子を見せなかった。

 

「その様子を見れば善性の存在だっていうのは解るからね。ヴィヴィ様を調子づかせている原因の一つになっているような気もするが、悪い者じゃないってのは解った。本質的には守護者(ガーディアン)みたいなものらしいし?」

 

 そこは心配しなくても良い、と告げる。あの子に対して悪影響を与えるつもりはない。いや、自分が関与していない範囲でどこか悪影響を受けているのかもしれないが、進んで彼女の人生を壊そうという意思はないと断言できる。寧ろその逆で、見守りたいと思っている。まぁ、それにしたって物理的な干渉は叶わないので、見ている程度の事しかできない。たまにエールを送るが、それにしたって聞こえている訳じゃない。

 

「まぁ、感じ取っている、ってだけの感じだよね。良かった……悪いものじゃなくて。シュトゥラに行く前に懸念事項を処理できてこれで僕もすっきり眠れる」

 

 それは非常にようござんした―――果たしてこれが歴史として本当に残るのか、あとの結果として未来に残るのか、そもそも本当に変化を発生させているのだろうか、それらは不明だ。だが自分が体験していることが真実であり、事実であり、現在発生している時間軸の改竄であるならば、そこに意味はあるのだろう。

 

 やや変則的ではあるが。

 

 ヴィルフリッド自身は此方がどういう存在かを大体見極めたらしく、心底安堵を覚えているようで、会話がいったん途切れたところで此方に指を突き刺している。半透明な状態でこの時間軸に具現化している以上、肉体は持たず、ヴィルフリッドが突き刺した指は当然ながら此方の体を触れずに貫通する。

 

「おぉ、凄い。消滅消滅……あ、通じない」

 

 今軽く即死級の攻撃で遊ばれたような気がするが、気のせいとして処理しておこう。それよりもオリヴィエの方がヴィルフリッドを探す様に我に返り始めている為、オリヴィエの方を指させば、此方に手を振ってヴィルフリッドがオリヴィエの方へと戻って行く。その姿を見送ってから帽子を被り直し、軽く位置ズレを直す。なぜだろうか、どうにも嫌な予感がしてきたという感じがある。

 

 自分の経験上、訳の解らない部分が増えるのは良くない兆候だと思っている。場合によってはこういう部分が致命傷につながるのだから。

 

 甲板の端、船首に最も近い場所でヴィルフリッドと、そしてテンションの高くなったオリヴィエがキャーキャー言いながら楽しんでいるのが見える。ここには彼女を守る騎士は居らず、個人的にオリヴィエについて来た侍女が数名居るだけだ。立場から彼女は解放されても、しかし、運命はまだ彼女を解放していなかった。この手で実際触れることが出来るようになればそれこそこの時代から連れ出してやるんだけどなぁ、と思わなくもなかった。

 

『君ならやりかねないから止めなさい。場合によっては私たちが生まれなくなるから』

 

 それはそれでまた一興―――それまでの存在だ、という事だ。俺が本当に誰かに、世界で必要とされているのなら、運命如き捻じ伏せて存在できる筈だ。消えたら消えたでそれだけの話だ。そう考えるとまた、悪戯に、或いは軽率に運命を変えるのも面白いのかもしれない。

 

 

 

 

 現代の様な空港や発着場の様な施設が存在する訳ではなく、飛空艇は直接目的地へと接岸するような形で運用するのがこの時代の基本である。そもそもこの時代、飛空艇の類は数が少なく、長距離の移動は転移か、或いは陸路が基本である。無論、飛行魔法は存在し、飛行して移動する事も出来るが、飛空艇はそれらとは別の娯楽という意味も存在する。

 

 確かに転移などを使えば移動は早いだろうが、飛空艇一つ保持するのに大量の金がかかる他、その技術力や外観は見るものを圧倒することが出来る。美麗な飛空艇を保有する事は一つの自慢になるのだ、ステータスとして。つまりベルカがオリヴィエを飛空艇で送り出したのにはそういう意味があったのと、同時にオリヴィエに対して空の旅を提供する為でもあったのだろう。飛空艇下部にあるガラス張りの壁の部屋では空の景色を眺めながら食事をとることが出来、普段とは違う贅沢を経験できていた。

 

 その味が自分には伝わってこないのが非常に残念であったが。

 

 ともあれ、ベルカから国をいくつか超えてシュトゥラへ。それはベルカの同盟国であり友好国の一つ。オリヴィエの留学先、或いは受け入れ先ともいえる国家であった。シュトゥラの首都、その名前はもはや歴史に残されていないが、そこにはベルカにも負けぬ王城が存在し、そこには突き出たテラスの様な形の場所があった。そこが飛空艇用のポートであったらしく、王城の五階に当たる場所、突き出たテラスに接岸するとそこで浮かんだまま、動きを停止させた。直接王城へと降りるらしい。

 

 現代では警備だとか安全性だとかパスポートとか、そういうことを考えてできないスタイルである。まだ一部の人間のみが個人か集団で保有しているからこそ許せるスタイルとでも言うべきか―――そうやって接岸させると、城と船が繋がり、降りることが出来る。そうやって降りるのはヴィルフリッドとオリヴィエ、そしてついて来た二人の侍女だった。それ以外は誰も降りる人は居らず、それがベルカからついて来た人たちの全てだった。

 

 寂しく思えるも、ちゃんとオリヴィエを迎える人員はいるようで、オリヴィエと同じく、着飾った服装をするヘテロクロミアを持つ緑髪の貴族らしき姿が迎えていた。

 

『今更ながらヘテロクロミアは何らかの形で遺伝子に対する改造を施した証なんだよね。解りやすい形で優性因子の証拠を残すために子孫にはヘテロクロミアを発現するようにしたのかも。まぁ、この時代のベルカでは珍しい話ではなかったらしいね。尤も昔のベルカは次元侵略などを行っていて、そのころはより強力な兵器を作る為に人体改造を日常的に行っていたらしいし』

 

 つまり聖王家も元は人体改造の被害者から生み出された一族―――そう考えるとベルカは色々と負の遺産を残し過ぎているような気もする。

 

『禁忌兵器に質量兵器、現代まで触れるなって認識を残しているしね』

 

 改めて思う、滅びは当然だったのかもしれない、と。そんなことを考えながらオリヴィエを追って飛空艇を降りると、王城の方からの迎えが出て来た。青年が一人、女が数人という様子に後は騎士達だった。そこに大人の姿を見ない辺り、自分から顔を運ぶつもりはないのだろうというのは理解できた。

 

「ようこそシュトゥラへ、オリヴィエ・ゼーゲブレヒト殿下。お待ちしていました」

 

「歓迎ありがとうございます。ですがオリヴィエ、だけで十分です。既に継承権を失った私では王宮に対する影響力はありません。ここでは留学の為、学生という身分で来ましたし」

 

「それでは俺の事もクラウスと呼んでください。この国の王子ですが、立場上は同じ学生になりますから」

 

 凄いイケメン力を感じる好青年がオリヴィエと握手を交わした。義手である鋼の腕と握手を交わしても一切の嫌な顔を浮かべず、疑問にすら思わず、人の良さを表現したような顔をしていた。イケメン力の高さを感じさせる青年だった。ただし、そこで口説きにいかないのは本当にタマついてるのか? と疑問に思わざるを得ない事だった。

 

『君は節操を覚えたほうがいい。というか君、女性と仲良くなるという行動自体が目的だよね? 特定の相手を一切作らないし』

 

 それがおそらくこの世で最も無駄で、スリリングで、そして運の要素が強く、どうにもならない事なのだからこそ楽しいのだ。

 

『最低ですねこいつ』

 

『こういう所は絶対に私に劣らない屑なところだと思って自慢してる』

 

 一部知人の視線がきついと思ったが原因お前かよ、と軽く茶番を挟みつつ、王族たちの様子を伺った。どうやら和やかに話し合う王族たちはこのまま、どこかへと挨拶へと向かうらしい。その間、シュトゥラ側の人間で、此方を知覚できそうな存在は一人もいなかった―――考えてみれば見れたのは聖王、そしてヴィルフリッドの二人だけ。

 

 歴史的に意味のある人間ではなく、特殊な才能か能力が必要なのかもしれない……或いは改変耐性だろうか。そういうのは概念クラスまで突き抜けた能力を持った連中でもない限りは持っていない為、超希少で次元世界を何千と渡って一人、というレベルだ。こんな狭い次元世界に二人も三人もいるとはあまり考えたくないのだが―――どうやら、あのクラウスという青年との接触、そして入学がポイントだったらしい。

 

 たぶん、この時間軸をこれ以上追いかけても何かイベントが起こる事はないだろう。

 

『おや、学生生活には興味はないのかな?』

 

 あんなもの、当人たちが終わった後で楽しむものだ。他人が見たところでこいつら、一体なにが楽しいのだろう? と思ってしまうだけだ。学生生活で生み出される一番重要なものは思い出だ。他人はそれを見て懐かしみ、己の学生生活を思い出す。そしてもう戻らない過去を嘆く。学生生活のなかったジェイルも、テストが嫌だったから職員室を放火した結果校舎までバーンアウトしてしまった自分にとってはつらい思い出ばかりで、あまり思い出したくない。

 

『いや、凄い楽しんでないっすかそれ』

 

 ともあれ、シュトゥラへと舞台は移り、ヴィルフリッドもそばにいる。ここで見るべきものは既に終わっている。ならばさっさと次の時間軸に移った方が建設的というものだろう。学生時代は思い出したくないからな。

 

 学生時代は。

 

『逆に気になる』

 

 そこは勘弁してもらおう、と軽く帽子を持ち上げて去って行くヴィルフリッドに別れの挨拶を向けた。ヴィルフリッドも気づいて此方に対して軽く視線だけを返し、返答する。あの見た目で中身は指折りの強者に入るから自分もうかうかしていられない、そう思いながら次の時間軸をジェイルへと求める。数秒後、仕方がないなぁ、という声が帰ってきた。

 

『ま、確かにしばらくは此方にも波と呼べる波長を観測できないからね、相当平和な時代だったんだろうとは思うよ。こういうのが人間、生きる為の支えとなるらしいし、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトのバックボーンの一部となったのかもしれない。それはともあれ、そろそろ次を見ようか。もう少し見ごたえのあるシーンを今度は所望するよ。ポップコーンの進みが平和な時だと悪いからね』

 

 こいつ……映画感覚で見てるな? と思ったけど自分もだいぶ人の事を言えなかったから言葉を飲み込んだ。

 

『ま、そうだね、次に期待して時間軸を動かそうか』

 

 ジェイルの言葉と共に世界が変転した。青空と王城の見える世界は一瞬でその姿を喪失させ、世界は一瞬で黒く染まった。黒いスーツという恰好をしている以上、自分も同化してしまいそうな色をしているのだが、それはそれ、この目立つ赤いシャツがしっかりと自己アピールをしているので大丈夫である。そんな馬鹿なことを考えているうちに場面は、

 

―――切り替わらない。

 

 腕を組みながら数分ほど変化を待つが、世界は切り替わらない。面白くないぞジェイル君、と言葉に出して応答を願うが、ジェイルどころか現代からの応答さえもなかった。流石のジェイルもこんな実験中に悪質な冗談に手を出すとは思えない為、腕を組みながら数秒間考え、帽子を浮かべてから頭を掻いて被り直し、判断した。

 

 あ、これ、ガチな奴だ。

 

 現代で機材のエラーが入ったのか、それとも俺の体が暗殺されてしまったのか、或いは―――どこからか干渉が入ったのか。そういえばダイブする前にジェイルの助手の一人が管理局に探られていた、とか言っていたはずだ。となるとそれ関係で此方の方をサポートできていないという可能性もある。

 

 いや、考えておいてそれはないだろうと否定する。ジェイルは典型的職人タイプの人間だ。奴は自分の仕事に対しては常にプロフェッショナルな姿勢を見せようとするタイプだ。つまり、そう簡単に作業を手放そうとする事はない。たぶん途中で手放すのは死ぬ時ぐらいだろうとは思う。だからあの男に限ってそれはない、という事は最後、どこからか干渉を受けているケースだ。

 

となると話は簡単である。

 

道を蹴り開ければ良い。

 

 アクションがなけりゃあ此方からアクションする、実にシンプルな事である。そう思って袖の中からクダを取り出すと世界が変化する。時空に風穴を開けてやるぜ、と思った瞬間だったので、勢いを削がれた感覚だった。えー、と呟きながらクダを片手にどうしたものか、と判断を遅らせていると、視界が砂嵐の様なモノクロームに包まれた。

 

 時空そのものが乱れる様な感覚に、違和感を抱きつつ、

 

チャンス―――一度―――だけ―――

 

 少女の声が聞こえた気がした。素早く振り返ればモノクロームの砂嵐の中、半透明で今にもかき消えそうな少女の姿が見えた。存在感が希薄すぎて触れればそのまま消滅しそうな少女は頭に獣の様な耳を生やしており、珍しい気配を纏っている気がした。少女は此方が認識したのを見て、縋る様な視線を向けた。

 

お―――助……て―――

 

 そして少女の姿が消失した。最初から存在しなかったかのように砂嵐も消滅した。そして気づけば鋼の天井を見上げていた―――どうやら現代へと帰還していたらしい。椅子に座ったまま、手を開け閉めして自分の肉の感触がそこにあるのを感じ取りつつ、膝の上で眠っている少女の姿を持ち上げた。とりあえず椅子から立ち上がり、部屋の隅のベッドに下ろした。

 

「や、お帰り。このまま続けるより一旦ダイブアウトして休息をとった方が良いように思えてね……ん? どうしたんだ、神妙な表情を浮かべて。君らしくもない」

 

 うーむ、と呟きながら腕を組んだ。その姿を見たジェイルがなんだなんだ、と興味を持った様子を見せる。その間、助手の一人がマグカップを渡してくる。

 

「どうぞ、ホットココアです。考えるにはちょうど良いですよ」

 

 彼女を見習えよジェイル、と言えばジェイルが胸を張る。

 

「つまり作った私の功績だね?」

 

 まったく悪びれる様子のないジェイルの姿に苦笑をしつつそうだな、と呟く。歴史の部分ではないが今回の仕事というか趣味というか遊びというか、大体だがなんで()()()()()のかを把握した、というかたぶん一番近いであろう仮説を立てる事に成功した。

 

「ほう、それは。何度チェックしてもミスが見つからない以上、どこかで歯車を狂わされているんだと思っていたけども―――」

 

 ジェイルの認識で正しいと思う。確かにジェイルの才能、俺の能力、そして最高峰の機材と全てがここに揃っている。だけど機械的なシミュレートを行っているのであればその範囲から抜け出すのは難しい話だ。だとすればそれ以外の第三の要素が影響を与えているという事になる。

 

「つまりは?」

 

―――俺達が潜っているのではない。俺たちは()()()()()()のだ。

 

 それが自分の仮説だった。

 




 一体どこの魔女猫なんだ……。

 つまりタイムパラドックスは発生した時点で既に過去が改ざんされているので無限ループ処理が発生するので、発生したら過去もそうであったという形になる。四次元的に観測する手段がないので人類にはそれが正しいのかどうかを知覚する方法がないのである。

 それはそれとして、オリヴィエ最初で最後の青春の地へ。

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