装甲悪鬼村正 番外編 略奪騎   作:D'

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夕闇の陽炎

 小鶴殿が席を立ちしばらくすると、小さな体を目いっぱいに使い、配膳を手にした燕殿が部屋へ訪れた。

「お食事をお持ちしんした」

 ゆっくりと歩を進め、布団の脇へと配膳を下ろす。

 体を起こし、燕殿に向き直り、座ったままに頭を下げる。

 

「有難う御座います」

 燕殿が、くりくりとした眸を細めていいえ、と笑った。

「あちき達が食べているものと同じものでありんすから、お口に合うか分かりんせんが」

「いいえ、見るにとても立派なものとお見受けします。刺身等は、自分のようなものが口にするには、聊か贅沢に感じてしまいます」

 

「旦那様へお出しするお食事の余りものでありんす。御気になさらずお召し上がりおくんなんし。あ、でもお体は大丈夫でありんすか?」

「ご心配なく。この程度の傷でしたら、明日には完治致します。食事についても、何の問題もなかろうかと」

「よかった。では、お食事になさいんしょう」

「はい」

 

 配膳に目を落とす。

 白米にお漬け物。そして、刺身が器に盛られている。刺身など食べたのはいつ以来か。本当に、これが余り物であるのか疑いを得てしまう。

 しかし、よく見ると肉の厚さが違う。包丁を入れた角度にバラつきが見られる。

 なるほど、お客に出せないものを賄いに回しているのか、と理解した。

 

 ふと、気づく。

 箸が配膳には見当たらなかった。

 ――。

 

 なるほど。

 

 自分が招かれてここにいる訳ではない事を思い出した。

 ここは燕殿の部屋。そこを自分が占拠しているとなれば、燕殿のお心を騒がせるのも無理はない。

 

 ――――。

 

 もう一度、配膳の上を確認する。

 やはり、箸はない。

 ここで、箸はないのか、等と聞くのは聊か、面の皮が厚い話。

 燕殿が箸を忘れている、という可能性は捨て切れないが、もし。

 

 彼女が故意に箸を用意しなかった場合、箸はどこかと聞くのは具合が悪い。

 燕殿を見ると、小鶴殿によく似た大きく無垢な黒目が俺を映している。

 

 ――。

 

 親指と人差し指で刺身を一切れ摘みあげる。

「わ、わ、待って待って湊斗様!」

 

 動きを止める。

 

「はい」

「お、お箸も使わずに食べるなんていけんせん!」

「はい。しかし、箸が見当たらず、考えてみれば自分の置かれる状況は、燕殿には大層ご不快な筈。

 箸を隠された自分が手で食事を食べる様を見て、燕殿の心の何某かが満たされる事もあるかと思い至りました」

「あ、ありんせん! そんな事これっぽっちも思っていんせん!」

「そうですか。失礼な事を言いました」

 

 ――そうか。間違いだとは思ったがやはり間違いだったか。

「して、燕殿」

「はい」

「お箸のほうは、どちらに」

「あちきが持っていんす」

 燕殿が右手を掲げる。手には一膳の箸が握られている。

 

 ――。

 ――――。

 ――――――――――――――――。

 

「あ! 湊斗様、素手で食べようとしないで! 駄目ー!」

「――」

 

 ここは、自分が間違っているのだろうか。

 

「ふう。――あの、湊斗様」

「はい。なんでしょうか」

「お願いがありんす!」

「はっ。如何様な」

 

「旦那様とのお食事の、練習をさせてもらえんせんか!」

「はい。お引き受けします」

「はあ! ありがとうござんす!」

《即答ね、御堂》

(聞いていたのか)

 

 脳に村正の金打声が響く。劔冑の放つ金打声は、向けた個人にしか聞こえない。

 こちらの返答も、目の前の燕殿に気取られる事のないように、口腔内で転がす。

(こちらは世話になっている身だ。断る理由はない)

《ええ、そうね。ちょっと面白そうだから、聞いてるだけじゃなくて見させてもらうけど》

 

 見る、というからには距離は近くにいるのか。天井に目を走らせると、板と板を張り合わせた天井に、小さな隙間を見つけた。その奥には鈍い光が見える。村正だ。

 ……隙間から覗き見るそれはなんだか怪しい。

 

「では。旦那様、何からお食べになりんすか?」

 視線を天井から燕殿に移す。

「では、お刺身から」

「はぁい。旦那様、あ~ん」

「あーん」

 

 燕殿が箸で摘んだ一切れの刺身を俺の口元に進める。刺身が口内に入る、が位置が妙に浅い。口を閉じると、刺身が半分、外へ飛び出している。

 気にせず、唇の動きだけで口内に取り込み咀嚼。刺身は妙に暖かかった。

 

「ふふ、旦那様ぁ?」

 燕殿の猫のような声。

「はい」

「お刺身のお肉って、女の人の唇に似ていんせん?」

「……聊か女性の唇と称するには生臭いような気がしますが、ぬるいお刺身の感触としては、多少」

「昔は海が遠いここでは、冷えたお刺身を出せなかったんでありんす。だから、ぬるいお刺身をさして、吉原では接吻の事、お刺身って言うんですよ?」

「そうですか」

 

「……」

「……」

 

「つ、次は何にしんす?」

「では、ご飯を」

「はぁい。旦那様、あ~ん」

「あーん」

 

 今度は何事もなく、うまく口の中へ。

 

「どうですか? 旦那様」

「はい。とても美味しいお米です」

「……」

「……」

 

 会話が弾まない。

 

《……御堂》

(……なんだ)

《その、もう少し、楽しそうにしてあげたらどうかしら。何だか可哀想……》

(……)

 

 楽しそうに。

 さて。楽しそうに食事をする、とはどうしたものか。

 一考。 

 結論。

 

 笑顔でも浮かべてみるか。

 口角を出来るだけ上げる。まなじりを出来るだけ落とす。笑顔の大事なところはこの二つ。

 ……。

《み、御堂! その顔は駄目――!》

 

「――」

「……」

 

「――だ、旦那様、そのー。素敵な笑顔でありんすね」

「――有難う御座います。思えば、生涯に置いて初めて褒められた気さえします」

《…………………………》

「うふふ、またまた。はい、旦那様、お漬け物をどうぞ。あ~ん」

「あーん」

 

 ぽり、ぽり。

 

《――きっと出世するわ。その子。本当に――なんか、本当すごい》

(……)

 よく分からないが、遠まわしに劔冑に貶されている気がする。

 

 

 食事を終えて一息。彼女が練習の一環でお茶を入れたい、と言うので頂いた。

 湯飲みの中には緑茶。

 

「あの、お茶のほうは如何でありんすか?」

「そうですね。浅学の身で言わせて頂けるのなら、お湯の温度が少し、低いかと思います」

「え? あれ、でも湯気が揺れるくらいで淹れるものと聞いておりんすが」

 

「はい。その知識は正しいものです。しかし、それは沸かす段階の話ではありません。

 お湯を沸かす時は、完全に沸騰させるのが正しい形です。

 沸騰させたお湯をまず湯飲みに注ぎ、そこでお湯が冷めるのを待ちます。

 

 この時に、湯気が揺れる程度の温度まで冷ます、というのが正確なものです。

 お湯を沸かす時に湯気が揺れる温度だと、湯飲みに注いだ時には正しい形よりも冷めてしまいます。

 そして、湯飲みのお湯を急須に戻し、一分ほど、葉が開くのを待ちます。

 

 この時、急須は決して揺すらず、じっと待ちます。揺すった場合、葉の苦味がでてしまいますので。

 後は燕殿の行った通り、人数分の湯飲みに少しずつ、均等に注いでまわします」

 

「はあ~。すごい、お詳しいんでありんすね!」

「学生の頃、茶道部に所属していた事がありますので。こういったお茶の淹れ方や、お茶の点て方等は一通りに」

「もう一度、お淹れしていいでありんすか? もっと教えてほしいでありんす」

「はい。頂きます」

 

「でも、湊斗様の学生時代でありんすか。どんな感じであったんでありんしょう。そういえば、湊斗様は今おいくつでありんすか?」

「二十九になります」

「え? ……わ、わあ。小鶴姉様のほうがお上かと思っていんした」

「中々歳相応の貫禄というものが出ず。お恥ずかしい限りです」

 

「そんな事ありんせん。いつまでもお若い方は素敵だと思いんす」

「有難う御座います」

「あ~ら。なにやら随分仲良しになりんしたなあ」

 そういって、部屋にやってきたのは小鶴殿だった。

「姉様。ご用事はお済みになったのでありんすか?」

「ええ、ありがとうね燕。ぬしも燕に付き合ってくださって、どうも」

「いいえ。楽しいひと時でした」

 

 見れば、着物の裾に少し、土がついている。

 もう遅い時間だというのに、用事とは、外へ出ていたのだろうか。

 いや、遊女とは夜に働くもの。おかしな事は何もないか。

 

「そりゃあようござんした。燕、お布団はあるかい」

「はい、押入れに」

「ん。じゃあ、もう遅いから、お早くお休み。ぬしも怪我人なんでありんすから、お早く」

「お気遣いの程、痛み入ります。そうさせてもらいます」

 

「はい、姉様」

 燕殿が立ち上がり、押入れに向かう。そして、布団を俺の隣へ敷いた。

「ぬしよ」

「はい」

 

「二人っきりだからって、勝手に手をだしちゃあ駄目でありんすよ?」

「そのような事は決して」

「よろしい。ではね燕。お休み」

「お休みなさい、姉様」

 

 小鶴殿は去り際に明かりを消し、部屋を退出した。

 互いに布団へ入ると、部屋の中の物音が消える。

 だが、この建物の人間はまだ、眠らない。

 階下では人の声が聞こえ、外からも人の気配は消えない。

 

 季節柄、風の強くなる日でもある。

 窓を打ち付ける風ががたがたと音を鳴らす。

 しかし、それらは不快ではない。

 良い、子守唄代わりになるだろう。

 

 恐らく、生まれてからこの部屋で過ごしただろう燕殿は、慣れたもので早くも寝息を立てている。

 ――寝よう。

 風の音に揺られ。人の音に導かれ。

 意識を引いていく。

 

 ――――。

 ――。

 

 

 

 森を駆ける。

 木々を鋼鉄の糸で繋ぎ、その上を奔る。

 糸の範囲はどんどんと広がっていく。

 村正の、蜘蛛としての理に沿った狩りを行う。

 

 目覚めてから、方針を相談したときに決まった結論だ。

 共有した視界からその仕事ぶりを拝見する。

 木々に張り巡らされた蜘蛛の巣は、動物には害のない、大雑把な作りだろう。

 しかし芹沢弥刑部の劔冑は、鳥である。

 

 少々小型であったが、劔冑であるのなら、森から飛び立とうとすれば糸に接触する事となるだろう。

 故に、山の森に蓋をしてしまえば、何らかの行動が見受けられるか、という思いからだった。

 無論、吉原内部に隠れ潜んでいる可能性も否定できない。

 そちらは、俺の仕事だ。

 

 視界を自分のものへと戻す。

 祭り前日という事もあって昼間であるが人通りの多い吉原を歩く。

 金糸の髪はよく目立つ。よく注視していれば見つけられる事だろう。

 問題があるとするならば。

 

《御堂、まだ一緒にいるの?》

(……小鶴殿に頼まれた以上、無碍にする訳にもいくまい。頼み事の形から、撒いて置き去る事もできまい)

《でも御堂、それって連れて寄生体を探すのも同じだと思うけれど》

(……)

 

「どうかしんしたか?」

「いえ、何事も」

「そうでありんすか」

「……」

 

 弥刑部を探す事の間、なぜか俺の隣には探し人と同じ、金髪の少女がそこにいた。

 本日一日、彼女の護衛を頼む。

 今朝方、小鶴殿に俺はそう頼まれてしまった。

「弥刑部の奴が燕に変な事しないよう、ようく見て置いておくんなんしね」

 

 小鶴殿の話では、芹沢弥刑部は燕殿を害す可能性がある、との事だった。

 同時に、それは片手間の事でしかなく、彼が本来の目的に動く時は祭りの当日であるとの事も。

(明日に賭ける。そういう判断もできるだろうが)

《今日、孵化する事もなさそうだから、それでもいいけどね》

 

 祭り当日という人の目の集まる場で大立ち回りをするのは気が引けるというのが本音だ。

 人知れず早々に済ませる事ができれば、と思うのは間違ってはいないだろう。

 芹沢弥刑部。

 一方で今日、彼と相対する事のないように、祈る気持ちもあった。

 

 隣に、燕殿を見る。

「何でありんすか?」

「いえ、何事も」

「ふふふ、変な湊斗様でありんすねえ」

 

 この少女の前で兄を殺すのは、避けたい事だった。

 燕殿の案内で吉原を隅から隅まで歩いて回る。

 大門から時計回りにぐるぐると回る。

 仲之町通りは現在、祭りの準備もあって人でごった返している。

 

 細い道を潰すように歩き、最後に仲之町通りを歩く。

 

 段々と日も暮れて、今日の成果を諦め始めた頃、通りの途中、金髪の女性が視界に映った。

 小鶴殿だ。

 行き交う人間に指示を飛ばし場を纏めている。

 なるほど、あれも巫女として祭事に関わる者の業務か。

 

 燕殿とその様子を眺めていると、小鶴殿と視線が合った。

 ゆっくりと歩いて、彼女に近づく。

「御疲れ様です、小鶴殿」

「おやまあ、そちらもご苦労様。今日一日、燕はどうでありんした?」

 

「吉原を案内して頂きました。慣れない土地ですので随分と助けになりました」

「そう、それはよかった。燕」

「はい、姉様」

「ちょーっと、わっちはこの人に御話がありんす。先に戻っていてくれんせん?」

 

「分かりました。姉様、御食事は?」

「お願い」

「はぁい」

 ぱたぱたと、燕殿は雑踏を縫うように走っていった。

「ぬしはこっち。ついて来ておくんなんし」

 

 小鶴殿の背中を追って歩く。大通りを南下。大門を潜りぬけ、吉原の外に出ると、そこには神社があった。

 小鶴殿の目的地はどうやらここのようだった。鳥居を潜り、適当な石階段を見つけると、そこに腰を落とした。ぽんぽん、と横の石畳を手で叩いている。そこに座れ、という事だろう。

 失礼します、と声をかけて自分も腰を落とす。

「――」

 

 小鶴殿は何かを言いたげにしたまま、しばし沈黙している。

「なあぬしよ」

「はい」

「ぬしは、結婚とかしていんすか?」

 

「いいえ、しておりません」

「予定とかはありんせん?」

「ありません。そのような相手もおりません故に」

「ふーむ。そうでありんすか」

 

「はい」

「実は、折り入って頼みがあるんでありんすけどね?」

「はっ。何でしょうか」

「……うん。まあ。燕をね、身請けてはもらえんせんか?」

 

「――身請け?」

「ええ。ああ、金銭のほうはわっちが用意しんす。ただ、信頼して燕を預けられるお方がいなかったんでありんす。と、いうかこの話を持ちかけた旦那たちは弥刑部に斬られちゃってね」

 ……なるほど。それが弥刑部の凶行の理由、か。

「小鶴殿、しかし自分は、その信頼に値する人間では決してありません。小鶴殿の目に自分が、どのように映ったかは定かではありません。ですが、自分の傍にいる、という事は非常に、危険な事です」

 

「それはぬしの業務上の事?」

「……そうですね。そのように解釈して頂いて構いません。危険な事です。燕殿を大事に思われるのなら、自分を遠ざける事こそが正当」

「ふぅん。なら、署長さんならどう?」

「……署長?」

 

「ぬしの嫁でも、娘でもよかったでありんすが、それが駄目なら署長さんの愛人でも、娘でも。まだまだ勉強は教えたりないけど、自慢の――本当に、自慢の妹だから」

「――署長は」

「うん?」

「署長は、明堯様は自分の養父でもあります。故に、その件に付きまして自分が肯定する事も、否定する事も出来る立場ではありません」

 

「……へえ~。うふふ、ならもし、燕が署長さんの娘になったら、ぬしの妹になるんでありんすね」

「――」

 妹。

 燕殿が妹?

 

 自分が、光以外の兄になる。

 なんだ、それは。

 なんだ――――それは!

 嫌ではない。

 

 きっと、それは微笑ましい光景だろう。

 だが。

 それを、俺が望んで良い訳がない。

 ――だが、俺が勝手に否定して良い事でもない。

 

「ぬしよ。御話を署長さんに持っていくだけで良い。どうか、お願いできんせんか」

「――――御話を、持っていくだけならば」

「――ありがとう。これで私も一安心。うふふ」

 これで、いいのだろうか。

 

 署長ははたして、この話を受けるだろうか。

 危険なのは署長の立場とて同じ事。倒幕派の一つでもある親王殿下の御傍にいるのだ。その家族に累が及ぶ可能性も考えられる。

 だが詳しい話を聞けば、どのような形であれ手を貸してくださるだろう。

 しかし――。

 

 恐らく、芹沢弥刑部を斬れば――。

 小鶴殿を斬る事になるだろう。

 善悪相殺。悪を斬ったのなら善も斬らねばならない、村正一門に科せられた呪い。

 姉を、斬る。

 

 そして、のうのうと兄として接する?

 ――なんだそれは。

 冗談ではない。

 そんなおぞましい真似が出来よう筈がない。

 

 自分の居場所は署長宅の縁側ではない。

 暗く狭い、冷たい拘置所こそがお似合いだ。

 鳥の嘶きが響いている。

 小鶴殿はすでに、吉原へ戻っていた。日は落ちている。村正の報告もない。

 

 肌寒さを感じながら、月を見上げる。

 今日は、このまま夜を明けてしまいたい、そんな気分だった。




次回でようやく戦闘入ります

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