山中より飛翔。五分も飛べばすぐに吉原上空が見えた。
熱量は十分。血が沸騰しているかのように体は熱くたぎっている。
しかし不安はある。
空は黄金色に輝き、吉原を緋色に染めている。その太陽もすぐに落ち掛けているのだ。
(間に合うか。間に合うか。間に合うか。間に合うのか)
時間との勝負。姉は今日、嗜虐趣味の代官に抱かれる事になっている。
間に合うのか?
分からない。分からないこそ、奔る。
千鳥が言う。
《報告。前方、劔冑六機襲来。全部数打》
雷切が言う。
《退却を提案。戦力差は明らか。御堂の負傷から見ても危険》
「却下だ。悪いが今日は何が起ころうとも引けぬ。お前たちにゃ悪いがな」
前方を見やると太刀を構えた竜騎兵が次々と飛び上がるのが見えた。六機どころの騒ぎじゃない。一部隊すべてを敵に回したも同然だ。
戦力差は明白。一対六。訂正、一対十。訂正、一対十六。次々と増える敵影に嫌気が差す。挽回の手段は一つだけ。一つだけはある。
真打に在り、数打には無いもの。名を、陰義。
「――やるぞ、千鳥」
《反対。千鳥の陰義を御堂は使いこなせていない。十六の敵機相手に無謀》
「反対を却下だ。任せろ、今の俺ならやれるさ」
《再度反対。万全ですらない御堂に出来る可能性は――》
「うるせえよ雷切。――んま、分かってるからよ。お前が千鳥を心配してんのは分かってるからよ。機械的な反応の奥にお前らの感情があるのは分かってるからよ。だから……任せろ」
《……》
「いくぞ千鳥。母衣は畳んどけ。良いというまで広げるな。陰義の後もだ。良いというまで広げるんじゃない」
《諒解》
甲鉄に青白い文様が浮かぶ。チリチリと陰義の力が音を立てる。千鳥の陰義。音を超えた光の加速。今までは使いこなせなかった。一度使えば気を失っていた。直進しか出来なかった。
今は――違う。
「嘶け千鳥」
《その声》
《音を超える》
空気が爆ぜた。音速の壁を砕いて突き進む。世界の色が褪せていく。視界が正面のみに狭まっていく。体中の血液が足に集まり始めた証拠だ。
灰色の世界の中を疾走する。視界には敵の姿しかない。正面に据えた敵しか見えない。それでいい。それでいいのだ。これこそが千鳥の陰義、その真価。
一本の小太刀を両手で握り、体当たりをするように敵に突貫。刃が敵を貫くと同時に両足で敵の腹へ着地した。
《御堂!》
「つ、ぎぃぃぃぃぃ!」
敵の腹を足場にし、跳躍。新たな敵を眼前に据えて突撃する。これこそが真価。千鳥の本来の陰義。青白い軌跡を引っ張りながら空を縦横無尽に翔る。千鳥の飛んだ後に敵はいない。一騎残らず打ち滅ぼす。まさに雷だ。白い軌跡は雷の如くジグザグに空を切り裂く。本来、劔冑にそんな騎航は不可能だ。しかし、この劔冑は母衣を畳める。急激な騎航によって母衣を破壊する心配がない。故に、可能。雷になる事が出来る。それこそがこの陰義の本懐。
「ッ――ハ、ハカッ――ァ――」
すべての敵を落とした後、血液の急激な逆流が始まる。脳に、臓器に、手に。足に溜まった血が一気に循環を始める。これが堪える。意識など底から刈り取られるような気分になる。じくじくと全身に痒みを感じる。脳の中までだ。気が狂いそうになる。視界は黒く染まり、闇に閉ざされた中で何かがグルグルと周っている。
――しかし。ここで狂ってる暇はない。目の見えないまま、分からないが恐らく、地に向かって落ちている。
目指すは本堂。この祭りの巫女が居わす場所。ならばこのまま落ちていても問題は無い。綺麗に着地できれば、問題ない。
視界が晴れてくるとやはり地面は近づいていた。母衣を広げて減速。そのまま地を滑るように吉原の大通りを突っ切る。人の悲鳴が聞こえた。女も男も蹴散らしながら地を滑る。ようやくと体が止まった。
《御堂、陰義を使いこなしたね》
《すごい、よく出来たね》
当たり前だ。こんなにも調子が良いのだ。出来ない訳がない。腸が飛び出そうと、目ん玉がひっくり返ろうと今なら何でもできるだろう。最高の状態だ。
呼吸を整える。
我先にと衆愚が逃げる様子の最中、こちらへ視線を向ける一人の男が居た。
真正面に立つその男は警官の装いをままに、静かに佇んでいる。周囲の熱源探知から、これ以上の武者はいない。
つまり、俺とこいつとの一騎討ち。
言葉は最早不要。こいつとは今まで散々と交わしてきている。
「鬼に逢うては鬼を斬る。仏に逢うては仏を斬る。ツルギの理ここに在り!」
装甲乃儀。赤い大蜘蛛がバラバラになり警官の身に纏っていく。やがてそこに、赤い武者が出来上がった。
「芹沢弥刑部。一身上の都合により、御命頂戴仕る」
赤い武者、村正と呼ばれる劔冑を纏った湊斗は言う。鯉口を切り太刀を上段に構える。母衣を広げてはいるが、合当理を吹かしてはいない。地に足を着けたまま昨夜の焼き回しを演じるつもりのようだ。
俺の纏う劔冑は全てが特殊だ。千鳥と雷切、二つの名称を持つ事も然り、それだけに留まらず、二領一対のこの劔冑は母衣も合当理も陰義さえも二つ存在する。
そこから編み出したこの姉弟劔冑の戦い方は、双輪懸において、下にいる時こそが有利という根底を覆す物である。
湊斗が母衣を広げつつも騎航に移らないのは、そこに理由がある。俺よりも先に空へ飛び出すまいとしているのだ。俺が飛べば、奴も意気揚々と付いてくるだろう。陰義を封じ込めたと思い込んで。
確かに二つある陰義の一、千鳥の陰義である雷光加速は昇りで使わなければならない。でなければ先ほどのように、地面に激突する危険があり、そうでなくともしとめ切れなかった場合、容易に追撃される可能性があるからだ。
だが湊斗は気づいているだろうか。俺の劔冑にはもう一つ陰義がある。
いつか、湊斗の陰義を使った抜刀術を無効化した雷切の陰義だ。
果たして、一度見せた陰義であるが、見抜く事は出来ているのだろうか。
否、知られていたとしても問題はない。俺の劔冑は、下を取っても陰義があり、上を取れば従来通りの有利を得る、一騎討ちにこそ真価を発揮する劔冑。騎航に持ち込み、討ち取る!
「飛ばんのか? 湊斗ォ」
「……こちらよりも後に飛びたがっているのは理解している」
「はぁん、なら先を取らせて貰うぞ!」
湊斗の顔が苦虫を潰すように歪んだ。どちらを取っても湊斗は不利なのだ。先を取ろうが後を取ろうが不利。何より機動性はこちらが上。途中で上下を入れ替える事もたやすい。唯一、地に足つけて斬り合って五分。湊斗はそれを狙った事だろう。だが、その手には乗ってやらない。背面と腰部、二つの合当理に火を入れる。小型であるが、大型のそれに負けない推力で一気に上昇。振り返ってみれば湊斗も追いつかんと迫っている。
戦局は双輪懸に移行。上昇から下降へ。視線がゆっくりと下を向いていき、視界の中心に湊斗の駆る村正を据える。
村正の上昇速度が伸び切り、失速し始めた瞬間を打ち据える。その一瞬の見極めは困難であるが、俺には出来る。
母衣を畳む。合当理を吹かす。陰義を使わず実現できる最大最速のままに、突貫する。両手には小太刀。上段でも下段に構える訳でもなく、だらりと両手を力なくぶら下げた構えは、次の一手がどう来るか、相手に予想をさせないだろう。湊斗の構えに迷いが見える。上段に構えているが、下段からの攻撃を警戒している。
村正の姿が近づいていく。後数秒で接触。相手の速度は――伸びきっている。
小太刀を構える。上段でも下段でもない。二本を交差させ、鋏のように前方で構えた。
《――何だと!》
湊斗の狼狽の声が金打声として聞こえた。それも当然。上段でも下段でも、すれ違い様に斬り合うのが双輪懸の鉄則。出なければ、接触でもしようものなら両者激突の末、爆散だ。双輪懸はそれだけの速度で正面から打ち合う小胆者には出来ない戦いなのだ。
しかし、俺の取った行動は――体当たりと変わらない、無謀な行動。
交差した小太刀で湊斗の首を取らんと正面から突っ込む。当然、ぶつかり合う訳にいかんと湊斗は回避するだろう。だが逃がさない。下に逃れようとする湊斗を更に追う。
《クッ、貴様、正気か!》
「臆したか湊斗ォ! 武者の牛突きは臆したほうの負けぞ!」
衝突。交差した小太刀を、湊斗は上段から振り下ろした太刀で受け止めた。
だが、衝突は獲物同士だけではすまない。そのまま膝を湊斗の頭部に打ち付けた。
《ガあっっ!》
上昇する湊斗が失速する瞬間を狙ったのはこの為だ。全速力でぶつかり合ったなら如何な劔冑と言えども四散は免れないが、片方が遅いのであれば話は違ってくる。普通の劔冑ならそれでも、騎航中の接触は母衣が砕けるのを恐れて出来ぬ行為であるが、俺にはそんな物は関係のない話だった。母衣は依然、折りたたまれたまま。砕ける要素などありはしない。
一方、双輪懸の運動エネルギーそのままの膝蹴りを頭部に食らった湊斗はたまったものではない筈だ。いくら装甲に身を守られようとも。武者の身体能力があろうとも。強力な衝撃に脳を揺さぶられた筈だ。ゆっくりと力なく落下している。
気を失っていたのは一瞬の事だったようで、落下の最中、合当理が点火し体制を立て直した。しかし、一合い目は俺の勝利と言って良いだろう。
湊斗が四苦八苦と上昇する様を見ながら、そのまま下降。双輪懸の下を取る。以前の合戦の焼き回しだ。
《……下を取るか、弥刑部》
「おうよ。怖いか、湊斗」
《――いいや。一度見た技に屈するつもりはない》
「そいつは重畳!」
「いけるな、千鳥」
《問題なし》
必殺の意。装甲に青白い文様が浮かぶ。
同時に、村正の装甲にも文様が浮かんだ。陰義で対抗する気だろう。
「ちんたらやってる暇はねぇんだよ。……啼け千鳥!」
《その声》
《音を超える》
バチバチと装甲表面を流れている雷が――弾けた。加速の一撃が村正に喰らいつく。
《
《――ながれ・かえる》
一瞬の交差。音速を超えた速度で振るった刃は、村正の装甲に触れる事なく、通り抜けた。
血の気が減った脳で思考する。何が起こった?
《――磁力の反発作用で小太刀を反らしただけに過ぎん。しかし、もはやその陰義は恐れるに足らず》
湊斗の冷めた声が聞こえた。何だそれは。陰義の一つを対処したからと言って、だから何だと言うのだ!
視界が黒く染まっていく。まだだ。気を失う訳にはいかない。視界が戻ったら反転し、攻撃を――!
千鳥と雷切の補助で、自動で母衣が展開される。次第に減速し、凧のように穏やかに滞空する。
視界が晴れた。敵機を確認すると、こちらを撃たんと上昇している途中だった。
そのまま、背中から雲間に飛び込むように降下。再び小太刀を鋏のように交差した。
《芹沢弥刑部。ここで決めさせてもらう》
湊斗は太刀を鞘に収め、抜刀の構えを取った。以前にも見た、必殺の抜刀。小太刀一本にて防いでみせた技。
前回の焼き回しだ。まったくもって同じ。ならば、同じように防ぎ、確実にカウンターを決めるまで。
《吉野御流合戦礼法「迅雷」が崩し――》
距離が縮まる。射程距離に迫る。
《――
「雷切ィィィ!」
《その力》
《断ち切る》
湊斗景明の必殺の一撃は――。
以前と同じく、小太刀一本にて防がれた。
雷切の陰義、陰義切りによって、陰義の起こした奇跡とも呼べる現象を、切り倒したのだ。
勝った。もう一刀で切り伏せれば終わりだ。軟い喉元を貫けば、終わりだ。
そう確信した瞬間、再び、湊斗景明の冷めた金打声が響いた。
《一度見た技に屈するつもりはないと言った筈だ》
「――何?」
抜刀術。右手は刀に、左手は鞘に。両手を使うその技に、二の太刀は振るえない筈。しかし――。
見ると、村正の左手は太刀の鞘ではなく、脇差の鞘を握っていた。
《吉野御流合戦礼法「飛煌」が崩し》
村正の陰義が脇差に集まっていく。湊斗は必殺の抜刀が防がれる事を想定した上で、合えて防がせたのか!
《
親指で脇差の鍔を弾くだけの所作。しかし、脇差は知覚不能な速度で射出された。
《腹部の装甲に被弾》
《装甲損壊、大破》
見ると脇差の柄が腹に突き刺さっていた。それだけではない。尋常ではない速度で撃ち出された脇差は、突き刺さった後もその速度を緩めない。
「ヌオオおおおおおぉぉぉォォおおオォォォァアァァァアァァァァァァ――――!!」
脇差の運動エネルギーに引きづられて吹き飛ばされていく。体勢を整える事も出来ない。母衣を広げれば確実に砕ける。地表が近づく。吉原の町に落ちる。屋台や家屋を吹き飛ばしながら墜落。そのまま本道を滑り、転がり、滑り、祭りという祭典の中心、祭儀場である寺に突っ込んだ。
瓦礫の中で折れた手足を引きずって立ち上がる。四散こそしなかったがすでに死に体。騎航どころか戦闘行為が不可能。俺の敗北だった。千鳥の雷切の悲鳴のような損害報告が響くが、俺はそれに答えられない。ぼんやりと、寺の中を見渡す。
立ち込めた埃が晴れた先に、天井から吊るされた一人の女が見えた。