琴葉茜ちゃんと妹の葵ちゃんのお話です。

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無情

ギィィイイイ、バタン

 

体育館の金属製の扉を閉じる。ここは私たちが通っていた高校の体育館。”奴ら”は振り切った。ここにいるのは私と妹の葵だけだ。葵は足を何回か噛まれて一人では歩けないので、私が肩を貸して連れてきた。ここなら少し、休めるだろうか。

 ”奴ら”は狂犬病の亜種に感染した人間だと緊急速報か何かで報じられていた。噛まれたり、引っかかれたりすると感染し、その人も”奴ら”になってしまう。生きているのか死んでいるのかも分からないような生ける死体は今や街中に存在し、生き残るには逃げるしかなかった。

 

「葵、大丈夫か、葵。」

 

 声をかけながら妹の容態を見る。右足にはいくつもの噛み傷、来る途中に何回か転んだから膝や腕に擦り傷ができてしまっている。顔からは汗が吹き出し、酷い発熱も起こしているようだ。目もうつろで意識も朦朧としている。

 

「大丈夫だよ...お姉ちゃん。」

 

そんな状態でも妹は気丈に振る舞い私に不安を抱かせまいとしている。辛いだろうに。二人の足音が静寂に包まれた体育館に響く。他に聞こえるのは蝉の鳴く声だけ。とりあえず、妹を壁にもたれかかるようにして座らせる。腕も服も汗のせいでじっとりと濡れている。夏の暑さも相まって危険なほどに脱水しているだろう。しかし、こんな状況では水を手に入れるにも苦労する。妹は動けないし、ここは私が動かないと。

 

「葵、お姉ちゃんな、飲み物探してくるわ。電気は止まってないみたいやから自販機見つけて買って来たる。」

 

そういって早速外へと向かおうとすると。

 

「待って...お姉ちゃん...」

 

弱々しい声と共に袖を掴まれた。掴む力はほとんどなく指をひっかけるような掴み方だった。

 

「どうしたんや、葵。」

 

「お姉ちゃん、私の右ポケットを探ってみて。」

 

言われた通りに右ポケットを探る。何か冷たいものに触れ、手に重さを感じながらゆっくりとそれを取り出す。

 

「葵っ...!これは...。」

 

拳銃だった。警察官の使っている小さな拳銃。

 

「あのね...転んだ時に偶然亡くなった警察官の人のそばに落ちてるのを見つけてね...拾っておいたの。」

 

「これ、これを持ってけってことか、葵。」

 

「違うよ。」

 

思っていたのと違う返答が来て困惑した。

 

「これで、私を殺してほしいの。」

 

「葵のアホ!何言いだすねん!」

 

妹の実現しがたい願いに今まで出したことのない程の大声で怒鳴りつけてしまった。

 

「お姉ちゃん、私、死ぬならきれいなままで死にたい。あいつらみたいな生きてるのか死んでるのか分らないものになるよりも一人の人間のまま死にたい。」

 

妹の悲痛な思いを聞き、込み上げた怒声を飲み込んだ。

 

「何を言っとるんや、近くの空港に緊急の避難所ができてるってテレビで言ってたやん。そこに行けば抗生物質か何かであいつらみたいにならなくて済むかもしれんて。だからさ、葵。もうちょっと頑張って———」

 

そう言いかけたところで妹が被せる様に言う。

 

「もう駄目だよお姉ちゃん...もう、駄目なんだよ。腕も上げるのが精一杯だし、足もだるくて動かせそうにないんだよ。」

 

「でも、葵...」

 

「それに、それにね。」

 

妹の目から涙があふれ、

 

「噛まれた傷が全然痛くないの。さっきまですごく痛くて、辛かったのに。私の体が私のものじゃなくなるような感覚がするの。だから、ね。」

 

分っていた。妹が”奴ら”に噛まれてからいつかこうなるんじゃないかと分っていたのに、こうならないと思っていたんだ。いや、思い込んでいた。

 

「葵、ええんやな。」

 

「お姉ちゃん、お願い。私の最後のお願いだから...。」

 

すぐに返事がきた。断ってほしかった。でも、私にしかできない。やるしかないんだ。拳銃を拾い、グリップを握る。これの使い方は映画やドラマで見たから分る。撃鉄を起こし、いつでも射撃可能な状態にする。

 

「お姉ちゃん、一発で頼むよ。痛いのは嫌だからね。」

 

妹はこんな時なのに冗談混じりの口調で話している。顔は涙と汗で濡れていて、辛く悲しいはずなのに微笑みを浮かべてこちらを見る。1㎏もないはずの拳銃は大きな鉄の塊のように重く、すぐさまどこかへ捨ててしまいたい衝動に駆られる。映画やドラマでは悪を討つために使われていた拳銃。しかし、今は悪人を撃つのではなく、狙うのは妹の額。震える手を抑えるために左手を添え、力ずくで抑える。頬に何かが触れる感覚を感じて、自分が泣いていることが分かった。

 

「葵、いくで。」

 

決意を固めるためにも、声に出す。狙いがぶれないように引き金を引いていき、指の感覚で撃鉄が放たれるのを感じとったその時。

 

「お姉ちゃんありが――」

 

パァン

 

火薬が破裂する音と共に妹の体がビクッと跳ねたと思うと、その後に残ったのは硝煙の匂いと静寂だけだった。妹は微笑んで死んでいった。

 私は妹を救えなかった無力さと言いようもない脱力感を感じていた。もう、疲れた。妹のもとへ行きたい。都合のいいことに私の右手には妹のもとへの片道切符が握られている。

 

「お姉ちゃんも、すぐそっちに行くからな、葵。」

 

銃口をこめかみに当て、ロシアンルーレットのような姿勢になる。ロシアンルーレットをする人は生き残るために引き金を引くが、今の私は死ぬために引き金を引くのだ。

 

 今度の引き金はさっきのように重くはなかった。

 


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