幼女戦記 〜旗を高く掲げよ〜   作:猫敷

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第9話 帝国境界の黙契
第1節


第1節 境界都市の召喚

 

 RSHA本部の地下、灰色の壁に囲まれた記録室にて、ターニャ・デグレチャフ大尉は“沈黙の文書”と向き合っていた。

 照明の音すら滲むような空間にあって、それは異常なまでに整った命令書だった。折り目は正確で、印影にかすれはない。にもかかわらず、そこには“出所不明”というラベルが貼られている。

 

 国家保安本部(RSHA)において、文書の出所不明という表記は冗談では済まない。少なくとも、書類上での正統性を維持する限りにおいて、命令とは“誰かが命じた”という記録であり、“どこで命じられたか”が存在する以上、無署名の命令書は制度に対する侮辱とすらなりうる。

 ――だがそれが、上意を仮託する“必要悪”である場合、話は別だ。

 

 命令の概要は簡潔だった。

 《プシェミシルにおける行政記録の現地照合と、管轄整理に関する臨時視察》

 差出部局名は「VII局内文書整備課」。

 その横に、手書きで走り書きされた一文があった。

 

 《“返却されなかった文書”が所在している》

 

 ターニャは眼鏡を外し、わずかにため息を吐く。

 書類が命令する、というこの組織の制度的暴力性には今さら驚きはない。問題は、それがどの程度“政治的意味合い”を帯びているかだ。プシェミシル――もともと帝国東部の外縁にして、ソ連との協定線上に位置する“裂け目”の都市。1939年の開戦初期には一時的に帝国軍が進駐したが、独ソ協定に基づく境界再編ののち、その行政権は事実上、灰色の霧に包まれた。

 

 正式には“返還された”とされるこの都市に、なぜRSHAの未返却文書が眠っているのか。

 いや、それ以前に“誰が文書をそこに残し、今まで無視し続けてきたのか”。

 

「感情を廃せ。記録を信じろ。制度は言葉ではなく書式で命じる」

 

 自らにそう言い聞かせつつも、ターニャの内心には嫌な予感が漂っていた。

 この任務は視察などという生易しいものではない。

 “制度の外に現れた、制度の亡霊”――そういうものを“再記録する”任務だ。RSHAの正統性が傷つかないように。

 

 机の隅に置かれた赤い封筒。極秘扱いの補助命令が封されている。

 セレブリャコーフ――あの旧副官が、同行者として指定されていた。

 

「セレブリャコーフを、だと……?」

 

 呟いた声には意外と冷静な響きが宿っていた。

 彼女――かつての副官にして、今やRSHA本部に監視対象として留置されている人物――が、再びターニャの任務に同行するというのだ。もちろん命令書には明記されている。“臨時補助官としての随行を許可する。信頼性評価:再審査中につき留意”と。

 

 過去に何を信じ、何を裏切ったか。

 それを問うことが許されるのは、人間ではなく制度だけである。

 そして、RSHAとは常に“制度だけが記憶する組織”だった。

 

 ――EVAの名前は、どこにもなかった。

 

 ヒムラーの影として送り込まれた寡黙な補佐官。その行動も、その姿も、今回の文書には一切記録されていない。

 RSHA第VII局の配下文書に、彼女の名が記されないことは“通常”ではない。

 だからこそ、その“空白”は意味を持つ。制度は語らぬが、沈黙の構文で命令しているのだ。

 

「……準備しろ。東部への移動だ」

 

 呼び出されたセレブリャコーフは、わずかに眉を動かしたが、何も問わず敬礼で応じた。

 ターニャは冷淡に頷き、文書一式を鞄に収める。

 言葉ではなく、命令によって動く世界。その中で彼女が信じる唯一の正義は――“書かれた命令に従う”ことだけだ。

 

 そして今、命令は告げている。

 境界都市プシェミシルへ。

 そこに、“未返却の文書”が存在していると。

 

 制度は記憶を許さず、記録だけを欲する。

 それは忠誠であり、同時に死刑執行令状でもある。

 




独ソの歪んだ二重占領区編スタートです。

絶対こんなところに住みたくない…。
ちなみに史実でも独ソ開戦時の激戦区だったらしいですね。
日本語資料も少ないので更新遅くなってしまって申し訳ございません。

次に読みたい展開はどちらですか?(※構成上、前後する可能性あり)

  • イギリス戦方面
  • 帝国内政(モレル関連)
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