幼女戦記 〜旗を高く掲げよ〜   作:まよ

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第三話

 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。

 私は共産主義者ではなかったから。

 

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。

 私は社会民主主義ではなかったから。

 

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。

 私は労働組合員ではなかったから。

 

 彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった。

 私はユダヤ人ではなかったから。

 

 そして、彼らが私を攻撃したとき、

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

 

マルティン・ニーメラー

 

 

 

 

 

 

 ポーランド総督領某所。

 

「進行状況はどうだ?」

 

「現在リストに記載されていた人物の半数以上は拘束しました。しかし……」

 

「何だ?」

 

「我々の制止を聞かず逃亡した者はやむなく射殺したとのことです」

 

「そうか。彼らの知識が敵国に渡らずに済んでよかったな」

 

「…………」

 

「何だ?」

 

「いえ、報告は以上です中尉」

 

「ご苦労」

 

 列車から立ち上る蒸気が顔をかすめて消えていく。

 ゲットーへと移送されるユダヤ人たちが、冬の寒さに首をすくめながら、貨物車へと歩みを進めている。

 彼らが、下を向き歩く理由はこの寒さだけが原因ではないだろう。そう、彼らは知っているのだ。自分たちがどうなるのかを。どのような扱いを受け、どのような最期を迎えるのかを。想像ができてしまうのだ。周りを取り囲む、兵士たちの表情から、前へと歩みを進める同胞たちの表情から、詰め込まれる明かりもない貨物車の暗闇から、この場を包み込む異様な空気から。必然的に感じ取ってしまうのだ。

 人間は頭が良い。いや、学力的に見れば優劣がつくのは当たり前である。天才もいれば文字すら書けない者もいる。これは生物学的なことだ。人間は地球上に存在する生物の中で、随一の知能を持っている。だからこそ、ほんの少しの雰囲気を感じ取り、容易に想像してしまう。

 あぁ、本当に神は残酷なことをする。このような運命にある者たちにまで、優れた知能を持たせるとは。

 

 本当に神が人を救いたもう存在ならば、今すぐにでもこの人々を救うべきなのではないだろうか。

 願わくば彼らに安らかな最期があらんことを祈ろう。

 

 これはまごうことなき人間の罪なのだ。

 

 しかし、よくよく考えてみれば。

 神が人を創ったと仮定しよう。

 つまり神は人間という製品の製造主ということになる。神が人間を完璧に創ったとするならば、人間は罪を犯すことはない。

 人間が罪を犯すということは、人間という製品に不具合があるということだ。不具合があるということは、人間という製品に欠陥があるということである。

 では、そんな欠陥製品を製造した責任者は誰か。

 もちろん製造主の神にあると言える。

 しかし、神が責任を取ることはないのだろう。人間ですら、製造責任というものを負うというのに。いよいよもって神という存在に嫌気がさす。そんな無能であるならば、さっさとその役職から退いていただきたいものだ。

 これが会社であれば、役員会議やら株主総会やらで即刻クビを言いわたすことができるのだが。僭越ながら、神界にも会社制度の導入を提案させていただきたい。

 

 しっかりと会社制度を整えることができれば無能な神などすぐにでもリストラしてやる。

 責任者はもちろん私だ。格式張った大会議室で部屋いっぱいに広げた円卓の上座から、カビの生えるような下座に、座らせることもなくポツンと立たせた神に私自ら引導を渡すなど、なんと心地の良いことだろうか。考えただけでも、心が晴れやかに澄み渡り清々しい。

 ああ、いい! 実にいい!

 この世界へ飛ばされ、苦節11年。今までろくな思考もすることがなかったが、今回ばかりは馬鹿げた妄想だとしても本当に愉快だ。

 

「あの、中尉?」

 

「……どうした?」

 

「いえ、ご気分でも? お身体が優れないようならすぐに車を回しますが」

 

 自分がどういう表情だったのかなど、覚えているわけもなく。部下に心配をされるなど、上官として不甲斐ない極みである。

 

「軍曹」

 

「はい」

 

「リストから射殺またはその他の理由によって死亡した者を削除しておくように。報告書に不備があることだけは避けろ」

 

「はっ」

 

「残りの者については、捜索に全力を尽くしたまえ」

 

「承知しました。しかしながら、残りの者については有力な情報もなく。すでに捕らえられたユダヤ人の中に紛れている可能性が高いかと」

 

 もちろんのことながら、命令書に該当する者ならば名乗り出るようにということは、この場にいるユダヤ人たちには、監視塔に立て付けられたスピーカーで伝えられているはずだ。

 敵へ協力するくらいならば、といったところだろうか。もしもそうだとするならば、無意味な抵抗であると言える。

 

「……全員、妻子持ちか?」

 

「は?」

 

「だから、残りの者たちに家族はいるのかと聞いている」

 

「そのようですが、それが何か?」

 

「では、貨車に向かう列の右横に張り紙を立てろ。内容は、そうだな。該当する者は、家族とともに右へ、だ。分かったか?」

 

 ほら、気高き無力な抵抗者諸君。君たちに優しい私からの、心ばかりのプレゼントだ。

 

 貨車へと詰められるユダヤ人たちに、人権というものは存在しない。物として扱われるのだ。一台の貨車に乗せられる人数など、どれほど詰め込んだところでたかが知れている。

 効率化を図るためには、規定量を迅速に積む必要があるわけで、そうなればいちいち家族などという概念に囚われている場合ではない。

 一台の貨車に規定量を積み終われば、例え先に子供を乗せてしまったとしても親を同じ貨車に乗せる必要などないのである。

 例えば、家畜の豚を輸送するときに、可哀想だからと、つがいをわざわざ同じトラックに乗せはしないだろう。

 それを、正直に申し出た者には家族と引き剥がさないと保証するのだ。己の信念と家族と、どちらを取るのかは彼ら次第であるが、該当者を手っ取り早く選別するのにはそれなりに有効な手段ではないだろうか。

 

「はっ」

 

「偽って申告をした者については、現場責任者の判断によって処理するように」

 

 偽った者たちがどうなるのかは、皆さんのご想像にお任せするとしよう。

 あくまでも彼らが総統のご意向を忖度したに過ぎない。

 

「いいか。くれぐれも取りこぼしがないようにしろよ。……もし、不明者が出たとして、それ相応の理由を報告書にまとめて提出するように」

 

 もとより全員の身柄を確保できるとは考えていない。一定程度の人数を捉えることができればいいのだ。敵国に流れさえしなければ後はゲットーや収容所に送られようが、のたれ死んでいようが関係ない。

 すでにリストの最重要人物はこちらの手の中にある。他のおまけのような連中を数人取り逃がしたところで、それらしい報告書を提出すればどうにでもなるのだ。

 作戦は概ね完了、それではベルリンへと戻るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 1939年、私の知り得る歴史ではすでに第二次世界大戦が勃発していなければならない年度である。

 ドイツのポーランド侵攻後、直ちに英仏が宣戦を布告し、第二次世界大戦が開始されているはずである。

 ただし開戦初期は英仏ともに積極的な派兵はせず、ヒトラーも次の作戦準備に移ったために数ヶ月間陸上戦闘がほとんど皆無という不可思議な状態であった。

 ちなみに、フランスでは奇妙な戦争、イギリスではたそがれ戦争、そして我がドイツでは座り込み戦争と呼ばれていた。

 だが今はどうだ。この世界線において、英仏はドイツへ対し戦線の布告を行なっておらず、ドイツと交戦状態にある国は現段階で存在しない。

 しかし、このまま列強がドイツを見逃すとは思えないし、ヒトラーがここで侵略を止めるとも思えない。今、世界にくすぶっている火種は必ず大戦へと発展するに違いはない。それが少しの間、先延ばしにされたに過ぎないのだ。戦争となればまず短期終結は不可能である。フランスを破ることはできるだろうが、その後に待ち構えるのはイギリス、ソ連、アメリカといった大国ばかり。海軍力で劣るドイツがドーバーを超えイギリスへ兵を進めることなどできるわけがない。イギリスにすら勝てない我々がソ連、ましてやアメリカに勝てるはずがないだろう。

 すでにヒトラーは北欧侵略の準備を完了させつつあると聞く。そうなれば今度こそ英仏は黙っていないだろう。一度、戦火が開かれれば後は芋づる式に大国が参戦するはずだ。すでにドイツの敗北は既定路線だ。だが、私はそんな行き先地獄の特急列車になど乗るつもりはない。

 まだ可能性はある。確かに世界情勢は私の知る歴史と酷似しているが、時系列に若干であるがズレがある。その小さなズレをうまく利用できれば、私が生き残る可能性は皆無ではないのだ。

 

 そうだ。その為に私はーーーー。

 

「中尉、到着しました」

 

「……ご苦労」

 

 やれやれ、また考え過ぎてしまったようだ。考えてみれば、ゆっくり睡眠をとったのはいつのことだろうか。

 こんな生活が数年も続くのかと思うと頭が痛くなる一方だ。

 

 車のドアを開け、軍帽を被り直す。車を横付けした建物の扉を開くと広いエントランスの手前に受付が設置されている。

 

「親衛隊のデグレチャフ中尉だ。局長にお会いしたいのだが」

 

「身分証を拝見します。……少しお待ちを」

 

 警備兵が私の身分証を確認すると、電話を手に取りダイヤルを回した。

 

「どうぞデグレチャフ中尉。奥へお進みください」

 

 身分証を胸ポケットに押し込み、指示された通り奥へと向かうと、突き当たりにある執務室のドアが開かれた。

 

「失礼します」

 

「中尉か。ポーランドの件はご苦労だったな」

 

「ありがとうございます」

 

「長官も大変感心されていたよ。あぁ、そこにかけてくれ。楽にしてくれていい」

 

「はっ」

 

「中尉はコーヒーでいいかね?」

 

「はい」

 

 そう告げると給仕が私の前にコーヒーを持って現れた。

 ここは親衛隊本部、兵器局である。親衛隊特務部隊の兵器の調達や兵站を担っている部局である。

 

「中尉、君の論文を読ませてもらったよ。新兵器による戦術及び戦略ドクトリンの変容、そして使用兵器の最適化。実に興味深いものだ。よく書けている」

 

「過分な評価を頂きありがとうございます」

 

「中尉、君はこれが今後の戦争の体系だと思うのか?」

 

「はい。戦争は常に変化し続けてきました。マスケット銃を使用した戦列歩兵、機関銃の使用による塹壕戦、それを打ち破るための戦車を使用した機動戦。このことからも、戦争は新たな兵器の登場によって変化したと理解できるでしょう。そして勝利はその新たな力を手に入れられるかどうかにかかっているのです。むろんその変化はこれからも変わらずに起こり続ける。世界はすでに動き出しています。我がドイツはその変化に乗り遅れるわけにはいかないのです」

 

「核分裂を利用した新型爆弾か。……確か、陸軍ではすでに科学者の招集を検討していると聞くが」

 

「陸軍内部では、いえ軍隊という組織の性質上、前例を踏襲するという特性があります。故に新兵器の導入には我が国を問わず懐疑的になる傾向が強い。そうなれば開発は大幅に遅れるはずです。そうなる前に親衛隊が主導権を握るべきです。我々が新兵器研究の全般を担うことができれば必ず戦局を有利に動かすことができる」

 

 出されたコーヒーが冷めるのも気にせずに私は局長へと訴えかけた。国力で劣るドイツが生き残るためにはこれしかないのだ、と理解してもらうことができれば活路が見えてくる。

 兵器研究に関わることができれば、情報と引き換えに私は生き残ることができるはずだ。その為には何としても諦めるわけにはいかないのだ。

 

「ふむ。中尉は本部が近々再編されることを知っているか?」

 

「いえ。初耳であります」

 

「そのときに研究部門の新設を進言してみるとしよう」

 

 そうだ。それでいい。まさに私が期待していた答えである。

 自分の頰が釣りあがっていくのが分かる。これは、果てしない絶望の中で、かすかに見えた希望の光なのだから。

 

「ありがとうございます!」

 

 あぁ、今日はゆっくりと眠れそうだ。




こちらの投稿を再開しようか検討しております。
ナチ系で、コアに書くか、ミリオタ以外の皆様にも楽しんでいただけるライトな方針で行くか悩みどころです…

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