幼女戦記 〜旗を高く掲げよ〜   作:猫敷

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あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願い致します。

この回では、ナチスの新年がどういうものだったのかを解説します。



新年特別編 新年――忠誠が更新される日

 

 

 新年は、祝祭に見える。だが第三帝国では、それは多くの場合「更新点」である。年が変わるという自然現象に、国家が線を引く。線を引けば、権限が切り替わり、責任が固定され、例外が整理される。人間の暮らしが年を跨ぐ瞬間を、制度が捕まえる。捕まえた瞬間、祝うはずの時間は、確認の時間へ変質するのである。

 

 官庁は、年次で回る。予算は年次で縛られ、報告は年次で締められ、人事は年次で総括される。暫定は年次で清算され、保留は年次で“処理対象”へ格上げされる。ここで処理とは、承認、延長、移管、廃棄、そして抹消である。抹消は、死ではない。記録の死である。記録が死ねば、責任も死ぬ。

 

 この更新点を最も冷徹に扱うのが、親衛隊である。親衛隊は時間を信仰しない。時間を管理する。儀礼で心を寄せ、書類で手を縛る。年が変わる夜は、家族の温かさのためではなく、忠誠の再署名のために使われる。そういう世界が、ここにある。

 

 そして新年の前には、必ず年末がある。クリスマスは、一般の生活の側では「家庭の儀礼」として機能する。しかし第三帝国の上層では、家庭の儀礼がそのまま残ることを許さない。残せば、個人が勝つ。個人が勝つ時間が増えれば、国家の命令は薄まる。だから年末の儀礼は、祝うためではなく、祝う行為を国家目的へ接続するために再設計される。年末から年始へは、断絶ではない。加速である。

 

 

第1節 新年という「国家的更新点」――暦は行政の武器である

 

 近代国家の暦は、生活の背景ではない。手続の前提である。年度、予算、配給の枠、輸送計画、役所の提出期限、監察の基準日。すべてが「いつまで」「いつから」に縛られる。人間は曖昧に生きるが、国家は曖昧を嫌う。曖昧が残れば責任が逃げる。責任が逃げれば統治が腐る。だから国家は、時間に杭を打つ。

 

 ワイマール期の年越しは、市民生活の内側にあった。新聞は抱負を書かせ、街は灯りを増やし、家は親類を呼んだ。宗教暦と市民暦が重なり、年末の騒がしさは“私事の許容”として扱われた。だが体制が変わると、祝祭の意味が変わる。祝うことが問題ではない。祝う「方向」が問題になる。

 

 ナチ体制は、祝祭を禁じない。祝祭を利用する。新年に語られる言葉は、幸福より義務、希望より献身、個人より共同体へ傾く。人間は節目に弱い。節目は決意を作りやすい。決意は命令へ接続しやすい。だから新年は、未来の自由を開く鍵ではなく、現在の拘束を“自発的意思”として包装する場になる。

 

 官庁はその包装を支える。年末の段階で、未処理が残る。保留が残る。例外が残る。年が変わると、例外は二つに分かれる。固定化されて制度になるか、削除されて“なかったこと”になるかである。どちらも危険だ。制度になれば、例外は正当化される。なかったことになれば、責任は消える。新年は、例外が姿を変える夜である。

 

 この夜に生き残るのは、正しい者ではない。形式を握る者である。提出期限、名義、回付経路、控えの保全。そこに失敗すれば、内容以前に落とされる。官僚制の恐ろしさは、怒鳴らない点にある。怒鳴らず、淡々と、紙の角度だけで人を切る。

 

 そのための準備が、年末に静かに積み上がる。年末の終業日、各部局は「前年分の区切り」を作る。帳簿、台帳、配給表、通信簿、監察報告、保留リスト。締めた瞬間に「翌年の処理」が確定する。締め切れないものは、未処理として残る。未処理は弱点である。弱点は握られる。握られた弱点は、年初の署名と引き換えに救済される。救済は恩ではない。鎖である。

 

 

第2節 総統の新年――演説と沈黙の政治

 

 総統が新年に語ることは、挨拶ではない。国家の時間に、釘を打つ行為である。だが釘の打ち方は一定ではない。大きな演説として響くこともあれば、短い声明として配布されることもある。重要なのは、言葉の量ではない。年を跨いでも指導が継続しているという「確認」が、形を変えて反復される点である。

 

 戦前の新年は、まだ余裕がある。勝利を断言しなくても、人々は「これから」を想像できる。だが戦時の新年は違う。年末年始は不安が混じる。兵士は帰らず、配給は減り、家は空席を抱える。体制は、その不安を放置できない。不安は疑問を生む。疑問は責任を探す。責任探しは、統治を傷つける。

 

 だから新年は、安心を配るのではなく、耐久を命じる方向へ寄る。苦しいことは苦しいと言う。ただし結論は変えない。働け。耐えろ。従え。年が変わっても状況は変わらない。変わらないからこそ、変わらない指導が必要だ。新年は、未来の約束ではなく、継続の宣言に変わる。

 

 この継続の宣言は、頂点の権力を一枚岩にするために使われない。むしろ逆である。頂点は揺らがないが、その下は競合し、重なり、奪い合う。党、官庁、軍、親衛隊。どれも同じ国家に属しながら、同じ国家の中で別の国家のように振る舞う。権限が重なれば衝突が生まれる。衝突が生まれれば、勝者は「忠誠」を盾にする。忠誠競争が続くほど、現場は苛烈になる。新年は、その苛烈さを儀礼の形で整えて見せる日でもある。

 

 総統の年末年始は、私的祝祭としての華やかさとは距離がある。これは人格の問題ではない。体制の設計の問題である。頂点に立つ者が「私事」を濃くすればするほど、国家の時間は私事に引きずられる。第三帝国はそれを嫌う。嫌うからこそ、私的場面にさえ公的な匂いが入り込む。

 

 クリスマスの時期、一般家庭では家族の集まりが濃くなる。しかし頂点では、家庭の温度が上がるほど危険になる。温度が上がれば人は語る。語れば漏れる。漏れれば責任が増える。責任が増えることは、頂点にとっても、頂点の周囲にとっても不利益である。だから頂点の周囲は静かである。静かなほど、よく動く。

 

 戦時期には総統大本営(総統の軍事指導の拠点)が存在し、年末年始であっても報告と命令の循環が止まらない。止まらないという事実そのものが、宣伝に利用できる。祝っている姿ではなく、働き続ける姿で中心を演出する。中心が働き続けるなら、周縁も働け、という命令が自然に成立する。

 

 年末年始の宣伝運用は、ここで特に濃くなる。新聞、ラジオ、ニュース映像。見出しは「家庭」ではなく「共同体」へ寄り、「幸福」ではなく「任務」へ寄る。年末の言葉は、未来を開く鍵ではない。現在の拘束を延長する楔である。

 

 そして頂点の沈黙にも意味がある。長々と語らない。語り過ぎれば、言質が増える。言質が増えれば、責任が固定される。責任が固定されるのは、下だけで十分である。頂点は「方向」を示し、下に責任を配る。そうすると下は競争する。競争は忠誠を生む。忠誠は苛烈さを正当化する。年末年始は、その競争が最も見えやすくなる季節である。

 

――ここから、年末年始の「場面」を一段深く描く。

 

【① 総統大本営の年越し――随員・通達・短い祝杯・直後の作戦報告】

 

 年末の夜、時計が進むより先に、机の上が進む。総統の周囲には、常に小さな行列ができる。連絡将校、書記、伝令、報告書を抱える参謀。紙は薄いが、紙の束は厚い。厚い束が意味するのは、判断が積もっているということだ。判断が積もっているということは、責任が宙に浮いているということだ。宙に浮いた責任は、年を跨ぐと危険になる。だから跨がせない。跨がせる場合は、跨がせる手続を作る。

 

 年越しに近づくと、形式的な挨拶は交わされる。だが場を支配するのは挨拶ではない。提出の順番である。誰が先に入り、誰が後に入るか。誰が報告でき、誰が待たされるか。待たされる者は軽い。先に呼ばれる者は重い。重さがそのまま翌年の権限配分に繋がる。年末年始は、権限が言葉ではなく順番で示される。

 

 祝杯があるとしても短い。杯は「祝う」ためではない。「節目を越えた」という形式を作るためにある。形式ができれば、翌日の命令が滑らかになる。翌日、つまり年初は、官庁の更新点であり、軍の更新点であり、宣伝の更新点である。更新点に合わせて紙を出せる者が強い。

 

 零時を跨げば、直後に仕事へ戻る。報告が入る。通信が入る。戦線の数字が入る。数字は人命の形をしていない。数字は「不足」の形をしている。不足は争いを生む。争いは責任を探す。責任を探し始めた瞬間に、体制は傷つく。だから責任は配る。配り方は書類で決まる。

 

 新年の一発目に必要なのは、希望ではない。継続である。継続のためには、紙を止めないことが重要になる。紙を止めない中心は、止めないこと自体が命令になる。年越しの夜の静けさは、眠りの静けさではない。書類が呼吸している静けさである。

 

 

第3節 親衛隊の新年――誓約・儀礼・時間支配

 

 親衛隊は、制服の黒で語られがちである。だが黒は入口に過ぎない。親衛隊の本体は、紙と規律と監察である。銃が目立つのは最後だけで、その前に必ず書類がある。書類が人間を分類し、分類が人間を配置し、配置が人間を使い潰す。親衛隊の新年は、その分類と配置が更新される夜である。

 

 祝うための夜ではない。点呼の夜である。

 

3-1 時間思想――個人の一年を、組織の永続に回収する

 

 親衛隊が欲したのは、短期の成果ではない。世代を跨ぐ忠誠である。個人が一年を生き延びることは重要ではない。組織が百年生き延びることが重要である。そこに、親衛隊の冷たさがある。

 

 忠誠は、気持ちだけでは維持できない。気持ちは変わる。恐怖も慣れる。だから親衛隊は、忠誠を生活へ縫い付ける。生活には節目がある。誕生、婚姻、葬儀、そして年越し。節目は人間が儀礼を求める瞬間である。儀礼を求める瞬間に、組織が手順を差し込めばよい。手順がある限り、人間はそれに従う。従うことで安心し、安心することでさらに従う。

 

 親衛隊にとって、暦は信仰ではない。手順の台紙である。年末年始は、その台紙が最も広い。家族の時間が増える。酒が入る。心が緩む。そこへ“共同体の言葉”を差し込む。家庭の火を、家庭の火で終わらせない。共同体の火にする。家庭の歌を、家庭の歌で終わらせない。共同体の歌にする。

 

 この発想は、思想というより実務である。親衛隊は、思想を実務へ落とすことに長けていた。誰がどの儀礼を、どの順序で、どの言葉で行うか。そこまで設計し、配布し、教育する。生活の中に組織を浸透させるという点で、親衛隊は異様に徹底していた。

 

 そして親衛隊全国指導者ヒムラーの年末年始は、まさにこの徹底の中心にある。祝うのではない。縫い付ける。家族の時間に共同体の針を通し、針が通った部分だけを「自然」に見せる。自然に見せられた命令は、抵抗を生みにくい。抵抗が減れば、監察は楽になる。監察が楽になれば、支配は深くなる。

 

3-2 新年儀礼の実態――「祝う」より「点呼する」

 

 親衛隊の年末年始は、外から見ると静かである。爆竹のような乱痴気は表に出にくい。代わりに、静かな手順が増える。静かに整列し、静かに火を点け、静かに言葉を読む。静かに同じ句を反復する。静かさがあるからこそ、逃げられない。

 

 年越しの儀礼は、家庭の中にも入り込む。家族が集まる席に、上意を座らせる。食卓に、命令の匂いを置く。火を灯す場面に、指導者の言葉を重ねる。こうして、年が変わる瞬間は「共同体への帰属確認」へ変わる。

 

 この夜が点呼である理由は明確である。点呼とは、存在の確認である。誰がいるか。誰が欠けたか。欠けたのは戦死者だけではない。規律違反者、成績不良者、疑念のある者、監察対象になった者。親衛隊にとって欠員は、思想の欠員である。欠員は補充される。補充される者は、選別される。選別は書類で行われる。

 

 酒は飲む。歌もある。だがそれは解放ではない。方向づけである。個人が抱負を語る時間は、共同体への誓い直しへ置換される。新年は「新しく始める日」ではない。「同じ命令を、もう一度自分の手で握り直す日」である。

 

 ここで、年末のクリスマスが前段になる。一般社会のクリスマスが家庭を温めるのだとすれば、親衛隊はその温度を利用し、温度の上がった家庭へ命令の形式を滑り込ませる。火を灯す手順、読む順序、沈黙の置き方。家庭の安心は、手順への従属を生む。従属が一度成立すれば、翌年はさらに容易になる。

 

 親衛隊全国指導者ヒムラーの側で重要なのは、「儀礼が私的で終わらない」ように設計される点である。私的で終わらせないためには、上級者の言葉が必要になる。上級者の言葉は、紙で配れる。紙で配れる言葉は、統一できる。統一された言葉は、統一された忠誠になる。統一された忠誠は、統一された監察の尺度に変換できる。そこまでが一つの流れである。

 

――ここから、年末年始の「手順」を一段深く描く。

 

【② 親衛隊全国指導者ヒムラー側――年頭通達/人事監察/儀礼の手順の分解】

 

 年末、親衛隊の上層は二つの仕事を並行させる。表の仕事は「儀礼を整える」ことである。裏の仕事は「人事と監察を整える」ことである。表と裏は別ではない。儀礼は忠誠の再確認であり、忠誠は監察の尺度であり、監察の結果は人事に直結する。

 

 年末に配られる文書は、多くが定型である。定型であることが重要なのだ。定型は反復を許す。反復は習慣を作る。習慣は抵抗を鈍らせる。抵抗が鈍れば、例外運用が通りやすくなる。親衛隊の強さは、派手な一撃ではなく、この鈍化にある。

 

 年頭通達は、華やかな祝辞ではなく、組織内の再確認の言葉で構成される。勤勉、規律、沈黙、忠誠、任務の継続。年が変わっても変わらないものを並べ、変わらないからこそ従え、と結ぶ。これにより、年末年始という「心が緩む季節」を、逆に締め直す。

 

 次に、人事と監察である。親衛隊は「書類組織」である以上、年末年始は書類が最も動く。前年の勤務評定、監察報告、照会の回答、保留案件の扱い。保留は便利である。保留は決裁を先送りでき、責任を薄められる。しかし保留は溜まる。溜まった保留は弱点になる。弱点を抱えた者は、年初に署名させやすい。

 

 年初の人事は、実際には前年末から始まっている。配置転換の内示、重点地区の指定、監察の線の移動。重要なのは、異動そのものではない。異動に伴って「誰が誰を監察できるか」が変わることだ。監察できる者は強い。監察される者は弱い。年末年始は、その強弱が静かに組み替わる。

 

 儀礼の手順も同じである。手順が細かいほど、人間は手順に従うことで安心する。安心すれば、疑問が減る。疑問が減れば、監察の必要が減る。監察の必要が減れば、監察は「必要な相手」に集中できる。集中された監察は、致命的になる。

 

 親衛隊が年末年始に作りたいのは、祝祭の空気ではない。祝祭を利用した「同質化」の空気である。同じ言葉を読み、同じ沈黙を置き、同じ姿勢で年を跨ぐ。年を跨いだ瞬間、個人は「自分で選んだ」と錯覚しやすい。錯覚は忠誠になる。忠誠は書類で固定できる。固定された忠誠は、命令の通り道を一本にする。

 

3-3 書類としての新年――人事・監察・例外の固定化

 

 親衛隊の新年が真に恐ろしいのは、儀礼よりも、儀礼の後に来る書類である。儀礼は心を縛る。書類は手足を縛る。

 

 年末、机の上には未処理が積もる。保留、照会、差戻し、暫定承認。年が変わると、それらは分類される。

 継続。

 延長。

 移管。

 廃棄。

 抹消。

 

 抹消は単に破棄ではない。記録の空白を作る手続である。空白は、罪の痕跡を消すためにも使えるし、命令の不整合を隠すためにも使えるし、責任の所在を溶かすためにも使える。空白を作れる者は強い。空白は、紙の上で人を殺す。

 

 年初、人事も動く。配置転換が起きる。監察の重点が移る。誰が重点地区に送られるか。誰が後方へ戻されるか。誰が「そのまま」で済まされるか。親衛隊はその線を、警察権力や情報機構と結び付けて伸ばしていく。線が伸びるほど、現場の命令は一本化される。一本化されれば、抵抗は形式違反に変換される。形式違反に変換されれば、処理は速い。

 

 そして占領地や地方の現場では、縦の線が効く。親衛隊及び警察指導者、保安警察及びSD司令官、そしてその下の地域指揮。縦の線が通るほど、軍や文民行政や党組織の横の線は“並立”になる。並立は衝突を生み、衝突は「整合」の名目を生む。「整合」を握った者が、その場の支配者になる。

 

 年初の書類は、怖いほど淡々としている。重い言葉は少ない。だがその淡々さが、現場を凍らせる。命令の期限が更新される。逮捕権の運用が確認される。報告書式が統一される。照会の返答期限が決まる。期限を破れば、内容の正しさ以前に落ちる。落ちた者は、誰にも拾われない。拾うと自分の責任になるからである。

 

 親衛隊は“現場が怖いから強い”のではない。現場へ落ちる紙を一本にしやすいから強い。紙が一本になれば、現場は従いやすい。従いやすい現場は、成果を出しやすい。成果は忠誠の証明になる。忠誠の証明は、さらに権限を呼ぶ。この循環が、年初の更新で加速する。

 

 

第4節 官僚機構と新年――書類が人を選別する日

 

 官僚制の恐ろしさは、怒鳴らないことにある。怒鳴らず、淡々と、形式で人を落とす。新年は、その形式が更新される。

 

 戦時になるほど命令は増える。例外も増える。暫定も増える。暫定が増えれば、矛盾が増える。矛盾が増えれば、現場は止まる。止まれば、誰かが「整合」を名目に介入できる。整合とは便利な言葉である。整合を口にする者は、正義の味方ではない。制度の味方である。制度の味方は勝つ。制度の外側に逃げ道がないからである。

 

 国家保安本部のような巨大官庁は、命令の発信点であると同時に、命令の競合点でもある。地方には党の線があり、軍の線があり、文民行政の線があり、警察の線がある。線が多いほど、命令は二枚になる。二枚になれば現場は停止する。停止すれば、介入の余白が生まれる。

 

 介入は、善意ではない。責任固定の技術である。誰が責任者か。誰の署名が効くか。誰の名義が上位か。期限はいつまでか。控えはどこにあるか。提出は誰が受け取ったか。官僚制は、そこだけで世界を動かせる。現場の血の匂いは、報告書の行間に閉じ込められる。血は紙の上では乾く。乾いた血は、形式になる。

 

 新年は、その形式が一斉に更新される。前年の“曖昧さ”が、ここで処理される。曖昧さは人間の逃げ道である。逃げ道が塞がるのが、新年である。

 

 

第5節 ターニャの新年――時間を読む調整官

 

 ターニャは祝わない。祝ってはならない、ではない。祝う必要がない。年が変わる夜に増えるのは、酒ではない。仕事である。

 

 年初に噴き出すのは、決まっている。

 第一に、権限の確認。誰の名義が有効か。委任状は生きているか。代理権はどこまでか。

 第二に、命令の延長/失効。暫定措置は恒久化されるか、消されるか。期限は更新されたか。更新されたのは文書か、口頭か。

 第三に、人事の再配置。担当替え、責任者の交代、監察対象の移動。

 第四に、資源配分の再計算。予算、輸送枠、燃料、通信、そして紙そのもの。

 第五に、“前年の曖昧さ”の清算。保留の処理、記録の整理、記録の抹消。

 

 ターニャが見るのは、誰が正しいかではない。どの形式が生きるかである。軍命令、党命令、警察命令、国家保安本部の命令。互いに矛盾するのは当たり前だ。矛盾は現場の過失ではない。構造の必然である。だから矛盾の処理が、権力になる。

 

 ターニャの仕事は、矛盾を解消して世界を善くすることではない。矛盾を「どの形で残すか」を決め、残し方で人を動かすことである。整合の名で介入する。正統性の名で沈黙させる。責任の名で署名を引きずり出す。署名は鎖である。鎖が繋がれば、命令は実体を持つ。実体を持った命令は、現場を動かす。

 

 新年は、その鎖が一斉に磨かれる季節である。期限が更新される。名義が整えられる。控えが作られる。回付経路が固定される。どこで受け取り、どこで保管し、誰が閲覧し、誰が廃棄を許可するか。そこまで決めれば、人は抵抗できない。抵抗は形式違反になる。形式違反は処理が速い。

 

 ターニャは感情を扱わない。感情は混乱を生む。混乱は命令を遅らせる。遅れは責任を増やす。責任が増えるのは面倒である。面倒は避ける。避けるには制度を使う。制度を使えば、個人の善悪は問題にならない。

 

 年が変わる夜、机の上には紙が増える。紙が増えるということは、縄が増えるということだ。縄は首を絞めるためだけにあるのではない。縄は、引くためにある。引けば人が動く。動けば結果が出る。結果が出れば、次の権限が手に入る。新年は、その循環が最も早く回り始める瞬間である。

 

 ここで、素朴な疑問の答えは決まる。

 親衛隊は党や官僚機構、軍より強大になるのか。

 

 局面によっては、そう見える。治安、情報、逮捕、収容、そして一部の資源配分。そこに食い込めば、現場の命運を握れる。だが国家全体を単独で置換するわけではない。軍は巨大であり、党は動員装置であり、官僚機構は日常支配の骨格である。頂点は変わらない。だが頂点の下は、競合する帝国として膨張し続ける。

 

 ターニャにとって重要なのは、その膨張の「勝ち負け」ではない。どの線が、今年の命令と署名と輸送枠を握るかである。誰が勝つかではない。どの書類が勝つかである。

 

 新年は、紙が勝つ日である。

 

――ここから、年初の「手つき」を一段深く描く。

 

【③ ターニャの元日朝――回付封筒・印影・期限・控え確認】

 

 元日の朝は静かである。静かなほど危険である。静かな机の上に、封筒だけが増える。封筒は色で区別され、紐で括られ、角に控え番号が振られる。封を切る前に、ターニャは並べる。並べる順番は、内容の重要度ではない。名義の強さである。

 

 名義が強い文書は、読む前から決裁の方向が見える。読むのは確認である。確認が済めば、次は期限を拾う。いつから有効か。いつまで有効か。延長条項はあるか。例外条項はあるか。例外条項があるなら、例外の入口はどこか。入口があるなら、入口を押さえる。入口を押さえた者が、出口を決められる。

 

 回付経路も拾う。どこを経由して来たか。誰の手を通って来たか。通って来た手が多いほど、責任は薄まる。責任が薄まった文書は扱いやすい。扱いやすい文書は、押し込みやすい。押し込みやすい文書は、現場を動かす。ターニャは薄い責任を選んで動かす。重い責任は、他人に持たせる。制度はそれを許す。

 

 控えの所在も同時に押さえる。控えがなければ、責任は曖昧になる。曖昧は便利だが、便利は敵にもなる。敵に曖昧を与えれば、敵は逃げる。逃げ道を作ってはいけない。逃げ道を塞ぐために、控えを作る。控えは鎖である。鎖は見えないところで締まる。

 

 印影は最後に見る。印影は強いが、印影だけでは動かない。動かすのは期限と回付である。期限が動かし、回付が正当化し、印影が沈黙を強制する。三つが揃えば、現場は抵抗できない。抵抗は形式違反になる。形式違反は処理が速い。

 

 ターニャの元日は、祝祭の元日ではない。更新点の元日である。更新点は、制度が最も脆くなる瞬間だ。脆い瞬間は、最もよく刺さる。刺すのは銃ではない。赤鉛筆で引かれた期限の線である。押し付けるのは怒鳴り声ではない。名義と回付の順番である。元日の静けさは、その刃が研がれる音である。

 

 

終節 新年は始まりではない――再発効の儀式である

 

 新年は始まりに見える。だが第三帝国では、それは多くの場合「再発効」であった。忠誠が更新される。命令が再発効する。権限が再配分される。責任が再固定される。

 

 宣伝は言葉で継続を演出する。官僚は書類で人を裁断する。親衛隊は儀礼で時間を管理する。

 そしてターニャは、その三つが噛み合う瞬間を材料にする。

 

 祝祭ではない。更新点である。

 新年とは、忠誠が再署名される日である。

次に読みたい展開はどちらですか?(※構成上、前後する可能性あり)

  • イギリス戦方面
  • 帝国内政(モレル関連)
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