第5節 信仰と灰
灰色。
それは色ではなく、過程である。燃焼の果てに残された物質。焼かれた歴史、消された記憶、そして……信仰のなれの果て。
クラクフ近郊の森の奥に、かつての修道院がひっそりと佇んでいた。ドイツ軍による侵攻以前は、信者の祈りが満ちていたであろうその空間には、今やすすけた聖像と、瓦礫の中で縮こまる数名の難民が居るだけだ。
「清掃完了――異常なし」
面目なきSDの現場担当官が、どこか機械的にそう呟いた。隣には、所在なげに立つ党地区指導部の民間官僚が居る。彼は薄く禿げた頭を掻きながら、何か言い訳を模索しているようだった。
「この寺院は……我々の行政区では、すでに廃墟と認定されておりまして……保護対象とはなっておらず……」
「廃墟とは便利な言葉ですね」
ターニャは微笑んだ。いつものように柔らかく、曖昧に、しかし芯を感じさせる“処理済み”の笑顔である。
「生きた人間がいるのに、それを“廃墟”と呼ぶ感性、まさに党官僚的と申しましょうか」
「……いえ、あの、我々としても、対応は考えておりました。ただ、いかんせんリソースが……」
「なるほど、物資が足りない。ならば、代替案として“処理”を提案する、と?」
「いや、そこまではっ……」
党官僚の声が尻すぼみに消える。ここは前線ではない。だが、ここでは言葉が銃に等しい。
そのとき、ふと風が吹き抜け、半ば焼け落ちたステンドグラスの破片がカラカラと床を転がる音が響いた。神聖さを象徴していたはずの彩色は、今や汚れた灰と煤に覆われている。
「信仰が罪になるのが、この時代です」
静かに呟いたターニャの言葉に、誰も応えなかった。
その場に居た難民――老婆と青年、それに子どもが一人。全員、沈黙したままだ。党官僚はあからさまに視線を逸らした。SDの担当官すら、記録係に目配せするばかりである。
「念のため記録は残しますか?」
尋ねたのは、陪席していた新人のSS書記官だった。若く、やや神経質そうな青年である。
「……否。抹消で」
ターニャは短く答えた。彼女の語調は淡々としていたが、決定の重さは現場全体を数秒凍りつかせるのに十分だった。
この国では“記録されないこと”が、何よりも速やかな死を意味する。報告書の一行に載らぬ者は、死体ですら存在とされない。
その判断の陰には、もう一つの処分が隠れていた。告発者の男――地区教会の司祭補佐であった彼は、密告により地位を維持しようとしたが、処理後には“協力の履歴を抹消”するよう指示が出されていた。
利用され、忘れられる。それがこの国における忠誠の報酬だった。
「抹消――了解」
書記官が機械的に頷き、静かに書類の角を揃える音が、告別の鐘にも似て響いた。
ターニャはそれを聞きながら、ただ一点、足元に積もった“灰”に目を落とす。かつては木であり、紙であり、信仰であり、命であったもの。
それは今、単なる“燃え残り”に過ぎない。
だが、彼女は何も言わない。ただ書類を閉じ、開襟の制服の胸元を整えながら、曇り始めた空を見上げるのだった。
この国がどこへ向かうのか――その答えは、風に運ばれる灰の行き先と共にある。
1000文字弱はやっぱり短い気がしますね…。
文字数含めて読み応え重視で頑張ります。
次に読みたい展開はどちらですか?(※構成上、前後する可能性あり)
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イギリス戦方面
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帝国内政(モレル関連)