ロッテルダムの黒煙がまだ地図の端に残っているころ、主力の刃は別の場所で深く入っていた。
アルデンヌへ入る道路は、勝利の街路ではなかった。森が近く、道幅が足りず、曲がり角が多い。そこへ陸軍の装甲部隊が縦に伸びて進む。先頭から最後尾まで、見渡して数えられる長さではない。戦車、装甲車、弾薬車、燃料車、整備車、野戦炊事車、伝令用の二輪車。履帯が地面を噛む音と、車輪が泥を切る音が重なって、道そのものが唸っているように聞こえた。
ターニャの車列は、その横へ無理に割り込まなかった。割り込めば止まる。止まれば、後ろの列まで固くなる。今ここで一番嫌うべきなのは、敵の砲弾より自軍の渋滞だった。
道路脇には、すでに壊れた車列が並んでいる。軸が折れた荷車、片輪を失った乗用車、荷を捨てて逃げたトラック。軍の車両も混じっていた。泥に半分沈んだ燃料缶、引きちぎられた牽引用ワイヤー、開いたまま閉まらない工具箱。誰かが直そうとして、途中で置いていった痕だ。
整備兵が路肩にしゃがみ、泥だらけの手で転輪を叩いていた。別の兵は給油ホースを引きずり、順番待ちの車へ燃料を回している。車体の側面には泥が厚くこびり付き、部隊章も見えにくい。それでも、陸軍の装甲師団だと分かるのは、列の組み方で分かる。先に行くべきものが先にいて、後ろへ下げるべきものが脇へ寄せられている。形が崩れていない。
セレブリャコーフが窓の外を見ながら、控えに書き込んでいた。
「先行部隊の通過速度、予定より速いです。ただ、補給車両が後ろで詰まり始めています。給油点が一つ足りません」
「足りないなら増やせ、で済む段階は過ぎた。増やす場所を選べ。道路の曲がり角に置くな。止まった車が視界を切る」
「承知いたしました。直線部と分岐の手前を避けます」
ターニャは前方の列を見た。装甲部隊の進み方は、ただ速いだけではない。前を食い破って終わりではなく、止まらず、そのまま奥へ刺していく。軍の連中は縦深突破と呼ぶ。言葉だけ聞けば難しそうだが、要するに前の壁を壊したあと、そこで満足せず、勢いのまま後ろの柔らかいところまで入り込む動きだ。だから追いつけなくなる。敵も、味方の補給も、後ろの事務も。
その追いつけなさを埋めるのが、今の仕事だった。
道路の右側で、武装親衛隊の兵たちが簡易の交通統制所を作っていた。木箱を二つ並べ、白布を張り、通行札を確認するだけの粗末なものだ。だが、粗末でも線が引かれているだけで違う。通してよい列、寄せる列、止める列。その三つが分かれている。
親衛隊の兵が、燃料車の列を左へ逃がし、弾薬車は本線へ戻す。憲兵が別の口で民間車両を押し止める。陸軍の交通将校が地図を片手に怒鳴り、運転手がそれに従う。怒鳴り声が多いのは、統制が利いている証拠ではない。声が多い場所ほど、手順が追いついていない。
ターニャは車を降りた。森の湿り気と、燃料の臭いが混ざって鼻に入る。遠くで砲声が鳴っている。重い音だ。前線はまだ先だが、音の近さで距離感が狂う。
陸軍の交通将校がこちらへ駆け寄ってきた。階級章は少佐。若くはないが、ここ数日まともに眠っていない顔をしている。
「国家保安本部から来られた方ですね。こちらはご覧の通りです。前へ送る車両が多すぎます。補給と整備が同じ道へ乗り、捕虜まで流れ込んできた」
「結論から申し上げます。道を三つに分けてください。装甲部隊の本流、補給、捕虜と民間です。同じ路肩に寄せると、全部が遅れます」
将校は疲れた顔のまま、すぐに反論はしなかった。
「道は一本です」
「一本でも流れは分けられます。脇道と空き地を使ってください。整備待ちと捕虜を本線から外してください。少なくとも、戦車の前で荷車を止める状況は終わらせられます」
将校は息を吐き、地図を開いた。
「この先に伐採地があります。そこへ補給車を溜めるのは可能です。ただ、警備が足りない」
「警備はこちらで噛ませます。親衛隊の治安要員を回します。条件があります。受領する部隊名と担当者名を先に書いてください。後で『誰の溜め置きだったか分からない』をやられると、私はそれを潰す手間が増えます」
将校は小さく笑った。苦い笑いだった。
「分かりました。書きます。こちらも、消えた燃料車の責任を被る気はありません」
「代替路は」
「森道が一本あります。ただし細い。二輪と小型車向けです」
「伝令と通訳はそちらへ回してください。本線に残す必要がありません」
「了解しました」
話はそれで終わった。ここで長くやり合っても、道は広がらない。
セレブリャコーフがすぐ横へ来て、控えを差し出した。
「伐採地の位置、通訳用の脇道、捕虜の待機地点。仮の区分を作れます」
「作れ。色を分けろ。燃料は青、弾薬は赤、捕虜は黒でいい。民間は線だけ残せ」
「承知いたしました」
彼女が紙へ鉛筆を走らせるあいだにも、装甲部隊の列は止まらない。戦車の砲塔が泥を被り、乗員が半身を出して前を見ている。歌う者はいない。今はまだ、速度の中にいる。浮かれるには早い。
道路の先で、工兵が橋材を運んでいた。セダン方面の渡河に備えた準備だ。渡河といっても、読者が思うような優雅なものではない。対岸がまだ生きている状態で、川を越える。その一瞬だけ通路を作る。失えば終わりで、通せば一気に広がる。
丘の上に設けられた観測所へ移ると、風の質が変わった。森の匂いより、火薬の匂いが強い。対岸の地形が見える。川、土手、その上の道路、さらに奥の集落。陸軍の砲兵が撃ち込み、空軍がその先を叩く。役割がはっきり分かれていた。地上が押さえ、空が崩す。
急降下爆撃機が列を組んで入ってきた。高い位置から落ちるのではない。狙いを付けて、一気に頭を下げる。見ているだけで胃が持ち上がる角度だ。機体が鳴き、次の瞬間、対岸の土手の裏で爆発が重なった。土が吹き、木片が飛び、白い煙が短く立つ。砲座が沈黙する。機銃が止む。止んだ時間は長くない。だが、長くなくていい。その短さで、工兵が前へ出る。
川岸にいた舟艇が押し出された。兵隊が身を低くし、オールを入れる。別の地点では浮橋材が下ろされ、索が引かれ始める。対岸を完全に掃除したわけではない。掃除し切れないから、黙らせた隙に渡る。
陸軍の下士官が観測所の下で叫んだ。
「今です! 今なら行けます!」
それに応じて、別の兵が走る。走りながら伝令を飛ばす。誰かが旗を振り、誰かが河岸へ飛び込む。音だけなら混乱に見える。だが、混乱ではない。短い通路が開いたから、そこへ人と物を押し込んでいるだけだ。
ターニャは双眼鏡を下ろした。見えたものは十分だった。問題は、渡る兵隊ではない。その後ろへ続く車両と補給と拘束者の流れをどう分けるかだ。渡れた瞬間から、全部が一斉に前へ行きたがる。
観測所の脇に設けられた机へ歩み寄ると、陸軍の通信将校が電話機にかじりついていた。机の上には泥だらけの地図、濡れた鉛筆、空になった薬莢入れが転がっている。彼は受話器を押さえたまま振り向いた。
「渡河点の一つが使えます。もう一つはまだ危ない。ですが後続が前へ出たがっている。警備も捕虜も、みんな同じ道に殺到します」
「それを止めに来ました。結論だけ申し上げます。渡河点の後背は、軍の交通整理だけでは足りません。治安要員を入れます。捕虜、住民、工兵資材、燃料を同じ曲がり角へ寄せないでください」
通信将校は受話器を耳に押し付けたまま眉を寄せた。
「そんな余裕は――」
「余裕の話ではありません。区分の話です。曲がり角の先を二つに割ってください。右は工兵資材と弾薬、左は負傷者と捕虜。燃料車はさらに後ろで待たせる。今前へ出すと、弾薬車と喧嘩します」
将校は数秒だけ黙り、それから受話器の向こうへ何かを怒鳴った。相手へではなく、周囲へ向けた声だった。
「右が工兵と弾薬、左が担架と捕虜だ! 燃料はまだ上げるな!」
受話器を押さえたまま、彼はターニャへ顔を戻した。
「これでいいですか」
「ええ。あと、渡河点の入口で身元確認をやるな。確認は一つ後ろでまとめてください。前で止めると舟が空になります」
「了解しました」
そのやり取りの最中にも、急降下爆撃の第二波が対岸を叩いた。今度は土手の少し奥だ。道路上にいた車列が散り、白煙が帯のように伸びる。対岸の砲火が弱まる。川面を渡る舟の数が増えた。短い通路が広がったわけではない。通ってよい瞬間が、もう一度来ただけだ。
セレブリャコーフが観測所まで上がってきた。息は乱れていないが、靴には泥が厚い。
「後背の区分、仮の掲示文を作成しました。通す、待たせる、戻す。三種です。現地の陸軍へ渡せます」
「渡せ。掲示は手書きでもいい。読めれば足りる。文言だけ揃えろ」
「承知いたしました」
彼女が控えを捌いている横で、EVAが立っていた。相変わらず音がない。いつからいたのか分からない。黒い手帳を開き、細い鉛筆で何かを書き足している。
「何だ」
「未処理。増える」
「どこで」
「渡河点。捕虜。通訳」
必要な箇所だけが抜き出されている。
「通訳は捕虜側へ寄せろ。工兵に付けるな。工兵は動きが止まる」
「回す」
EVAはそれだけ言って、すぐに別の位置へ移った。目立たないが、渡河点も観測所も両方見える場所だ。
丘の下では、親衛隊の治安要員が道路脇へ白布の札を打ち始めていた。矢印、番号、区分。派手さはない。けれど、札があるだけで運転手は迷う時間を減らせる。迷わなければ、前の車へ余計に近づかない。近づかなければ、列が潰れない。
ターニャはその動きを見ながら、もう一度対岸へ目を向けた。陸軍の兵が川を越え、土手にへばりつき、さらに上へ這い上がる。上空では空軍がまだ回り続けている。地上と空が別々に勝っているのではない。噛み合っている。噛み合っているから、装甲部隊が止まらず奥へ刺す動きが現実になる。
問題は、その現実に後ろが引きずられることだった。
丘の下から、別の通信兵が駆け上がってきた。帽子を押さえ、封筒を差し出す。
「後方整理の要求です。道路統制について、追加の指示を求めています」
ターニャは封筒を開け、中身を一読した。要求は予想通りだった。渡河点の一つが使えたことで、すでに後続が前へ寄り始めている。補給は早く入れたい。捕虜は早く下げたい。負傷者は止められない。全部が正しい。全部を同じ道へ入れれば、全部が遅れる。
「少尉、追加の統制案を書け。渡河点ごとに時間帯を分ける。今から二時間は工兵と弾薬を優先、その後に燃料。その間、捕虜は右岸で待たせろ」
「承知いたしました。右岸待機の場所は」
「観測所の下の伐採地だ。木陰がある。監視も付きやすい」
「承知いたしました」
陸軍の通信将校がこちらの会話を聞いていたらしく、受話器を肩で挟みながら言った。
「それで本当に回ると思いますか」
「回すしかありません。今は速い部隊に全部が引っ張られています。後ろが自分の判断で前へ出ると、橋材も燃料も同じ場所で止まります。そこで止まれば、次の渡河が遅れます」
将校は渋い顔のまま頷いた。
「分かりました。こちらで徹底します」
「徹底するだけで足りないなら、違反した車両を一度脇へ外してください。一台見せしめに寄せるだけで、列は言うことを聞きます」
「了解しました」
観測所の上では、歓声はまだ上がっていなかった。上げる段階ではない。対岸で陣地を押さえた連中も、河岸で送り出す連中も、まだ手を止めていない。だが、空気は変わり始めている。押し返される気配より、押し込める感触が強い。
それが一番危ない。勝ち筋が見えた瞬間、人は早くなる。早くなりすぎると、道を壊す。
ターニャは観測所の机で新しい統制文案に目を通した。鉛筆の線がまだ湿っている。通す順番、待たせる場所、署名者、時刻。余計な美辞麗句はない。あるのは処理だけだ。
丘の下から、何人かの兵が笑う声がかすかに聞こえた。まだ歓声ではない。張り詰めたまま口角が上がっただけの声だ。次の電文が来れば、あれはもっと大きくなる。
通信兵がまた一人、坂を駆け上がってきた。今度は手に細長い伝票を握っている。顔つきが違った。まだ言葉にする前の、あの顔だった。
ターニャは伝票を受け取る前に、セレブリャコーフへ視線を向けた。
「次が来る。控えを分けておけ。前進報と交通統制を同じ束にするな」
「承知いたしました」
丘の上の風が、さっきより軽く感じられた。対岸の煙はまだ消えていない。川もまだ危ない。けれど、前線を線として保っていた何かが、今まさにほどけようとしていた。
報告は、歓声より先に届いた。
伝令が坂を駆け上がってきたとき、丘の下の兵隊たちはまだ仕事の顔をしていた。泥を蹴り、索を引き、車列を押し返し、燃料車の鼻先を脇へ向ける。だが、伝令の持つ細長い伝票を見た瞬間、空気が変わる。勝ったと叫ぶ前に、皆が同じことを理解した。前で持ちこたえていた線が、もう線の形を保っていない。
通信将校が伝票をひったくるように受け取り、目を走らせた。煤と汗で黒くなった顔に、はっきりと色が戻る。
「突破が通った。セダン正面、押し広げている。対岸の抵抗は崩れた!」
今度は歓声が上がった。大声だった。誰かが帽子を振り、誰かが拳を上げ、斜面の下では兵が歌い出した。きちんとした軍歌ではない。節回しが崩れ、喉だけで押し出すような歌だ。別の場所では、戦車の砲塔から身を乗り出した兵が手を叩いている。工兵が橋材の上で笑い、給油班の若い兵がホースを振り回しそうになって、上官に殴られかけた。
ターニャはそれを咎めなかった。ここで口を挟んでも無駄だ。熱を消そうとしても消えない。ならば、その熱が事故へ変わる前に、手順を一枚増やすほうが早い。
「少尉、今から二十分が危ない。勝手に前へ出る車を止めろ。給油点の札を増やせ。橋材と弾薬の列に、燃料車を混ぜるな」
「承知いたしました。札を二系統に増やします。色分けも続けます」
「捕虜の待機地も動かすな。浮かれた兵に話しかけさせるな。人数が狂う」
「承知いたしました」
セレブリャコーフはすぐに控えの束を抱え直し、観測所の下へ駆けていった。小柄な体に不釣り合いな量の書類だが、歩幅は乱れない。彼女が走る先で、親衛隊の兵たちが白布の札を打ち替え始める。番号札の横に新しい札が追加される。通行禁止、待機、給油、弾薬、橋材。文字が増える。文字が増えるほど、浮かれた兵でも迷いにくくなる。
丘の下では、装甲部隊の縦列がさらに長く伸びていた。突破が通ったと知った途端、前へ行きたがる車両が増える。戦車はまだいい。厄介なのは、装甲車、通信車、二輪車、それに便乗したい各部署の車だ。自分の用件が急ぎだと思っている連中ほど、列を乱す。
親衛隊の治安要員が、路肩へ半壊した荷車をもう二台引きずってきた。即席の障害物だ。道を塞ぐためではない。勝手に脇道へ入ろうとする車を絞るためだ。黒服の兵が二人、そこに立つ。立ち方が無駄に整っている。整いすぎていて、逆に近寄りづらい。こういう時の親衛隊は、目立つ。目立つが、今はその目立ち方が役に立つ。
下から、陸軍の大尉が怒鳴りながら上がってきた。怒鳴っているが、内容はまともだった。
「前へ出ようとする伝令車が多すぎる! 誰も彼もが自分の報告が最優先だと思っている!」
ターニャは観測所の机から離れずに答える。
「本流へ戻す必要はありません。伝令は森道へ回してください。二輪と小型車だけ通す。歩兵の伝令も混ぜてください」
「森道は細いぞ」
「だから二輪と小型車だけです。使える車両を選んでください。選ばないと本線の速度が死にます」
大尉は舌打ちを飲み込み、頷いた。
「分かった。そうする」
去っていく背中に、別の兵が帽子を振って叫んだ。
「セダンだ! 通ったぞ!」
その叫びに、また別の歓声が重なる。声が坂に跳ね返り、森の端まで広がった。
ターニャは伝票を一枚取り上げ、通行統制の案へ追記した。勝利の熱は空気を軽くする。その軽さで、兵は走る。走れば、荷が落ちる。荷が落ちれば、後ろが止まる。止まれば、せっかく開いた穴へ燃料も弾薬も届かない。熱そのものは悪くない。悪いのは、熱で順番を忘れることだ。
EVAが観測所の脇へ立った。帽子の影で目元が隠れている。
「増加。逸脱」
「どこだ」
「伝令車。無許可。三台」
「札を見せろ。それでも従わないなら脇へ出せ」
「処理済み」
「早いな」
「今なら止まる」
それだけ言って、EVAは下へ降りていった。伝令車が素直に止まるのは、今が勝っている時間だからだ。負け始めたら、誰も止まらない。
観測所の向こう、対岸では陸軍の兵がさらに奥へ進んでいた。川を越えた先で、道路沿いの家屋を押さえ、対戦車砲らしき残骸が土手の脇に転がっている。空軍の機影もまだ見える。急降下爆撃は減ったが、戦闘機が低く回っていた。空が静かではない場所ほど、地上の押し込みが続く。橋が残り、通信線が生き、後ろの列が前へ流れる。あの連鎖が、今はまだ切れていない。
その時、観測所の電話が鳴った。通信将校が受話器を取る。顔が一気に険しくなった。彼は数秒聞き、舌打ちしそうな口を閉じたまま受話器を押さえる。
「陸軍参謀本部側の連絡だ。中佐が直接話すという」
名前を聞くまでもなかった。こういう時に数字を持ってくるのは、あの男だ。
受話器を差し出され、ターニャはそれを受け取った。声を整える。相手は国防軍の中佐。ここでの応答は、最初から公式口調だ。
「少佐です。どうぞ」
受話器の向こうで、レルゲンの声が低く響く。疲労はあるが、言葉の端が崩れていない。
「そちらは景気がいいようだが、数字は悪い。前進が速すぎる。給油車が追いついていない。道路も細い。今の流し方では、後ろで列が固まる」
ターニャは一拍も置かない。
「承知しました。補給の責任者は誰ですか。氏名と所属をこちらへ回してください。代替ルートは森道を小型車専用に切りました。本線は工兵資材、弾薬、装甲部隊の順で流します」
レルゲンはすぐに返す。
「森道だけでは足りない。燃料車の待機場所も要る。今のままだと、橋材の列とぶつかる」
「待機場所は伐採地へ移しました。管理は親衛隊が受けます。条件として、陸軍側の受領責任者を今日中に決めてください。時刻は十八時までで結構です」
「十八時か。短いな」
「短くしないと、夜にずれ込みます。夜に入ると道路の整理が落ちます。ですので、十八時です。間に合わないなら代理者名を出してください」
受話器の向こうで紙をめくる音がした。レルゲンは感情で押さず、数字で押す男だ。だから話が早い。
「分かった。補給の責任者名は回す。だが、もう一つある。浮かれて勝手に前へ出る車両が増えている。貴様のところで止められるか」
「止めます。無許可車両は脇へ外し、復帰は許可証の再確認後にします。処理の担当は国家保安本部側で受けます。そちらは違反車両の所属だけ拾ってください」
「了解した。では、その形で回す。時間を無駄にするな」
「承知しました。十八時までに担当者名をお待ちします」
そこで通話は終わった。長引かなかった。十分だ。
ターニャは受話器を戻し、すぐにセレブリャコーフを探した。彼女はもう観測所の階段を半分まで上がってきていた。
「レルゲン中佐からですか」
「そうだ。補給の責任者名が十八時までに来る。それを待つ間、違反車両を外せ。復帰条件は許可証の再確認だけに絞れ。説教は要らない」
「承知いたしました。違反車両の控えも別束にします」
「補給待機地の受領欄を空けるな。陸軍の名前が来たらすぐ入れろ」
「承知いたしました」
彼女がまた下へ走る。途中で泥に足を取られかけたが、転ばない。書類も落とさない。そこだけは感心していい。
歓声はまだ続いていた。下の道路では、兵が帽子を振り、戦車の上から誰かが喉を潰しそうな声で歌っている。工兵の一人は橋材の上に座り込み、水筒を回し飲みしていた。誰も止めない。今はその数分を取り上げるより、その後に起きる衝突や転落を減らしたほうが得だ。
ターニャは観測所の机に新しい文案を追加した。
無許可車両は脇へ出す。復帰は許可証確認後。燃料車は伐採地待機。橋材と弾薬は本線優先。伝令は森道へ分流。捕虜は右岸待機のまま、日没後に移送。
文言は簡潔だ。簡潔でないと、喜んでいる兵は読まない。
下から親衛隊の兵が一人、報告に上がってきた。若い顔だが、息が整っている。
「無許可車両、三台を脇へ出しました。二台は通信、一台は補給局の連絡車です。運転手が文句を言っています」
「言わせておけ。許可証が揃えば戻せ。揃わないなら、そのまま置け」
「了解しました」
兵はすぐに走り去った。後ろ姿まで速い。無駄がない。そういう動きは、今の親衛隊にはよく似合う。賛美ではない。視覚の話だ。黒い制服と早い動作は、それだけで人を押しのける。
対岸の道路で、さらに奥へ向かう装甲車列が見えた。もう川岸の戦いではない。押し広げた穴へ戦力が吸い込まれていく。前線という言い方が、少しずつ合わなくなる。線ではなく帯になる。帯になれば、後ろの処理がもっと重くなる。
(何でこうなる)
頭に浮かんだ言葉はそれだけだった。勝っているのに楽にならない。むしろ速度が増すほど、後ろは忙しくなる。
その考えを口に出す価値はない。ターニャはすぐに視線を現実へ戻した。
EVAが、今度は小さな板札を手に戻ってきた。白布ではなく板に墨で書いてある。
「これ。追加」
板には、太い字で「許可証確認車両」と書かれていた。脇へ外した車の前へ立てる札だ。
「悪くない。数を増やせ。字は大きくしろ。運転手は読まないが、後ろの兵が読む」
「増やす」
「伝令用の札も作れ。森道の入口で迷わせるな」
「了解」
EVAはまた消えた。必要なものだけが残る。
夕方へ近づくと、歓声は少しずつ散り、代わりに興奮の余熱が残った。兵はまだ笑っている。帽子を振る者もいる。だが、橋材は運ばれ、給油は続き、違反車両は脇へ出されている。熱を消したわけではない。熱の流れる先へ柵を置いただけだ。
セレブリャコーフが戻ってきて、新しい控えを机へ置いた。
「違反車両の整理、進んでいます。補給待機地も形になりました。陸軍側の受領者名は、まだです」
「十八時までは待つ。それまでに来なければ代理名で受けろ。空欄のまま夜に入れるな」
「承知いたしました。代理名の雛形も用意します」
観測所の下では、親衛隊の兵が脇へ外した車両の前に板札を立てていた。その列を見た兵たちが、さっきまでの勢いで割り込もうとして、思い直したように本流へ戻る。たったそれだけで違う。柵も札も、戦車ほど強くはない。だが、列を守るには十分だ。
レルゲンからの折り返しは、十八時を待たずに来た。今度は文書だった。受領責任者の氏名、所属、代替路の承認、待機地の扱い。必要な欄が埋まっている。さすがに仕事が早い。
ターニャはそれを確認し、セレブリャコーフへ渡した。
「入れろ。これで待機地が正式になる」
「承知いたしました」
陸軍の通信将校が横から覗き込み、少しだけ肩の力を抜いた。
「これで今夜は持ちますか」
「持たせます。少なくとも、自分たちの車で自分たちを塞ぐような真似は減ります」
将校は苦く笑った。
「それだけでも助かる」
丘の上から見下ろすと、森の切れ目の先まで列が続いている。装甲部隊の進撃はまだ止まらない。前はさらに奥へ入り、後ろはそれを追い、空はその上を覆う。勝利の熱はある。だが、それを支えるのは歌でも歓声でもない。通行順、待機地、札、受領者名、時刻。そういうものだ。
ターニャは観測所の机で最後の欄を埋めた。突破は通った。ならば次は、その速さに潰されないよう、後ろを整えるだけだった。
オリジナルになりすぎてきたので、主人公がターニャじゃなくてもナチ系の話書きたいなぁと思ってます。
こちらはちゃんと書き進めるのでご安心ください!
次に読みたい展開はどちらですか?(※構成上、前後する可能性あり)
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イギリス戦方面
-
帝国内政(モレル関連)