とある魔術と超能力者   作:和菓子

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急展開に次ぐ急展開に鬱展開の始まり始まり。
急展開故に意味の分からないところや、下手くそ過ぎで鬱展開(失笑)なところが多々あると思いますが、ご不満があれば見逃さずにピシパシ(ビシバシに非ず)ご指摘くださると泣いて喜びます。
……ここでビシバシご指摘ください待ってますと言えないのが作者のヘタレっぷりを表してますね、ハイ。
それでは、ヘタレな作者に失笑をかましつつお暇を潰しちゃってください。



1-10.力と勇気 Power_in_Your_Hand

 佐天は鼻歌交じりに街を歩く。

 彼女は有り体に言って浮かれていた。容赦なく肌を照りつける夏の陽射しですら一種の祝福のように感じていたのだ。

 そんな佐天を見て、初春は思わず苦笑する。よほど良い事があったらしい。ここまで機嫌の良い佐天を見るのは久しぶりだった。

 そう考えると初春も何だか嬉しくなってきて、佐天に合わせて鼻歌を歌った。

「おお? 初春この歌知ってたの?」

(ひと)(つい)(はじめ)ですよね? 佐天さんがこの前聞いてたじゃないですか」

「よく覚えてたね」

「あはは……」

 照れくさそうに笑う初春に頬を弛めて、佐天は上機嫌で街を歩く。

 道行く学生達、学園都市らしい多種多様な実験店舗、遠くの方には職員専用の高級マンションも見えていた。いつも通りの第七学区が、佐天には何だかきらきらと輝いて見える。

 幻想御手はどうやら使う前から佐天に変化をもたらしているようだ。

 そんな事を考えながら笑顔で歩いていると、ふと視界に入ったファミレスの中、佐天はたった数日でもう見慣れてしまった友人の姿を見つけた。隣を歩く初春もそれに気づいたようで不思議そうに首を傾げている。

「あれ? 御坂さんに白井さんと……誰でしょう」

 不審げな初春に構わず、佐天はにっこりと笑みを深めて走り出す。

「誰だろうね? ま、とりあえずとつげーき!!」

「佐天さん!?」

 初春は慌てて後を追った。

 

 

 

 冷房の効いた場所という条件で美琴達が真っ先に思い浮かべたのは、第七学区に店舗を構える至って普通のファミリーレストランだった。七月二十日、夏休み初日という事もありなかなかに盛況な様子だ。やはり夏休みの初日から自宅にこもって宿題と格闘する、などという猛者は少ないらしい。宿題自体がない美琴達には馴染みの薄い話なのだが。

 そんなファミレスの中はすっかり冷えていて、窓ガラスから注がれる明るい日の光とは何ともちぐはぐだった。

 日光に目を(しばた)かせながら、真っ黒なコーヒーの入ったコップをテーブルにことりと置き、木山が億劫そうに口を開く。

「それで、幻想御手(レベルアッパー)とはどういったシステムなんだ? 形状は? どうやって使う?」

「……まだ、分かりませんの」

 テーブルの向こうで黒子が悔しげに唇を噛むのを見て、その隣に座っていた美琴は苦笑した。

 どうやら黒子も美琴の怪我を気にしているらしい。大げさな、と美琴は思う。

 難儀な事だ、黒子も佐天も少し真面目過ぎる。特に佐天はそれを隠す傾向があった。明朗快活が偽りというわけではないだろうが、彼女の本質はとても生真面目だ。出会って日の浅い美琴にもはっきりと分かってしまうほどだというのに、何故か彼女はそれを隠したがる。いくら考えても、美琴にはその理由がさっぱり分からない。

 ままならないな、と美琴は頬杖をついたままため息を零した。木山はそんな美琴を興味深そうに見つめていたが、ふと黒子に視線を戻して言った。

「とにかく……君達はそれが昏睡した学生と関係しているのではないかと……そう考えてるわけだ」

 黒子が頷くのを見て木山が訝しげに目を細める。何かを見極めようとしている、そんな印象を与える目だった。木山の様子に気づくことなく、黒子は言葉を続けた。

「重ねての説明になりますが、能力を向上させるという事は脳に干渉するシステムである可能性が高いと思われますの。ですから、もし幻想御手が見つかったら、専門家である先生に是非調べて頂きたいんですの」

 黒子がそう言ったのを聞いて、木山の表情がほんの少し弛む。

「むしろこちらから協力をお願いしたいね。大脳生理学者として興味がある」

 聞いて、美琴達は安心したように息をついた。そこに木山が続けて、

「ところで、さっきから気になっていたんだが……」

 窓の外、ガラスで隔たれた炎天下の街並みへと目を向けた。つられて美琴達もそちらを向いて、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔になる。木山の不思議そうな視線の先には、

「あの子達は知り合いかね?」

 窓ガラスに張りついてにっこり笑う佐天と、その一歩後ろで会釈する初春がいた。

 そんなこんなで、佐天達と美琴達が合流する運びとなった。

「ほぇー」 

 冷えきったファミレスの中、感心したように息を吐いて、初春が冗談交じりに言う。

「脳学者さんなんですか、……はっ、白井さんの脳に何か問題が!?」

「幻想御手の件で相談してましたの……」

 うんざりした様子で黒子が呻く。この友人、時々普段のお返しとでも言わんばかりに黒子に毒を吐くのだ。不意打ちは反応に困るのでやめてほしいと黒子は正直なところ思っていた。

 そんな黒子に、佐天がニカリと笑ってポケットの中を探りながら、

「あぁ、それなら――」

「黒子が言うには、幻想御手の所有者を保護するんだって」

「――ぇ?」

 美琴が黒子の言葉を継いだ。佐天の呼吸が止まる。

「どうしてですか?」

 尋ねた初春は風紀委員(ジャッジメント)の顔をしていた。表情を切り替えて黒子が答える。

「調査中ですのではっきりしたことは言えませんが、使用者に副作用がある可能性があることと、それに……」

 周囲の雰囲気が変わった。初春と黒子の作り出す非日常の空気に、美琴と木山が表情を引き締める。冷たい空気の中、黒子がおずおずと言った。

「容易に犯罪に走る傾向が見受けられまして……」

「……」

「そう、ですか……じゃあ最近やけに犯罪が多かったのも」

「ええ、おそらくは幻想御手が原因ですの」

 佐天だけが、取り残されたような困惑の表情を見せる。美琴はため息をついて押し黙る佐天に話しかけた。

「ホント、佐天さんが話してた都市伝説が大変な事になっちゃったわね」

「……」

 返事はない。彼女は日常と非日常の狭間でひたすらに揺れていた。宙で不自然に止まった右腕が微かに震え、それに合わせて、掴んだはずの希望(レベルアッパー)が怯えたように揺らぐ。

 認めてもらえると思っていた。手助けができると思っていた。借りを返せると思っていた。

(でも、違った)

 佐天は俯く。頭の中はぐちゃぐちゃだった。そんな彼女を不審に思ったのだろう、美琴達の視線は佐天に集中していた。

「佐天さん、どうしました?」

 初春の声に佐天の体が跳ねる。罰に怯える子供のようだった。

「え、いや……別に。ホント大変ですよねー! あはは」

 掴んだ音楽プレーヤーを慌てて懐に仕舞い、取り繕うように曖昧な笑顔を作る。目下の幻想御手の事もあり、美琴達は首を傾げるだけだった。

 

 

 

 橙色の斜陽が佐天の顔を照らしていた。ふと数メートル先を見やれば、木山と初春に黒子が何かを話している。幻想御手の事だろうな、と佐天は釈然としない気持ちで思う。

 自分は何の役にも立たない。

 御坂美琴は学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)。白井黒子は大能力者(レベル4)で風紀委員。佐天に最も近い初春でさえ風紀委員であり、類い稀な情報処理能力を有している。

 しかし、佐天涙子は無能力者(レベル0)だ。

 自分は、何の役にも立てない。

 それでも、幻想御手を差し出せば役に立つことはできるだろう。彼女達はいまだその正体に辿り着いていないのだから。

 でも、怖かった。保護されることでも、罰を受けることでもない。

 

 友達に軽蔑されることが、一番怖かった。

 

 ポケットの中身を差し出せば、初春達の調査は飛躍的に進むだろう。二、三日後にはあっさり解決、なんていうのもあり得るかもしれない。

 しかし、それが原因で初春達に軽蔑されたら? ファミレスでの会話が、初春達の表情が、佐天の思考に纏わりついて離れない。あり得ないとは言い切れなかった。

 何故もっと早くに言わなかったのかと黒子に責められるかもしれない。

 こんな物を使ってまで能力者になりたいのか、と美琴に軽蔑されるかもしれない。

 イカサマをした佐天を、初春は許してくれないかもしれない。

 それだけが、ひたすらに怖かった。

 思わず佐天は走り出していた。夕陽の照らす街並みを、途中何度も躓きながらも駆け続ける。美琴達から逃げるように走って、辿り着いた先は人気(ひとけ)のない橋の下だった。

 冷たいコンクリートの橋脚が沈んでゆく太陽の光を遮るように並び、地面に暗い影を落としていた。その一つ、子供の悪戯のような落書きが施されたそれに背中を委ね、荒くなった息を整える。

 左手にはまだ幻想御手(レベルアッパー)が握られていた。

 初春達に嫌われたくない。でも、求めてやまなかった希望を容易く手放すこともできなかった。

 憧れは、捨てられない。

 友達に嫌われたくない。

 どうすればいい? どうすれば――

「分かんないよ……!」

 頭の中をぐるぐる回る問いかけを断ち切り、佐天が小さく呟く。

 どうすればいいのか、いや、自分がどうしたいのか、佐天にはまるで分からなかった。佐天の頭にはもう、つい数時間前までの浮かれた気分など欠片も残ってはいない。

 と、そのとき、カツリという足音が響く。

「っ!」

 佐天の体が怯えで震える。恐る恐る、俯いた顔を上げた。視線の先にいたのは初春でも美琴でも、ましてや黒子でもない。

「オヤァ? お嬢ちゃん、ここは俺らの縄張りだぜぇ?」

 ニタニタと、醜悪な笑みを張りつけた不良が数人、舐めるような目で佐天を見ていた。佐天の表情が引きつけでも起こしたように歪む。思い出すのは三日前、あのときも佐天はこんな風に不良と対峙していた。そのときのことを考えるといまだに背筋が凍る。

「使いてぇならショバ代払ってもらわねぇとなぁ!!」

「くっ……」

 唇を噛む。ただ一つ、あのときとは致命的に違っていた。

 震える彼女の前に主人公(ヒーロー)はいない。たった一人で不良に向かっていく勇気も今はもうない。

 他人どころか、自分を守るための『力』すら、佐天は持っていなかった。

 『力』がないから、主人公になれない少女は独り、どうしようもなく震えていた。

「何なら体で払ってくれてもいいんだぜ?」

 下卑た表情を浮かべ、男が佐天の華奢な腕を掴む。

「いやっ、やめてっ!」

 佐天の叫びは届かない。手のひらの中の幻想御手も、今は何の役にも立たなかった。

(やだっ、怖いよ。誰か、助け――)

 風は、吹いてこない。ゴツゴツとした男の指が佐天の頬をねぶるように撫でた。鳥肌が立つ。ただひたすらに、嫌悪と恐怖だけが佐天を満たしていた。

「おぉ? いいねぇ。影で見えなかったが、結構キレイな顔してんじゃねぇか!」

 男の口元がつり上がる。荒い呼気が腐臭のようにおぞましく、佐天の鼻腔を刺激した。

 野獣に食われる動物はこんな気持ちなのだろうか。現実逃避に思考を働かせながら、佐天は近づく男の顔から逃げるように目を瞑った。そんな佐天に気を良くしたのか、鼻を突くような異臭はどんどん強くなっていった。

(私じゃ、無能力者じゃ、駄目なのかな)

 閉ざした瞳が生んだ暗闇の中、佐天は諦めたように笑う。

(また、何もできないのかな……?)

 この世の全てに嫌気が差したような、そんな、どうしようもない虚しさ。

 諦めたように、何もかもを受け入れて。受け入れ、かけて、

(そんなの、嫌だ!)

 閉ざした視界の外、雷の落ちる音がした。困惑しながら、佐天はうっすらと瞼を開けた。

 紫電が力強く閃く。

 街灯の淡い光が、陽炎のように朧気に揺れる。太陽が地平に沈み、あらゆるものが紫紺に溶ける黄昏の中、その少女は立っていた。

「佐天さん、大丈夫?」

「御、坂さん? ……どうして」

 佐天は呆然と目の前の少女を見つめる。御坂美琴はかつてないほど怒っていた。地面に倒れる男達を蔑むように見下し、言葉を吐き捨てる。

「何ていうか、こういう奴らの思考回路は変わらないわね。……、これだから無能力者(スキルアウト)って嫌いなのよ」

 ボソリと呟いた冷たい声は、幸か不幸か、佐天の耳に届くことはなかった。

 安心した佐天の体が、糸の切れた人形のように倒れ込む。美琴がそれを慌てて受け止めた。佐天を落ち着かせようと、できるだけ、普段通りを意識して、

「帰りましょうか、送ってくわよ」

 

 

 前にもこんなことがあったな、と佐天は歩きながら思っていた。

「……すみません」

 紡いだ謝罪も以前と変わらない。全く成長していないな、と佐天は自嘲して笑った。いや、諦めかけた分、自分は前よりも弱くなってしまったのかもしれない。そう考えると体が重い。知らず顔が俯いていた。

「いいわよ別に、……」

 佐天の前を歩きながら、美琴はぶっきらぼうに言った。素っ気ない口調で、後ろに不自然な間を空けて。

『……気にしなくていいよ、先輩に世話を焼かせるのは後輩の特権だからね』

 佐天は思い出す。思い出して気がついた。不器用だな、と思う。どうやら美琴は佐天を慰めようとして、でも気の利いた言葉が出てこなくて、それで押し黙ってしまったらしい。

 カツコツと、靴音だけが響く。

 紫紺は、いつのまにか濁った藍色へと変わっていた。

「そういえば、御坂さんはどうしてあんな所に?」

 零れ落ちたのは純粋な疑問だった。どうして美琴があそこにいたのか本当に分かっていない、そんな表情。

「だって、急にいなくなるんだもん。心配するでしょ」

「ぇ?」

 何てことないように言う美琴に佐天の瞳が丸くなる。目尻を下げ、美琴は心配そうに尋ねた。

「……何かあったの?」

「い、いえ、何も」

 そうだ、何もない。自分には、彼女達に誇れるものなど、何一つ。なのに、何故?

「でも……」

「だ、だってほら、あたしだけ事件とかそう言うの関係ないじゃないですか」

 食い下がる美琴を作り笑いで誤魔化した。自分はただの一般人だからと、この事件には関係ないからと。

 違う。本当は、醜い自分をこれ以上自覚したくなかっただけだ。美琴達に嫉妬している自分が嫌で、幻想御手に頼らなければいけない自分が嫌で、彼女達から逃げ出しただけなのだ。

「私、風紀委員でも高位能力者でも、ないし」

 ――だから、お願いだから、そんな優しい目で見ないで。

 なのに、美琴の目はどこまでも優しかった。耐え切れず、思わず佐天は目を逸らしていた。

 目を逸らして、何となく、本当に何となく、佐天は鞄にくくりつけられたお守りを見た。学園都市にやって来る以前、母がくれたものだ。

『涙子。お母さん、ホントは今でも反対なんだからね』

 今でも、鮮明に覚えている。

『頭の中弄られるなんて、やっぱり怖いわ』

 あの頃、自分には夢と希望が溢れていて、学園都市に来ればその全てが叶うと本気で信じていた。

『はい、お守り』

 非科学的、と鼻で笑った。

『何かあったらすぐ戻って来ていいんだからね』

 それでも、母は優しく笑ってそう言った。

『あなたの身が何より一番大事なんだから』

 なのに、なのに、

 

 ――あたし、何やってんだろ。

 

 右手で、お守りをそっと握りしめる。言葉はもう止まらなかった。

「御坂さん」

「……どうしたの?」

「御坂さんには『力』がありますよね。……正直、羨ましいな」

「佐天、さん?」

「あたし、『力』が欲しいんです。誰かを守れる、助けられる、悲劇なんか起こさせない。そんな『力』が欲しいんです。ちょうど、さっきの御坂さんみたいな」

 だから、御坂さんのことが羨ましい。そう言って、佐天は泣きそうな顔で笑う。

「御坂さんはどうですか?」

 この街で、自分は何もできていない。

「御坂さんは、あたしのこと、いえ、――」

 それが、堪らなく嫌だった。

 

「――無能力者のこと、どう思っていますか?」

 

 日常が壊れていく気がした。いや、もしかしたらそんなものはとうの昔、この街に来たときから壊れ切っていたのかもしれない。

 学園都市の街並みが、濁った藍色の闇に沈んでいった。

 

 

 

 一晩経っても頭はまだぐちゃぐちゃだった。

 灼熱の太陽の下、重い足取りで一歩、また一歩、佐天は罪人のように歩を進めていた。

 脳裏に浮かぶのは昨日の夕方。凍ったように動きを止める御坂美琴の顔が、一晩たった今でも深く刻みつけられていた。

(……下らない事、聞いちゃったな)

 手のひらの音楽プレーヤーを弄びながら、思う。自然と、嘆くようなため息が出た。

「ホント、何やってんだろ……」

 いっそのこと、幻想御手など消してしまおうか。そう思って画面を見つめていると、不意に少年の声がした。佐天は反射的に振り返る。

「幻想御手、譲ってくれるんじゃなかったのか!?」

 声のした方には、男が四人。いかにもな男が三人と、もう一人はただの一般人のようだ。

「さっき値上がりしてさ」

 三人の男の一人が言った。続いて、もう一人が言葉を継ぐ。

「こいつが欲しけりゃ、もう十万持ってきてよ」

「だったら金を返してくれ!!」

 太った少年が焦ったように言った。

 返事は膝蹴りだった。鳩尾に突き刺さった強烈な衝撃に少年が悲鳴を上げる。

 悲鳴を聞き不愉快そうに顔を歪めながら、蹴りを入れた男が怒声を放った。

「うだうだ言ってねぇで金持ってこい!!」

「――ッ!」

「お前らのレベルがどれくらい上がったのか、そいつで試してみるか?」

 最後の一人、金髪の男が何か言っていたが、佐天にはもう聞こえていなかった。先ほどまでの陰鬱とした気分は鳴りを潜め、真っ直ぐな怒りが燃えていた。

(やめさせなきゃ……!)

 激情に任せ走り出そうとして、ふと、思い出す。

『でも、動き出す前に少し深呼吸しようね』

 そう言って笑う少女の顔を。

 ここにいない彼女に、焦るなと、そう諌められたような気がした。

(そうだ、落ち着こう。……まずは、警備員(アンチスキル)に連絡しないと)

 大きく吸って、吐く。小さく渇の声を出して、右手で携帯を取り出した。

「って、充電切れ?」

 取り出した端末の画面には赤色のバツマークが表示され、ピーピーと耳障りな警告音を吐き出していた。落ち着きかけていた佐天の思考が再び波立って揺れる。

(……どうしよう、どうすれば……)

 走って知らせる? いや、それでは時間が掛かりすぎる。佐天の今いるここはお世辞にも賑やかとは言えないし、誰か他の人間に通報してもらうとしても会えるかどうかは分からない。

 何より、佐天はもう逃げたくなかった。昨日のような無様はもうまっぴらだった。

「……」

 ゴクリ、と。自分の喉が鳴るのがやけにはっきりと聞こえた。左手に握りしめた音楽プレーヤーを見つめる。

 そこには、現状を打破しうる希望が収められていた。

(これを、使えば……)

 震える指でイヤホンを耳に着ける。まだ何も流していないはずのそれから、何故か声が聞こえた気がした。

『……、ごめん、ね? もう、すこし、はやかった、ら』

 御坂美琴は、自分の身を呈して他人を守る、佐天にとっての理想の主人公(ヒーロー)だった。

『そういう三下の台詞は、死亡フラグですわよ』

 白井黒子、彼女だって資質は持っている。

『佐天さんは佳茄ちゃんと一緒に今すぐ避難を!』

 初春飾利。風紀委員になって、彼女がどこか遠くに行ってしまった気がした。

『無事で、本当に良かった……』

 颯爽と敵を蹴散らした主人公はそう言って、佐天の無事を喜んでくれていた。

 

『勇気を無謀で終わらせない、そんな力が欲しいんです』

 

 主人公になれない少女は今まで、力もなくただひたすらに震えるだけだった。

 勇気を無謀で終わらせない、その力は今、佐天の手の中、左の手のひらに、確かに在る。

 これは裏切りだ。そんなことは分かっている。

 それでも、佐天は力が欲しかった。助けたかった。力のない人々が虐げられて、主人公が悪役に倒される。そんな結末は嫌だった。

 彼女達が手にしているような、他人を助けるための力。主人公にしか許されないそれが欲しかった。

 だから、主人公(ヒーロー)になりたかった。

 流れ出す不思議なメロディはどこかがおかしくて、歪な讃美歌のような印象を感じさせた。震える唇で、叫ぶ。

「待ちな、さいよ!」

「……あぁ?」

 振り向いたのは金髪の男だった。

「今すぐ、その人から離れて!」

 怖かった。体が震えた。逃げたかった。目を、瞑ってしまいたかった。

 それでも、佐天は逃げなかった。目は決して逸らさない。

「すぐに警備員が来るんだから!」

 精一杯の勇気を振り絞って、もう一度叫ぶ。

 返ってきたのは突き出すような蹴りだった。佐天の頬を掠め、轟音。背後の壁を冗談のようにへこませた。男は嘲笑を浮かべている。

「今、なんつった?」

 佐天の頭を鷲掴んで、嘲笑う。

「ガキが生意気言うじゃねぇか。何の力も無ぇ奴にゴチャゴチャ指図する権利はねぇんだよ」

「!!」

 体が、びくりと震えた。

 幻想御手は確かに本物だった。だから、分かってしまったのだ。

 ――あたしは、主人公(ヒーロー)の器じゃないんだ……

 空力使い(エアロハンド)。佐天に与えられた力はせいぜいレベル1か、よくて2といったところだった。あの少女の操る烈風には及びもつかない。

 こんなちっぽけなそよ風で、一体どんな悪役が倒れてくれるというのだろう。団扇で扇いだってもう少しましなはずだ。友達を裏切ってまで求めた力は全くの徒労だった。

 でも、それは諦める理由にはならないから。目の前で傷つけられる人を放っておいていい理由には、決してならないから。

 助けたいから。助けられるだけじゃ嫌だから。

 

 だから、少女(ヒロイン)は諦めない。

 

 佐天が力一杯脚を蹴り出す。鈍い音がして、男が微かに呻いた。

「このクソガキが!!」

 お返しとばかりに、男が拳を握った。

 

 そして、そんな少女(ヒロイン)の下に、白井黒子はやって来た。

 

 空間移動特有の空気を切り裂く音がして佐天の姿が消えた。一瞬ののち、男達の背後に黒子と佐天が現れる。

 男達を見据え、佐天ともう一人を庇うように立って、白井黒子は宣言した。静かに、厳然と、しかしどこか激情を宿した、地の底で沸々と煮えたぎる溶岩のような、声。その表情には確かに隠しきれない憤怒の色が滲んでいた。怒りはしかし、歌劇の独唱のように、響く。

「――風紀委員(ジャッジメント)ですの。暴行傷害の現行犯で、拘束します」

 小さな主人公は、佐天の前でそう言った。

 

 

 

 圧倒的だった。

 万が一のため、少年が持つ携帯で警備員に連絡した佐天を嘲笑うように、白井黒子は圧倒的だった。

 二人の取り巻きを簡単に下し、残る一人にやや苦戦するも、ビルごと粉砕するという常識はずれな作戦で突破した。幻想御手(レベルアッパー)などなくとも、白井黒子は本物だった。

(また、助けられた。皆、あたしとは……違うんだ)

 俯いて歩きながら、佐天は思う。

(嫌だな……この気持ち。あたしと同じ中学生で、あたしと同じ年齢で、あたしと同じ女の子なのに……あたしと違う世界に住んでいる人が居る)

 空を見上げた。佐天の悩みなど知らないとばかり、いつも通りの青い空。いつも通りの白い雲がいつも通りに流れていた。

(能力者と無能力者(レベル0)では、何もかもが違う…… )

 嫉妬だった。佐天は黒子に、美琴に、初春に、いや、能力者達にずっと嫉妬していた。

 エリートと落ちこぼれ、佐天を苦しめたのはそんな上辺のレッテルだけではない。当たり前のように能力(じぶんのゆめ)を振るう彼等が、佐天はずっと羨ましかった。

 しかし、たった今佐天の思考を埋めているのはそれだけではない。

 恐怖だった。

(幻想御手、使っちゃったな……初春達、何て言うだろ)

 友達を裏切る覚悟はしていた。覚悟して、それでも良いと幻想御手を使ったはずだ。そのはず、なのに、

(あたし、ホント駄目だな。今さら後悔しても、遅いのに)

 嫌われたくないという思いは、そんな覚悟なんて軽く踏み潰してしまっていた。

 もう一度、空を見上げた。先ほどまでの青はなく、不自然に滲んでぼやけた空が視界いっぱいに広がっていた。佐天の頬を冷たい滴が伝う。

 鬱々とした思考を振り払うように、佐天は努めて明るい声を出してみた。

「あっれー? 雨かな、じゃあ急いで帰って洗濯物取り込まないと……って今日は干してないんだった。もう、あたしったらホント馬鹿だなー、あは、あはは。あたしって、駄目駄目――」

 それ以上はもう、言葉にならなかった。いつも通りの青い空の下、少女はひたすらに、言葉にならない叫びを上げた。

 

 諦めなかった少女に、それでも幸福な結末(ハッピーエンド)はやってこない。サンタクロースは微笑まない。

 結局、幻想御手の事は言い出せなかった。このとき佐天に自分の弱さをさらけ出す勇気があれば、美琴達が彼女の懊悩に踏み込んでいれば、あるいは何かが変わっていたかもしれない。

 何かを、変えられていたかもしれない。

 しかし、実際にそんなことは起こり得ない。『もしも』の幻想は残酷な現実に容易く打ち砕かれ、待ち受けるのは無機質な悲劇(バッドエンド)

 主人公(ヒーロー)になりたかった少女(ヒロイン)と、少女(ヒロイン)を救えなかった主人公(ヒーロー)達の、これは、そんなお話。

 




本作の佐天さんのトラブル遭遇率は異常かもしれない。……いや、まあアニメとかでも十分異常でしたけれども。
えーと、一話で銀行強盗、二、三話で婦女暴行、六話で虚空爆破事件、で、この話でレ、じゃなかったナンパに加えVSトリックさん。
……うん、アニメと大差ないね! 問題なし!
黒子の出番はカットされました。今回は心理描写()中心で行きたかったので、あえなくカット。
常盤台中学内伝護身術(捏造)でほんのり強化された黒子はまたの機会に。……原作と大差ない気もしますが。
まあ、佐天さんの記憶の端っこにしか出演できなかったオリ主(爆笑)ちゃんと一片の出番すらなかった食蜂さんに比べれば黒子は大活躍したと言えるんじゃないかなー、と……い、言えるよね?
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