扱いにくさに定評のあるオリ主サイド。ミコっちゃんと白黒さんの書きやすさに戸惑いを覚える今日この頃です。
オリ主ちゃんが入ると一気に暗くなるんだ……
食蜂さんが入ると一気に陰謀が始まるんだ……
うん、僕の中の食蜂さんイメージを心理掌握で取り出したい。
きっと男の夢が詰まっていることだろう(キリッ
……アレ?
昏睡状態になった佐天涙子が運び込まれたのは、カエル顔の医者が勤めるあの病院だった。
「……普通に眠ってるようにしか、見えないわね……」
病院のベッド、真っ白なシーツに横たわる佐天の右手を握って、美琴はそんなことを呟く。
薄いカーテンが微かに揺れた。人工灯のような白い陽光が窓から射し込み、眠る少女の姿をいっそう無機質なものに見せている。測定器の規則正しい音を聞きながら、美琴は静かに、固く目を閉ざした佐天へと向き合う。
佐天涙子は死んだように眠っている。
呼吸は浅い。息を殺して、耳を澄ませて、それでやっと、微かに聞こえてくる程度。静かな呼吸音に合わせて上下する佐天の体は人形のようで、繋いだ右手はゾッとするほど冷たかった。
少しだけ、視界が滲んだ。
美琴は空いた手で佐天の頬を撫でる。ガラス細工に触れるような、儚げで優しい手つきだった。
そっと、ありもしない涙を拭うように、彼女の閉ざされた瞼の周りに指を這わせた。
――佐天、さん。
言いかけた言葉は空気を震わせることもなく、美琴の口内で朧に溶け、眠る少女には届かない。
しばらくの間、無言が続いた。
開けた窓から風が入ってくる。
中途半端に温いそれに吹かれて、整えられた佐天の黒髪がそよいで乱れた。
「……」
静かに、波立つ。
「お姉、様」
影法師のように身を縮ませながら、恐る恐る黒子が呼びかける。話しかけるのを躊躇っているようだった。
「佐天さんは
使ってしまったのか、とはっきり聞いてこないあたり、現状に心が追いついていないらしかった。落ち着いた声はただの張りぼてで、頭の中は滅茶苦茶なのだろう。
「……うん……」
答えた拍子、ひび割れた唇から吐息が漏れる。
静かな声だった。
美琴は眠る少女から、佐天涙子から目を離さない。
少女の顔を見つめたまま、つい先ほど交わした言葉を思い出していた。
『この間は、すみません』
『こっちこそ、ごめんね』
『助けて』
『任せときなさい!!』
このやり取りだけで全てが解決したと思うほど、美琴は楽観的になれなかった。
だから。
ゆっくりと、静かに言葉を紡いでいった。
「黒子、聞いてくれる? 私ね、何にも言えなかったんだ」
黒子はただ静かに聞いていた。眠れる少女に寄り添う美琴の言葉を、その背中を見つめながら、ただ聞いていた。
「あのとき、何にも、言えなかった」
美琴は続ける。
「佐天さん、あのときどう思ったのかな。私のこと、見損なったのかな」
思い出すのは、紫紺の夕暮れ。負の感情をかき集めて塗りたくったような、 濁った藍色の闇。そして、
『――
泣きそうな、夜闇に溶けてしまいそうな、少女の声。
沈黙しか、返せなかった。
戸惑って、足が竦んだ。
「佐天さんが何か抱えてたのは感じてたのに、何も言えなかった」
自分を責めるような彼女の顔を、美琴は確かに見たはずなのに。
どうしてだと思う? と、美琴は静かに笑い、
「私、無能力者のこと何も知らなかったのよ。何とも思ってなかった、何も考えてなかった。だから、何も言えなかった」
いや、知ろうともしなかった。
御坂美琴は生来から強い上昇志向を持っている。
目の前にハードルがあれば飛び越えずにはいられない。前に進む努力を怠らず、後ろを振り返ることはしない。学園都市の頂点に立ってからも、そんな彼女が変わることはなかった。
本来ならば、それは美徳と呼ばれるのだろう。
だが、現状は、それが悪い方向に働いた結果だった。
「そういうところ、全然ダメだよね。アイツのこと、言えないや」
温もりを込めるように、佐天の右手を強く握った。
分かっている。どれだけ強く握っても、佐天が握り返すことは決してない。
美琴は悔しげに唇を噛み締めてから、
「でも、助けたい」
強い声で、こう言った。
背後から驚いたような気配を感じた。
美琴は佐天を止めることはできなかった。黒子もあの少女も、初春でさえ、そうだった。しかし、
でも。と、口の中でもう一度繰り返す。
たった数秒の会話で、全てが解決したとは思わない。
だからこそ、美琴はもう一度宣言する。
「絶対、助けてみせるから」
絶対に助けて、そこでもう一度話そう。遠慮もなく、思う存分に言葉をぶつけ合おう。
そして、改めて確認するのだ。
佐天涙子は、美琴達にとってかけがえのない友人なのだと。
静かで、強い、声。
黒子が目を見張った。
その声は、
佐天涙子の友達、御坂美琴の声だった。
「友達だから、絶対助けるから」
もう一度、重ねるように言った。
横たわる少女が微か、笑った気がした。
黒子は安堵したような笑みを滲ませながら、
「
「そりゃ、さっきまで腑抜けてたから」
あの日の夕暮れからだ。
本当にらしくなかったと、美琴は自分でも思う。
今朝だって、いつもの美琴なら走る佐天を追いかけていただろう。が、こびりついた藍色の闇が何となく追うことを戸惑わせた。
だが、それももう終わり。
「よし!!」
美琴が勢いよく立ち上がるのを見て、黒子は嬉しげに笑った。
そんな彼女達の背中に声がかかる。
「いたいた。少し気になったことがあるんだけどね?」
振り返ると、カエル顔が病室の入り口から覗いていた。
呆気に取られた様子の美琴と黒子を視界に収めながら、カエル顔の医者は真剣な声で言う。
「幻想御手について、分かったことがある」
AIM解析研究所の一室、黒いソファに腰かけて、初春飾利は真っ直ぐに前を見ていた。四角いテーブルの向こうで木山が目を伏せる。
「そうか、この間の彼女まで……」
「はい」
が、初春に動揺は見られない。
やけにしっかりした声だった。この年代の少女がこの状況でこんな声を出せるだろうか。
考えて、木山はさりげなく理由を聞いてみた。
返ってきた答えは、拍子抜けするほど単純だった。
「約束したんです」
「約束……?」
木山に視線を合わせて、初春はハッキリと言った。
「必ず助けるって、そう約束したんです」
聞いて、木山は驚いた表情を作っていた。いつかの自分と重ねていた。
(『眠り続ける少女』に、『必ず助ける』ときたか。これは何の皮肉だ)
思わず視線を下げて、気づいた。
初春の手が、少しだけ震えていた。
「……」
不安でないはずがない。友達が目覚めなかったらどうしようと思わないはずがない。
木山にはよく分かる。まるで自分のことのようだった。
それでも、不安も疑心も弱音も全部呑み込んで、初春はここにいる。
「強いな、君は……」
思わず言っていた。
「本当に、強い子だ」
(もしかしたら、あの子達もこんな風に成長していたかもしれないな)
比べて、自分はどうだ。
「……」
立ち上がり、木山は逃げるように扉へ向かった。
「木山先生?」
「コーヒーでも淹れてこよう」
初春の答えは待たずに、
「……大丈夫。最後はきっと上手くいくさ」
目を逸らして言った言葉にはどこか、言い聞かせるような響きが含まれている。そのまま、木山は部屋から出ていった。
残された初春は、木山の言葉を噛み締めるように、
「きっと、上手く……そうですね。必ず助けてみせますから、待っててください」
と、そこでふと、引き出しから真っ白な書類がはみ出ていることに気づく。木山先生も結構ずぼらなんですね、と苦笑しながら真っ白な紙を手に取って、
「共、感覚……性?」
ちらりと目に入ったタイトルに、体は凍りついていた。引き込まれるように紙をめくっていく。
めくって。
喉が一気に干上がった。
「何で……」
共感覚性についての研究内容。資料に記されていたのはそんな事だった。
『その可能性はあるな。なるほど、見落としていた』
共感覚性について、彼女はそう言っていたはずだ。嘘をついていた? どうして? そんなことをするメリットは? ぐるぐると疑問が回る。紙をめくる指は震えていた。
考えて、初春は否定したい結論に至ってしまった。
思考の重さが許容量を越えかけていた。
まさか、と。頭は必死に否定の材料を探していた。
「そんな、嘘、ですよね……?」
だから、初春は気づくことができなかった。
「気づかれてしまったか……」
背後からの声に、大きく肩が跳ねた。
「木山……先生」
木山春生がそこにいた。
薄暗い室内を淡く照らす長方形の中、馴染みの名前を見つけ、食蜂操祈は薄く笑んだ。
木原、幻生。
(本当に、どこにでも関わってくるわねえこのジーサン。理事長さんは知ってて今回の件を計画したのかしらあ)
いや、考える必要もない。
この科学の街を牛耳る怪物がその程度を把握していないはずがないのだから。知っていて意図的に伝えなかったのだろう。
(知られて何か不都合なことがあったのか、わざわざ伝える必要もないと考えたのか、それとも他のことから注意を逸らすためのブラフか。どの可能性も均等にあり得そうなのがあの人の厄介なところよねえ)
食蜂は考えながら、白い手袋をした右手をそっと唇に押し当てる。
(盤上をいつでも引っくり返す力を持ちながら、プレイヤーとしても超一流。本当、厄介過ぎて笑っちゃうわあ)
指を添えた紅い唇から、思わず笑い声が漏れた。
(ま、ぶつかるのはまだ早いわねえ。とりあえずは大人しく当面の『プラン』とやらを進めるとしましょうか)
食蜂はくすくすと笑いながら、隣でキーボードと格闘を続けている百合花に声をかけた。
「百合花さあん。どうやらなかなか面白いことになっている予感よお」
「……面白いこと?」
手元のキーボードに視線を向けたまま、百合花が適当に相槌を打つ。
現在、食蜂は『
解析した結果、幻想御手とは『共感覚性を利用し、音楽によって使用者全員の脳波を一定に統一することで、脳波による一つの巨大な演算装置を形成するためのもの』であることが分かっていた。能力の上昇はネットワークによる演算能力の向上に伴う副産物であり、脳波を無理矢理統一することによって使用者の脳に負担がかかり、幻想御手使用後しばらくして昏睡状態に陥ることになる。
面白い代物だ。食蜂は素直に感心した。
(おそらくはあの子達から得た発想。御坂さんてば大人気ねえ。私にも応用できるかしらあ?)
思考を脇道に逸らしながらも、食蜂は言葉を続けた。
「飛びっきりの悪いニュース、よお」
悪戦苦闘しながらワクチンソフトを組む百合花に対して、食蜂が探していたのは『幻想御手使用者に共通する一定の脳波パターンをオリジナルで備えている』人物。いわば今回の黒幕だ。
百合花の表情は不審げだった。犯人を特定できたのだろうかと考えたものの、悪いニュースという言葉に引っ掛かっているのだろう。
そう当たりをつけて、食蜂はいっそう笑みを深くした。
「佐天涙子さんのことなんだけどねえ」
聞いて、百合花は微かに目を丸くした。けれど、すぐに納得した表情になって、胡乱な視線を食蜂に向ける。
「……さっき読んだの?」
「ええ、ついでに読ませてもらったわあ」
つい先ほど、食蜂は能力を百合花に使っていた。と言っても、洗脳や記憶操作などといった危険な類いではない、ごくあり触れた
どうやらそのとき、食蜂は百合花からすれば余計な情報も探っていたらしい。
「会長の人間関係くらい、副会長が知っていて然るべきじゃないかしらあ?」
悪びれた様子もなく、食蜂はからかうように嘯いて、
「で、その佐天さんのことなのだけれどお」
決定的な破綻を、口にした。
「彼女、幻想御手で昏睡状態になっちゃったみたいねえ」
「……ぇ?」
キーボードを叩く百合花の手が、凍りついたように動きを止める。
呆気に取られた表情からは、唐突に放られた情報を処理するのに手間取っているような印象を受けた。何かに堪えるような、沈黙のあと。
「……そっか」
百合花は薄暗い天井を見上げて言った。
「……犯人は、分かったの?」
「木山春生、よお。大脳生理学者で、今回の件には協力者を装っていたみたいねえ。
「……もう?」
百合花の反応は鈍い。真っ黒な瞳には何の色も浮かんでいない。
が、食蜂には彼女の頭の中が手に取るように分かった。つい先ほど心を読んだばかりなのだ。予測する材料なんて山のようにある。
彼女は乱れる感情を必死に押さえ込もうとしていた。
木山春生。その名前を頭に刻んで、大きく深呼吸。百合花は自分に言い聞かせる。
冷静になれ。感情を押さえつけろ。
そうだ、彼女に偉そうに説教したのはお前だろう? そのお前が我を忘れてどうする。だから冷静になれ。冷静になれ。冷静に、
――なれるか。
煮えたぎる内面に反して、百合花の表情には何も浮かんでいない。
全部分かっていて、それでも食蜂は皮肉るように言葉をかけた。
「あらあ? ずいぶんと冷静ねえ」
「……ううん、」
押し殺したような、無表情。感情が振り切れたとき表情を消すのが彼女の癖だった。
「少し、怒ってる。自分に、だけど」
「……そう。やる気は十分、てわけねえ」
ニヤリと、食蜂が口元を吊り上げる。
打算していた。
(あのジーサンが大元の元凶みたいだし、介入する理由がまた増えたわねえ)
思考の海から意識を戻すと、百合花はもう食蜂に背を向けていた。
彼女はドアノブに手をかけながら、
「警備員がもう動いてるってことは、風紀委員にも伝わってると見ていいの?」
「ええ。ていうか、風紀委員から警備員に伝わった、とする方が適切かしらねえ」
百合花が息を呑む。風紀委員に情報が伝わっているならば、美琴はもう黒幕にたどり着いているだろう。佐天が倒れた以上は介入もおかしくはない。いや、絶対に介入してくる。
そして、彼女はまだ怪我が治り切っていない。
「なら急ごう。佐天さんが倒れたなら美琴が黙ってないだろうし、幻想御手のシステムを考えれば、いくらあの子でも万が一があるかもしれない。……くそ、呑気にワクチンソフトなんか組んでる場合じゃなかった!」
感情に任せ、拳を壁に叩きつける。完全に出遅れてしまった。こんなことなら素直に風紀委員を頼った方が正解だったかもしれない。百合花は自分の失策を呪った。
つまらない意地を張った結果がこれだ。解析に手間取った結果がこれだ。
激情を抑えつけるように拳を握りしめて、百合花は考える。
間に合うのか。今からでも何かできることはあるのか。
御坂美琴を手助けできるか。
「……吹っ切れたのかしらぁ?」
そんな彼女を見て、食蜂は試すように言う。
結論は出たのかと。美琴にどう向き合うつもりなのかと。
食蜂は分かりきったことを聞いた。
百合花は泣きそうな顔を食蜂に向けて、
「違う」
全く以て、予想通りの答えが返ってきた。
幻想御手をばらまいたのは木山春生。
その結論に至ったとき、美琴はもう走り出していた。扉を力一杯開け放ち、軋むそれに気を向けることもなく駆けて、
「お姉様」
黒子の声に立ち止まった。茶色い革靴が床に擦れて耳障りな音を立てる。
「何?」
一分一秒も惜しいとばかり、黒子へと振り返ることはしない。
そんな美琴の背中に向けて、黒子は言う。
「本当に、木山の下へ向かわれるおつもりですの?」
どことなく、念押しするような声。美琴は不思議そうに答えた。
「何千もの昏睡した能力者達の命が握られてるのよ。それに、何か嫌な予感がするの……」
「しかし、お姉様はお怪我をしていらっしゃいます」
数日前に美琴が負った傷はまだ完治していない。医者の言いつけ通りにしていれば違っただろうが、上条との闘いや佐天を襲った不良の撃退など、美琴はお世辞にも安静とは言いがたい生活を送っていた。
先ほど応急処置を済ませたとはいえ、立っているのも苦しいはずだ。
だが、
「……そうね、正直不安はある」
言って、クルリと振り返る。
「でも、私は佐天さんと初春さんの、……友達だから」
真っ直ぐに、告げる。
激痛が襲っているはずなのに。
脂汗が滲み出て、今にも倒れておかしくないはずなのに。
美琴は、黒子から目を逸らさない。
「それに、私はあんたのお姉様よ?」
黒子には、止めることなどできなかった。
圧倒されていた。気圧されていた。見惚れていた。
やはり、敵わない。
そう思いながらも、黒子は自分が柔らかな笑みを浮かべているのを自覚していた。
止めることなどできない。
だから、
黒子は美琴の目を真っ直ぐに見つめ返して、言った。
「では、
そんな黒子に、美琴は少し驚いたような顔になって、
「……あんたも怪我してるじゃない」
黒子の体が少し跳ねた。
四日前の
常盤台の制服に隠れた華奢な体には、今も痛々しい包帯があちこち巻かれている。
美琴がそれに気づいていたことに、黒子は内心歓喜と自虐を覚えた。
素直に嬉しかったが、余計な心配をさせてしまった自分の不甲斐なさに歯噛みもしていた。
けれど、そんな感情は噛み殺す。
自分のつまらない意地なんてどうでもいい。今は、敬愛する
言い聞かせて、切り替える。
黒子の視線は揺らがない。
「それはお姉様も同じこと。でしたら、この
超能力者とか、大能力者とか、そんな些細なことはどうでもいい。
白井黒子は、初春飾利の同僚で、佐天涙子の友人で、人々を守るべき風紀委員で、
「それに、お姉様のお役に立ちたいですの!」
御坂美琴の、後輩だから。
だから、仲間として、友人として、風紀委員として、後輩として、白井黒子は宣言した。
初春飾利を助けてみせる。
佐天涙子を目覚めさせてみせる。
風紀委員として人々を守ってみせる。
御坂美琴を支えてみせる。
何の変哲もない病院の廊下、黒子の声は意外なほどよく響いた。
開いた窓から風が吹く。
風に広がる髪を気にした様子も見せないまま、美琴は驚いたように目を丸くしていた。
数秒間、風の吹く音だけが流れていた。
先ほどの宣言を美琴がどう思ったのかなんて、黒子には想像することしかできない。手助けを受け入れてくれるかどうかも同様に、確たる答えはまだ分からない。
それでも、暑さを叩きつけるような温風の中、黒子は何故か確信していた。
ゆっくりと、風が弱くなっていく。
美琴は柔らかな茶色い髪の毛をそよがせ、灰色のプリーツスカートを揺らしながら、
「……ありがとね」
嬉しそうに、笑っていた。
風が、止んだ。
「じゃあ、頼りにしてもいい?」
「もちろんですの」
二人の声だけが、温い沈黙に響いていた。
「ありがとう」
刻むように感謝の言葉を重ねながら、美琴は黒子に背を向けた。
拒絶ではない。むしろその逆。
頬が緩んでいくのを黒子は自覚した。
「じゃ、行こっか!」
「はいですの!」
もう一度風が吹いたとき、二人はもう走り出していた。
「違う。吹っ切れてなんかいない」
百合花は重い声で繰り返した。
食蜂は押し黙ってそれを聞いている。無言で続きを促しているようだった。
「操祈の言っていることは理解できる。誰かのためなんて言ってもきっと、根っこのところでは自分のためなんだろうさ」
それでも、と百合花は続けて語った。
「綺麗事かもしれない。それでも、信じていたいんだ。私は汚れているけど、だからこそ、『誰かのため』なんて幻想を消してしまいたくないんだ」
泣きそうな顔で、重い声で、そう言った。
「だから、ずっと考えるよ。今私のやっていることが『誰かのため』なのか、それとも自分のためなのか」
対照的に、食蜂は薄らと笑みを浮かべた。
「……今は、誰のためなのかしらぁ」
「言わない。言ったら一気に恩着せがましくなる」
「今さらでしょぉ?」
食蜂は呆れたように笑った。よく分からないところで頑固な少女だ。
「ま、そういうのもアリ、なのかしらねぇ」
まだ課題は山積みだけど、と食蜂は心中で一人ごちる。
世の中には『誰かのため』に動きながら、それを平気で自分のためだなんて言う本物の善人達がいる。御坂美琴もそうだし、最近は顔を合わせていないツンツン頭の男子高校生なんてもろにそのタイプだ。今は眠っている佐天涙子もおそらくそうだろう。
百合花も、本質的には彼等とそう変わらない。
ただ、どうしようもなく歪んでいる。さっきの言い方。まるで、『自分のために何かをする』ことが悪いことだと言っているようだった。
(この子、途轍もなく自分が軽いのよねぇ)
『あの子達』への罪の意識がそうさせるのか。美琴や『あの子達』から死ねと言われれば躊躇いなくその場で心臓を停止させてしまいそうな、そんな危うさが言葉の端々から見て取れる。
考えて、食蜂は呆れたため息を吐いた。
「現状に不満はあれど、とりあえずは及第点としましょうかぁ。今回に限っては、どうせ御坂さんのためなんでしょうしぃ」
「……」
沈黙する百合花を横目に、食蜂は思考を巡らす。
食蜂操祈には欲しいものがある。昔彼女が手に入れて、しかしあっという間に失ってしまったもの。それを取り戻すためなら、食蜂はどんなことでもやってみせる。この街の闇の底にだって潜ってみせる。
全部自分のためだ。誰かのためなんて綺麗事を貫けるほど、食蜂は自分を強いとは思っていない。そんな免罪符は何の役にも立たない。
それは百合花も同じだろう。
だが、それでも。目の前の少女は困難な道を選択した。償いのつもりなのか。茨の道を選択した。
「違うよ」
と、食蜂の思考を見透かすように百合花が言った。
「償いなんかじゃない。そんな高尚なものじゃない。こんなんじゃ全然足りない」
こんなものは物の数にも入らない。星のように光る光点を背景に、黒い少女はそう言った。
馬鹿だ。食蜂は直感で思った。
『誰かのため』を免罪符にした自分のためでもなく、自分のための皮を被った『誰かのため』でもない。
自分を殺して、誰かのために生きてゆく。
馬鹿じゃないのか。食蜂はそう思う。
それは善人の特権だ。突き抜けた本物の、狂人と紙一重の善人だけの。
お前は違うだろう。
しかも、それが、足りない?
弱いくせに。歪んでいるくせに。泣きそうなくせに。自分と同じ悪人のくせに。
「……ふふっ」
呆れ果てて、思わず笑っていた。
涙を目に溜めながらも、百合花は食蜂を見つめていた。
「あっはははっ!! 何その間抜け顔、私を笑い死にさせる気満々ねえ!?」
泣き出しそうな百合花を見て、食蜂は堪えられないといった具合に笑い転げる。
そうだ。風見百合花は最初からこんな人間だった。弱くて、歪んでいて、心の中ではすぐ泣いて。
だから、食蜂は放っておけなかったのだ。
転んで泣きじゃくりながら歩く少女を見過ごせないように。
重たい荷物を背負った老人を思わず助けてしまうように。
この危なげな少女を、そのままにはできなかった。
笑い過ぎで出た涙を乱暴に拭って、
「じゃあ、そろそろ真打ち登場といきましょうかぁ」
クルクルと、手に持ったリモコンを弄びながら、食蜂はニヤリと笑った。
食蜂も百合花も、間違いなく罪人だ。法の下に裁かれるべき人間だ。
食蜂は暗部で、百合花は殺人者。
だが、それがどうした。
罪も償う。報いは受ける。目的さえ果たせれば、命を差し出したって構わない。
けれど、罪人が善行をしてはいけないなんて法律はないのだから。
だから、友達のために戦ったっていいじゃないか。
大胆不敵に女王は笑った。
「さあて、生まれて初めてする善行の味はどうかしらあ。甘い? 辛い? それとも苦い?」
「きっととびっきり苦いよ。私好みの味だね」
涙を拭って、百合花は静かに言う。
薄暗い寮の一室から、二つの影が飛び出した。
掴んだ想いを強さに変えて、
力の限り、想いの限り、友達のため。
立ち止まってはいられない。
目指すのは、完全無欠の
幻想御手編が一向に終わらない。
ちっとばかし長いプロローグと臭すぎる地の文に絶望しそうな駄作者です。
これは黒歴史確定かも分からんね……
さて、次回は麦野さんを登場させたいと思っているんだが、どうだろう?
何? 唐突過ぎる? さっさと幻想御手編終わらせてその後にしろ? いや、逆に考えるんだ。
唐突すぎてもいいや、と。幻想御手に介入させてもいいや、と。
……ゴメンナサイちょっと悪乗りしすぎました。
さてと! 相変わらずの駄文ですが、だからこそご意見お待ちしておりますと作者はヘタレ卒業宣言! 宣言! 宣、言……
ええい負けるな自分! ご意見(もちろんご感想も)お待ちしております!