しかもやたらと長い上に主人公どころか美琴すら出ないっていうね! 木山先生無双! 本当何やってんだ自分!
という訳で、この話は飛ばしてくださってもタブン問題ありません(次の話はまだ影も形もできてませんけどチクショウ)。
――数年前の話だ。
教師になってみないか?
先進教育局木原研究所所長 、木原幻生。切欠は彼の放った一言だった。
所長室で椅子に腰かける幻生の言葉に、机の前に立つ木山春生の眉が驚いたように跳ねる。
木山は、整った若い顔立ちにそぐわない濃い隈を浮かべた女性だった。艶やかな栗毛のショートヘアーが目を引く女性でもある。 くたびれたブラウスに紺色のスカートを着ていて、研究者のトレードマークとも言える白衣は袖が肘のところまで捲られていた。春先の昼頃、その穏やかな陽気ですら、彼女には少々堪えるらしい。
「私が教師に? 何かの冗談ですか」
木山は、まるで予想外だといった調子で幻生に尋ねた。彼女からしてみれば、突然上司に呼び出されて何のお小言かと思いきや、突拍子もない提案が飛んできたのだ。不思議に思ってもおかしくはないのだが……。
「いやいや。君は教員免許を持っていたよね?」
そんな木山を気にした様子もなく、幻生は
木山は彼の言葉に困惑した様子だった。
「それは、そうですが……」
「なら、教鞭をとっても何もおかしくはないじゃない」
穏やかな声に、しかし、と木山が食い下がる。
「あれはついでにとっただけで……」
木山の本職は研究者だ。学園都市の科学者らしくいっぱしの知的好奇心を備えている彼女としては、研究から離れろと言われているようで面白くなかった。しかも、言うまでもなく教師とは子供に関わる職業だ。子供という生き物も決して好きではないことだし、できれば辞退したいと思う。
そんな木山の内心を見透かすように、幻生はにこやかな笑みを作った。
「何も研究から離れろと言ってるわけではないよ」
椅子から立ち上がり、窓の外へ優しげな笑みを向けながら、幻生は木山へと声をかける。
彼の視線の先には、十人ほどの子供達が楽しげな嬌声を上げていた。
「それどころか、統括理事会肝入りの実験を任せたいと思っているんだ」
「! 本当ですか?」
木山は思わぬ展開に喜色を浮かべた。
促されて、大きなガラス張りの窓の向こう、無邪気にはしゃいでいる子供達を見つめる。雲一つない青空の下、勢いよくサッカーボールを蹴りだし、少年少女達は教育局のグラウンドを跳ねるように走り回る。歓声はここまで届いてきた。
幻生はそんな子供達に笑みを深めて、木山へと向き直る。
「あの子供達……彼らは
「……存じています」
幻生の言葉に、木山は神妙な表情で頷いた。
すると、笑みに陰りを含ませ、幻生は億劫そうに首を振る。木山には、その表情が憐れみすら含んでいるように見えた。
「家族を捨てるなんて惨いものだよ。あの子達の多くは両親の顔すら知らない」
そう言ったきり、幻生はしばらく口をつぐんだ。二人の間には沈黙が流れ、子供達のはしゃぎ声が窓の外から聞こえてくるのみだ。
静寂に耐えかねた木山が話すべき言葉もなく口を開きかけたときだった。ぽつりと、水面に一つ滴を落とすように、おもむろな調子で幻生は言う。
「彼等は今回の実験の被験者であり、君が担当する生徒になる」
「え?」
驚き、思わず声が出る。幻生はしわだらけの顔を笑顔に歪めて、さっきとは打って変わった軽い調子で言った。
「実験を成功させるには、被験者の詳細な成長データを取り、細心の注意を払って調整を行う必要がある。だったら担任として受け持った方が手間が省けるし、そちらの方が安全でしょ」
「それは……そうかもしれませんが……」
確かに一理ある。木山はまだ実験の内容を聞かされてはいない。しかし、被験者の情報を詳細に知ることが悪い方に働くとは思えなかった。
けれど、問題がある。
(私のような人間に教師が務まるのか?)
教師なんて職が務まるほど自分は人間ができていないし、ついでにとった程度の教師免許では実力が伴うとも思えない。研究に専念したい気持ちもあるが、不安が一番大きかった。
やはり、乗り気にはなれなかった。
目を逸らす木山に、幻生は表情から笑みを消して、いかにも深刻そうな様子で言った。
「教師として、彼等を導いてやってはくれないかね」
真剣な声に、木山は面食らった。
思案する。
子供なんてよく分からない。
教師なんて勤まるとは思えない。
研究に専念したい。
けれど。
「分かり、ました」
結局のところ、木山春生はお人好しだったのだ。ほんの少し沈黙を置いてから、ゆっくりとした調子で了承の意を伝える。
幻生はにっこりと笑っていた。
新学期が始まり、木山と子供達はとうとう顔を合わせることになった。
どこの小学校にでもあるような学校用の机、同じくありきたりの椅子、丸っこい平凡な時計、お馴染みの校内放送用スピーカー。そんなものが当たり前に備え付けられた教室だった。窓の外を見れば、春の代名詞とも言える桜の木が、風に合わせて淡い桃色の花びらを舞わせている。
そんな没個性甚だしい教室の中、白いチョークが黒板にぶつかり、やや硬質な音を響かせる。暗緑色の長方形には、真っ白な文字で『木山春生』と書かれていた。
白いチョークが
「あー、今日から君達の担任になった、木山春生だ。よろしく」
木山はやや緊張ぎみに子供たちへと向き直り、慣れない様子で挨拶した。ところどころ突っかえそうになりながらも、何とか自己紹介を言い切ってみせる。
物事は何より初めが肝心なのだ。例えば人間関係だって、初対面の印象はなかなか覆しにくいものだ。新学期の初めがその一年を大きく左右するのは教師も同じ。そういう意味で山場は越えたといえるかもしれない。
木山は小さく息を吐く。
よし、自己紹介はクリアーだ。この調子で残りの細かな連絡事項も終わらせてしまおう。と、安堵しながらも余裕のない表情を見せたときだった。
「よろしくお願いしまーす!!」
元気いっぱいの子供達に怯んでしまう。勢い余って立ち上がった子もいて――というかそっちが多数派だった――木山は肩を跳ね上げた。咄嗟に一歩下がって、黒板に背中がぶつかった。普段ならスーツが汚れることに多少なりと不快感を感じただろうが、そんな余裕もない。木山が呆然と教室を見回せば、子供達はみんな太陽みたいな笑みを浮かべていた。
まず戸惑いがあった。
次に疑問が来た。
何がそんなに嬉しいのか。
さっぱり分からない。木山は心の中だけで憂鬱な吐息を出す。引き受けたことを早くも後悔し始めていた。やっぱり私では駄目だったんだウフフフフなんてとち狂った思考も頭の片隅にこびりついている。これまで研究一筋だった彼女には、子供との接し方なんてまるで分からないのだ。こんなことなら気まぐれに教員免許なんて取らなきゃ良かったと本気で思う。
(厄介な事になった……いや、とにかく少しの辛抱だ)
笑顔の眩しい子供達から目を逸らし、もう一度心中でため息をつく。前途多難が嫌でも分かる有り様だった。
――子供は、よく分からなかった。
満開の桜が花弁の
それから一週間後、木山は教育局の廊下を歩いていた。
足を踏み出す度に、黒いヒールが小気味のいい音を響かせる。廊下には木山の他に人はいない。みんな教室に入って給食を食べているのだろう。時刻は十二時の半ばを数分過ぎたところだった。木山も早く教室に戻って子供達と給食を食べなければいけない。
(遅くなってしまったな)
歩きながら、木山は眉間に寄ったしわを揉みほぐそうと指を動かす。慣れない仕事は確実に木山の気力を削っていた。研究と、教師の書類仕事。同じデスクに向かう仕事のはずなのに、どうしてこんなにも勝手が違うのだろうか。
(全く。自分の無能ぶりに自己嫌悪だなんて、始めて木原所長のところに来た以来じゃないか?)
あの頃はまだひよっこで――今は違うのかと問われれば答えに窮するが――失敗ばかりしていた。習った知識と現場との擦り合わせが上手くいかなくて、始めて知る知識の波に翻弄されて、正直散々だったと記憶している。
(木原所長が研究以外には大雑把なせいで余計な苦労もしたっけ)
人間的にあの飄々とした人柄が嫌いなわけではないし、科学者としてはむしろ尊敬している。それでも、適当に学会での研究発表を放り出されて関係者に頭を下げたり、酷いときには身代わりに発表をさせられたときなんか半べそをかいたものだった。
(あの人は今もたまにやるけど、まぁ、慣れたからいいか。ああ、慣れたからもういいんだ。大丈夫、問題ない)
何だか肩が重くなってきた。鬱な気分を振り払うように首を振る。不穏な方に流れ始めた思考を無理矢理に軌道修正しようして、木山はここ一週間のことを思い出そうとした。
思い出す。
思い、出す。
……思い出さなければよかった。
というのも、木山は顔合わせの翌日に早速洗礼を受けることとなったのだ。教室の戸を引いた瞬間一気に水が降ってきた。何事かと見上げれば、青いポリバケツが馬鹿にするようにぶらぶら揺れていたのが目に焼き付いている。
酷いのはそのあともだった。仕掛け人であろう男子達が木山を捕まえて『ペチャパイ』なんぞと言い出したのだ。
廊下を踏む足に力がこもる。
(服を脱いだら何故か顔を真っ赤にしていたが、真っ赤になって怒りたいのはこっちの方だ)
女の子達の慰めがなければ引きこもっていたかもしれない。廊下を歩きながら、木山は大きく肩を落とした。
――このときくらいから子供が嫌いになった。まずデリカシーがない。
思い出したら腹が立ってきた。他にもたくさんある。
ある男子生徒に「先生ってモテねえだろ? 彼氏いんの?」なんて言い放たれたこともあった。そのときの木山は怒りやら困惑やらで口を鯉のように開閉させていたのだが、そんなことまるでお構いなしにその子は続けたのだ。
「何なら俺が付き合ってやろうか?」
「一〇年早い」ときっぱり言わなかったのは木山なりの優しさだった。決してショックで何も言えなかったわけではない。
――失礼だし。
彼氏くらいその内作ってみせる。見てろマセガキ。
決意を胸に、木山はヒールをほとんど叩きつけるような強さで、思いっきり階段の一段目を踏んだ。
――そういえば、イタズラも悪質だった。
教科書にムカデを挟み込まれたのはこの前の水曜日だったか。女性に対してあんまりではないだろうか。もしかして女性と認識されていないのか。それとも、女性的魅力が乏しいゆえの攻撃なのか。ペチャパイが駄目なのか。そう思うと、木山の気持ちは急速にしぼんでいった。結婚適齢期の彼女が突きつけられるには少しどころではない残酷な結論だった。ヒールの音が小さくなっていく。
いや、所詮子供の戯言だ。と、木山は無理やり自分を納得させることにした。
歩く音は少しだけ大きくなった。
そういえば、泣き出した女の子にもほとほと困らされたものだった。何せ泣くだけ。泣いている理由を尋ねても嗚咽は酷くなるばかり。困ったことがあるならそれをきちんと説明してほしい。そうでないと解決しようがないのだから。
――本当に、論理的じゃないのは困ったものだったな。
階段を登りつつ、呆れて肩をすくめる。職員室は一階で、子供達の待つ教室は四階。現在地は三階へと向かう階段の途中だった。ヒールを履いた足を踏み外さないよう、慎重に段差を登っていく。途中、ふと料理の香りが鼻腔を刺激した。他の教室から流れてきたのだろう。微かなものなのではっきりとは判断できないが、少なくともシチューではなさそうだ。確信を持てば、俄然歩く速度は速くなった。
木山は給食のシチュー(より正確に言うのならそこに入ったニンジン)が大嫌いなのだ。
つい二、三日前に出たクリームシチューのニンジンに壊滅的打撃を受けた木山春生(成人女性)。そんな彼女としては、今日の給食は鮮やかオレンジの天敵が出てこなくて一安心といったところなのだった。大人の女性として、子供達に好き嫌いを指摘されたのも衝撃だった。できればそれはもう勘弁願いたいところだ。
大人なら好き嫌いをなくせよ、とのご意見はあえて封殺し、木山は階段の踊り場へと一歩足を踏み上げる。そのまま、急に空腹を訴え始めた胃袋をなだめすかしながら子供達のところへと向かった。
教室の戸を引くと、意外な人物に声をかけられた。
「や、木山くん、こんにちは」
軽い調子で片手を上げる幻生に、木山は何となく嫌な予感を感じた。
「木原所長、いらしてたんですか」
「うん。君に投げっぱなしというのも気が引けてね」
教室の入り口近く、男子達の集まりに加わっていた幻生はにこやかに笑う。お仕事の方は大丈夫なんですか、と尋ねようとしたとき、子供達が大きな声で木山を急かした。
「木山センセーおっせえよ! みんなもう待ってんだかんな!」
「あたしもうお腹ぺこぺこー!」
――馴れ馴れしいし、すぐなついてくるんだ。
そんな子供達に、幻生は微笑ましいものを見たという具合に声を立てて笑う。
「さ。子供達もそう言っているようだし、早いところ食べてしまおうじゃないか」
「そうですね」
世間話なら食べながらでもできる。とりあえず今は空腹を満たすのが先決だ。木山は女子生徒達の机に加わって手を合わせる。元気のいい声が教室中に響いた。
「いや、給食なんていつ以来だろうなぁ」
しみじみと呟く幻生に、物怖じしない男子達が質問を投げる。
「校長センセーは好き嫌いとかねえの?」
「校長ときたか。うーん、特にないねえ」
「なーんだ、つまんねえの」
「おや、どうしてだい?」
そんな会話をよそに、木山は椅子に座ったまま固まっていた。
男の子が言う。
「木山センセーみたいだとすっげえ面白かったのに」
視線が集中するのを、木山は他人事のように感じていた。目の前の暗黒物質(オレンジ色)に気をとられていたからだ。
銀色のトレイ、これはいい。
スプーンとお箸、これも問題はない。
トレイに乗せられた牛乳瓶やコッペパンも大丈夫だ。
そして、ニンジン入り野菜スープ。はいアウト。
この前もニンジンだったのに。これは嫌がらせか何かか。木山は心の中で悪態をついた。
ぶるぶると震えながら、にっくきオレンジ色の物体を横にどかそうと努力するのだが。
「木山くん、教師は生徒の模範でなくちゃいけない。言っている意味は分かるよね?」
目敏く見咎めた幻生からそんな叱責が飛んできた。幻生に続いて、「モハンだモハンー!」「好き嫌いは駄目だってこの前も言ったのに!」と子供達が囃し立てる。
「え、いや、でも……」
「いかんよ。ただでさえ君はそんな大きな隈があるんだから、せめて栄養くらいは摂らなくちゃ」
寝不足の原因の三分の一くらいは幻生のサボった雑務なのだが、言い出せる空気ではなかった。促されるまま、スプーンを薄い琥珀色のスープに入れる。葛藤がそのまま伝わってきそうな沈黙の中で、木山はおそるおそるニンジンを持ち上げた。
ゆっくりと、一口。
口内に広がるニンジン特有の甘みに喉がつっかえる。涙が滲んできた。もぐもぐと、涙目になりながらも憎らしい怨敵を噛み砕く。勢いに任せて飲み込み、慌てて牛乳を喉に流し入れた。
「っぷは!」
口の中で嫌な化学反応が起きているのを自覚した。唯一、子供達の感激した目だけが救いだった。口元を押さえて青ざめる木山に、幻生はどこまでも軽い口調で尋ねる。
「そういえば木山くん、最近体の調子はどうかね?」
「今それを聞きますか」
「やってもらいたい書類仕事があるんだけど」
「無理です」
梅雨のある日のことだった。
温い雨が降っている。
傘をさしながら歩く木山は、ほんの少しだけ憂鬱だった。濡れた地面を踏むヒールの音もどこか低く、不愉快な水音を含んでいた。濡れたストッキングが木山の沈んだ気分をいっそう助長していく。
幻生に研究所関連の書類仕事を押しつけられた結果である。研究と慣れない仕事に悪戦苦闘する新人教師に全く容赦がない。あんなのを師匠に選んで本当に良かったのだろうかと、このときばかりは本気で思う。
やや俯きがちに、木山はのっそりとした歩みで教育局の門を抜けたのだが。
気づく。
「ん?」
「いったぁ……」
ふと、視界の端に見慣れた少女を見つけて、声をかけた。
「どうした枝先」
声に反応して、少女はビックリしたように顔を勢いよく上げた。
「木山先生! あははは……すべって転んじゃった」
視線の先、
このまま放っておくのは酷だろう。木山は息を吐いて提案した。
「……私のマンションはすぐそこだが、風呂を貸そうか?」
「いいの!?」
思わぬ申し出に、うはぁー! と、枝先が嬉しそうに瞳を輝かせる。何だその反応。木山は少しだけ戸惑った。
そして、マンションの一室にたどり着いたのは数分後だった。
「あー! お風呂だぁ!!」
はしゃいだ声が浴室に響く。濡れた服を洗濯機に放り込みながら、木山はそんな枝先に向けて気怠げに尋ねた。
「風呂がそんなに嬉しいか」
「うん! うちの施設、週二回のシャワーだけだもん!」
「……」
忘れていた。彼女達は
木山は少女の屈託ない笑顔に目を細める。
対して、枝先は無邪気に目を輝かせ尋ねてくる。
「ねぇ、ホントに入っていいの?」
「……ああ」
「やったぁー! みんなに自慢しちゃおっと!」
木山は枝先の嬉しそうな歓声を聞きつつ、洗濯機のボタンを押した 。洗濯機の唸りを背景に壁へともたれ掛かる。ほんの少し憐れみを覚えて、木山は気まずげに、細めていた目を閉じた。
「先生?」
唐突に、浴室から声が聞こえた。
「……うん?」
扉の向こうから、枝先の寛いだ声が木山の鼓膜をくすぐる。
「私でも、頑張ったらレベル4とか5になれるかな?」
脈絡のない質問に首を傾げながら、あくまで無難な答えを返した。
「……今の段階では何とも言えないな」
「むー。那由多ちゃんはみんなの力を合わせればできるって言ってたよ!」
那由多? そんな名前の子は木山のクラスにいないが、他学年の子供だろうか。そんなことを考えていると、むむむ、と悔しそうな声が聞こえてくる。
(おっと、話の途中だったな)
拗ねた気配に口元を弛めながら、木山は興味本意で聞いてみた。
「高レベルの能力者に憧れがあるのか?」
この年頃の子供達からすれば、返事は間違いなく決まっていた。
けれど、返ってきたのは意外な答え。
「うーん、勿論それもあるけど、私達は学園都市に育ててもらってるから、この町の役に立てる様になりたいなー、って」
あまりにも純粋な声だった。普段は少しやんちゃな子供の、初めて見る意外な一面だった。
だから。
「……そうか」
木山は、閉じていた目を少しだけ開けることにした。
枝先が風呂から上がり、木山がコーヒーでも淹れようかと思い立ったあとのことだった。
「ん? 眠ってしまったのか」
木山が台所から戻ってくると、柔らかなソファに体を沈め、枝先がすやすやと寝息を立てている。溢さないよう、そっとコーヒーの入ったマグカップを机に置いた。二人分淹れたのはどうやら無駄になってしまったらしい。ため息を溢しながらソファに腰かけ、白い湯気が立つコーヒーを口に含む。
(研究の時間が無くなってしまった。ホントにいい迷惑だ)
何となく、隣で眠る少女に視線を投げてみた。木山のブラウスをパジャマ代わりにして、枝先は安心しきった表情を浮かべている。何故だか、少しだけ口角が上がった。木山はそれを誤魔化すように、淹れたてのコーヒーを勢いよく啜る。
――と。
「っつ!」
痛みに近い熱さに涙目で舌を突き出す。火傷したらしい。
「はぁ……散々だな」
木山はマグカップをテーブルに置きながら、我関せずとばかりに眠る枝先を軽く睨む。少女は、本当に安らかに眠っていた。
「本当、いい迷惑だよ」
知らず、優しい笑みを溢す。
――この日、少しだけ子供達のことが分かった気がしたよ。
それからも子供達はよく悪戯をした。黒板消しを降らせてくるし、白衣をもぎ取ってくるし、ペチャパイなどという不名誉な称号はまだ消えてない。悪戯ではないが、ピカソの絵から何か大切なものを奪ったらこんな感じになるかも分からんね、的な絵画のモデルにされたこともある。相変わらず木原所長は面倒な書類仕事を押しつけて研究に没頭したり子供達の様子を見に来たりしているし、給食からニンジンか消えることもない(甚だ遺憾である)。
苦労ばかりの毎日だった。
けれど。
――誕生日を祝ってくれたのは、本当に嬉しかったな。
男の子達がはしゃぎ回って、枝先を中心に女の子がそれを怒って、木山が何とか穏便に済ませようとして、それを幻生が笑いながら見つめていて。
本当に、苦労ばかりの毎日だった。
研究漬けの生活とはまるで違った。
だからこそ。
何か、大切なものを得たような気もしていた。
――いつの間にか、かけがえのないものができていた。
そして、実験の日はやって来た。
並べられた機材。
横になった子供達。
機材に備え付けられたモニターには赤い線で波形が描かれている。
暗い実験室の中、大勢の研究員達が慌ただしく動いていた。それは木山も例外ではない。
「ちくっとするよ」
「――いてッ!」
涙目で注射を堪える男子に少しだけ笑ってしまう。散々ペチャパイなどと言ってくれたお礼だ。
笑いを噛み殺しながら、木山は作業を続けていく。慌ただしく動き回る研究員達に指示を出しながら子供達に声をかけていった。
枝先に前に来て、何となく違和感を感じた。
いつも通りの笑顔を浮かべる枝先に、木山は思わず聞いていた。
「怖くないか?」
「木山先生の実験でしょ?」
枝先は欠片の躊躇いも見せずに、太陽のように笑う。
「怖くないよ。先生のこと信じてるもん!」
そんな彼女の笑顔を見ながら、木山は言いようもない寂しさを感じた。
(先生ごっこもこれでおしまいか)
たった数ヵ月だ。たったそれだけの時間一緒に過ごしただけで、自分は彼女達に情がわいてしまったらしい。この先も、彼女達と過ごしていきたいと思う程度には。
ああ、そうだ。木原所長に頼んでみようか。このあとも教師を続けたいと言えば、きっと彼は笑顔で了承してくれるだろう。
そうすれば、この胸の寂しさもきっとなくなる。
想像して、木山は小さく笑んだ。
そうだ。これが最後じゃない。きっとこれからも、騒がしくもかけがえのない日々は流れてゆく。
半ば確信して、木山はそう願う。
けれど、それは叶わなかった。
まず初めに、甲高い電子音が鼓膜を揺らした。
「……ぇ」
次に、胃を締め付けられたような圧迫感があった。喉から一気に水分が抜けた心地だった。鼓膜を叩く音が警告音だと理解するのに数秒かかった。
吹き出す血があった。
叫ぶ声があった。
浮かんだ言葉は簡潔だった。
失敗。
そんなはずはなかったのに。
完璧だったはずだ。
それなのに。
「どうして……」
動揺する研究員達が動き回る中で、木山は呆然と呟く。
誰もが予想していなかった結末だった。
だが、ただ一人、どうしようもなく異質な者がいた。
「ほほう……これはすばらしい!」
背後からの興奮した声に、木山はのろのろと振り向いた。木原幻生がにこにこと笑っている。
笑っている、はずなのに。
おぞましかった。
醜く顔を歪めて、木原幻生は笑顔らしきものを作っていた。
「木、原……所長……?」
幻生は木山の声に答えず、浮き足立つ研究員達に指示を送っている。
「しっかりデータを採りなさい。これはSYSTEMへの第一歩なのだからね」
木山は目の前の現実が信じられなかった。動揺は怒号へと変わる。
「木原所長!」
荒げた声が堪えた様子もなく、幻生はいつもの調子で言った。
「どうしたね木山くん。喜びたまえ、実験は成功だ。これでSYSTEMに達する方法が見えてきた。今いる
幻生の発するいつもの声が、今だけは全く違うものに思えた。それほどに、木山の目の前のナニカは、木山が今まで尊敬していた木原幻生とは違っていた。
口元を押さえて青ざめる木山に、幻生はどこまでも軽い口調で尋ねる。
「本当にどうしたんだい? 顔色が悪いけど、またいつもの調子で不摂生をしたのかな」
「実験が……成功……? まさか、人為的に……!?」
「いやぁ、言っただろう? 『SYSTEMに達する方法が見えてきた』って」
「騙して、いたんですか……? 私も、子供達も!」
「おかげで良いデータが採れた。木山くんもこのくらいできるようにならないとね。君には期待してるんだから」
にこやかに笑う幻生に、木山は目を見開く。
もう、何も言えなかった。
目の前にいるのが人間だとは、とても思えなかった。
『木原』はにっこりと笑っていた。
――かけがえのないものができていた。
――なのに、あのとき、私は何もできなかったんだ。
あまりにもあっさりと、実験は終了した。
木山を除いて、実験室にはもう誰もいなかった。子供達も、もうここにはいない。知らぬ間に大切になっていたもの、それらは全て、あっという間に手のひらから溢れていった。
木山は実験器具の一つに視線を向ける。血塗れのカチューシャが無造作に置かれていた。
枝先絆理のものだった。
実験によって、子供達は昏睡状態に陥った。目覚めることは絶望的だと木山は聞かされた。
けれど、諦めきれなかった。
自分は子供達を裏切った。その信頼を踏みつけた。
だから、償わなければ。
もう一度子供達と話して、謝らなければ。
そう思えば、『絶望的』なんて陳腐な言葉で止まるわけにはいかなかった。
「だから、どんなことをしてでもあの子達を助けたかった」
荒れ果てた高架下で、『今』、木山春生は言う。
御坂美琴へ向けて、真っ直ぐに。
後半部分がやっつけになってしもた。一話に収めようとしたのが間違いだったのかも?
個人的に今回の話はTHE☆竜頭蛇尾な印象だなー、と反省点をここにメモしてみたり。