分岐点
好きなもの。
それはエメラルドグリーンの瞳。
嫌いなもの。
それはたくさんある。
父親の怒鳴り声。母親のヒステリックな泣き声。石を投げてくる近所の同級生。周りの人からの化け物を見るかのような目。継ぎ接ぎだらけの洋服。冬の留守番。1人で過ごさなければいけない夜。
ーー今、また増えてしまった。
目の前でニヤニヤ笑うポッターとブラック。
怒ったリリーは自分の手を引いてコンパートメントを出た。汽車は田園地帯を抜けてぐんぐんと加速する。
「またな、スニベルス!」
背後からそう言葉を投げかけられた。
「エバンズ・リリー!」
彼女の名が呼ばれた。
緊張の中で僅かな笑みを自分に向けると、覚悟を決めたように壇上へと向かった。大広間の天井に瞬く夜空が、彼女をきらきらと照らす。深みがかかった赤毛は自分には眩しくて、彼女の凛とした表情に釘付けだった。
壇上へ登った小柄な彼女は、グッと帽子を握りしめるとそのまま勢いよく被った。もう待ちきれない!そう言いたげに。
どうか--頼む、お願いだ。
神など1度も信じたことはないが、縋るように祈った。
どうかどうか、彼女と同じ寮に。
この日、この時。彼女の存在は自分の全てだった。
永遠と思えたほどの、けれども一瞬の静寂。
「グリフィンドォオオル!!!」
思わず、呻き声が洩れた。文字通り目の前が真っ暗になった。
リリー・エバンズは頬を上気させて、グリフィンドールのテーブルへと向かう。
列車の中で会ったあの憎らしいブラック家の長男、シリウス・ブラックが親しげに彼女に話しかけた。それを見て腸が煮えくり返った。
自分の苦しみを他所に、順調に組み分けは進んでいく。
「スネイプ・セブルス!」
とうとうセブルスの名が呼ばれ、のろのろと壇上へと向かった。
どうでもいい。
どうせ自分の行く寮は決まっている。
そう。セブルスにとっての問題は、彼女がスリザリンに入るかどうか--それだけだったのだ。
だから、彼女と同じ寮になる他の可能性なんて考えてすらいなかった。
半ば自棄になって、ボロボロの帽子に頭を突っ込んだ。
「これはこれは…君はプリンス家の血を引く子か。 ふむふむ。自分の力を試したいという野望がある。 性格は少々排他的。 それに血筋への誇りも持っているときた。 なるほど、君の寮は決まった。 スリ…」
物語は変わる。
ほんの少しの、帽子の熟考。たったそれだけで。
そう。もし組み分け帽子が性急じゃなかったら。
「……ん? いや、これはどうしたものか。 君は気付いていないようだが…。 ふむ……そうか、君の本質はスリザリンではない。 むしろ……」
帽子はまるで生きているかのように、息を吸い込む素振りをした。
「グリフィンドォオオオオオオル!!」
新入生の獲得に赤と金色の獅子の寮から、歓声が上がる。ジェームズとシリウスは盛大に椅子からずっこけ、リリーは目を輝かせて大きな歓声を上げた。
「は……?」
歓声と拍手の中で、一人自分だけが取り残されたように帽子を手に呆けていた。
手足が固まったように動かない。
一体、今この帽子は自分に何と言った?
自分がグリフィンドール?そんなことはありえない。ありえるはずがない。だって、自分は何よりもスリザリンを望んでいて·····。
あぁ、そうだ。きっと何かの間違いなのだ。帽子は言い間違えただけで、この後やはりスリザリンだと訂正を--。
しかし、そんな現実逃避をしても帽子は役目を終えたとばかりに一言も喋らない。静かに次の組み分け者を待っている。
「どうしたのです、ミスター・スネイプ? さあ、グリフィンドールはこちらですよ」
壇上で固まってしまった新入生を見かねたのか、緑色のローブを纏った中年の女性教師が近付いてきた。グリフィンドールの寮監のミネルバ・マクゴナガルだ。
「あの、違います。 僕は--。」
本当はスリザリンへ行きたかったということを訴えようとした。が、混乱してしまい言葉を上手く紡げない。もごもごと口を動かして、挙句に俯いてしまった。
すると、マクゴナガルは『この生徒は、寮のテーブルに行くのを恥ずかしがっている』とでも解釈したらしい。
およそ普段の厳格な彼女からは想像がつかないほど、優しく微笑んだ。
「大丈夫です。 グリフィンドール寮の生徒はみんな私の自慢で、良い生徒ばかりですよ」
そして、グリフィンドールの寮へ行くよう背中を軽く押して促した。セブルスは困惑の表情を隠せず、獅子のテーブルへと向かう。
上級生はモタモタしている自分を笑いながらも、未だに拍手を送ってくれる優しい人もいる。
「あぁ、セブルス! 同じ寮になれたのね!」
セブルスを横に座らせると、リリーが嬉しくてたまらないと言った様子で抱きつく。セブルスは突然のリリーからの抱擁に顔を赤くすると、やっと少し平静さを取り戻した。
「あ、あぁ。リリー。 そうだ、確かに一緒だ。 でも、でも……」
その時だった。
「何でこいつがグリフィンドールなんだよ」
突然吐き捨てるように言われたその言葉に、リリーは隣りの彼をきっと睨みつける。
「ちょっと! 何よ、その言い方!」
そうだ。グリフィンドールということはつまり、列車の中で会ったこいつらとも一緒だということだ。
シリウス・ブラックとジェームズ・ポッター。
再び、馬鹿にされた憎しみが腹の中で沸き立つ。
セブルスも彼らを睨みつけ、何かを言い返そうと口を開きかけた。
が、そこで意外なことが起きた。
「やめろよ、シリウス」
ジェームズがシリウスの暴言を諌めた。ジェームズはちょっと複雑そうな顔をしていたが、その目にあったセブルスへの敵意は消えていた。代々グリフィンドールであることを誇りに思うポッター家の嫡男の彼にとって、同じ寮であることでいがみ合う対象ではなくなった。
「組み分け帽子は、彼をグリフィンドールに選んだんだ。 僕らが喧嘩し合う必要はないよ」
喧嘩腰になっていたセブルスは、ジェームズのその態度に拍子抜けした。
そして、それはシリウスも同じだったらしい。
「で、でもジェームズ…こいつはスリザリンに入りたがっていた。 それは間違いないだろう?」
彼は困ったような顔で尚も食い下がった。
シリウスとしては列車で啖呵をきったことが尾を引いているのだろう。
何としてでもグリフィンドールに入りブラック家に反抗したかったシリウスにとって、スリザリンに入ることを望んでいたやつがグリフィンドールに選ばれる、それは許せることではなかった。
これから未知の学生生活を送る幼い彼らにとって、親から与えられてしまった寮の印象は絶対的なものであった。
少々の気まずい沈黙。マグル生まれで寮のことなんてよく分かっていないリリーは困ったように、交互に視線を動かしている。
「ジェームズだっけ? 僕も君の言うことに賛成」
その時、ジェームズ・ポッターの隣りに座っていた、ブラウンの髪の男の子も口を挟んだ。
確かセブルスの少し前に組み分けされた少年だ。線が細く色白で、どこか大人びた印象を受けた。
セブルスの視線に気が付いたのか、彼はこちらを見て柔らかく微笑む。
「僕はリーマス・ルーピン。 せっかく同じ寮になれたのに、初日から喧嘩なんて馬鹿馬鹿しいと思わない? どこに行きたかったとか関係ないじゃないか。もう寮は決まっちゃったんだし」
その大人びた客観的な言葉は、少しぴりついていた皆の緊張を溶かしてしまった。そうだ、寮は決まってしまったのだ。その決定はもう覆せない。
「そうだよ。せっかく憧れのグリフィンドールに入れたのに! それにしてもセブルス、君変わってるね。 スリザリンに入りたいなんて。 …あ、僕はピーター!」
第三者の介入によって、居心地の悪かった空気が和み、シリウスは少しバツが悪そうな顔でそっぽを向いた。
ジェームズはそれを見て苦笑すると、セブルスに手を差し出した。
「列車の中ではスニベルスなんて言ってごめん。 水に流してくれるかい?」
セブルスは思わず口をぽっかりと開けたまま、目の前の少年を見つめた。
その目は、純粋に自分との仲直りを望んでいるようで、馬鹿にしたり揶揄おうとする気配は微塵もない。
初めてだった。
自分にそんなことを言ってくれたのは。
セブルスは照れ隠しにふんと鼻を鳴らすと、仕方ないと言いたげに握手に応じた。
……リリー以外で初めて出来た友人だった。
もちろんスリザリンを馬鹿にしたジェームズを許したわけではないし、相変わらずシリウスはそっぽを向いている。
何よりリリーが、見直したようにジェームズを見ているのは気に食わない。それに自分の望む寮は相変わらずスリザリンだ。
でも、グリフィンドールもちょっとくらい良いところはある。
きっと、ちょっとくらいは。
そんな可愛げのないことを思いながら、リリーによそってもらったローストビーフを口にかきこんだ。
こうして、セブルス・スネイプはグリフィンドール生になった。
後先考えず始めてしまいました。
どこまで行けるかわかりませんが、頑張ります。応援してくださったら嬉しいです。