その日、ハリー・ブラックは非常にご機嫌でベーコン・エッグをぱくぱくと口に運んでいた。
雲ひとつない青空は飛べばそのまま吸い込まれそうで、絶好のクィディッチ日和だ。
そもそも今日から始まる飛行訓練は、あくまでも魔法使いが最低限箒で飛べるようになるためのものであり、あまりクィディッチとは関係ない。だが、ハリーは手当たり次第に自分が1歳の頃からおもちゃの箒を乗りこなしていた話を繰り返していた。
「あーあ・・・せっかくの飛行訓練なのにスリザリンと合同ってのはなぁ」
ロンはサンドイッチを口に放り込みながら、憂鬱そうに言った。
「そう? 僕は嬉しいけど」
「スリザリンとの合同授業で喜ぶのなんて、君くらいのものだよ」
朝食を終えると、ハリーとロンは校庭へと急いだ。
校庭での授業は初めてだが、二十本ほどの箒が整然と地面に並べられていたのですぐに分かった。
飛行訓練指導のマダム・フーチは白髪を短く切った、いかにも体育会系と言った教師だった。
赤色と緑色でぱっくり分かれている生徒達の中で、仲良く談笑するハリーとドラコとシャルロットはなかなか異質だった。
「こら、そこ! 無駄口を叩かないで! さあ、箒の横へお立ちなさい」
ハリーは箒をチラリと見下ろした。かなり前のコメットの旧型だ。
何てボロボロなんだろう!
ハリーはちょっとガッカリした。もし、ここにこないだシリウスに買ってもらったニンバス2000があったなら、皆が腰を抜かすほどの飛びっぷりを見せてあげられるのに。
「さあ、左手を箒の上に突き出して。 そして、『上がれ』と言いなさい」
「上がれ!」
マダム・フーチの言葉で、一斉にみんな叫ぶ。
ハリーの箒はすぐさま飛び上がって、ハリーの手に収まった。ハリーは自慢げにふんと鼻を鳴らす。
少し離れたところで、ドラコも1発で箒を手中におさめるのが見えた。しかし、意外なことに上手くいかない生徒は多かった。全く、みんなこの年になるまで箒に乗らないなんてどうかしている。
箒と学力はどうやら関係ないらしく、何度も「上がれ!」と叫んでいたがハーマイオニーの箒は微かに身じろいだだけであったし、シャルロットに関しては箒はぴくりとも動かない。ドラコがシャルロットにマンツーマンで教えてあげていた。
やがて、マダム・フーチは箒にまたがる方法をやって見せた。
「さあ、それでは次は私の合図で地面を蹴ってみましょう。 いきますよ、それ・・・いち、にの・・・」
「うわああああああああああああああ」
マダム・フーチの言葉は最後まで続かなかった。
ネビルが強く地面を蹴りすぎたのか、すごい勢いをつけて空へと舞い上がった。そして、そのまま箒は真っ逆さまに落ちる。
周りから悲鳴が上がった。
ネビルがドサッと地面に落ちると同時に、ポキッと明らかに骨の折れた音がした。
「手首が折れているわね」
マダム・フーチはネビルを立たせると、他の生徒に向き直る。
「これからこの子を医務室に連れていきますから、その間誰も動かないこと。 さもないと、クィディッチの『ク』を言う前にホグワーツから出て行ってもらいますよ・・・さあ、行きましょうネビル」
ネビルの顔は今や涙でグチャグチャだ。よろよろと先生に抱きかかえられるよう歩いていった。
「見たかよ、さっきのあいつの顔」
マダム・フーチとネビルが遠ざかると、スリザリン寮生のブレーズ・ザビニが嘲笑う。それを皮切りに他のスリザリン寮生もゲラゲラと笑った。しかし、隣りに同じくらい飛べなそうなシャルロットがいるせいかドラコはあまり笑っていなかった。
「やめなさいよ、あなたたち」
「あら、パーバティったらあんなチビに気があるなんて知らなかったわ」
パンジー・パーキンソンの言葉に、さらに2つの寮は険悪になる。
ハリーは草むらに思い出し玉が落ちているのを見つけると、後でネビルに返してあげようとポケットに入れた。
ハリーは箒に跨った。軽く地面を蹴ると、2メートルほど浮かぶ。
「ふーん、こんなオンボロでも何とか飛べるもんだな」
「ハリー! あなた何をやっているの!? フーチ先生の言葉を聞いてなかったの!? 退学になるわ!」
ハーマイオニーの金切り声が飛ぶ。皆の注目がハリーに集まった。
ハリーは思い出し玉をしまったのとは逆のポケットに手を突っ込むと、黄金色の小さな何かを取り出しニヤリと笑った。・・・スニッチだ。
「なぁ、ドラコ。競争しないか? どっちがこれを先に取れるか」
ドラコは吃驚して、スニッチとハリーの顔を交互に見つめた。
「そんなものどこで手に入れたんだよ、ハリー」
「もちろん拝借してきたのさ。 で、やるの?やらないの?」
「でも・・・バレたら退学だぞ。 君はわかってるのか?」
すると、ハリーは突然ケラケラと笑い出した。
「僕と君が退学? まさか! そんなことあるわけないだろ。・・・ビビってんのか、マルフォイ坊ちゃん」
「なんだと?」
ドラコの白い顔にほんのり赤みが刺す。
あっさりと挑発に乗ったドラコは、ひらりとコメットに跨った。
「勝負に乗ってやるよ」
「そうこなくちゃね」
ハリーがスニッチを城の方に思いきり投げる。金色のスニッチは羽を小蜂のように瞬かせ、あっという間に見えなくなった。
ハリーとドラコが同時に追いかける。
「やめて、ハリー! だめよ!」
ハーマイオニーの声は彼たちに辛うじて聞こえたのか、否か。
ぐんぐんと箒は高度を上げる。
シャルロットが、またかと言わんばかりに溜息をついた。
パンジーや何人かのスリザリン生は黄色い声を上げてドラコを応援してる。
風を切って、二人は飛び続けた。やがて城に辿り着くと、塔の周りを回りながらスニッチを探す。勢いよく旋回すると、箒がチリチリと音を立てた。
「クッソ! このオンボロめ!」
キンキンする耳を押さえながら、ハリーは悪態をついた。全くもってニンバス2000が恋しい。
ハリーは箒の柄を掴んだまま、当たりを見渡す。城の中庭の方に、きらりと何かが金色に光った。
見つけた。
ハリーは箒をぐっと掴むと、急降下した。僅かに遅れて、ドラコも。
耳が弾き飛ばれそうになるほどの風圧。スニッチは再び皆がいる校庭の方にひらひらと逃げていく。
ハリーとドラコはぴったり寄せあって、ぐんぐんぐんぐん加速する。
2人は同時に手を伸ばす。そして・・・。
「やった! 僕の勝ちだ!!」
小さな手がスニッチをしっかり握る。
ハリーは息を切らせながら、吠えるように言った。
隣りのドラコもはあはあと息を整えている。
「クッソ! もう少しだったのに!」
「これで28勝27負だな、ドラコくん」
ハリーはご機嫌で言うと、ドラコの肩に手を回した。
「違うだろ! 27勝27負で引き分けだ。 こないだは僕が勝っただろう!」
「あれ、そうだっけ? どっちが正しいが覚えてる? シャルロット・・・」
ハリーはシャルロットの意見を聞こうと、皆の方を振り向き、そして凍りついた。
そこには、マクゴナガルとレギュラスが仁王立ちしていた。
先程まで大声で観戦していた生徒達も、先生の後ろで小さくなっている。
「まあ・・・一体あなた達は・・・よくもこんな・・・大怪我をしていてもおかしくないのに・・・」
「全くです。 1年生があんな飛び方を・・・。 さあ、私と来なさい。ドラコ」
「あなたは私に着いて来なさい、ブラック」
ハリーはさすがにちょっと慌てていたものの、相変わらず生意気そうな顔を崩さずマクゴナガルに着いていく。
ドラコに関しては絶望に打ちひしがれた顔で、手が小刻みに震えていた。
しかし、2人を待ち受けていたのは最年少シーカーの座と、申し訳程度の3日の罰則だった。
「全く、君と付き合うと本当にろくなことないよ」
溜息を吐きながら、ドラコは表玄関の大きな窓を拭いた。装飾が無駄に華美なため、拭くところは嫌という程ある。なぜ自分がこんな屋敷しもべ妖精みたいなことをやらなければいけないのか、と言いたげだ。
「何言ってんだよ。 シーカーになれることと比べたら、こんな罰則安いもんだろ」
「・・・まあね。 でも、うちの親は君のとこみたいに甘くないんだよ。 見せようか? 羊皮紙3枚にわたる説教」
「あははは! そりゃ傑作だ」
ハリーは心底おかしそうに笑った。
とは言え、その長文の手紙と共にしっかりドラコの持ち物のニンバス2000も送られてきたらしいので、彼の親も口では何と言おうが甘い。
「それじゃあ、あなたたちは規則を破ってご褒美がもらえたと、そう思ってるのね!?」
ややヒステリックな声に振り返ると、ハーマイオニーが腰に手を当てて立っていた。
「気のせいかな? 今、君『あなたたち』って言った? 僕は、君みたいなのと友達になったつもりないけど」
ドラコがさらりと皮肉を言う。
「やぁ、ハーマイオニー。 元気?」
呑気なハリーの言葉に、ハーマイオニーはさらに眉を吊り上げた。
「今回は偶然助かったけど、わかってるの? あなた退学になってたかもしれないのよ。 それか軽くても減点よ!」
「何言ってんだよ、減点なんてされてなんぼだろ。 なぁ、ドラコ」
「いや、僕はそこまで思ってないぞ・・・」
「・・・あら、そう。 それなら言っておきますけどね。あなたがくだらない理由で減点されたその点数は、私が獲得したものだってこと忘れないでちょうだいね!」
それだけ言うと、ハーマイオニーは肩をそびやかして行ってしまった。
「あんなにお節介な人、他に知ってる?」
「いいや。だがまあ、彼女の言ってることは正論だぞ」
ハリーとドラコは窓拭きを再開した。
ハリーは全く気にしていないようだが、廊下に人が通る度にチラチラ見られて恥ずかしい。
1年生でシーカーが誕生するのすら何百年ぶりかなのに、それが2人ということで最早校内中がこのことを知っていた。
多くの上級者から褒められ悪い気はしなかったが、スリザリン内ではグリフィンドールよりずっと罰則に対して恥を持つ。
「あーあ、シャルが昨日みたいに差し入れ持ってきてくれないかなぁ」
「来ないだろう。 彼女は今日図書館に行くと言っていた」
「ふーん。・・・でさ、さっき話した続き。 三頭犬は何を守っていると思う?」
人通りが少なくなると、ハリーは声を潜めてドラコにそう訊いた。
何でも、真夜中の校内探検で立ち入り禁止の廊下で三頭犬が何かを守っているのを見つけたらしい。
「さあ・・・分からないけど、それは確かに例の713番金庫から取り出されたものなのか? 僕には、校長があの・・・森の番人にそんな大切なことを頼むとは思えないね」
「うーん。 確かにハグリッドはそそっかしいけど・・・信頼はできるいい奴だよ」
ハリーのフォローに、ドラコは鼻をふんと鳴らした。
「今夜もう1回見に行ってみようかな。君もどう、ドラコ?」
「嫌だね。 君に付き合ってたら、何回退学になっても足りないよ」
にべもなくドラコは断った。
エタったなんて言わせない。