「闇の印…!」
そのままドラコたちと一緒にいたハリーは、不意に森の中から禍々しい緑色の髑髏が打ち上げられるが見えた。
思わず、ハリーもドラコもナルシッサまでもが言葉を失った。
やがて、暫くすると森の木立の中で眩い閃光が飛び散った。
そして、怒号。怒号。
ハリーはその中にシリウスの声を聞いた。目を凝らして見ると、どうやら魔法省の職員たちが騒いでいる。
闇の印を打ち上げた犯人でも捕まえたのだろうか。
「あっ」
「ん? どうした?」
ハリーが突然声を上げたので、ドラコはぎくりとした。
「どうしよう。 僕、杖を落としちゃったみたい」
ポケットの中は空っぽだった。さっき逃げている時、何度か転んだ。その時に落としたのだろう。
「なんだって?」
念の為、2人で丘の上に杖が落ちていないか探してみたが一向に見つからなかった。
「とにかく君はシリウスおじ様と合流しなよ。 僕たちと一緒にいたら不味い」
「そうする。 ごめんね、ドラコ。 色々ありがとう」
ハリーは急いでそう言うと、丘を駆け抜けた。
森の近くまで来ると、焦げ臭い嫌な匂いが鼻についた。
魔法省の職員の喧騒の中ハリーはシリウスを見つけると、走りよって抱きついた。
「ハリー! よかった…無事だったんだな」
シリウスも抱きしめ返し、ハリーの頭をくしゃくしゃ掻き混ぜた。
「うん! でもね、僕森の中で杖を落としちゃった」
ハリーが気落ちしてそう言うと、シリウスはあまり驚いた素振りもなく、むしろ納得したように頷いた。
「なるほどな。 だから、ここにおまえの杖が落ちていたのか」
シリウスは円になっている職員たちの中心を指さした。
ハリーは魔法省の職員たちが囲んでいるのが自分の杖だと気付きハッとした。直前呪文を調べる魔法がかけられたのか、杖からは小さな緑色の髑髏がぷかぷかと浮かんでいる。
魔法省の職員たちの視線がハリーに集まる。
「現行犯だ!」
不意に誰かがそう叫んだ。
声のした方を見ると、それはセドリックの父エイモス・ディゴリーだった。
「違う! 僕はやってない!」
「しかし、それはおまえの杖だろう! じゃあ、今まで何をしていた? 1人だったのか?」
「それは…」
ハリーはまさかドラコとナルシッサと共に居たとは言えず、口ごもった。
エイモスが勝ち誇ったような顔をした。
「エイモス」
それまで黙っていたシリウスが口を開いた。
「おまえはヴォルデモートを打ち破った、かの有名なハリー・ポッターが闇の印を打ち上げたと言うのか? 奇しくも闇祓い局局長である俺の息子のハリーが?」
シリウスは冷静に切り返した。その顔は冷たい怒りに溢れ、それは彼が端正な顔立ちであるがゆえに殊更壮絶に見えた。
周りの職員は、ヴォルデモートの名とシリウスの態度にたじろいだ。
「い、いや…そういうわけでは…」
エイモスはしどろもどろになった。
そして、そのすぐ後に森の中に倒れていたクラウチ氏の屋敷しもべ妖精ウィンキーが発見され、彼女が疑われた。
--そこまで話したところでシリウスは一息つき、紅茶のカップに手を伸ばした。
「そんなわけでウィンキーは無実だと思うのだが、クラウチにより解雇された。 それで取り敢えず事態は収束したってわけだ」
「何はともあれ、無事でよかった」
プリンス邸、リビングルーム。
『ワールドカップに闇の印現る!』と大見出しがついた日刊予言者新聞を読みながら、セブルスはしみじみと言った。
「そういえば、マッド・アイ・ムーディーから手紙の返事が来ないと言ってたが、来たのか?」
セブルスは思い出したように言った。
「ああ、来たぜ。 新学期の準備で忙しかったんだろう。 あの人が教師とはな…今年はスリザリン生から死人が出るぜ」
時は8月31日、明日から新学期が始まるわけだが例年のごとくハリーは宿題が終わらず、こうしてプリンス家でシャルロットに手伝ってもらっているわけである。言ってしまえば、夏の風物詩のようなものだ。
2階にあるシャルロットの部屋から時折2人の笑い声が聞こえる。本当にハリーの宿題は進んでいるのかと野暮な心配を抱きながらも、同じく明日から出勤となるセブルスも最後の休みをゆっくり過ごしていた。
「しかし、一体誰が今さら闇の印を?」
「闇祓い局としての見解は、元死喰い人たちの面白半分の犯行だということだが…どうにも嫌な予感がする。 魔法省でもバーサ・ジョーキンズが行方不明だ。 それにハリーが変な夢を見たのも偶然とは思えない」
セブルスは、険しい顔で頷いた。
「ああ、それに加えて去年ハリーが聞いたトレローニーの予言だろう? あの後すぐに予言通りペティグリューは逃亡した。 予言によると、『闇の帝王は再び立ち上がる』。 嫌な予感しかしないな」
「馬鹿言え。 ヴォルデモートが復活するって言いてえのか?」
シリウスは隣室にいるダリアに聞こえないよう、少し声のボリュームを落とした。
「分からない。 だが、この世には私たちが想像もできないような恐ろしい闇の魔法もあるだろう?」
「ああ、それに関しては俺の弟が専門だ。 喜んで教えてくれるぜ」
「シリウス」
彼の強烈な皮肉を咎めるよう、セブルスはたしなめた。シリウスはふんと鼻を鳴らすと、お茶菓子のクッキーをバリバリ食べ始めた。彼もまたダリア特製のジンジャークッキーが大好物なのだ。
「想像もしたくないが…もし、あいつが復活したら死喰い人も再結成されるはずだろう?」
「ん? ああ、そうだな」
セブルスは再び読んでいた日刊予言者新聞から目を離し、頷いた。
「…もし、そうなったとしてもドラコだけは助けられねえかな」
シリウスがぽつんと、そう呟いた。
セブルスは、これがあんなにスリザリン嫌いだったシリウスから発された言葉かと驚いた。子がそうであるのと同じように、親というのも子どもの価値観から影響を受けるのかもしれない。
そんなセブルスの驚きの表情を、シリウスは他の解釈をしたようで「いや、なんでもない」と慌てて言った。
「さらに今年は『三大魔法学校対抗試合』もある。 今年も気苦労が増えそうだな、セブルス」
シリウスは揶揄うようにニヤッと笑いながら、話題を変えた。その言葉に、セブルスはげっそりとした。
「気苦労の8割はおまえの息子だぞ。 17歳以下がエントリーできないのは不幸中の幸いだ」
だからこそ、今年はさすがのハリーも大人しくしているだろうと。
セブルスのこの予想は見事に打ち砕かれることを知る者はまだ誰もいない。
場所は変わってマルフォイ邸。
プリンス家も豪邸であるが、それとは比べものにならないまるで古城のようなこの家で、一人息子のドラコはせっせと荷造りに励んでいた。
と言っても、必要なものは全て屋敷しもべ妖精が済ませておいてくれたので、あとはドラコのお気に入りのクィディッチ雑誌や休日用の私服を詰める程度の気楽な荷造りだ。
ドラコの広すぎる自室は優美な家具に囲まれ、全てが高級メーカーの一点物である。
去年のクリスマスにシャルロットからもらったマフラーをこれまた洗練された真っ黒のトランクにしまったとき、扉をノックされた。
「ドラコ、入ってもいいかしら?」
ドラコが返事をすると、ナルシッサが黒地に薄らと銀の刺繍の入ったドレスローブを持って入ってきた。
「ほら、完成したのよ。 上品なデザインね。 きっと貴方によく似合うわ」
「ありがとうございます。 母上」
上機嫌な母親に釣られ、思わずドラコの顔も綻ぶ。
三大魔法学校対抗試合が行われることを既に父親から聞いていたドラコは、自分がエントリーこそ出来ないもののイベント自体を楽しみにしていた。
「ダンスパーティーは誰と踊る予定なの?」
ナルシッサの歌うような声に、ドラコはちょっとはにかんだ。
「そもそもオッケーしてもらえるかどうか分かりませんよ」
「まあ! マルフォイ家の長男である貴方を断る女の子なんていないわ! パンジー? ミリセント? ああ、ダリアも可愛らしい子よね」
「いいえ、母上。 僕はシャルロットを誘おうと思ってます」
途端に、空気が凍った。
ナルシッサの顔からすっと笑みが消える。ドラコは母親のその急な変化に驚き、戸惑った。
「母上?」
「ドラコ。 それは…許すことはできません」
ナルシッサは静かに、しかし厳しく言い放った。
「どうしてでしょうか?」
「…シャルロットのことを悪く言いはしません。 彼女のことは幼い頃から見ていますし、私だって可愛がっていたつもりです。 しかし、ドラコ。 もう貴方も14歳になるのです。 付き合うべき人を考えなければなりません。 貴方はマルフォイ家の跡取りですよ」
「マルフォイ家の長男だという自覚は持っているつもりです。それと、ダンスパーティーの相手をシャルロットにすることに何の関係があるのでしょう?」
ドラコは自身の口から出た言葉が挑発的であることに驚いた。母親に対してこんな口の利き方をしたのは初めてだ。
「みなまで言わないと分かりませんか? いいですか、ドラコ。 今まで私とルシウスは、貴方がシャルロットとハリーと仲良くすることを許してきました。 仲のいい貴方たちを引き離すのは可哀想だと思ったからです。 しかし、最近のあなたを見ていると、どうやらそれは間違いだったようですね」
ナルシッサは不快だと言わんばかりに眉をきゅっと寄せると、そう言い放った。
「ハリーとシャルロットと仲良くさせてくれたことには感謝しています。でも、最近の僕が何か問題でしたか?」
「問題に決まっているでしょう! ハリーにルシウスの話をしたことだって……それに『穢れた血』に逃げるよう忠告し、あまつさえ触れるなど、本当に穢らわしい! 私は貴方をそのように育てましたか!」
「母上! その言葉は使ってはいけない言葉です!」
少々ヒステリックになったナルシッサに対抗するよう、ドラコも自然と声を荒らげた。
「なにを…」
息子から真っ向に否定され、ナルシッサの陶器のような白い肌に僅かに赤みがさした。
しかし、ドラコは真っ直ぐナルシッサの瞳を見据えた。
自分は間違ったことを言っていない。
『穢れた血』。その言葉がどんなに他人を傷つけるか、そして何の意味も持たないか、ドラコは2年前に学んでいた。他ならぬ大切な友達に教えてもらったのだ。
たとえ、マグルの血が入っていてもハリーもシャルロットも自分の大切な友達だ。
「母上、少し1人にさせてください」
これ以上話しても平行線を辿るだけだろう。
ドラコがそう言うと、ナルシッサはさらに何か言いたそうな顔をしたが、黙って部屋を出ていった。
ホグワーツに行く前夜だというのに、その日の夕飯は気まずく味気ないものだった。
ルシウスが訝しげな顔で、ドラコとナルシッサを交互に見つめていた。
てっきりナルシッサが告げ口し、ルシウスから叱られると予想していたドラコだったが、彼女は何も話さなかったようだ。彼女なりに、何か思うところがあったのだろうか。
ドラコはご飯を食べ終えると、とっととベッドに潜り込んだ。
翌日の駅への見送りは、ナルシッサだけだった。ルシウスは何か用事があるらしい。
ナルシッサに連れられ、直接ホームに付き添い姿あらわしをした。
汽車に乗り込んでも尚、気まずそうな顔で目を合わせないドラコに、ナルシッサは困ったように微笑むと身を乗り出して抱きしめた。
「母上…」
「気をつけて行ってきなさいね。 今年も、たくさん手紙を書きます」
ドラコが何か言う前に、汽車は走り出した。控えめに手を振るナルシッサが、どんどん遠くなる。
クリスマス休暇まで、母親とは会えない。
今更ながら後悔がドッと押し寄せた。
ドラコはそのままコンパートメントにも入らず、暫く通路に佇んでいた。
「ドーラコっ!」
「うお!?」
突然背後から大きな声で驚かされ、ドラコは間抜けな声を出す。
振り返ると、薄ピンクのパーカーにジーンズという実にマグルらしい出で立ちのシャルロットがクスクス笑いながら立っていた。
「何ぼーっとしてんのよ」
「驚かせるなよ。 それに、なんだその格好」
「あ、これ? 今日早めにロンドンに来てハーマイオニーとご飯を食べたの」
シャルロットはずっと魔法界育ちとはいえ、父親のセブルスはマグルでの暮らしが長かった。マグルらしい服装なんてお手の物なのだろう。
「それより大丈夫だった? ワールドカップの事件、新聞で見て心配してたの」
「ああ、大丈夫だったよ」
「そう。 この話、ロンの前でしちゃだめよ。 ロンったら酷いの。 ドラコのパパのこと疑ってるのよ」
シャルロットは腕を組んで憤慨したが、ロンの言うことはむしろ的を得ているのでドラコは曖昧に微笑んだ。
「コンパートメントに席とってるの。 私たちも早く行きましょう」
いや、僕はクラッブとゴイルの面倒を見なきゃいけない。父上にそう言われてるから。
そう答えようと思ったが、ついにそれは言葉にならなかった。
ドラコは気付いていた。
そこに例えロンやハーマイオニーが居たとしても、皆で過ごす方が楽しいということに。自分がもう彼らのことを蔑んでもなく、嫌いでもないということに。
汽車は都会を突き抜け、緑いっぱいに広がる田舎を走っている。
通路を進み、ハリーたちのいる扉を開けると、ちょうど車内販売が来たところなのかコンパートメント内はお菓子に溢れかえっていた。
「遅かったじゃん。 場所わかんなかったの?」
ハリーは当然のように、ドラコのために席を空けてくれていた。
ロンは蛙チョコのカードを開けるのに夢中だったが、マルフォイが入ってくると視線は合わせずに「よお」とだけ言った。シャルロットとハーマイオニーは宿題の答え合わせを始め、ハリーがやめてくれと顔を顰めた。
友達は大好きだ。でも、家族のことだって愛している。
何を選ぶべきかなんて、分からない。
ハリー・ブラックは呆然としていた。
クィディッチ寮対抗戦が開かれない。そんなことがまかり通っていいのだろうか。
ふと周りを見渡すと、フレッドとジョージも悲痛な顔を隠そうともせず、他の選手も似たようなものだった。
確かに三大魔法学校対抗試合が開かれるのは嬉しい。しかし、そのためにクィディッチを中止しなくてもいいじゃないか。
こないだのクィディッチ・ワールドカップで覚えた作戦を試せると思ったのに。
「なるほど。 汽車の中でマルフォイが言ってたのは、これか」
ロンは気の毒そうに、ハリーを見遣りながら言った。三大魔法学校対抗試合のことは機密事項だったが、ドラコは父親から聞いていたらしい。汽車の中で、ドラコは勿体ぶったように今年1年はすごい年になるぞと言っていた。
「こうなったら俺たちもエントリーするしかねえな!」
「当然だぜ、兄弟!」
こういう時スイッチの切り替えが早いのが、双子のいいところである。
ハリーは気を取り直し、自分もエントリーしようと息巻いたその時。
ダンブルドアから成人した魔法使いしか出場できないことが発表された。つまり、資格があるのは実質七年生だけだ。
当然、大広間は非難轟々の嵐である。
「そんな馬鹿な話あるか!? 俺たち4月には17歳だぜ?」
「『老け薬』を数滴使えば何とかなるだろう」
フレッドとジョージがヒソヒソとそう話した。隣りに座るハーマイオニーは彼らの会話の内容が聞こえたのか、思いっきり顔を顰めた。
「僕にも分けてくれよ。 カップに1杯飲めば17歳になれるかな?」
ハリーが言うと、ロンも慌ててストロベリーシャーベットを飲み込んだ。
「僕も立候補するかも。 だってやってみなきゃわかんないもんな…あ、いや冗談だよ冗談」
ハーマイオニーの顔色を窺って慌ててロンはそう言った。
宴もたけなわ、長テーブルにズラリと並んだデザートを食べながらあちこちで生徒は喋っている。話題はもちろん三大魔法学校対抗試合のことだが、新任のマッド・アイ・ムーディのことも生徒の興味の対象だった。
傷跡に埋もれた顔、明るいブルーの義眼、馬のたてがみのような暗灰色の髪。男の風貌はあまりにも恐ろしく、そして年頃の生徒の興味を引いた。皆は会話の端々で彼のことをチラチラと盗み見ていた。
「マッド・アイ・ムーディ…あの人知ってるよ。 こないだ、誰かが自分の庭に忍び込んだって大騒ぎしたらしい。 そのせいで父さんが休日だったのに魔法省に駆り出されたんだ」
ロンが勿体ぶったようにそう教えた。
そういえばシリウスがムーディからなかなか手紙の返事が来ないと憤っていた。恐らくこれが原因だったのだろう。
ハリーの傷跡が痛んだことで、シリウスはムーディに心当たりの知識はないか聞いたようだが、残念ながらこれといって的を得ていそうな返事ではなかったらしい。シリウスが彼らしくないと首を捻っていた。
「ハリーのお父様の、前の代の局長ってことよね?」
「そうだよ。 今は隠居してるらしい」
そんな会話をハーマイオニーとしていたところで、校長が再び立ち上がった。
ボーバトンとダームストラングの生徒は十月に到着するらしい。就寝の挨拶を終え、生徒たちは未だ尽きぬお喋りに興じながらゾロゾロと大広間を後にする。
「あれ、ハリーどこ行くの?」
生徒の波に逆らうハリーに、ロンが欠伸を噛み殺しながら言った。
「うん。 ちょっとね」
ハリーはそのまま大広間を突っ切ると、ムーディの元に向かった。ムーディはハリーの姿を見留めると、スッと目を細める。まるで品定めをするかのようなその視線に、ハリーは少し居心地が悪くなった。
「おまえがハリー・ポッター…いや、ハリー・ブラックか」
ムーディは唸るような声色でそれだけ言った。
「はい。 パパから僕が小さい頃に会ったことがあると聞いたので。 それにこないだ手紙を頂きました」
「額の傷が痛むと言っていたな。 …直にその理由もわかる」
「え?」
後半はボソボソとした声だったので、あまりよく聞き取れなかった。
ハリーは聞き直したがムーディは何もなかったかのように、義眼をグルリと回しハリーを隅々まで舐めるよう見つめた。
「ああ、確かにおまえさんのことはよく知っている。 それはもう、な」
気付けば、この小説を投稿し始めて1年が経っていました。来年の今頃までには完走したいです。