「ウッ……オエッ………ウェップ……」
年頃の少女が出していい声ではない。
シャルロットはもう何度目か分からない嘔吐きに、横隔膜を震わせた。
ドラコは険しい顔のまま、シャルロットの背をさすり続けている。
「もう少し嘔吐薬を増やすか?」
「…いいえ、大丈夫。 もう全部吐ききったみたい」
ようやくシャルロットは青白い顔をゴミ箱からあげた。
ドラコが差し出してきた、いかにも高級そうなシルクのハンカチを有難く頂戴すると口元を拭う。
「落ち着いたら話してくれ」
ドラコは杖を一振りしてゴミ箱を片付けると、談話室のソファーに改めて腰掛けた。
シャルロットもそれに倣ったが、まだ少し体が怠かったので寝転び足をソファーの外に放りだした。行儀悪い格好だが、さすがのドラコも諫めはしなかった。
「呪文学の授業のあと、私だけ質問で教室に残ったでしょう? そのあと廊下を歩いてる時に…やられたわ」
このムカムカとした吐き気は先程の名残に加え、不甲斐ない自分への苛立ちからもきている。
「空き教室からモンタギューが手招きしていて。 何事かと思って、教室を覗いたの。 そしたら……」
「アンブリッジがいたのか」
ドラコが呻いた。
「他にも数人いたわよ。 ワリントンとか全員上級生だったけれど」
そして大柄な男子生徒に抑え込まれ、シャルロットは真実薬を無理矢理飲まされた。
アンブリッジがDAのことだけ聞き出すと、すぐに解放してくれたのは不幸中の幸いだった。シャルロットは殆ど情報は持っていないものの、不死鳥の騎士団のことを聞かれていたらと思うとゾッとする。
親たちが自分らに情報を与えないのは、単に子どもに聞かせたくないという感情論とは別に、未だに自分の身を守れないこの有様だからなのだろう。
「別れたふりでもする?」
「しない」
ドラコは即答した。
「した方がいいと思うわよ」
声の方向を向くと、談話室の入口である石の壁がスルスルと開き、尋問官親衛隊が帰ってきたところだった。
声の主パンジーは眉をちょっと上げて言葉を続ける。
「嫌がらせで言ってるわけじゃないわよ。 客観的な事実を踏まえての意見。 ちなみに良いニュースと悪いニュースどっちから聞きたい?」
「良いニュースだけ聞きたい」
これ以上悪い話なんて聞きたくなくて、シャルロットは絶望的な心地でそう言った。
しかし、目の前のパンジーという女性は性格がそれほどよろしくない。
「じゃあ、悪いニュースから。 ダンブルドアが逃亡したわ」
「はぁ!? 何故そうなる?」
ドラコがソファーから崩れ落ちそうな勢いで驚いた。
「ブラックの組織は実はダンブルドアが首謀者だったらしいわ。 大臣に逮捕されそうになって、そのまま逃亡」
「あれって本当だと思う? 私的にはダンブルドアがあいつらを庇って罪を被ったようにも見えたけど」
ミリセントが口を挟む。
シャルロットはこちらが真実だと気付いたが、もちろん口には出さなかった。
「で、良いニュースは?」
ドラコが促す。
「貴方に関することよ、ドラコ。 このおバカちゃんが真実薬を飲まされたことが逆にラッキーだったわね。 ドラコがあの集まりにこれっぽっちも関わってないってことが証明されたから、尋問官親衛隊には明日から復帰できるらしいわよ」
パンジーは、『おバカちゃん』ことシャルロットに視線を移す。
「あんたも場所を提供しただけで、一度もあの会合に参加してないし、メンバーでないことがわかったから今回は厳重注意で終わりだって」
シャルロットは複雑な気持ちのまま俯いた。
パンジーの言い方から察するに、きっとハリーたちDAのメンバーは彼女のあのあくどい罰則を受けるのだろう。
『必要の部屋』を教えた自分が無傷なことに、何となく罪悪感を感じてしまう。
「あんたねー、ドラコに迷惑かけるのも大概にしなさいよ」
黙った自分に苛立ったのか、パンジーがそう言う。
その時、少し遅れて戻ってきた数人の上級生が談話室に入ってきた。
シャルロットの存在に気付くと、気まずそうな顔になる。
そのうちの一人がこほんと咳払いした。
「あー、プリンス。 さっきは手荒なことをして済まなかったな。 しかし、今回のことは君に非がある」
「もし繰り返すならば、その時は君にまた同じことをする。 アンブリッジには逆らわないよう親から言われてるんでね」
口々にそう言うと、自室へと戻っていく。
「プリンス、いい加減身の振り方を考えろ。 ドラコと付き合ってるなら尚更だ」
最後にやや尊大な口調で、モンタギューがそう締めくくった。
そこに考え方の差異はあるものの、シャルロットは正直ぐうの音も出なかった。自分の行動が中途半端であることも自覚していたからだ。
シャルロットはどこか縋るように、ドラコに視線を送った。
しかし彼もまた思い悩んだような顔で腕を組み、俯いた。
そうして、アンブリッジの天下が始まった。
校長に赴任した彼女だが、肝心の校長室はうんともすんとも言わず彼女を部屋に入れることを許さなかった。
ホグワーツには古く強い魔法がかかっている。
『ホグワーツの歴史』を全巻読破しているハーマイオニーの意見だと、学校が彼女を校長と認めていないのだろうとのことだった。
ハリーは深い罪悪感に苛まれていた。
ダンブルドアは自分を庇ってホグワーツを去ってしまったし、DAに参加してくれた仲間たちが例の罰則で手を痛めつけられている姿を見るのは居た堪れない心地だった。
「こんな傷、すぐ治るさ」
「大丈夫だよ」
双子が、手をおさえシクシクと泣く下級生に優しく声をかけた。
もともと兄としての面倒みの良さもあるのだろう、最近の彼らはアンブリッジに痛めつけられたDAの仲間や下級生の元を駆け回って慰めていた。
「ありがとう、2人とも。 本当は僕がやるべき役目なのに」
下級生が居なくなったあとハリーは項垂れてそう言った。
「責任を感じなさんな、英雄殿」
「ああ、本当はクィディッチ杯も終わったしこのまま派手なことでも起こして退学しちまおうと思ってたんだけどな」
相変わらずとんでもないことを考えつく双子に、ハリーは舌を巻いた。
悔しい気がするが、間違いなく悪戯仕掛け人に近いのは自分ではなくこの二人なのだ。
「君のパパに止められたのさ。商売する上で大事なことだから何とか卒業はしとけって」
「あと君の面倒を見てやってくれと頼まれたのも大きい。 ふむ、スポンサーに頼まれたら断れまい」
「ロニー坊やに加え、ハリー坊やのお世話もしないといけないとは。我らの本業はベビーシッターだったらしい」
双子は両手を上げ大袈裟にため息をついてみせた。
「嫌だなぁ、もう。 パパったらそんなこと頼んでたの? いつまでも子ども扱いして」
「ちなみにモンタギューが行方不明なのも我々の仕業なのである」
「そうともグリフィンドールの下級生をいびっていたからキャビネットに押し込んでやった」
とうとうハリーはゲラゲラ声を立てて笑った。
確かそいつはシャルロットに無理やり真実薬を飲ませた連中の1人だったはずだ。いい気味である。
それに気を良くしたのか双子もつられてニヤッと笑みを浮かべた。
「まあ、そんなわけだから何か困ったら」
「我らに相談したたまえ」
そんな2人に勇気づけられ、ハリーは嫌で堪らない閉心術の訓練へと向かったのだった。
地下にいる魔法薬学室は今日も黴臭く陰気だった。
レギュラスは容赦なく何度も『開心術』を掛けてきた。
「レジリメンス!」
もう何度目なのかも分からなかった。
遠のきそうになる意識の中で、乱暴に記憶がかき混ぜられる。
心を空っぽにしようと思っているのに、どうしても出来ない。
小さな頃の些細な出来事から最近の授業まで、全て併せてぐちゃぐちゃと混濁する。
「·····今の記憶はなんです? 暗い廊下の扉の前で貴方が立っているのは」
レギュラスがこちらを探るように見つめる。
その瞳はシリウスと同じもので、正面から見据えられるとハリーは居心地が悪くなってしまう。
「一昨日見た夢です」
正直に答えると、ぞっとするほど重苦しい沈黙が流れた。
「貴方がここに来ているのは夢を見ないようにするためだと、私は思っていました」
冷たい声でレギュラスは言った。
ハリーは悔しさに歯噛みした。
「学ぶ意志のない者にこれ以上付き合う暇はないのですが。 ·····レジリメンス!」
「プロテゴ!」
咄嗟にハリーは盾の呪文を張ってしまった。
その時、不思議なことが起きた。
ハリーの中に全く知らない記憶が流れ込んできたのだ。それはあまりに突然で、ハリーは拒むことも出来ずに受け入れるしかなかった。
今よりも活気のあるグリモールド・プレイス12番地。
若いシリウスが、濃い黒髪の女性と激しく言い争っている。
その女性をハリーは肖像画で見たことがあった。グリモールド・プレイスにて自分に罵倒を浴びせてくる女性だ。
肖像画より若く、そして美しい女性ヴァルブルガ・ブラックは一際ヒステリックな怒鳴り声を上げた。
凄まじい口論を繰り広げる2人から見えない階段の物陰で、レギュラスが耳を強く抑えて目を瞑っていた。聞きたくない、見たくない、争ってほしくない--。
少年の心情が痛いくらい、ハリーに流れてきた。
次の瞬間、ハリーは魔法薬学室の冷たい床で呆けたように座り込んでいた。
レギュラスが杖を持つ手を震わせてよろめいた。
「今のは、進歩と言わざるを得ないでしょう」
次の瞬間には彼は平静を取り戻し、そう言った。
「ブラック先生、今のは?」
「盾の呪文を使えと教えた記憶はありませんが、確かに貴方は開心術を防ぐことに成功しました」
レギュラスを有無を言わさない口調でそう言った。
その態度でハリーは、先程垣間見た記憶がレギュラスのものであることを確信した。
「さっきのはブラック先生の記憶ですよね? 開心術を防ぐと、逆に相手の心に侵入することがあるんですか?」
さらに踏み込んできたハリーに、レギュラスは少し苛立ったように唇を歪ませた。
「必ずではありません。しかし、良く起こる現象と言えるでしょう」
乱れた前髪を直すと、レギュラスは再び杖を上げた。
「今の感覚を忘れてはいけません、もう一度いきます。レジリ·····」
「ブラック先生!」
突然ドラコがノックもせず入ってきた。
そして、ハリーの存在に気付くと驚いたように目を見開く。
「どうしました、ドラコ。 ノックをしないとは貴方らしくない」
「すみません、その、モンタギューが何故かトイレで見つかりまして」
「はい? どうしてそんなところで?」
レギュラスは露骨に面倒くさそうな顔をしたまま、杖を仕舞った。
そして、ちらりとハリーを見遣る。
「ここで待機しているように」
簡素にそれだけ伝えると、ドラコと共に廊下へ出て行った。
残されたハリーはよろよろと椅子にもたれかかった。
レギュラスの教え方は酷くスパルタで感覚的なものだったが、それが奇しくも自分に合っているのも自覚していた。それでも尚、ここまで苦戦するのは、やはり自分に閉心術が向いていないからだろう。
ハリーは座って伸びをしながら、先程見たレギュラスの記憶を思い返していた。人の心情を垣間見てしまうというのは不思議な心地だった。
意外だったのは、普段の彼からは想像つかないほど先程のレギュラスの記憶は人間味があったことだ。
少なくともあの瞬間、彼は兄も母もおそらく愛していたし、争うことを嫌がっていた。
ハリーはふと室内に視線を向け、変わらず卓上に『憂いの篩』があることに気付いた。
そして同時に、何故そこにそれがあるかを理解した。
ハリーに見られたくない記憶をそこに隠しているのだ。
抗いがたい好奇心がむくむくと膨れるのを感じた。
もしかしてその記憶は、兄と弟の確執に迫れるのではないか。
何故彼が死喰い人になったのか分かるのではないだろうか。
ハリーの心臓がどきどきと高鳴る。
見たいという欲求を抑えきれず、ハリーは篩に顔を押し付けた。
篩に引き込まれると、銀色の糸がくねくねと渦巻いて物質を作り上げる。それは次第にハリーが見慣れたホグワーツへと形を変えた。
雪が降っていた。
レギュラスが学生だった頃の記憶なのかと最初は思った。しかし、ハリーが見知った生徒たちがたくさん居たので、すぐにこれが最近の記憶であることがわかった。
華やかに着飾った生徒が多い。
どうやらこれは去年のクリスマス・ダンスパーティーのようだ。
ひとけのない裏庭でレギュラスはぼんやりと物思いに耽っていたようだ。
黒い外套に雪が少し積もっているから、彼は長いことここに居たらしい。
ふとレギュラスが顔を上げ、ハリーを超えて遠くを見た。
誰か知り合いを見つけたのだろうか。つられて、そちらの方向へ振り返る。
次の瞬間、ハリーはぎょっとした。
そこにいたのは自分もよく知る顔だったからだ。
ハーマイオニー・グレンジャー。
ピンクのドレスを纏った彼女は同じく驚いた顔でレギュラスを見つめていた。
転びかけてしまった彼女をレギュラスが助け起こす。
そしてワルツが流れると、2人は雪の中で静かに体を傾けて踊り始めた。
ハリーは今にも頭がパンクしてしまいそうだった。
この記憶はなんだ? 一体何が起きているんだ?
音楽が終わると、レギュラスは見たことないほど優しい顔でハーマイオニーの額にキスを落とした。
呆然とその様子を見つめていたハリーは、突然首根っこを捕まれ引っ張られた。
次の瞬間ハリーは、魔法薬学室の冷たい床の上に派手に打ち付けられた。
目の前には怒りで蒼白になったレギュラスが立っていた。
「すると·····貴方は見たのですね?」
彼は唇をわなわなと震わせながら、ようやく言葉を絞り出した。
「今の記憶は何なんだ! おまえハーマイオニーに何をした!」
我を取り戻したハリーはそう怒鳴った。
「おまえ…! まさか……うっ」
ハリーが再び何か言い切る前に、ありったけの力で彼に胸倉を掴まれた。
息がつまり言葉が途絶えたハリーに、レギュラスはぞっとするほどの視線を投げかけた。
「もしも、貴方がこれを誰かに話したら·····私は貴方を殺します」
ハリーは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼の灰色の瞳には、脅しではなく確かに自分への強い殺意が存在していた。
「このことで彼女を問い詰めたり、彼女を傷つけた場合もやはり殺す」
剣幕に気圧され、呼吸もできずはくはくと口を動かしながらハリーは何度も頷いた。
レギュラスが手を離し、再びハリーは床に打ち据えられた。
「出て行ってください。 二度とここで貴方の顔を見たくありません」
そう言葉を吐き捨てられ、ハリーは脱兎のごとく部屋から飛び出した。
心臓がばくばくと跳ね回る。
ハリーは彼の研究室から遠く離れたところでようやく足を止めると、痛む箇所をさすりながらどうにか心を落ち着けようとした。
ハリーは、ハーマイオニーの長年の片思い相手を知ってしまったのだ。
それはあまりにも衝撃的な事実だった。
どうしてよりにもよってあいつを?
裏切られたような気持ちになり、怒りがハリーの中に広がる。
しかし、ハリーの怒りは沸騰しきらなかった。
まるでさっきの2人は愛し合っている恋人同士のように見えたし·····何よりも。
レギュラスの彼女を見つめる目が、シリウスが自分を見るものと同じだったのだ。
その慈愛のこもった瞳に、元死喰い人で悪人だと教えこまれていた彼が、血の通った人間であることをハリーは今更ながら理解したのだった。
原作だと、ジェームズがスネイプをいじめているのを見てしまうシーンですね。
次回投稿は明後日の6日です。
不死鳥の騎士団編は書き終わっているので、このまま止まらず投稿していきます。