> [1/1] ザ・ロンゲスト・デイ・オブ・オルレアン④
[PM 18:38]
司令室の中央に大皿で提供されていたサンドイッチを、ぬるくなったコーヒーで喉の奥まで流し込む。
戦場の速度で変化する特異点の状況を映した巨大モニターから強いて視線を外し、オルガマリーは目の前の食事に集中しようとした。
食欲などまるで湧かなかったが、身体はひどく空腹を訴えていた。思えば、今朝は朝食を摂っていない。いや、昼食もだ。一日中司令室から離れることなく、合間に何か口に入れていた記憶はあるが、どんな味のものだったかすら定かではなかった。記憶を掘り起こそうとすれば、頭の回転が疲労で鈍く重くなっていることを気付かされる。
『ラ・ピュセルの御力を疑っていたわけではないがな……。しかし、やはりモノが違う』
念話を通じて、男の呟き声がオルガマリーの耳に届いた。
オルガマリーは食事を止め、努めて冷静に聞こえるだろう言葉を選んで男に語り返す。
「それほどの英雄が求められる戦いなのです。そしてこの先、オルレアンで待ち受ける敵の強大さは、この街に潜んでいたものたちの比ではないでしょう」
『聞いていたのか、魔術師殿』
男……この戦いにおけるフランス勢の総大将であるアルテュール・ド・リッシュモン大元帥はやや驚いたように言った。
◆◇◆
夏の空は既に日没が近い。濃い夕日が染め上げる空の色も、地平線と山々の
この街を支配していた怪人『鉤爪の男』が滅びたためか、魔物たちもリヨンから逃げ出している。市街地周辺では残存する魔物たちの掃討戦が展開されていたが、それもおおかた片付き、今は後処理を進めさせていた。夜が訪れるまで──魔物たちの活発化する暗闇が訪れるまでには全ての戦闘行為を済ませておく手はずだ。そしてそれらも、もう間もなく完了するだろう。
並行して、野営の準備も進められている。今日はリヨンで一夜を明かし、明朝からオルレアンへの進軍を開始する予定になっていた。国中に広がる惨劇の嵐は、どれほどの被害を出し続けているのか見当もつかない。一刻も早く敵の首魁を討伐する必要があるというのは、リッシュモンを始め将官たちの見解の一致するところだった。
そのような情勢ではありながら、しかし、今宵ばかりは羽目を外した宴となるだろう。なにせ魔物相手に敗北を続けてきたフランスの軍勢が、今日はじめて明らかな勝利を掴み取ったのだから。それも、聖女の御威光のもとにだ。リッシュモンの天幕の前を行き交う兵士たちの表情も明るい。彼らの奮闘を
気の早い傭兵たちは、一足先に酒盛りを始めたらしい。遠くから、野卑な歓声と喧騒が風に乗って流れていた。己の明日の命も知れぬ戦場だ、一日の生存を祝う気持ちは、敵を打ち破って
『閣下』
しかつめらしい顔をしたラ・イール将軍が、今日の戦闘結果をまとめた報告書を携えて天幕にやって来た。
そこに書かれていた数字は、これまでフランス軍が魔物相手に展開してきたあらゆる戦闘の中で最も軽微な損害を伝えている。
『これも聖女の御威光か。無論【プレイヤー】たちの
『報奨はいかがなさいますか』
『プレイヤーの賞罰と蘇った英雄たちの処遇については、カルデアの魔術師に一任してある。それらを除き、我が軍の兵士たちから戦功著しい者を挙げよ』
『は』
そのいかつい顔つきに今日一日の戦場の疲労を一切見せることなく、将軍は天幕を去った。
ジル・ド・レェ元帥がラ・ピュセルの尻を追いかけるのに忙しいので──などと彼の前で口に出して言おうものなら、それはもうとんでもない怒りを招くだろうが──その分、他の将官たちには苦労を掛けているという感覚がある。とはいえ、周りの者達にもジル・ド・レェの執心ぶりを苦笑いで見逃す空気があった。彼個人の人望や才能といった彼本人に対する評価があまり
むしろ、彼のように眼前の軍務など投げ捨てて聖女の傍らに
不意に歓声が響いた。
声の方を見やれば、一筋ばかりのなごりの夕日に照らされて、
リッシュモンは思わず息を呑む。
それは、かつてどんな絵画にも描かれたことのない『希望』という概念そのものの具現であるように思われた。
目の前の光景に熱くなりかける両眼を強いて
頭の片隅には、先ほど
明日の自分がこの国のために心置きなく一つきりの命を燃やせるよう、今日の日の喜びを精一杯に祝うのだ。
[PM 19:55]
通信先のリヨンからは、陽気な歌声が響く。戦勝の宴というやつだろう。
対して、カルデアの司令室に詰めている職員たちは疲労の色が濃い。通常業務であるプレイヤーたちのオペレーションは元より、明日以降に想定される敵サーヴァントおよびファヴニールとの再戦について検討が続いているからだ。特に、オルレアンからリヨンへ向かっているというバーサーカークラスのサーヴァント、ランスロット。同行しているというシャルル=アンリ・サンソンも脅威ではあるが、やはり円卓最強とまで謳われた湖の騎士こそ格別に警戒すべき敵だろう。
リヨンからオルレアンまでのこちらの行程は、10日程度を見込んでいる。フランス王軍との共同戦線であることを考えれば、これでも速すぎるくらいだ。他方、オルレアンから移動しているランスロットと思しき魔力反応も決してその速度は速くない。おそらく、他の魔物たちと歩調を合わせているのだろう。しかし、もし敵サーヴァントたちが本気で単独の移動を始めたならば、あるいは明日にでも接敵する可能性はある。結局の所、彼らと何日後に遭遇することになるかは、敵の出方次第という目算だった。
けれど……。
そういった思考を巡らせながら、オルガマリーは司令室の椅子に深く背を預ける。重い息が漏れて出た。
けれど、フランス軍の将兵たちが祝い合うように、今日カルデアは勝利したのだ。数週に渡って泥沼の戦いを展開していたリヨンを奪取し、敵本拠地であるオルレアンに進軍するための
南西ボルドーから攻め上がっているプレイヤーたちとゲオルギウス、そしてエリザベート・バートリーは刃物の町ティエールを攻略しつつある。おそらく、彼らのほうが先んじてオルレアンに到達するだろうか……。
いずれにせよ、あと2週間もしないうちにこの特異点での戦いに決着をつけられるはずだ。そのための条件はすべてクリアされた。
「あとはイレギュラーさえなければ……」
しかし、オルガマリーがそうつぶやいた瞬間。オペレーター職員の一人がモニターを見ながら叫び声を上げた。
「ほ、報告します! ランスロットと思しき魔力反応が高速で飛行を開始しました!」
「な……なんですって!?」
オルガマリーのみならず、離れたところで職員に指示を出していたエジソンとロマニも一斉にそのオペレーターへと駆け寄った。
「ランスロットらしき魔力反応は、現在、何らかの飛行物体を召喚し、サンソンとともにリヨンへ向けて進行しています!」
「飛行物体!? 飛行物体って何よ!」
オルガマリーのヒステリックな問いかけに、別のオペレーターが横から答える。
「こちらで解析中です! 形状としては現代の戦闘機F-15Jに酷似しており、速度はマッハ1前後と思われます!」
「音速域の移動速度だと!? まさか、本当に戦闘機を召喚したとでも言うのか!?」
エジソンが驚いたように言った。
その傍らで何やら考え込んでいたらしきロマニが閉じていた目を開いて言う。
「──とにかく、迎撃準備を整えよう。マリー、フランス軍の指揮官に連絡を。ボクはプレイヤーにアナウンスを入れる!」
「え、ええ」
意外なまでの落ち着きぶりに気圧されたオルガマリーは、コクコクとうなずき通信準備に入ろうとする。その背後で、エジソンが立て続けに指揮を飛ばしていた。
「リヨン到達までの予想時間は?」
「は、はい! あと15分程度と思われます!」
「よし。その情報をティエールのプレイヤー経由でゲオルギウスとエリザベートにも渡しておくように。ランスロットが引き連れていた魔物たちはどうしている?」
「徐々に魔力密度を減らしています。おそらく、統率者を失ったことで野生状態に戻ったのではないかと」
「ふむ。では、そちらのモニタリングはもう止めていい。代わりに今晩の夜勤当直職員に呼び出しを掛けておいてくれ。なお、以降は混乱を避けるため、飛行物体で移動するランスロットと思しき魔力反応を、一時的に【ランスロット[
「はい!」
一斉にそう言って各自コンソールへ向き直る職員たち。エジソンは増員が必要だと判断した。ならばおそらく、今夜ランスロットとサンソンをも撃破するつもりなのだろう。
オルガマリーは、ふとランスロットの情報を与えてくれた友人のことを思い出す。昼過ぎにチャットしたとき、彼は既に魔女ジャンヌと何らかの対話を行い、敵サーヴァントなどの情報を引き出した後だった。その事前情報が無ければカルデアはランスロットの魔力反応を特定できず、一方的に奇襲されていた可能性が高い。
一般人プレイヤーであったにも関わらず戦局を左右する情報を得てきた彼と、今の自分。
今日この司令室で一番役に立っていないのが自分だと分かっているからこそ、オルガマリーは現地で特異点修復に貢献しているプレイヤーたちをどこか羨ましく思う。
視界の隅で『彼』のログイン情報を確認すれば、いつの間にか通話中になっていた。誰と話しているのだろうか?
(……いや。いけない。今はやるべきことに集中しないと)
かすかな思考を脳裏に追いやったオルガマリーは、いかにも魔術師らしい超然とした態度を意識しつつ、フランス王軍総指揮官アルテュール・ド・リッシュモンとの通信を開始した。
[PM 20:00<数秒前>]
グルルル……。ゲッゲッ! ギギィ、グガァ。
檻の中から
【Call:音声チャット】【発信者:シュヴァリエ・デオン】
「で……デオン、さん!?!?」
俺は一切動揺することのない凛々しさと毅然とした態度で2コール分をやり過ごし、それから通話開始操作を行った。
[PM 20:15]
「襲撃者がムーラン近郊を通過しました。時間がありません、早急にご準備を」
カルデアの女魔術師が発する鉄面皮な声を聞きながら、リッシュモンは暗い夜空を見上げる。
先ほどまで地上に光を投げかけていた月も星々も、その輝きを地上の光に奪い取られるように減じさせている。
敵を迎撃するため陣中に設けられた
次なる敵が、勝ち戦に油断しているこちら目掛けて夜襲を仕掛けてくる……事もあろうに、空の上から。そんな馬鹿げた話を疑いもせず、酒気の回っていない兵たちを集めて迎撃準備を取らせている自分自身へと、今更ながら苦笑がこみ上げてくる。変われば変わってしまうものだ。ほんの数ヶ月前までどうして自分が、否、世界がこんな事になってしまうと予想できただろう?
(しかし、それでもやらねばフランスに未来はない)
念入りに周辺の敵を掃討した後というだけあって多くの兵が今宵ばかりはと痛飲し、結果、まともに動かせる兵は絶望的に少ない。もう一つの戦力であるプレイヤーの姿も、昼間に比べて随分とその数を減らしていた。飲まず食わずとも戦うことができ、死んでも再生する彼らでさえ、夜は休息を取るものらしい。彼らの元締めたるカルデアの女魔術師は再度の招集を約束してくれたが、敵の恐るべき移動速度を考えれば間に合うかどうかは期待薄だろう。
天幕の中に設けられた大机には、先ほどまでの宴の中でリッシュモンと将官たちが興じていた遊戯用のカードが放り出されたままになっている。
東方から伝えられた、十の数札と三つの絵札からなる四つのスートで構成されるカード群。プレイヤーたちが知っている21世紀の
「来ます」
「来るぞ、ラ・イール!」
「敵襲ゥーーーッ!」
女魔術師の無感情な声と将軍の放つ野太い大音声を掻き消すように、空の彼方から一筋の光が走り、突風と聞いたこともない爆音が轟いた。
「ッーー!」
思わず耳を塞ぎかけるリッシュモンを咎めるかのように、兵たちの悲鳴が立て続けに響く。リッシュモンは目を見開いた。轟音も突風も、一瞬にして通り過ぎていた。敵は、そこから飛び降りたのだ。フランス軍の陣は、既に戦場と化していた。
「敵はわずか二人だッ! それぞれ四方より囲み、活殺自在の陣形にて封殺せよ!」
あまりにも常軌を逸した襲撃者に対して、それでもラ・イール将軍は即座に指示を下した。
一人は、黒い鎧で全身を覆った騎士らしき敵。黒兜のスリットから漏れ出る血のような赤い超自然の光が禍々しい。
もう一人は、先端の丸い
「
兵たちに先んじて、身体能力に優れるプレイヤーの一団が仕掛けた。
死を恐れない彼らはめいめい得物を手に飛びかかるが、一瞬のうちに斬り捨てられる。
「突っ込め! 突っ込め!
それに続くように、次々と新たなプレイヤーたちが飛び込んでいった。
プレイヤーはカルデアの指示を受けて動くが、全体を統括する現地指揮官はいない。というよりも、数人から数十人程度の小さなまとまりを作って好き勝手に戦いまわるような戦術を採っている。そして、連携はお世辞にも上等とは言いがたい。
「ARRRRR!」
黒兜の騎士が雄叫びを上げながら、プレイヤーを数人まとめて薙ぎ払った。周囲では、何らかの魔術と思しき怪しい気配が凝集する。プレイヤーたちが『スキル』と呼ぶものだ。
『ガンド! ガンドガンドガンドガンドガンドォ!!!!』
黒外套の処刑人を目掛けて、遠巻きに距離をとっていたプレイヤーの集団から、立て続けに数十発の光弾が撃ち込まれた。一瞬ふらついた敵を目掛けて、四方八方からプレイヤーたちが飛びかかる。その中には、昼間も鬼神のような動きを見せていた青いローブのケルト人魔術師も混じっており、黒外套の男も手こずっているように見受けられる。その魔術師の仕業だろうか、
少なくとも、最初の目標であった敵二人の分断は達成できたと見ていいだろう。処刑人が剣を振るうたび噴水か何かのようにプレイヤーの首が宙を舞う様を、リッシュモンはあえて気にしないことにした。
ならば、次の問題は……。
リッシュモンは黒兜の騎士の方に意識を向ける。ラ・イールと
だが、押されているのはこちらの方だ。
「Arrrrrrr!!!」
「おま、サブマシンガンて、ぬわーーーーーッ!!?!?!?」
「「「「ぐえーッ!!!」」」」
罵声と断末魔が響く。宙を割くような炸裂音とともに、周囲を囲んでいた者たちが一斉に倒れ伏した。
崩れた包囲から本陣のリッシュモンの姿を見て取ったか、黒兜の赤黒い眼光が凶々しい輝きを増した。
「Arrthurrr!」
黒兜が、ブリテン式の発音で
近衛の兵が素早く黒兜とリッシュモンの間を遮るように立つ。「させません!」大盾の少女が放った横殴りの一撃を黒兜は軽くいなした。東洋風の少女の吐き出す火炎を物ともせぬまま、青ローブのケルト魔術師と二合、三合、打ち合い、蹴り飛ばす。
追撃とばかりに右手の赤黒い長棒をケルト魔術師へ投げつけると、空になった両手が、ひときわ深く黒い
──その一瞬後、そこには先程の奇妙な形状の武器とどこか似通った、しかし遥かに大型の武装が現れていた。
長く伸びた筒状の構造が、それを対人用の連射砲であると認識させる。
異端者フスの信徒たちが用いたという
吐き気がするほどに圧倒的な死の予感が、リッシュモンを襲った。
「ArrrrrthuuurrrRRRRR!!!」
再び黒兜が叫ぶ。そしてその手の
「我が旗よ! 我が同胞を守りたまえ!」