>> [1/2]
夢を見ていた。
フランスの古城の夢だ。第一特異点の修復が終わって数日経ってなお、あの日々の経験は脳裏に強く焼き付いているらしい。
……しかしその夜の夢は、いつになく奇妙なものだった。
それが夢だと気づいてなお終わる様子がない。
そこは薄暗い空間だった。俺はひとり身動きひとつせず、ただ立ち尽くしていた。
周囲に漂う空気は重く濁っていた。あのオルレアンで過ごした獄中生活を思い起こさせる血なまぐさい空気。腐臭。汚物の臭い。
それら全てが、目の前の惨状から立ち上っている。
山と積み上げられた子どもたちの死体から。
倫理フィルタを通しているはずなのに何ひとつ覆い隠されることのない、目を背けたくなるような
「ああ、なんと素晴らしいのでしょう……。恐怖にほとばしる涙、苦痛にうめく声、無益にも繰り返される命乞いの叫び。汚れた地上に生きる汚れた命が、この末期の瞬間、燃え尽きるロウソクの最後の輝きのような美しさを見せる。これぞ至高の芸術、窮極の愛。神に見捨てられ罪に穢れし人の子、『王』に焼かれ未来さえ奪われし我らに唯ひとつ残された、悪魔の救済です」
青黒いローブをまとった男が、熱に浮かされたようにボソボソと独り言を呟いている。
その両眼は異常なほどに大きく見開かれ、飛び出し、異形の容貌を形作っていた。
そこは礼拝堂のような、実験室のような、それでいて劇場のような部屋だった。
その中央に立つ異形の男の
血溜まりに沈む彼の足元には奇怪な模様の魔法陣が描かれている。
「救済。そう、これは救済なのですよ。私のための。貴方のための。そして──」
ジル・ド・レェが近づいてくる。
その異様な顔に形容しがたい表情を浮かべて、俺を覗き込んでくる。
「──そして何より、いまや生き残った貴方だけが知る『彼女』のための……」
突然、ぐにゃりとその輪郭が歪んだ。
声も出せずにいる俺の目の前でジル・ド・レェの顔が、いや全身が、ねじれ、うごめき、何か異なるものへ変貌しようとしている。俺は目を逸らそうとして──頭上に広がる雲ひとつない夜空と、そこに照り輝く白い月の存在に気づいたのだった。
>> [1/2]
見渡せば、そこはかつて見慣れた学び舎の校舎裏だった。
……そうだ。俺はたしか、文化祭の準備で遅くなった挙げ句、学校に忘れ物をして……。
懐かしい景色に促されるように、ぼんやりと前後の記憶が繋がり始める。
月の綺麗な夜だった。
明るい月光が夜露に濡れる芝生を照らし、無人の校舎に不思議な陰影を映し出している。
夜道を独り歩きしてはいけない理由があった気がして、ひとり帰り道をたどる足を早めた。
……いや。違う。何かがおかしい。
夢に融け切っていない理性が注意を発する。
俺はどこかの古城の一室にいたはずじゃなかったか。
俺の目の前には、あのジル・ド・レェが立っていたのではなかったか。
山と積まれた子供の死体が、腐りかけ白濁した目で俺を見つめていたのではなかったか。
子どもをさらい、殺す、悪魔のような青髭のキャスターの部屋で……。
……そうだった。
ふたつの夢が混線する。
忌まわしい記憶が互いに混じり合い、結びつき、俺はようやく独り歩きしてはいけない理由を思い出した。
──最近、子どもを狙う不審者が出るのだ。
>> [1/2]
俺の目の前で、ジル・ド・レェの顔がぐにゃりと歪んだ。
最後に何か言い掛けていたような気もするが、それも
薄暗かったはずの部屋は、いつしか昔懐かしい学び舎の校舎裏の風景へと変わっている。
ジル・ド・レェだったモノから目を離すことが出来ない俺の頭上に、白い月光が冴え冴えと降り注いでいた。
「こんばんはァ~。月の綺麗な夜だねぇ」
そこに立っていたのは、ジル・ド・レェではなかった。
四十歳くらいの男。紫色のジャケットを羽織り、豹柄の靴を履いている。
その手に嵌められた
男が話しかけてくる。
「オレさ、最近『偶然の出会い』ってやつにハマってるんだよ。毎月『4』と『9』のつく日に夜の学校を見に来るんだ。誰か会えないかな~って。これまでも色々試してきたんだけど、その中でもギャンブル性っていうのかな、『滅多に無い出会いだから逃しちゃいけないぞ』って欲が
不審者……。そう、不審者だ。
学校のホームルームでそんな話を聞いていたはずだ。目の前の男がそうなのだろうか?
だったら、逃げなければ。
そう思うのだが、足が動かなかった。まるで金縛りにでも遭ったかのように、頭がいくら動けと命令しても身体が言うことを聞かない。……まるで蛇に睨まれた蛙のようだと、どうしようもない焦りの中で思う。
「だからサ、今日ここでキミに会えたことをオレはすげー喜んでるわけ。昔は気づかなかったんだけど、欲ってのは、抑えて抑えて抑え続けて、欲求不満でおかしくなりそうだってときに解放すると、もうバネが弾けるみたいに
男がにじり寄ってくる。
口の中がカラカラに乾いて息が苦しい。
誰か。誰かここに来てくれ。不審者がいるんだ。
けれど、真っ暗な校舎に人の気配が有るはずもなく。
他ならぬ俺自身が校舎を出るとき、あまりに遅くなっていたので最後まで残っていた教師と一緒に教員来客用昇降口から出してもらい、そしてしっかり鍵を掛けるのを見ていたのだ。その先生も、とっくに車で学校から帰っているだろう。
「で、キミさ。逃げなくていいの? このままだとオレに殺されて死んじゃうよ?」
言いながら、見せつけるように大ぶりのナイフを引き抜いてみせる。
逃げられるなら逃げたいに決まっている。でも足が動かないのだ。
……夢だから? 夢だから自由に動けないのか?
じゃあ夢なら殺されてもいいってのか? そもそも、これは本当に夢だったか?
「言っておくけどこれは夢でもないしゲームでもないよ。死んじゃったら二度と生き返れない。痛くて怖くて苦しくて泣き叫んでも誰も助けてくれなくて、全身自分の血で真っ赤になって糞尿垂れ流して死んでいく。それでおしまい。お父さんもお母さんもきっと悲しむだろうけど、ま、死んじゃったら関係ないよねぇ?」
にこやかに笑っている。
視線をナイフから逸らすことが出来ない。
ハッハッという荒い息が、まるで自分ではない別の生物が立てている音のように思われた。
全身から血の気が引いて頭がフラフラする。
動け。動け。動け。動け。
麻痺した頭の中で、ただひたすらに動け動けと念じ続ける。
動け。動け。動け。動け。
「……動けぇッ!」
その瞬間、口と足が同時に動いた。
男に背を向け、必死で走り出す。後ろを見る。男は追いかけてこない。
もつれそうになる足を前に運ぶことだけを考えながら、校舎裏の通用口へと走った。
通用口から道路に出て、次の次の交差点を曲がればコンビニがある。そこに駆け込んで警察を呼んでもらって──
「────ッ!?!?」
突然、踏み込んだ足が何かにつまづいた。
全力疾走で走っていた俺は、ろくに受け身もとれないまま地面へ頭から倒れ込む。とっさに顔をかばった両腕が強く叩きつけられてカッと熱くなった。続いて、燃えるような痛みが腕とつまづいた足からやってくる。口の中で血と土の味がした。
「なっ……!?」
転んだ!? こんなときに!
まずい。まずい。立たなければ。
そう思い立ち上がろうとして、痛む足になにか紐のようなものが引っかかっていることに気づいた。擦り傷だらけの手で探ると、それは金属製のワイヤーだった。近くの木の根本から伸びるワイヤーが、地面に半ば埋没しながら俺の足に絡みついている。
「何だよ、これッ!?」
焦ってワイヤーを外そうとするが上手く行かない。どういう仕組みなのか、輪になったワイヤーがガッチリと足に巻き付いて指を差し込むことも出来ない。なんとか締まりを緩めようと結び目らしい部分を引っ張ってみたが全くの無駄だった。
「──それ、『くくり罠』っていうんだよ。ホントは鹿とかイノシシとか捕まえるやつで、でもちょっと小さいから人間サイズで作ってみたんだけど。どォ? ホムセンで買った材料で作ったにしちゃ、なかなかの出来だと思わねぇ?」
背後から声がする。背筋がゾッと冷えた。
振り返ると、置いてきたはずの男は再びすぐそこまで近づいてきていた。
ぷらぷらと手に持ったナイフを揺らすたび、刃先に月の光が反射してギラギラといやな光を放つ。
「あ、あああ……」
口から、言葉にならない嗚咽が漏れ出てきた。
歯の根が合わず、無意識に上下の歯がガチガチと鳴る。
男はケラケラと笑った。
「い~い表情になったじゃん。これも最近気づいたことなんだけどさァ。
浮わついた調子で喋りながら、男は尻もちをついて後ずさる俺に目線を合わせるようにしゃがみ込む。
殺される。
間違いなく殺される。
涙か鼻水かわからない液体が顔を濡らす。伸びてきた手に口をこじ開けられ、ハンカチのようなものを詰め込まれた。
それでもなおガチャガチャとワイヤーを引っ張り続ける俺を見て、男は
「COOLなトラップだっただろ? じゃ、味見といこうかな」
男がナイフを振りかざす。
俺は──
>> [2/2] アラビアの夜の種族②
「──それで、それからどうなったのですか?」
【
伏せがちの
俺の目の奥底を。言葉を生み出す舌と唇のあらゆる運動を。
静謐な物腰とは裏腹に、語られる物語の全てを聞き逃すまい、見逃すまいとするように。
まさに惨劇が起きようとしていた。
罪なき少年を殺そうと夜の学校に罠を仕掛けた不審な男が、ナイフを振りかざす。
生還への希望が絶望に転じたことで、少年は心の底から恐怖した。
次の瞬間には、男のナイフが少年の身体に決して消えない傷をつけ、苦痛とともにその命を奪うだろう。
しかし……
「……しかし結局の所、その不審者が目的を達することはなかった。男のナイフが振り下ろされるより早く、騒ぎを聞きつけた通りがかりの親切な人が助けに来たからだ。男は逃げ出し、そして二度と会うことはなかった」
……淡々と続きを述べて、俺は話を終わらせた。
惨劇は回避され、少年が不条理な死を迎えることもなかった。
生き延びた少年はきっとしあわせにくらしたのでしょう。めでたし、めでたし。
話し終わり口を閉じた語り手を、なおも【夜】は見つめ続けている。
今述べられたのは、物語の結びではなく単なる事実の羅列に過ぎないと責めるかのように。
まだ語るべきことがあるはずだと問いかけるように。
けれど
そして沈黙が続いた。
寝台の傍らの小机から銀の香炉が淡く色づいた煙を吐き出している。
暗い部屋の空気の中を漂う香煙は、闇に沈む色とりどりの調度を覆うように薄い色彩の帯となってたなびいていた。
……無言の時間がどれだけ過ぎただろうか。不意に【夜】が呟いた。
「望む者のまえには、いずれ物語は姿を見せるのです──今でなくとも。
そうなのだろうか。……いや、きっとそうなのだろう。
【夜】はただ『物語』というものの性質について述べたようであり、しかし同時に『
謎めいた口調のまま、【夜】は言葉をつなぐ。
「およそあらゆる語り手はそれぞれに
事情。
そう【夜】は言った。
事情とはなにか。俺は問う。【夜】は答えた。
「ひとつの例を挙げましょう。今宵、あなたはこれまでと異なる語り方を選びました。そこには語り手の事情があります。あなたはこの夢の
語り口?
そう言われて、気づく。
これまで幾度となくこの夜の寝室を訪れてきた。けれどそのとき、自分はもっと夢に呑まれるように──
ならば今はどうか。少なくとも意識は清明だった。
これが夢の中であると
……
ジル・ド・レェと、顔も思い出したくない不審な男。
混線する悪夢の中で殺されかけた自分は夢の中で上げた絶叫とともに跳ね起き、しかし目覚めた先は未だ夢の中だった。
悪夢の残滓に身震いする俺を、次なる夢の主は──【夜】は慰めるように迎え入れた。
彼女は語り始めることを選ばず、俺は悪夢を吐き出すことを望んだ。
かくしてひとつの悪夢が語られ、今に至る。
俺が【夜】へ事の
思い出すのも忌々しい記憶だが、あの不審者は「恐怖には鮮度がある」と言っていた。『本当の恐怖』とは、希望が絶望へ切り替わる瞬間の変化の動態にあるのだと。
ならば──。
「恐怖には鮮度がある」のなら、その逆もまた然りなのだ。
恐怖の対義語を安堵、安心、あるいは希望そのものとするならば、「希望にも鮮度があり」、死の一歩手前から救われた俺は『本当の希望』を味わったことになる。それを語る言葉を、俺はまだ持ち合わせていなかった。
……あのとき、自分が助かったのだと理解した瞬間。
世界は、この上なく美しいものに感じられた。
俺を助けてくれた親切な通りすがりの人が仏様か聖女様のように思われた。
あの日見上げた、雲ひとつない夜空に照り輝く白い月。
月光はなお冴え冴えと闇を照らし。
その光景を、俺は今でも色褪せることなく覚えている。
きっと死ぬまで、忘れることはないだろう。
「──このような夜もありましょう。私の事情をお話しようと思っておりましたが、それはまた次なる夜に」
朝まではまだ
俺の意識は再び闇の中へと落ちていく。
「──今宵は、ここまで」
>>> [0/???] 『プロローグ』
──夢を見ていた。
──夢の中で、誰かが泣いているのを聞いていた。
──いや、違う。
──泣いているのは、「自分」だった。
◇◆◇
唐突に夢の中にいることに気づいた。
俺は、「俺」のすぐ隣に突っ立っていた。
ワイヤーに足を取られて立ち上がることもできず、口に布を詰め込まれたまま声にもならない叫びをあげる昔の俺を、他ならぬ俺自身が横で傍観しているのだ。
まるで夢から夢を渡り歩いているようだった。
語らなかった事の顛末、中断された夢の続きが、異なる夢を挟んで再び俺の目の前で繰り広げられていた。
ひとつだけ違うのは、なぜか俺の視点が第三者のものであること。
いちいち夢の出来事に理由を求めても仕方ないと思うし、あの不審者にナイフで脅されるのは二度と御免だ。
けれど……
(よーく覚えておけよ、俺。今夜がお前の人生の
けれど、これからこの「俺」が見ることになる光景を。
言葉では語りえぬほどに
もういちど
「COOLなトラップだっただろ? じゃ、味見といこうかな」
不審者が「俺」にナイフを振りかざす。「俺」の声にならない喚きは一層ひどいものになる。
……そのときだった。
裏口の通用門から人影が現れたのは。
「──抜苦与楽、四無量心。未熟の身ではございますが、さりとて助けを求める声を捨て置くわけにはまいりません」
涼やかでありながらも艶やかな声。
ああ。
思わず、息を呑んだ。
月明かりに照らされる『彼女』の姿は、記憶と寸分の違いもなく綺麗だった。
きっと、この世に比類ないほどに。
「そこの殿方。今すぐナイフを捨てて少年を解放なさい。それ以上の乱暴狼藉を続けるというなら──」
「くそっ! 台無しだよアンタ! せっかく最高にCOOLな恐怖を演出したトコだったのに、何してくれてんの!?」
彼女の言葉を遮り、邪魔立てされた不審者が激昂する。
「ああ、ちくしょう。人通りなんてない時間だったんだけどな。もういいや。アンタも殺す。それでもういっぺん希望の縁から絶望の底に戻ってもらって、万事解決だ」
呆けたように彼女を見つめるもう一人の「俺」から手を離すと、不審者は彼女にナイフを向けた。
そうして、刃先で威嚇するように一歩踏み出し──
「──喝破!」
次の瞬間、その体が弾かれたように大きく吹き飛んでいた。
紫の上着を土で汚しながら、ゴロゴロと転がっていく。
あのときは何が起きていたのかまるで分からなかったが、今横で見てようやく理解した。
彼女が、一瞬で不審者との距離を詰めて掌底のようなものを打ち込んだのだ。
「ッッッってぇ……! マジ、で、何なんだよォ、お前ェ……!」
不審者は呻きながらも力なく起き上がり、ヨロヨロと逃げ去っていく。
その様子には目もくれず、彼女は「俺」の足に絡みついたワイヤートラップを手早く解除し始めた。この種の罠を外すための手順があるのだろう、硬く締まった結び目があっという間に緩められる。
そうして彼女は、白く細い手を差し伸べた。
「立てますか?」
「俺」は馬鹿みたいにコクコクと頷きながらその手を取っている。
もはやその目に恐怖はない。しあわせそうだな、と俺は思った。
──その瞬間のことは、夢の力を借りずとも鮮やかに思い出せる。
あの夜、俺に手を差し伸べてくれた彼女は眩しいほど白い月に照らされていて。
……まるで、聖女様みたいだと思ったのだった。
豊かに波打つ
このあと滅茶苦茶通報した。謎の不審者は逃げ切った……。
今回【夜】サイドの話が驚くほど進まなかったので、彼女にはセプテム編のどこかでまた出てもらいます。
◆『彼女』
FGO世界線の現代日本に生きる聖者のような黒髪の女性……いったいなにものなんだ。
続きは数話後に。