畦倉弥勒という人間は、異常だった。
産声ですら泣かず、何かをするときは決して間違うことはなく、困っている人があれば手を差し伸べ、聡明で、誰からも好かれた。
そんな僕は、大人たちの目には素晴らしく映ったらしい。
『畦倉さんの家の子を見習いなさい』いつしかそんな言葉が八十稲羽では使われるようになる、誰もがその異常に気づかぬままに。
最初に気が付いたのは、たしかある少年だった。
僕がバイクに撥ねられたのは15歳の時のことだ。夜、道を歩いていると暴走族と争う少年がいた。名前は巽完二。子供のころ一緒に遊んだこともあるから知っていた。僕は迷わずに歩み寄り、暴力にさらされながらも微笑みながら語りかけ続けた。そのうち、僕を殴っていた人たちが怯えだした。巽完二も同様だった。騒ぎを聞きつけた警察官が駆けつけ、僕は病院へ運ばれた。
「弥勒!どうしてこんな危険なことしたの!?」
ヒステリックな声で叫ぶ母親。何故?そんなもの決まっているじゃないか。
「困っている人がいたから助けただけだよ。いつもと同じことさ」
全身の骨を砕かれながらも、いつもと同じように笑う僕を見て、絶句する。
「あ、あああ、ああ―――」
みるみる内に顔色が青ざめてゆき、その後声もなくその場に崩れ落ちた。以来、僕は一人で暮らすことになった。それ以来、僕も自分が異常だと理解した。
僕の過去はそんなところだ。
・・・
現在、高校生最後の春休み。八十神高等学校の三年に在籍している僕は、業者のミスで遅れていた教科書の受け取りに、商店街の本屋に来ていた。
「大分、遅れちゃったみたいでごめんなさいねぇ。予習とかいろいろあるでしょうに」
「いえ、大丈夫ですよ。図書館に寄贈されていた少し前の参考書を貸してもらいましたから」
「まあ、流石は弥勒ちゃんねぇ。うちの息子にも少しは見習ってほしいわぁ」
「あはは、そんなに大したものじゃないですよ、僕なんか」
「謙遜しちゃてぇ。ホントに出来た息子さんを持って、お母さんは幸せでしょうねぇ」
「そうだといいんですけど……」
思わず苦笑してしまった。別居の件は表向き、一人暮らしの経験をさせてあげたい親の計らい、と言うことになっているのだ。
「それでは僕はこの辺で失礼します。帰りにジュネスに寄る用事がありますんで」
そういい残し足早に本屋をあとにした。別居の真相がばれてしまうと、母親に迷惑がかかってしまう。なので母親の話題は極力避けたいのだ。
ぽつり、と頬に水滴が落ちる。
「まいったな。傘持ってきてないよ」
突然の降り出した雨はだんだんと強くなっていく。買ったばかりの教科書を濡らすわけにもいかない。仕方ないか。ため息をつきながら、ガソリンスタンドのへと駆け込んだ。
「らっしゃーせー!」
中性的な容姿の店員さんが、大きな声で太札をしながらこちらへ向かって来る。あれだけ元気な挨拶をされると、客じゃない僕としては少々申し訳ない気持ちになってしまう。
「すみません。少しだけ雨宿りさせてもらってよろしいでしょうか?突然の雨で、傘を持っていなくて」
「ああ、なるほど。構わないですよ。いきなりの大振りでしたからね。無理もないです」
「ありがとうございます」
店員さんがいい人で助かった。
「んー。君、何か見たことあるんだよね。ひょっとして有名人だったりする?」
「一応テレビに出たことはありますけど、有名人ってほどじゃないですよ」
「いやいやテレビに出たってだけで十分すごいよ。この町はそういうのほとんど無いからね。えーと―――」
「畦倉弥勒です」
「弥勒君か。見たところ高校生みたいだけど、バイトとか興味ない?年が近い人あんまいなくてさ、話せる同僚とか欲しかったんだよね。君さえよければどうかな?」
バイトか。やったことは無いが興味はある。別にお金に困っているという訳ではなく、やったことないことをやる事、そして人の役に立てること。その二つが僕の行動原理の基本だからだ。
「それもいいですね。前々からバイトしてみたいとは思ってましたし、丁度いい機会です」
「おお!店長には俺から言っとくから!」
店員さんは僕の手を両手でつかんでぶんぶんと振り回している。
そ、そんなに嬉しかったのか……
「それじゃあ近いうちにまた来てよ。一応面接とか手続きとかあると思うからさ」
「はい。よろしくお願いします。えーと」
「ん?そうか、まだ名前も名乗ってなかったね。俺は国母出雲、よろしく」
「国母さんですね」
「堅い堅い、出雲でいいよ。弥勒君」
「では出雲さんで」
「呼び捨てでもいいんだぜ?」
「では、出雲さんで」
「君、実は結構面白い人?」
「そんなことありませんよ。おかしな人ですね出雲さんは」
「くははっ!いいね、これからも仲良くやれそうだ」
「同感です」
それから雨が晴れるまでの暫くの間、いろいろな話をした。気を使わずに話をしたのは実に久しぶりのことだった。本屋を出たときに感じた心の淀みは気が付くと消え去っていた。つかの間の心の晴れ間だが、僕にとってそれはとてもありがたかった。
・・・
その夜。とあるアパートの一室に住む弥勒はいつものように、禅を組んでいた。物心ついてから、一日たりとも欠かしたことはない。そも、根っからの異常者である弥勒は、歳若くしてすでに悟りの境地に肉薄していた。唯一、人を救うという願いへの執着が捨てられず今に至るのだ。人を救いたいがために人を救う願いを捨てる。そんな矛盾が弥勒を苛んでいた。
「ふう」
閉じていた目を開き、大きく息をつく。
「目指すところは未だ遠くか……」
そう呟いて立ち上がろうとしたところでバランスを崩して転んでしまった。どうも体の調子があまり良くないようだ。
「今日は、もう寝ておこう。もうすぐ春休みも終わるし、こじらせたらたまらない」
ベットに倒れこむように横たわり、泥のように眠りについた。
・・・
気が付くと深い霧に覆われた場所にいた。全く覚えがない。僕は確かに自分の部屋で眠りについたはずだ。注意深く見ると、前方に道が続いているようだ。
「進むしかないか」
全く何も分からないが、とりあえず体は自由に動く。ならば、今やれることをやろう。幸いなことにこの霧自体は無害のようだし。
「誘拐?にしては僕一人にする意味が分からないし、第一僕の家が特別お金持ち他かって訳でもないもんなぁ」
暫く進んでいくと声が聞こえた。
「あなたはやはり、どこか特別なようですね」
辺りを見回してみるが誰もいない。前へと進む足は自然と早足になってゆく。
「私の選んだ二人とはまるで違う。しかし私の運命に一番大きく関わる、そんな予感がします」
その言葉を聞いた時、僕は走り出していた。最奥には扉がある。きっとこの先にあの声の主がいる。なんとなくそれが分かる。
「今、行くよ。待っててね」
赤と黒を交互に重ねた扉が捻じれながら開く。その先に現れたのは広い空間だった。霧が道中よりもずっと濃く、どれほどの大きさなのかはてんで分からないが、
おそらくここにあの人がいる。
「出てきなよ、出雲」
霧の中に一つの人影が浮き出て、次第にそれは僕の知る形へと変化していく。
「参りました。あなたはこの霧の中でもしっかりと見えているようですね」
ぼやけた影の様にしか見えなかったそれは、今ではしっかりと、白装束を着た出雲に見えている。どんなカラクリかは知らないが空中に浮いているようだ。
「昼間に会ったばかりの人の声を、聞き違えるわけないでしょうに」
「それもですね」
出雲が軽く笑う。
「それで、これは一体どういうことです?まさか気に入ったから拉致した、なんてことはないと思いますけど」
「いいえ、概ねそんな感じです」
頬がぴくぴく痙攣している。正直、ドン引きである。
「詳しく説明するならばとなると違うのですが、私の欲によって君がここにいることに違いはありません。謝罪しましょう」
悪びれる様子もなく上から目線で謝罪してくる出雲。ついつい目頭を押さえてしまう。
「……僕はどうなるんですかね?」
「あなたは、私の計画を揺るがしかねません。少しの間ここにいてくれると助かります」
「具体的な時間を示してほしいんですけど」
「だいたい一年くらいですかね」
こいつマジか。あれですか、もう一回同じ教科書買いに行かせるつもりですか。
「一つ、提案があります」
「何でしょう?」
「その計画、僕も手伝わせてもらえませんか?」
今まで表情を変えなかった出雲が、ここに来て初めて顔をゆがめた。僕の言葉に困惑しているようだ。
「何故、そうなるのでしょうか?理解が及びません」
「救いを欲してるのなら、その全てを救いたい。それが僕なんですよ」
僕の言葉で、再び出雲から表情が消える。それからしばらくの間、お互い何も言わず、時間だけが過ぎてゆく。時折、真意を探るように出雲が視線を鋭くすると、それだけで自分が消し飛んでしまうような錯覚に陥る。それでも僕は引かない。と言うより、ここで引くという思考が存在しない。僕は異常者だ。自覚はある。救いを求めるものが在るならば僕は―――
「ままなりませんね。あなたの言葉が嘘ではないようです」
黙って出雲の決定を待っていた弥勒だが、どうやら上手くいったようだと分かると緊張が解けたのか軽く息を吐き出した。
「私の計画は、人の望みを見極めそれを叶えることです」
数秒の間目を閉じた後、再びこちらを見据え。出雲は自らの計画について語りだした。
「人は見たいように見る生き物。真実は時に猛毒となり身を焦がすからです。虚飾にまみれたぬるま湯のような世界か、真実の世界か。私は選んだ三人の行動から、人がどちらを望むのか、それを見極めたいと思います」
「三人?僕も含まれてるのか?」
だとしたら今までの会話次第で人類滅亡なんてこともあり得る。冷や汗がたらりと垂れる。そんなことをしたら救うべき人がいなくなってしまうではないか。
「いえ、あなたは例外です。互いの性質上引き合ったのでしょう。私自身、あなたに言われて初めて気が付きましたが」
首を横に振り、
「まさか、この私が救われたいと思っていただなんて、思いもしませんでしたよ。それを救いたいと思う人間がいることも」
自嘲するように、そうつぶやいた。
「黄泉津大神へと堕ちた私にとっての蜘蛛の糸が、あなたのようです。期待していますよ」
弥勒に向けた微笑みは、かつて女神であったころの彼女のものに遜色なかったことだろう。
・・・
「いい感じに話もまとまったみたいだし。そろそろ返してくれない?っていうか結局ここがどこなのかもまだ聞いてないし」
「あー、もう少しで出れると思うよ。ここ夢の中みたいなもんだし」
あの後、敬語が似合わないと出雲に言うと、ガソリンスタンドの店員へと姿を変えた。白装束だと無意識のうちに丁寧な言葉使いになるのだそうだ。
「夢見せたまま一年間放置するつもりだったのか、あんたは」
「まあまあ、細かいことは気にしない気にしない。それよりも話し方が大分砕けてきたみたいだな、それが素か?」
「こっちのセリフだっての!」
出雲の計画の詳細を聞いた時にも思ったが、こんなのが始祖神で国生みの神とか大丈夫なのかこの国は。
「それはそうと、君のペルソナ早いうちに制御できるようになっておいた方がいいかもよ」
「どういう意味だ?まだ三人目が決まってすらいないって話じゃなかったか?」
「なんとなくだよ。もうすぐ動き出す、そんな気だするんだ」
神様の感だけあってとても信憑性が高いのが不安だ。確実に僕が被害を被ることになるのだろう。
「どうやら君の力は、ペルソナ使いの突然変異体『ワイルド』と呼ばれるものの中でも、さらに異質のようだ」
異質と言われても、比較対象がいないからいまいちピンとこない。
「ペルソナは心が大きく作用する。それだけは忘れないように。っとそろそろ時間みたいだな。喜べ、ここから出られるぞ」
「やっとですか。丸一日くらい話し込んでた気がしますよ」
「そう言うなって、神話の時代から今まで、話し相手なんかいなかったんだ。少しくらい話し込んでもバチは当たんないだろ」
「あんたバチ当てる側だろうが」
違いない、と軽口をたたきながら出雲が立ち上がり遠ざかっていく。
「おっと、最期に言っておくことがあった」
振り返る出雲は、神としての姿ではなく、僕の友達の出雲として初めて見せる、真剣な表情をしていた。
「俺を救いたいと言ってくれてありがとな」
そう言って、満面の笑顔を浮かべた。
僕の意識はそこで途切れた。
・・・
あれから数日、バイトの面接は僕の評判の良さもあって問題なく通った。面接前に出雲からあった口添えは特に役に立たなかった。本人にそれを言ったら、また拉致されそうになった。結構気にしていたようだ。
「忘れ物はないな」
昨日で人生で一番印象深くなるであろう春休みが終わり、今日から高校生活最後の一年が始まる。おそらく、僕にとっても人生の転機となるはずの一年だ。
「それじゃあ行くか」
持ち物チェックも終わり、いざ家を出ようと玄関へと向かう。
何かがおかしい。いや、一目瞭然なんだけども。
玄関の扉がなにやら青く発光している。そんな機能を付けた覚えはさらさらないので、まず間違いなく厄介事である。とはいえ、アパートの一室に裏口なんぞ付いてるはずもなく。
「ええい、ままよ」
意を決してドアノブを回し中へ入ると、なんと全体的に青っぽい内装のリムジンの中にいた。人影が二つ。美人さんと鼻の長い老人だ。
「ようこそ、ベルベットルームへ。私の名は、イゴール。お初にお目にかかります」
呆然自失の僕へと声をかける老人。名前をイゴールと言うらしい。
「ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所。ほう、これは興味深いですな。どうやら、すでに契約を交してらっしゃるようだ」
契約。おそらく出雲との約束のことだろう。
「実に珍しいお客人だ。ワイルドでありながら絆ではない何かに左右される力。長らくこの仕事を務めておりますが、初めてのことでございますな」
イゴールの言葉に、隣にいる女性も興味深そうにこちらを見ている。
「おっとご紹介が遅れましたな。こちらはマーガレット。同じくここの住人でございます」
自己紹介を促され、マーガレットと呼ばれた女性は小さく一礼する。
「お客様の旅のお供を務めてまいります。マーガレットと申します」
しぐさの一つ一つに気品が感じられる。
「本日、おいでいただいたのは他でもありません。ペルソナ能力についてお話しておくことがございます。私の役割は新たなペルソナを生み出すこと。本来ならばお持ちのペルソナカードを複数掛け合わせ、一つの新たな姿に転生させる。しかし、貴方様はどうやら少々勝手が異なる様子。その強さに応じて使えるペルソナが増えていく。そういう力のようでございます」
どういうことなのだろうか、経験がないのでまだよく理解できない。
「つまるところ、私どもの仕事は現在使えるペルソナの確認と、その詳細を記録することの二つのようだ」
話が終わり、イゴールが手をかざすと、目の前に鍵が現れた。
「これをお持ちなさい。今回は何らかの要因が後押ししてこの部屋に来られたようだ。この時から貴方は、このベルベットルームの正式なお客人だ。では暫しの間、ご一緒に旅をいたしましょう」
イゴールが再び手をかざすと、玄関に戻っていた。時間も全く進んでいない。気を取り直して玄関から外に出て、鍵を閉めようとするとポケットの中には契約者の鍵が入っていた。
・・・
学校に着くと、すでに新しいクラスが発表されているようだ。喜んでいる人もいれば浮かない顔をしている人もいる。僕にはあまり関係ない。決して友達がいないわけではない。むしろその逆。15歳で自分が異常だと気が付くまでの間、自分のやりたいように生きてきたおかげで、この町に住む同世代の九割に何らかの関わりがあるからだ。今ではある程度抑えつけられるようになっているので、度の過ぎた親切は滅多にしていない。出雲の件は特例だ。
「おーい。弥勒!お前また同じクラスだな!」
そう言われて新しいクラスが書かれた紙を見る。
僕の本性は恐ろしいものだ。決してばれてはいけない。今年も一年、気を引き締めていこう。可もなく不可もない学園生活。普通でない僕にとって目下一番の課題だ。
「そうみたいだね。今年も騒がしいクラスになりそうだ」
優等生、畦倉弥勒の仮面をかぶり、今日も神経をすり減らす一日始まる。
・・・
4/11(月)曇/雨
学校が終わるとすぐにバイトへと向かった。部活にも生徒会にも所属していない僕は、基本的に放課後は瞑想している。しかし、僕がバイトを始めると同時に他のバイトが次々に止めていく怪事件が起きたため、今月は驚異の二十五連勤のシフトだ。決して、出雲に瞑想のことを話したら大笑いされたから辞めたわけではない。
「らっしゃーせー」
出雲の声が響く。丁度、白い車が入ってきたようだった。
「らっしゃーせー!」
出遅れながらも駆け寄ると、見知った顔の男の人がいた。
「畦倉か。驚いたな、ここでバイトしてたのか」
目を丸くしながら話しかけてきたのは、無精髭を生やした体格のいいおじさんだ。
「堂島さん。その節はお世話になりました」
「体はもう大丈夫なのか?」
「ええ、後遺症もほとんどありませんでしたし」
「そいつは重畳だ。頼むからもうあんな無茶はしないでくれよ?」
「分かってますよ」
堂島さん、職業は刑事。僕が暴走族にボコボコにされたときに駆けつけてくれた警官だ。僕の本性を知る、数少ない人の一人でもある。
「ならいい。それじゃあ俺は、一服してくる」
そう言って、口に煙草を咥えながらガソリンスタンドから離れて行った。
ちらりと出雲の方を見ると、車のそばに立っているハイカラな少年と握手をしていた。
「ということは、彼が三人目か………これから忙しくなるな」
役者がそろい、ようやく物語は大きく動き出す。
オリ主はイザナミ陣営です。