・新宿までのネタバレを含みます
・月姫の世界観を多少持ち込んでます
・ホームズの体験クエストであった「創作上の人物」について個人的な解釈があります

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極月杜絶庭園フィニス・カルデア

01.

 

『藤丸立香』

 誰かに呼ばれた気がして、

「んん?」

 振り返るも、そこには誰の姿もなく。

 ただただ見慣れたカルデアの廊下が続いているだけだった。

「……?」

「どうかしましたか、先輩?」

「ますたあ、どないしたん?」

 代わりにひょっこりと現れたのは、一対の角を持つ少女の顔と、いつもの可愛い後輩の声。立ち止まったことにより、一緒に歩いていた酒呑童子が訝し気に私の顔を覗いていた。その向こうには、首を傾げるマシュの姿も。

「ううん、何でもない」

 きっと気のせいだろう。ここカルデアでは、私を名前で呼ぶ人は限られている。それがフルネームなら尚更だ。

 サーヴァントのみんなは大抵がマスターと呼ぶし、スタッフの人たちもほぼ全員が年上のせいか、藤丸ちゃんとか立香ちゃんなんて呼ばれている。人理修復なんて大それた任務を負っている組織とは思えないフランクさだが、堅苦しくないことはいいことだ。元々私も適当な性格だし、このくらいが丁度いい。

 常時気を張っていてもいい事なんてない。締めるところだけちゃんと締めていればいいのだ。

「それより、早く行こっか」

「ああん、待ってえなますたあ」

「ちょっ、お酒臭いよ酒呑! いくらなんでも飲みすぎ!」

 足を進めようとする私に追いすがる酒呑から、ものすごいアルコール臭が鼻をつく。いくら本人が酒に強かろうと、匂いが消える訳ではない。今日は何かあったのかいつもより酒の進みが早く、いつかのマシュみたいに彼女の発する匂いだけで酔ってしまいそうだ。

「こないにかわええ女の子にくさいなんて、傷つくわぁ……くすん、くすん」

「泣き真似してもダメ」

「つれへんなぁ」

「酒呑さん、先輩は管制室から呼び出しを受けているんです。また次の機会に……」

「嫌や嫌や、ますたあはうちと遊ぶんやぁ」

 イヤイヤと身をよじりつつ私の服の端を離さない酒呑。こんななりをしているが、酒呑はこれでも鬼だ。見かけによらず、この小さな身体には不相応の怪力を持っている。恐らくは服が破れるまで離しはしないだろう。

 普段なら構って欲しい子供みたいで可愛いのだが、今はマシュの言う通り、残念ながら用があるのだった。

 これだから酔っ払いは……いや、酒呑はいつもこうだったか。

 この可愛さ余って更に可愛さ百倍のちびっこめ、どうしてくれようか、と思っていると、

「おっ、奇遇だなぁマスターにマシュ。二人とも今日もゴールデンじゃねぇか」

「ゴールデン! いいところに!」

「あん?」

 廊下の向こうからやって来たのは、筋肉隆々の大男、金太郎こと坂田金時その人だった。

「ほら酒呑、酒呑の大好きなゴールデンが酒呑のために来てくれたよ」

「んん……? あぁ、なんや、小僧やないけぇ」

 酒呑の意識がゴールデンに向いた瞬間、逃げるようにマシュと共にその場を後に。

「なんや小僧……久し振りに小僧が酌してくれるんか?」

「おいマスター、こいつぁ一体どういう事だ!」

「ごめんゴールデン、あとよろしく!」

「すいません金時さん! 事情は後ほど!」

「ほれ小僧、はよう酌せんと代わりに食うてまうでぇ? 小僧が注いでくれるんやったら、うち毒でもええなぁ?」

「ちょっ、まとわりつくなバカ! 待っ――うおっ、酒臭ぇ!」

「んふ……相変わらずええ魂しとるなぁ小僧?」

「スパ――――――――ク!」

 ゴールデンの絹を裂くような悲鳴を背中にひた走る。ごめんゴールデン、あとでゴールデンおにぎり(カレー味)を作ってあげよう。どうかあの場所に頼光さんが偶然来ませんように。

「それにしてもダヴィンチちゃんからの呼び出し……何でしょうね、先輩?」

「そうだねぇ」

 廊下を走りながらマシュが問い掛けに思考を巡らせる。

 今からほんの十分ほど前、ダヴィンチちゃんから部屋に通信が届いた。

 内容は、大事な話があるから来てくれたまえ、という単純かつ無視出来ない類のもの。警報も鳴っていないし、ダヴィンチちゃんの語調からも危うい特異点が発生した、という訳ではなさそうだ。が、直接顔を突き合わせて話す必要のあるレベルの内容であることは確かだろう。正直心当たりはあり過ぎるが、確信を得られるようなものはない。

 その時、部屋で一緒に呑んでいた(とはいえ私とマシュは未成年なのでノンアルコールビールだけど)マシュと酒呑もついてきた、という訳だ。

 しかしビールというものは初めて飲んだけど、苦くてとてつもなく不味かった。

 酒呑曰く『それが大人の味やでぇ』だそうだが、私は酒飲みにはなれないのかも知れない。今回、酒呑と飲んでいたのも、ドレイクやフェルグスがあんなに美味しそうに飲むお酒というものを疑似的にでも体感してみたかったからだ。

 最初はエミヤにものすごくアルコール度数の低いカクテルでも作ってもらおうかと思って食堂に行ったが、案の定、君にはまだ早い、とノンアルコールビールを渡された、というオチだ。

「何事もないといいけどね」

「はい。平和が一番です」

 マシュが目を細めて笑う。

 未だ予断を許さない状態とはいえ、ゲーティアの打倒という大仕事をひとつ終えたマシュは、以前よりもよく笑うようになった。現在は前みたいに一緒にレイシフトする機会は減るだろうけれど、私はそれでいいと思っている。

 人理修復を終えてなおカルデアに残ってくれている英霊のみんなも、多少なりとも同じ考えを持ってくれているんじゃあないだろうか。

 未だカルデアに残る理由。

 少なくとも、その屈託のない笑顔を守る為に、私はここにいるのだから。

 

 

02.

 

 

「やあやあ、今日も元気そうで結構。みんなの永遠の十七歳、ダヴィンチちゃんさ!」

「…………」

「…………」

 レイシフトを行う管制室へと向かうと、ダヴィンチちゃんがいつものテンションで迎えてくれた。思わずマシュとシンクロして硬直。黙り込んでしまう。

 永遠の十七歳とは何だか表現が古い気もするが、ダヴィンチちゃんには似合ってる気がする。是非とも通常会話で死語をまくし立てて欲しいと思うのは私だけだろうか。

「んー? なんだか失礼なことを考えてないかい立香ちゃん?」

「いやいやまさか」

「私はグンバツにマブいハイカラなヤンエグだからね、立香ちゃんやマシュっちみたいなハクい上にイマいおきゃん共にはまだまだ負けないよー?」

「ダヴィンチちゃん、私の心読んでない?」

「あっはっは、そこは私が万能の代名詞たる由縁さ」

 さすがのダヴィンチちゃんであろうとテレパシーまでは会得していないだろうから、恐らくは私とマシュの反応を見ての対応だろうけど……それにしてもアドリブのレベルが高すぎる。

「今のは何かの暗号でしょうか、先輩。私の語彙力では半分くらいしか理解できなかったのですが……」

「ううん、いいの。マシュはそのままのマシュでいて」

「? ……は、はい」

「それよりダヴィンチちゃん、用ってなに?」

「うん、それだ。実は今しがたここに通信があってね……まずは、二人に聞いて欲しい」

 ダヴィンチちゃんが指パッチンで合図をすると、スピーカーに熱が入る独特の音が鳴る。

『――――……が――……ぃ……』

 それと同時に流れ出す音。ノイズが酷く、何を喋っているのかは見当もつかないレベルだった。

『く……い――れ、……して――』

『ハロー? すまないがノイズが酷いんだ。周波数帯域を若干拡げて、もう少しゆっくり喋ってもらえるかな』

『…………』

 今のはダヴィンチちゃんの声だ。

 しばしの沈黙の後、それはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

『……これで、いいか』

 その声は、ノイズのせいなのかあちらが声を変えているのか、男の声だということ以外はわからない。

『ああ、Bravo(ナイスだ)。ところで君は誰かな? 私は通信からバラエティ番組の司会までお手の物、ダヴィンチちゃんだよ』

『あれこれ問答をする気は一切ない。ただ一つだけ要求……いや、頼みがある』

『聞き入れるかどうかは別だが、それで良ければ聞くだけは聞いてみよう』

『こちらに来るな。以上』

『あっ、おいこら、ちょっと待っ――』

 ぶつん、と通信の切れる音と共に録音の再生は終わった。

「とまあ、こんな感じだ。レイシフト先からわざわざ通信してまで人理修復しに来るな、と言われたのは初めてだね」

「レイシフト先? ということは今のは特異点からの通信なんですか?」

「ああ、我々でも観測出来なかった、通信の出所を調べてやっとわかった程度の小さな特異点だけれどね。なぜか、あちらから通信を試みて来たのさ」

 特異点からの通信。特異点に行った先でここにいるカルデアの職員たちと通信で情報共有するのはいつもの事だ。が、よく考えたらあちらから先に接触を試みて来たことはない。

 それはそうだ。特異点とは歴史改変の原因となる、『本来ある筈のない歴史』だ。そこで歴史を改変しようとしている者は、自分の好む歴史を創造しようとする。

 あちらからしたら、それを修正しようとしている我々カルデアは目の上のたんこぶに他ならない。歴史改変が進むにつれカルデアに発見される度合は高くなるが、見つからないなら見つからないに越したことはないのだ。それをわざわざ自分から通信して発見してもらうメリットはほとんどない。病気と一緒で発見が早期であればあるほど、人理修復の可能性は高くなるのだ。

「そしてそして更に、人理定礎値はなんとびっくり、Fだ」

「えふ?」

「それは……また低いですね」

 人理定礎値というのは、特異点の歴史的重要度に対しカルデアが総合的に判断した値のことだ。値が高ければ高いほど、その特異点が本来の歴史に影響を与える割合が高い。

 例を挙げると、セプテムが一番わかりやすい。セプテムの人理修復が失敗したと仮定すると、ローマが滅びることになる。ローマという大きな文明の祖が滅ぶとなれば、後々の歴史に大きな変革があるのは想像に難くない。

 オルレアンではフランスが負ける事で、フランスとイギリスの今後がかなり変わっていただろうし、オケアノスに至っては海に大きな穴が空く。海域が一部途絶するとなれば、当時の産業革命もかなりの割合で遅延が発生するだろう。

 キャメロットに至っては人理定礎値は最高クラスを越えたEX。これに関しては獅子王が聖抜と言う名の超がつく強硬手段を取った結果、最早手遅れと言ってもいい状況だった為つけられた、規格外の値だ。今思えば人理修復出来たのは奇跡に近い。

 そして今回。

「Fってことはつまり……」

「そ、放っておいてもほとんど我々の歴史に影響は及ぼさない。これから大きくなって行く可能性がない訳でもないが、そうならない可能性の方がはるかに高い。我々がわざわざ修復せずとも、誤差レベルで歴史の累積と共に収束していく類のものだ」

 ダヴィンチちゃんの言う通り、これは本当に放っておいてもいい事案なのだろう。わざわざ危険を冒してまで切り拓く程の価値はない、とダヴィンチちゃんは言う。

「それでも、行くかい?」

「……ダヴィンチちゃんはどう思うの?」

「そうだね、私にしては珍しくはっきり言おう。お勧めしない。どんな危険があるかわからないのはいつもの事だが、今回に限ってはそれに加え、別の面で非常にタチが悪いと予想される。はっきり言って時間の無駄だ。リスクとリターンがまるで釣り合っていない」

「それでも私を呼び出したって事は、何かあるんでしょ?」

「うん。一応、立香ちゃんには伝えておかないといけない、と思ってね」

「私に?」

 何度も私を全力でサポートしてくれたカルデアの優秀なスタッフたちが弾き出した最低値。人理を修復する価値もないそよ風程度のゆらぎ。それでもなお私が知っておくべき特異点。

「その特異点とは、()()だ」

 と、ダヴィンチちゃんが指差す先は、部屋いっぱいに広がる画面ではなく。

「ここ……? ここって、もしかして」

 すぐ真下。ぴかぴかに輝いたタイル張りの地面を指していた。

「そう、ここ。カルデアだ」

「…………!」

「そんな……まさか!」

 マシュが珍しく困惑の声を上げる。

 無理もない。特異点とは、かいつまんで表すのならば『私たちが生きる時代に存在しない過去』。

 それは世界の可能性と言い換えることも出来る。

 今私が生きるこの世界は、無限の選択の上に成り立っている。例えば私が朝起きた時、歯を磨いてから朝食を摂るか、朝食を摂ってから歯を磨くか。部屋から出る時に右足から踏み出すか、左足から踏み出すか。世界中の意志を持つものが、それぞれ膨大な数の選択をした結果、かつて未来であった現在は今として確立する。

 朝、寝坊した事が原因で事故に遭い死ぬこともある。バスを一本乗り遅れたことでバスジャックに行き遭うこともある。あまりにも誇大な表現で極端な話ではあるが、ひとりの人間が何を選択するかで、世界がまるで逆の有様に刷新されることは珍しくない。今を生きる私たちにとってそれは結果でしかあり得ないが、そういう転機は今この瞬間にもそこら辺にいくらでも転がっているのだ。

 そう考えると、パラレルワールド、イフの世界には際限というものがない。特異点なんてものが発生するのもその為だ。

「カルデアの責任者としては止めたいが、私個人としては君を止める権利はないと思っている。だから行くのならば止めはしないけれど、覚悟はしておきなさい。行ったら君は、確実に凄惨な悲劇の目撃者となるだろうからね」

 現在ここにあるカルデアに発生した特異点。

 特異点と言う名の、存在しない筈の過去。

 そして未だ規模は小さいとは言え、歴史を改変する可能性。

 そして何より、この特異点にいる誰かは聖杯を所持している。

 それらを踏まえた上で考察すれば答えは明確だ。ダヴィンチちゃんもそれは理解の上なのか、訥々と事実を述べて行く。

「……この特異点が現れた年代は、2016年12月」

 隣にいるマシュから緊張が伝わる。自分の固唾を呑む音が、やけに大きく体内に響いた。

 火を見るよりも明らかな有罪判決を受ける罪人とは、こんな気分なのだろうか。

「つまり今回の敵……現時点では敵かどうかもわからないが、ともかく」

 普段の享楽的な雰囲気を一切遮断し、英霊レオナルド・ダヴィンチは冷静に告げる。

「相手は十中八九、人理修復に失敗した我々だ」

 

 

03.

 

 

『アンサモンプログラム、スタート。霊子変換を開始します』

『レイシフト定員、設定人数に到達確認。ラプラスによる転移保護、成立。マスター・フジマル=リツカ、特異点への因子追加――認証』

 コフィンに横たわり、目を閉じてレイシフトを待つ。

 私は行く事にした。マシュはいい顔をしなかったけれど、それが先輩ですものね、と首を縦に振ってくれた。

 ダヴィンチちゃんとマシュの危惧も十二分にわかる。

 ダヴィンチちゃんの言った、人理修復に失敗した我々、という言葉。それは恐らく間違いないだろう。でなければ、ここカルデアが特異点と化す理由が見つからない。

 ソロモン、いや、ゲーティアが三千年という執拗なまでの準備期間を用意して行おうとした人理焼却式。本来ならば成功していたはずだ。元々、私みたいな魔術師とすら呼べない素人がなんとか出来る案件じゃあない。カルデアのみんなと多くのサーヴァントに支えられてなんとか止める事は出来た。

 そう、()()()()()

 だから、いる筈なのだ。かなりの可能性であり得た、今となっては過去の未来。

 先程言ったような、歯車の噛み合わなかった、選択を間違えた私が。

『すまないプリティ・リツカ、少々トラブルだ。相談がある』

 内部のスピーカーからコフィン担当のムニエルの陽気な声が届く。レイシフトの際にトラブルとは何気に珍しい。詳しいことは相変わらずわからないが、人理定礎値が低い特異点にはレイシフトするのも難しいのだろうか?

『理由がいまいち不明だが、レイシフト先への因子追加が上手くいかないせいで現時点で同行できるサーヴァントが非常に限られている。何人か……と言うよりは大半のサーヴァントがレイシフトできないな、これは』

「え……大丈夫なの、それ」

 さすがに同行するサーヴァントなしで特異点に行くのは自殺行為だ。魔術の知識も一般人の域を超えず、ろくな魔術も使えない私一人では何も出来ないに等しい。

 かと言って初のレイシフト先に大勢で行くのも憚られる。サーヴァントというものは膨大な魔力の塊のようなものだ。魔力探知は魔術を修める者にとっては基礎中の基礎。当然、レイシフト先にも魔力を感知する者はいる。大勢で出向いて即座に見つかってしまってはその先の行動がかなり制限される。

 という訳でマスターである私と護衛であるサーヴァントが一人くらいが適当なのだけれど、今まではマシュがついてきてくれていた。が、現在、マシュは身体的な問題もあり、ドクターの代わりにナビゲーションと解析に専念してもらっている。

『その点は心配ない、全員が行けない訳じゃあないみたいだ。とりあえず、同行するサーヴァントをこちらの判断で決めてもいいか? それともレイシフト可能なサーヴァントを読み上げようか?』

「皆さんで決めてください。私はみんなを信頼してますから」

『その信頼はプライスレスだリツカ! 素晴らしい!』

「でもこの間みたいに頼まれたからって勝手にレイシフトさせちゃダメだよ」

『大丈夫、この間の一件で俺のボーナスはゼロだからな! 次またやったら減給とマシュに言われたよ、ハハハハ!』

「そ、そう……今度、一緒にシャワルマを食べに行こっか」

『そいつはいい、楽しみが出来た! ではアーチャー・エミヤ君。I choose you(君に決めた)!』

 エミヤ。アーチャーのサーヴァント。

 未来の英雄であるがゆえに一般的に認識されないサーヴァントでありながら、世界の抑止力として召喚されたのが彼だ。戦闘中に見せる合理主義の塊のような動きは少々人間味が薄く、怖く感じることもある。だが、普段は美味しいごはんを作ってくれたり、たまには部屋の掃除をしろ、とお小言を言ってくる世話好きのお兄ちゃんみたいな存在だ。

 サーヴァントのくせにあまりにも家事が得意なので、本人は決して認めようとしないが、カルデアのお母さんとまで言われているくらいだ。

 その面倒見の良さは普段でもサーヴァントととしても変わらない。頼り甲斐のある英霊だ。エミヤが付いてきてくれるのならば安心できる。

『あちらに着いて落ち着いたら召喚サークルを設置してくれ。後々、適性のあるサーヴァントを順次レイシフトさせるとしよう』

「了解、お願いします」

『レイシフトする前に一言、いいかな』

 と、ダヴィンチちゃんの声が届く。

『……この任務は我々カルデア、及び我々の生きる世界に何一つ益のない、言わば徒花(あだはな)だ』

「承知の上です……でも、私が行かなきゃ」

 それは誰に向けた決意だったのか。何を基にした責任感だったのか。

 けれど――エミヤではないけれど、掬える人が、時代がそこにあるのならば、出来る限り掬いたい。

 ましてや相手は志半ばで倒れた自分だ。

「私のわがままに付き合わせて、皆さんごめんなさい。けど……」

『いいさ、カルデアの職員は皆、君がいくつもの苦境を打ち破って来たかを知っている。今更わがままの一つや二つくらい、喜んで付き合うさ。ねえマシュ?』

『はい。それにこのレイシフトは、先輩だけの問題ではありません』

『その通りさ! ……まあなんだ、レイシフト先で失敗した我々が落ち込んでいるようだったら、君の手で喝を入れてやってくれたまえ』

「……そうだね」

 本人もわかっていて茶化すように言っているのだろうが、ことはそう簡単な事態ではないことは予想できる。最悪の場合――いや、今から考え得る最悪を想定しておいた方がいいかも知れない。

 何しろ今から私がしようとしていることは、私たちのバッドエンドの確認。

 予想を超えるおぞましい光景を目にする可能性だって、十二分にあるのだ。

 眼を閉じて、深呼吸をひとつ。

「――行ってきます」

『全工程、完了。レイシフトを開始します』

『アナライズ・ロスト・オーダー。人理補正作業検証を開始します』

 

 

 撞着特異点

  極月杜絶庭園カルデア

 

 人理定礎値 F

 

 

 

 

04.

 

 

 レイシフトにおいて最も嫌なのは、このレイシフト直後だ。あえて言葉に形容するのならば……そう、生きた心地がしない、とでも言おうか。

 物理的に痛い、などの障害がある訳ではない。けれど、どこか不安なのだ。大丈夫とはわかっていても、私の心がどこかで危険信号を発している。

 この事については以前、ダヴィンチちゃんにも相談したことがある。ダヴィンチちゃん曰く、『情報だけとは言え、レイシフト先に無いはずの君を作り出す訳だからね。そりゃあゼロから身体を構築することは容易じゃあないさ。あっはっは』だそうだ。カルデアのサポートがあるから安心こそ出来るものの、違う時代の違う世界へとタイムワープする、という事自体、馬鹿げている。まともな魔術師ならば現実感がなさすぎて鼻で笑うような試みだ。

 それはもう魔法の域。並行世界間を自由に行き来できる魔法使いがいる、と何処かで耳にしたことはあるけれど、まさにその通り、魔法使いでもなければこんなにも度々行える代物ではないのだ。

 魔術師としては下の下、素人同然どころか素人そのものである私でもわかる、並行世界への移動と、魂の物質化。第二と第三(だったと思う)の合わせ技だ。データを物質と言えるかどうかはわからないし、魔術関連の知識についてはザルな私がいくら考察したところで無駄なんだろうけれど、カルデアのシステムがとんでもないものだということだけは、元魔術師のサーヴァントたちの話を聞いていてもわかる。

 と、そんな益体も無いことを考えているうちに、レイシフトは無事完了したらしい。

 背後に柔らかな感触が満遍なく伝わる。レイシフト先を私の部屋に指定したから、ここはきっと私のベッドの上なのだろう。顔をうずめ慣れた枕に、どこか安心する部屋の匂い。

 五感の覚醒と共に次第に聞こえてくるのは、チッ、チッ、チッ、と規則正しく、恐らくは一秒間隔で鳴る音。

 一定間隔で音を出す運針音のようなものには、どこか親しみと共に安心感を覚える事がある。それは恐らく、時間が誰にでも平等で決して差のつかないものだからなのかも知れない。

 だが。

 チ、チチ、チチチチ、とその音は着実に数を増しているようだった。いや、最初から音源がいくつかあったのかも知れない。どちらにせよ、全く同じ単音がコンマ何秒ほどのズレで鳴ることにより、チチチチチチ、チチチチチと無限に続くと思わせる奇妙なハーモニーを奏でていた。

 例え運針音が安定を示すものの象徴だとしても、あまりにも供給過多となれば逆に精神の安定を阻害する。

 しかも、自分の部屋に秒針のある時計を複数置いた覚えがなければ尚更だ。

 これはまずい、このままではやばい、と今までの経験と直感が訴えている。例を挙げるとするのならば、第七特異点や新宿で超高空に放り出された時の感覚と似ている。

 ようやく視覚が構築されたのか、まぶたの裏に僅かな光を感じるのと同時に急いで目を開け、身構える。

 瞳孔の開いた私の眼が捉えたのは、光源はないものの、指定通りの私のルーム。場所は予想通りベッドの上。さっきまで頭を預けていた、私お気に入りの一対の枕もある。

 だが今朝も見た景色と違う点は、

「……う、そ」

『塵も残さず殺す』。

 そんな意志を代弁するかのように、寝ていたベッドを取り囲むよう其処彼処に乱雑に積まれた、残り三秒を指す大量の時限爆弾だった。

 爆薬の量だとか、爆弾の種類だとか細かいことを考えるまでもなく致死量だと即座に理解する。それに何より。

 ()()()()()()()()()()()

「――っ、令呪をもって命ずる!」

 ぞわり、と文字通りすぐそこに迫り来る死に、身体が即座に反応する。

 思考を巡らせるよりも先に手の甲に刻まれた令呪に魔力を込める。

 どうやら周囲に同行しているはずのエミヤの姿はない。レイシフト先が全く同じ位置にならないことは過去に何度も経験している。だけど、この特異点の何処かにはいる。なら、

「来い、アーチャー!」

 僅かな痛みと共に、令呪の三画あるうちの一画が輝きを失う。それと同時に目の前に現れたのは、

「耳を塞げ、息を止めろ!」

 投影した短刀で、すぐ近くの爆弾だけを遠くへと弾き飛ばす。カルデアの食堂でもよく見る、大きな背中。

 ただいつものエプロン姿とは違うのは、赤い外套と英霊としての威圧感。

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」

 刹那、魔力の放出と共にエミヤを中心に360度全方向に六枚の、頭上に一枚の花弁を模した盾が顕現する。一方私はと言えばエミヤの助言通り、両手で耳を塞いで身を縮ませる。同時に巻き起こる凄まじい爆発音。

「――……っ!」

 経験したことはないので確信はないが、東京ドームクラスの大規模な会場のスピーカーの目の前でもこれ程の大音響は出ないだろう。耳だけに限らず、全身を震わせる程の衝撃が襲う。

 爆発による一番の期待が持てる殺傷能力は、身を焼く火でも飛び散る破片でもない。一瞬の真空から巻き起こるとてつもない空気の流れによる気圧変化――つまりは爆風だ。先ほどエミヤが息を止めろ、と言ったのもその為だろう。サーヴァントとであるエミヤとは違い、人間である私の身体は脆い。そんなほぼ真空に近い酸素濃度状態で一度でも呼吸をすれば一瞬で死に至る。

 だが例え英霊エミヤの誇る防御用の宝具と言えど、爆風や気圧の変化は遮断しても、音を完全にシャットアウトする能力まではついていないのだろう。間近で鳴る爆発音というものは、もはや音の域を超えてひとつの兵器と化していた。

 どれ程の時間が経過したのか、爆風で目まぐるしく変化する光景が収まる頃、エミヤが肩で一息つく。

「……ふむ、飛び道具ではないので少々心配だったが、君を守ることは出来たようだな。これがただの爆弾で助かった。大丈夫かね?」

「…………」

「マスター?」

 役目を果たした魔力の盾が崩れ消える中、一瞬、エミヤが何を言っているのかわからなかったせいで、呆気に取られてしまった。言葉の意味が理解できないのではなく、唇が動いているので何か喋っているのはわかるのだが、音声というものが全く伝わって来ないのだ。

「ああ、まだ聞こえないのか……大丈夫か?」

 大丈夫か、あたりからようやく聴覚が戻って来たのか、僅かながら聞き取れる程にはなったようだ。

「え、エミヤ……助かったよ、ありがとう……」

「礼はいい。カルデアのマスターに相応しい、いい機転だった……だが、これは……」

 言って、周囲を見渡すエミヤ。

 私のルームは、今の大爆発で盾に守られていたベッド以外は見る影もなくぼろぼろに破壊されていた。

 だが――、

「……周りは壊れてないみたいだね。これって……」

 部屋の中こそ大惨事だが、壁やドアなどの外と繋がる箇所は一切のダメージを受けていなかった。恐らくは魔術的な結界を張り、被害をこの部屋だけにしたかったのだろう。加えて、私がレイシフトした瞬間に時限爆弾がゼロを指そうとした、なんて都合のいい偶然がある訳がない。

「ああ、この部屋に誰かが現れると同時に時限爆弾が作動する仕組みのようだな……他の部屋にも同じ仕掛けがありそうだ」

「……それに、さっきの爆弾」

「……ああ」

「メフィストの爆弾、だよね?」

「…………」

 何か思うところがあるのか、エミヤは無言で肯定を返す。

 メフィストフェレス。カルデアに召喚されたキャスターのサーヴァントだ。彼の愛用する懐中時計に似た爆弾は特徴的で、一目でわかる。

 バーサーカーと言っても違和感のない狂気と躁を持った彼だけど、私の知っているメフィストは、なんだかんだで協力してくれていた。

「っ!」

 と、部屋の自動ドアが静かな音を立てて開く。即座に反応したエミヤが一対の短刀を投影し、私を守るようドアと私の間に立つ。

「イヒっ、いつ聞いてもいいですねぇ爆発の奏でる演奏(ハーモニー)は! 爆発は芸じゅ――あらっ?」

 極上の悪い笑顔と共に現れたのは、予想通りメフィストフェレスだった。

「あ、やっぱり生きてました? ンー、サーヴァントでも殺せるくらいの爆薬使ったんですがねェ」

 私たちの姿を見て、一瞬真顔に戻るも、すぐに口が裂けるような極悪の笑みを浮かべる。その仕草は、私の知っているメフィストフェレスそのもので。

「まぁそう簡単に死なれてもつまらない! さァすがは百戦錬磨のマぁスター! とまずは賛辞を送らせていただきましょう! コングラッチレェェェション! アっハハハハハハハハハぁ!」

「マスター、通信はどうだ」

「全然。繋がらない」

 通常ならばレイシフト直後から繋がる筈の本部との通信が一切繋がらない。原因がわからないのはいつもの事だ、いずれ解決しなければならない……けれど。

 それよりも今のメフィストの言葉。

「おやおや、内緒話ですか? いやらしいですねェ、私も混ぜてくださいよぉ。仲間ハズレになんてされたらメッフィー寂しくて泣いちゃいますよ?」

「メフィストフェレス。今、彼女をマスターと呼んだな」

「ええ、ええ! 人理修復一番の功労者、世界を救った素ン晴らしいマスター! 貴方は贋作の英霊、兼カルデアのお母さん、エミヤさァん! もちろん絶賛ご存知ですとも!」

「お前はカルデアに召喚されたサーヴァント、メフィストフェレスで間違いないんだな?」

 短刀の切っ先をメフィストの方角へと突き付けながら、エミヤは静かな語調のまま訊く。本来ならば、私が直接聞き出さなければいけないことだ。

 ここにレイシフトすると決めた瞬間から、高確率であり得た――いや、ほぼ確定していた可能性。

 特異点が発生する、ということは、そこには歴史を変えようとする誰かがいる。それは例え人理定礎値がFであろうとEXであろうと変わりはない。

 そしてそいつは、歴史を改変するに足る力を持っている。

「回りくどいですねェエミヤさぁん。マスターに気遣ってるのか知りませんが、あなたの聞きたいことはひとつ! でございましょう?」

 目の前にいる反英霊メフィストフェレスは、その話し方からも、カルデアの内情も知っている。カルデアにいた、カルデアに召喚された、カルデアで一緒に戦った、紛れもない仲間。

「そうか。ならば――お互い、話し合いの余地は無いな」

 その仲間と、人理修復を賭けて殺し合う、という、覚悟を。

「マスター!」

「ウヒっ」

 エミヤが短刀を逆手に構え直し、戦闘態勢に入る。

 メフィストフェレスがそれを見るや否や、更に顔を喜色に歪ませ、勢いよく大鋏をジャグリングのようにくるくると弄びながら取り出す。

 私は、ここで決めなければならない。

「――――っ」

 エミヤは最初からわかっていた。特異点としてのカルデアに来る以上、カルデアのサーヴァントと戦わなければならない事を。

 けれど私は、心の何処かで知りつつもその覚悟が決まっていなかった。

 私は甘ちゃんだ。

 エミヤは私が仲間を倒すなんてそう簡単に出来ないと悟って、それでもこんな状況まで作り上げて、私を舞台に無理矢理にでも押し上げてくれた。

 特異点の修正は私に課された唯一の任務。なんの取り柄もない私が出来る、みんなのために出来ること。

 命を懸けてでも守りたいものも、その想いも、人理修復を始める頃と比べると随分と増えた。死なせたくない人、壊したくない世界、決して破れない約束。

 加えて相手が何かしらの理由で歪んでしまった結果、特異点となったカルデアなら、私は何が何でも負ける訳には行かない。

 それに。

「――敵性確認。迎撃して、エミヤ!」

 ここまでサーヴァントにお膳立てされて奮い立たなければ、未熟とはいえマスターの名折れだ。

 

 

05.

 

 

「了解した、我がマスター。出来るだけ離れていろ!」

「アッハハハハハハァ! ヒィャアハハハハハハハハハハハハハハァ! お話が早くて結構! 裏切り、奇襲、陵辱、狼籍! 不義不忠に不敬に不徳、横恋慕から下剋上まで何のその! メフィストフェレス悪徳の粋をさぁさご覧あれェ!」

 メフィストの大見得を皮切りに戦闘が開始される。

 英霊同士の戦闘には基本、人間であるマスターが介入出来る余地はあまりない。根本的な問題として、基礎能力がまるで違うからだ。例えるのならば恐竜同士の戦いに人間が生身で参戦するようなものだ。加えてエミヤは私を守りながら戦わなければならない。闇の中でも明瞭な視界を得られる魔術を詠唱した後、邪魔をしないよう、部屋の隅に移動する。元々眼の良いアーチャーのクラスだ、求められなければエミヤに関しては視界に関する魔術による補助は必要ないだろう。

 だが、ただエミヤの勝利を願って見ているだけという訳にも行かない。カルデア内で孔明とメディアに教わった、呪い避けの魔術を詠唱。並行してキャスターのクー・フーリンとスカサハから手慰みに習ったルーン魔術を自分の腹に描く。魔術師が最初に覚えるのは魔力探知と魔力抵抗だそうなので、私も少し教わるだけで真似事くらいは出来るようになった。

 取り分け今回の相手はメフィストフェレス。反英霊だけあって自分の享楽の為なら自分の身すら厭わない快楽主義者だ。何処からどんな仕掛けが飛んでくるかわかったものじゃない。

 そも、対サーヴァント戦というものはいつだって命懸けだ。相手の持つ宝具によっては、発動した瞬間に相手の命を奪うような強力なものだってある。

 だが、今回に限っては敵の真名と宝具はわかっている。その点だけは、他の特異点に比べると対策はし易い。

 そしてメフィストの持つ宝具は、宝具名開示の瞬間に相手の体内や魔術回路に爆弾を仕込む、という非常に実用的かつ凶悪なものだ。この爆弾は一度仕込まれたが最後、解除する方法はメフィスト本人しか知らない。底意地の悪いメフィストのことだから、実は解除する方法すら最初からない、ということも考えられる。

 その爆弾を回避する為には、呪いへの耐性、及び幸運が必要となる。先ほどの魔術もその為のものだ。さすがに内部から爆発して死ぬのは女の子的にも絵面的にもごめんだ。

「よし……次」

 続いてメフィストと切り結んでいるエミヤにも同じものを。

 魔術師として未熟な私だけど、重ねがけすることで多少の耐性は得ることができる。英霊の宝具相手には気休め程度だけど、ないよりはマシだ。

「甘いっ!」

 何合か剣戟が鳴った後、エミヤがメフィストの大鋏を弾き飛ばすところだった。その勢いで、人の首さえ切断できそうな巨大な鋏が天井に突き刺さる。

「ンン~、接近戦では流石に分が悪いですねェ」

 一旦距離を取り、メフィストが口元を歪ませる。エミヤは弓兵のサーヴァントだが、接近戦も並以上にこなす稀有な英霊だ。状況次第ではセイバーやランサーのサーヴァントですら接近戦で打ち破る。

 ミスタームニエルを含むカルデアの職員が、アーチャーの本分である中・遠距離に加え、二刀流の短刀による近距離の白兵戦と汎用性が非常に高い彼を護衛に選んだのも頷ける。ロビンフッドはそんなエミヤのあり方が同じ弓兵として気に入らないようだが、護衛としては頼りになることこの上ない。

 と、

微睡む爆弾(チクタク・ボム)……♪」

 メフィストの宝具名開示の呟きと共に、周囲の何もない空間に複数の爆弾がじわり、と徐々に顕現する。

 だが周囲に現れる爆弾は二の次だ。爆風は先程のように防げる。だが、体内で爆ぜる爆弾は対処のしようがない。

 確認すべきは自分とエミヤの体内に爆弾があるかどうか。

「……っ!」

 魔力探知を働かせる。

 私の脇腹と左目に一つずつ。エミヤの背中にひとつ。普段は一人につき最大五つの爆弾を潜ませるメフィストの『微睡む爆弾(チクタク・ボム)』だが、先ほどの呪い避けの魔術が多少は効いたらしい、が。

「エミヤ! 爆弾が!」

「くっ……」

 そんな事で喜んでいる暇などない。ひとつでもあればサーヴァントはともかく、人ひとり死に至らしめるには充分だ。

「残念賞! それでは最期の秒読みをこの不肖悪魔もどきメフィストフェレスが拝読いたしまァす!」

 体内に仕込まれた爆弾を今すぐ除去する方法は、こちら側にはない。エミヤも承知の上で、メフィストに爆発させないようすぐに止めを刺しにかかる。

「させるか!」

「3!2!1――――!」

 この状況ではエミヤがメフィストを仕留めてくれることを願うほかない。一秒後に迫る死に、思わず眼を固く閉じる。

 と、

「――神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)

「おや? あらっ、あらららら?」

 一秒後にも訪れない死に安堵しつつもそっと眼を開ける。

 そこにいたのは、ナイフをメフィストの背に突き立てる、赤いフードを被ったサーヴァントの姿。

「あそこまで優勢に立っておきながら敵に宝具まで使わせるとは……詰めが甘いな君は。それでもサーヴァントか?」

「ああん、痛ァい!」

 エミヤに対してのものか、皮肉を言いつつもメフィストに足払いの後に関節を極め動きを封じ、喉元にナイフをあてがう。

 彼の名はエミヤ。アサシンのサーヴァント。弓兵であるエミヤと同じ名前だが、確固とした別人だ。二人とも話したがらないので本当のところはわからないが、同じ名前と言いどうも所縁があるらしい。

 突然現れたのは、アサシンのクラススキルである気配遮断の賜物だろう。いつからどこにいたのか、私も全く気付かなかった。

「ふっ、気配遮断をしておきながら戦いの最中、私だけに姿を見せたのは何処の誰かな」

「……今回はこの通り、カルデアが敵だ。僕が敵側である可能性もある」

「敵ならばそんな回りくどい事はせず、気配を消したまま真っ先にマスターか私を狙う方が効率がいい……貴方はそういうやり口だろう?」

「…………ふん」

 会話を聞くに、戦いの最中にやり取りがあったらしい。不満そうではあるが表情一つ変えないまま、アサシンのエミヤは会話を切り上げてメフィストを拘束する腕に力を入れる。

「痛たたたた! 何ですかコレ!? お腹の中がグッチャグチャじゃあないですかァ!」

「お前の魔術回路は破壊した。もう遠隔爆破はおろか魔術の行使も出来ない」

「これが噂の魔術師殺しとかいうヤツですか!? いいですねェ、ここまでメチャクチャにするとか無慈悲にも程がある! 貴方魔術師が余程お嫌いなようで! 良ければ私にそのルーツをお聞かせ願えませんか?」

「次、余計な事を喋ったら殺す」

「あぁ怖い怖い、メッフィーお口にチャーック!」

 機械的な声音でナイフを喉元へと僅かに食い込ませる。

 アサシンのエミヤが持つあのナイフは、魔術を使うものに対し絶大な効果を発揮する彼の宝具だ。ナイフ自体の殺傷能力は並の刃物と変わりないが、なんでもあのナイフで切り付けた相手の魔術回路をずたずたに破壊するものらしい。本人曰く、生前は魔術師殺しとして名を馳せた暗殺者だった為、だそうだ。

 メフィストの宝具は自動爆破ではなくメフィスト本人の意志による遠隔爆破。そのスイッチが破壊されては爆破することはもう叶わない。

「こちらの質問に答える以外の行動を取っても即座に殺す……マスター」

 直接訊け、と促す視線に頷きメフィストに近寄る。

 近くで見ても変わりはない。間違うことなく、彼は反英霊メフィストフェレスだ。

「メフィスト、ここで……このカルデアで何が起きたの?」

「そうですねぇ、話すと長くなりますがよろしいですか? ただでさえ長話が好きな私、上乗せでこんなマゾヒズムを刺激される状況では滑舌も絶好調! 詳細に話すとなれば半日はお時間をいただかないと!」

「一行でまとめて」

「あっ、本気ですねその眼……えー、貴女ではない私のマスターがゲーティアに負けました。おしまい」

 やっぱり、か。

 このカルデアが特異点となった理由はわかった。だが、それだけでは説明がつかないことも山ほどある。

 時間はかかるけれど、一から聞いて状況を把握した方が良さそうだ。

「じゃあ――」

「申し訳ありません! 私が答えられるのはここまでのようでェす!」

「マスター!」

「え?」

 後ろから引き寄せられたかと思った瞬間、さっきも味わった炸裂音が部屋中に響く。

 呆然とした頭の中、次に視界に映ったのは、二人のエミヤの後ろ姿。爆弾自体は大したことがなかったらしく、二人が守ってくれたこともあってどこにも痛みはなかった。

「時限爆弾か……!」

「アッハハハァ! そうです、ここに来る前に時限爆弾をゴックンチョ、と! いやあ不味かった! 爆弾は大好きですが食べるのは二度と御免ですねェ!」

 二人越しに、腹部を半分ほど吹き飛ばして失くしたメフィストが、いつもと変わらない笑い顔を湛えて消滅しかかっているところだった。

「という訳で道化は退場いたします! さようなら!」

「待って!」

 二人を押しのけて、消えかかっているメフィストと対峙する。

 どうしても聞きたいことがあった。

 特異点である以上、サーヴァントたちが私たちを襲うのはいい。カルデアが特異点となった理由も後回しだ。何があったのかはわからないが、こちらの私には、レイシフトして来た私たちに攻撃を仕掛けるに足る理由があるのも理解できる。

 けれど、

「どうして……メフィストはなんでこんな事を!?」

 一番聞きたいのは彼らサーヴァントの心中。

 サーヴァントのみんなは、破格の英霊でありながらカルデアに使役される使い魔に過ぎない。

 そして命令を下しているのは、恐らくこの世界における私。

 どんな想いで仲間を殺せ、なんて命令に付き従っているのか、それを聞きたかった。

「私? 私はそりゃあもう面白おかしいから付き合ってるだけでございまして!」

「…………!」

 メフィストフェレスは、間違いなく悪に分類される反英霊の類だ。

 けれど、彼は私の人理修復という目標を嘲笑いつつも私に協力してくれた。いざという時は身を挺して守ってくれたこともあった。

 分かり合えたと思っていたのは、私だけだったのだろうか。

「そう、それ! 貴女のそんな顔とか最ッ高でございます!」

「貴様……疾く消えろ!」

 止めを刺そうとそれぞれ弓を番え、銃口を向ける二人のエミヤ。

「――なんて、悪魔もどきとしては言いたいところですがねぇ」

 と、今にも消滅しそうな中、メフィストは珍しくその顔から感情を消す。

 私も一度だけ見た事がある。ごくごく稀に彼が見せる、真摯な表情。

「マスターがマスターだからですよ。じゃなきゃ付き合ってられませんよお、こんな茶番劇。イヒヒヒッ」

 それは果たして誰に向けられたものだったのか。私か、彼のマスターである私か、それとも自分か。

 メフィストは彼らしい嘲笑と共に消滅したのであった。

 

 

06.

 

 

 メフィストフェレスの消滅と共に、全身を酷い疲労感が襲った。思わずその場にぺたん、と座り込んでしまう。

 二度の慣れない爆発で身体が悲鳴を上げているというのもあるが、それよりも長い戦いで絆を深めた仲間と争う、という事実が正直言って、きつい。

 だが辛いのはエミヤたちの方が上だ。見ているだけの私より、直接手を下すのは彼らなのだから。

「マスター、戦闘後で疲れているだろうが状況の整理だ。どうせなら床でなくベッドに腰掛けたまえ」

「召喚サークルの設置方法をここに来る前、マシュに教わっておいた……僕がやっておく。身体を休めておけ」

「うん、ありがとう、二人とも」

 私がここで弱音を吐いたり落ち込む様を見せる訳には行かない。私が折れたら全てが終わる。

「さて、まずはカルデアの状況だが」

 召喚サークルを地面に設置し、アサシンのエミヤが地面に胡坐をかく。彼もまた元魔術師だからか、設置の手際は鮮やかなものだった。

「通信は出来るか? あちらでは何度も通信を試みているが出来ない、との事だった」

 言われて気付き、通信機に手をやって確かめる。

「……出来ないね、相変わらず」

 が、何度やっても繋がる気配すら見せなかった。電波が悪いと言うよりは、電源が切れているような手応え。

「そうか……カルデア内全域にジャミングのようなものでもかかっているのかも知れないな」

「通信については後回しだ、いずれ原因もわかるだろう……通信出来ない場合はあちらの状況を僕が伝えるよう言い渡された」

 相変わらずの仏頂面のまま、アサシンのエミヤは続ける。

 彼はカルデアに在籍する多くのサーヴァントの中でも一際ストイックな性格の持ち主だ。自分を任務遂行の道具の一部としか考えておらず、アーチャーのエミヤ以上に機械的に物事を捉える。

 現在、カルデアには三人のエミヤがいる。

 目の前にいるアーチャーのエミヤ、アサシンのエミヤ、そしてアーチャーのエミヤのオルタであるエミヤオルタ。三人とも姿形こそ異なるが、共通している点がある。

 三人とも、自分を表現するのに正義の味方の成れの果て、という皮肉を良く使うという点だ。三人とも、正義の味方を貫いた結果、英霊となった人物なのだ。それぞれが、己の正義を死後も通す為に戦っている。そこに躊躇や妥協といった感情はもはや存在しない。アーチャーのエミヤはまだしも、他の二人は最早感情が擦り切れて麻痺してしまっている、と思う事すらある。

 アサシンのエミヤも感情を表に出すことは無いに等しく、いかに効率的に目的を完遂するか、という一点のみを追求している。人間味が感じられない、という点においてはエミヤオルタと似ているが、目的遂行の為ならばとにかく手段を選ばないエミヤオルタよりはまだ正義の味方としての矜持を残している気がする。

「そしてレイシフト前に聞いただろうが、レイシフト出来るサーヴァントが非常に限定されている。具体的には僕とそこの彼を含めた十三名」

「十三人……?」

 現在、カルデアに在籍する英霊は、エリザベートや皇帝ネロ、アルトリアなどのクラスが重複している者を除くとおおよそ百五十名程。十三名では十分の一にも満たない。

「レイシフト出来ない原因は特異点先、つまりここへの因子追加の不可。恐らく、この場所に存在が許されていない為だと言っていた」

「存在が許されていない……どういうこと?」

「逆にレイシフト可能な英霊を見てみると共通点があった。先ほどのメフィストフェレス、燕青、狼王ロボ……その全てが架空の人物、もしくは僕や彼のような抑止力と呼ばれる存在だ。神話時代など、『存在したかどうかも定かではない』という類の英霊は全て拒否されている……これが何を示しているかと言うと、この場所においては人理、つまり人の歴史が存在しない。ゆえに歴史に名を刻む者は、この世界で現界に耐え得る因子が全くない。存在自体が不可能、というのがカルデアの予想だ」

 英霊とは、生前の偉業や功績を知名度という形で力にする存在だ。その者が歴史上有名であればある程に召喚時に力を増す。

 だがここにおいてはその歴史そのものが存在しない。

 ローマ自体が存在しない為、ローマ皇帝であるネロやカリギュラ、神祖ロムルスはもちろんのこと。フランスもないのでジャンヌ・ダルクやマリー・アントワネットも存在し得ない。日本がなければ坂田金時や酒呑童子が産まれる事もなく、フィンランドがないのでケルトの戦士もまた然り、だ。

「僕や彼のようないわゆる抑止力と呼ばれる者は例外だ。僕たちは人類存続の危機に際して世界に直接召喚される。人間の総意である僕らは人間が一人でも生きていれば存在できる。そこに人の歴史は関係がない。創作上の英霊が存在出来る理由は、ここにいる君ではないマスターが知識として知っているからだろう。創作物であれば元が想像の産物であるため、歴史が無くとも存在し得る……もちろん、知る人間が一人しかいない以上、以前よりも格段に力は弱まっているだろうが」

「確かに……先程のメフィストフェレスも、かなり力が弱まっていた」

 メフィストフェレスはゲーテの『ファウスト』に代表される、あらゆる創作物に登場する悪魔だ。あのシェイクスピアの作品にもメフィストは登場している。先程アサシンのエミヤが挙げた燕青とロボも、水滸伝やシートン動物記といった著作物の登場人物ばかりだ。

「歴史が断絶された状態でどうやってここを保っているのかは今から調べなければわからないが……敵も同じく、レイシフト可能な十三名に限られると思われる」

「残りの英霊は?」

「先程挙げた三名に加え君と僕、そして君のオルタで六名。残りはシャーロック・ホームズ、ジェームズ・モリアーティ、ヘンリー・ジキル、フランケンシュタイン、ナーサリー・ライム、ファントムジオペラ、巌窟王で十三名。だが人理焼却が行われたのを時間神殿だと仮定するのならば、モリアーティと燕青、狼王ロボ、それに君のオルタは時期的に数に入れなくていい」

「成程な、相手が限定出来るのならば対処もだいぶ楽になる……その中から貴方が最初に送り込まれたのは何故だ?」

「さてね。他の面子に比べたら、まだ僕がマシだって事じゃないのか」

 アサシンのエミヤが挙げた面々を頭に並べる。

 確かに、意志疎通の難しいロボやファントムは他の英霊と行動するのが前提なので少数精鋭には向かない。ホームズは自他共に認める力の弱い英霊だし、創作界における悪の代名詞モリアーティに至ってはこれを機にと悪巧みをしかねない。ジキルは理知的で頼りになるけれどハイドが表に出た時に御しきれるかどうか自信はない。エミヤオルタは大きな戦力だが、解決に手段を選ばないのでカルデアの職員からも敬遠されがちだ。いい意味でも悪い意味でも、彼はこれ以上ないほど純粋な悪の敵(アンチ・ヒーロー)だ。

 残るは燕青とナーサリーと巌窟王だが、その中でアサシンのエミヤが選ばれたのは、事態の解決を最優先とカルデアが判断したからだろう。手段はともかく、効率という点で彼に勝る者はいない。

「こんな無価値な案件はとっとと解決して戻って来い、ということだろう。マスター、早速これからの方針を決めよう」

「え、あ……うん、そうだね」

「……仕事熱心なのは認めるが、少しはマスターに気遣ったらどうかね」

 血の通わないアサシンのエミヤの言葉を、アーチャーのエミヤが咎める。

 アサシンのエミヤが言う通り、これはカルデアにとって何ら価値のないレイシフトだ。この特異点を修正したからと言って、人命が救われる訳でもない。世界の抑止力たる彼の態度がいつもより杜撰になるのもわかる。

「気遣い? そんなものに気を割いている暇があったら、ひとつでも多くの解決方法を考えたらどうなんだ?」

「あくまで作戦の中心はマスターだ。それを忘れるな」

「悪いけど、僕は君ほど女の子の扱いには長けていないんだよ」

「話を逸らすな。マスターのメンタル面を考慮し――」

「ケンカはだめ!」

「…………」

「…………」

 このままではどこまでも続きそうだったので、強引に二人の間に入る。

 アサシンのエミヤが食堂でおしるこを食べているのを何度か見た事があるので、普段は特に良くも悪くもない二人の関係だが、共闘するには相性が悪いらしい。

「ケンカは特異点修正が終わってから! 文句があるなら令呪で言う事聞かせるよ!」

 私の手に残った令呪は残り二画。二人もそんなくだらない事に切り札になり得る令呪を使われてはたまったものではない、と思ったのだろう。鏡合わせのように、二人とも小さく溜息をついて眼を閉じる。

「……僕は君が嫌いだよ」

「そいつは結構、気が合うな」

「返事は!?」

「……了解」

「了解だ、すまなかったマスター」

 険悪なままだけれど、二人とも仕事には私情を挟まずにこなすタイプだ。任務に影響はしないだろう。それにケンカする程仲がいい、とも言う。本当に仲の悪い二人というものは、言い争いすら発生しない。ただ無言で殺し合うものだ。

 私のカルデアに帰ったら、三人で食事会でも開こう、と密かにプランを立てるのだった。

 

 

07.

 

 

「マスター、食事の時間よ」

 少女の声に、ぼやけていた意識が統合される。ゆっくりと拓いていく視界に映るのは、眠る前と寸分違わぬ景色。

 これが夢ならばいいと、何度願ったことだろうか。

 これが現実ならばいいと、何度夢見たことだろうか。

 いくら悲観し絶望したところで事態が変わる訳もない。僕は今日もまた、無意味に等しい無為を重ねる。

「……ありがとう、キャスター。いつも悪いね」

「いいのよ。それより今日はお茶をみつけたから淹れてきたの! ティーバッグだけれどフォションのアップルティーなのよ!」

「それはいいね、食後に一緒に飲もうか」

「ええ!」

 上から僕を覗き込む、太陽のような笑顔に思わず頬が緩む。正直言うと紅茶の銘柄なんて全くわからないが、キャスターがここまではしゃいでいるのだ。蔑ろにしたら罰が当たる。

「それじゃあ、失礼するわねマスター」

 仰向けに寝転がる僕の腰あたりに跨るキャスター。僕も同じくして上半身を起こす。

「……大丈夫?」

「ええ、心配はいらないのよ」

 言って、ゴシックロリータの洋服の上着をはだけて見せる。子供相応の白い肌が、暗闇の中では一層際立って見えた。

 その小さな身体を抱き寄せる。

「んっ……」

 彼女の鎖骨に頬ずりをするように顔を寄せ、うなじの柔肌に二本の犬歯を突き立てる。

 その痛みに反応した彼女が腕の中で跳ねる。構わずに開けた二つの穴から血液を吸い上げる。

 喉を鳴らしてキャスターの血液を嚥下していくのに比例して、全身に染み渡る、陶酔と充足。まだ僕が人間であった頃には得ることが出来なかった、化外にのみ許された快楽。

 キャスターは僕を気遣って声を上げないよう押し留めているのだろう、口元を押さえて僅かに震える彼女の姿に、僕は引け目どころか倒錯に近い感情を抱いている。

 まるで、どころではない。これでは化物そのものだ。

 最初は遠慮しがちだったこの行為も、いつしか慣れてしまった。

 人間の順応性が怖いと思ったのは、これが産まれて初めてだ。僕はこのまま、今の状況にも慣れて朽ちていくのだろうか。

 それもいい、と思っている自分もいる。

「食事中悪いねマスター。重要な報告があるんだけど、少しいいかい?」

 と、量にしてコップ一杯分ほど飲み下したあたりで、背後から声がかかる。あの声は……アサシンか。

 キャスターの首筋から顔を離して口元に滴る血を舐め取る。

「どうしたの?」

「予想通り、来たよ。彼ら」

 眼鏡をかけたアサシンの報告に、身体中に動揺が(はし)る。

 その機微を読み取ったのか、腕の中のキャスターがきゅっと抱く力を強くする。

「……そう。アヴェンジャーはなんて?」

「計画通り進める、だそうだよ」

「そっか……ありがとう」

「いや――うん、ありがたく受け取っておくよ」

「キャスターが紅茶を淹れてくれたんだ。君もどう?」

「魅力的な提案だけど、時間もないし遠慮しておくよ……それじゃあ、行ってくるね」

 その言葉を最後に、背後から気配が消える。

 永遠に続くとも思われた地獄にも、これでようやく終止符が打てる。そのせいか、図らずも自分の顔に笑みが浮かんでいることに気付いた。

 その顔は果たしてキャスターにどのように映ったのか。衣服を整えて紅茶の入ったカップを二つ持って来る彼女からは読み取れなかった。

「マスター、お茶にしましょう?」

「うん」

 キャスターの淹れてくれたミルクと砂糖を多量に入れた甘い紅茶は、皮肉にも彼女の血の匂いを洗い流してくれた。

 

 

08.

 

 

 二人のエミヤと今後の方針を話した結果、三人でカルデア内をくまなく探索する、ということになった。理由としては、ここに残るサーヴァントにエミヤ二人がいる可能性を考慮すると、あちら側のエミヤ二人が出て来た際に敵味方の区別がつかなくなる恐れがある、というものである。

 本来ならばアサシンであるエミヤが斥候として単独行動するのがいいのだろうが、述懐したリスクを考えるとこちらの方が好ましい、というのがアサシンのエミヤの言葉だ。戦力を分散させないメリットも得られるので、私とアーチャーのエミヤも特に反対することなく話はまとまった。

 他のサーヴァントがレイシフトしてくるまで待つ、という選択肢もあるにはあったが、メフィストが来た時点で私たちの存在はレイシフトした瞬間に伝わっていると見ていいだろう。あちらに対応の時間を与えるのはどう考えても得策じゃない。

「……これは、酷いな」

 まずはカルデアの指揮を担う中央管制室を目指すことを目的に私の部屋を出ると、カルデア内はアーチャーのエミヤが言う通り、酷い有様だった。

 廊下に非常電源を含めて光は一切なく、其処彼処と破壊されていた。辛うじて原型を保っているため通行は可能だが、どれだけ激しい戦闘があったのかを雄弁に物語っている。加えて、人の生活している気配が全くない。想像したくないことではあるが、やはり大半がゲーティアの手により壊滅したのだろう。

 一歩間違えれば私が辿っていたカルデアの姿。そう思うと、えも言われない寒気が背筋を伝う。

「マスター、足元に気を付けろ」

「うん、ありがとう」

 前衛をアーチャーのエミヤ、殿(しんがり)にアサシンのエミヤと挟まれる形でたどたどしく廊下を歩く。その破壊ぶりは、毎日歩いている廊下とはどうしても思えない程だった。

「……二人とも、止まれ」

 数分ほど無言で歩を進めたところで、前方のエミヤが立ち止まって短刀を投影する。と、是非を問う間もなく短刀を何もない闇に目がけて投擲する。

「さすがだね、エミヤ。いい眼をしている」

 闇の中から現れるのは、エミヤの短刀を手袋をした片手で掴み、にこりと笑うジキルの姿。その後方には、何かをぶつぶつと呟くファントムジオペラの姿もあった。

「ジキル、ファントム……」

「あれ、そちらのマスターは女の子なのか……そうか、そういう事もあるのか」

「クリスティーヌ……クリス……ティーヌ……?」

「マスター、下がっていろ」

 私の肩を掴み、アサシンのエミヤが前に出る。

 もはや話すことはない、と言わんばかりに両者とも武器を構える。

「ジキル、一つだけ聞いておく。休戦の余地はあるか」

「……残念ながら」

 苦笑をこぼし、懐から取り出した霊薬を迷い無く煽るジキル。

 あの霊薬は、ジキルをもう一つの人格であるハイドと入れ替えるものだ。ハイドは目の前にいる敵を躊躇なく蹂躙する為に存在する暴の塊のような存在。

「来た……来た、来た、来た、来た来た来た来たァ!」

 薬瓶が地面に落ち割れるのと同時に、ジキルの顔付きが一変、狂気を灯したハイドと入れ替わる。

 眼は燃えるような赤い瞳に。極端な猫背となった前傾姿勢に、爪を模したナイフを持った姿はまさに獣そのもの。ジキルの理性的な性格とは似ても似つかない、破壊と殺戮のみを振り撒く悪鬼。とても同一人物とは思えないその様子は、文字通りの変身だ。

 ジキルはその性格から、ハイドに身体を明け渡すことを窮地においても渋っていた。そのジキルがまともに会話することもなくハイドと入れ替わった、という事は、

「ならば結構……では行くぞ!」

「ヒャハハハハハハ! 死ね、死ね死ね死ね死ね死ねェ! 皆殺しだァ!」

 つまり、話し合いの余地は一片もない、とあの冷静で臆病とも言えるジキルが、行動の内で語っていた。

 恐らくは、同行しているファントムも同様に。

「クリスティーヌ……クリスティーヌゥゥゥゥゥ!!」

 二人の(とき)を皮切りに戦闘が開始される。

 が、四人による混戦はあっけない程にすぐに終わった。

 二人の十八番であるアーチャーのエミヤの投影魔術、アサシンのエミヤの固有時制御も使用する必要もなく、数合切り結ぶうちにハイドとファントムは地に伏した。あまりにも早い展開に、感想を言う口すら動かない。

 短刀の切っ先を突き付けられたハイドが、不敵な笑みを浮かべる。

「クソが……もう終わりかよ、つまんねえなぁ」

「そんな空に近い魔力量で言う事か?」

「けっ、そんな弱っちい俺らに本気出しちゃってくれてんのは何処のどいつだバァカ。くたばれタコ」

「クリスティーヌ……我が望み……」

 言われてみると、二人にはサーヴァントとして行動できる最低限程度の魔力しか供給されていないようだった。この状態で他のサーヴァントと戦うなんて自殺行為に等しい。

 先ほどのメフィストフェレスにしてもそうだ。アーチャーのエミヤも言っていたが、本来のメフィストはもっと狡猾かつ残虐なあらゆる手練手管を使って相手を自分のペースに嵌める戦い方をする。数合打ち合っただけですぐに宝具を展開するような性格ではない。

 つまり、彼らと同じく、メフィストにも長期戦をする余裕などなかったのだ。

「おら、早くトドメ刺せよ。ジキルはともかく、俺は何も知らねえ。そのジキルも、もう表に出るつもりはねえってよ。俺を生かしといてもなんの価値もねえ」

「…………」

「俺に殺されてえってんなら話は別だがなぁ! ひゃははは!」

 アーチャーのエミヤが無言で視線を寄越す。

 対し、私は静かに頷いた。

 聞きたいことは山ほどある。ファントムはともかく、ジキルは何か知っているだろう。一緒に戦ったサーヴァントとして、話したいこともいくらでもある。

「……クソ、なんだその顔。だから俺は嫌だっつったんだよ、ジキルのクソ野郎」

「…………ハイド」

「……悔しいから一個だけ教えてやらァ。本拠地は中央管制室だ。まあ、死なねえ程度に頑張れや」

 次の瞬間、銃声と斬撃音が同時に響く。

 アサシンのエミヤにはまた甘ちゃんだと呆れられるだろう。

 けれど、ジキルとファントムは自分の意志を貫き通し、ゼロに近い魔力量で向かって来た。それはきっと、マスターに対する忠義の顕れなのだろう。

「まぁいいか……たまには……こんなのも……」

「クリスティーヌ……神よ、どうか、望みを叶えたまえ……」

 呪いの言葉も、最期の慟哭も発さずに消滅する二人を前に、思わず涙が浮かぶ。

 この涙は誰の為に流れるものなのだろうか。

 メフィストフェレスも、今際の時には同じことを言っていた。

 マスターがマスターだから、このような茶番に付き合っている、と。

「……行こう、エミヤ」

 服の袖で目元を拭い、二人を促す。

 サーヴァントたちにここまで慕われておきながら、彼らを捨て駒のように扱う違う世界線のもう一人の私。

 そこにどんな理由があるのかはわからない。ひょっとしたら、私が考えつかないような酷い状況に陥っていて、その結果に憂悶の中で絞り出した結論なのかも知れない。

 けれど、例えそうだったとしても。

 一発ぶん殴ってやらなきゃ気が済まない。

 

 

09.

 

 

 その後は妨害も罠もなく、中央管制室へと到着した。今までの特異点を考えると、あまりにもあっけなさに逆に警戒してしまう程に。

 カルデアの予想が正しければ、残るサーヴァントは残り七人。だが飽くまで予想は予想だ。ゲーティア侵攻の際に座に還った英霊もいるだろうし、ここまで妨害がなかったことを考えると、全員存命している可能性の方が低い。

 それに、二連戦から読み取れるこちらのサーヴァントの状況も気になる。あまりにも少ない魔力供給量は、恐らくここの電源に拠るところが大きい。

 そも魔力とは、英霊がサーヴァントとして現界、活動するのに必要不可欠なガソリンのようなものだ。魔力供給源が無ければ英霊は本来の力を発揮するのが難しくなる。そしてカルデアの電力の大半はサーヴァントへの魔力提供に使用されていた。どこにも電気がついていないここのカルデア内を見るに、現在電源は完全に止まっていると考えてもいい。

 先程の戦闘は、そんな彼らを最初から生かす気などない上で特攻させているようにしか見えなかった。

 少なくとも私にとっては、サーヴァントのみんなは家族同然。理由はどうあれ、許せるものじゃあない。

「行くよ」

「ああ、何が待ち構えいるかわからない。くれぐれも気を付けろよマスター」

 今にも崩れそうな中央管制室の扉に手をかける。

 耳障りな軋む音と共に現れたのは、ナーサリー・ライムと巌窟王エドモン・ダンテス。そして、

「……ようこそ、藤丸立香」

 その二人に挟まれる形で管制室の中央で上半身を起こして横たわる、同い年くらいの一人の男の子が私にもてなしの言葉をくれた。

 あれがこちらの私か。

 男の子だったのは少し意外だが、構わず足を進める。

「はじめまして、藤丸立香!」

 そのまま脇目も振らず一直線に彼に馬乗りになると、そのやつれ切った顔を、本気のグーで殴りつける。拳に伝わる鈍い痛みに反比例して、薄笑いを浮かべて平然とする彼。

「馬鹿!」

「はは、誰かに殴られて罵倒されるなんて久しぶりだな」

 傍にいるナーサリーとエドモンも止めようとはしなかった。それどころか身構える様子すらない。ただ、眉ひとつ動かさずに事の顛末を傍観していた。

 その様子に違和感を感じたのか、臨戦態勢のままアーチャーのエミヤが問う。

「止めないのか」

「……私たちはもう空っぽよ。何も出来ないわ」

「…………」

「我らに課されたのは共犯者(マスター)の行く末を見届ける。それだけよ」

「他のサーヴァントは?」

「クッ、それを俺が言ったところで信じるのか?」

 こんな状況においても、エドモンは不敵に鼻で笑って見せる。

 巌窟王とナーサリーの事は二人のエミヤに任せておこう。私は、彼に聞きたい事が山ほどある。

「ここまで来てくれたお礼だ。何でも答えるよ、立香ちゃん」

「……他の職員やサーヴァントは?」

「職員のみんなは一人残らず魔神柱の餌食に。その際、サーヴァントも大半が」

「…………っ」

「……みんな、僕を守って死んだよ。僕さえ生きていれば、僕が残っていれば希望は残る、って」

 彼が視線を伏せ、絞り出すよう言い放つ。想像もしたくない光景が思い浮かび、無意識に歯軋りしていた。

 カルデア内に押し寄せる魔神柱。抵抗するも虚しく命を落とす職員のみんな。この時ばかりは自分の想像力を呪いたい。

「マスター……無理をするな」

「ううん、いい……ありがとう」

 アーチャーのエミヤが見兼ねたのか、助け船を出してくれた。

 ここに来た時点で覚悟はしていた事だ。だが、辛くない訳じゃない。

 それでも、首を突っ込んだ以上、私には知る必要がある。

「ゲーティアに攻め込まれたって言ったよね、それでもここが残ってるのは?」

「……無理やり残したんだ。僕さえ生きていれば、という希望的観測の下、カルデアはひとつの決断をした」

「決断って?」

「人理焼却が完了する直前にここを特異点化し、時代から切り離すこと。人理修復を目的とする僕たちが、あえて人理焼却式の一部となることで、ゲーティアの侵攻を遮断しようと試みた」

「……ど、どういうこと?」

 私は見ての通り、頭が良くない。みんなが知っているような歴史の偉人も知らない人の方が多い。

 元魔術師である彼は理解も早い、きっと答えてくれるはずだ、という期待の元、アーチャーのエミヤを振り返って視線で助言を求める。エミヤは少々呆れた風に溜息をひとつこぼすと、訥々と話し出した。

「つまり……前提としてこのカルデアがあった世界ではゲーティアの人理焼却式は既に完成している。恐らくゲーティアの思惑通りの新しい歴史が稼働していることだろう。だが、ゲーティアがカルデアの壊滅を人理焼却の仕上げとしたのならば、カルデアが特異点と化す可能性はある」

 カルデアの特異点化。今ここにある事実ではあり、私が辿ったかも知れない一つの未来の筈なのだが、言葉にすると酷い違和感が襲う。

「特異点とは言い替えれば歴史を改変する危険性のある時代そのもの。それはすなわち我々のカルデアに観測される可能性を示している。ゲーティアに見つからない程規模の小さい特異点として人理焼却式の中に紛れ込み、我々のような別の並行世界線に位置するカルデアに観測されるのを待った……違うかね?」

「そう、彼の言う通り試みは成功した。けれど同時に僕らはここからレイシフトはもちろん、カルデアと言う名の箱庭と化したこの場所から外へ出ることも叶わない。ただひたすら、別世界のカルデアに観測される、というあるかもわからない一縷の可能性に賭けて待ち続けた」

 待ち続けた、というその言葉には、思い当たる点があった。

 この部屋に入った瞬間から漂い続けていた違和感。

 目の前の彼――藤丸立香をこの手で殴りつけた時の不可解な感触。

 それに何より、その不気味に笑う口元から覗く、不自然に伸びた犬歯。

「あんた、もしかして――」

 次の瞬間。

「マスター!」

 銃声とアーチャーのエミヤの声が重なる。

 私の身体の中心に大きな熱と衝撃が響く。馬乗りになっていた彼の胸元には、大きく赤黒い染み。

 上手く呼吸が出来ない。急激に力が抜けていく。

 どうやら胸を撃たれたらしい。ああ、これが死ぬって事なのかな、なんて間抜けな感想が浮かぶ。

 倒れていく最中、掠れていく視界には、銃口をこちらに向けるアサシンのエミヤの姿が映る。

 そっか、そうだよね。

 エミヤは、正義の味方だもんね。

 

 

10.

 

 

「何のつもりだ、切嗣!」

 いつも冷静なアーチャーの、聞いたこともない悲痛の叫びが管制室にこだまする。

 その響き、彼の表情だけですぐに理解する。彼女もまた、サーヴァント達に慕われている、と。

「その名で僕を呼ぶな、贋作者」

「ほざくな!」

 アーチャーが、投影した二刀を手に羅刹の如き表情でアサシンへと突撃する。

固有時制御(time alter)――三重加速(triple accel)

 対するアサシンは魔術を詠唱。一瞬にしてその場から姿を消す。

「ぐ、がっ……!」

固有時制御(time alter)――停滞(stagnate)

 瞬きをする暇もなく、アーチャーうつ伏せに組み伏し、うなじに『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』をあてがう。

 彼の魔術は自分のみの時間を操る。通常の時間が流れている中、彼だけが二倍、三倍の速さで行動することが可能だ。使用後に修正力による負担というデメリットはあるものの、一対一の戦いにおいては絶対的な優位性を持つ。

「貴様……最初から……!」

「ああ、察しの通り僕はこちら側のサーヴァントだよ……召喚サークルも真っ赤な偽物、だ」

 この作戦は全てアサシンが描いたものだ。

 絶対に失敗できないが故に、多くの犠牲を払ってまで。

 彼女を殺す、という一点を確実に果たす為だけに、仲間達を自ら手にかけてまで。

「自分が何をしているかわかっているのか……! お前もカルデアのマスターならばわかるだろう、カルデアとサーヴァントを結び付けているのはカルデアの機能ではない、マスターの器量と人徳だ! マスターが不在となればオレ達のカルデアは間違いなく瓦解する!」

「全部わかってるよ、アーチャー」

 彼女の身体を丁寧に横たわらせ、組み伏せられた名前も思い出せないアーチャーに歩み寄る。膝を折り、目線を近くして。

 懐かしい顔だった。口うるさくて、皮肉屋で、サーヴァントのくせに家事が得意で、でもいざという時は頼りになる。実の兄なら良かったと何度思った事だろう。

「だから、僕が代わりに君達のカルデアに行くよ」

「……何だと?」

「性別こそ逆だけど、彼女と僕は同一人物だ。()()()()()()()()()()()()()。細工は必要になるけれど、時間をかければいずれ馴染むよ」

 性別などは瑣末なことだ。重要なのは、彼女と僕が同じ存在である、というただ一点。

 姿形が違えど、同一存在はいずれ世界の修正を受け、相応しい形に収束する。皆の認識が変わるのか、僕が彼女になるのかは、やってみなければわからないが。

「マスターに成り代わって何をしようと言うのだ、お前は……!」

「世界を救うんだよ」

「何……?」

「彼女に成り代わって彼女のカルデアに帰れば、またやり直せる。人理修復ができる。みんなと一緒に」

「…………!」

 アーチャーが、あり得ないものを見るような面持ちで僕を睨みつけていた。

 それはそうだ。僕のやろうとしている事は単なる自己満足に過ぎない。こんな事をしたところで、今ここにあるカルデアが救われる訳じゃあない。彼らのカルデアに画期的な救いが訪れる訳でもない。

 救われるものがあるとするのならば、世界を救えなかった僕の自尊心だけだ。

「いいじゃないか。君のマスターはもう世界を救ったんだろう? なら……僕にも世界を救わせてくれよ。それが平等ってものじゃないのかい?」

「狂っているぞ、お前は……そんな意味のない事をして何になる!」

「狂ってでもいなけりゃ、こんな事は出来ないよ、アーチャー」

 そう、僕はとっくに狂っている。

 僕を生き残らせる為だけに死んで行ったカルデアの皆を悼む涙は流し尽くした。

 来るかもわからない彼等を待つ時間の中で精神は磨耗した。

 希望ですらない拙い願望を唯一の光に、闇の中で息を殺し続けた。

「万能の器である聖杯の中身を舐め、無限にも等しい時を食い繋いだ」

 いくつもの聖杯に込められた膨大な魔力を、サーヴァントの維持、ひいては自分の命を継続させる為だけに使い。

「アサシンに不死の施術を求め、死徒と呼ばれる化物になり、人を辞めた」

 かつて魔術師であった頃、不死の研究をしていたというアサシンに頼み、人である事を放棄した。

「それでも僕は諦める訳には行かないんだよ、アーチャー……僕が諦めたら、僕の為に死んで行った皆に何て言えばいいんだ?」

「…………」

 アーチャーの表情が憤怒のそれから、憐憫を含めたそれに変わる。

 かつて親しかった者の最期の願いとは、一種の呪いだ。

 死んだ者は語らない。何も望まない。

 だが、一緒に命を懸けて戦ってきた大切な仲間たちが、最後の希望として僕を生き残らせた。

「わかってくれ、なんて同情を誘う事は言わない。けれど皆の命を懸けた想いを無下にして、僕ひとりが安らかに死んで行く事なんて、出来る訳ないだろう?」

 激情を吐くための感情の昂りはもはや望めない僕だけれど。

 これだけが、長い年月をかけて腐っていった僕の中身の中で、唯一揺るがなかった想いだ。

「切嗣……貴方はそれでいいのか」

 同じ世界の抑止力として現界する身としてなのか、はたまた縁ある者としての責なのか。アーチャーは自分を拘束する同名のアサシンに問いを投げる。キリツグ、というのはアサシンの名前らしい。そんな名前だったかな?

「……僕が望むのは、僕のマスターの望みだ」

「…………」

「僕と同じ名前の贋作の英霊よ。君が何故僕と同じ名前なのかは知る由もないけど、カルデアで何度も一緒に戦ったからわかる。僕と君はきっと同じだ。僕らは正義を求めるがあまり、いつしか人間の価値を数でしか量れなくなってしまった」

 彼らは正義の味方を追求した人間の末路だ。

 彼らはただ、困っている人を助けたかっただけだった筈だ。だが突き詰める内に正義を人命の数と言い替え、そこに自分の正当性を求めた。

「だが、君にだっているだろう。過去にもいたことだろう。自分の存在価値を削ってでも、理想を打ち捨ててでも、他の全てをかなぐり捨ててでも、救いたいと、心安らかに生きて欲しいと思う一人の人間が……今の僕にとっては、それが彼であり――」

「……」

「これが、僕の正義だ」

 彼にその言葉を言わせているのは、僕だ。

 もう何も言うまい、と言わんばかりに眼を閉じるアーチャー。彼にも恐らく、思うところがあるのだろう。

 抑止力としての自己。ひとりのかつて人間であった者としての情。どちらを選択するか、などその時になってみなければわからない。

「――藤丸立香」

 僕と一緒に戦ってくれたアーチャーは、ゲーティア侵攻の際に僕を護って消滅した。もし同じ状況に陥った時、自分がどのような選択をするのか――それは、なってみなければわからない。

「お前たちは間違っている」

 彼が生きていたら、不甲斐ない僕を叱ってくれただろうか。こんな風に。

「お前がどれだけ辛い想いをして今ここにいるのか、オレ如きにはわからん。きっと想像を絶する地獄だったのだろう。そんな中、人を辞めてまで皆の期待に応えようとしたお前は賞賛、尊敬に値する。だが、それでも――」

 捕らえられている事実すら忘れているかのように、強い意志を持った瞳が射抜く。

「お前に世界は救えない」

「――うん、そうだね」

 それも、最初からわかっていたことだ。

 だから、これで終わりにしよう。

 

 

11.

 

 

「アヴェンジャー」

「ああ」

 二人に背を向け、傍でずっと事の顛末を見届けていたアヴェンジャーに声をかける。

 その懐から取り出されたのは、金色に輝く杯。

「最後の聖杯……? 何をする気だマスター」

 アサシンのエミヤが困惑を含んだ声をあげる。彼には何も伝えていなかった、当然の反応だ。

「キャスター、頼む」

「ええ、任せて頂戴」

 聖杯を受け取りキャスターに渡すと、彼女はもう一人の僕――胸を撃ち抜かれて伏す藤丸立香の元へと向かった。

 僕は二人の元に向かうと、右手の甲を前に掲げる。

「令呪をもって命ずる……」

「まさか、馬鹿な……! やめろ、マスター!」

 僕のしようとしている事に感付いたのか、アサシンが僕を止めようと手を伸ばす。心中で彼に謝りつつも、令呪に魔力を込める。

「アサシン。僕が許すまで一切動くな」

「マスター……っ!」

 僕に手を伸ばしたままの格好で、動画の一時停止のように硬直するアサシン。結果、拘束を解かれたアーチャーが、立ち上がりながらその一部始終に怪訝の眼差しを僕に向けていた。

「彼女が撃たれた際に置換の魔術をかけてあるから精神は無事だ。身体を修復して元に戻せば生き返る。今、聖杯に残った魔力で治療しよう」

「……人の精神を扱える程の置換魔術、ね。随分と芸達者になったようだな」

「ああ、時間だけは山ほどあったからね、勉強したんだ。すごいだろ?」

「……結局、狂言で私たちを誑かすのがお前の目的だったのか?」

「違うよ、相変わらず失礼だね君は……実を言うと、君たちがここに来てくれた時点で僕の目的は達成していたんだ。カルデアの観測範囲は過去のみ。君たちがここに来れると言う事は、2016年12月を越えた事と同意だ……人理焼却を止める事が出来た誰かがいる、と言う事実を、僕は知りたかった。本当にそれだけなんだ」

「その割には随分と悪趣味だな?」

「うん、悪趣味なのは自覚してる……でも、これ以上何も出来ないこんな状況だ。せめて最後まで僕について来てくれた英霊達には、サーヴァントとして最期を全うして欲しかった」

「……これから、どうするつもりなんだ」

 聡明なアーチャーのことだ、今から僕が何をしようとしているのか、もう半ば理解しているのだろう。先ほどアサシンに襲いかかった時の戦意が微塵も感じられないのもその為だ。

「どうもしないよ。どっちみち、聖杯に残った魔力はもういくらかもない。これが入れ替わる最初で最後のチャンスだったんだ。アサシンには悪いけど、このまま静かに朽ちていくのが僕の報いだと思ってる。アヴェンジャーとキャスターにもその旨は伝えてある……もう思い残す事はないさ」

「…………」

 ああ、いや。一つだけあった。

 僕の為に最後まで一緒に戦ってくれたアサシンと、話をしなければ。

「マスター……」

「ごめんね、アサシン」

 手を伸ばしたままのアサシンに近付き、座って目線を合わせる。最早説得は叶わないと悟ったのか、その双眸はいつも以上に悲哀に満ちていた。

「実は僕も最初は迷っていた……でも、やっぱり駄目だ。他の誰かを犠牲にして僕だけが生きていくなんて、そんな事は出来ないよ」

「僕は……また救えなかったのか。何百何千という人間の命を救っても、唯一の人間だけは救えないのか……!」

「それは違うよ、アサシン」

 アサシンの魔力で灼けた黒い頰に手を添える。アサシンを含めたみんなは、全力で僕を他のカルデアへと還そうとしてくれた。

 それが上っ面だけの夢だとしても。救いにすらならない形骸的な幻想だったとしても。

 僕を、世界を救ったヒーローにしようとしてくれた。

「僕はこんなにも慕われていた。世界に名だたる英霊たちに協力してもらえるなんて、すごい事だよ。その事実だけで充分だ」

「だがマスター、僕は、君を救いたかったんだ……!」

 珍しくアサシンの顔が苦渋に歪む。

 あの時こうしていれば良かった、僕がしっかりしていればみんなは助かった、なんて悔悟に最早意味はない。もちろん、後悔がないなんて事はない。人理修復を完遂した彼女には醜い嫉妬すら覚える程だ。

 だが僕は終わった人間だ。完全に手詰まりとなった今、僕が出来るのは、最期までカルデアのマスターとして在ること。

「僕の方こそ、色々と無理をさせてごめん。英霊である君には次がある。僕の事は忘れて、次の困ってる人を助けてくれ」

「…………」

「君は、正義の味方だろう?」

 正義の味方というものは、公に近い存在だ。僕のような個人に(かま)けて贔屓をしてしまったら、僕にとってはとても嬉しいことだが――それでは、正義の味方とは言えなくなる。

 こんな誤魔化しに近い説伏がアサシンに通用するとも思えなかったけれど、僕にはもうしてやれる事はない。彼は静かに目を閉じ口を開いた。

「……わかった」

 見ると、アサシンは既に消滅しかかっていた。

 無理もない。ただでさえ空に近い魔力で動いた上に、アーチャーを捕らえる為に秘蔵の固有時制御まで使用し、虎の子の魔力を使い果たしたのだから。

「次は僕も必ず上手くやる。だから――また会おう、マスター……約束だ」

「うん、約束」

 童心に小指を絡ませようとするも間に合わず、手を差し出したままアサシンは消滅した。

「……ありがとう」

 と、感謝の言葉と共に頰に伝うものがあることに気付く。

「……あれ、まだ出るんだ、涙」

 それが涙だと認識するのに一瞬かかった。人理焼却式が完成した際、とっくに流し尽くしたと思っていた。

「マスター……大丈夫か?」

「あれ、エミヤがいる……」

 と、ちょうどアーチャーがもう一人の僕――立香ちゃんを介抱しているところだった。どうやら傷の修復は上手くいったらしい。

「私、確か死ななかったっけ……夢? それともエミヤも死んだ?」

「残念ながら二人とも存命だ。胸を銃で撃たれて遠目には致命傷だったのだが……君には、まだまだやる事があるようだな」

「あ……立香……くん」

 女の子座りのまま僕を見上げるその目に憤怒や怨恨といった感情はなく、むしろ憐れみすら感じた。

 アサシンに撃たれる直前にも彼女は言いかけていた。僕が人理修復に失敗した末にどんな生き物になったのかも。

「おはよう、立香ちゃん」

「…………」

 こうして対峙しても何も言ってこないあたり、明日は我が身と少しは同情してくれているのかも知れなかった。最初のグーパンは、サーヴァントを粗末に扱った件についてのお叱りだろう、多分。自分のことだから何となくわかる。

 彼女に恨まれこそすれ、僕が彼女に話すことはもう何もない。

 それでもまだ許されると言うのならば、

「よかったら、話を、したいな」

 それこそ、とりとめもない話をしよう

 

 

12.

 

 

 その後、私は立香くんとくだらない話をした。

 新宿での事。

 アガルタでの事。

 マスターをマスターとも思わない失礼なサーヴァントへの愚痴。

 朝起きると高確率で同じ布団に入ってるトリオの恐怖。

 マシュの事。

 ……ドクターの事。

「……そろそろお開きにしようか。ジャミングは解いてあるから通信、もう出来るはずだよ」

 一切通信が出来なかったのは、やっぱりジャミングがかかっていたらしい。勧め通りに通信のボタンを押すと、

『先輩っ!』

「ぴゃっ!?」

 イヤホンから飛び出すマシュの大声に、思わず変な声が出てしまった。

「ははは、今のマシュ? 元気そうで何よりだ」

「び、びっくりした……」

『大丈夫ですか先輩! レイシフトしてから全く連絡がつかなくて……! 無事ですか先輩!?』

「うん、大丈夫。私もエミヤも無事だよ」

『やあ立香ちゃん、みんなのスーパースター・ダヴィンチちゃんだ。先程から聖杯の反応が消えているんだが、解決したと思っていいのかな?』

「はい。ここにはもう、歴史を改変する力は残ってません」

『……そうかい。それは結構だ』

『マリーさんがお茶を用意して先輩をお待ちです。帰ったら女子会ですよ』

『おや、なんだいその心ときめくワードは。その女子会に私は参加できるのかな?』

『あ……えっと、それは……ど、どうなんでしょう……?』

『……マシュが言い澱むあたり、私も美の頂点としてはまだまだだね……では、後始末が済んだら帰っておいで。気を付けてね』

 それだけ言うと、一方的に通信は切れた。

 マシュもダヴィンチちゃんも、何があった、とは聞いては来なかった。気を遣ってくれているのか、怖くて聞けないのか、あるいは両方か。

「それじゃあ、元気でね立香ちゃん」

「……うん」

 通信のボタンを切り、立香くんに向き直る。側にはエドモンとナーサリー。彼らはきっと、次第に魔力が切れてこの特異点も維持できなくなって行き、最終的には薄くなって歴史そのものから消えてしまうのだろう。

 初めから、何もなかったかのように。

「……ねえ、私たちのカルデアに来ない?」

「……おい、マスター?」

 エミヤが余計な事に首を突っ込むな、とでも言いたげな表情でこちらを睨んでいた。だがそれは、突飛的な申し出ではなかった。少なくとも、もう一つのカルデアと聞いた時点で鎌首をもたげていた一つの案。

 例え彼らが人理修復に失敗したからと言って、こんな風に消えていかなければならない程、悪いことはしてない筈なんだから。

「……さっきの話を聞いてると魅力的な提案だけど、やめとくよ」

「でも!」

「いいんだ。ありがとう……でも、僕は君と一緒の世界を生きるには、もう既に失った物が多すぎる」

「…………そう」

 並列世界で同じ人物と出会ったところで、一度失った者が生き返る訳でもない。その気持ちは痛いほどわかる。

 私にも、二度と会えない人がいる。

 その人を別世界から連れて来ましたよ、と目の前に連れて来られても戸惑うだけだ。多少は嬉しいのかも知れないけれど、やっぱり何か根本的なところで違うのだ。

 一度失った物は二度と戻りはしない。

 それは諦観を顕著に表した言葉ではなく。

 今を生きて行く者の為の言葉だ。

 それに――私が彼と同じ立場だったら、同じ結末を選んだのかも知れない。そう思うと、是が非でも引っ張って行く、という選択肢は躊躇われた。

 だからという訳じゃないけれど――一度誘ってフラれたなら、きっぱりと諦めよう。うん。

「藤丸立香、帰還します」

「じゃあね、立香ちゃん」

 身体が霊体化していく中、ひらひらと手を振りながら私を見送る彼の姿を、最後に記憶へと焼き付ける。

 これはただ一人、人理焼却され負けた後もなお戦い続けた一人のマスターのお話。事切れるその瞬間まで悪に屈しなかった、意地っ張りな男の子の物語。

 私はこの先、彼の事を誰かに話す事は、きっと、ない。

 


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