ルドミリアが新種のキノコを食べて笑い症に苦しめられて数ヶ月。
防音仕様に部屋を改造するほどやかましいルドミリアを、カリオストロはしぶしぶ手助けすることとする。
小型騎空挺でトレジャーハントする錬金術師と笑いハンター! 旅路はどうなる、せめてカルバとか連れていったほうが良くないか!


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 夏真っ盛りですが、カリオストロがミゼラブルなハーヴィンと山であれこれするお話を書きました。

 主演:カリオストロ
    カリオストロの妹
    ルドミリア
 
 ごゆっくりお楽しみください。
※Pixiv様にも同名の題目で投稿しております。



血は魂の川を流れる

 グランサイファーを旅立って幾星霜、とある山中でルドミリアとカリオストロは胞子まみれになっていた。

 

 

「ええい! この超絶天才美少女錬金術師の俺様が、どうしてこんな泥だらけに! ぴゅあっぴゅあのお肌が、さらさらヘアが、めちゃくちゃじゃねえか!」

 

 

「ぶふっ、ぶは、あははははははっ! ははっ、ひゅー! くふぷぷぷ……うふぶっ」

 

 

《すまない、元はといえば私のせいだ。それにしてもこの山、こんなに胞子だらけとは思わなかった》

 

 

「いいから早く歩け! キノコに関しちゃお前の目が頼りなんだから、早くしないとそれこそ魔物のエサだ!」

 

 

 カリオストロはズイとルドミリアの背を押すと、木々を分け入りどことも知れない方角へと歩き出した。夜は曇って空は見えず、目的のキノコは遥か遠い。

 

 

 ルドミリアが毒キノコによる笑い症にかかって数ヶ月以上経つ。ルドミリアは元は山賊の親玉の娘だったが、どんな種類かも知れぬキノコを宴会の夕食に出したら、全員が泡を吹いて失神したのだ。どうやら毒キノコだったらしい。男たちの苦しみは一週間近く続き、大惨事のためにルドミリアは山賊を追い出され、しがないハンターになった。仕方ないので好物のキノコを採取して暮らしていたら新種かつ毒キノコを食べたらしくて笑い症になってしまった。まさに踏んだり蹴ったりだったがルドミリアはすぐに慣れた。笑いながら寝ているしパンも食べられる。歯磨きもこなしているのだがその原理はカリオストロをもってしても謎だ。

 

 

 その後グランサイファーという騎空団に拾われた後、彼女は部屋を改造して防音仕様にした。さすがに深夜に笑い転げるのは隣の部屋に迷惑だったのだ。隣の部屋の当人は美少女錬金術師カリオストロで、実験中にも派手に聞こえてくるルドミリアの騒がしさはよく承知していた。一人で部屋を改造していたルドミリアのところにカリオストロはひょっこり顔を出した。

 

 

「つまり、ルドミリアちゃんは……そのうふふって笑っちゃう症状を、なんとかしたいんだね?」

 

 

「あははッはははッ、えへっいひひひひひ! ふふふ! くひひひひあーふーえへっげほっあははは! ふほほひひははっ! あーはは!」

 

 

「テメエ、俺様が美少女的に話してやってるのにどうしてそんな笑っていられる! どうせなら可愛さで悶絶しろ! あとツバが顔にかかった!」

 

 

《それは謝る。たぶん美しいものを目の前にして身体が過剰反応したんだろう。ハンカチはそこにある》

 

 

 笑ってばかりだと会話にならないのでルドミリアは速記術を身に着けた。ただし背中や腕がガタガタ揺れながら書くので、字は汚い。それを解読したカリオストロはまんざらでもない顔になってハンカチを取り出した。

 

 

「そう。じゃあ、カリオストロも悪い気はしないかな。でもルドミリアちゃん、その症状、治したくない? カリオストロがお手伝いしたげよっか?」

 

 

「うふふふふっあはははひーはーげへっごほっうぶふうふふぶふッ! はひ、ひゅー……」

 

 

《そうだな。あのキノコを食べて毎日が楽しくなったが、無理やり過ぎていまみたいに酸欠状態になることも多い。これは治さないといけないな。ごめん水ほしい》

 

 

「ウロボロス!」

カリオストロが命ずると土色の大蛇は瞬く間に水入りの瓶を持ってきた。ルドミリアを抱えて飲ませると、一息ついたハーヴィンはほっとした顔になってまた笑い始めた。部屋をごろごろと転がるうちにタンスに頭が当たり、動かなくなった。カリオストロはため息をついた。

 

 

「やれやれ、なんだかんだで団長もコイツを心配してたしな。善は急げだ、早めに出発するぞ。ウロボロス! 部屋で荷造り!」

カリオストロが再び命ずるとウロボロスは背筋を正し、ドアノブを口で開けると部屋を出ていった。その音で目が覚めたルドミリアは事情を聞き、ドタバタ騒ぎながら器用にリュックサックへ荷物を詰め始めた。カリオストロは肌の調子を整えてからウロボロスが取ってきた荷物を担ぎ、ルドミリアを担ぎ起こすと部屋を出た。目指すは山中!

 

 

*****

 

 

 生まれた時から身体が悪かった。日常的に熱が出たし肌も弱かった。代わりに記憶力が異様に良く、いわれたことを原型を留めながら記憶する癖をどこかで身につけていた。二歳を過ぎる頃、この子はハヤジニするぞ、と村の祈祷師がいったことを覚えている。農作物に感謝するために、いつもしなびた果物の残骸を首からぶらさげていた。魂は血の川を流れるものだが、これは血そのものが汚れている。直に魂が汚れに乗っ取られるであろう、と。村人は祈祷師のいうことをよく信じて、彼は村のあらゆる祝祭からシャットアウトされた。汚れを持ち込んではならないからだ。そういう時代だった。やがて労働からも免除されることになるが、村の中で彼はすでに埋められた者扱いだった。

 

 

 両親の顔はほとんど覚えていない。もしかしたら自分と妹の二人を産み逃げしたのかもしれず、あるいは病気の子どもを救うために山に入って帰らぬ人となったのかもしれない。いずれにせよ両親の影は今後関わってこなかった。

 

 

 村人たちは可愛がってくれた。というより、腫れ物に触る扱いだった。どうせ長生きできない。労働力として期待できない。半端者を見る目つきだった。特に子供がそういう目をしていた。

 

 

 三歳で文字を覚えると、さっそく辞書を広げた。祈祷師がいったことは耳から離れず、延々とリフレインしていたからだ。

 

 

 はや-じに【早死に】:若くして死ぬこと。若死に。夭折。「病気でーする」

 

 

 胸の辺りで嫌な音がして、むせた。鼻血が出ると調べた項目に当たり、字が汚れて血の赤黒さがどんどん染み渡って頁が暗黒色になった。怖くなって本を閉じると書棚に押し込んだ。それ以来その辞書には手をつけなかった。汚れた辞書に触ると汚染が悪化すると思ったのかもしれない。

 

 

 隣にいた妹は、だじょぶ? といいながら鼻を触ってきた。

 

 

*****

 

 

 グランサイファーに装備された小型騎空艇はカリオストロが運転した。調査に付き合ってもらう貸し借りのせいか、最初はルドミリアが動かすと言い張ったのだが、笑いすぎてハンドルが外れたらシャレにならない。危険すぎると叱るラカムから操作方法を無理やり聞き出すと、備え付けマニュアルで操舵技術を五分で覚え、カリオストロは騎空艇を走らせた。整備バッチリお肌スッキリ!

 

 

 道中でルドミリアから目的とするキノコの特徴を聞いた。病気の抗体を作るには、当の病気を研究するのが一番だ。ルドミリアの書いた絵や特徴を読み、カリオストロは運転しながら顔をしかめた。

 

 

「色は暗黒色か。夜になると発光し、でこぼこしていてしなびた塩化ビニール管のような味。匂いは薄く、ベニテングタケに酷似。周りの木は枯れているがおそらくは胞子の影響。どう見ても毒か劇薬だな、どうしてこんなものを食べたんだ」

 

 

《あの時は山中を彷徨っていたんだが、その時は獲物が見つからずに一日腹ペコでね。そんな折にチョコレートの匂いがしてきたのだから駆けつけたよ。キノコの中にはアメだったり栗の花の匂いだったり、そういう芳しい香りを発するキノコもあるんだ。目的のピカピカ光るキノコを見たら新種でね。形状こそベニテングだが大きさが異なる。そうなると味は未知数。それはもう食べるしかないだろう?》

 

 

「それで笑い症とは風刺だな」

 

 

 ルドミリアのキノコ好きは誰もが知るところである。キノコ料理なら随一で、よく船内コックのローアインらがルドミリアを講師にしてキノコ勉強会を開いている。それにキノコハントもかなりの腕で、以前はキアミガサタケやホシイタケだったキノコメニューは、ルドミリアがどこかでハントしたアマツタケとウットリュフ中心に変わり、船内メニューの格が上がった。ただし同じくらいの頻度でさりげなく毒キノコをテーブルに出してくるので注意も必要だ。どうして毒キノコを出すのか、ビィがズバリ切り込んだことがあるが、「毒だけどすごくおいしいから」といわれて唸るしかなかった。

 

 

「場所は覚えてるか?」

 

 

「うふひっへへほほほあはははひはっひーっひーっゲホッゲホッ」

 ルドミリアはスケッチブックを差し出す。おそらくイラストで描いたのだろうが絵が汚すぎてよくわからない。

 

 

「仕方ない。とりあえず島までは確定してるから、最寄りの発着場に降りるぞ。前に採取した環境で始めるのが良いだろうから、行動は夜だ」

 

 

「おぷぶふっ、うふふ、っ、きゃはははは! あーあーひひぐふっ、み、水……」

 

 

「ウロボロス!」

 後ろから這い出してきた大蛇は瓶の蓋を開けて、ルドミリアの口に液体を流し込んだ。カリオストロは前方に集中しながら相変わらずルドミリアが笑うのを横目で見て、どうしてここまで世話を焼くのか疑問に思った。

 

 

*****

 

 

 四歳の誕生日を迎える辺りで自分の症状を把握した。数日に一度、頭が痛くなるか熱が出るのだ。リズムは不規則で到底計れるものでもない。鼻血が出ることもある。痛みは放っておけば消えることもあったし、どんどん悪化して薬を飲まないとダメな時もあった。やけくそで大人用の薬を飲んだら効いたこともあったが反動で半日ほど胸が痛かった。薬すら効かない時はどうしようもなく、ひたすら唸りながら横になるしかない。何もできないことは辛かった。特に倒れたのが昼だった場合は、夕方ののどかな日暮れに服を着たハヤジニが山の稜線から現れ、自分を連れ去っていくのではないかと怖くなった。

 

 

 なにか対策を取らなければならなかった。晴れている地方だったので朝は必ず陽の光を浴び、毎日心拍数を計った。熱に効く薬草があればそれを煎じて飲み、新しい薬が乗り合い騎空艇から届いた時は率先して買いに行った。他の子どものご褒美はクッキーだったが彼の場合は薬だった。たまに薬が効いて完治したと思った翌日には不眠になった。熱も出た。鎮痛剤と興奮剤と代わる代わる飲むこともあった。村人は村共有の薬を使い込む彼を指差して何かいい、彼は陰口を叩く奴原を嘲った。何も知らないバカには何も理解できない。便所で血を吐いた経験のない奴には、村外れまで薬草を取りに来た時、たかだか家まで五百メートルの距離を生きて帰れるかどうか本気で不安になったことのない奴には。

 

 

 病気の苦しみから逃れるためによく行動したが、もしもの時に助けてくれる相手は必要だった。だから妹がついて回ることになった。この妹というのは恐ろしく活発で力が強くて健脚だった。薬草の採集中に倒れた時も、おぶって山を降りてくれたのだ。まだ三歳なのにその腕力は一回り上の男子のように強かった。

 

 

 背中で唸る彼をしっかりと背負いながら、もうすぐ家だからね、もうすぐ家だからね、といい聞かせる言葉には重量感があった。自分の重みを理解して、家族の重みを知って力強く支えていこうとしている声だった。あの頃の彼は頼ることしかできなかった。ゴールが見えずスタート地点すらわからない暗黒の中でもがくことしかできなかった。そもそももがいていたかも怪しく、あるいはただ嫌な日々が過ぎ去るのを膝を抱えて待っていただけなのかも知れない。未来への夢は殆どなく、ただこの身体がもう少しだけマシになれば、農作物か手織りの布を作ることでほそぼそと三十年ほど生きながらえることができるのではと考えていた。

 

 

 いまでも思い出す度に胸がつんとする。

 

 

*****

 

 

「おねがぁい、おじさん。カリオストロとルドミリアちゃん、泊まるところがなくて困ってるの☆ お外で寝たら、怖い魔物さんたちのエサになっちゃう」

 

 

 カリオストロは渾身の力を込めた美少女アイで宿屋の主人を見つめた。ここが最後の宿屋だ。他二件はカリオストロの格に合わないのと汚すぎるので敬遠したが、ここは割と整備されている。隣ではルドミリアが賛成するように手を叩きながら床を転げ回っていた。うるさい。

 

 

「し、しかしだな……今日は他の団体の貸し切りになっていて……お金ももらってしまったし……」

 主人はあせあせとハンカチで汗を拭いてそっぽを向いた。手応えはある。本当に無理な人間なら顔色ひとつ変えないはずだ。いける。

 

 

 カリオストロは主人のハンカチの上から手を握った。たすけてモード百パーセント、プラスして身体をすり寄せた。超絶美少女のオーラは男の心を溶かすには十分。

 

 

「お願い」

 カリオストロはいった。

「おじさんしか頼れる人がいないんです」

 

 

「あーっはっはっはっ、ううふふふふ、ぶふっくくくきききくく……きゃっきゃっきゃっ、うーふーぶふうー」

 

 

 交渉の最中にやかましい。ウロボロスにルドミリアをがんじがらめにしてもらうと、カリオストロはもう一度見つめる。宿屋の主人は、おそるおそるカリオストロが差し出した小袋に触り、手を放し、握った。

 

 

 落ちた!

 

 

「きょ、今日だけだからね……団体の人には、部屋がひとつ壊れたって伝えるから、あまり外に出ないように……」

 

 

「ありがとう☆ おじさんっ」

 カリオストロは感謝のハグ。素晴らしい。自身の魅力でこうしてまた一人男を虜にした。やはり美少女は正義だ。全人類が美少女になれば争いはなくなるだろう。

 

 

「はひゅっ、しかし、カリオストロ殿は……すごいな……あんなに強情だった主人を説得して……ぶふっ」

 部屋に通されて荷物を広げているとルドミリアがいった。ルドミリアが窓側、カリオストロは廊下側だ。ルドミリアのほうがスペースが広いから、転げ回るに便利だろう。

 

 

「なに、あれくらい朝飯前だ。出発は何時にする? 主人のあの様子じゃ長居はできなさそうだぞ。他の客とモメるのもごめんだしな」

 カリオストロがいうと、ルドミリアは広げたスケッチブックに記した。

 

 

《もう少ししてからにしよう。ちょっと銃の調整をしておきたいんだ。こう見てもハンターでね。もしもの時は任せてくれ》

 

 

「笑いすぎて俺様を誤射したらウロボロスのエサだからな……、じゃあ、俺様は少しお昼寝する。ふわもちお肌には睡眠が欠かせないんだ。後で起こしてくれ」

 

 

*****

 

 

 村外れに自分の名が書かれた土饅頭が建てられていたのを見て、思わず石を投げつけてしまった。土を盛って作った簡単なものなのでどうせガキの悪戯だろうが、花が四本五本置いてあるのを見てますます腹が立った。確実に仕事に出かける大人が見ただろうが、墓を均さない辺り、どうやら奴らの中では既成事実らしい。墓を壊してやろうと思っていると、喀血した。土が黒褐色に汚れて見た目が悪くなり、どこかで見ていたらしい祈祷師が近づいてきた。

 

 

「血をうごめく邪気は古来からの繋がりだ。お前は前世とそのまた前世で人を虐げたからこうなったのだ。心安らかに逝きなさい。息を引き取る時、額に聖なる汁を垂らしてやる」

 

 

「うるさい」

 

 

 彼はいうと血の混じった痰を吐いた。そして家に帰り、胃を燃やしながら勉強した。

 

 

 五歳にできることは少ないが、とにかく出来ることをやった。村学校の子からせびって理科の教科書を借りて、一週間かけてすべて写した。それを自分で読み解きながら実験をした。いのちを繋ぐ実験。誰もしたことがない実験だ。身体を強くするにはどうすれば良いのか。免疫不全で神経がおかしくて内蔵が悪くて耳の聞こえが悪いこの身体を、どうすれば持ち上げられる? 民間療法から魔術の実験めいたものまでなんでもやった。結果として土墓に己の悪口が書かれ始めた時は、かえって笑いが出たほどだ。凡人には天才のすることが理解できない。

 

 

 一週間に一度、夜中に血を吐いたり身体の中が痛くなった。単に嘔吐するだけの時もあった。村の面々の前では虚勢を張っていられたが、家で血まみれの捨て紙を見ているとどうしても心細くなった。野犬や魔物の唸り声が聞こえると、ハヤジニも一緒に来たかもしれないと思い、恐ろしくなってよく泣いた。

 

 

 泣くとすぐに妹がやってきた。農作業の手伝いをしていても不意に戻ってくるのだ。夜中の三時でも隣に来た。涙が収まるまで手を握っていてくれたし、汚物まみれの床を掃除してくれた。辛かった時、一人で乗り越えられなかった時期に妹がいてくれて本当に良かった。そうでなかったらどこかの時点でいのちを含めてすべてを投げ出していただろう。

 

 

 土饅頭を発見してからタガが外れたように勉強し始めた。六歳で高等物理の領域に入り、生物学というものの本を取り寄せた。小遣いと少しの家財道具が消えたが、おかげでとっかかりは掴めた気がする。血を吐く間隔も増えたが、まだ理性は十分に働いていた。手は動くし足も動く。だから実験はできる。教科書の内容から外れたパートを補い、頭を下げてくれてもらった余り紙にメモをした。時間切れだけを恐れた。

 

 

 どうにか七歳まで生き延びた。目も痛みだしたが新聞を読めた。たまに届く月刊新聞から、【叡智の殿堂】という全空中のあらゆる書物が集まる場所の存在を知った。頭の中で何かが輝いたのがわかった。きらめきはすぐに動くことを要求していた。祈る思いで手紙を書き、書き直し、また手紙を書いて、妹と一緒に初めてお祈りをしてから投函した。鼻血を出し、神経を痛めながら二ヶ月待った後、郵便物を運ぶ騎空艇が自分宛ての手紙付きの大量の荷物を運んできた。乱気流で一つ後の騎空艇は堕ちたが、この船だけはたどり着いた。

 

 

 手紙には綺麗な筆文字でこう記されてあった。

 

 

《貴方の切実な思いはよくよく承知しました。ここに私の名の元に、貴方へ我らが叡智の詰まった本を贈ります。司書や司書見習いたち全員が思いつく限りのすべてが詰まっています。当初貴方は返却すると書いておりましたが、その必要はありません。この本は貴方と貴方の村に無料で差し上げます。我々は未だ至らぬ者たちの集まりであり、知識を望む者へいつも扉を開けております。どうぞこの本を元に頭脳を鍛え、世界の真理を掘り起こし、明日を生き抜く手助けとしてください。そして病魔を打ち倒した暁には、ぜひ叡智の殿堂を訪れて下さい。そして叡智を分かち合い、よりよき未来をともに作りましょう》

 

 

 末尾には《叡智の殿堂》総長直筆のサイン。木箱の中には百冊以上の医学書・高等物理・生物学・魔術分子学・四大魔力に関する分厚い書物。

 

 

 その日ははじめて妹といっしょにパーティーをした。飲み物にみかんジュース、以前に大道芸人が訪れた時に妹にくれたものだ。妹はみかんが大好きだったが、いつかお祝いする日が来ると思って保存しておいたのだ。

 

 

 これで研究ができる!

 

 

***** 

 

 

「あはっ、あははひひひいひひ、カリオストロ、起きてくれくくくっ、ひひひうふふふふうっ」

 ルドミリアは優しく起こしたつもりだろうが、笑いのせいでカリオストロはがくんがくん揺すぶられる形になった。振り払うようにして起きる。金髪のゴージャスヘアが乱れて顔がしかめっ面になるが、美少女は美少女だ。

 

 

「ちょっと……カリオストロちゃんはお姫様起こしが好きなんだけど……どうしてルドミリアちゃんは漁師さんみたいに揺らすのかな?」

 寝起きのせいで美少女モードの調子がうまくいかない。ルドミリアがスケッチブックを差し出した。ルドミリアの顔は笑っていたが銃は装填済みだった。

 

 

《他の客だが、あれは盗賊だ。主人と懇意にしていたが、さっき主人を脅迫して私たちを聞き出した。隣の部屋の様子から察するに、身ぐるみ剥いで私たちを売り払う積りだ。すでに臨戦態勢だろう》

 ルドミリアはページをめくる。

《それにキノコ採取やキノコ討伐とも話していた。十中八九私が食べた新種だ。このまま逃げるのは容易いが山で鉢合わせたら厳しい。ここで叩いておいたほうが良いと思う》

 

 

 カリオストロはスケッチブックとルドミリアの顔を交互に見て頷いた。ベッドから起き上がると大きく欠伸して、隙間だらけの壁から隣の部屋にも聞こえるような声でいった。

 

 

「あーあ、たくさん寝ちゃったからお腹空いたな~、カリオストロ、ご飯買いに行こーっと。ルドミリアちゃんはどうする? そう、お部屋で待ってる? じゃあサンドイッチ買ってくるね☆」

 

 

 カリオストロは準備をして部屋を出る。場所は二階だ。階段を降りようとしたところで男が二人後ろから来たが、天井をつたっていたウロボロスが振り子の要領で殴り飛ばす。踊り場の壁にめりこむ盗賊に一階で話し込んでいたならずものたちが驚き、剣を抜く。宿屋の主人はカリオストロを見て奥の部屋に向かう。

 

 

「キャッ、みんなこわ~い、お願い、痛いことしないでー」

 

 

 向かってきた盗賊を落ちてきたウロボロスが押しつぶし、尻尾で頭を一撃。カウチに座っていた男が何やら叫びながら短銃を抜いたので、カリオストロは男前方の空間を破裂させる。物質を別次元に保存したり移動させる錬金術の応用だ。男は風圧と衝撃でカウチごと入り口に叩きつけられる。残った盗賊をウロボロスに始末させようとした矢先、ライフル弾がカリオストロの髪先をかすめる。

 

 

「ぶあっははははは! あはっひひひっはははははゴメン撃っちゃった! うくくくくっくくくうふふふほほふ! ははーは!」

 

 

「撃っちゃったじゃねーだろ! 俺様のエンジェルヘアに傷がついたらどうする!」

 どうやら上に盗賊が残っていてルドミリアを襲ったらしい。男が慌てながら二階の窓から逃げたが、その背中をライフル弾が掠めた。かなり弾長が長く、大型動物でも当たれば無事では済まないサイズだ。落ちた先で嫌な音がした。一階にいたもう一人はまごついていたので、頭の脇で破裂魔術。吹き飛んで動かなくなった。暫くは脳震盪であのままだろう。これで盗賊はみんな無力化されたが、ルドミリアはきゃあきゃあ笑いながらまた撃つ。

 

 

「ちょっと、ちょっとちょっと! やめろっての! おいルドミリア!」

 カリオストロはウロボロスに身を守らせてルドミリアのほうに向かう。一方のルドミリアは床をじたばた転がりながら引き金を引いていた。跳弾のせいで周りもそうだが本人にとっても危険だ。

 

 

「うくくききき指が動かなくてえへへっへははふふふふへふ、いひひひふぐふっ……」

 もう一発撃たれたが、自分に向かってきたそれをカリオストロはウロボロスに食わせた。ウロボロスはルドミリアを捕まえると舌で銃と彼女をもぎはなし、ルドミリアの下半身を飲み込むと移動を開始した。相棒が笑い続けるルドミリアを運ぶのを見ながらカリオストロは、奥へと逃げた主人の元へ美少女フェイスで向かう。あんなに汗をかいていたのに本心では売り飛ばす算段をしていたようだ。それなら料金はタダにしてもらおう。ついでに慰謝料もいくらか。

 

 

 臨時収入でウロボロス用の石けんを買ってやろう。

 

 

*****

 

 

 内科用の薬品配合からジョークグッズに至るまで試した。リミックスしたものも作り上げ、自分自身を実験台にしていろいろとやった。だがどうしても身体に対して効果が出ない。特許を申請すれば大金持ちになれそうな発見があったが、書類作成の間に死ぬ予感があった。【叡智の殿堂】からもらった本を何度も読み直し、新しいアイデアを試しては失敗する。体調はだんだんと悪くなる。不眠症が重くなっていき、手足が腫れる。内蔵から艶がなくなるのが見なくてもわかる。全体的な免疫力が落ちているのだろう。随分前から髪の毛が抜けるようになってきたし、蜂に刺されたらいつまでも治らなかった。ハヤジニまでそれほど時間が残されていないのに、未だ決定点が見いだせない。こういう時に発明家はタバコでも吸って良いひらめきを思いつくのだろうが、タバコを吸ったら肺がただれる。まるで何百年も生きながらえさせられた生き物だった。

 

 

「そんなに根を詰めると良くないよ」

 夜中、妹はお茶を出しながらいった。

「昨日も寝てないんでしょ? ハチミツを入れたから、少し休憩しようよ。寝て起きたら思いつくって」

 

 

「そうだな。お前は寝て起きたら気分爽快だろう。こっちは寝たら死んでるかもな。そもそも昨日は寝られなかったんだ」

 思わず棘が出た。

「一週間後に自分が腐ってるかもと思ったら考えも変わる。くそ」

 お茶を一気飲みするが喉の辺りがチリチリして痛い。最近は何を食べてもこうだ。

 

 

「いつものようにナデナデしてあげよっか。そ~れ、良くな~る」

 妹が後ろに回ろうとした。

 

 

「やめろって!」

 振り払う勢いが強くて妹がよろめいた。力を込めた積りはなかったが、妹は後ろの物入れに背中からぶつかった。顔が青ざめる。どう見ても悪い当たり方をした。

「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」

 

 

「うん……わたしは大丈夫」

 そういいながら妹の顔が少し青い。腰の上辺りがぶつかったが、どこか傷ついたかもしれない。あるいは内出血したか。

「だから心配しないで。身体だけは丈夫なんだから」

 

 

「お前、前に落ちて足の骨折った時にも同じこといったよな?」

 いいながら妹の服をめくり上げる。思った通り色が変わり始めた。いつもと違い、今度は己が妹の背中を撫でている。いつもは血や膿めいたものを吐き出す自分を妹に大事にしてもらうのに、立場が逆だ。必要のない癇癪を起こしたせいで。

 

 

 彼が作業を免除してもらうかわり、妹が煽りを食っていることはよくわかっていた。そうでなくともタフを気取って実際にタフな妹だ、少しでも覚えを良くしてもらうために人一倍仕事をするのは想像できた。明け方から日中まで、小作人として終わりのない収穫と同僚と主人の愚痴に付き合い、祈祷師の説教を聞き、帰ってきたら彼の汚物の世話をする。

 

 

 いたたまれない。

 

 

 しばらく座り込んで撫で続けていた。

 

 

「ダメかもしれない」

 自分から口を開いたが、無意識に仕舞い込んでいた考えだったのがわかった。

「いろいろ手をつくしてるけど、ひょっとしたら無理かもしれない。もし葬式になったら、遺体は火葬にしてくれ。あの土饅頭だけは御免だ。こんな村も捨てて別の島に行ってもいい」

 

 

「そんなこといわないでよ」

 口にする妹の声が涙ぐむ。泣きたくなってきた。他人の前では決して泣かないが、家族の前では脆い。

「もし死んじゃったら、わたしも後を追うから」

 

 

「バカ、そんなこと冗談でも――」

 

 

「冗談じゃない!」

 

 

 妹が振り向いて気圧されそうになった。顔の力が、瞳の力があまりに強い。強い意思の現れで、同時に彼の弱気をなじってもいた。

「わたしは本気。だから、葬式とかいわないで、いわないでよ……」

 彼を叩きながら妹が泣き始めた。その姿を見て鼻が熱くなってきた。妹が抱きついてきて、その身体が物凄く熱くて、これがいのちの温かみなのかと思うと涙が出た。このいのちは自分がどうなろうと、やはり育っていって欲しい。自分がくたばったとしても、お願いだから先を繋いで欲しい。バカな村人たちと結婚してもいい。子孫を残してほしい。

 

 

 そしてその強いいのちは自身に乗り移るように、力強く押し付けられる。これだけ距離が近ければ、冗談でもいのちが新しく芽生えるかもしれない。妹のいのちから、何か温かいものを分けてもらえるかもしれなかった。

 

 

 二人でひとしきり泣いてから、妹の頭を撫でた。

 

 

「もう寝ろ。明日も仕事があるんだろ」

 少し黙ってからいい添えた。

「一つ思いついた。それをやってから寝るよ」

 

 

「わかった。朝ごはん、美味しいのを作るからね」

 妹は立ち上がったが、その手をしっかりと握った。妹は笑った。

「どうしたの」

 

 

「いや、よく覚えておこうと思って。たぶん身体が強くなれば、お前みたいになるんだろうな」

 

 

「へっへっへ、これが田舎娘の頑丈さでございますよ」

 妹は腰を曲げておばあさんの演技をした。涙は消えて妹は部屋に入っていく。

 

 

 彼は机に戻り、書類を整理する。精神の内側では発想の転換が行われている。

 

 

 いままでは己の身体を強くすること、欠点や病理を治すことばかり考えてきた。ここで詰まった。だが違う観点から見ればどうだろう。

 

 

 例えば自分のいのちを作り直すこと。新しい子を為すように、新しいいのちを生み出すこと。

 

 

 つまり、この身体を捨ててまっさらで完全無欠な身体を作り出すのだ。

 

 

***** 

 

 

 山に入った途端にむせた。夜中なのに奇妙な粉が蔓延していてカリオストロは何度も咳をした。ルドミリアも笑いながらむせて、これは胞子かもしれない、といった。ただしキノコが放つ胞子はもともと空気中に散乱こそしており、こうして黄色い塗料を粉にしたようなものはあり得ない。別の植物が悪さをしている可能性はあったが、ルドミリアはあのキノコの仕業だと即断した。感覚でわかる。

 

 

 大量に肺に入ると厄介なのでルドミリアはマスクをつけることを提案したが、カリオストロは美少女フェイスが崩れるので却下した。代わりに《リーンフォース》の応用でいくことにした。この術には再生効果があり、この場合は喉や鼻が多少傷ついても強引に押し通れる。定期的にかけなおせば問題はあるまい。美少女は維持したがまるで一日中咳をしていたあの頃を追体験しているようで嫌になった。気分を変えてルドミリアを先行させることにした。

 

 

「やーん、夜の山ってこわーい。ルドミリアちゃん、先に行ってね☆」

 

 

「うふふひひおほっほほほほ良いよゲッホゲホ」

 顔が少々青ざめているルドミリアだが足取りはしっかりしている。どっちにしろ例の毒キノコを知るのはルドミリアだ。夜の山は野生動物や断崖などで危険なので、できれば大まかな目星をつけてから入りたかった。だが盗賊たちとの乱闘で街は大騒ぎだ。増援が来ることや狩場が荒らされることを考えるとやはり速攻すべきだ。

 

 

「くしゅん、くしゅん」

 身体は守られているが感覚は残る。カリオストロはくしゃみを何度かした。ルドミリアの記憶頼りで歩くことになるので先は長い。後衛をウロボロスに任せたカリオストロは、じっとハーヴィンの背中を見つめながら山を歩いて行く。そのうちに過去の記憶が蘇ってくる。楽しかったこと。嫌だったこと。悲しかったこと。辛かったこと。嫌な記憶のほうが圧倒的に強くて思い出しながら辟易する。そうしているうちに、どうして自分がこれほどまでにルドミリアに肩入れしているのか、改めて疑問が出てきた。

 

 

 ハーヴィンのルドミリアは同じ団員だが、単にそれだけの関係だ。強いて言えば部屋が隣同士なだけだ。クラリスのように血の繋がりがあるわけでもなく、錬金術に興味があるわけでもない。これが団長とルリアなら、《困ってるから》で片付けられるが、そんな想いで己が動けるものかと、足を動かしながらカリオストロは自問自答する。未来、過去、他人、詮のない考えがいくつも頭を掠めて消えていく。手足にばかり神経が集中して考えが乱れていく。

 

 

 ルドミリアの背中に鼻がぶつかった。

 

 

「いたた……」

 いいかけたカリオストロを片手を上げてハンターが制する。ルドミリアはゆっくりしゃがみ、それに倣う。美少女ボディの夜目ではよく見えないが、ルドミリアにはわかるらしい。

 

 

「ぶぷ……くくく……ぷふぅ……」

 ルドミリアは笑いを抑えながらスケッチブックを差し出す。

 

 

《向こう側にキノコがある。魔犬の背中に生えている形。前に食べた時は木の根本にあったけど、どうやら生き物の体に寄生することにしたみたい。急激な変質だけど、いちおうそれなら粉になった胞子の説明もつく。どちらかというと突然変異の類だ》

 

 

 まるで魚が空を飛ぶことにした、という理屈だ。疑念半分で藪の向こうを見やると、確かに薄っすらと横たわる野犬が見えた。ぼろろろろ、と下手な楽器めいた音を出して寝ている。そして背中からは巨大なキノコが生えていて、夜の中でキノコはひっそりと発光していた。確か騎空艇で簡単に受けた講義によると、あれは大体の場合、キノコが媒介――例えば昆虫――を引き寄せて胞子をばらまくために発光している。だが犬に生えたこの場合、虫に胞子をバラまくのでなく、獲物を食うために発光している見方が良いかもしれない。キノコからは花粉めいた粉がもれて周囲の空気を満たしていた。

 

 

 ふと思いついた。あれほどの習性の入れ替え振りを見るに、あのキノコはもはや魔物の一種ではないか?

 

 

《どうやってキノコを取るの。前にアマツタケで似たケースを見たことがあるけど、たぶんあの犬が死んだら、キノコも枯れると思う》

 カリオストロは自身も筆談にした。

 

 

《麻酔弾を持ってきてある。魔犬を強めに眠らせてから採取したい。それから》

 

 

 くしゃみが出た。

 

 

 思わず鼻を押さえてしまう。カリオストロ自身のものだった。

 

 

 藪の向こうの犬のいびきが消えた。一秒してから獰猛に息を吐く音がして、巨体が高速で向かってくる。

 

 

「ぶふっあーッはっはッはは! あはははは! ひーははー! 私が囮になるから! あーはー! ひー!」

 ルドミリアは立ち上がるとライフルを真上に撃った。犬は若干ひるんだものの、少し距離を取るとルドミリアをにらみつけた。痩せぎすの身体には無遠慮にキノコが寄生し、腹の下にも容赦なく生えていた。これではキノコとの共存というより、キノコが魔犬を食い尽くしているといったほうが正しい。これを食べて笑い症で済んだ辺り、実はルドミリアはかなりラッキーだったのではないか。帰ったらルドミリアを体の隅々まで検疫しなければならない。

 

 

 カリオストロが距離を取る間に犬は突進している。ルドミリアは狙いをつけているが面子を潰したままではいられない。カリオストロは素早く犬の腹へと空間魔術。草いきれが爆発すると犬が軽く吹っ飛び、横の木に叩きつけられた。すぐには体勢を立て直せないが、どうやらキノコに栄養を取られて体力不足らしい。ウロボロスを犬の元へと放ち、このままキノコを採取するために容器とナイフを取り出した瞬間、ルドミリアがこちらに銃口を向けた。付き合いは長くないが意味をカリオストロは汲み取った。

 

 

 伏せた途端に後ろに迫っていた魔物の頭が吹き飛んだ。カリオストロよりも若干大きい魔犬が勢いをつけて倒れるが、後ろから後続が追いついてくる。あのキノコ犬をボスにした群れなのだろうが、ボスがキノコに操られておかしくなったので警戒していたところだろう。そして凄まじい吠え声とともにやってくる犬の背中にはやはりキノコが生えていて、暗黒色のそれは夜の中なのによく見えた。魔術を組みながらウロボロスを呼び戻そうとした矢先、夜陰に紛れた黒色の犬が猛烈に体当たりした。岩のような頭がモロに激突すると彼女の身体をふっ飛ばし、カリオストロは僅かな時間、浮いた。一瞬、地面と自身の境目がわからなくなり、脳を回転させて状況判断をしようとした矢先、巨木に頭から激突した。

 

 

*****

 

 

 肉体の錬成には時間を要しなかった。材料のために家を売り払って貸家住まいになったが妹は納得してくれた。もちろん転生先は清らかで美しい健康体が良いので美少女になった。以前から美少女の偶像をたくさん夢想し、顔が良い女の想像には自信があった。人為的にしか作れないゆるかわプリティボディ。生ける彫刻愛らしさの極点。あれほど勉強したのだから完璧が作れると自負していた。

 

 

 それなのにいざ青写真を作ってみると、露骨に顔立ちが妹だった。自分でもショックだった。仮にこの姿で現界したとしても、妹本人は単純だから気づかないだろうが、自身がこれとして振る舞うのは頂けない。材料に余裕はなかったが、できるだけ顔を妹から離れたところに変えた。

 

 

 ネックになると思われていた魂の問題については、四大魔力と二大光闇の観点から解決した。人間の内蔵については詳しくなったつもりだが、魂らしき器官は発見できなかった。だが魔力の動きを観察してみるとわかるものがある。魔力とはおおよそ属性力であり、周囲の属性力と魔力の中に人間は存在する。人間内部の内蔵と属性力を丁寧に腑分けしていくと、そのどちらでもないものが出て来る。それが魂だ。内蔵といった目に見えるものが表なら魔力は裏だ。魂は表裏どちらでもないところに染みのように巣食っていて、徐々にあぶり出す過程はなかなかおもしろい。さながら究極の個性探しだ。終わりから振り返ってみれば、自分の個性は全属性を兼ね備えた万能さだった。火・水・土・風・光・闇のすべての元素が体内を行き来している様を、後世においてレントゲン写真と呼ばれる特殊な紙で読み取った彼は、ため息をついた。あのクソ祈祷師め、なにが血そのものが汚れているだ。

 

 

 ハヤジニは近い。食欲はなく、柔らかく煮た米しか喉を通らなくなっていた。外見は、あまり語りたくない。

 

 

 肉体錬成の手順についても構築完了。前段階として、自分から取り出した魂を置いておく場所が必要だが、これもクリア。魔力が放出される時、一時的に巨大な魔力が集約される。だいたい場所は掌だ。そこが人間はイメージしやすいからだ。弓矢の先端や剣の切っ先を向けるのと同じである。不思議なことに、掌の先に摂氏五百度以上の炎があるのに、掌自体は火傷しないし傷がつかない。単にそこまでの時点では魔力が無害だから、という考え方が普通だが、実は違うからくりがある。あれこれ弄ってみたところ、その膨大な魔力は無害なのでなく、海から浮かび上がる魚影のように姿の一部をこっちに露出しつつ、本体――つまりこれを敵にぶつける――はあっちの世界にある。そして攻撃の瞬間、魔力本体がこっちにやってきて、裏返って現界し、飛び出す。つまり魔力は放出される直前まで、別の空間にある。そしてある一定の状況下では、そこにいくらでも保存しておける。それは基本的に魔力だが、別のものも保存できる。例えば氷とか、お菓子とか、魂とか。

 

 

 必要な要素は三つ。この自分の身体と、これから引っ越すことになる美しくて清純なボディ。そして一時的に身を置くあっちの世界。すでにボディのほうは血液入りで念入りに構築してあるから、こっちで自分が消滅し、書物の応用の応用で編み出した禁術によって魂をあっちに移動させる。するとあっちに行った自分の魂は、必然的に血液入りの自分の身体へと引き寄せられる。マッチングが完了したら魔力放出の要領で、あっちから身体を引きずり出す。つまり物質化する。その材料はこっちに残した自分の身体、あと周辺の生命力をチョイチョイ。目印は妹だ。こうして美少女として新しく生まれ変わる。

 

 

 妹にこれを説明したが、どれだけわかりやすく伝えても彼女はちんぷんかんぷんだった。

 

 

「よくわかんないよ。つまり死んじゃうの?」

 

 

「死なない。だから生まれ変わるんだ。すぐに戻ってくる。だから心配いらない。な?」

 それから続ける。

「その時に、お前が必要なんだ」

 

 

「どうして」

 妹は首を傾げた。

 

 

「あっちにいる時、どうしても身体が不安定な状態になる。あっちとこっちが繋がることでラインが結ばれるわけだけど、例えるなら橋だな。橋は対岸とこっち側の両方から組み立てて、橋の真ん中で繋いで完成だ。こんな感じに、両方とも均等に作らないといけない。こっち側での橋の役割は、お前だ。お前がいてくれれば、こっちに戻ってこれる。血を分けた存在は一番強いから。いうなれば灯台代わりになるんだ」

 

 

「つまり手を握ってればいいんだね?」

 

 

「まあ……そんなところ」

 他の実験などないので確証はなかったが、そういうしかなかった。

 

 

 術式は滞りなく進行する。

 

 

 夜中の小屋。静かに鳥が鳴く声が聞こえ、周りは特製のチョークで記した魔法陣で覆われている。彼は横になり、妹は祈りを捧げながら彼の手を握る。開始から五分ほどでゆるんで崩れ始めた皮膚から血が流れ、鼻血も出るが彼は気にしないようにする。やがて禁術の効果もあり、こちら側でガクリと力が抜けて死亡し(この点は伏せておいた)、あっち側に入ると――まるで水場に誘い込まれる動物のように――ゆったりと魂は美少女ボディに入り、目が覚める。その瞬間の爽快さに愕然とする。身体が軽い。髪の毛がサラサラしている。肌が柔らかくうるおっている。喉をみずみずしい息が出入りして額が涼しく足が柔らかい。腰つきが柔らかくなり太ももに力が入る。内蔵は温かく眼球はピントが合い自然と頼もしさと力強さが湧き上がってくる。いままでの身体は崩落寸前の洞窟で、それがいま、洞窟を抜けてりんご畑を通り抜けた先の広くて日差しが降り注ぐ野原にいる。どこにでも行ける身体。何にも苦しめられない身体。どんなことにも適応できる身体。それと同時にかつての超高圧環境でも死なずにいられた己の強さに、改めて納得した。やはり自分はこうなるべくしてなったのだ。いままでの試練によって己は改めて天才になった。

 

 

 深呼吸をして身体を堪能してから、瞳を閉じて戻ることにする。だが魔力が戻っても魂が動かない。予定では妹を媒介にして現世へと戻るところだが、それがならない。すぐに気づいた。妹は確かに手を握っているが、皮膚同士では繋がりにならないのだろう。何かが足りないに違いない。前例もなにもないので実験しようがなかったが、いざ閉じ込められると言い訳にならない。

 

 

 手が白くなるほど強く握り、兄の死体を見つめ続ける妹の姿を見ながら、別の方法を取れ! と叫ぶが現世にいる妹には届かない。そして幽世にいる魂がどうして自分しかいないのかを、直感的に後ろを振り向いて理解する。ここに有機物は置いたことはあったが、生体で実験したことはなかった。こいつがいるからだ。

 

 

 真っ白な空間の中に青みがかった異形が出現すると、渦めいた影から三叉槍を持った存在が徐々に姿を現していく。名を言われずともわかる。ここは万魔殿と繋がる通路だったのだ。通路に置かれた障害物は近いうちに壊される運命にある。

 

 

 幽世の住人。

 

 

*****

 

 

 咳き込んで目が覚めた。状況把握に努めると周囲にはキノコ犬が十頭以上いてカリオストロたちを囲んでいた。全体術式の撃ち甲斐がある。ルドミリアは笑いながら銃を撃ち、一頭が倒れる。その後ろから別のキノコ犬がやってくる。反射的に崩壊術式を作動。周囲の景色が吹っ飛び、犬たちが大きく巻き込まれた。

 

 

「うはっはーっ、はっはっ大丈夫カリオストロあーっはっは! はっヒーゲフッふふ、ひひひひ! げーふげふ! さっき頭を打ったけど!」

 ルドミリアがカリオストロに目配せして、カリオストロは身体を確かめる。頭がやけに重く咳が多い。鼻血が出ていて顔をしかめた。美少女らしくない。どうやら胞子に幻覚成分が含まれているのか、犬が二重三重に見える。ウロボロスはカリオストロの前でとぐろを巻き、身体を大きく広げると威嚇した。犬らは怯まなくなっている。リーンフォースで酸素を確保だ。

 

 

「俺様は大丈夫だが、ちょっと手が足りなさそうだな」

 カリオストロは陣形を作った犬の中心を爆発させる。犬たちは瞬時に察知すると大きく距離を取って躱した。あのキノコの影響か、適応が早すぎるし頭が良すぎる。わずか二頭が巻き込まれたに過ぎない。木々が音を立てて倒れ、残りの群れもやってくる気配が見えた。

 

 

 そのうち、闇の向こうから巨大な何かがやってくる。全長四メートル以上の角が生えた巨躯。

 

 

 騎空士の間では【立ち犬】という渾名の魔物が存在している。主に覇空戦争の激戦地であった古戦場跡を徘徊する、魔犬の頭を持った狂えるキメラだ。小山を思わす両腕から繰り出される拳は騎空士をなぎ払い、有り余る闘争本能から同士討ちもしばしば起こる。その【立ち犬】がいま、頭からキノコを生やしている。頭ではなく、上半身まるごと。かろうじて手足が突き出しているが、それ以外は上のすべてがキノコに乗っ取られ、悪夢めいた巨大がやってくる。あれほどの大きさならば採取する必要もないだろう。闇の中で立ち犬キノコは不安夢めいた黄緑色に発色しており、まだ乗っ取りが確立していないのか、じたばたもがきながら移動していた。エルステ帝国は魔晶に躍起になっているが、あのキノコがあれば自律兵器としては物足りるだろう。木々の葉を思わす巨大な傘が左右に揺れ、枝々をへし折っては粉を撒き散らす。粉が注がれた地面はやがて温床となり、同族を生やすだろう。

 

 

 あのならずものたちが来なくて良かった。あいつらが取り込まれたら、人間の邪悪と想像力を捕食したキノコは底無しの凶悪になるだろう。

 

 

「あいつ、俺様たちを食べるつもりかな?」

 カリオストロは掌で術式を溜めながらいう。鼻血が流れるが拭うのは難しい。

 

 

「ふふ、そうみたい」

 ルドミリアはいった。

「そうなったら……あはは! 錬金術師キノコとハンターキノコだ! あは! あはは! 人間の次は村、騎空艇、それから全空だね! あははは!」

 

 

「キノコ風情にしては大層な野望だ。生態系をブチ壊してるのを見るに、たぶんキノコ自体が魔物化した結果、狂った知能を持ったな。どうやら全空危機の前に、俺様たちで――」

 いいかけたカリオストロはウロボロスを幅長に展開させると、自身とルドミリアの上に防壁を作った。巨大キノコが縮むと、その図体が爆発の勢いで飛び跳ねた。巨躯の跳躍は地面を揺らし、雨のような粉が二人に向かって降り注ぐが、すべてをウロボロスが受け止めて吸引すると玉にして吐き出した。正直言って分が悪い。キノコの数が多すぎるし環境も良くない。一度撤退して、団長たちを呼ぶか、提案しかけたところでキノコ犬たちが襲いかかった。ウロボロスが二人を巻き取るとバネを作って大きく跳躍し、一瞬、木々の上へと視界が広がる。空は黒。月は僅か。子どものような騎空士二人は、脅威を逃れて上にいる。

 

 

*****

 

 

「我が空間に侵入せしは貴様也」

 幽世から出てきた存在は錬金術師を指差した。それの輪郭がぶれて二重三重に動き、手にした三叉もうごめいていた。

「消去す」

 

 

「ちょっと借りてるだけだ。すぐに出てくさ――」

 軽口で誤魔化そうとすると槍が飛んできた。飛び上がってかわすとゆったりと着地する。この空間でどれだけの物理法則が通じるかわからないが、やるしかあるまい。美少女の初陣がこんな相手ということにはため息が出る。魔力元素を圧縮して放つ。幽世の住人は受けたが、微動だにしない。上を見上げるとビジョンめいた空間に自分の死体と妹が見える。身体を揺さぶり、手を握るがそれで魂は戻らない。もっと強い依代がいる。もし言葉が通じれば――

 

 

 視界にノイズが走って頭が割れた。反射的に頭部を押さえるのと幽世の魔力が到達するのは同時だった。小爆発に巻き込まれて転がり、新鮮な痛みに咳き込んでいると、誰かが身体を引っ張り起こそうとした。もがきながら見上げると、その人物はハーヴィンだった。

 

 

 ルドミリアだった。

 

 

「は?」

 彼の――すでに彼女だが――口をついて言葉が出た。

「なんで、どうしてお前が――いや、誰だ」

 頭の中がぐちゃぐちゃに混線しているようで、覚えているような混乱しているような。わけがわからない。なのに彼女がキノコハンターで笑い症で料理が上手なことはわかる。確かこの前グランサイファーに参加した。グランサイファーとはなんだ?

 

 

 ルドミリアは幽世に向けてライフルを撃った。幽世も唐突な侵入者に面食らっていたらしく、肩の辺りに当って色々吹き飛んだ。

「私も驚いてる。お互いの記憶同士がキノコの胞子をつたって混線してるんじゃないかな。こっちは団にキノコ料理を振る舞う時に君が来たよ。笑う前の時点に身体が戻った気がする。清々するね」

 錬金術師を見てウインクした。精悍に見える。

「どっちにしろ、まずはあいつを撃退しないと」

 

 

 訳はわからない。だが新しい身体と脳みそは一瞬で適応した。まずはこの知っているんだか知らないんだかわからないハーヴィンと一緒に、あのニョロニョロ野郎を追い払うのだ。

「そうなの? 困っちゃう☆ でも、やるしかないよね☆ この美少女二人で☆」

 

 

「そういうところはいまも昔も変わらないんだな」

 

 

「やかましい」

 

 

「意思疎通は終わったかね」

 幽世がいう。

「では掃除の時間だ」

 

 

 幽世の視線に嫌なものを感じた。反射的に距離を取ろうと足に力を込めたところで、地面に突き立っていた槍が痙攣し始める。悪い予感が頭を掠めた一瞬、槍はふくらはぎを刺し貫いていた。足から流れる血はあまりにもみずみずしく、貫いた槍の痛みは赤く頭を染めた。悶絶しながらジャンプするがうまく身体が動かず、幽世が距離を詰める。ルドミリアが前に出ると勢い良く銃身で殴りつけた。その間に傷の具合を確かめ、治癒術を試す。

 

 

「それは銃か」

 槍で木製ストックを受けながら幽世がいう。

「この形質は珍しい。いずれ空を侵略する際の兵器として利用する」

 

 

「これは愛用品なんだ、渡すことはできない……ねっ!」

 ルドミリアが一歩下がると居合の要領で短剣を引き出し投げた。幽世が弾く間にライフルを装填するとヘッドショット。辺りに紺色の血液が舞い散り内容物が噴き出すが、すぐに割れたスイカが逆戻しされるように頭が修復され始めた。

 

 

「ちょっと血が出てるよ」

 幽世から視線をそらさずルドミリアがいう。

「いまのうちに拭いたらどう」

 

 

「美少女はなにをしても似合うんだよ」

 皮肉で返して顔をこするが、向こう側の残滓がまだ残っているのだろう。新しい体に乗り換えたからといって、すぐにすべてが変わるわけではない。あるいは体を変えた反動かもしれない。とはいえこの鼻血は――

 

 

 妹を見た。正確には、妹の横できちんと死んでいる自分の体だ。魂こそ離れたが属性は残っている。そして顔には鼻血がこびりついている。拭く手間を惜しんだからだ。

 

 

 血。

 

 

 魂は血の川を流れる。

 

 

 気づいた瞬間は言葉が出なかった。なにかが舞い降りたがそれを言語化できず、ルドミリアにも伝えられない。幽世が頭を直していく。妹に一言伝えられれば。突然ルドミリアが銃を上向けると、妹へと照準を合わせた。やめろ、といいかけて目を閉じた。

 

 

 目を開けた。

 

 

「もう五センチ上を狙え。薄皮一枚の傷がつく場所だ。俺様が調整する。やれるな?」

 

 

「深呼吸さえできればこっちのものさ」

 

 

 二秒後にルドミリアは撃った。弾丸は彼――すでに彼女だが――が魔力で通した穴を通してこちら側からいちはやく現界し、ビジョンの中にいる妹をかすめた。正確にはもう少し遠めを弾丸は飛翔して地面にめり込み、まとわりつかせたかまいたちめいた風によって、妹の頬が切れた。音速で飛来した弾を見上げた妹と、少しだけ通った穴を通して彼の視線が合った。すでに美少女だが、それでも兄だった者だ。声をかける余裕はなく穴は閉じて、幽世が再び槍を構えた。

 

 

 妹は頬から人差し指で血の雫をこすると、死体の鼻血へとそれを近づけていく。

 

 

 魂は血を通して身体を巡る。あのミイラ果物め、その点だけは認めてやる。

 

 

*****

 

 

 久しぶりに鼻血を出した自分のボディを確かめながら、あの時と同じ傷を見ている気がする。過去を思い出させる粉。記憶を混乱させる胞子。時間が大きく圧縮される。カリオストロの足には穴が空いていたが、やはりこれは幻覚だ。触ると血のように見えたものは止まる。同じようにルドミリアを見ると、それと妹の顔が重なった。妹ではなく、もう少しカリオストロに似て、もっと弱い――

 

 

 ルドミリアに自分が見えた。

 

 

 電撃的なものがカリオストロの中を走り抜けて吐き気すら催した。症状に苦しめられた者。身体に裏切られた者。自分で引き寄せたものであれ生まれつきであれ、それは勝手にやってきて身体をなんの許可もなく食い荒らして壊していく。精神を病ませ魂さえ滅ぼしていくものに、人類は生まれた当初から抗ってきた。それに一人で勝つことはとても難しく、たいていはどこかの時点で負ける。誰にもいわなかったがカリオストロは転生する前、何度もくじけた。その度に妹が未練になり、現世に留まっていられた。《叡智の殿堂》のような施設だったこともある。病者を誰かが助けなければならない。支えなければならない。だからそれをカリオストロは、ルドミリアにあてはめた。

 

 

 まるでどこにでも通じる公式のように。

 

 

 ルドミリアは笑い症に苦しめられていて、一人ではそれに打ち勝てないだろう。ならば誰かが助けなければならない。今回はそのお鉢が回ってきた。

 

 

 かつて自分がそうだったから。

 

 

 それを当然のように思っていたからこそ、騎空艇の操縦をマスターして胞子まみれになりながら山の中にやってきた。馬鹿馬鹿しいが笑い飛ばす気にはなれなかった。

 

 

「大丈夫だ、カリオストロ」

 

 

 最初は誰がいったかわからなかった。笑わないルドミリアを見たのは初めてだったからだ。いや、昔ルドミリアを見た気がする。カリオストロが生まれ変わる時に一緒にいたのではなかったか? よくわからない。とはいえ過去が一時的に現在を侵している作用のせいか、ルドミリアは笑いに陥らず、真剣な顔でカリオストロを見た。気圧されそうになるほど真っ直ぐだ。

 

 

「私はいつも笑ってるし失敗ばかりだけれど、まあ、それなりにやっていけるさ。でも好意は嬉しいよ、手伝ってくれてありがとう」

 

 

 言葉がカリオストロを射抜いた。ウロボロスすらたじろいだ。

 

 

「俺は昔、いつも死にそうになっていた。死から来る不安にも苦しめられていたし悲しかった。お前も笑いすぎで事故に遭ったり、死にかけたことがあるはずだ。笑いすぎてまともに人と付き合えなかっただろう。狩りだってたくさん失敗しただろう。さっきの宿屋でも誤射した」

 言葉が出ると思わなかった。かすれた自分の声。

「このままだとお前は苦しんで死ぬ。一人じゃとても勝てない。だからお前にはいますぐ誰かの助けが必要なんだ」

 

 

「君は君、私は私さ。私の病状と君の症状は異なる。だから、必要な時が来たらお知らせするよ。それだけの能力はあるだろうさ」

 ルドミリアは薬室に弾を込めて装填した。カリオストロは思わず目をつむる。

 

 

「余計な世話を焼いたってことか」

 

 

「そうじゃない。人には厚遇が必要な時とそれほど必要でない時があるんだろう。苦しみや辛さにもいろんな種類があって、それを把握したり決定するのは他人ではなく自分にしかできないんだ。そして人にうまく伝えられないと誤解を生むけれど、たいていそれは問題ないんだ。必要なのはどれだけ自分を知ることができるか。どれだけ自分で自分を咀嚼できるか。そもそも苦しんでいるからって弱いとは限らないよ。

 私はこの症状を楽しんでいるし、辛い時も慰めがあるから耐えられる。笑ってるせいで苦しい時も多いけど、でも良い面の割合が多いから生きていける。症状が酷い時は悪いことばかり見えるけれど、それはそこに存在しているだけだんだろう。だけど本気で苦しくてどうにもならない時は、私はそれを団長やみんなに伝えるし、自分にはその能力があると信じる。不安はあるけれど、笑いながらここまで生きてこれたし、グランサイファーのみんなと出会えたんだ。たぶん、大丈夫さ。生活は面倒だけど、それなりにやっていくよ」

 

 

「俺様も焼きが回ったな。美少女錬金術師が、これじゃお節介錬金術師だ。団長を笑えた立場じゃないぜ」

 

 

「どちらにせよ君は魅力的だ。降りたらサインを出すから、それを合図に空間魔術を頼む」

 

 

*****

 

 

 妹が指を伸ばしたところで、察した幽世が跳躍した。しでかす前に仕留める腹積もりだ。笑いながら魔術を身体周辺へ行使すると、身体が魔術の力に沿ってルドミリアと共に飛んだ。幽世は縦に、自分は横に吹き飛ぶ。この距離差をなくすことは難しい。憤怒の声を上げた幽世は魔術を行使するが、万能属性の天才美少女はたちまち対抗魔術を行使する。前面に展開された魔法陣はルドミリアへの攻撃を無力化した。

 

 

 妹が人差し指を死体の鼻血跡に擦ったところ、強烈な頭痛が襲ってきて外界の空気や鳥の声や森の音が耳にやってきた。灯台が船を捕まえて引きずりあげた。飛来する槍は感知していたので、腹を狙ったそれを素早く動く両手で受け止めた。力はないので魔術によるブースト。思い切り魔力を錬成すると、目の前を破裂させた。魔力移動していた幽世はもろに爆発の中心に突っ込んだ。うめきながら幽世の手が伸びた。

 

 

「あっははは! 気持ち悪いフォルムだ! もしこれがキノコだったら食べない第一号だね!」

 

 

「無駄口はいいから撃て!」

 

 

 橋が完成しつつある。身体半分が現世へと帰還する。残り半分はあちら側へとあり、そこでは怒り狂った幽世が槍を振り回している。奴はだんだんと負けつつあることに気づいている。自身のイメージが投影されたのか下半身のみが、膝下までが残っている。ルドミリアがもう一度ライフルで怪物の頭を吹き飛ばすと足にしがみついた。あっちには錬金術師だけしか帰還できないはずだが、このルドミリアは半分自分なのだから問題ない。

 

 

「お兄ちゃん!」

 気配に気づいた妹が美少女の身体を掴み、引っ張り出そうとするように強く抱きしめる。

「帰ってこれた!?」

 

 

「もう少し」

 いいながら足にしがみついたルドミリアが幽世の体を蹴ってジャンプする。幽世が喚いているがもう遅い。反動であちら側からこっち側へと帰還する。腕から血が流れて足はズタズタだが、とにかく帰ってきた。

 

 

 帰還後の魔術自動行使はうまくいった。周囲の生命力をチョイチョイして自分の体を依代に、こうして美少女天才錬金術師は現世にやってくる。傷ついてはいるが美しい少女は、前の身体よりもハッキリと見える妹を抱きとめながら、やはり女の身体は美しいと思う。

 

 

「お前、やっぱりクラリスにそっくりなんだな」

 ふと口にした錬金術師はマズイと思って口を閉じる。タイムパラドックスだ。よくわからずに首をかしげる妹にルドミリアが声をかけて、そこで録音は終わっていく。そういえば、あのクソ祈祷師への返礼がまだだった。あとで美少女のおみ足で顔を蹴り飛ばしてやろう。

 

 

「初めまして、お兄……お姉さんの友人のルドミリアです。キノコ狩りに一緒に行かない?」

 

 

*****

 

 

 地面そして現在へと大胆に着地した瞬間にカリオストロは空間を展開。今回は破裂ではなく固定だ。硬度は弾丸がダメにならず跳ね返る程度。何をするかと思えばルドミリアは拳銃で手近な一体を射殺し、ライフル弾を撃って空間へと激突、弾丸を跳ね返らせて犬二頭を倒した。

 

 

 跳弾である。

 

 

 返す刀で装弾すると身構える犬の死角へと射撃。射撃。射撃。笑っていないルドミリアの狙いは精確だった。瞬く間に六頭が死んでキノコがしなびる。逃げようとした犬二頭をカリオストロが空間魔術で破裂させる。臆病は死を早める。下僕もろとも襲いかかる立ち犬キノコ周辺にカリオストロは魔術を発動。立ち犬の身体は岩の槍で串刺しになり、悲鳴をあげたところをウロボロスが上から丸呑みにした。逃げ遅れた犬数頭を同じように飲み込んでからウロボロスは大きく跳ね、修羅場から生体サンプルを携えて脱出。跡には粉を噴き出すキノコの群れと騎空士二人が残された。

 

 

「くそ、まだ記憶が残ってる。なんで俺様の誕生パーティーにルドミリアが出席してるんだ。確か……なんだか……思い出せない」

 カリオストロは頭を抱えた。

「このままだとお前は数千年生きてきたことになるぞ。しかも封印から解かれた時、俺様の側でゴロゴロしてるじゃねえか! カッコイイ美少女が台無しだ!」

 

 

「うふっうぶぶぶひひうふははひひこっちも! カリオストロがキノコを食べて! 一緒に笑い症になっちゃって! あっははは!」

 過去が消えつつあるらしく、ルドミリアは徐々に笑い症に戻っていく。

 

 

「どうせ胞子の仕業だ、さっさとここから出るぞ。しかし禍根を残すわけにはいかないな。この森をどうする」

 カリオストロはルドミリアに尋ねた。いっぽうのハンターは大笑いしながらガタガタの字が書かれたスケッチブックを差し出す。

 

 

《燃やそう。フィールドを君の錬金術で取り込んで、キノコごと念入りに森を処分して欲しい。朝になったら街に報告する。事後報告だけど、うまくいけば危険生物を事前に駆逐したってことでお金をもらえるかもね》

 

 

「頼んでもいないことに賞金なんざ出さないだろう」

 カリオストロはいって、さっそく空気中の粉を取り込み魔力とする。くしゃみが途中で何度も出るが、特に気にしない。ルドミリアはくしゃみと笑いを交互にしたせいで息ができなくなるので、水を飲ませてやる。やがて森は閉じ込められ、内部の魔物ごと焼却される。

 

 

 朝。業務時間ぴったりに二人はカリオストロが急ごしらえで作った数字まみれの書類を携えて庁舎のドアを叩く。その手には危険植物サンプル。他の毒を混ぜて危険度は底上げしてあるから火災の責任を問われることはなくいずれうやむやになる。

 

 

***** 

 

 

 カリオストロは自分の部屋で例のキノコを研究し続けているが、まだ変異している。真空容器に入れたり他のサンプルと一緒にしても旺盛に繁殖しているのだから恐れ入るところだ。たまにこちらへの視線を感じるが、果たしてキノコに美少女という概念は理解できるのか。キノコに魅了される人間はいるが、キノコを魅了することはできるのか。

 

 

 件のキノコだが、なんと数ヶ月周期で己の成分を変えている。どうやらカリオストロが魂をあぶり出したように、空気中の元素を複雑に取り込むことが要因らしい。他の詳細は調べているが、次にルドミリアが食べた笑いキノコの周期が来るまで何ヶ月になるだろうか。そこまで解明してみないと笑い症のワクチンは作れそうにない。そもそもルドミリアがこれを食べて死ななかったことが不思議だ。実際に検疫してみたが、ルドミリアはずっと笑っている以外はピンピンの健康体だった。これだから人間の身体はわからない。

 

 

 新種なのだからキノコに名前でもつけようかと容器を眺めていると、ノックしてルドミリアが入ってくる。いつものように笑っており、いつものように山で採取したキノコを携えている。中には禁猟中のウットリュフも含まれているが、分母は多いほど良い。まったく、錬金術師がいつのまにかキノコ研究者になってしまった。

 

 

 ルドミリアとキノコについてしばらく話をしてからカリオストロは、じっと彼女を見やる。

 

 

「あは、ぷははっ、私の顔に何かついてる?」

 

 

「いいや。お前がもし病気になったのなら、俺様みたいな薄幸美少女になっていくのかなって思ってさ。ほら、俺様って病弱属性から派生したたおやか系の美少女じゃん? だいたいお前はやかましすぎるんだよ。少しは静かになればギャップ萌えが出てファンとか増えると思うぞ。まあ妹は活発系の美少女だったけど、それを目指すならお前はちょいタッパが足りない。いやでもクラリス方面はなあ」

 

 

「あはははは、うはは、あはははあーひー! いひひひ、ぶふふっッ」

 ルドミリアがお腹を押さえた。とてもよじれるらしいがカリオストロは不機嫌になった。ウロボロスでぐるぐる巻きにしてやろうかと思ったが本人は勝手に苦しんでいるので気にしないことにした。

 

 

「決めた。名前はミゼラブルキノコだ。お前はミゼラブルハンターだし、そんなお前に付き合わされた俺様もミゼラブル美少女だしな」

 

 

《君は勝手についてきただろう。というか、私を引っ張っていった》

 

 

「ごちゃごちゃ書いてる暇があったら服の汚れを落とせ! 土を持ち込むな! あとついでだ、次の採取にはうちの新入り弟子を連れて行け。クラリスには理論がマジで通じないからな、実地でサンプル採取を教える」

 

 

「はいはい、あは、あーはっ、お節介錬金術師さんには敵わないな、うぶははっ水ちょうだい」

 

 

「ウロボロス!」

 カリオストロが命ずるとウロボロスは水瓶を慣れた手つきでルドミリアに渡した。グイと一気飲みするとルドミリアは大笑いしながら部屋を出ていった。結局服の汚れはそのままだ。

 

 

 二人の関係は若干、変わった。カリオストロが世話を焼くのは変わらないが、自身の奥底に気づいた分何らかの余裕が出てきた。ルドミリアもそれを知った(あるいは知っていたのか)。

 

 

 内省するようにカリオストロが距離を置いてもルドミリアはいちはやく察する。精神の構造位置を少しズラしたことで、内面だけでなく外面にも余裕が生まれた気がする。些細だが、きつい場面ではそれが大事になる。カリオストロは実験を続けながら、それによって病気が治って生活が穏やかになるルドミリアを想像するし、特に治らないが楽しくグランサイファーでトラブルを起こすルドミリアを考えることもある。たぶんルドミリアも、団長も、そのどちらをも受け入れられそうだ。

 

 

 昔の自分はそれを受け入れられなかった。だからいのちを作り出した。それはそれでいいのだ。いまでもその行動は正しかったと思っている。

 

 

 かくしてカリオストロはキノコの造詣が深くなり、やや妹や昔の自分を思い出しながら、とりあえず過去の自分は過去の病人であり、積極的にいまを侵してくることはないことにひそかに安堵している。

 

 

《終わり》




最後まで読了いただきありがとうございました。
ソフィアSSなどあっためている文章もあるので、そちらも投稿していければと思います。
また次回などありましたらよろしくお願いします。


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