Fate/Abysswalker   作:キサラギ職員

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 夢を見ていた。

 

 

 果てしない、地平線。

 空は黒く、大地は黒く、大気さえ真っ黒で。

 呼吸さえままならない空間。

 数万の、数億の、無限にも思える生温かいナニカで満ちた、底無し沼。

 

 声がした。

 

 

 この盾を捨てたならば君はきっと破滅するよ。

 誰かが言った。

 

 

 

 理解していた。弱りきった相棒を前に膝を折る。

 盾を捨てねば、相棒を守れない。盾を捨てれば、自分を守れない。

 二者択一だった。

 騎士は迷うことなく盾を捨てた。

 

 ■■■の亡者共が迫っていた。それらはもはや理性などというものは持ち合わせていなかった。いままでの人生で体験してきた愛、友情、憧れ、郷愁、享楽、苦痛……その記憶(のろい)が唯一の理法となっていた。永遠に朽ち果てない朽ち果てることを許されない遺志はいつか腐敗し、ついには単一のものに成り果てる。竜が岩に姿を変えたように、人間という種族もまた、■■の淀みと成り果てる。あるものはそれを祝福と呼び、あるものは呪いであると定義する。確かなのは、自分はアレに太刀打ちできないということだ。唯一対抗できるのは闇側にもっとも近い生命体である人間だけだ。

 

 「貴公はばかな女だな」

 

 暗殺を生業とする王の刃を束ねる女がある日言ってきた。

 続けてこうも言った。

 

 「だが愚か者ではない。まっすぐなその生き方がときにうらやましく眩しく思えるよ」

 「もしかして私はばかにされているのか?」

 

 騎士はむっとして頬を膨らませていた。人の機微に疎いところがあることを自覚しているからこそだった。

 王の刃キアランは騎士に歩調を合わせながらくつくつと喉を鳴らした。

 

 「失敬。ついからかうのが面白くてな。まあ、最初に言ったことは本心だよ。真っ直ぐすぎて曲がれないおおばかものだ」

 「む………いやな女だな、と言ってほしいのか」

 「言える様な性格ではないと知っているからこその言葉だよ」

 「なるほど……かもしれないな」

 

 騎士は言い返さなかった。

 

 君は優しすぎる。だからこそいつか破滅を迎えるだろう。

 誰かが言った。

 

 それでも構わない。騎士は言い返した。

 

 ひとつの剣があった。

 主と共に幾度の戦場を超えて不敗。

 半身のように常に傍らにあり、故に■■に飲み込まれ魔剣と堕ちた。

 決して朽ちず、決して裏切らない。

 だからこそその剣は聖剣であり、魔剣でもあった。

 

 その剣のような生き方の結末をもう少し知りたくて―――。

 

 

 

 

 

 「おはようございます。我が主(マイロード)。ご気分はいかがですか」

 

 士郎は自室で目を覚ました。頭に鉛でも流し込まれたかのように重く、思考が纏まらない。愛用の居心地のよい布団のあたたかさに負けて眼を閉じかけた。

 視界いっぱいに誰かが広がっていた。艶やかな金糸を後頭部で結い上げた乙女が覗き込んできていた。口の端には微笑みが浮かんでいて、片手には衛宮家がとっている新聞――朝刊が握られていた。

 主の視線を感じたのか、騎士は衣服の胸元を摘んでみせた。

 

 「先日は失礼な態度を取ってしまいまことに申し訳なく。私の時代ならともかく、この時代に甲冑姿では衛兵に通報されるとのこと。寝巻きをお借りしてしまったことを報告します」

 

 騎士が着込んでいたのは士郎がローテーションで使っているパジャマのうちの一枚だった。女性としては平均的な体格の騎士が着込んでいるためか、袖は手の半分を覆いつくそうかというほどで、裾はしかし長すぎるということはなかった。

 ――腰の位置が高いんだろうな。

 現実逃避に走った士郎の前で騎士がつい今しがたまで読んでいた朝刊を床に置いた。さっと膝を折り跪く。

 

 「サーヴァント・セイバー。名をアルトリア。なんなりとご命令を」

 「な、な……」

 

 袖余りの服という格好にさえ目を瞑れば絶世の美少女が跪き従者として頭を垂れている、という場面。疲労の為か、傷のためか、あるいは早朝という時間のためか思考の鈍い士郎の頭を混乱状態に陥らせていた。

 騎士は目を閉じたまま動かなかったが、ややあって面をあげた。

 

 「そうだ、すっかり失念していた。我が主(マイロード)、あなたの名前を伺いたい。ほかの誰でもなく、あなた自身の口から」

 「あ、え……名前……?」

 

 そういえばと士郎の頭脳がようやく回転を始める。セイバーの名前は聞いていても、自分は名乗っていなかった。

 

 「衛宮だ。俺は……衛宮士郎。さっきから気になってたんだけど主とか、サーヴァントとか、堅苦しいのはやめにしないか」

 「………と、ということは同志……と?」

 「友達じゃだめなのか? 知り合って一日も経ってないけど、俺、セイバーみたいな奴好きだ」

 

 ポッ。擬音が出るのではと錯覚するくらいには明らかに目に見えて騎士ことアルトリアの頬に朱が差した。

 

 「ゆ、ゆうじん……そ、それではシロウと。わ、私としてはこの発音の方が好ましい」

 

 ―――わかりやすいなあ。

 機微に疎い士郎でもわかってしまうくらいに、友達になろうと言われてからのアルトリアは大層嬉しそうだった。もし犬や狼ならば、尾が左右に振られていただろう。最もこれから共に轡を並べる戦友、対等の間柄になる相手、ここはやましさを含むが美少女相手、に友達になれるならば、こんなに嬉しいこともなかった。

 こほん、とアルトリアが大げさに咳をした。

 

 「確認したいことが二三点。昨日、私の剣に触れるや否や卒倒したことについてですが」

 「遠坂みたいな一人前の魔術師じゃ当たり前にできることなんだろうけど、解析の魔術を使ったんだ」

 「見ないほうがよいこともあります。あの剣は私の生涯常にそばにあった。喜びも、悲しみも、最期までも知っている」

 

 アルトリアが目を伏せた。

 

 「私の剣は―――神々ですら手を焼いた闇を知り尽くしている。“人間”であるシロウが見れば確実に引き込まれてしまう。解析はしないほうがいいでしょう」

 「なあセイバー」

 「……アルトリア。アルトリアと呼んでくださいシロウ」

 

 アルトリアはぐいと身を乗り出していた。余程友人ができたのが嬉しいらしい。

 

 「セイ……」

 「……」

 「わかった。アルトリア。闇ってなんなのさ?」

 「あ、そ、それは……えー話したくない、といいますか……」

 

 騎士は打って変わってもごもごとあいまいにお茶を濁し始めた。自らの死因ともなった闇の怪物についてしゃべっていいものかと悩んでいたのだ。

 

「わかった。無理には聞かない」

 

 騎士がぐっと拳を固めると士郎の顔を正面から見据えた。

 

 「理由はわかりました。次です。方針をお聞かせ願いたい」

 「俺たち友達だったよな。普通にしゃべることはできないのか」

 「む……それでは………方針はどのようにする? 覇道か。王道か。邪道か。無辜の民を傷つけることは絶対に許されない」

 

 友達という間柄のはずが堅苦しい丁寧口調に戻ってしまうのは騎士生来の性質らしかった。

 

 「絶対に」

 

 ギリリ。奥歯がきしむ音が静かな部屋に響く。

 

 「当たり前だろ。誰かを犠牲にして聖杯なんて手に入れようなんて思わない。セ……アルトリアはどうなんだ。その、聖杯が手に入ったら何かを望むのか」

 「聖杯に求めることは、ない。私自身が掴み取るべきことだ。……しかし、これよりは(いくさ)となる。奇襲、裏切り、間者はもちろん(たみ)を盾にすることも、敵は平気でやるだろう。そのとき、シロウはどのようにするのかを……」

 「それは……」

 

 犠牲がゼロの戦争というのは、外交的解決によって二国間あるいは対立陣営同時が折り合いをつけることだ。外交が破綻し、軍事活動という次の“交渉”へ進んだ段階で、流血は避けられない。聖杯戦争に参加するということは、既に殺し合いが始まってしまっていることを意味する。

 部屋の扉が叩かれた。幽鬼のようなげっそりとした顔をした遠坂凛が扉から顔を覗かせていた。

 

 「お仲がよろしくて結構ですこと。こっちはねえ衛宮くん。ぴくりとも動かないあなたのために使い魔はなったりこの屋敷の魔術を調べたりしていたのだけれど?」

 「ご、ごめん! 解析の魔術使ったら気を失っちまったみたいで」

 「どんな解析魔術だったのかしらね。まあいいわ。セイバーという戦力も手に入ったことだし多少のことには目を瞑りましょう。少し寝るから。布団と部屋を借りるわ。必ず起こしなさい」

 

 どうやら凜は昨晩から一睡もせずに動いていたらしく、表情がげっそりとしていた。作業を重視してのことか髪は下ろされていて、羽織りものを引っ掛けている。

 士郎の視線が時計に滑る。今日は休日ではない。つまり―――。

 

 「朝の準備しないとまずい!!」

 

 朝の支度。朝食。その他もろもろ。何一つやっていないのに学園に行く時間が近づいてきていた。

 士郎はつい今しがた学園一の美人が立っていたあたりを凝視して静止した。

 

 「え……遠坂………え?」

 「こほん。遠坂凛は我らと同盟を結び一時ここを拠点として使えるかどうかの調査を行っていたのだ。夜通しの調査故に、ここに泊まったのだ。幸い部屋はたくさんあったのでな」

 「なるほど……じゃなくて朝食作んないとまずい! アルトリア料理ってできるのか!」

 「丸焼きと塩焼きのレパートリーなら負けぬ。内臓の処理は任せよ」

 

 騎士がふふんと得意げに胸を反らした。

 

 「うわああああ!」

 

 士郎は寝巻き姿のまま部屋を飛び出した。

 

 ▲ ▽ ▲ ▽

 

 

 『承知仕った。致し方なかろう。本来であれば主より受け賜りし鎧は脱ぐべきではないのだろうが、この世界では異装束であり目立つ。我が主(マイロード)と、民の安全を守るためだからな」

 

 騎士は凛の想定よりも柔軟な人間性をしていた。

 とにかく目立つのだ、騎士は。アーチャーにせよセイバーにせよ鎧をまとっている。現代において鎧をまとっている人間など礼式を重視した王宮や宗教施設の人間くらいなものだ。そこで聞いたのだ、服を変えることは可能かと。騎士はあっさり承諾したのだった。無論、霊体化すればいいだろうが、日常の警護から世話までやるのだといい始める騎士の要望を叶えるにはそうするのが一番と考えたのだった。

 アーサー王―――……の平行世界のひとつの可能性。戦力として使えることは明らかだった。セイバーを前衛に、後衛をアーチャーが担う。いざとなればセイバーを犠牲にして撤退することもできる。魔術師としてはそれが正解であって、

 

 「したくないなあ……」

 

 できるならば犠牲はゼロでありたい、という一般的な感性。ため息を吐くと衛宮邸の一室に敷かれた布団の中で目を閉じる。制服やら着替えやらは持ってきている。学校に行く前までのひと時を眠っても罰は当たらないだろうと思った。

 明日やること。準備。戦争。参加者が増えたことをあのいけ好かない男に報告しに行くこと。偵察。その他。

 

 「ごっはーんごっはーんおいしいごっはーん!!!」

 

 虎だ、虎が来た。呼んでもないのに屏風から勝手に出てくる系の虎だ。一休が苦笑いするような虎だ。

 凛はああそういえば学園の英語教師と衛宮くんは義理のきょうだい関係にあるとかないとか聞いたような気がするなと思いつつ、我慢せず目を閉じた。

 

 「うっひゃああああああああ! しろーが女の子連れ込んでるぅぅぅぅ!!!」

 

 ……眠れる、だろうか。

 鼓膜を劈く大音響が屋敷を轟かした。




アルトリアさんの優先事項は士郎と民間人の保護なので鎧を脱げと言われたら脱いじゃいます。ゴーなんかは脱がないでしょうけど。
現代を知ろう→新聞を読もう となる程度には順応中。
コミュ障なとこもあるのでキアランに口ではまったくかなわなかった感じ。王って器じゃない性格。聖杯問答とか『知らん。それは私ではなくマイロードが考えることである』とか言っちゃう。

士郎が気絶しちゃったせいで時系列が多少変動中。

料理は一応できる設定。
ただし丸焼き塩焼き蛇やらイノシシやら薬草やらの調理法しかも包丁と素手と塩を使った荒っぽいやつ。

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