剣と魔術とライフルと   作:あききし

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第百四十九話

 

第百四十九話 冬の日の暖かな昼食

 

 

 領内放送設備を出た時には、昼を少し回っていた。

 

建物の正面玄関を抜けた瞬間、乾いた冬の空気が頬へ触れる。

 

先ほどまで吸音材に囲まれた静かな廊下にいたせいか、遠くを走る車両の低い機関音や、荷を積み下ろす金属音が妙に鮮明に聞こえた。

 

アメリアは外套の襟元を整えながら、車寄せに待機している車両へ視線を向けた。

 

「この後でございますが」

「ええ」

「昼食を挟みまして、十三時三十分より海兵隊軍病院へ移動いたします」

 

ハルゼーが扉を開きエスコートしながら、予定を告げる。

 

アメリアが車内へ乗り込む。

 

扉が閉じると外の風と音が、厚い装甲の向こうへ切り離された。

ハルゼーが、向かいの座席へ腰を下ろしながら、手元の薄い手帳を開いた。

 

「昼食は?」

「本邸へお戻りになる場合は、すでに厨房へ連絡が入っております」

「戻らない場合は?」

「車内用の軽食もございます。また、軍病院内の来賓食堂を使用することも可能です」

「……随分と選べるのね」

「予定変更に対応できるようにしておりますので」

 

運転手が前方から確認を求める。

 

「本邸へ戻られますか?」

 

アメリアはすぐには答えなかった。

 

窓の外へ視線を向ける。

 

車両はすでに放送設備の敷地を離れ、午前中にも通った幹線道路へ合流していた。

 

昼時だからだろう。

朝とは、人の流れが少し違う。

工場の門からまとまって出てくる作業服姿の男女。

 

道路脇へ停車する配送車。制服の上へ外套を羽織った兵士。白衣らしき服を着た者。

 

誰も急いではいない。

 

だが、同じ方向へ歩いている者が、妙に多かった。

 

「……ミス・ハルゼー」

「はい」

「あれは何?」

 

アメリアが窓硝子越しに指を向ける。

 

道路の少し先。

装飾らしい装飾のない、横に長い三階建ての白い建物。

 

正面には大きな硝子扉。

 

その上に、簡素な文字だけの看板が掲げられている。

 

人が次々と中へ吸い込まれていった。

 

作業服。兵士。事務員らしい女。荷役作業員。肩から鞄を提げた若者。

身なりに統一感がない。

 

「あちらは『ペギー・スー・ダイナー』でございます」

 

ハルゼーは手帳から顔を上げ、窓の外を一瞥して答えた。

 

「民間の大衆向け簡易食堂、いわゆるダイナーと呼ばれる業態の店舗でございます」

 

「ペギー・スー?あまり、聞かない類の店名ね」

 

アメリアの眉が寄る。

 

「そうですね。近年は多様な業態が増えていますので」

 

「あんな雑多な者たちが、同じ店へ入っていくの?」

 

アメリアは目を細めた。

王都ならあり得ない光景だった。油と泥にまみれた荷役夫が入る店に、小奇麗な格好の事務員や士官が足を踏み入れることなど、格式が許さない。

 

「はい。利用資格に身分の規定はございません。代金を支払い、規則を守る者であれば誰でも利用可能です。周辺の工場、倉庫、行政施設、軍関係者などが主に利用しております」

 

アメリアは建物を目で追った。

 

その間にも、一台の大型配送車が裏手へ入り込んでいく。

脇には、蓋付きの大きな金属容器が幾つも積まれていた。

 

「……止めて」

 

ハルゼーの目が手帳から上がった。

 

「はい?」

「そこにするわ」

 

一秒。

 

本当に、一秒だけ。

ハルゼーの表情が止まった。

 

「ダイナーで、でございますか」

「ええ」

「視察予定には含まれておりませんが」

「貴女達が用意した豪奢な料理で、胃をもたれさせる気はないの。それに――」

 

アメリアは薄く口角を上げた。

 

「案内用の綺麗な施設ではなく、領民が何を食わされているのか、この目で確かめたいもの。問題でも?」

 

挑発だった。

 

だが、ハルゼーは表情一つ変えなかった。

 

「いえ」

 

手帳をパチンと閉じ、膝の上へ置く。

 

「問題ございません。同店は領内公衆衛生基準【優良A】の認定店舗です。民間店ではございますが、警護上の懸念もございません」

 

ハルゼーは即座に前席へ視線を向け、運転手へ短く告げる。 

 

「右手の停車枠へ。第二手順でアプローチ」

「コピー」

 

車両が滑らかに減速し、店の前の舗装路の白線内へぴたりと収まった。

 

アメリアは小さく鼻を鳴らした。

 

「……本当に、可愛げのないこと」

「光栄でございます。お足元にご注意を」

 

 

 

・・・・・・

・・・

 

 

 

ハルゼーが先に車外へ降り、外側から重い防弾扉を開いた。

 

アメリアが裾を汚さぬよう靴を伸ばすと、靴底がアスファルトを硬く叩く。

 

先ほどまでの車内の静寂とは打って変わり、耳朶を打つのは排気音と、建物の壁に穿たれた金属の口から吹き出す猛烈な熱気だった。

 

香ばしいというよりは、暴力的な匂いだった。

 

鉄板で肉の脂が焼け焦げる煙。揚げ油の匂い。甘ったるい赤いソースと、鼻の奥を刺す酢の刺激。それに、床でも洗ったのだろうか、妙に清潔でつんとする薬品臭まで混じっている。

 

それらすべてが冷たい冬風の中で入り乱れ、容赦なく鼻腔へ押し寄せてきた。

 

「……随分と、主張の激しい匂いね」

 

「店内は強制換気が機能しておりますので、煙が滞留することはございません」

 

ハルゼーは平然とした声で返し、硝子扉へ手をかけた。

 

ドアの上部に取り付けられた小さな真鍮の鐘が、カラン、と甲高い音を立てる。

 

一歩足を踏み入れた瞬間、アメリアの足がわずかに止まった。

 

暖かい。

 

暖炉のそばに寄ったときのような柔らかな暖かさではない。室内全体が、どこに立っていても同じ温度になるよう、力任せに温められている。

 

だが、彼女の目を真っ先に奪ったのは、室内の「明るさ」だった。

 

王都の高級料理店が好むような、陰影を美しく見せるための蝋燭や魔導灯の柔らかな薄暗がりは微塵もない。

 

天井には細長い白い管が何本も整然と並び、その内側から白々しい光を吐き出していた。

 

炎が見えない。

 

煤もない。

 

にもかかわらず、真昼のような光が頭上から容赦なく降り注ぎ、部屋の隅々から影を追い払っている。

 

アメリアはほんの少しだけ目を細めた。

 

そして、目に入るものの何もかもが、妙だった。

使い込まれた重厚なマホガニーの壁もない。

足音を吸い込む毛足の長い絨毯もない。

 

床は白と黒の四角い板を交互に敷き詰めたような模様で、濡れているのかと思うほどつるりと磨かれていた。

 

細長く伸びたカウンターの縁や、床に固定された丸椅子の脚は、銀器とはまた違う冷たい光を放っている。

 

磨いた銀ほど柔らかな輝きではない。

もっと硬く、均質で、どこを見ても同じ光り方をしていた。

 

壁際に並ぶ長椅子も奇妙だった。

 

鮮やかな赤色。

革に似ているが、革ではない。

表面は妙に滑らかで、艶があり、水を零しても染み込みそうにない。

 

「いらっしゃい!空いてるボックスへどうぞー!」

 

けたたましい皿のぶつかる音の向こうから、威勢のいい女の声が飛んできた。

 

白い木綿のエプロンをつけた給仕の女が、片手に大きな硝子の水差しをぶら下げたまま、手近な空席を顎で指している。

 

会釈も無ければ、外套を預かろうと寄ってくる者もいない。

椅子を引く者すらいなかった。

 

アメリアは眉をひそめた。

 

周囲を見渡せば、隣の席では肩幅の広い工員が煤のついた作業着のまま背を丸め、何かを猛烈な勢いで咀嚼している。

 

その向こうでは襟元を緩めた若い事務員が紙束を広げ、片手で食事をしながら目を走らせていた。

 

斜め前の席には兵士らしき制服の男たちが足を投げ出し、笑いながら丸いパンに挟まれた肉へ齧りついている。

 

身分の差も、職種の境界もない。

少なくとも、席には。

 

彼らはアメリアの上等な仕立ての外套や、その傍らに控える二人へ一瞬だけ目を向けた。

 

だが、それだけだった。

 

すぐに興味を失ったように、自分の皿へ視線を戻してしまう。

 

恐れも、卑屈な笑みもない。

かといって、無礼な値踏みをするでもない。

 

まるで、飯を食いに来た人間が増えただけだ、とでもいうように。

 

「こちらへ」

 

ハルゼーに促され、アメリアは赤い長椅子へ腰を下ろした。

 

座面は硬く、上等なソファのように身体を受け止めることもなく、押し返してくるような妙な弾力がある。

身じろぎすると、衣服の下で、きゅ、と小さな音がした。

 

座り心地よりも、汚れないことを優先した椅子。

そんなものが存在すること自体、アメリアには少し奇妙に思えた。

 

テーブルの上には、飾りらしい飾りが一切なかった。

 

厚手の紙がぎっしり詰まった銀色の箱。

透明な筒に入った赤と黄色の調味料。

 

そして、一枚の献立表。

 

アメリアは指先でそれを取り上げた。

 

革張りでもなければ、紙を綴じた冊子でもない。

厚紙の両面を、硝子でも薄い蝋板でもない、透明で硬い何かがぴたりと覆っている。

水を零しても染み込まないのだろう。

 

そこには優雅な料理名も、料理人の署名もなかった。

色鮮やかな絵とともに、大きな番号と短い名前が並んでいる。

 

『No.1 コンボ・バーガー

パティ、ハーフポンド、ピクルス、ガロニ添え』

 

『No.2 ホームスタイル・ミートローフ

マッシュポテト、グレイビー、温野菜添え』

 

『No.4 クラブハウス・サンドイッチ』

 

『本日のスープ クラムチャウダー』

 

その隅には、細かな活字がびっしりと並んでいた。

表紙にある、コラボレーションという文字は無視した。

 

何かの成分表らしい数字。

食材についての注意書き。

それから、領内衛生局の印章と番号。

 

料理の献立というより、軍の支給品か工房の製品札のようだった。

 

「注文はお決まりですか」

 

いつの間にか、先ほどの給仕がテーブルの脇に立っていた。

 

胸元には『ベティ』と刻まれた、小さく光沢のある名札。

手には手のひらほどの伝票と、短い書き物が握られている。

 

「……ミス・ハルゼー。何が出てくるのかしら、これは」

 

「無難なところでしたら、ミートローフとクラムチャウダーをお勧めいたします」

 

「手で食べるものではないでしょうね」

 

「ナイフとフォークをご使用いただけます」

 

アメリアは一拍置いた。

 

「では、それを」

 

「私はコンボ・バーガーを」

 

「ミートローフひとつ、バーガーひとつ、チャウダーふたつね! 飲み物は?」

 

「コーヒーを。二つ」

 

「そっちのお姉さんは? 食べないの?」

 

「私は結構でございます」

「昼抜き?」

「勤務中ですので」

 

「そう? でも昼時でしょ。座るならそこ空いてるよ」

 

「……座りなさい」

「よろしいので?」

「ここで一人だけ立っていられる方が落ち着かないわ」

「承知いたしました」

 

ルイーゼはアメリアの隣へ腰を下ろした。

それを見ても、店内の誰一人として振り返らなかった。

 

給仕は淀みない手つきで伝票に鉛筆を走らせると、びりり、と音を立てて一枚を引きちぎった。

 

そして、手元に持っていた厚手の白い陶器の杯を、事も無げにテーブルへ置いた。

 

ガチャン、と粗野な硬い音が響く。

 

アメリアの肩がほんのわずかに跳ねた。

 

だが女は気にも留めない。

 

大きな硝子の器を傾け、湯気を立てる黒褐色の液体をなみなみと注ぎ入れる。

 

茶葉の香りではない。

 

焼き過ぎた穀物にも似た、強い苦味を予感させる香りが立ち上った。

 

「はいどうぞ。お代わりは呼んでね」

 

給仕は伝票を挟んだ薄い金属板を、テーブルの端にある番号立てへ差し込むと、厨房へ向かって大声で叫んだ。

 

「六番、ツーとワン、チャウダーふたつ!」

 

厨房の奥から「あいよ!」と短い返事が飛ぶ。

 

直後、どこかで鐘がチリンと鳴った。

 

アメリアは目の前に置かれた杯を凝視した。

取っ手は太く、縁も分厚い。

 

薄氷のような磁器とは似ても似つかない。

繊細さというものを最初から求めていない形だった。

落としても簡単には割れないのではないか。

 

そう思わせるほど、無骨で、重そうだった。

 

「……随分と、乱暴な扱いね。客への敬意というものを教える人間はいないの?」

 

「この店舗の給仕に求められているのは、格式ではなく速度と正確性でございます」

 

ハルゼーは平然と杯を持ち上げ、口をつけた。

 

「客の平均滞在時間は二十二分。昼の繁忙時間帯において、注文から料理の提供までは四分以内と規定されております。不要な礼式を省くことで、限られた昼休みに多数の人員へ温かい食事を供給できます」

 

「四分?」

 

アメリアは眉を寄せた。

 

「そんな短時間で、肉を焼いて、芋を揚げて、スープを煮るというの?」

 

「すべてを注文後に始めるわけではございません。下拵え、分量、加熱時間、器具の配置まで規格化されております」

 

「料理まで規格で作るのね」

 

「味を一定に保つためには有効です」

 

ハルゼーが言い終えるか終えないかのうちに、厨房の方からチリンと再び鐘が鳴った。

 

「六番、チャウダー上がったよ!」

 

早すぎる。

 

アメリアが呆気に取られている間に、先ほどの給仕が白い丸皿を二つ運んできた。

 

陶器に見えたが、テーブルへ置かれた音が妙に軽い。縁を見ても欠けひとつない。

 

「お待たせ。冷めないうちにどうぞ」

 

皿には、どろりとした白いスープが満たされていた。

脇には、小さく乾いた焼き菓子のようなものが数枚添えられている。

 

給仕は笑うと、すぐに背を向け、別の席の空いた皿を下げに向かった。

 

「……これが?」

 

「クラムチャウダーです。貝類と塩漬け豚肉、根菜を乳で煮込んだ料理です」

 

アメリアは銀色の箱から紙を一枚引き抜き、添えられていた簡素な金属の匙を軽く拭った。

 

スープに匙を入れる。

 

重い。

 

澄んだスープとはまるで違う。

乳と粉でも混ぜたのか、匙へまとわりつくような濃さがある。

 

一口、口へ運ぶ。

 

――濃い。

 

王都の宮廷料理人が作る、肉や香味野菜の出汁を何層にも重ねた澄んだコンソメとはまるで違った。

 

貝の旨味。塩気の強い肉の脂。乳の甘み。

それらが整然と並ぶのではなく、一度に舌へ押し寄せてくる。

繊細さなど欠片もない。

 

だが、冬風で冷え切っていた胃の腑へ、熱と塩気が真っ直ぐ落ちていく。

 

身体の内側から、急に火を熾されたようだった。

 

「……品がない。塩が強すぎる」

 

「午後に肉体労働を行う者、長時間の事務作業を行う者には、一定量の塩分と熱量が必要です。領内の労働衛生基準に基づき、この店では一食あたりの栄養量も定められております」

 

「健康のため、という顔をして」

 

アメリアは匙を置かずに言った。

 

「結局は、午後もきちんと働かせるための食事でしょう」

 

「結果として、双方の利害は一致しております」

 

ハルゼーは表情を変えずにスープを口へ運ぶ。

 

そこへ、真打ちが運ばれてきた。

 

「はい、ミートローフとコンボ・バーガー、お待ち!」

 

どさり、と音がした。

 

アメリアの前には、厚い白皿。

ハルゼーの前には、赤と白の模様をした油紙を敷いた、籠のような浅い器が置かれた。

 

アメリアはまず、自分の皿を見た。

 

焦げ茶色の肉の塊が、厚く二切れ。

その上から、艶のある褐色のソースが惜しげもなくかけられている。

脇には、山のように盛られた潰し芋。緑色の豆と人参。

 

そしてナイフとフォーク。

 

アメリアは、ほんのわずかに安堵した。

 

「……少なくとも、こちらは文明的ではあるわね」

 

「お好みに合わせました」

 

ハルゼーは平然と答えた。

 

「……あれを勧めなかった理由は?」

「伯爵夫人に手掴みの食事を勧めるほど、私は無謀ではございません」

 

そこでアメリアは、向かいに置かれたものへ目を向けた。

 

丸いパン。

 

その間からは、厚い肉と、黄色く溶けた何かと、炒めた玉ねぎがはみ出している。

 

脇には揚げた芋が山盛り。

 

そして、こちらには。

 

ナイフもフォークもない。

 

「……ミス・ハルゼー」

 

「はい」

 

「貴女、それをどうやって食べるつもり?」

 

「こちらの紙で包み、両手で」

 

ハルゼーは何のためらいもなく、油紙ごとそれを持ち上げた。

 

アメリアの眉間に深い皺が寄る。

 

「……手で?」

 

「はい」

 

「肉料理を?」

 

「はい」

 

言うが早いか、ハルゼーはそのまま一口齧った。

 

パンが軽く潰れ、肉汁とソースが紙の内側へ滲む。

 

アメリアは思わず黙った。

貴族の晩餐でそんな真似をすれば、幼児か野蛮人として扱われる。

場合によっては、それだけでしばらく噂の種になるだろう。

 

だが、周囲を見渡せば、誰もが同じように丸いパンを両手で掴んでいる。

 

大口を開けて齧りつき、口の端にソースがつけば卓上の紙で拭う。

 

それだけだった。

 

誰も恥じていない。誰も咎めない。

そもそも、そんなことを気にしている者がいない。

 

アメリアは呆れたように息を吐き、自分の皿へ視線を戻した。

 

ナイフを入れると、肉は思ったより柔らかかった。

切り口から、細かな挽肉と玉ねぎが覗く。

一口分を切り取り、褐色のソースを絡めて口へ運んだ。

 

「……」

 

まず、肉だった。

上等な肉を一枚焼いたものとは違う。

 

細かく刻まれた肉を練り合わせ、再び一つの塊へ戻している。

口に入れれば簡単に崩れ、その隙間へ濃い肉汁とソースが入り込んでくる。

 

柔らかい。

妙に柔らかい。

老いた者でも、子供でも食べられそうなほどに。

 

だが、味は軽くない。

肉の脂。炒めた玉ねぎの甘み。香ばしく焼けた表面。

そこへ、濃い褐色のソースが覆い被さってくる。

 

アメリアはわずかに眉を寄せた。

 

「これも濃いわね」

 

「主食と一緒に召し上がることを前提としております」

 

促されるまま、潰した芋を少し取り、肉と一緒に口へ運んだ。

 

今度は、ちょうどよかった。

滑らかな芋が脂と塩気を受け止め、重さを和らげる。

 

「……なるほど」

 

思わず、小さく漏れた。

 

料理として繊細ではない。

一口ごとに驚きを仕込んでいるわけでもない。

だが、考えなくても食べられる。

 

肉を切り芋を添える。ソースを絡め、口へ運ぶ。

それだけで、味の強さも量も、妙に収まりがよかった。

 

「最初から、こうやって一緒に食べるよう作ってあるのね」

「はい」

「肉だけでも。芋だけでもなく」

「一皿全体で一食として成立するよう設計されています」

 

設計。

料理について使うには、ひどく似つかわしくない言葉だった。

 

アメリアはもう一度、肉へナイフを入れた。

 

切るたび、ほとんど同じ厚み。崩れ方も同じ。

隣の席へ運ばれた皿を見れば、盛り付けまでよく似ている。

 

「これも、毎回同じ味なの?」

「原則として」

「料理人が変わっても?」

「原則として」

「店が変わっても?」

「同じ系列であれば、大きくは変わりません」

 

アメリアは手を止めた。

隣ではルイーゼが背筋を伸ばし、膝の上に両手を重ねたまま、静かに控えていた。その視線の先は追わないことにした。

 

「……料理まで?」

 

「料理だからこそ、でございます」

 

ハルゼーはバーガーを紙越しに持ったまま答えた。

 

「客が昨日食べたものを今日も求めた際、別のものが出てくる方が問題です」

 

アメリアは何も言わなかった。

そんな考え方で料理を見る者を、王都ではほとんど知らない。

 

料理人とは腕を競うものだ。

同じ料理でも、店ごとに違いがある。

季節で変わり、素材で変わり、その日の火加減でも変わる。

 

それを、変わらないことに価値があると言う。

 

アメリアは肉をもう一口食べた。

 

確かに先ほどより、味を知っている分だけ食べやすい。

次に何が来るか分かる。

だから、何も考えずに口へ運べる。

 

「……悪くないわ」

 

アメリアは肉を飲み込み、紙で口元を押さえながら、どこか悔しそうに呟いた。

 

「もっと酷いものを、安いというだけで食べさせられているのかと思っていたけれど」

 

もう一度、皿を見る。

 

どれも華やかではない。

けれど、温かく量もある。

そして、なにより早い。

 

「これなら、文句を言う者も少ないでしょうね」

 

「領内の穀物サイロおよび食肉加工施設から、規格に適合した食材が毎朝搬入されております。重量、脂肪率、保存温度、加工日時まで統一されていますので、品質のばらつきは小さく、腐敗事故も抑制できます」

 

アメリアは、皿の上の肉へ視線を落とした。

 

「肉にまで、決められた形があるのね」

 

厚さも、幅も、二切れの大きさまで、妙に揃っている。

隣の卓へ運ばれていく皿も、そのまた向こうも、ほとんど同じだった。

 

料理人が一皿ずつ仕上げているというより、同じものが、次々と送り出されている。

 

そんな印象だった。

 

「この価格、この提供速度、この熱量を同時に満たす店舗は、今や市井の標準となりつつあります」

 

「ええ、そうでしょうね」

 

アメリアはそう答えながら、ふと向かいの籠へ視線を落とした。

 

ハルゼーのバーガーの脇には、細長く揚げられた芋がまだいくらか残っている。

 

「……それ、一ついただくわ」

 

返事を待たず、一本摘まんだ。

 

ハルゼーは何も言わない。

 

アメリアはほんの一瞬、自分が指で食べ物を摘まんでいることに気づいた。

 

だが、今さら戻すのも癪だった。

 

そのまま口へ入れる。

塩が強く、油も多い。そして、妙に後を引く。

 

「……これも品がないわね」

 

「お気に召したようで何よりです」

 

「そうは言っていないわ」

 

安くて、早くて、温かい。ただ、それだけだった。

 

窓の外へ目を向ける。

 

硝子越しに、また新しい客の集団が扉へ向かって歩いてくるのが見えた。

 

作業着。制服。安物の外套。帽子を被った女。

皆、身なりも職も違う。

 

けれど、同じ扉をくぐり、同じ席へ座り、同じものを注文する。

 

誰かに命じられている様子はない。

兵士に追い立てられているわけでもない。

役人に配給券を握らされているわけでもない。

 

自分の足で来て、自分の金を払い、自分で選んだものを食べる。

そして満足して帰っていく。

 

「……皆、喜んでここへ来るわけだわ」

 

アメリアは冷めかけたコーヒーの杯を両手で包んだ。

 

ごつごつした陶器の重み。

 

熱。

 

先ほどまで粗野にしか思えなかったその感触が、いつの間にか掌に馴染んでいる。

 

「誰にも強制されず、自分で金を払って、自分から同じ仕組みの中へ入っていく」

 

しばらく押し黙った。

そして、低く呟く。

 

「……本当に、恐ろしい仕組みを作ること」

 

「お褒めに預かり、光栄でございます」

 

ハルゼーは卓上の伝票を手に取り、手帳の間へ挟み込んだ。

 

その動作には、すでに何千回と繰り返されてきた手続き特有の、流れるような滑らかさがあった。

 

 

アメリアは窓の外へ目を向けたまま、ふと思い出したように訊いた。

 

「……この手の店は、ここだけなの?」

 

「いいえ」

 

ハルゼーは短く答えた。

 

「大通り沿いには、大抵ございます。業態は多少異なりますが、軽食堂、パンと飲み物を主体とする店、麺類を扱う店、持ち帰り専門の店舗などもございます」

 

アメリアの指が止まった。

 

「大抵?」

 

「はい」

 

「つまり、街のあちこちに?」

 

「はい」

 

今度は、明確に眉をひそめた。

 

一軒なら分かる。

 

領主が物珍しい店を作らせた。

あるいは、軍や工場の労働者へ食事を与えるため、試験的に設けた。

そういう話なら理解できる。

 

だが、それが大通りごとにあるという。

 

「……それだけの人手を、どこから持ってきたの?」

 

ハルゼーが顔を上げる。

 

「と、申しますと」

 

「店員よ。料理をする者、給仕する者、皿を洗う者、食材を運ぶ者。これだけじゃないでしょう」

 

アメリアは店内を見回した。

 

「道を走る車にも人がいる。工場にもいる。役所にもいる。商店にもいる。兵士もいる。それなのに畑から麦は出続けている」

 

テーブルの上で、指先が小さく鳴った。

 

「いくらトレンスの麦が王国中を揺るがすほど出回っているとはいえ、この領地の人口から考えればおかしいわ」

 

ハルゼーは黙って聞いている。

 

「普通は逆でしょう」

 

アメリアは続けた。

 

「麦をそれだけ作るなら、人は畑に取られる。羊を増やせば羊飼いが要る。牛を増やせば世話をする者が要る。鉱山を掘れば坑夫が要る。人間は一人しかいないのだから、一つの仕事に使えば、別の仕事には使えない」

 

そこで視線を店内へ戻した。

 

「なのに、ここでは人が余っているように見える」

 

「余ってはおりません」

 

ハルゼーは即座に答えた。

 

「むしろ、恒常的に不足しております」

 

「……不足?」

 

「はい」

 

アメリアは怪訝そうに彼女を見た。

 

「これだけ人を使っておいて?」

 

「これだけ使っているからこそ、でございます」

 

 

壁際のテレビから、聞き覚えのある甲高い声が飛んできた。

 

『DXマジカル☆らいふる! こんぷり〜とセット G & S』

 

きらめく魔法陣のステージ。ポニーテールの少女が基本型の『DXマジカル☆らいふる』を構えている。

 

軽快でキャッチーな音色。

 

アメリアの眉間に、見覚えのある皺が寄った。

 

また、あれだ。

画面を確認するまでもない。

 

 

『もっと遠くの悪者をこらしめたい?どんなミッションも、ぜ〜んぶ自分色にカスタムしちゃお☆』

 

カチッ! カチッ! カチッ!

 

小気味よい何かの結合音が響く。

 

 

「……」

 

アメリアは無視することにした。

隣のルイーゼも、だ。

 

ハルゼーはマグカップを置いて続ける。

 

「農業を始めとする第一次産業では、機械化とオートメーション……失礼、自動化が進んでおります」

 

「じどうか」

 

アメリアが聞き慣れない言葉を繰り返す。

 

 

画面ではパーツがスローモーションで次々と本体へ装着されていく。

 

フラッシュ☆はいだ〜

マズルから眩いピンクの火花が迸る。

 

ポジショニング☆すとっく

カチカチッと6段階に伸縮していく。

 

え〜こっぐ☆サイト

レンズを覗くと、ハート型の精密な集光レティクルが発光。

 

ぺっく☆モジュール

可視光ポインターが前方を照射。

 

 

「人間が行っていた作業の一部、あるいは大半を、機械へ代替させることでございます」

 

 

『任務に合わせてバレルをチェンジ! CQBならエクステンション☆、長距離制圧ならフルレングス☆ばれる!』

 

小さな妖精が笑顔で謳っている。

 

 

アメリアはコーヒーへ口をつけた。

 

聞こえていない。

聞こえていないことにする。

舌を焦がすような苦味だけが、今は救いだった。

 

 

いつの間にか、画面は分割されていた。

画面左には銃身下に巨大な筒を装着する少女。

画面右にはアンダーバレルにポンプアクション式のショットガンを装着する少女。

 

 

「たとえば?」

 

「耕起、播種、施肥、刈り取り、脱穀、選別、乾燥、運搬」

 

 

『広範囲のお邪魔虫には……「こんぷり〜とセットG」!

 きゅ〜てぃ☆ぐれね〜どで、まとめてドッカ〜ン♡』

 

ボフッ……チュドォォォン!

 

左側の画面を埋め尽くすハート型の雲。

 

 

アメリアのこめかみが、わずかに動いた。

 

「……続けて」

 

「はい。灌漑設備の開閉や温度管理についても、一部地域では自動化されております」

 

 

右側にも笑顔で構える少女。

 

『ドアブリーチもおまかせ!

「こんぷり〜とセットS」!

ちゃ〜みんぐ☆しゃっがんで、一瞬でお部屋をクリーンに☆』

 

ガチャッ、バァン!

 

ドアブロックが一撃で粉砕されていた。

 

 

アメリアは数秒黙った。

 

「……それでは、農夫は何をするの?」

「機械を扱います」

「何人で?」

 

 

『オール・アクセサリー、ロック・オン!』

『ミッション・レディ☆ FIRE!』

 

 

「農地の規模によりますが、従来数十人を要した作業を数名で処理する例は珍しくありません」

 

アメリアの表情から、わずかに色が消えた。

 

「数十人が、数人に?」

「はい」

「では、残った者は?」

「他の仕事へ移ります」

 

あまりにも簡単に返ってきた為、アメリアは思わず聞き返した。

 

 

画面からは、急に真面目なトーンで語り始めた。

 

「レールを埋め尽くす重量感。腕力に自信のあるキミに」

 

画面下部のテロップにはハイカラな文字が並ぶ。

 

『DXマジカル☆らいふる! こんぷり〜とセットG / こんぷり〜とセットS』

『※選べる弾薬(4種ダミー)付属!』

 

 

「他の仕事?」

 

「工場、運輸、建設、商業、医療、行政、教育、通信、整備、研究その他です」

 

ハルゼーは指を一本ずつ折ることさえせず、淡々と並べる。

 

「第一次産業で必要とされる労働人口が減少した分、第二次産業、第三次産業へ人口が移動しております」

 

アメリアはナイフを持ったまま固まった。

その内容についてだ。断じて。

 

 

激しい明滅と共に『緊急告知!』と書かれたテロップ。

 

フル装備の『こんぷり〜とセットG』を抱えた少女。

 

遠くから突撃してくる敵の影を見て、慌てて別売りの『マジカル☆ばよねっと』を取り出す。

 

カチャカチャ……スカッ

 

しかし、下部のグレネードランチャーが干渉して銃剣が刺さらない。

 

泣き顔で叫ぶ、少女。

 

『ああっ……! アドオンも〜どをつけたら、ばよねっとがフィックスできないよ〜っ!』

 

 

「……そんなことができるものなの?」

 

アメリアの眉間の皺が、一本増えた。

 

「何がでしょう」

「昨日まで鍬を持っていた農夫に、明日から工場の機械を扱わせるのよ」

「そのままでは困難です」

「でしょうね」

「ですので、教育いたします」

 

今度こそ、アメリアは完全に動きを止めた。

 

 

低音で威圧感のある声が響き、画面に大きな稲妻が奔る。

 

『アドオンも〜どをつけたらフィックスできない。

 ……そんな経験が、誰にでもあるだろう』

 

ドォォォン!

 

効果音と共に暗転、そしてスポットライトが新商品へと移る。

 

 

「教育?」

「はい」

「誰を?」

「希望者を」

「農民を?」

「農民に限りません」

 

ハルゼーは平然としている。

 

「職を移る者、新たな技能を必要とする者、より高度な職種を希望する者に対して、職業学校および各種訓練課程が用意されております」

 

アメリアはしばらく彼女を見つめた。

 

どうやら冗談ではないらしい。

そしてこれは冗談であって欲しかった。

 

「読み書きから?」

「必要であれば」

「計算も?」

「はい」

「機械の扱いも?」

「はい」

「それを、平民に?」

「はい」

 

今度の沈黙は長かった。

それは、咀嚼の時間だ。そして、視線を伏せた。

 

 

妖精が飛びながら、手も触れずに持ち上げ、少女に渡していた。

 

『まずるに、そのままカチッとはめるだけ!

 アンダーレールがふさがっていても、問題なし☆』

 

少女は涙を拭い、覚悟を決めた目つきで構えた。

 

『装填よし! らぶりぃ☆ふぁいあで一気に飛ばすよ!』

 

バシューーーーッ!!

 

玩具の音声ギミック。

 

『インパクトナウ!!』

 

ドガァァァァァン!!

 

再び、真面目な低い声が語り出す。

 

『白兵戦の間合いを保ちつつ、曲射火力をその手に。

 君は、名誉を護れるか』

 

下部には相変わらずのテロップが映っている。

 

『新発売 ソケット☆ぐれね〜ど!』

『※マジカル☆ばよねっととの同時運用が可能です』

 

 

『トレンス☆トイ!』

 

画面はやがて、落ち着いた様子で、天気について語っていた。

 

 

ようやく思考が巡り始める。

 

王都にも職人はいる。徒弟制度もある。商家で算術を教えることもある。

だが、それは家や組合の中で受け継がれるものだ。

 

必要な者を選んで、領地がまとめて教える。

そんな発想そのものがない。

 

「……ずいぶん気前がいいこと」

 

「投資でございますので」

 

「投資?」

 

「教育を受けた者は、より高い生産性を持ち、より高い賃金を得て、より多く納税し、より多く消費いたします」

 

アメリアが顔を上げた。

 

「最後まで金の話なのね」

 

「領政ですので」

 

ハルゼーは当然のように答えた。

 

アメリアは鼻から小さく息を吐いた。

だが、疑問は消えていない。

 

「それでも足りない」

 

「はい」

 

「今、人手不足だと言ったでしょう」

 

「申し上げました」

 

「畑から人を抜いて、工場へ回して、店へ回して、それでも足りない」

 

「はい」

 

「では、どこから増やすの?」

 

ハルゼーは一瞬だけ間を置いた。

 

「増えております」

 

アメリアが目を細める。

 

「何が?」

 

「人口が、でございます」

 

その答えに、彼女は眉を寄せた。

 

「移民?」

 

「それもございます。しかし、それだけではありません」

 

ハルゼーは続けた。

 

「乳幼児死亡率が大幅に低下しております」

 

アメリアの表情がわずかに変わった。

 

「……子供が、死ななくなった?」

 

「以前よりは、はるかに」

 

「なぜ」

 

「清潔な水、下水処理、予防接種、産科医療、乳児栄養、感染症対策。要因は複数ございます」

 

聞き慣れない言葉が混じった。だが、意味だけは分かる。

 

子供が死なない。

 

ただ、それだけのこと。

けれど、その意味するところを考えた瞬間、アメリアは口を閉ざした。

 

「……それでは」

 

ぽつりと呟く。

 

「生まれた子供が、そのまま大人になるのね」

 

「以前より高い確率で」

 

ハルゼーが答えた。

 

「現在は、その世代へ教育を施し、将来の労働人口として育成することも並行しております」

 

「何年かかるの」

「十数年から二十年単位です」

「気の長い話ね」

「領地経営とは本来、その程度の時間軸で考えるものでございます」

 

アメリアは何も言わなかった。

 

目の前の食堂をもう一度見回す。

 

若い給仕。厨房の料理人。作業着の工員。書類を読む事務員。制服姿の兵士。

先ほどまでは、ただ雑然と集まった人間にしか見えなかった。

 

だが今は違った。

 

畑から余った者。学校で教えられた者。工場へ移った者。生き残った子供。

そうしたものが何年も、何十年も積み上がった末に、この一つの店へ流れ込んでいる。

 

「……待ちなさい」

 

アメリアが急に言った。

 

「では、この店そのものは?」

 

「はい?」

 

「人がいる理由は分かったわ」

 

アメリアは卓上を指先で軽く叩いた。

 

「けれど、新しい商売を思いつく人間まで、そんな都合よく増えるの?」

 

ハルゼーはわずかに首を傾けた。

 

「つまり?」

 

「この店よ」

 

アメリアは言った。

 

「料理の作り方を決める。仕入れを決める。店の造りを決める。人の動きを決める。値段を決める。どこへ建てれば客が入るか考える」

 

赤い長椅子へ視線を落とす。

 

「それを、店ごとに一から考えているわけではないでしょう」

 

「お察しの通りです」

 

「やはり」

 

「店舗の設計、厨房機器、調理手順、食材規格、従業員教育、会計方式、仕入れ経路まで、基本形は標準化されております」

 

アメリアの顔が露骨に嫌そうなものになった。

 

「料理屋まで、工場と同じなのね」

「似た部分はございます」

「では、店主はいらないじゃない」

「経営者は必要です」

「何をするの?」

「人員管理、地域需要への対応、収支管理、品質維持などを」

「それ以外は?」

「本部が支援いたします」

 

アメリアは目を瞬いた。

 

「本部?」

 

「複数店舗を統括し、仕入れや宣伝、教育、設備更新などをまとめて行う組織です」

 

「……つまり」

 

彼女はゆっくりと言葉を選んだ。

 

「一度うまくいく店を作れば、そのやり方ごと複製できる?」

 

「概ねその理解で問題ございません」

 

アメリアは黙った。

 

店を増やす。

 

料理人を増やすのではなく、店そのものを増やす。

仕組みごと成功した形を、一つずつ別の町へ持っていく。

 

「それは……」

 

アメリアは途中で言葉を切った。

しばらくして、苦々しそうに続きを口にする。

 

「反則でしょう」

「商取引上の規則には抵触しておりません」

「そういう意味ではない」

 

 

アメリアは、しばらく黙っていた。

 

目の前では、ベティが空になった皿を三枚重ねて運んでいる。

 

厨房では水音が絶えない。蛇口を捻れば水が出る。汚れた皿は運ばれ、洗われ、また次の客の前へ出される。床に零れたものも、布で拭えばすぐに消える。

そして、それらの汚れた水がどこへ行くのかなど、誰も気に留めていない。

 

「……ミス・ハルゼー」

 

「はい」

 

「この店、水を随分使うでしょう」

 

ハルゼーが視線を上げた。

 

「使用量という意味でしたら、はい」

 

「料理だけじゃないわ。皿を洗う。床を洗う。手を洗う。厨房も掃除する」

 

「その通りです」

 

「客がこれだけ入れば、厠だって使う」

 

「はい」

 

アメリアは店内を見回した。

 

席は半分以上埋まっている。

それでも客は入り続けていた。

一人が立てば、別の一人が座る。

 

食べる。飲む。洗う。流す。

 

また次が来る。

その繰り返し。

 

「……これだけの店が、大通りには大抵あるのよね」

「はい」

「工場にも、商店にも、宿舎にも、学校にも、病院にも」

「ございます」

 

アメリアは、そこで言葉を切った。

 

脳裏に、不意に白い板が浮かんだ。

 

王立総合学園の大講堂。

光で描かれた配管図。

導入率。感染症発生率。排水能力。緊急時の余剰容量。

 

かつて、熱病に包まれ王都で死んだ人々。

そして、地下へ埋められようとしていた、あの太すぎる管。

 

――平時の平均値に合わせた設備は、平時にしか役に立ちません。

 

ルーカスの声が蘇る。

 

あの時は理解したつもりだった。

理屈として……数字として……必要な設備なのだと。

 

けれど。

 

アメリアは、厨房から聞こえてくる水音を聞いた。

 

違う。

 

あれは、ただ汚水を流すための管ではない。

 

「……そういうこと」

 

小さく呟いた。

 

「何か?」

 

「学園の地下工事よ」

 

ハルゼーは何も言わなかった。

アメリアは窓の外へ視線を向ける。

 

通りを歩く人々。

 

並ぶ店。集合住宅。遠くに立つ工場の煙突。

どれも、突然現れたものではない。

人が増えたから店ができたのでも、店があるから人が集まっただけでもない。

 

どれほど家を建てても。

 

どれほど工場を作っても。

 

どれほど麦があっても。

 

人々が……生きられない。

 

「下に流せるから……上に積めるのね」

 

ハルゼーの眉が、ほんのわずかに動いた。

アメリアは続けた。

 

「人を」

 

一軒の家ではない。

一つの屋敷でもない。

 

何百。

何千。

何万。

 

同じ場所へ集め、水を入れ、汚れた水を出す。

 

病を減らし、死ぬ子供を減らす。

生き残った子供へ文字と計算を教える。

畑から人を抜き、機械を入れる。

抜いた人間を工場へ送る。

店へ、役所へ、工場へと送る。

 

その人間たちが金を受け取り、昼になれば、こういう店へ入る。

そこでまた別の人間が働く。

 

金が、物が、人が動く。

 

そして。

 

その全部の下に、管がある。

アメリアの指先が、カップの取っ手をゆっくりとなぞった。

 

「……あの男」

 

「侯爵閣下でしょうか」

 

「他に誰がいるの」

 

少し声が低くなった。

 

「学園で、衛生だの、排水能力だの、清掃費だの」

 

一つずつ、吐き捨てるように言う。

 

「随分と細かな話をすると思っていた」

 

「事実ですので」

 

「ええ。事実だった」

 

アメリアは窓の外を見たまま答えた。

 

「でも、あの時の私は、配管の話を聞いていた」

 

そこで、ようやくハルゼーを見る。

 

「あの子は……街の話をしていたのね」

 

ハルゼーは否定しなかった。

 

その沈黙が、答えだった。

 

アメリアは背もたれへ身体を預けた。

赤い座席が、きゅ、と小さく鳴った。

 

「……学園の地下へ一本通す」

 

ぽつりと言う。

 

「たったそれだけに見える」

 

そのために、さらに水が要る。

さらに排水が。さらに道路が。さらに学校が。

 

さらに――……。

 

「……止まらない」

 

その声は、先ほどまでより小さかった。

ハルゼーが静かに答える。

 

「通常、基盤設備とはそのようなものです」

 

「通常?」

 

アメリアが睨む。

 

「あなたたちの通常を、王国全体の通常みたいに言わないでちょうだい」

 

「ですが、いずれそうなるでしょう」

 

まったく悪びれていない。

アメリアは息を吐いた。

 

大講堂で、彼は言った。

 

未知の設備ではない、と。

すでにトレンス領で定着した基盤設備を、学園へ合わせて再設計しているだけだと。

 

あの言葉も、今になって意味が変わった。

 

再設計しているだけ。

 

なるほど。

トレンスにとっては、本当にその程度なのだ。

すでに七万を優に超える家が繋がっている。

 

店も、工場も、街も。

 

その先にある生活すべてが。

 

アメリアは、目の前のバーガーを見た。

 

分厚い肉。揚げた芋。紙。安価な器。乱暴なほど早い給仕。

ほんの少し前までは、それぞれがばらばらの奇妙なものに見えていた。

 

だが、今は違う。全部、繋がっている。

 

一つの仕組みではない。

 

いくつもの仕組みが、互いを支えている。

どれか一つだけを切り離して、王都へ持ち帰ることなどできない。

 

そこで初めて、ほんの少しだけ、背筋に寒いものを感じた。

 

軍隊なら、数えられる。

城壁なら、壊せる。

金なら、奪える。

領地なら、取り上げられる。

 

だが。

 

これは、何を奪えば止まるのだろう。

 

「……本当に」

 

アメリアは冷めたコーヒーを一口飲んだ。

 

苦かった。

 

「恐ろしい領地ね」

 

ハルゼーは少し考えた後、静かに答えた。

 

「生活しやすい土地であるとは、自負しております」

 

「そこが一番恐ろしいと言っているのよ」

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

 

アメリアは窓の外を見たまま、暫く目を閉じていた。

 

 

『あの日……モータ〜す!では火力が足りず、あーてぃらりぃ〜は泥に沈んだ』

 

 

画面からは渋い声が響いている。

嫌な予感がする。

やめておけばいいのに、耳は勝手に拾ってしまう。

 

 

画面は、荒野を疾走する大型キャブオーバー型トラック。ボディは可愛らしいパステルグリーンだが、荷台には凶悪な長身の筒。

 

ガシャン! カチッ!

 

油圧アウトリガーが地面に突き刺さり、車体をジャッキアップしていく。

 

ウィーーン…

 

長大な砲身がゆっくりと仰角を上げる重厚なメカ駆動音。

 

『トラックなら、ピザでも運んでこい』

『かつて、そう笑われた夜があった』

『もう……ピザ屋なんて言わせない!』

 

女児が真剣な眼差しでハンドルを握っている。

 

『ポジション☆セット! ファイア・ミッション受領!』

『てぇぇぇぇぇっ!!』

 

ズガァァァァァン!!

 

画面が激しく揺れ、衝撃波のエフェクトが映し出される。

 

 

小さな妖精が、クルクルと飛びながら、笑顔で映しだされた。

 

『しゅ〜と・あんど・すく〜と☆ 反撃される前につぎの砲位へレッツゴー♪』

 

ピンクの煙を残し、アウトリガーを即座に収納して夕陽に向かって爆走するトラック。

夕暮れの地平線に、遠く離れた目標が吹き飛ぶ光列。

 

再び渋い声が、語り始めた。

 

『運ぶだけじゃない。届けるのは、6.1インチの回答』

 

お決まりのテロップ。

 

『155mm自走榴弾砲☆とらっく 好評配備中!』

 

「……」

 

『インパクト☆ナウ!』

 

 

アメリアは、ゆっくりとハルゼーを見た。

 

「……ミス・ハルゼー」

「はい」

「あれは、何?」

 

ハルゼーがテレビへ目を向ける。

 

「玩具の広告でございますね」

 

アメリアは、しばらく何も言わなかった。

画面では今度は、羽の生えた少女が巨大な空船のような物から身を乗り出していた。

 

『空から届ける、希望と制圧力!』

 

「……玩具?」

「はい」

 

 

『CAS request confirmed☆』

 

 

「子供の?」

「はい」

 

 

『105mm, on the way♡ Danger close! Danger close!』

 

脳に響く明るい声で妖精が、紹介し始めた。

 

『新商品登場。

スーパーDXシリーズ。No.31 

マジカル☆フライングフォートレス♡改

 

~対地支援パーフェクトセット~ 1/16スケール』

 

付属

魔導105mm砲

支援妖精CPちゃん

夜間照準ユニット

きらきら曳光エフェクト

緊急回避フレア

 

『BDA良好♡』

 

 

アメリアは額へ指を当てた。

 

「……よく、こんなものを聞きながら食事ができるわね」

「慣れでございます」

「そこじゃないわ」

 

アメリアは、しばらく無言で画面を見つめていた。

やがて、ゆっくりとハルゼーへ視線を戻す。

 

「……あれ、本当に止めなくていいの?」

 

ハルゼーの表情が、ほんの僅かに曇った。

 

「……止める理由を提示できません」

「理由?」

「関連商品の市場規模が、現在の取引相場換算で百万マルクを優に超えております」

 

アメリアは瞬きをした。

 

「……百万?」

「はい」

「中小規模の商会を、大幅に上回っていると?」

「単一の商品系列としては」

 

アメリアは、もう一度テレビを見た。

画面では、桃色の装甲車が星を撒き散らしながら橋を架けていた。

 

『障害物を突破☆ 橋がないなら架けちゃおう♡ マジカル☆アーマーど♤ぶりっち!』

 

 

「……これが?」

「はい」

「子供向けでしょう?」

 

ハルゼーは一瞬だけ黙った。

その間が、妙に長かった。

 

「……不思議なことに……成人男性層が、購買者のおよそ半数を占めております」

 

アメリアは視線を画面に移した。

 

 

『敵を倒すだけが勝利じゃない! 発見、識別、報告で仲間をサポート☆』

 

 

「……成人男性?」

「はい」

「子供や孫へ買っているのではなく?」

「もちろん、その層も含まれます」

「では残りは……何の……ために?」

 

ハルゼーは、一瞬だけ答えを選ぶように黙った。

 

「……当初、我々は情報収集目的を疑いました」

 

アメリアの目が細くなる。

 

「他領の間者?」

「その可能性も疑いましたが、違いました」

「では?」

「分かりません」

 

即答だった。

 

「本人たちは、遊戯、収集、鑑賞などと申しております。一部では『同好会』や『会員制紳士クラブ』まで形成されておりますが、現在のところ特段の危険性は確認されておりません」

 

アメリアは目を閉じ、冷めたコーヒーへ口をつける。

 

「幸い、現在のところ売上の大半は領内で循環しております。販売と同時に、即完売。関連工房、印刷業、成型業、運送業にも相応の雇用が――」

 

「それ以上は聞きたくないわ」

「賢明かと存じます」

 

 

『派手な車両がいくらあっても、

 俺たちがいなきゃ始まらない。終わらない。

 陽の目を浴びることも、拍手で出迎えられることもない。

 ……それでも、俺たちがやらなきゃいけないんだ』

 

少女が、泥を頬につけたフィギュアを、しっかりと大地に立たせている。

その背後には、ずらりと並ぶ歩兵たちのフィギュア。

 

 『『 名誉! 勇気! 献身! 』』

 

泥臭く野太い合唱が響く。

 

『No man left behind☆ミ』

『Oorah!!』

 

妖精が涙ぐみながら敬礼をしている。

 

『最後の一歩を踏みしめるのは、いつだってブーツを履いたキミたちだ!』

 

 

『新発売1/16スケール マジカル☆いんふぁんとり〜かんぱに〜セット "マリーン・こー☆彡"』

 

セット内容

 

マジカル☆らいふる 141

アドオン☆ぐれね〜ど 6

マジカル☆すないぱ〜 2

マジカル☆ま〜くすまん 4

マジカル☆Sましんがん 4

マジカル☆LAうえぽん 4

マジカル☆AAみさいる 2

マジカル☆Lましんがん 2

ぷりてぃ☆くれいもあ・指向性対人地雷ちゃん 6

FRONT TOWARD ENEMYの文字がピンクで刻印されている。

 

『※対象年齢:戦線の重みを理解できるおともだち』

 

アメリアは、隣の動きを最後まで視界に入れなかった。

 

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