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復讐は何も生まない、というやつがいる。
それは恵まれた場所で、恵まれた環境で、まっとうな育ち方をしたやつのたわごとに違いない、と俺は考えていた。
少なくとも、それを最初に言い出したのは、善意の理不尽さに何かを奪われたことのないやつだ。正義を振りかざして、あるいは大義名分のもとに肥大化する暴力は、なによりもたちが悪い。
俺が犯罪組織の残党を撃ちぬいたのも、教会職員を仕留めたのも、それが理由の一つだった。
もうたくさんだ。
清濁織り交ぜたように見せかけているこんな世界が、俺にはひどく陰湿に見える。
平和を目指して、皆が皆いい子ちゃんで手を繋いでいれば文句はなかっただろう。悪を崇拝し、皆が皆犯罪を犯していれば、文句はなかっただろう。
冷たい錠をかけられてる間、俺はずっとそのことを考えていた。
二十六人。俺が殺した人間の数。
それはそのまま、俺の罪として、そして罰として、死という判決を下される種になった。
さっさと殺してしまえばいいものを、国というのは簡単には死を認めない。
あらゆる手続きをしなければいけないのだ。殺人鬼であれなんであれ、等しく倫理という鎖が誰をも苦しめる。その鎖がようやく断ち切られたのだ、という俺の安堵はしかし、ぬか喜びだった。
電気椅子か首吊り台かを期待していた俺を待っていたのは、がらんとした部屋に飾り気のない机と椅子。
とても、
「座れ」
俺を連れてきた男が冷たく言う。
その後ろには銃を持った男が二人。そのいずれにも、胸には今は無きラステイションの紋章がある。
もちろんこれは大いにおかしいことだ。
パープルシスター以外の女神が行方不明となって以降は、ほとんどの人間がプラネテューヌに移住せざるを得なくなった。もともと他三国の女神を崇拝していた国民たちにはパープルシスターを信仰する義務はないものの、公式の機関はすべてプラネテューヌ教会のもとで機能しているはずだ。
これみよがしに「現女神を信仰していない」と見せてくるのは過激派のテロリストか、それとも犯罪組織の残党かしかいない。
何にしろ、こいつらは俺と話す気はないらしい。顔は正面を向き、こちらを一瞥しようともしない。
コツコツとリズミカルな音が聞こえてきた。女の足音だ。こちらに近づき、一瞬止まったかと思うと扉が開く。
「やあ」
たった一言の挨拶。
銀髪の女性が入ってきた。一見子どもにも見えるが、黒いスーツはなぜだかしっくりと似合っている。
俺たちはこれが初対面だが、俺は向こうを知っているし、向こうも俺を知っているだろう。
女は机を挟んで椅子に座り、品定めするように対面している俺を見る。
「で、元お偉いさんが俺に何の用だ」
腹の探り合いをするつもりはない。俺は単刀直入に話を促した。
捕えておいて、殺さずにわざわざ話し合いの場を設けたのに、違和感といらつきを覚える。
「自己紹介もなしにそれはないだろう。僕は……」
「
俺は女の話を遮って言う。
女、神宮司ケイは驚きもせずににやりと笑った。その態度が気に入らなくて、俺は舌打ちをして椅子の背にもたれかかる。
ケイは答えの代わりに、ファイルを寄越してきた。表紙には「秘」とだけ書かれている。
それっきり、ファイルを見ろと言わんばかりにケイは動かない。仕方なく、俺はファイルに手を伸ばしてめくる。一ページ目から、俺の顔が載っていた。顔だけじゃなく、俺に関するあらゆる情報が。
「君のことも知ってるよ、ベクター・ソーン。スカル・トーカーと呼んだほうがいいかい?」
誰にも話したことのないものまで載っていることに、俺はさらにいらだちを募らせる。
この女の目的がさらに測れないものになった。
「それで?」
俺のことを知っているからなんだというのだ。脅しでもして何かを吐かせるつもりか。
ファイルを乱暴に机に放り投げ、俺は続きを促す。
「仕事を頼みたい」
「はっ」
俺は自嘲気味に笑った。
昔のような国のお仕事をこなす兵士でもないし、殺し屋でもない。俺はただの殺人鬼だ。
今までの殺しだって、誰に頼まれたわけじゃない。俺がやりたいからやった。
それに関してはこいつだって知っているはずだ。なのに、わざわざ来るとは。
「どうやらファイルを読んでないらしいな」
「そう思うかい?」
「読んでいたなら、俺が傭兵でも殺し屋でもなく、金でも脅しでも大義でも動く人間じゃないって知ってるはずだ」
「リーンボックスの兵士だった君が、それを言うのかい?」
大義。確かに俺はそれを持って戦っていたこともあった。だがこの世界において、個人に宿る意識が、命と同じようにいとも簡単に踏みにじられることはよくあることだ。
もれなくその一人であることは、ケイもよく知っていることだろう。その薄いファイルのうえでは。
「もちろんこれはオフィシャルの任務じゃない。それを君に頼みたいのは、プラネテューヌと犯罪組織両方を相手にする仕事だからだよ」
俺は眉をひそめる。
敵対する二組織の、どちらをも敵にするようなことをしでかそうとしているケイの目は暗く、淀んでいた。罪のないものを手にかけた者の目だ。理不尽な死を受け入れずにいる者の目でもある。
振り切った感情を感じてしまうと、感覚は麻痺する。だが、何をしているかはまだ失っていない。
「断る」
任務の内容も聞かずに俺は首を横に振った。
どんな報酬があるにせよ、俺には関係ない。俺はどこかの組織の犬になるつもりはない。
世界に見捨てられ、世界を捨てた俺がいまさらどこかに「属する」なんてのは反吐が出る。
もう話は終わりだ。俺が立とうとしたその瞬間―
「君がこの任務をこなしてくれたら、女神を殺す手段を与えよう」
ケイから放たれた衝撃の一言が、俺の動きを止めた。
「なんだと?」
聞き直す言葉が思わず口から出る。自分のペースになったと見えて、ケイはさらに話をつづける。
「プラネテューヌの女神。これは彼女を殺すための任務でもある」
悔しいことに、俺はその話に引き込まれていた。
ケイは放置されたままのファイルをめくり、こちらに向けた。
「この娘がその鍵だ」
生気の宿っていない目の少女が載っていた。
ナタリア。十一歳。浅黒い肌にくすんだ金髪が、彼女の印象をさらに暗くしていた。
写真だけでもわかる生への執着のなさが気にかかった。というより、意思のなさ。何を考えているかわからないというかは、何も考えていないようなその目は、十一歳の女の子が持つはずのないものだった。
「この子をあるところへ連れて行ってもらいたい。ただそれだけ」
「……」
この女と話す前には微動だにしていなかった心が揺れていた。
女神を殺す。殺せる。その手段が手に入るということに、魅力を感じていた。
正直なところを言えば、喉から手が出るほど欲しいものだ。人間の能力を遥かに超えた女神を相手にするのはほとんど自殺行為なのにもかかわらず、犯罪組織含めその命を狙っている者は少なくない。
俺もその一人だ。だからこそ、それを手に入れなければならないのだ。
パープルシスター以外の女神七人が行方不明になってから数年。
世界は一変した。プラネテューヌ以外の国は、女神がいなくなったことで崩れていき、大陸ほどもあった三つの国は加護を失った。
そのせいで、モンスターの被害はよりいっそう酷くなった。もともとその三国に住んでいた国民たちは、不満を言いながらもプラネテューヌに移住せざるを得なかった。
急激に増えた人口も受け入れ、衣食住も確保したパープルシスターを認め、新しい女神として信仰を仰いだ新国民たちだったが、その全員を納得させることはできなかった。
理由は大別して二つ。
一つ、その人間が犯罪組織の残党であること。
女神たちが行方知れずになる前、「マジェコンヌ」という犯罪組織が台頭していた。そのときほど、混沌とした時代はなかっただろう。モラルや倫理といったものは全くなかったといっていい。
子どもだけでなく、その親でさえも犯罪に加担した。ただ楽だからだ。例えばゲームのコピーソフトの配布、使用。映画やアニメを無料で違法視聴といったものが、多く取り上げられた問題だ。
最初は小さいものだったそれが、段々と見境なく膨張していき、大多数の人間が表向きでは女神を憧れの目で見ながらも、悪へと心を染めていった。
楽だから。だからそれまで尽力していた女神を蔑ろにする。
やがて悪への信仰は暴力的なまでに勢いを増し、女神たちを弱めていくこととなった。
その事態を引き起こした犯罪組織は、女神によって壊滅寸前まで追い込まれた。だが、女神の数が激減したことで、その手を逃れられた何人かが、まだ息をひそめて女神の首を狙っている。
もう一つは、女神の熱心な信者であること。
女神が行方不明になった理由としてまことしやかに噂されているのが、現女神が他の女神を皆殺しにしたというものだ。
それを見たという人間がいくらかおり、それは一つの有力な説としていまも世に流れている。
元々女神を崇拝していた信者たちはその噂を信じ、パープルシスターに反旗を翻すことも珍しくなかった。
神宮寺ケイは後者だろう。
復讐。毒のように心を蝕むそれは、しかし今の彼女にとって唯一の原動力だ。たとえ目が、心が死んだとしても、彼女は動き続けるだろう。
骸骨になったとして、彼女はパープルシスターを恨み続けるだろう。
復讐とはそういうものだ。だが、そういうものでいい。たとえ死に近づかせる麻薬だとしても、すがるもののなくなった人間には必要なのだ。
そんなことを考えながら、返された装備一式を眺める。灰色の防弾隠密スーツ、愛用のアサルトライフル、ぼろぼろのコート。
捕まった時に没収されたそれらを、また身に着けることになるとは思いもしなかった。しかも、元教会職員の準トップからの依頼で動くなんて。
「さて、君への依頼をもう一度言うよ」
俺が着替え終わったタイミングで、数人の兵士を連れてケイが入ってくる。
ついて来いと促され、建物の廊下を歩く。蛍光灯は備え付けられているが、光はついていない。殺風景なのは俺が捕らえられていた場所やあの尋問室だけではない。この建物全体に重い空気が澱んでいる。
死と恨みと罪だ。ここがどこなのか、なんとなく察しがついてきた。
「ナタリアを無事、リーンボックスまで届けること。ただそれだけ」
それだけとは言うが、俺に頼むあたり、危険なことには間違いない。途中、モンスターだけではなく、どこからか話を聞きつけた輩が襲ってくるかもしれない。
「リーンボックスの誰に?」
「着けばわかるよ」
別にはぐらかすことでもないだろうに。ケイはにこりとも表情を変えなかった。情報アドバンテージを持っていることを強調したかったのか。単純に知る必要がないからか。どちらにせよ、任務に支障がないならそれでいい。
「肝心のナタリアは?」
出入り口に到達したところで、重々しい鉄の扉をケイが開ける。久しぶりの日差しが目に入り、うっと顔をそらす。しばらくして目が慣れると、外の様子が分かってきた。
といっても、目の前に広がるのは、学校のグラウンドのような、ただの庭だった。そこいらに生えている雑草が、あまり手入れされていないことを伝えてくる。
そして、その周りをぐるり囲むように、鉄の壁がそびえたっていた。
振り返ると、頑丈で冷たい建物が俺を見下ろしていた。
ラステイションの郊外にある刑務所だ。つまり、俺がいた牢屋はわざわざ作られたものじゃなくて、備え付けられたものだった。
やはりと一人で納得する。長年使われてきたこの場は、その用途が変わっても人の負の部分がこびりついている。
「ナタリア、こっちだよ」
ケイに促され、寄ってきたのは、いつの間にかそこにいた少女だった。
写真で見るよりも深い闇を抱えた瞳に、何を考えているのかわからない無表情。まるで人形だ。
粗末な服を身にまとい、リュックを背負っている。
親はどこだ。ケイは何も知らせず、少女に危険な旅をさせるのか?
「ナタリアか、俺はベクター・ソーン」
よろしくという挨拶も、握手もなし。ただ、こいつを送り届けるだけだ。仲良しこよしで旅をしようなんて思っちゃいない。
ナタリアは無言で俺を見つめ、不思議そうに首をかしげる。
今からのことについてはナタリアも知っているはずだ。もっと強いやつが来るとでも思ったか。
「さて紹介もすんだところで、さっそく任務にあたってもらいたいところだが……」
「リーンボックスに届けるだけだろ」
「そうだけど、その前に……武器の準備はいいかい?」
ケイは正面の鉄の壁、今は閉ざされている大きな門を見つめながら言う。
「あそこが開けば、おそらく敵が襲ってくる。ナタリアを狙っている連中さ」
「まずはそれを退けろってことか?」
「話が早くて助かるよ。それに、一度君の実力を見てみたいところだしね」
気に食わない。その程度先に倒してくれていいだろう。おそらく、それほどの戦力もないのではないのだろうか。
どちらにせよ、邪魔をするならどかすまで。
「撃たれたくないなら下がらせろ」
背中にかけたライフルを手に持つ。
ケイは頷くと、武器を構えていた兵士たちを下げ、無線で門を開けるよう指示した。
轟音が鳴り響き、ゆっくりと門が開いていく。それを待ちきれずに、無理やり潜り抜けてやってくる人影が見えた。
距離はまだ遠い。それでもおもいおもいの武器を振り上げているのが見える。その奥から、さらに人数が増える。
犯罪組織の残党はいまだ血気盛んなようだ。
俺は懐から煙草を取り出し、咥えて火をつけた。久々の煙をゆっくり吸い込む。
「おい」
悠長な俺を見て、後ろの兵士が慌てだす。だが、撃つには早い。それに、敵は自信があるのか馬鹿なのか、バットや鉄パイプなど、チンピラレベルの獲物しかない。
数は十五人。たった一人の少女を奪うために、これだけ熱が入るのも気になる。こいつらといい、ケイといい、奇妙だ。
それだけの価値がこの少女にはあるのだろうか。ちらりとナタリアを見て、再び前を向く。
いや、そんなことはどうでもいい。重要なのは、ナタリアをどう届けるかであり、何者かを探ることじゃない。
俺はやっと銃を構え、三発撃つ。
弾丸は吸い込まれるように戦闘の三人の額に命中し、生を奪う。続けて、相手が驚く間も与えずに、次々と引き金を引く。一発ごとに一人。そのすべてが頭にヒットする。あっという間に半分が倒れた。
これがたまらなく嫌だった。同時に、武器として銃を選ぶ理由でもあった。
一発の銃弾が、人の命は尊いなんてのが嘘だと告げる。そして死の感触が伝わってくるわけでもない。
引き金を引く、たったそれだけが相手の全てを奪う。
敵の勢いは止まらず、まだ突っ込んでくる。死は覚悟のうえ、ということだろうか。
だが、覚悟をするのと、実際に死ぬのとは比べ物にならないほどの差がある。道半ばで倒れてしまえば、覚悟もなにもあったものじゃない。
何も、残らなくなるのだ。
最後の一人を撃ち、もう一度煙を吸う。地面に投げ捨てて、火をもみ消す。
銃を背中になおし、振り返ると、兵士たちは驚いて固まっていた。死体が転がっているというのに、ナタリアは無表情のままだったが。
「これで満足か?」
「ああ、いいものを見せてもらったよ」
ケイが笑みをこぼす。
「それじゃ、用意しておけよ。女神を殺す手段とやらを」
「それに関しては問題ないよ。君がナタリアを届けてくれればね」
いやらしく笑うケイを無視して、俺はナタリアを見る。彼女は何も言わず、俺のそばに寄ってくる。
試しに門へ向かって歩き出すと、後ろについてくる。
特に会話もなしに、俺たちは外へ出た。