施設の入り口を見張る。
工場は隠されるように森の中に建てられていて、ばれないまま近くまで寄るのは容易だった。
妙だと感じたのは、その周りには何もいなかったことだ。女神を呼んでおきながら、そして重要人物であるナタリアを捕らえておきながら、人の気配を感じない。
罠のにおいがぷんぷんするが、そこにナタリアがいるなら行くしかない。
監視装置がないことを確認し、すっと近づく。頑丈な金属の扉を開ける。中は最低限の照明だけが点けられ、若干暗い。
やはり人はいない。それほど大きい空間ではない内部を進んでいくなか、おかしさが増していく。ナタリアはいわば、犯罪組織にとっては最終兵器のはずだ。
異様な静寂に包まれながら歩を進める。汗をかいているのがわかる。沈殿した空気が、人がいないことを知らせる。それが余計に心配だった。
ここに誰もいないなら、ナタリアはどうなった。用済みになったのか?
耳に痛いほどの静寂の中、俺以外の足音を察知して、すぐさまそちらへ銃を向ける。
「ベクターさん、私です」
闇からぬっと出てくるように姿を現したその少女は両手を挙げて、危険を与えない意思を見せる。
女神パープルシスターがそこにいた。彼女の身の丈ほどもある大きな剣を背中に差して、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「お前がなぜここに……」
「それは私が訊きたいことです」
互いに視線を相手から離さない。俺は銃口を向けたまま、パープルシスターに答えた。
「俺はナタリアを連れ戻しに来ただけだ」
「本当にそれだけですか」
俺は頷いた。言ったことは目的の一つ、しかも一番の目的だ。本当ならここにいるはずの犯罪組織を皆殺しにするつもりだったが、ここにはいない。
「あなたがここにいることが知られて、ナタリアちゃんがもし……」
「ナタリアに何かするなら、そいつを殺す」
「ベクターさん……あなたは……」
緊張が走った。空気を伝う俺の殺気を感じて、パープルシスターの身体が強張る。
彼女は俺をいさめるように武器を下ろした。
「ナタリアちゃんは私が助けます。だからベクターさんは待っていてください」
「無理だ」
俺は即答した。
「お前を信用できない」
「ナタリアちゃんが犯罪神だからですか?」
「お前がそう思っているからだ」
少女が毒されている。その真実よりも、犯罪神がこの世にいて世界を滅ぼそうとしている事実がこいつらにとっては重大なのだ。
器となっている少女はあくまで二の次。だが俺にとっては何よりも守るべき存在なんだ。
「俺以外にナタリアを任せるつもりはない」
「そこまでして、ナタリアちゃんを助けようとする理由はなんですか?」
「お前ならわかるはずだ、パープルシスター」
以前会ったときとは違い、少しは真実に触れた。幾分かチカに偏った物語ではあるが、起きたことは真実だ。
女神を殺してなお、パープルシスターは戦い続けている。
失ったものに報いるための戦いは、さらに傷を深めていく。人との溝を広げていく。
それでも戦う。
「あなたも誰かを……」
「殺した」
煮えたぎるほどの憎悪が胸をかき乱す。それはまぎれもなく、自分自身に対してだ。
「俺が殺した」
恨み、痛み、過去、復讐、戦い。自分の中に積もり、沈んでいるものに引きずられるままに進む道は、ただ失うだけの人生だ。
そんなものに、俺の周りは汚された。たった一人の絶望が、数多の人間の歴史を断ち切った。両親、妹、教会職員、犯罪組織。
だから、途切れさせた道を続かせていかなければならない。
ときには語り、ときには動き、あらゆる方法でいなくなった人間の存在を伝え、いま在る人へ継いでいく。
その義務が俺には、俺たちにはある。
「分かりました、ベクターさん」
そう言うパープルシスターの目からは、完全に警戒心がなくなっていた。
俺に背中を向けて進む姿は無防備だ。今なら殺せる。俺の手には女神の力を奪う銃弾がある。
だが、すっかり撃つ気は無くなっていた。
警戒しながら進んでいく。二人分の足音だけが反響していた。
やがて一本の通路を見つけた。短いその一本道の奥にはエレベータが待っていた。それにもセキュリティはかけられていない。
たった一つだけあるボタンを押すと、ごうんごうんという音と振動が感じられた。収まると、エレベータのドアが開く。一応銃を構えていたが、予想通り誰も乗っていない。
中のボタンも少なく、「1」と「B1」しかない。B1を押してしばらく待つ。
「私がしたこと、知っているんですね」
沈黙に耐えられなくなったのか、パープルシスターが話しかけてきた。
「チカから聞いた」
隠すことでもないことと思い、正直に話す。
パープルシスターにとってこいつは困った名前らしく、頷くでもなく俯いた。まあ確かに、彼女の複雑な過去を鑑みれば、この反応は当然のものだった。
チカのあの苦々しい表情と言葉は、もちろんパープルシスターにも向けられたはずだ。
その一つの原因である大剣を、俺は指差した。
「その剣か? 魔剣とやらは」
俺が魔剣の存在を知っていることに驚きつつも、彼女は剣を抜いた。
姉と仲間の血を吸った証拠品であるはずのそれを、一番大事なもののように抱きかかえた。
紫色の剣は薄く光っている。
「はい、女神の命を糧に力を増す、呪いの剣です。これがないと、犯罪神には勝てませんでした」
殺して真価を発揮するということは、女神の命を奪った剣であると同時に、女神の命があったことを示す剣でもある。
犯罪神を倒したからといって捨ててしまえば、まるで女神の存在を手放したかのように、ただの剣になってしまう。
ある種の形見。そこに魂がないことは分かっていつつも、命を奪ったことに意味があったと信じたくて、断ち切ることが出来ない。
剣の呪いは最大の役目を終えたいまも、パープルシスターを蝕み続ける。彼女の罪の証明であり続ける。
「そう信じないと、無駄になってしまうんです」
その言葉は到着したエレベータの音にかき乱されたが、はっきりと聞こえた。
それほど大きくない箱に乗り込み、地下へと降りていく。
「チカさんはどうでした?」
「お前のこと、かなり恨んでたぞ」
パープルシスターは乾いた笑いを浮かべた。
「そうでしょうね。チカさんはベールさんのこと大好きでしたから。ケイさんも、ミナさんも、いーすんさんも」
ラステイション、ルウィー、プラネテューヌ、それぞれの教祖は女神の一番近くで補佐する立場にある。それゆえに、彼女たちとの心の距離も近かったはずだ。
特に、犯罪組織に捕らえられ、救われたあとすぐに命を絶たれた彼女たちの絶望は計り知れない。
だが、と俺は思う。
その命を絶って世界を救うという責務を負わされたのは、まぎれもなくパープルシスターなのだ。
世界を安定させる義務があるのが彼女なら、何かを恨む資格があるのも彼女だけだ。
「姉は……パープルハートは最期のとき、どんな顔だった?」
「最期まで笑顔でした。痛いはずなのに、怖いはずなのに、私を安心させようとして、最期まで……」
パープルハートが口をおさえ、嗚咽を漏らす。頭の中には、死んでいった者の笑顔と苦悶の表情と骸が鮮明に刻まれている。
彼女は女神だ。人を導き、救う存在だ。だが、その前に一人の少女なのだ。課せられた責任を背負うには、あまりにも小さく未熟。
それが当たり前だ。戦いなんて無縁のところにいるのが普通なのだ。なのに、人は、世界は、ただ女神だからといってパープルシスターを責め立てる。
必死に戦い抜き、必死に選択し、必死に守ったこの世界が理不尽にも、彼女を追い立てる。
そんな彼女の境遇に、俺の復讐心は薄れていった。
死者に許されることは決してない。
与えられることのない許しを求めて、彼女は進みつづけた。「もういい」と、「よく頑張った」と誰も言ってくれないから。
きっとこれからも誰も言ってくれないだろう。
だが、それでも……
「それでも、お前に救われた人間はいるはずだ」
「ベクターさん……」
パープルシスターが口を開いた瞬間、地下へと着いた。
何事もないまま地下へ降り立ったエレベータが開いた瞬間、すぐさま銃を構える。
ドーム状のがらんとした空間には、上とは違って、設備が整っていた。たくさんのモニターにPC、書類が乱雑に置かれている。だが、それもいまや沈黙を貫いている。
落ちている書類を、踏みざまにちらりと見る。数行の中に、「ナタリア」と「犯罪神」の文字がいくつもあった。
この場所は犯罪神のために作られた施設なのか。これだけの空間と設備は、ただ破壊のために用意されたのか。
いいや、それよりも、ここにいるのは俺たちだけなのか? 女神を呼んでおきながら、誰もいないのは腑に落ちない。まるで、何かから逃げたような……
ドームの頭頂部は、おそらく五十メートルほど。この広い空間の中、一番奥に配置された大きな直方体カプセルへ近づく。SF映画でよく見るような冷凍睡眠用の装置に見える。
「私が見てみます」
「いいや、これがお前への罠なら、俺が見た方が危険は少ない」
単純な爆弾などが女神に効かないことはあっちもわかっているはずだ。何か仕掛けられているとしたら、ナタリアを捕らえてからということを考えると、犯罪神の力を封じ込めた煙とかだろう。
技術と時間があったリーンボックスでさえ、小さな銃弾、たった五発にしか込められなかったのだ。凝ったものを作っている暇はなかったはず。
ここに含まれる矛盾に違和感を抱きながら、カプセルへ向かう。中を覗ける窓に顔を近づけても、何もなかった。中にも何も入っていない。
「問題ない」
パープルシスターに向き直った瞬間、このドームをまるごと覆うような殺気が背筋を上ってきた。
それが色濃く感じられる闇の中へ銃口を向ける。パープルシスターはすでに魔剣を構えていた。
これだけの大きな気を発する相手はいったいどれだけの巨躯なのか。
ぬるりと現れたそれは、しかし大きいどころか俺たちより小さかった。
「ナタリア……?」
褐色の肌、白い服に赤い上着。俺が求めていた人物がそこにいた。
「違う」
ナタリアはどす黒く、低く、ざらついた声で答えた。
地に足がつかないような取り返しのつかなさが、心臓の鼓動を早める。呼吸が荒くなって、無意識の間に拳を握っていた。
誰だ。混乱と焦燥で口が動かせない。
いいや、相手が何かは分かってる。こいつは……こいつは……
「我は犯罪神。犯罪神マジェコンヌだ」