女神様の私室兼執務室を二度ノックする。返事はない。もう二度ノック。やはり返ってこない。耳をそばだてても、音は聞こえなかった。
仕方ない。そろりと扉を開け、一歩中に入る。
「ホワイトハート様」
モダンな机の向こう、椅子に座る小さな少女に話しかけた。しかし扉の向こう側にいたときと同じく、何も返してこないどころか、動かない。
少し近づいて、なぜ返事をしなかったのかわかった。小さな息と、上下する透き通るような白い肩。寝ているのだ。
彼女の傍に使える護衛隊として数年経ったが、彼女の寝顔を見たのは初めてだ。
犯罪組織を抑えようとする彼女の労力は計り知れない。シェアが低下しているいまじゃ、思う通りの力が出せないからなおさらだ。
ルウィーをまとめるホワイトハート様は気配を察したのか、ゆっくりと目を開けた。
「悪いわね。少し疲れてて、眠ってしまったわ」
彼女を雪のようだと感じたことがある。幻想的でありつつ、確かにそこにいる。触れてしまえば消えてしまいそうなか細さ。だけど誰にも平等に彼女は愛を注ぎ、心を温かくする。
「それで、どうしたの?」
見とれている間に、ホワイトハート様はすっかり目を覚めしていた。
次の仕事はリーンボックスとの直接対話。犯罪組織撲滅のための、国のトップによる対談だ。
「明日の会議ですが、私が運転手兼護衛を務めます。出発時間ですが……」
「どーん!」
背中に衝撃が走る。抱き着いてきたのはホワイトハート様の妹、ホワイトシスターラム様だ。その後ろには双子の姉であるロム様もいらっしゃる。
無邪気な性格に幼女と言って差し支えない姿。ホワイトハート様よりも女神には見えない。
「えっと、今はお仕事の話を……」
「ぶー、つまんない! 一緒に遊ぼうよ!」
「リリィさん、一緒に遊ぼ……?」
スーツの袖をぐいぐいと引っ張るラム様に、控えめながらも訴えてくるロム様。
困惑している私に、ホワイトハート様はため息をついたあと口を開いた。
「仕事の話はメールでもいいわ。二人と遊んであげてくれる?」
「は、はい」
振り回されるまま返事をした。
私は双子の女神候補生様に向き直り、しゃがんで目線を合わせる。
「何をしますか?」
「それじゃあね、リリィの真似!」
「私の真似……ですか?」
私の真似をして、楽しいのだろうか? きょとんとしながら私は聞き返した。
「護衛する人と、される人」
ああ、そう言うこと。女神様と護衛ごっこか。となれば……
「それでは、私が護衛いたしましょう」
「それじゃ、いつもと同じじゃない。私が警備の役!」
「私も……」
「じゃ、じゃあ私は……」
「リリィさん、女神の役」
「私がですか!?」
私は驚いた。確かに彼女たちは「私の真似」と言ったけれど、だからといって私が女神? 遊びとはいえ、畏れ多い。
そんな私の思いも知らず、ラム様とロム様は私の手を掴む。
「さあ、いくわよ。我こそは黒天のラムちゃんだぞー!」
「なんですか、その、黒天というのは……」
「他の人たちがそう呼んでたよ?」
「初耳です……」
黒いスーツに身を包む女神の使い。『黒い天使』という二つ名で呼ばれていることを知らないのは、私だけらしい。
そんな名前を付けられていることはとても恥ずかしく思ったが、女神の使いというのは悪くはない。
彼女たちの下で働いていることを認められているような気がして、気分が滅入ることはなかった。
△
寝ようとすれば、昔の夢を見る。
トリックやブレイブ。忌むべき懐かしい名前を聞いて記憶が触発されたのか、女神様がいたころのことが思い出される。
無理やり出ていくつもりはなかったが、どうしても深い眠りにつけなかった。
あの大屋敷にいた五人のことが気になる。マジェコンヌ四天王と同じ名を冠する四人に、それらを束ねる黒い少女。犯罪組織の幹部たちなのは間違いない。その会合に鉢合わせたのは幸いだった。
だけど、一人で相手をするには強すぎる。あのブレイブとかいう奴は素早すぎた。
容赦のなさ。それがやつらと私の違い。
かなり前に百発百中の銃の腕をもつ男と共闘したことがある。彼とブレイブには似たようなものを感じた。敵を絶対に殺そうとする意思。
私は彼らとは違う。絶対に人は殺さない。奴らと一緒になってたまるか。
「ちゃんと眠らなきゃだめですよ」
朝、コンパが朝食を用意してくれている間に顔を洗った。いくらかスッキリしたあとの私を見て、コンパが皿を並べながら言う。
「よくわかったわね」
「目の隈です」
くす、と小さく笑う彼女の顔にも違和感があることに私は気づいた。
「あなたもよ」
そう、コンパの目の下にも深い隈があった。
コンパの心臓が早く脈打った。
彼女もまた、女神の傍にいた人間だ。プラネテューヌのパープルハート様と友達だったと聞く。それだけじゃなく、共に旅をしたとも。私よりも女神様に近い場所にいた彼女はいったい何を見てきたのか。
「眠れないときがあります。あなたのように傷ついた人を見たときは、特に悪い夢を見ますです」
「全てが悪い夢だったらと思うわ」
「でも現実です」
普段のふわふわとした雰囲気からは察せないほど、コンパは大人だ。
成すべきことを成すために努力する。悪夢を見ても、傷ついた人々を放ってはおけない。その根底にあるのは喪失の念か、弔いか。
私の底にあるのは?
マジェコンヌ四天王、プラネテューヌでの作戦、骸の代弁者、犯罪神の復活、剣、鎖、スピーカー、大量の機材、破滅、支配。
朝早くから、あの会合で出たあらゆる言葉を片っ端から調べる。過去から今にかけてのすべての資料を書庫から引っ張り出しては、執務室の机に並べる。
長い歴史を誇るルウィーだけあって、資料の数は膨大だ。気づけば机の上どころか、三百六十度が紙の入った段ボールやらファイルやらで埋め尽くされていた。
「えー……っと、これは何事ですか?」
定刻通りに来たミナ様がこの惨状を見て言う。
情報の整理です、と素っ気なく返事をして資料に目を通す。とはいえ、有益なものはなかった。かつて封印された犯罪神の復活でさえ、時間と犯罪神への崇拝が必要だった。それを無理やり復活させようなんて、無茶すぎる。私には方法が思いつかない。
犯罪組織幹部の話し合い。得るものも多かったが、それを活かせないことに歯がゆい思いをした。
くらりと眩暈がして、背もたれに身体を預ける。夜な夜な戦い続き、昨日は血を出した。そのうえ朝から膨大な情報と睨めっこしてほとんど進展なし。苛立ちと焦燥で心も頭も落ち着かない。
ふう。息を吐いて、天井に目を向ける。
そもそもを考えてみよう。一番の目的が犯罪神の復活なら、運んでいる機材なり何なりは、そのためのもの。そしてその機械の目的地は、犯罪神復活の場。
それが何処にせよ、どこかに届けるはずだった。
「どこに?」
「はい?」
思わず口に出してしまった言葉に、ミナ様が反応する。
「あの機械のパーツとか、何処に届けるつもりだったんだろうって思いまして……」
「捕らえた組織員からは、別のトラックに積む予定だと聞きましたが」
「はい、それまでの運び屋も同じことを。運搬担当者をいくつか経由して、目的地に届けてるようです」
「いやに慎重ですね……でも、どこかには届けるんですよね?」
「はい、どこかには」
「追っていけば、最後には辿り着く……でも、犯罪組織の密輸ルートは一回一回違いますし、街中を見張るには人数が足りませんし……」
「そう、ですね……」
アノネデスからの連絡もない。まだ必要なことを掴めていないのだろう。やはり、「捜査は自分の足で」か。
顔を何度も何度も殴る。血が出ても構わずに殴りつける。肩は痛むが、それよりも苛立ちが身体を突き動かす。
気絶した男を地面に叩きつけ、腰が抜けたもう一人に詰め寄る。胸ぐらを掴んで、頬を思いっきりはたく。
「今夜は何人も痛めつけてきた。お前で何人目かわからないくらいにな」
その男は悲鳴を上げ、じたばたと手足を暴れさせながら助けてくれと叫んだ。人気がまったくない路地の裏、トラックのライトに当てられ、情けない顔が浮かび上がる。
「お前の返答による」
「何でも聞いてくれ!」
しかし、この男が知ってることを吐いたところで、痛めつけないという保証はない。
今夜の襲撃はこれで四度目。それまで血を流させた人間が吐いたのは、次の輸送者が待っている場所だ。
これがずっと続くように思える。殴り、吐かせて、次の場所へ。だが必ず終わりはある。その先に待つのは、この国の平和。
だから、ここで止まるわけにはいかない。
「吐け」
「いいや、吐くのはお前だ」
言ったのは、目の前の男じゃない。剣を構える誰かが私の後ろにいる。その方向を見なくてもブレイブだとわかる。
男を殴り気絶させ、私はブレイブに向き直る。
警棒を両手に持ち、空を跳んだ。平静だったブレイブの心臓が鼓動した。彼は話し合いをしようとしていたようで、剣の振りが遅れた。一撃目は防いだものの、二撃目は肩にいれることができた。さらに姿勢を崩したブレイブを蹴る。
不意打ちに近い形だったが、彼は空中で身体をひねり、すっと着地した。
反撃を許さないように、距離を縮めて武器を振る。合わせてブレイブも刀を薙いだ。静寂が支配する夜のなか、金属音がこだまする。
ブレイブが一歩踏み出し、頭をはねようとする。慌てて上体を逸らし、退く。
「その身体、いくつか斬りつけたはずだが」
どうやら、傷つけたはずの身体を気にしているようだ。昨日の今日でこんなに動けるのは自分でも驚いたが、これで『悪魔』が複数人だと勘違いしてくれれば助かる。
しかし、不意打ちからの追撃にも関わらずあの返し。仕留めるのは難しそうだ。万全でもないこの身体じゃ、このまま戦うのもまずい。
私は両方の警棒の先を飛ばした。片方はブレイブへ、もう片方は建物の屋上の柵へ。
いきなりの飛び道具だったが、彼は弾いた。その隙に警棒の先と柄を繋ぐワイヤーを巻き取り、屋上へと逃げ行く。体重を受けて肩の傷が開く。歯を食いしばりながら屋上へ着地し、下を見る。
仮面越しにじっとこちらを見てくる。たった一人の男に邪魔されたことに憤慨しつつも、私はその場を去ることしかできなかった。