復讐心というのはこの時代では珍しくない。
犯罪組織と女神たちの戦いで、双方ともに多大な犠牲が出たからだ。
しかし、復讐を実行するものはごくわずか。変えることや変わることは本能的に、あるいは理性的に避けたいのが大多数の人間だ。
それでも復讐心は募り、残された人間が癒されることはない。そんな中、犯罪組織も女神側の人間も平等に殺していく者が現れた。
そいつを悪魔と言う者もいれば、英雄だと言う者もいる。
一見すれば無差別の殺人だったが、戦いに巻き込まれ、命を落とした人々を知る者にとっては一種の救いであったのだ。
やがて、誰も顔を知らないその暗殺者は
ナタリアが歩きながら読んでいる雑誌に、そんなことが書かれていた。
ずいぶんと持ち上げられたものだ。
ただの殺人鬼が、象徴のようになっている。
世も末。
閉じ切った人の心はそこまで荒みきっている。だがそれは、犯罪組織の活動が活発だったころとあまり変わらない、と俺は思った。
にしても、ナタリアは雑誌をかなり熱心に読んでいる。途中立ち寄ったコンビニで、彼女が手に取って立ち読みしていたものだが、俺の買い物が終わっても頑として動こうとしないので仕方なく買い与えてしまった。
反応は薄いが、興味津々なのは見てわかる。
「そんなの読んで面白いか?」
「さあ」
ナタリアは首をかしげて、再び読み始める。
受け答えとしてはスッキリしないものだったが、こうしてみると、ただの十一歳の少女である。とても多数の人間に狙われるような奴には思えない。
深いフードを被っているので表情はあまり読み取れないが、どうせ、相変わらずの無表情だろう。
さて、と俺は周りを見渡す。
元ラステイションの中心まで来たが、意外と栄えている。もっと荒れているものかと思ったが、人も大勢いるし、店もそこかしこにある。
街としての機能もそれほど損なわれていないように見受けられた。
これだけの人が残っているとは、ラステイションの女神は相当慕われていたらしい。
宿屋も残っていて助かった。あの刑務所からここまで、元同じ国領内でもかなり遠かったのだ。
早速泊まることに決め、俺たちは一番に見つけた宿にチェックインした。部屋を別々にとり、何かあったらすぐ言え、とナタリアに告げてから部屋に入る。
木造の、えらく質素な宿だが、それが良い。変に高いところへ泊まるより、こっちのほうが落ち着く。背中の銃を壁にたてかけ、ベッドに腰掛ける。
ふと窓から外を見ると、すでに日は落ちていた。
リーンボックスまではまだ遠い。海を越えていかないといけないため、一度プラネテューヌに行ってから船に乗らないといけないのだ。
プラネテューヌの女神は他の国への支援を怠ることはない。、どんな事情があるにせよ、泳いでいかなくて済む。
ともあれ、敵の本拠地であるプラネテューヌに向かうのだ。栄えた街では、質素な格好は逆に目立つ。もう少し旅人らしい服を見繕うべきだろう。俺は上着でごまかせるし、銃だってこの時代は珍しくない。
立ち上がり、部屋を出る。隣の部屋をノック。だが、返事はない。
おかしいと思い、もう一度ノックする。やはり、何も返ってこない。
「お客様?」
不意に声をかけてきたのは、宿の受付だ。
「連れを知らないか?」
「お連れ様、ですか? 十歳くらいの」
「ああ、そうだ」
「でしたら、先ほどお出かけになりましたよ」
「あの馬鹿……」
毒づきながら、俺は出入り口まで駆け出す。
始まって早々、失敗なんてのはごめんだ。
急いで扉を開け、周囲を見渡す。すると、すぐ近くにいた。
ナタリアはぼうっと佇んでいる。言いつけ通り、深くフードを被って、上を見つめていた。
俺はとりあえず安堵し、深く息を吐いた。
「ナタリア」
ナタリアはくるりと振り返った。
「勝手に外に出るんじゃない」
こくりと頷いて、再び空を見上げる。それほど面白いものがあるわけじゃない。ただの夜の空だ。
そんな何もない上空へと顔を向けながら、少しも動かないナタリアを見て、俺の先ほどまでの焦りと怒りは不思議とだんだん収まった。
「何か見えるのか?」
「あれ」
そう言うと、ナタリアは空を指差した。あれとはどれのことだろうか、特別変わったことはない。
「どれだ」
「あの、光ってる、やつ」
ああ、そういうことか。納得して俺もそれを指差す。
「星だ」
「あれが、ほし……」
「知らないのか」
「知ってるけど見たことない」
やはりそうか。ケイにとって、こいつは何よりも秘匿すべき、最重要人物だ。それゆえに、外に出しもしなかったのだろう。
だが、ケイに捕まるまでも見たことはなかったのだろうか。
女神に復讐を願って、キーとなるこいつを捕まえたとしても、せいぜい今から二、三年前。
謎に包まれた少女はなおも空を見続ける。その横顔が、ほんの少しだけ、誰かに似ているような気がした。
「そんなんでいいのか?」
ナタリアがとったのは、何の飾りもない無地の白Tシャツだった。
変装、というか、目立たない服を手に入れるため、朝から服屋に立ち寄ったが、なんとも欲のない注文をしたものだ。
多少は上着で隠せるとはいえ、もっとらしい格好をしたほうがいいだろう。かと言って、いまどきの十一歳の女子のおしゃれなんぞ、俺は知らん。
仕方なく店員を呼んで、合う服を選んでくれと頼む。
十数分後、店員が試着室のカーテンが開くと、清楚な白のワンピースに、赤のカーディガンを羽織ったナタリアが現れた。
まあ、かなりそれっぽいと言える。フードは似合わなくなるが、代わりに帽子でも被らせておけばいい。
「どうだ、ナタリア」
頷く。どれでもいい、というような反応。まあ、いいならいいか。
このまま買って、このまま着ていくことを告げ、金を払っている間に店員から話しかけてくる。
「あのぉ……本当に大丈夫ですか? 妹さん、お気に召していなかったみたいですけど……」
「ん? ……ああ」
ナタリアは店内の服をきょろきょろと見るが、特に興味をもってはいない。見ているだけ。
彼女は俺の妹に見えるだろうか。それ以外の選択肢がない、というのが正しいか。
「表に出ないだけだ。気にしなくていい」
金を払い終え、ついでで買った大きなつばの帽子をナタリアに被せる。
言われるまでもなく、ナタリアは帽子をぐっと深く被りなおした。
「行くぞ」
またも返事をせずに、ナタリアはついてくる。
店を出て、早速国の外へと向かうために歩き出す。
装いも新たになったナタリアだが、全く気にするそぶりも見せず、ナタリアはリュックから雑誌を取り出し、読みだす。
ひどく
だからといって繕うこともしなかった。そんな必要はない。
ラステイションからプラネテューヌに行くためには、山道を抜けなければならない。
女神がいたころは、道は舗装されて定期的なモンスター討伐も行われていたが、今では荒れ果て、自然の状態に戻っている。
とにかく、体力が必要だった。俺たちは山のふもとの林まで来たところで、休息をとることにした。
だが、まともな旅の装備があるわけじゃない。寝袋を下に敷き、腰を下ろすだけしかできない。
ナタリアも疲れたのか、地面に置いたランプをぼうっと見つめている。
今度は動くなよ、と念押しして、俺は少し離れた木にもたれかかり、煙草に火をつける。
山さえ越えれば、あとはプラネテューヌ領内だ。身元さえ気にすれば、脅威はなくなる。
ゆっくりと煙を吐き出し、その行方を目で追う。
頭上では、生い茂った木々の葉が光を遮っていた。おかげで、まだ夜になっていないというのに下は暗い。
この暗さが俺を安心させた。光の下にいるのは嫌いではない。だが、暗殺者として過ごした年月が俺を影の住人にした。
影とて、人間だ。感情の起伏もあれば、ものの好き嫌いもある。それを感じさせないナタリアに、嫌悪にも似た感情を感じずにはいられなかった。
いや、ナタリアに、ではない。彼女をそんな存在にしてしまった何かに、だ。
十一歳が感じるべきもの、知るべきものを封じた何か。親か、ケイか、時代か、あるいはそのすべてか。
不意に何かが聞こえた。
慎重かつ大胆に動く音。
木が風に揺られたのではない。明らかに生きている者が作り出す不自然な音だった。すぐさま身体が警戒態勢に入る。
銃を構えて、身をかがめる。音は移動しているが、出どころはそう遠くない。だが、この方角はまずい。俺がさっきまでいたところに向かっている。つまり……
「ナタリア……」
ぱっと立ち上がり、俺は走り出す。わざと大げさに音を立ててみせるが、あちらは構わずにナタリアの方へ近づいていく。
ランプの光が見えた。どうやら相手よりも速く到達できた。ナタリアの変わらない姿勢を見ても、まだ油断はできなかったが。
光は点けたまま、周りに神経をとがらせる。ナタリアが顔を上げて俺を見るが、構ってられない。
俺たちを囲む影は人のものではなかった。聞こえてくる唸り声が確信させる。まだ完全には暗くなっていないことが勝機だった。
お粗末な犯罪組織や平和ボケしているプラネテューヌ兵士ならまだしも、モンスター相手となれば、暗闇ではひとたまりもない。
アサルトライフルを背中に戻し、取り回ししやすい拳銃を両手に一つずつ、ホルスターから取り出す。
左から、恐ろしい速さで何かが飛び出してきた。反射的に反応し、銃口を向けて発砲する。放たれた銃弾はそれの頭に直撃して倒れ伏させる。
狼だ。ヤマイヌと呼称されるそれらが俺たちを狙っている。闇に溶け込んでいるつもりだろうが、殺気と怒りが位置を知らせてきた。仇とばかりに鋭い牙を突き立ててこようとするヤマイヌたちを、正確に射撃する。
次々と死骸を増やし、全てが片付いたころには、再び静寂が戻った。しかし、いまの光と銃声が新たな敵を呼び出してしまうだろう。
夜にうろうろするのは危険だが、ここに留まるのはもっと危険だ。俺はランプと寝袋をしまい、ナタリアの手を引いた。
「来い!」
一刻も早く林を抜けようと、脚の力を緩めることはない。
静寂が破られた。俺たちの走る音が敵を呼び寄せる。相手も全速力でこちらを追いかけてきている。見えないが、先ほどよりも多くの殺気と足音が感じられる。
女神がいなくなった弊害が、ここにも表れていた。かつては女神の加護とやらがモンスターを人に近寄せなかった。街と街を繋ぐ道もそうで、交流が盛んだったのだ。
今ではそれもなくなり、さすがのパープルシスターも改善することはできなかった。それでも輸送を生業とする者はまだおり、その危険さゆえハイリターンであるが、もちろんハイリスクでもある。
このリスクこそが、ケイが俺を選んだ理由だ。危険を処理できる人間はもう少ない。まさか装備が揃っているプラネテューヌの兵士に頼むわけにもいかない。
手を放し、ナタリアを先に行かせる。ライフルを構えて後ろを振り向く。
相手の姿が見えるまで待つ暇はない。気配だけを頼りに引き金を引く。闇の中でモンスターたちが倒れていくのがわかる。
そこでようやく、獣たちが吠える。潜むアドバンテージを捨てたのだ。後退しながら、それに応えるように連射する。ばたばたと倒れていくヤマイヌたちが見えた。
徐々に視界が明るくなっていく。目が慣れたからではない。林の出口に近づいていた。一瞬だけ振り返ると、すでにナタリアは光の向こう側へと到達していた。
だが、その一瞬が命取りだった。闇に慣れた目には、あまりにも眩しい光に目を細めてしまった。隙をついて、ヤマイヌが飛び出してくる。
引き金を引いた時には遅かった。銃弾はあらぬ方向へ飛んでいき、右腕に鋭い痛みが走る。ヤマイヌが噛みついていた。振っても離れないそいつを木に叩きつけて大人しくさせる。
幸い、銃は落とさなかったが、鋭くも重い痛みが襲ってくる。左手で拳銃を構え、まだ向かってくるヤマイヌどもを撃つ。弾が切れたのと同時に、ヤマイヌの襲来も収まった。
これで片付いたのか。俺は警戒しながら下がる。何の音も聞こえないことを確認して、銃をしまう。
思ったよりも消耗していた。人に対して有効な戦闘手段を持っているが、モンスター相手にはいまだこれといったものが見つかっていない。加えて、ナタリアの無事を確認しながらなのが想像よりも重仕事だ。
さっさと林を抜けて、ナタリアと合流する。林の中よりは明るい。まだ夕方だった。
いったん腰を落ち着けて、体力を回復すると同時に腕の手当をした。服を脱いで確かめると、くっきりと歯の跡がついている。スーツが阻んでくれたおかげで貫かれはしなかったが、血が滲んでいる。変な菌が入ってなければいいが。
包帯を取り出して、ぐるぐると腕に巻く。終わると、ナタリアが腕に触ってきた。刻まれているのは噛まれた傷だけではない。これまで殺すにあたって抵抗されたことは少なくない。ときには銃で撃たれ、ときには刃物を突き立てられたりもした。モンスターの大群に襲われたこともあった。
俺が誰かに傷つけられた証拠であると同時に、誰かを殺した証拠でもある。そんな殺しの腕を、ナタリアは遠慮なく触る。
その顔はいつもの無表情だが、少しだけ、ほんの少しだけ、感情が浮かんだ気がした。
何かを感じているにしても、それがいったいどんな感情なのか、俺にはわからなかった。