山道はそれほど苦ではなかった。元々は舗装されていたこともあり、雑草が生えているものの、歩くには困らない。何より周りを見回すことができる。これで不意の襲撃を受けることはないだろう。
道はなだらかに斜めで、姿勢が悪くなるとはいえ、襲ってくるモンスターを退けるには苦労しない。
進むにつれ、モンスターの影はいなくなり、山頂についたころには気配が消え去っていた。プラネテューヌが近いのだ。
今や唯一神として君臨するパープルシスターの信仰は凄まじく、それによって得られた力は街の外にまで及んでいた。
休憩にしよう。ナタリアはちょうどいい大きさの岩に座った。読み終わったのか飽きたのか、雑誌はリュックから出そうともしない。
ぶらぶらと足を泳がせる様を見ながら、俺は少し離れた木陰に移り、煙草に火を点けようとする。右腕がずきりと痛んで、ライターを落としてしまった。舌打ちして、逆の手でライターを拾う。ようやくつけられた火が煙草に灯った。
一番の山場は越えたはずだ。ここからリーンボックスまでは敵もそう出てこない。得られる報酬のことを考え、痛みから気をそらす。
女神を殺す手段、とケイは言った。そんなものがあるのなら、犯罪組織に流せばいいのではないか。できないというなら、それほどまでに信じていないか、それほどまでに強力な武器なのか。
そんなものをわざわざ俺に託そうとするとは、余計に謎は深まる。ここまでくれば、気にするなという方が無理がある。それでもやるしかない。
一本吸い終わり、二本目に手をつけようとしたとき、そばにナタリアが寄ってきた。
「どうした」
答えずに、俺を見る。俺の腕を。
「ごめんなさい」
そっと俺の右手を掴む。
なんとなく冷たそうなイメージだった小さなその手は、裏腹に安心するような暖かさだった。
林で手を引いた時には、夢中で気づかなかった。
こいつがどんな目的で利用され、これからどうなるのかは知らない。だが、今はまだ十一歳の子どもだ。世界の理不尽に触れるには早すぎる。
十一歳には、早すぎるはずだった。
「気にするな」
俺とて、その理不尽の一部だ。この何も知らない少女を、自らの復讐のためにただ届けているだけなのだから。
「痛むの?」
なおも構ってくるナタリアをしっしと追い払う。煙草くらいゆっくり吸わせろ。
顔を俯かせて、彼女はもとの位置に戻る。
ようやく火を点けた。煙をふかしながら、さっきまでの俺を忌々しく憎んだ。何を思っている。俺も死にいく骸だ。復讐を願うただの骸だ。感情なんて必要なく、考えることも必要ない。
もう陽が落ちていた。歩きっぱなしと戦闘は身体に堪えたようで、座るとどっと疲れが押し寄せてきた。ラステイションで買った眠気覚ましのドリンクを飲む。効果のほどは怪しかったが、これに頼るしかなかった。
明日も長く歩く、とナタリアに言う。彼女は察して、リュックの中から寝袋を取り出して広げた。
「寝ないの?」
「俺はいい」
プラネテューヌに近づいてきたとはいえ、ここはまだ危険だ。モンスターだけでなく、夜を狙った犯罪組織どもが襲ってくる可能性もある。街に着くまではまだ油断はできない。
ランプを点けて、ライフルを杖のようにして地面に突き立てる。ナタリアは寝袋に入ると、すぐ寝てしまった。あたりは静寂で、ナタリアの寝息すら聞こえてくる。
ふと気になって、彼女のリュックを拝借する。中は寝袋がスペースを占めていたようで、あとはいくつかの小物しかない。
雑誌を抜き出してパラパラとめくる。プラネテューヌの情勢がどうのこうの、流行りのものは何だの、情報系の雑誌だ。特にページを割いているのは、「
殺人現場に残された少ない情報から、人物の特定を目指したが、被害者を撃ちぬいた弾丸からわかったことは、犯人はリーンボックスの人間かもしれないということだけだった。
ミステリアスさが拍車をかけ、一部では熱狂的に人気があるらしい。そうなると不思議なもので、「骸の代弁者」を見たと言う者や、名を騙るものまで現れる始末。おかげでプラネテューヌ教会は毎日てんてこ舞いだそうだ。
そこまで読んで、俺は雑誌を閉じた。
女神を信仰する者も、死を願う者もプラネテューヌには混在している。あらゆる者にとっての善と悪が、そこではないまぜになっている。
俺は立ち上がり、目的の方角を見据える。はるか遠くには光がぽつぽつと見えた。あそこは一番平和かもしれないが、一番混沌としている場所でもあるのだ。
翌朝、ナタリアが起きたのを合図に、旅を再開した。
山道を下るのは楽で、一切の障害もなく、ふもとまで下りることができた。あとはプラネテューヌまでもう少し、と言いたいところだが、まだ森を抜けないといけない。
しかし、ラステイション側にある林より鬱蒼としているとはいえ、基本的には温厚な動物がいるだけだ。
森は、あの林とは違って、全く嫌な雰囲気はしなかった。むしろ、暖かい空気が俺たちを歓迎してくれている。
気配はない。森をうまく活かして消えているのか、あるいは疲労と怪我のせいで俺が気づけないだけか。山を越えた油断を見越して、敵が配置されているかもしれない。俺ならここに罠をしかける。
細心の注意を払いながら、先を進む。右腕は昨日よりも痛んで、ライフルを支えることは難しくなっていた。拳銃の弾は昨日で使い切っている。ライフルが頼みの綱だった。
歩くナタリアを手で制し、しゃがませる。一瞬だけ違和感を感じだのだ。森のものとは別の、ノイズとも言える何か。
昨日もそうだった。生き物が発する音はどことなく不自然だ。相手に自分の位置を知らせる大きな要因になる。
銃を構える。音の方に当たりをつけ、引き金に指をかける。
「誰だ。姿を見せないと、撃つ」
ばれているぞ、と言外に示し、威嚇を同時に行う。はったりだ。満足に体が動かせず、保護対象がいるこの状況ではできれば戦闘は避けたかった。
相手がもし、ナタリアを狙っているわけではなければ……
「ち、ちょっと待って!」
まだ大人になりきっていない女の声だ。偶然、俺が照準をつけた木の陰から響いた。声の主が手を挙げながらゆっくりと現れる。
長丈の青いコートに、携帯電話がずらりとベルトで留められている。何よりも特徴的なのは頭につけた緑の双葉リボン。風に揺られて動くそれと茶のロングヘアが、彼女を際立たせる。
その幼さの残る顔に、俺は見覚えがあった。
「アイエフ?」
「……もしかして、ベクター?」
訝しむような目つきで、彼女は言う。
アイエフ。プラネテューヌの諜報部員だ。ちょっとした知り合いで、共に仕事をしたこともある。とはいえかなり前の話だから、彼女が俺を覚えていたのは少し驚いた。
「久しぶりね。リーンボックス以来だから……」
「もう何年にもなるな」
銃を下ろして、ナタリアを立たせる。ナタリアはぐっと深く帽子を被って、できうる限り顔を見られまいとした。
「その子は?」
「護衛中だ。最近知り合って、リーンボックスまで届ける仕事をもらった」
「届ける? 今は
「そういうわけじゃない。ただ単に、今回はそういう依頼が来たってだけだ」
アイエフは勘が良い。下手に嘘をつけばすぐばれる。俺は深いところまでは言わず、話しても問題ないところまでを説明した。
彼女の用もすでに終わっているみたいで、プラネテューヌに戻る途中だと言う。
せっかくなので、案内を頼むことにした。実際は道を知らないわけではないが、戦力も兼ねてだ。傷のせいで万全とはいえない。プラネテューヌで身体が癒えるまでは、利用できるものはしなければならない。
加えるとするならば、知り合いに会って、少し安心しているのかもしれない。
森を抜けると、一面草原だった。遠くまで見渡せるとあって、敵の姿がまったく見えないことがそのまま安全だということを示していた。
遠くにはプラネテューヌの象徴であるプラネタワーが見える。天高くそびえるそれは、女神が住む建物でもある。世界で唯一の国。世界で唯一の女神がいるそこは、世界で一番安全な場所でもある。
「モンスターが襲ってこない」ということが安全安心とイコールならば、の話だが。
実際にはそうもいかないだろう。「骸の代弁者」も、それを支持する者もいる。犯罪組織の残党も。
時代は常に混沌としている。それは、その時代に生きる者が常に何かと争っているからだ。本能、理性、感情。生物を生物たらしめるために存在しているものが、相違を生み出しては敵を生み出す。自身としての敵を、あるいは集団としての敵を。
人間らしく生きるとは、
「最近はどうだ?」
「要領を得ない質問ね……まあいいわ」
それから、アイエフは犯罪組織がほとんど壊滅してからのことを話しだした。
パープルシスターが他の女神を殺したという噂は、教会内部にも大きな影響を与えていた。
臭いだけでも人は煙を感じ、火を思う。生まれた疑心暗鬼はやがて、その心に影を差す。女神を信じられなくなった者たちは次々と辞めていき、人数不足に陥る結果となった。
国の運営を支える立場としては、これが一番の痛手だった。しかも、辞めるまでもなく、教会の人間は減っていく一方だった。プラネテューヌ教会では国を背負う重圧とともに、死への恐怖が蔓延していた。原因はもちろん「骸の代弁者」だ。
教会も犯罪組織も平等に殺していく彼の目的は不明瞭で、つかみどころがない。
「やっぱり「骸の代弁者」のことが一番気がかりかしら。あなたも知ってるわよね?」
「あの、頭のいかれた殺人鬼か」
「ええ。一部では英雄なんて持て囃されているけど、そいつのせいで仕事が山積みになってるの」
その張本人が、目の前にいる男だと知ったらアイエフはどうするだろう。殺すか捕らえるか、あるいは仕事をともにした男のなれの果てを嘆くのか。かつての戦友がただの骸となったと知って、何を思うだろうか。
「そんなお前が、あんな森の中で何をしてたんだ」
「友達に頼まれて、薬草を取りに来てたのよ。モンスターを倒せる人も、最近では貴重だから」
「だろうな」
昔であれば珍しくはなかった。むしろ、モンスターを倒せることは当たり前だったのだ。もちろん、大なり小なり倒せる相手は違うが、敵に対して臆することは今より少なかっただろう。
「ねえ、よかったら手伝ってくれない?」
「断る。こっちはこっちで仕事中だ」
「それが終わったら?」
「悪いが、俺にはまだやることがある」
アイエフが心底がっかりしたように肩を下げる。
「他のやつに頼めばいいだろう。国がなくなって、暇してるんじゃないのか」
「もしそうなら、こんなに手いっぱいになってないわ」
「リリィは?」
「ルウィーに戻ってるわ」
「エリカ」
「行方不明」
共通の知り合いは、俺と同じように各々のところへ戻ったようだ。
平和に近づいているとはいえ、戦力は必要になる。しかしいまプラネテューヌの手にあるのは、少数の精鋭と実戦経験のない兵士だけ。
技術はともかく、実際に戦うことで得られる「経験」 ―「精神」と言ってもいい― が一番大事な要素なのだ。引き金を引こうとする意思と、実際に引き金を引くのとでは天と地ほどの差がある。その差が埋められていないというのが、アイエフを悩ませていた。
まあ、武器を振るうことができないというのは、普通のことだ。それは命を奪うことと同義で、もっと言えば地獄に堕ちることと等しい。死後の行き先が決められることだけでなく、心を手放してしまうということだ。
人は何かを殺したぶんだけ、その魂が穢れ、削り取られていく。殺しに慣れるというのはすなわち、自身の中にある「人間」を捨てることなのだ。
人であるうちは、それを捨てるのをためらうことはごく自然なことだった。
「かなり大人しい子みたいね、あの子……もう中学生くらいじゃないの?」
「十一だ」
俺たちは離れずについてくるナタリアを見た。
中学生だからって、騒がしくなるわけでもあるまい。アイエフの周りには変に変な奴が集まるから、余計にそう思えるのだろう。
大人しいというよりは落ち着いた雰囲気と、少女が持つべきでない濁りきった目が彼女を実際よりも上に見せる。
しかしこれは、喜ばしいことではない。歳と見た目には相応というものがある。ギャップがあるとはつまり、早すぎる経験をしているか、必要のない体験をしているか。
そうでなくとも分不相応に見られることは好ましくない。誰もが自分のことを等身大として見てくれることがない。それは、自分を知る人間が一人もいないことと通じる。
誰も知らない。世界から隔絶されたような孤独は心を蝕む。ナタリアは大人しいんじゃない。身の振り方を知らないのだ。
「ワケアリね」
「ワケアリだ」
現代において、「異常」は「正常」と混じり合っている。ナタリアのような「異常」も、残念ながら珍しくはない。察したようで、アイエフはそれ以上の詮索はしてこなかった。代わりに、話は俺の方へ飛んでくる。
「あなた変わったわね」
「あん?」
「前に会ったときは、今よりもっとこう、表情豊かだったような気がするんだけど」
まあ、いろいろあったのだ。特に精神のうえで、リーンボックスの兵士から暗殺者へと変わるいろいろが。
「もとからこんな顔だ」
アイエフは肩をすくめた。この話に関しても、ここから広げられるものはない。それに、俺はこれ以上話をつづける気はなかった。
プラネテューヌの街が、すぐそこまで迫っていた。