「三日後?」
「ああ、直近で三日後だよ」
プラネテューヌに着くやいなや、港に直行した俺たちは肩をおとした。
「渡る人数も少ないからねえ。一人二人送ったんじゃ、こっちも割に合わないし……すまんな兄ちゃん」
「いや、いいんだ。三日後だな」
「そのときにまた来てくれよ」
船乗りのおっさんも、悩ましげな顔を見せながら手を振った。
以前日に数度出ていたリーンボックスへの定期便は、今は一週間に一度となっていた。人があちらの国へ行く理由がなくなったからだ。輸入輸出はもちろんなく、しかも、ラステイションと同じような独自の国を運営しているあちらのお偉いさんがパープルシスターのことをひどく嫌っているせいで、観光ツアーなども立てられない。それでも細々と定期便が出されているのは、パープルシスターの支援があるからだ。
かつて四か国が信仰の奪い合いをしつつも、協力し合っていたころの名残と言われているが、国民の間では一つのうわさが飛び交っていた。
罪滅ぼし。
パープルシスターが他の女神を殺した負い目から支援を行っているというものだ。もちろんこれはパープルシスターが女神を手にかけたという噂を根拠とするもので、真偽は定かではない。一種の都市伝説だが、無視できない部分があるのもまた事実だ。
結局は神の、いや、女神のみぞ知るところ。
「それで、どうするの?」
ついてきたアイエフが、携帯電話を弄りながら訊いてきた。
「適当に時間を潰すさ」
「それなら……」
俺は首を横に振った。
今はあまり大きく動くべきではないし、広く顔を知られるわけにもいかない。
「もう、強情なんだから」
「すまないな」
「心がこもってないわよ」
ジト目で俺を見る彼女の顔は疲れきっていて、気を抜けばそのまま倒れそうだ。
「ま、気が変わったら呼んでちょうだい。私はこれから薬草を届けなきゃいけないから、失礼するわ」
踵を返し、去っていく彼女の背中は、一人の少女のそれでしかない。しかし、その方には計り知れない重圧がのしかかっている。
この世界では、誰もが大人にならざるを得ない。
「というわけで、猶予ができた。行きたいところはあるか?」
俺はナタリアの方を向いた。「別に」と返す彼女の反応に、何かおすすめの場所を開くんだった、と後悔した。まあ、女の子が好きそうな場所はいくつかあるだろうと楽観的に考えながら、俺は街の中へと進んでいった。
「二人で。部屋は一つで頼む」
ホテルの受付係は俺とナタリアを交互に見て、これまた兄弟だと思ったのか、怪しむ様子もなく端末で空き部屋を探した。
「でしたら、六階の二人部屋でよろしいでしょうか?」
「それでいい」
周りを見渡しながら頷く。さすがプラネテューヌとあって、内装は豪華だ。広く、優雅な空間をつくるホールはくつろげるような雰囲気を作り出しつつも、客に「自分が上流だ」という錯覚を見せる。
大勢いる従業員は、客の一人一人に目を光らせていた。不審者を見張るのもあるが、困っている客に一瞬でも早く駆けつけられるように、だろう。だが、誰が不審者かを見分けるのは難しい。昔から様々な職業の人間が利用することが多かったが、国が一つとなってからは余計に顕著だ。とはいえ、不審な行動はすぐに目をつく。ここを選んだのは、それが一つ。
鍵を受け取り、エレベーターで上がる。尾行している奴はいないようだ。なおも警戒しながら部屋に入る。
中の設備は一通りそろっていて、物は綺麗に整頓されている。食事や飲み物は、必要とあらば電話一本で何でもそろうし、娯楽だってホテルの中にある。
武器を取り外して、二つあるベッドの片方に腰掛ける。とたんにどっと疲れが押し寄せ、視界が揺れた。ラステイションからここまで、一睡もせずに歩き、山も越えた。急いでいるのもあったが、いつ敵に襲われるかわからないプレッシャーもあった。ドリンクと気力でごまかしたツケが、今になって身体の動きを奪う。
部屋に誰も入ってこれないよう仕掛けをしなければならないし、右腕の治療もしなければ。しかし、思考とは裏腹に、身体は休息を求めてベッドに横たわった。まぶたが重い。
少し、ほんの少しだけだ。まどろむままに任せ、俺は意識を手放した。
そこかしこで誰かが争い、暴れ、何かが壊れる音がする。建物に火が回り、人は逃げまどう。そんな中、俺はただひたすら目の前の敵に銃を撃つことしかできなかった。
またどこかで爆発したような音が聞こえる。数時間前から始まった戦闘は、止むことはなく、むしろ激しくなる一方だった。
突如として現れた、犯罪神四天王を名乗る一人の女性が、モンスターを引き連れてきたのだ。俺が纏っているダークグリーンの軍服は何か所も引き裂かれ、血でべっとりと汚れている。俺の血もあるが、大半は死んでいった仲間たちのものだ。
「ベクター、これ以上は耐えられない!」
「喋る暇があったら撃て! 敵は逃がしてくれんぞ!」
弱音を吐く部下を叱る。すっかり囲まれてしまったこの状況じゃ、口を開ける労力も惜しかった。地面に転がっている死骸の仲間入りになるのはごめんだが、このままじゃ時間の問題。銃もナイフも体術も、使えるものはすべて利用しているが、それでも足りない。
こみ上げてくる絶望を、がむしゃらに振り払う。
「ベクター!」
部下がまた情けない声を上げる。ちらりと目をやると、あの女が迫ってきていた。犯罪神四天王、マジック・ザ・ハードが、身の丈以上もある鎌を振るって次々仲間をなぎ倒していく。
俺は毒づきながら、マジックに銃口を向ける。フルオートで発射された弾丸は、彼女に当たることはなかった。モンスターが自らを盾にして、マジックとの間に入ったのだ。
「ぐああっ」
ついに、最後の部下までやられてしまった。ついでに、俺の銃の弾も切れた。銃を地面にたたきつけて、ナイフを取り出す。
「ほう、まだ歯向かうか」
マジックはにやりと笑って、モンスターを制した。あれだけ暴れていたそいつらは、置物のようにおとなしくなる。
「私の下で働く気はないか?」
「ない」
実力さえあれば、犯罪組織は莫大な報酬をひっさげてスカウトしてくる。何度か経験があったことだ。
俺はきっぱり断った。仲間をこれだけ殺されて、敵の軍門に下るほど愚かではない。
「そうか……やれ」
それを合図に、ぴたりと止まっていたモンスターたちがぱっと飛びついてくる。牙か角か爪か、どれかが俺の身体を八つ裂きにする前に、獣にナイフを突き立てて、盾にしながら次々と他を倒していく。
歯を突き立てられ、爪で裂かれ、血だらけになりつつもなお、俺は諦めない。そこからは、何をどうしたか、細かいところは覚えていない。気づいた時には、横たわるモンスターの死骸の上に立っていた。何もかもが限界で、気力だけが俺の身体を支えていた。
息をするたび痛む全身に鞭打って、残ったマジックへ向かおうとしたが、当の彼女はこちらへの興味を失っていた。
「来たな、女神」
彼女の視線の先には、八つの人影が浮いていた。女神だ。四か国の女神、女神候補生がそこに集結していた。
「これ以上、私の国を好き勝手させませんわ! 覚悟なさい!」
豊満さと優雅さを兼ね備えるリーンボックスの女神、グリーンハートが叫ぶ。彼女がこれだけ怒っているのは、俺も初めて見た。
「覚悟するのは貴様たちの方だ。今度はその命があると思うなよ」
マジック・ザ・ハードが空へ急上昇し、鎌を薙いだ。グリーンハートも己が槍で受ける。その攻防の衝撃はすさまじく、発せられた空気の圧が俺を吹き飛ばした。
暑苦しい。目が覚めた瞬間、頭に浮かんだのはそれだった。
それに眩しい。部屋の光が、俺の目に直に入ってくる。思わず唸って、身体を起こした。
こみ上げる吐き気を抑え、噴き出す汗を拭う。
「うなされてた」
もう片方のベッドに座っていたナタリアの言葉が、俺を現実に引き戻した。
窓の外は暗く、時計を見るとすでに七時を回っていた。ここに来たときはまだ午前だったはずだ。無防備にも、何時間も眠りこけていたらしい。その間こいつはずっと起きていたんだろうか。
「ただの、昔の夢だ」
「昔」
訊かれてもいないことを口走ってしまったことに、後悔を覚えた。悪夢に気をやられてしまったのか。夢ごときに情を揺さぶられるほど、俺は人間を捨てきれていないのか。それが正でも負でも、感情が動いてしまうことに、歯噛みした。
「ベクターの昔って、どんなの?」
少なからず一緒にいたせいで、俺に興味を持ったのか、ナタリアの眼には好奇が宿っていた……ような気がする。だが、その好奇心を満たすつもりは毛頭なかった。
「昔は昔だ。話す気はない」
ちょっとむっとしたような、相変わらずの無表情か、わからん。ミリ単位で顔が変わったような気がするが、洞察するほどの気力もない。悪夢はまだ尾を引いて、心臓を鷲掴みにする。
よろよろと立ち上がって、洗面台へ向かう。二度三度顔を洗って、鏡に映る自分を見る。骨に、肉と血と皮、それにいくつかのパーツがついているだけだ。
喋る骸骨。あの日倒れていった仲間たちと何ら変わらない、ただの死体だ。
そうだ、それでいい。復讐を糧に動く骸でいい。死を振りまく
たとえ後に残るものが何もなくても。
ホテル内のレストランへ、ナタリアを連れた。高級店というわけではないが、ラステイションやリーンボックスとは違う。もちろんルウィーとも。金を払えば、いくらでも好きなものが選べる。
まじまじとメニューを眺めるナタリアだが、どれが何かわからないということはない。書かれているものはすべて写真つきだった。しかし味がわからないとあっては、写真も意味をなさない。そういった意味では、名も像もひとつとして本来の機能を果たしていない。
「スパゲッティ、ハンバーグ、ステーキ、サンドイッチ……」
「ハンバーグにしろ。ここのに外れはないが、それなら問題ない」
一度来たときに食べたが、ここのハンバーグは絶品だった。肉は鉄板の上で焼かれ、しかも目の前で切ってくれる。添え物の野菜も柔らかく甘く、素材と調理の良さが皿の上で一つとなる。
促され、それを注文したナタリア。俺はステーキを頼み、しばしの間流れた沈黙を破ったのは、ナタリアだった。
「どうしたら、ベクターのこと教えてくれるの?」
「俺かお前が死ぬ時だ」
俺はうんざりして、そう答えた。
身の上は話す気もなかった。なにがどうなって、俺がこうなったか。それが知られるときは、俺が死ぬ時だ。そうなれば、誰かがベクター・ソーンのことを調べ上げ、いかにして一人の軍人が人殺しになったかを嬉々として語るだろう。俺の代わりに誰かが代弁する。面白おかしく捻じ曲げられようとも、それは一種の事実だ。そうして埋もれる歴史の一部になる諦めはついている。
「私は……」
ナタリアが口を開いた瞬間、ジュワァと迸る音がして、ステーキとハンバーグが同時に届けられる。テーブルの上はいい匂いで満たされ、空腹をあおった。
俺はナイフとフォークを使って、肉を丁寧に食らう。ナタリアにナイフはなし。だが、見よう見まねでハンバーグを切って見せた。創作でよくあるような、フォークを突き立てて貪り食うようなことをしなくてほっとした。
一口食べて、少し止まった。味の感想でも言うのかと思ったが、
「私は死んでるのと変わらない」
その声には恨みも怒りもない。
まるで真実のように、ただ語るのみだった。