アイ・フォー・アイ【完結】   作:ジマリス

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 二十数年前、俺はリーンボックスで生まれた。国軍兵士である父と教会職員である母の子として。

 国の運営と平和を担う両親が帰ってこないことはたびたびあったが、俺は不満を漏らすことはなかった。

 寂しくなかったと言えば嘘になるが、何を言っても、誰が聞いてくれるわけじゃない。

 振り返ってみれば、一人で飯を食うことにもなれていたし、学校のテストでいい点を取って帰っても、誰もいないことに何も感じなかった。

 そんな折、新しい家族が生まれたのは、俺が十二の時。中学校に上がって間もないころだった。

 人付き合いがどういうものかわからずに育った俺は、友達が出来ずに過ごしていた、欲しくなかったわけじゃない。むしろ欲しくてたまらなかった。テストやテレビ、ゲームやアニメの話でもいい。くだらないことでも笑えるような誰かがいてほしかった。だけど何を話していいかわからず、適当な答えも返せない俺には、叶わない願いだった。

 たった一人の休み時間、クラスの担任が飛び出してくる勢いで扉を開けてきた。肩で息をする先生から聞かされたのは、母が危ない状態ということだった。

 妊娠して入院しているのは知っていたが、危ないとは一言も聞かされていなかった。急いで病院に向かった俺を待っていたのは、腕に収まるくらい小さな人間――これが妹だと知るのは、これから数時間後だった――とぐったりと動かない母だった。

 過労で体調が崩れていたところ、出産の痛みと終わった安心感が、死神に隙を与えた。

 母の中にわずかに残っている意識が動いた。息も絶え絶えに俺を見る。焦点は定まっていなかった。だが、俺がいるとわかっている確固たる意志を感じる。

 

「ベクター」

 

 蚊が鳴くような声が響く。聞き逃すまいと、俺は母の口に耳を近づけた。

 

「ごめんね、かまってやれなくて」

 

 それは懺悔の言葉だった。親として十分な愛情を注げなかった母の後悔。あまりにも遅くて、あまりにも尊い言葉だった。

 いいんだ、気にしてない。わかってる。あんたたちは忙しかったんだ。

 俺はそう言うことができなかった。十二年間蓄えられた複雑な感情は、許しの言葉を喉で阻んだ。

 

「お父さんを許してあげて」

 

 その言葉を最期に、母が目を開けることはもうなかった。

 俺は凍りついた。母が死んでしまったショックで、そして、母が最期の最後まで他人を想っていたことに。そのことに気づいた瞬間、俺は地獄に堕ちたかのような叫び声をあげた。

 誤報だと信じたかった。陣痛がきた、というのが伝言ゲームよろしく、大げさに伝わってきたのだと。しかし急に突き付けられた現実は、あまりにも酷だ。

 それほど構ってくれたことがなくとも、やはり母なのだ。

 家族を失った痛みは、心臓を裂くほどに俺を蝕む。どれだけ涙を流しただろうか。看護師から手渡されたハンカチは滴るほどに濡れ、くしゃくしゃになっていた。

 気づいた時には、母が遺した家族を眺めていた。生まれたと同時に親を失ったとはつゆ知らず、妹はすやすやと眠っていた。ただ抜け殻のように、俺はぼうっと見つめていた。やがて妹も運ばれ、一人になる。そんな哀れな男を察して、どれだけ経っても看護師は関わってくることはなかった。

 

「ベクター」

 

 話しかけてきたのは、父だった。軍指定の装備を点けたまま、俺の正面に立っていた。母が死んでから六時間が経過していた。

 

「いまさら何しに来た」

 

 顔も見ずに、ぶっきらぼうに言う。

 

「母さんが死んだって……」

「死んださ。もう運ばれた」

「そうか……」

「『そうか』だって?」

 

 その言葉を信じられず、がばっと立ち上がって、乱暴に父を押しやった。

 

「『そうか』だって? あんたがそんなんだから母さんは……」

 

 こんな男だから、母は代弁したのだ。

 今際の際に、離れてしまった親子を繋げられたらと、母は願った。自分が言いたいことはたくさんあっただろう。それでも、今を生きる愛する者たちのために最期まで祈った。だが、この男はそんなことはお構いなしだ。

 あとはもう、何を言ったか覚えていない。心にあることないこと、何もかも吐き出したような気がする。

 その後は……そう、妹のことを育てた。学校のこともあったから、祖父母に助けられっぱなしだった。

 父は増して、帰ってくることが少なくなった。たまにあっても、一言すら言葉を交わさない。何年たっても許す気は起きなかった。

 やがて、俺が高校生になり、妹が小学生になった時、その妹リンにこう言われた。

 

「ねえ、お兄ちゃん。お母さんってどこにいるの?」

 

 入学式という、一つの節目。もちろん他の子どもたちの周りには親が揃っていた。対してうちは、祖父母と俺だけ。リンが疑問に思うのも当然のことだった。

 

「母さんは遠くから見てるよ」

 

 天国などというものを信じているわけではない。しかし、真実を伝えるにはまだ早すぎる。

 澄み切った空に桜が舞う。このめでたいときに、悲しみを振りまくことはしたくなかった。

 だが、死神はまだ俺を離していなかった。

 

「君がベクターくんだね」

 

 父と同じ軍服に身を包んだ男が俺を訪ねてきた。ぼろぼろで血まみれの軍服を手に持って。

 

「本当にすまない……すまない……」

 

 いきなり涙を流して頭を下げる男に、俺は戸惑った。

 兵士としての実力を認められていた父は、開拓隊のメンバーに選ばれていた。

 リーンボックスは、他の国とは海で隔たれ、資源を取るにもいささか苦労していたため、街から少し離れた洞窟を採掘場として利用するために開拓を始めたのだ。

 誤算だったのは、巨大な狼型モンスターが開拓隊を襲ったことだ。これまでの情報にない敵に、父が率いるメンバーは撤退を余儀なくされることになる。だが、新米である男が腰を抜かせてしまい、逃げ遅れたのだ。隊長という義務をもってしんがりを務めていた父は、男を逃がすために戦った。

 たった一人で。

 

「ありがとう……」

 

 ぽろぽろと涙を流す男の姿が、幼い俺には理解できないもののように映った。父が守った男が、父を悼んで泣く。彼の記憶の中にいる父と、俺の中にいるのが同一人物だとは思えなかった。

 思えば、あんたと話したことはなかったな。男に案内されて、すでに綺麗にされて横たわる死体を見ても、俺の心はそう動かなかった。

 気の籠ってない言葉なら何度も投げかけた。しかし対話、相手を想い、相手と向かい合って話すことはしなかった。

 俺は兵士になることを選んだ。

 まだ父を許してはいなかったが、だからこそこの道を選んだ。

 母の最期の言葉、父の戦友の涙ながらの感謝。それが微かに見せたのは、俺の知らない父の姿。夫として、兵士として死んでいった一人の男の姿。

 最期にどんなことを思ったのだろうか。最期にどんなものを見たのか。

 俺には見えるだろうか。怒りであんたを見ようとしなかった俺に、あんたの姿は見えるだろうか。母が最期に言ったように、あんたに救われた部下が認めたように、俺はあんたを許すことが出来るだろうか。

 あんたのことが見たくて、あんたの見た景色が見たくて、俺はこの道を選んだんだ。

 

 

 

「おはようございます」

 

 底に溶け込んだ意識がゆっくりと浮上する。目は開いているが、何も見えてはいなかった。靄のようなものがかかって、視界がぼやける。何度か瞬きをして、ようやく視界が開けてくる。焦点が合ってくるにしたがって、明るい光が目に入ってくる。

 身体にかかる暖かさが、それが人口の光ではなく、日差しだということを気づかせた。

 外か? いや、それにしては眩しくない。輪郭がはっきりしてきて、ようやく目に見えたものがわかってきた。白い天井だ。

 規則的に鳴る電子音が聞こえてきた。ここは病院に違いない。電子音は俺の心臓の音だ。

 首を動かすと、白い景色の中にピンク色が混ざった。シルエットから少女だということがわかる。再び目をしばたかせると、今度ははっきり見えた。

 ぼんやりとした意識の中で、複雑な感情が一気に湧き出てきた。

 そいつは()()()()()()()()()()()()、ベッドに横たわる俺を心配そうに覗きこむ。

 俺を見つめる彼女は、俺が無事覚醒したことを確認すると、日差しよりも柔らかく暖かい笑みを浮かべた。皮肉にも、噴き出した感情が意識をはっきりさせた。彼女とは対照的に、俺は苦い顔をしていただろう。

 パープルシスターがそこにいた。何年も憎んできた復讐の対象が目の前で笑っている。そのことに戸惑いながら、引きずるように身体を起こす。

 

「お前は……」

 

 と喋ったつもりだったが、うまく口が回らなかった。電子音の間隔が早まる。それを知ってか知らずか、パープルシスターが口を開く。

 

「あなたのことは聞きました」

 

 なんだって? 俺が殺人者だと、「骸の代弁者」だと誰かが言ったのか?

 だとすれば今、俺は憎んでいる相手に捕らわれていることになる。それは屈辱だった。ケイや殺した者の家族ならいい。だがこいつにだけは……

 そんな俺の心配は次の一言ですぐに晴れた。

 

「国の代表として、礼を言わせていただきます」

 

 パープルシスターが頭を下げる。今の彼女はいわゆる「変身後」の姿ではない。とても信じられたことではないが、女神はその姿を変える。普通の少女である状態から、「女神化」とも言われる変身を行ってその身を成長させる。

 こんなに近くで見たのは初めてだった。女神と言われるだけあって可憐ではあるが、やはり人間に見える。姉であるパープルハートも、変身前は可愛らしい少女だった。彼女たちの力の源は人々の信仰であり、彼女たちが生まれるのもまた、人々の願いによってだ。

 

「国の代表?」

 

 心の中で嘲笑する。

 エゴによって生み出され、エゴによって生かされているのだ。言わば利己の塊である女神が「国の代表」などと、おかしくてたまらない。

 そんな俺の反応を、「国の代表だって? お前は誰だ?」というふうに捉えたのだろう。

 

「私はプラネテューヌの女神、パープルシスターです」

 

 と前置きして、彼女は話をつづけた。

 

「あなたがいなければ、被害はもっと酷いものになっていました」

 

 そうだろうさ。お前のとこの兵士は使い物にならない。その言葉も飲み込む。

 身体に貼り付けられた電極や包帯を外す。狼に噛まれた右腕も治療が施されていた。痛みはすっかり消え失せていて、その完璧な技を確認する。

 そこでようやく、俺はナタリアの姿を視認した。俺の足を枕にして、突っ伏している。小さな寝息を発して、わずかに顔が動いている。

 ずっとここにいたのか、少し汚れた服はそのままだ。

 

「ナタリアちゃんは無事です」

 

 一番知りたかったことを、パープルハートが伝える。

 あの猛攻のなか、ナタリアには怪我の一つもつけられることはなかった。俺はほっと胸をなでおろし、ナタリアの頭を撫でる。

 

「俺はどれだけ寝ていた」

「ほぼ丸一日です」

 

 俺は頭を抱えた。体力や消耗品が減って、また整えなければならない。リーンボックスへの船はあと一日で出るのに。

 身に着けていた装備がどこにもないことに、ようやく気づいた。スーツもない。どこかで保管されているのだろう。武器もなく、薄い病院着に身を包んでいると、無防備だと実感させられる。

 これが普通なのだ。武器も防具もなく、それを歯牙にもかけず歩くことが。不安に駆られている俺は、今どこまで堕ちていってしまっているのか。

 

「アイエフさんから話は聞きました、ベクターさん。船はいつでも出せるように準備させています」

 

 パープルシスターはそう言った。

 準備期間は与えられた。女神直々に配慮してくれるとは、最上級の特別扱い。俺を英雄かなにかだと勘違いしてないか。

 

「少しだけ、話をさせていただけませんか」

「話?」

「ええ、話です」

「話すことはない」

 

 突き放して、起き上がろうとする。そろっとナタリアの頭を動かして、起こさないように立ち上がった。

 五体は満足に動く。この国に着いたときよりも、身体は元気だった。

 

「銃弾もスーツもこちらで調整しています。それが終わるまでの、ほんの、ほんの少しだけですから……」

 

 すがるように、パープルシスターが俺を見上げる。

 そこまでして話したいことがあるのか、義理堅いのか、どうしてもという目が俺を止めた。

 分かりやすいようにため息をついて、俺はナタリアを見る。まだ目覚めそうにはない。

 

「この子が目覚めるまでの間だ。その間はアイエフに見張らせろ。それが条件だ」

 

 パープルシスターは柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 仮で与えられたスーツ(戦闘用スーツじゃなく、洒落たカジュアルスーツだ)を身に着け、パープルシスターに並んだ。

 道行く人たちは珍しく直にパープルシスターを見たことで、不思議そうにこちらを見ている。まさか女神と殺人鬼が並んで歩いているなんて、俺以外は知る由もないだろう。

 

「護衛は必要ないのか、パープルシスター?」

「ただ話すだけに、護衛が必要ですか?」

 

 まあ、正論だな。

 「骸の代弁者(スカル・トーカー)」も、まさか女神が殺せるわけではない。だから今まで女神だけは被害を受けていない。護衛なんて付ければ、むしろそいつの身のほうが危ない。

 パープルシスターは堂々と街を闊歩する。自分の国だからではない。人の上に立つ者として、女神として、そう振舞うことを自らに強いているのだ。

 彼女は肩にかかる重荷を自覚しているのだろうか。ふと、そんなことを思った。人の信仰をもとに生まれた彼女は、つまり、当たり前だが生まれたときから女神なのだ。この世に生を受けたときから、何をすべきかというのが決められている。

 もしも生まれたときから道を選べないとわかったら、俺はどう思うか。いや、「どう思うか」ということすら奪われてしまうのかもしれない。

 誰かの願いで生まれた少女は、自分の願いを叶えることはできない。

 

「ベクターさん、この街をどう思いますか?」

 

 歩きながら、そんなことを言う。訊きたかったのはこれか。

 プラネテューヌは、全国の人口のほとんどが集まっている。国民はいまある国の姿に慣れてしまっていて、なにが良いか悪いか、その感覚が麻痺してしまっている。街の外側から来た人間が、パープルシスターが立て直した国をどう思うか、それを聞きたいのだ。

 

「一見平和に見えるが……」

 

 俺は少しためらって……

 

「その裏で、何も変わっちゃいない」

 

 この平和は、犯罪組織が勢いにのっていたころを知っている者が維持している。だが、そう、歴史は繰り返す。こんどから生まれてくる次世代の子どもたちは、悪を知らずに育つ。そんな純真な心に、ひとかけらでも黒が混じれば、いとも簡単に染まってしまう。

 明るく眩しい光に慣れた目には、暗く深い闇はさぞ魅力的に映ることだろう。

 人々は混乱を求め、やがて世界は再び地獄へ落ちる。

 女神が悪いんじゃない。人間はそういう生き物なんだ。

 平和は人間の関係にとって不自然な状態。そんなことを聞いたことがある。人の本能は闘争を求める。自由な状態は人を獣に変える。だから人は、人間であるために自らを縛る鎖を必要とする。女神はそのために存在していた。人の希望、欲望、未来、憎悪でさえも一方に導くために、女神という鎖は欲された。

 自由は人を人でなくしてしまうのに、底ではそれを疎ましく思う者もいる。

 安定に見えて、常に不安定な状態が、そのままいまのプラネテューヌだ。

 

「……」

 

 思うところがあるのか、パープルシスターが俯く。

 この国の現状を、行く末を、彼女自身もわかっていた。このままでは犯罪組織と同じような何かがまた現れてしまうことを。

 

「この世界は、あとは滅びるのみだって……とある相手に言われたんです」

 

 その相手が誰か、彼女は言わなかった。だが、女神にそんなことを言うのは、犯罪組織の誰かに違いない。おそらくは犯罪神四天王、もしくはその上の何者か。

 

「人間は極端な世界には生きられない。平和と戦争の間にしか、人間は存在できない」

 

 安心と安全は平和の中に、発展と競争は戦争の中にある。ボールの上に立つような危ういバランスの上でしか、人は生きていることを実感できない。

 真面目に考えている自分が自分じゃないような気がして、俺は話を逸らした。

 

「あんたに聞きたいことがある。言いたくないなら言わなくていい」

「はい」

「女神を殺したっていう噂についてだ」

 

 無言。言いたくないってことだ。それはつまり、真実だということを示していた。

 このことについて、俺は特に驚きはしなかった。様々な根拠や証拠が、やったやってないの可能性としては半々だったところに、ケイの話だ。九対一で、どちらを信じるかはわかりきっていた。

 それに、パープルハートが死んだこと自体はすでに察しがついていた。彼女が「パープルシスター」と名乗っているのが証拠だ。引退したなら名を継げばいい。だが、死んでしまったゆえに、彼女は妹であることを証明している。姉が存在したことを忘れさせないために。

 話を聞いて、それだけではないことが理解できた。彼女は殺した罪を胸に抱きながらも、それを乗り越えられないでいるのだ。

 それが悪いことだとは言わない。死を引きずっている限り、重さは消えることはない。パープルシスターの存在は、死んだ者にある種の永遠性を与えていた。

 その後は、まったくの沈黙だった。お互いの知りたいことはたった一言で、いや言葉がなくとも終わる話だった。

 表情が読み取ることができれば、ナタリアとも無言の会話ができるだろうか。

 ふとそんなことが頭をよぎった。

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