本当に、ほんの少しの話し合いを終えた俺とパープルシスターは、それ以上言葉を交わすことなく病院へと戻ってきた。
「ベクター」
廊下を歩いていると、アイエフが声をかけてきた。条件は満たされていたみたいで、脇にナタリアを連れている。
俺の姿を認めると、ナタリアは俺のほうへ寄ってきた。小さな手で袖をぎゅっと握ってくる。
「忙しいところ悪かったな。どうだった」
「大人しかったわよ。全然喋ろうとしないのが気になったけど」
悪意のかけらもない笑顔をナタリアに向けたが、彼女はまったく見ていなかった。仲良くなることを諦め、アイエフは俺をジト目で見た。保護者責任とでも言いたいのか。
やめてくれ。こいつと会ってから、まだ数日しか経ってないんだ。
「ところで、何を話ししてたの?」
「ちょっとな」
「ええ、ちょっと、です」
パープルシスターは無理に笑ってみせる。
言いふらすようなことでもない。そこで、俺たちは濁したまま話を打ち切る。アイエフは察して、それ以上追及してくることはなかった。
「装備は病室に置いてあるわ。どうせ、もう行く気なんでしょ?」
そう言われて、俺ははっとした。そうだ、俺はまだ道半ば。女神を殺すために、少女を届ける任務中なのだ。
アイエフとの再会、パープルシスターとの話し合い、ナタリアとともにいる時間がそのことを忘れさせていた。決して頭から消してはいけない復讐の黒が、頭の隅へ追いやられていた。
脳の中が染められてしまっていた。白ではなく、透明に。
ぐっと苦さを思い出す。失った痛みを全身に巡らせて、緩んでしまった身体と心に喝を入れた。
「ああ」
ぎりり、と音が聞こえるほど歯噛んで、俺は答えた。
ベッドの上に置かれた装備で準備を整える。武器は綺麗にされているが、弄られているところはない。念のため丁寧に点検して、戦闘スーツに合わせた。
お洒落スーツより、こっちのほうが落ち着く。それでいい。戦闘服に着替えて武器を持つと、戻ってきたと思う。
鏡に映る俺は血に塗れて、肌色の部分は一切ない。もちろん実際にはそうではなく、血なんて一滴もついていない。しかし鏡は時として、現実よりも真実を映し出す。昔から鏡にはそういった都市伝説がある。過去や未来が見えるだとか、深夜に悪魔が映るだとか。
いま映っているのは、紛れもない俺自身であると同時に、俺ではない何かだ。誰かから見た俺は、ベクター・ソーンという人間として映っているのか。
「ばかばかしい」
そんな下らない妄想を断ち切って外へ出る。
パープルシスターとアイエフへの挨拶もそこそこに、俺とナタリアはまた二人になった。
港には、パープルシスターの言った通り、船が待ち受けていた。この街に来た初日に会ったおっさん船長が、今か今かとうずうずしながら辺りを見回している。
予定よりかは一日早いが、あれだけのモンスターを退けた返しとしては、これでも安いくらいだ。
俺が船長に声をかけると、少年のような輝いた顔で笑った。船を動かすのが好きで船員になったおっさんからしたら、急であろうと、船を出せる機会が増えたのは喜ばしいことらしい。
早速船に乗り、出発を頼む。やけにいい返事とともに、船は動き出した。
リーンボックスまではまだ遠い。先に見えるは水平線のみだ。
デッキに座り込んで、揺れるさまに任せる。プラネテューヌでは、思わぬアクシデントに会ったせいで、心身ともに疲れきっていた。
ナタリアの話、モンスターの大群、そしてパープルシスター。その一つ一つが、俺の中の色々を変えてしまうことだった。価値観、偏見、自身の気持ち、そういったものが更新されていく。
「ベクターって妹がいるの?」
もう少しでどこにか行きそうになった意識が、急激に引き戻される。そんな爆弾を落としたのは、ナタリアだ。
妹どころか、家族のことは一切話していなかったはずだ。アイエフめ、余計なことを吹き込んだな。
「ああ」
できるだけ話を広げないように、ぶっきらぼうに答える。
「どんな妹?」
またしても無言で答える俺。だが、前に俺のことについて訊かれたときのような、答えたくないゆえの沈黙ではない。何を言えばいいのかわからないのだ。
「……リンって名前だ」
お前によく似ている、と言いかけてやめた。妹は、元気に走り回るような快活な少女だった。表情も明るく、何を考えているのかすぐわかるやつだった。ナタリアとは真逆。それでも、彼女たちの中に似たようなものを感じたのも確かだ。
「いくつなの?」
「さあな」
これも、どう答えたらいいかわからなかった。相応しい言葉を探そうとして昔を思い出すと、途端に目頭が熱くなる。
「今は何をしてるの?」
「……死んださ」
こみ上げてくるものをぐっとこらえて、何でもないように振舞う。
いやに感傷的になって、顔を俯かせる。ナタリアが隣に座って、俺の肩に頭を乗っけてくる。そよぐ風が彼女の髪をなびかせる。
ふわりと、昔の匂いが鼻についた気がした。
リーンボックスの船着き場は、プラネテューヌのそれよりも閑散としていた。というより、人がいなかった。ここに用のある人間はそうそういない。
だが近づくにつれて、人影が見えた。船がゆっくりと止まって、停泊所に着くころには、そいつが誰か判別できた。
船長に礼を言って降りると、案の定、その女性がこちらへ寄ってきた。グリーンハートの変身前に似たデザインの、黒いドレスを纏う彼女は、ケイに負けじと顔に影がささっている。
「ベクター、久しぶりね」
箱崎チカ。リーンボックスの教祖。女神グリーンハートを「お姉さま」と慕うほど溺愛していた女性だ。
女神が捕らわれていたころ、妹である女神候補生がいない唯一の国を切り盛りしてきた有能な立役者でもある。
そのチカが俺を覚えていることに、少し驚いた。彼女はグリーンハートを愛するがあまり、そのほかの人間に対してはそれほど興味を持っていなかったからだ。俺も直に会ったのは数度で、残りの数少ないやりとりのほとんどは電話とメール、あと報告書を送ったくらい。
「チカ、あんたが直々に現れるとはな」
「待ちに待ったお届け物だもの」
ふわり、と緑の長髪をたなびかせる彼女は、この任務に関係していることを隠す様子もなく、胸の前で手を合わせる。
ケイの、「着けばわかる」とはこのことだったのか。確かに、顔を見て一発で理解できた。彼女もケイと同じく、女神を憎む一人なのだ。パープルシスターに敬愛する女神を殺された同士として、怒りと憎悪で繋がっている。
「その子がそうなの?」
俺の後ろに隠れるようについてくるナタリアをいやらしい目で見る。俺は遮るように間に立った。
「そうだ。それはそうと、女神を殺す手段とやらは本当にあるのか?」
ここまで来て、まだ半信半疑だった。あの竜を倒したとあれば、女神の実力は噂以上のものだ。それを、ただの人間が殺せるとは考えにくい。
「ええ、本当。準備はできてるわ。ついてきて」
チカはそう言って、元リーンボックスへと俺たちを入れる。ここも、ラステイションと同じように機能していた。
かつての国と同じように、その栄華を再現しようとしている。だが住人達には何かが欠けていた。
グリーンハートがいなくなったことは、リーンボックスの国民の支えがなくなってしまったことでもある。死んだと知らないのは、果たして幸福か否か。現れることはないと知らずに待つのは、一種の地獄ではないか。
「あれからもう二年かしら?」
「ああ」
あれというのが、女神が死んだときか、俺がいなくなったときかはかりかねたが、どちらにしても変わらない。
「あなたが「
ケイから聞いたのか。人殺しを非難する様子もなく、チカは興味深そうに言った。
「意外か?」
「いいえ、驚きはしたけれど、ありえなくはないと思ったわ」
アタクシも同じだもの、と続けて彼女は微笑んだ。
「あんたも俺も、こうなるなんて昔は考えもしなかったな」
「片や教祖、片や兵士、やってることは違うくても、国を想って戦ってたのは変わらなかったものね」
「ベクター、兵士だったの?」
口を挟んだのは、それまで沈黙していたナタリアだった。
「ええ、あまり喋りはできなかったけど、仕事はできる奴だったのよ」
そんな評価は聞いたことがない。まあ、お世辞でも悪い気はしなかった。
「それで、あなたがパープルシスターを殺してくれるの?」
「ああ」
そのためにわざわざこんな柄にもない仕事をしているんだ。
街の中心部にいくにつれて、人の活気が目についてきた。街行く人々に、チカが手を振る。人々もそれに応えて振り返す。
柱を失ったこの国では、代わりになるものが必要だ。今は、チカがその役目を果たしている。しかし、幻影の柱はそれ自体がもろいことを知っている。女神を失って一番穴が空いているのは、他ならぬチカ自身だ。心にぽっかりとできてしまった空虚に、パープルシスターへの復讐心が埋まっている。
「ラステイションにリーンボックス。ルウィーも一枚かんでいるのか?」
「いいえ、やり方だけは教えてもらったけど、協力は得られなかったわ」
四国の中では一番古いルウィーは、女神の数もほかより多かった。女神ホワイトハートに、妹が二人。そのルウィーもまだ存在している。
やり方、とは女神を殺す手段のことだ。犯罪神の伝承が残っているくらいだから、何かしら物騒な文書が残っていても不思議ではない。
「着いたわ」
案内されたのは、緑の線が入っている白い箱のような、近未来的な巨大な建物、教会だ。
中に通され、最上階に位置する執務室までたどり着く。整然とした空間の中に、机が一つ。上には大量の書類とPCが乱雑に置かれていた。奥に続く扉があるが、閉ざされていて中は見えない。あの中は女神の部屋だ。きっと、何の配置も変えていないに違いない。
グリーンハートが生きていた場所を崩したくないのか。あるいは……
生前、人が使っていた部屋をそのままにしておくと、地縛霊がついてしまう。そんなことを思い出した。たとえ霊でも現れてくれれば、と思っているのか。
俺たちが執務室に入るやいなや、二人の教会員が後ろを固める。
「連れて行きなさい」
それを合図に、教会員がナタリアの手を掴む。俺はとっさに反対の手を掴んで引き留めた。
「待て、何をするつもりだ」
「必要なことよ。悪いようにはしないわ」
それを聞いても、ナタリアの手を離せずに俺は固まる。ピリピリとした緊張が空気の中に混じる。解いたのはナタリアだった。
「ベクター、私は大丈夫」
無理に笑おうとして、ただ口角を上げるだけのナタリアを見て、仕方なく手を離す。教会員はナタリアを外に連れていく。扉が閉じられ、姿が見えなくなった瞬間に不安が胸をよぎった。
「ナタリアをどうするつもりだ」
「だから言ったでしょ。悪いようにはしないって」
疑いは晴れず、睨み続ける。チカはため息を吐いた。
「何も聞いてないのね」
チカは手招きする。積まれた紙の束をいくつか整理して、俺に渡してきた。
「あなたにはそうね……最初から話しましょうか」
チカはそう言って、俺が書類を読むスピードに合わせて話を始めた。
女神と犯罪神、その戦いの歴史を。
事の発端は、かつて封印された犯罪神が、時間の経過と人々の悪の信仰によって復活の兆しを見せたことからだ。
犯罪神は自分の分身を作り出し、女神の弱体化を狙った。生まれた四天王は手足として動き、十分にその働きをなし、恐れられた。植えつけられた恐怖は犯罪神の糧となった。このままではいけないと思った女神たちは、犯罪神の眠る墓場へと急行。しかし四天王に返り討ちにされ、逆に捕らわれてしまう。
三年が経ったあと、女神の妹である女神候補生たちが立ち上がり、女神たちの救出に成功。ついには復活してしまった犯罪神も倒したのであった。
「その話は誰でも知ってる」
今や伝説として語り継がれてる神話だ。その仲間には、看護師見習いや錬金術師、歌姫、さらにはアイエフもいたそうだ。彼女のもとに人が集うのは、彼女が一つの象徴だからだ。世界を救った英雄。生ける伝説。
「この話には、隠されてる部分があるの」
チカは深く息を吸って、続きを話す。
女神たちは力を合わせて四天王を倒した。それは同時に、犯罪神の復活を示していた。分割された魂は消えることなく犯罪神のもとへ戻り、不完全ながらも犯罪神は目覚めた。
だが、その力は女神たちに絶望を与えるに足るものだった。遠く離れてもわかる圧倒的な力を前に、彼女たちは考えた。考えた。考え抜いた。それでも、決定的な策は出なかった。
そんななか、「女神の力の源であるシェアを一点に集める」という作戦を、パープルシスターが提案したことで女神たちの間に亀裂が走る。それも当然のことで、他の女神を瀕死に追いやることと同義だったからだ。
意地でもそれを通そうとするパープルシスターのもとからは、他の女神は離れていった。
結果的に戦力が分かれてしまっても、パープルシスターは諦めなかった。姉とともにシェアを集める作戦の遂行を決意したのだ。
まず初めにラステイションを標的とした彼女たちの前に、その国の女神ブラックハートとブラックシスターが立ちはだかる。
壮絶な戦いの果て、黒の姉妹にトドメをさしたのは、呪われた魔剣。絶対的な力を持つ伝説のある武器だった。
各地にちらばる噂を巡って手に入れた、女神の命を奪うことで力を増すそれを、パープルシスターは仲間に突き刺した。
ブラックハートがそれを望んだ。それしか方法がないことを、彼女が一番わかっていたのだ。
最愛の姉を失ったブラックシスターもまた、パープルシスターを憎みながらも、その身体を貫かれた。
一人殺せば、もう戻ることは許されなかった。二人殺せば、進むことしかできなかった。
ホワイトハート、ホワイトシスターたち、グリーンハート、そしてパープルハート。紆余曲折しながらも共に歩んだ仲間を、捕らわれてから再び会い焦がれた姉を、パープルシスターは殺した。
犯罪神を倒す。ただそのために、姉と約束した平和のために。