「ふぅ」
チカは一息ついた。
彼女の話には憎しみが籠っていた。その話から俺が感じたのは、この世の終わりだった。
勝利を勝ち取るために、救った命さえ犠牲にする。人間という多数を取ったのではなく、女神として選択したのだ。いや、その道しかなかった。どの命を優先すべきか、選ぶこともできない。
抵抗はしただろう。だが、結果はどうあれ変わることはない。たった一人の女神だけが生き残り、他の女神の命と人間の未来を背負うことになる。
任されたのはパープルシスター。この地獄のような世界でただ一人、絶望しても死ぬことは許されず、犯罪神が遺した言葉が嘘だと証明するまで生き続けなければいけない。
永遠とも呼べる生の鎖に苦しめられている彼女の顔を思い出した。これまであらゆる底を見せつけられたパープルシスターを解放できるものは、存在しない。
「ナタリアはなんの関係がある」
「犯罪神は倒された。だけどパープルシスターが壊したのはその器だけ。魂は覚醒の時を待ってる」
目に見えるものはあくまで容れ物に過ぎない。
その圧倒的なしぶとさを誇る魂が本体なのだとチカは語る。
容器を壊せば中身もダメージを受ける。だが本当の意味で消滅させることはできない。昔の女神が封印という手段を取ったのは、それが原因だ。
「だから、それがなんの……」
言いかけて、悪寒が走った。
「ナタリアがそうなのか?」
「ええ」
間違ってほしかった答えが、合っていると言われた。
ナタリアの中に犯罪神がいる。
「そんな馬鹿な」
「いいえ、本当よ。かなり弱って不完全ではあるけれど、あの子の中には犯罪神が眠ってる」
否定はできなかった。
モンスターが凶暴化して襲ってきたのも、プラネテューヌに押し寄せてきたのも、ナタリアがいたから。一番最初、ラステイションの刑務所で犯罪組織の残党が現れたのもそう。小さな身体から発せられる正気に引き寄せられたのだ。
心臓が跳ね上がる。
ナタリアは記憶も感情も侵され、貪られ、理不尽にも身を乗っ取られつつあるのか。
「だからアタクシたちはあの子に目をつけたの。弱っていても、あの子の中にあるのは、女神と反対の力。それも純度が高い。その力を抽出できれば女神を殺すこともできる」
抽出、という言葉が引っ掛かった。
「ナタリアは無事なんだろうな」
「悪いようには……」
「それはお前にとってか?」
「あなたにも、世界にとってもよ。犯罪神も消え去って、女神も死ぬ。後に残るのは、人間が人間のために築く人間だけの世界。そのために一人の少女が犠牲になるだけよ」
嘘だ。女神を愛し、女神に支えられたこの世界も愛していたチカは、復讐に目が眩んでいる。女神が強いられた望まない犠牲を、ナタリアに課せようというのか。パープルシスターに相応しい死を与えるために。
だが……ナタリアの命はそんなことのために浪費されるほどの価値しかないのか?
彼女の顔が浮かんだ。無理に笑おうとして、失敗した顔だ。彼女は自らの中に犯罪神が宿っているなど知ってないはずだ。しかし解放されるべきでない何かが、心身を蝕んでいるのはわかっていたのだろう。だからこそ、抵抗もせずに連れていかれることを望んだ。女神を殺す手段が自身の中にあることをなんとなく理解して、命を扱われることを覚悟した。
あの笑顔はそういうことだ。俺の復讐を果たさせようとした少女の、精一杯の強がりなのだ。
「ナタリアを渡せ」
いつの間にか、拳銃を握っていた。銃口は真っすぐチカへと向いている。
復讐に生き、何人も殺した俺が、いまさら誰かを守るために銃を握っている。何日か前の俺が見たら、滑稽に映るだろうか。笑われたとしても、ここだけは退けない。
鏡に映った血まみれの鬼の姿が頭をよぎった。あれが理想の姿だったはずだ。容赦も感情もない、犯罪神のような破壊の化身が。だが今の俺は鬼と人間の間を行ったり来たりしている。限りなく人間の方へ揺れる心は、鼓動を早くさせる。
「ベクター……」
少し目を伏せて、チカは……
「変わらないわね」
悲しそうに微笑んだ、ような気がした。
次の瞬間、脳が千切れるような痛みが襲ってきた。茨に巻かれたように、全身に痛みを感じながらも、ぴくりとも動けない。
電気を流されたと気づいたのは、それが止んで伏したあとだった。
床か、あるいは服に何か仕込まれたか、迂闊だった。動きを奪われた俺は、そのまま屈強な男たちに運ばれた。麻痺の影響はずっと続き、目を開けることは許されなかった。
両腕を掴まれ、ずるずると引きずられる。身体は傷つけられていない。体力も万全のはずなのに、動かない。痙攣もしない。
身体が揺られていることは知覚できた。歯車が動く音も聞こえる。
エレベーターで下がっているのだ。
内臓が浮き上がるような奇妙な感覚を抑え、今がどこか探ろうとする。やがて音もなくなり、落ちる感覚もなくなった、
再び引きずられる。足音が反響していた。
大げさに金属がきしむ音が聞こえ、どさりと放り投げられる。
床は冷たく、空気は埃っぽい。無理をいわせ、かたつむりが這うような速さで手を動かす。
長い時間をかけて、ようやく身体の主導権を取り戻した。身をよじって壁にもたれかかる。
捕らえられ、外に出たかと思ったらまた捕らわれの身だ。
ラステイションと違うのは、ここは牢屋ではないことだった。元は倉庫か。さびれた部屋だが、金属の扉は頑丈そうだった。
また痺れる身体を何とか動かして、扉を押したり引いたりしてみる。びくともしない。苛立ってタックルするが、これも意味はなかった。
頭がこんがらがっていた。女神が死んだ本当の話だとか、ナタリアの中に犯罪神がいるとか、そんなことをはどうでもいい。
だが、ナタリアがその歴史の犠牲になるのはごめんだ。
彼女に記憶が、過去がどれだけあっても、今がどうであろうと、ただの少女だ。十一歳の少女だ。
未来を謳歌する資格は十分にある。なくちゃいけない。
武器は取り上げられたが、戦闘スーツはそのままだ。諦めきれずにポケットを探る。捕らえられたらそれまでだと思っていたから、脱走用の装備なんてない。
残っていたのは煙草とライターだけだった。一本咥えて火を点ける。
落ち着くことはできなかった。まだ吸い終わらないうちに、手が痺れて煙草を落としてしまう。苛つきが増して、煙草を踏みにじる。
ずっとここに閉じ込めておく気はないだろう。女神を殺すには、俺が必要なはずだ。だから俺を選んだ。
俺の復讐心を利用しようと企んで、命を奪うところまでを完遂させようとしている。
俺はいい。一線を越えた俺がどう扱われようと、自業自得だ。だがナタリアは……彼女には罪はない。
どうしようもなくて、床を叩く。軽々しく頼みを受けた自分を呪った。
結局は、ケイやチカと変わらない。いや、軸がぶれているぶん、彼女たちよりたちが悪い。
誰がどんな目に遭っても気にすることがなかったなら、どれだけ楽か。どうしようもなく心が揺さぶられる俺は、どうしようもなく人間だ、
これが報いか。
鬼を騙り、人を殺した報いを受けさせられているのか。
巻きつく
あの時からずっとそうだ。
グリーンハートたちとマジック・ザ・ハードの迫り合いは、別次元のものだ。
その一撃一撃から、爆発を起こすような衝撃が放たれる。
抵抗できずに地面に叩きつけられた俺の身体はもうぼろぼろで、意識があるのが奇跡的だった。
血が流れ続けているが、立ち上がる。
女神とマジック・ザ・ハードはあっちとこっちを行き来している。上空で轟音を響かせながら、苛烈な戦いを繰り広げていた。
女神八人を相手に、マジックは引けを取っていなかった。
目にも止まらぬ速さで交えられた刃が、衝撃波を飛ばす。また飛ばされそうになった身体を、踏ん張って留まらせる。
たまらず膝をつく。視線が地へ落ちる。
何十、百へと届きそうな死体が目に入った。どれもこれも目に光はなく、ぴくりとも動かない。
その中で俺だけが立っている。骸の山に囲まれてたった一人、俺だけが生きていた。
戦いの衝撃で建物が崩れ落ちる。地面に、壁に、傷がつく。
あらゆる建物に、道に、跡がつけられていく。
不安が襲ってきて、急いである場所を目指す。
全身がずきずきと痛むが、歩を緩めることはしなかった。一歩進むたびに嫌な予感は増してくる。
一キロか二キロ。普段なら大したことのない間を、身体を引きずるようにして進む。
やがて、両親が遺した一軒家へ着いた。
思い出がありつつも、一方で抜け殻のようなこの場所で俺は育った。
願いとは反して、やはり傷がついていた。かまいたちに遭ったように、すっぱりと切れた線が入っている。
急激に胸が締めつけられて、おぼつかない手で扉を開ける。
開ければ、妹が笑顔で迎えてくれるものだと希望を持っていた。いや、これは望みすぎだ。
最後に家を出ていく前の夜、俺は妹と喧嘩した。
きっかけは俺。
仕事を終えてぐったりとしていたところに、妹は言った。
寂しい、と。
雷に打たれたようだった。父の道を追うがあまり、俺は小さいころに感じた負の気持ちを妹にも押しつけてしまった。
あれだけ嫌っていた父親になってしまったようで嫌だった。素直に感情をさらけ出せる妹が羨ましくて嫌だった。
俺はクソガキみたいに喚き散らした。いいや、クソガキだったのだ。自分の罪を認めたくなくて暴れるクソガキ。
全ては俺の責任だった。
俺が独りだったのも、母にあの言葉を遺させてしまったのも、妹に父との思い出を残してやれなかったのも。
後悔するときにはいつも遅かった。何もかもが手遅れになったと気づいたとき、ようやく認めることが出来る。
全ては俺が何もしなかったからこそだと。
だから今度は手遅れにならないうちに
この戦いが終わったら、謝ろう。
許してくれないかもしれない。それでも、何も言わないときっと後悔する。
明日からは休みにしよう。
屋台で売っている胸焼けしそうなクレープでも食べながら、街を回ろう。
お洒落な服屋にでも行って、何度も試着して好きなものを買ってやろう。どこかの菓子屋にでも行って、高級なチョコでも食おう。公園のベンチにでも座って、これまで話せなかったことをゆっくり話そう。
だが、目の前に広がっていたのはその未来を全て潰すものだった。
裂かれた机や椅子はどうでもいい。切れた壁や床はどうでもいい。
俺の視線は真っすぐ、床に横たわる小さな身体にのみ注がれた。
ぱっくりと斬られた傷から血がとめどなく出ている。俺なんかとは比にならないくらいの量が床を赤く染める。
青白い身体から魂はすでに抜け出して、言葉は届かない。
「あ……あ……」
出たとしても、そんな意味のない言葉しか出なかった。
見間違えるはずがない。
妹だ。リンだ。
水たまりのように溢れる血に構わず、俺は跪いてリンの身体を揺する。何も返しはない。
リンを担ぐ。
現実味のない絶望に、地面がなくなっていく錯覚を覚える。足に力が入らない。がくがくと震えながらも外へ出る。戦いが終わったのか、すでに振動は感じなくなっていた。
街はどこもかしこも傷つけられている。何も変わらないのは、空だけだった。
がくり、と両膝をついた。
憤怒が俺を支配する。
この死をもたらした理不尽への憤怒。
犯罪組織、モンスター、マジック・ザ・ハード……女神。自分に、世界に向けられた憤怒だ。
それすらも、俺には感じる資格はない。
何も救えることが出来ないなら、悪も善もない。何もない俺にできることは、殺すことだけだ。
世界を殺す。ただ復讐のためだけに銃を撃つ。
そのために、俺は誰でもない骸になる。
ぐるぐると、悪い考えだけが頭を支配する。摩耗した心に引きずられるように、身体が重い。
朝か夜かもわからず、吊るされている裸電球だけが唯一の光だった。
がたん、と音がした。そっちを向くと、扉の前に紙袋が置かれている。
扉に小さく開く窓があったのか。そこから投げ込まれたのだろう。
ずりずりと身体を動かして、袋の中を見る。パンがいくつかと、ペットボトルに入った水があった。
まるで飼われているみたいだな。鼻で笑って、ゆっくりとパンを食べる。水をあおり、息をついた。
痺れはとれていたが、それ以上にこの状態が心身を麻痺させていた。
そうして、何時間、何日経っただろうか。
横たわる俺の頬を誰かが叩いた。
「おい、生きてるか?」
リーンボックスの兵士が俺を見下ろしていた。ここに連れてきたうちの一人だ。
「準備ができた。お前を連れてこいとのお通しだ。ほら、立て」
その男は俺を無理やり立たせる。
周りを確認した。扉は開いている。その向こうに、連れてきたもう一人が立っていた。二人ともリーンボックスの戦闘服を着ている。
「お前も手伝ってくれ」
俺の肩を支えていた男が、もう一人へ声をかける。
その男が面倒くさそうにこっちへ近づいてきた瞬間、俺はそいつの頭を掴んで、膝に叩きつける。
骨の砕ける感触の余韻が消えないまま、ぱっと頭を離して肩を掴んでいる男の背中へ手を回す。思った通りナイフがあった。
柄を掴んで引き抜き、太ももへ刺す。
絶叫が重なった。
床へへたり込んだ男たちの腰から拳銃を奪い、一発ずつ眉間に命中させる。叫びは止んで、二体が倒れる。
俺は飛び出すように扉を抜けた。教会の中は大体わかる。
ナタリアがいるとすれば、ここより上の研究室か、最上階。
生きていれば、だが。