Symbiotic girl 共生少女   作:月見里歩

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ハローケイミス王国

『××!』

 

 突然、人の声が森に響き渡った。

 エレノアの言葉と同じく、意味は分からない。

 

 しかし、その声の主を探そうと猫猿達の何割かの意識が二人から逸れた。

 その時、エレノアと美咲の視線は、猿達が湧いて来た町に向いていた。

 

 町の方には、気が付けば大勢の人影が見えた。

 似たような格好で隊列を組んで、整列している。

 その姿は、西洋の騎士に見えた。

 

『×××!』

 

 兵士の中の一人が、号令を口にした。

 隊列を組んでいた兵士達は、一斉に抜刀すると、森の中に突撃し始めた。

 

 猫猿達が気付くと、戦う個体もいれば、逃げ出す個体もいた。

 兵士達は、高い士気と練度を見せつけ、猫猿達の数を確実に減らしていく。

 すぐに森の中は戦場と化した。

 

 目の前で繰り広げられる掃討戦に、エレノアと美咲は見ている事しか出来なかった。

 助かったらしいが、実感が湧いてこない。

 

 猫猿からは助かったが、目の前の兵士達が味方なのか敵なのか分からない。

 美咲がエレノアを初めて見た時の気分を、今度は二人で味わっていた。

 

 やがて戦場では、猫猿達は逃げ切った個体を除いて全滅した。

 

 地上に転がる死にかけの猫猿達を、兵士達が一体一体確認してとどめを刺し、死体になった猫猿達を武装していない町民らしき人々が荷車で堀の底に捨て始めた。

 町民の女達は、怪我人の手当てに、戦場を忙しく動き回っている。

 

 木の上から、人々の戦後処理を見ていた美咲は、学校の社会の授業中に見せられた戦争映画を思い出し、気分が悪くなった。

 

『××! ×××××!』

 

 木の下から声が聞こえた。

 声の主を見て見ると、兵士の一人だった。

 明らかに美咲とエレノアに話しかけている。

 

『××××××××』

 

 エレノアは兵士に何か答えると、木を降り始めた。

 美咲が心配そうにエレノアを見た。

 木を降りながら、エレノアは美咲を見返すが、笑うだけで何もしゃべらない。

 しかし、エレノアが降りていくのだから、どうやら、兵士達は敵では無いらしい。

 

 エレノアが地上に立つと、猫猿の死体処理をしていた兵士や町民達が手を休めて集まってきて、周囲を囲んだ。

 みんなエレノアと美咲を見て、勝手に口々に喋っている。

 

 エレノアは、そっと美咲を地面に下ろした。

 

 少しすると町民らしきおばさんが駆け寄ってきた。

 その手には、畳まれた布を持っている。

 おばさんは同情の視線を向けて、美咲とエレノアに「これを」と言って大きな布を手渡してくれた。

 

「?」

 

 美咲は、おばさんが日本語を話した様に聞こえた。

 偶然場面にマッチした似たような発音の、こちらの言葉だったのだろうかと思っていると、美咲にだけ聞こえる声で、突然、頭の中で直接話しかけられた。

 

「美咲様、先ほど新言語のパターン、構造分析を完了しました」

 

 非常に聞き覚えがある、少女の合成音声だった。

 視界を意識すると、視界の端に、美咲のサポートコンシェルジュAIであるロッテが、呼んでもいないのに立っていた。

 

「お気づきかと思いますが、自動翻訳に新言語を適応しています。あと、同時に新言語辞書を作成、常時更新します。意思疎通の為に新言語への発音変換を視界に表示しますので、どうかお活用ください」

 

 いやに流暢に喋る。

 ロッテは言い終えるとニッコリと笑い、視界の外に歩いて行ってしまった。

 ロッテの報告を聞いて美咲は、周囲の人々が話す会話によって、分析のサンプルが一度に手に入ったのだろうと思った。

 

 気が付くと、周囲の人々が話している言葉が全て日本語に聞こえていた。

 すると、こんな話が聞こえてきた。

 

「あの変な恰好、それにキメラ、まさかアレが噂のブリッツか?」

「あの子、フォレストゴブリンに襲われてたのか? まだ若いのに可哀そうに」

「あんな格好で、こんな傷だらけになって」

 

 あんな格好でと言われ、美咲は自分達を見た。

 

 美咲の顔面と腕は血まみれ。

 公衆の面前なのに服装は、大事な所こそ隠しているもののボロボロに破れた水着と、首にかけたゴーグルだけ。

 気が付けば水泳キャップが無いが、それは、まあ、修羅場のどこかで無くした以外に考えられないし、今の美咲には、どうでもいい。

 

 エレノアに関しては、身体が切り傷で血まみれ、蜘蛛の脚に関しては何本も矢が刺さったままである。

 服装に関しては、完全に全裸だった。

 しかし、その態度は堂々としたもので、髪の毛で胸が隠れているからか、手で隠す素振りも見せない。

 

 美咲は、急激に赤面すると、すぐに渡された布をマントの様にして羽織り、全身を隠した。

 骨折している腕が傷むが、羞恥心が勝る。

 布越しに腕の血が滲み、口や鼻から血が点々と滴って布を赤く染めた。

 

 エレノアは美咲を見ると、渡された布を腰にスカートの様に巻いた。

 そっちもだが隠す場所は、そこだけじゃない。

 

「エレノア、もっと隠して!」

 

 美咲は、小声で叫ぶと言う矛盾に満ちた行為をしながら、胸を隠せとジェスチャーした。

 大きな布だから、胸から巻けば人の部分をスッポリと隠せる筈である。

 

「ミサキ、さっきまで…… 言葉がわかるのか?」

 

 エレノアは驚くが、美咲が今伝えたいのは、そこじゃない。

 

「言葉は、その……さっき覚えたから! それより、隠して!」

「頭良いんだな」

 

 言葉が通じているのに、まるで話が噛み合わない。

 

「後で説明するから! 先に隠して!」

 

 美咲の言葉にエレノアは、少し恥ずかしそうに返事をした。

 

「その……もう、隠してるつもりなんだけど……」

 

 そう言うと、布からはみ出した蜘蛛の脚を出来るだけ畳んで、小さくなろうとした。

 

 美咲は、言葉に詰まってしまった。

 エレノアが元々は普通の人間だった事は、ビジョンを見て知っている。

 そのエレノアにとっては、蜘蛛の身体を人に見られる事に抵抗があるらしい。

 

「そんなつもりじゃ……」

 

 美咲は、なんてデリカシーが無いんだと自分に腹が立った。

 

 すると自分が包まっていた布を、エレノアの蜘蛛の背中にかけた。

 これぐらいしか、今の美咲には出来る事が思い浮かばない。

 エレノアが人に見られたくない部分を晒していると感じるているのなら、それを黙って見ているなんて事は出来なかった。

 

「どうして……ミサキは、いいのか?」

 

「いいの。私は、まあ、似たような格好、人に見られるの慣れてるしね。それに、エレノアは……」

 

 そこに、一際派手な鎧を着た人がやってきた。

 フルフェイスの兜で性別も分からない。

 その場にいる全員が、雑談を慎んだ。

 どうやら、偉い人の様だ。

 

「その服装、ブリッツ殿とお見受けする。我々はケイミス王国騎士団、私は団長のラスティと申します。此度はフォレストゴブリンからのイルミナ奪還作戦の為、この地に派遣されました」

 

 声から言って、中年の男性だろうか。

 美咲がそんな事を考えると、騎士が兜を外して顔を見せた。

 兜にも負けずに短く刈り込まれた金髪を逆立てた、中年と言うにはやや若いが、美咲から見れば十分におじさんと呼べる顔が現れた。

 髭は無く、身嗜みには気を使っているらしく、清潔感を感じる顔立ちである。

 

「あ、えっと」

 

 美咲は翻訳されない単語を程よく挟まれる事で、疑問しか浮かばず返答に困った。

 

「ブリッツ殿は、どうしてイルミナに? この件で応援要請は、していない筈ですが」

 

 視界の端からロッテが美咲を覗き込み「ブリッツは不明ですが、イルミナは、すぐそこの町の名前の様です」と言った。

 

「どうして、って……」

 

 美咲は悩んだ。

 正直に異世界の話をするべきだろうか?

 この世界で異世界の人間と言う存在が、現実的かつ常識の範囲に無いと、頭がおかしいと思われる恐れがある。

 だが逆に、常識だった場合は、すぐにでも助けを求めたい。

 

 その時、視界に美咲が指示も出していなければ考えてもいない長文の発音字幕が勝手に表示され、ロッテが「参考になれば」と言った。

 美咲は、確認するとすぐに読み始めた。

 

「ラスティさん。まずは、お礼を言わせてください。危ない所を助けて頂いて、本当にありがとうございました。私は百鬼美咲と言います。氏名が百鬼です。旅をしていたのですが誤って天井の穴から、この近くの湖に落ちてしまい、助けを求めてイルミナに行ったのですが、運悪くフォレストゴブリンに襲われて、見ての通り服も荷物も失って、殺されそうな所を、そこのエレノアさんに助けて貰いました。ですが、隠れていた所をフォレストゴブリンに見つかってしまい、二人共危ない所で皆さんが来てくれたんです」

 

 天井の穴から云々以外、嘘は言っていない。

 

 ロッテが参考と言って提案してきたセリフは、異世界云々は伏せられているが、おおよその事情を説明するには十分な長台詞だった。

 状況も分からない今、助けを求めるには丁度良い塩梅である。

 

 異世界については、徐々にでも情報を引き出してからでも遅くは無い。

 美咲は、棒読みにならない様に台詞を言いながら、猫猿はゴブリンなんてファンタジーな名前だったのかと思った。

 ゴブリンと言ったら、多くのファンタジーの中で弱い部類のモンスターなのに、危うく殺されかけた。

 

 美咲が何を思っているのか等、目の前にいるラスティは想像出来る訳も無く、ただ紳士的に返事をしてきた。

 

「ブリッツではなく、旅の方でしたか。変わった服を着ておられるので、もしやと思ったのですがお恥ずかしい。領内の不祥事に巻き込んでしまうとは、何と言って謝って良いのか言葉が見つかりません。我らがルークス・ルナール王も、領内で起きた不幸を見過ごせる様な方ではありません。どうかケイミスにて身体と心に負った傷を癒してください」

 

 視界の端でロッテが目だけ出して覗くと、美咲が気付いたのに気付き、目を細めて笑い視界の外へと引っ込んだ。

 こうして美咲は、言われるままにお言葉に甘えて、ケイミス王国騎士団の馬車に乗せて貰い、エレノアと共に、一路ケイミス王国へ向かう事となった。

 

 

 

 

 同日、午後。

 

 イルミナの町をフォレストゴブリンの群から奪還したケイミス王国騎士団は、イルミナ防衛の部隊を残して、残りは王都へ向かって移動していた。

 美咲とエレノアは、その馬車列、真ん中を進む幌のある荷馬車の中で揺られている。

 

 ラスティや他の兵士達は美咲だけでも、ちゃんと屋根付きの馬車に乗る様にすすめてくれた。

 だが、美咲がエレノアと一緒に乗りたいと言って、荷馬車に一緒に乗り込んだのだ。

 兵士達も、意地悪でエレノアに荷馬車に乗る事を強要した訳では無く、エレノア一人でかなりの場所を取る為、他に乗る場所が無いのでしょうが無かった。

 

 当然、荷馬車なので座る椅子も無く、荷物も積まれており、乗り心地はお世辞にも良くない。

 しかし、美咲はようやくエレノアとゆっくりと話をする時間が作れそうな事が、単純に嬉しかった。

 早く言葉を重ねて、エレノアの事が知りたくてウズウズしているのだ。

 

「あんた旅人なんだって? えらい肌が綺麗だね。まさか、実は貴族様かなんかかい? この服もえらい変わってるね。そっちのキメラのあんたは?」

 

 結論から言うと、二人がゆっくり話す時間は、ここでは訪れなかった。

 荷馬車の中で、どう見ても医師免許を持って無さそうなお姉さんが、二人の傷の手当をしてくれている。

 傷の手当と言っても、美咲の水着を脱がせて、全身の汚れをお湯で濡らした綺麗な布で拭き、折れた骨の位置を戻して添え木を当て、浅い傷に包帯を巻くぐらいの物で、ただの応急処置である。

 しかし、お姉さんは、その素朴な見た目に反して応急処置の手際は良く、骨もどうやら元の位置に収まっているようで、手当てしなれていた。

 お姉さんは見た所、ただの町娘に見えるが、イルミナに残らなかったのを見ると、別の町の人か、出稼ぎといったところだろう。

 

「あたしは、たぶん、ずっと捕まってたんだと思う。昔、さらわれて」

 

 エレノアが、お姉さんに答えた。

 さらっと重い台詞が聞こえてきたが、ビジョンを見た時から、そんな事だろうとは思っていた為、美咲はそれ程驚かなかった。

 お姉さんは美咲とは別の感覚で、驚いた様子こそ見せるがそれほどでは無かった。

 

「人狩りかい? そりゃ、あんた、大変だったね。でも、もう大丈夫さ。ルナール様に言えば、きっと故郷に帰してくれる」

 

「家は、覚えてないんだ」

 

 お姉さんが、美咲の腕の深い傷口を針と糸で縫おうとすると、それを見ていたエレノアが「もっといい方法がある」と言って蜘蛛の腹にある糸くぼから手の平にジェル状の糸を乗せ、美咲の傷口をピッタリ閉じてから、糸を薄く塗って傷口に蓋をした。

 糸がすぐに乾くと、傷口の上が薄い膜でコーティングされた様になり、傷口もぴったりと閉じられている。

 ようやくちゃんとした手当が行われて、iDの表示も緊急事態だった物が大人しくなっていた。

 傷口が外気から遮断されているらしく、ヒリヒリとした表面の痛みが消えた。

 

「あんた、えらい便利だね。それなら、ケイミスに住めばいい。騎士団なら年中怪我人が出るし、こっちも大助かりさ。旅人のあんたも、この傷が治ったら旅を続けられるさ。ほら、いつまでも裸でいないで、これ着な」

 

 荷馬車の上、幌一枚で囲われた女だけの空間。

 ミイラみたいになった美咲は、質素な服を渡された。

 ドロワーズかズロースと言うのだろうか。

 ハーフパンツみたいな下着にはゴムが無く、腰に紐で固定するだけの物だが、水着よりは包まれている感があるだけマシだし、文句は言えない。

 下着を履いて、一緒に渡されたワンピースを着ると、人種を除けばお姉さんと同じ町娘に見え、十分に溶け込めそうであった。

 

「あの、ルナール様って?」

 

 美咲が、気になっていた名前を尋ねた。

 ラスティは、王様と言っていたが、どういう人なのだろうか?

 

「あんた、ルナール様って言ったら、この国の王様で、現役のルークスさ。戻ったら、あんたらは謁見するんだ。くれぐれも失礼の無い様にね」

 

「謁見って王様に会うって事?」

 

「そりゃそうだろ」

 

「なんだか緊張してきた」

 

「大丈夫。とても聡明な方だからね」

 

「あの、ところで、ルークスって何? 王様の名前?」

 

 こうなったら分からない単語は、お姉さんに片っ端から聞いていこうと思った。

 

「あんた、頭でも強く打ったか、それとも、よっぽど田舎の出か? 別にバカにするつもりは無いけど、ルークスを知らないって冗談だろ?」

 

「田舎と言うよりは、異国の出身になるのかな。王様に失礼の無いように、いろいろ教えて欲しいです。えっと」

 

「ああ、あたしはレアラ。ここの騎士団で仕出しとか雑用をしてるよ。さっきいたイルミナの出身だ。あんた、この調子だとブリッツもグランツも知らないのかい?」

 

「はい。あの、私は百鬼美咲っていいます。彼女はエレノアです」

 

 美咲が首を縦に振ってから自己紹介をすると、レアラは何から説明した物かと考える。

 

「ナキリミサキとエレノアね。氏名がミサキでいいんだよな?」

 

「ナキリの方です」

 

「ふ~ん。名前の響きと言い、変わってるね。じゃあ、なんて呼べばいい? ミサキって呼んでいいかい?」

 

「はい!」

 

「ふふ、あたしはレアラでいいよ。あらためてよろしく。エレノアの方は、フルネームは?」

 

「これで全部」

 

「そうかい。じゃあ、エレノアって呼ぶよ」

 

「ああ」

 

 自己紹介をし終えると、レアラは美咲の質問を思い出した。

 

「そうだね~、順番に説明すると、ブリッツって言うのは、シェルって不思議な力を使える人の中で、アナトリアに所属している人で……ルークスって言うのは、その中でブリッツを部下に持っている人……かな。グランツは別格で、個有領域を持っている人だよ。って言っても私も、それ以上は詳しくは知らないんだけどね。でも、そんぐらいは常識さ」

 

「???」

 

 想像以上に難解で美咲は頭上に?を浮かべている。

 

「本当に何も知らないのかい? さては、穴ぐら出身だね? まあ、あたしも大差ないけどさ」

 

 そう言うとレアラは頬をポリポリとかいた。

 美咲はiDで視界に辞書を開くと、新言語仮登録一覧を開いた。

 

「あの、アナトリアと、シェルと、こゆうりょういき、って言うのも教えてください」

 

「しょうがないねぇ。それにしても、そんなでよく今まで旅が出来てたね、あんた。逆に凄いよ」

 

 そう言って笑いながら、レアラは親切に教えてくれる。

 世話焼きが性に合っているのだろう。

 

「アナトリアってのは、世界を管理している連中さ。シェルってのは、まれに手から火を出したり、水を氷にしたり、そう言う不思議な力を持って生まれてくる人がいるだろ? そう言う人の力の事だよ。あと何だっけ? ああ、そうだ、個有領域って言うは、アナトリアの巫女のアナトリ様から与えられるグランツの特別な力の事で、個有領域の中では、グランツは自分と契約した奴に、ブリッツみたいにシェルを使わせる事が出来るのさ。ちなみに、グランツもルークスも元ブリッツが殆どだから、みんなシェル使いさ」

 

 美咲が新しい情報の波に混乱していると、視界の端でロッテがメイド服のままタイプライターをバチバチうって、辞書の新単語登録をせっせと行っていた。

 単語登録が済むと、ポコンポコンとゲームのトロフィー解除みたいな演出音をさせて、視界の端に「○○を登録しました」と、まんまトロフィー解除風に出てくる。

 そんな設定した記憶は美咲には無い。

 可愛いけど、少しシュールな光景に美咲は冷静になった。

 

 どうやらアナトリアと言うのは、巫女のアナトリ様と言う人がいて、次にグランツ、その下にルークス、ブリッツと続く、美咲にとって謎の組織……らしい。

 

 その全員が、シェルと言う不思議な力を使えるというのだから、本当にファンタジーである。

 と言う事はルナール様は、王様をやりながらアナトリアのルークスと言う肩書も持っている凄い人なのだろう。

 

 美咲の頭では、どうせ一度に全ての理解までは追い付かないので、後で整理する為に出来るだけ多くの情報を聞こうと改めて思った。

 辞書を埋めようと視界を見て見ると、既に埋まっているけど意味が多分違う物があった。

 

「あの、キメラって言うのは?」

 

 美咲は、キメラと聞くとゲームの敵しか思い浮かばない。

 色々な動物が混ざった奴だ。

 辞書には、二つ以上の遺伝子情報を持つ人、または架空の合成生物とあった。

 

「キメラなら、あんたの隣にいるエレノアがそうだろ?」

 

「えっと、私が暮らしていた国だと、実際に見た事も聞いた事も無くって、どういう意味なのかなって……人種とか?」

 

 レアラは、少し言いにくそうにした。

 

「いいよ。あたしの事は」

 

 エレノアに言われると、レアラは「悪気はないからな」と言う風な、困り顔をして説明を始めた。

 

「キメラって言うのは、大昔にこの世界に棲みついた魔獣の末裔、って言われてた人達だよ。実際は、亜人種と違って身体の一部が別の生き物に見える人達の事さ。国によっては、今もかなりの差別が残っているけど、何とかって偉いグランツ様がずいぶん昔にキメラを養子にして、それからかなり世間の見方というか、風当たりが変わったかな。ケイミスでは、それよりも昔から差別なんてしたら牢屋に入れられてたね。あんた、本当に気を付けるんだよ。何気ない一言が誰の気に障るとも知れないんだから。特に、種族じゃなくて身体の特徴で呼ぶのは、御法度だよ」

 

「わ、わかりました」

 

 レアラの言い方だと、キメラと呼ばれる人々は、この世界では普通に存在しているらしい。

 ついでに亜人とか言う言葉も聞こえた。

 人種差別は、元いた世界でも根強く残っていたし、人種問題は、どこの世界でもデリケートである。

 

 しかし、そこで生まれた新たな疑問があった。

 キメラが普通に存在しているのなら、なぜエレノア達は人体改造をされてまでキメラに変えられる必要があったのかである。

 

「さ、これで処置は終わりっと。あんたが履けるスカートは無いから、悪いけど、またこれで我慢しておくれ。城に戻ったら、血のついてない奴と交換するよ」

 

 そう言うと、レアラはエレノアの傷の手当てを終え、服と布を渡した。

 

「……ありがと」

 

「こっちは仕事だからね。礼は良いよ」

 

 エレノアが服を着て、腰に布を巻くと、二人はようやく落ち着く事が出来た。

 

「他に聞きたいことはあるかい? ケイミスまでは、まだ半日はあるからね。わかる事なら何でも答えるよ」

 

「あの、じゃあ、イルミナの町はずれの砦って何なのかわかりませんか?」

 

 美咲の質問に、エレノアは少し驚いた顔をした。

 確かに、イルミナの町のすぐ近くにあって、そこがケイミス王国の領内なら、ケイミス王国の人が何か知っている可能性が高いのは当然の事だ。

 砦が何なのか、出来れば持ち主が分かれば、何かわかる事があるかも知れない。

 

「砦? ああ、あの燃えたやつね。かなり長い間ずっと廃墟だよ。私が生まれた頃には、もう誰も使ってなかったって言うし、危ないから近づくなって言われてたね」

 

「そう、なんだ……じゃ、じゃあ、もっと昔の事は、誰に聞けば?」

 

「うーん、イルミナの長老が生きていれば、一番早かっただろうけど、ゴブリンに食われちまったからな。でもどうして?」

 

「実は、エレノアが捕まっていたのが、あの砦で……」

 

「……なんだって、あんな所に? キメラを売る気なら一番近くの国で西のグレモスだし、廃墟になっちゃいるけど、あそこは昔から人が入らない様に、常に見張りがいたはずだよ。それに、扉は全て大昔にシェルで封印されたって話、町の奴なら誰でも知ってる事だよ。誘拐した子供でも、隠すならもっといい場所はいくらでもあるだろうにね」

 

 封印と聞いて、どうりで正門が開かない訳だと二人はそれぞれ思った。

 しかし、美咲だけは、そこで気になる事があった。

 

「あの、裏口が開いてたんですけど」

 

「そりゃ本当かい? でもまあ、そうか。私が聞いた話だと、あの砦は廃墟になって少なくとも百年以上経っているからね。封印が解けても不思議は……」

 

「百!?」

 

 美咲は、ロッテを見た。

 ロッテは意図が分からないようだが、どうも誤訳では無いらしい。

 

 それからエレノアを見た。

 エレノアも年月を聞いて驚いていた。

 実は、かなり年上らしい。

 どうやら、水槽の中でそこまで時間が経っていたるとは思っていなかったようだ。

 

 エレノアが、自分が誘拐された時には、普通の人間だった事を訂正しないのも、美咲は気になった。

 

「でも、まあ……それが本当なら、ルナール様に聞いてみると良いよ。ルナール様なら、誰が持ち主だったか調べられるし、何よりも自分の領内でそんな事を許せるお方じゃないから」

 

 しばらくそんな話をしていると、馬車の隊列が動きを止めた。

 幌布をめくって外を見ると、そこには巨大な横穴の開いた壁が見えた。

 天井の穴から日が照らす明るい鍾乳洞の中に、一切明かりの無い暗い洞窟が現れたのだった。

 

 

 

 ケイミス王国を目指す騎士団の隊列が、大きな横穴が開いた洞窟の壁の前で止まった。

 どうやら、そこは決まった休憩地点で、近くにある池では、馬車から解かれた馬達が水を飲んでいた。

 これから横穴の中を進むらしく、横穴を抜けるまでは暗い道が続くという。

 

 仕事で呼ばれたレアラが「また後でね」と、炊事に行っている間、二人きりになった時だった。

 

「さっきは、ありがとな。これ」

 

 美咲が、せっかく二人きりになったのに何から話して良いのやら悩んでいるのを見かね、エレノアから話しかけてきた。

 自身の蜘蛛の背中をスッポリと覆っている布をつまんで。

 布には目印の様に美咲の血がついている。

 

「ううん。ごめん」

 

 美咲は、なぜか謝ってしまった。

 

「なんで、謝るんだよ」

 

「だって、エレノアは、その……脚の事気にしてるって、少し考えれば……」

 

 エレノアを傷つけてしまったという後悔を思い出し、拭う事も出来なければ、扱い方も分からなかった。

 美咲は、加害者になると言う事に慣れていない。

 どうすれば、このモヤモヤが晴れるのかが分からず、謝ってしまったのだ。

 

「急にどうしたんだ? さっき会ったばかりで、相手の事なんて、すぐに分かる訳ないだろ? そんなの気にしてないから」

 

「それは……そう、なんだけど」

 

 美咲の言い分は、例のビジョンを見ているから言えることで、今の美咲の話には自身の視点しか無かった。

 慣れない罪の意識で気持ちに余裕が無いのと、美咲の精神年齢がまだ未熟な事が原因である。

 それに比べると、エレノアの方が美咲よりも今は冷静であった。

 美咲は、何から伝えた物かと悩み、考えがまとまらない。

 それでも、一個ずつでも、順番に話そうと思った。

 

「あの……あのね、エレノアに聞きたいことがあるんだ」

 

「その前に、あたしも聞きたい事があるんだけど。いいかな?」

 

 いきなり出鼻をくじかれた。

 だが、質問するよりも答える方が楽である。

 話しているうちに質問が固まる事もあるので、実際は助かっていた。

 

「あ、ああ、うん。なに?」

 

「あたしの名前は、どこで知ったんだ? この名前を知っているのは、ダチだけなのに。それに、あそこで見た……ジャックは、あれを出したのはミサキだろ?」

 

「あ、えっと、順番に説明するね。あの部屋にあった、研究日誌って言うのかな。その中に名前が書いてあったから、名前はそれで知ったんだ」

 

「研究日誌に……名前? あたしの? あいつらが?」

 

 エレノアは腑に落ちないという顔をする。

 まるで、日誌に名前が書かれている事があり得ないとでも言いたげである。

 

「私も聞きたかったんだけど、なんで英語で書かれていたのか。食堂で見た地図には、別の言葉で書かれてたのに」

 

「英語? 別の言葉? その日誌ってのは?」

 

 エレノアの反応を見る限り、英語で書かれていると言われても何のことか分からないみたいだった。

 

「火事で、燃えちゃった」

 

「なんて書いてあったか何か覚えてないか? 誰が書いたかだけでも」

 

 エレノアは、日誌に自分の名前を書いた人物を気にしていた。

 

「ごめん。虫食いだらけだったし、私、英語苦手で……でも、日誌に名前が書いてあったら、何かおかしいの?」

 

「……ああ、あたしの名前は、一緒に、あそこでつかまってたクレアって奴がつけてくれたんだ。さらった奴らは、あたしの事は番号で呼んでたから」

 

「そ、そうだったんだ。それじゃ、本当の名前は?」

 

「覚えてないんだ。その、なんだ、変な話して悪かった。ミサキは、じゃあ、あたしの事は……何も知らないんだよな? でも、じゃあ、あのジャックは……」

 

「あそこで助けてくれた子、ジャックって言うの?」

 

「あ、ああ……たぶん。子供の頃の、友達に似てたんだけどな、でも、さっき聞いただろ? もしかしたら百年ぐらい前だから。ミサキが会ってるわけ無いよな。それで、ミサキは、何を聞きたいんだ?」

 

「まずは、これの事」

 

 美咲は、首の噛み傷を指した。

 

「いきなり噛んだのは、悪かったよ。聞きたいのは、あの……シェルの事だよな」

 

「うん」

 

 美咲は、幽霊を見て呼び出したあの力もシェルなのかと思った。

 

「知ってる事は教えるけど、一つ約束してくれないか」

 

「約束って、どんな?」

 

「あたしの毒の事も、ミサキのシェルの事も、誰にも言わないで欲しい……あたしをさらった連中の仲間の耳に入らないとも限らないだろ? 百年以上経ってるかもしれないけどさ」

 

「……わかった。エレノアが言って欲しく無いなら言わないよ」

 

「約束だからな」

 

「うん」

 

 そこまで誓わせて、エレノアはようやく話を始めた。

 

「とは言ってもよ、実はあたしも詳しくは知らないんだ。わかる範囲で説明するから、それで勘弁してくれよ」

 

「うん。わかった」

 

「あたしをさらった連中は、あたしの毒の事をギフトって呼んでた」

 

「ギフト……」

 

 水槽のプレートの文字を思い出した。

 視界ではロッテが「ドイツ語でギフトは毒の意味があります」と教えてくれる。

 美咲は「へー」と思った。

 

「あたしは、その……連中が言っていたのは、一番最初にギフトを身体の中で作り出せた個体で、試作品だって」

 

 エレノアは、記憶を手繰り寄せる様にゆっくりと語る。

 

「あたしの毒が人の身体に入ると、シェルを使えるようになる事があるんだけど。今にして思えばさ、連中はシェル使いを作り出そうとしていたんだと思う」

 

「シェル使いを作る……」

 

「ああ、でも、あたしの毒は短い時間しかもたないし、また噛まないと使えないんだ。それに、シェルってのは、一人一人違くて、使える様になるシェル次第では、あたしの毒だと身体への負荷が大きすぎて……連中の実験では噛んだだけで殆どの奴が死んじまったよ」

 

「ほ、ほとんど……」

 

「ミサキを噛んだのは、本当にすまないと思ってる。だから、せめて名前を聞こうと思ったんだ。ミサキの事を忘れない様に」

 

「ま、まあ、ほら、こうして……生きてるし……」

 

 美咲は内心「名前を聞いたのは、墓標用でしたか……」と苦笑いした。

 分かり合っているつもりだったが、それなりに認識の齟齬がありそうである。

 

「あたしの毒は、効果も短いけど、短い時間で何度も噛めば、副作用で幻覚を見たり、高熱が出たり、下手すると死んじまうんだ。だから、最後の方は、ずっと薬の実験台だったよ。あたしが知っているのは、こんな所かな」

 

「だから、さっき森の中では噛まなかったんだ」

 

「ああ……他に聞きたい事は?」

 

 聞きたい事ならたくさんある。

 エレノアの話を聞きながら、質問がまとまった美咲は、順を追って話を始めた。

 

「私がシェル? を使った時にね、音が聞こえたんだけど」

 

「音? ああ、何か聞こえた気はするけど、悪い。あたしはシェルなんて使った事無いから、それは分からないかも」

 

「それと、これは多分なんだけど、過去の光景が見えたの。あの部屋の」

 

「光景?」

 

「エレノアがあの部屋に来て、姿を変えられて、水槽に入れられた所が見えたんだけど」

 

「どう言う事だ!?」

 

「ジャック君? あと、蛇と蠍のキメラに変えられた子達も見た。蛇の子がジャック君に……その」

 

「殺された所もか……」

 

「そう、それから、エレノアを助けて欲しいってお願いしたら、ジャック君が出てきたの」

 

「ミサキ……それが、ミサキの……シェルの力なのか?」

 

「わかんないけど、多分」

 

「過去の光景。ジャックだけじゃなくて、クレアとアリスも知ってるって事は、見たってのを信じるしか無いか……見た物を出せる力なのか……?」

 

「だから、エレノアにちゃんと言わなきゃって、馬車に乗ってからずっと思ってたんだけど、あのねエレノアが、私を助けてくれたのも、あの蛇の子の事があったからって……」

 

「……蛇じゃねぇよ……」

 

 エレノアは、ぼそりと呟いた。

 

「それでもね、蛇の子の代わりだとしても、私、エレノアに、たすけて、もらっ、て、かん、しゃ……」

 

 荷馬車の中を流れていた空気は、いつの間にか悪い方向へと淀み始めていた。

 美咲はエレノアの地雷に気付くのが、一歩遅かった。

 

「蛇じゃねぇ! クレアだ!! ああ、確かに、最初はミサキがクレアに見えたよ! 今度は助けられるんだって思ったさ! でもな、あたしはミサキの事を助けたくて助けたんだ! 勝手に一人で全部わかった風な口をきくな! 勘違いしてるんじゃねぇ!」

 

 エレノアは突然大声をあげ、美咲の両腕を掴んだ。

 せっかく治療した包帯には、傷口が開いたのか、じわりと血が滲んできてしまった。

 

「ご、ごめん……ごめんなさい。あの、あのね、私が言いたかったのは……ただ、ありがとうって……」

 

 ちゃんと伝えたかった。

 それがかえって裏目に出た。

 伝えたかった事の前置きのつもりが、とんでもない地雷を踏んでしまった。

 

 さっきレアラに注意されたばかりなのに……

 他に説明する言葉が思いつかなかったにしても、せめてレアラの様に蛇と言う事に悪気が無い事を事前に断るべきだった。

 

 エレノアの目には、友達を侮辱された憤りがあった。

 しかし、それ以上に、美咲に全てを見透かされているような焦りが滲み出ていた。

 それに美咲は気付けなかった。

 

「お前じゃ……クレアの代わりになんかならない……」

 

 エレノアは、辛そうな表情で、自分に言い聞かせるように吐き出すと、すぐに美咲から手を放した。

 

「……怒鳴って、悪い。腕も、傷口が……あたし、何を……」

 

 申し訳無さそうな美咲の顔と、包帯の血を見て冷静さを取り戻したエレノアは、なんて事をしてしまったんだと動揺した。

 こんな事をするつもりは無かった。

 ただ、美咲の事をクレアの代わりにしようと心のどこかで、無意識のうちにしていた。

 そんなズルい自分を指摘された気がして、それを隠したい気持ちが暴発してしまったのだった。

 美咲の包帯は、猫猿の引っ掻き傷の形に赤く染まっていく。

 

「ううん。私が、失礼な事言ったから……レアラさんに気を付けろって言われたばかりなのに……ほんとうにごめん」

 

 この時エレノアは、美咲のどこまでも誠実で真っ直ぐな瞳が怖くなった。

 汚くて卑怯で、嫌な自分を見られたくなかった。

 気付かれたら、きっと嫌われてしまうと思った。

 

「あぁ? ミサキが悪いなんて、そんな訳あるか……くそっ……悪い、ちょっと外で頭冷やしてくる……」

 

 そう言うと、美咲から逃げる様に馬車から降りていってしまった。

 美咲は引き留めようと立ち上がるが、馬車の外を見るとエレノアは森の中へと走って行ってしまった後だった。

 

 

 

 

 池のほとり、休憩地点とは森を挟んだはずれの場所。

 人影のない所で、エレノアが一人佇んでいた。

 

 エレノアが出て行って、すぐに追いかけたが、足の歩幅も早さも違うので、美咲は追いつくのに時間がかかってしまった。

 木の影でエレノアの様子を覗くと、エレノアは明らかに落ち込んで見える。

 

 どんな顔をして会えば良いのか分からないが、美咲はとりあえず謝ろうと、木の影から出て行った。

 

「……エレノア」

 

 呼ぶと、エレノアは黙って振り向いた。

 

「えっと……頭は冷えた?」

 

 美咲は、自分で何言ってるんだと思った。

 挑発しに来たわけではない。

 

「それなりにな……」

 

 エレノアは落ち込んだまま答えた。

 もう逃げる気は無いらしい。

 

「さっきは、ごめん」

 

「いいよ。あたしこそ、ミサキがクレアの名前知ってるわけ無いのにな。それに、酷いな、あたし……」

 

 美咲の血の滲んだ包帯を見て自己嫌悪するエレノアを前に、美咲は声を大きくして言った。

 

「あのね!」

 

 美咲が場の空気を切り替えようと出した声に、エレノアは驚いて顔をあげた。

 

「私もね、多分さらわれてきたんだ」

 

「……どう言う意味だよ? 旅してて、それで迷い込んだって」

 

 エレノアにとって、それは意外な内容だった。

 美咲の言葉にエレノアは混乱した。

 美咲の言い方ではエレノアには、連中にさらわれた風に聞こえてしまう。

 

「ゴブリンから逃げて砦に迷い込んだのは本当だけど、旅は嘘。さっき聞いたシェルを使った時に聞こえた音の話。私が暮らしてた場所で、その音が聞こえたら、気が付いたらイルミナの近くにある湖にいたの」

 

「?」

 

「私の国には、シェルを使える人なんていなかったから、だから多分、誰かにシェルを使って、ここに連れて来られたんだと思う」

 

 美咲の言葉を、エレノアは黙って聞いている。

 

「エレノア、私は、元の場所に、自分の国に帰りたいの。でも、それには、きっと、私を連れてきた人を探さないといけない」

 

「ミサキ、お前まさか、そいつを探す気なのか?」

 

「それしか今は帰る手がかりが無いんだ。それに、他に帰り方が見つかったら、別にそれでいいし」

 

「どっちにしても、そんな奴どうやって探すんだよ。何か手掛かりは?」

 

「わかんないけど、レアラさんの話だと、アナトリアって所に行けば、いっぱいシェルを使える人がいるんでしょ? まずは、そこに行こうと思ってるんだけど……」

 

「だけど? なんだよ」

 

「エレノアも一緒に行こう! そこなら、エレノアを元の身体に戻せる人がいるかもしれない!」

 

「あたしの……この、身体を……元に? そんな事……」

 

 出来る訳がないという言葉をエレノアは飲み込む。

 美咲からの思いもよらぬ提案に、エレノアは驚きを隠せない。

 

「エレノア、私はジャック君にも、クレアさんにも、アリスさんにも、誰の代わりにもなれない。ううん。誰かの代わりになんて、最初からなる気は無いよ! 私は百鬼美咲にしかなれないから! エレノアの言う通りだよ!」

 

「きゅ、急にどうしたんだ?」

 

 美咲の謎の気迫に押され、エレノアはたじろいだ。

 美咲はエレノアの言葉をスルーし、話を続けた。

 

「でもね、エレノアの新しい友達にならなれるって! なりたいって思ったんだ! さっきもね、それを言いたかった。友達になって、エレノアを元の身体に戻してたいって」

 

「な、何の話をしてるんだ? あたしと、友達に? 元の身体?」

 

「うん!!」

 

 美咲の目は、今までにない輝きを見せていた。

 傷だらけでボロボロなのに、その瞳には誰が見ても分かる希望が見える。

 

 家に帰れるかも身体を戻せるかも、どっちも実現可能なのかなんて誰にも分からない。

 それは根拠の無い自信の筈なのに、美咲になら探し出せてしまいそうな、不思議な説得力があった。

 

「でも、ミサキは、あたしの身体、怖いんだろ?」

 

 見てれば分かるよと言う顔をして、腰布から前脚を出して見せた。

 

「怖くない! 訳じゃ、ないけど……怖いけど」

 

 美咲は、言葉を濁しながらもエレノアの脚を、そっと触った。

 それから、やけくそ気味にギュッと抱きしめた。

 

「この脚だって、エレノアの一部だから、慣れる時間が欲しいんだ!」

 

「慣れるって、また正直だな。どうして……あたしの事、知らないで、そんな」

 

「だから、よく知りたいんだよ!」

 

「でも……」

「でもじゃない!」

 

「無理に、そんな」

「無理なんてしてない!」

 

 

「じゃ、じゃあ、なんで友達になりたいのか言ってみろよ。そうか、この身体が可哀そうだからか! 家に帰るついでに治してやろうって……ああ、わかったぞギフトか! どうせ、この身体が旅に便利なんだろ!」

 

 エレノアは、どうにか美咲を遠ざけようと言葉を吐き出した。

 その言葉の一つ一つは、どれも本心だろう。

 言葉の一つ一つがエレノアの不安な心を現していた。

 

 エレノアは、こんな自分と、本当に友達になってくれるのかが不安だった。

 一緒にいて、嫌われるのが怖いのだ。

 

 それでも美咲は、そんなエレノアに裏表無く気持ちを伝える事しか出来ない。

 もちろん、生きていればズルを考える事は沢山あるし、知略を巡らせる事も出来る。

 根っからのズボラで、甘えん坊なただの15歳の少女だ。

 

 しかし、人間関係と言う事に関して言えば、美咲は常に誠実な人間であろうとしてきた。

 そして美咲は、誠実さを土台に、自分の好き勝手に振る舞うのだ。

 他人を都合良く操る側の人間ではない。

 また、他人の都合で操られる側の人間でもなかった。

 それが、好きを原動力にしている時は、なおさらであった。

 本心を伝えるのには、言い訳も飾った言葉も不要である。

 

「好きだから!」

 

 言葉は溝を埋めてくれる。

 だが、どんな言葉でも良い訳では無い。

 自分に正直であり、傷つく事を恐れず、言葉を紡ぐ事こそが本心を伝える一歩となりえるのだ。

 

 

 それは、つまり告白であった。

 

 

「………………へ?」

 

 

 今までにない気の抜けた声が聞こえた。

 思いもよらぬ言葉。

 エレノアの脳は、言葉の音と意味を照合するのに、たっぷりと時間を必要とした。

 

「エレノアの事が、好きだから!」

 

 美咲は言った。

 ハッキリと。

 しばしの沈黙。

 

 

 

 その後。

 エレノアの脳内で、言葉の音と意味が合致すると、今度は言葉に価値が生まれた。

 顔が面白い様に、みるみる赤く染まっていく。

 エレノアにとってしてみれば、初めてされた告白であった。

 それが、友達としてだとしても、初めて面と向かって好きと言われる経験だったのだ。

 

 エレノアは、ついさっきまで抱えていた自分の悩みが掻き消されていくのを感じた。

 美咲の「好きだから」の一言で、心を凍てつかせていた氷が解け始めたのを感じずにはいられなかった。

 そこには小難しい理由も根拠も無い。

 

 こんな自分の事を、ただ好きになってくれる。

 クレアの代わりでは無く、百鬼美咲としてゼロから友達になってくれると言うのだ。

 目の前の、自信に満ち溢れた少女は、自分を受け入れてくれる事に疑いの余地を感じさせない。

 何の計算も裏も、そこには存在しない。

 

 エレノアは危うく泣きそうになるが、涙を堪えた。

 

 エレノアの異常な照れ方に、言った側の美咲も予想外で戸惑った。

 

「あ、あの、好きって、そういう意味じゃなくて、エレノアの事は大好きだけど、友だ……」

「わかってるから!」

 エレノアに黙れと言わんばかりの勢いで言葉を遮られ、美咲は「はい!」と口をつぐむ。

 

 エレノアは、寝起きでゴブリン達と死闘を繰り広げていた勇敢な少女とは、とても思えない動揺を見せていた。

 その視界は、徐々に色づいていく。

 エレノアにとって、ずっと暗く辛い世界だったそこが、明るく見え始めた。

 

 するとエレノアは、美咲の顔を、さっきとは別の理由でまっすぐに見られなくなっていた。

 それは初恋に近い感情だった。

 どうしようもなく、目の前の人間に惹かれてしまう。

 視界の端に美咲がいるだけで、その時間が幸せへと変わる感覚。

 

「ミサキは、その……思っていたよりか、変な奴だったんだな……」

 

 そう言うエレノアの顔は、限界まで真赤になっていく。

 頭から湯気が出てもおかしくない。

 火傷して赤くなった蜘蛛の脚も含め、エレノアは全身が真っ赤になっていた。

 

 美咲は、たまらなく可愛いと思った。

 

「それでも、いいよ。私は、エレノアと、ただ友達になりたいだけだもん」

 

 美咲はエレノアに無邪気な笑みを向けた。

 

 それを見て、自分の中に一つの邪な願望が生まれたのを、エレノアは感じた。

 他人に初めて懐く感覚だった。

 それは、独占欲であった。

 

 今や、この世でたった一人、エレノアの過去を知り、キメラの肉体を受け入れ、幸せを願ってくれる存在が目の前にいるのだ。

 エレノアにとって、誠実であろうとする百鬼美咲という存在は、この短い時間の間に、特別な者へと価値を大きく変えていた。

 自分だけの物にしたいと子供の様にエレノアが思ったとしても、それは仕方が無い事である。

 

 しかし、エレノアは「うん」と返事を言いかけるが、思いとどまり言葉を飲み込んでしまった。

 すると深呼吸して仕切り直し、誤魔化す様に返事をした。

 

「ははっ……ありがと。嬉しいよ、ほんと。こんなの百年ぶりぐらいかな? 生れて始めてかもしれない」

 

 エレノアは、照れながら慣れない冗談を言って笑っている。

 だが、その後に続く言葉は、美咲には思いもよらぬ物だった。

 

「でも、ごめん。友達にはなれない」

 

「……え? ど、どうして!?」

 

 まさか断られるとは思っていなかった。

 嬉しそうに赤くなって、満更でも無さそうなのに……

 

 美咲が分からないと言う顔をしていると、エレノアが申し訳なさそうに言った。

 

「その……あたしは、友達は……作らないって、決めてたんだ」

 

 その言葉の意味が分かるだけに、美咲は何も言い返せなかった。

 エレノアにとって、友達とは辛い記憶の方が遥かに大きい存在なのだ。

 大事であればある程、失う事を考えると怖くなる。

 その上、百年以上眠っていて、全てを失っているのだ。

 

 エレノアの気持ちを察する事が出来ても、本当に理解する事は美咲には出来ない。

 美咲は、どうしていいのか分からなかった。

 説得する台詞が思い浮かばない。

 

 つい先ほどゴブリンに殺されかけておいて「死なない様に頑張るから!」と明るく言った所で、説得力の欠片も無い。

 

 その時、二人だけの空間で、別の声が聞こえた。

 

 

 

「あなた、バカですか?」

 

 美咲の手からだった。

 薄々気付いていたが、やはりおかしい。

 

 美咲が恐る恐る袖をまくると、そこにはロッテが映し出されていた。

 また、呼んでもいないのに。

 

「ロッテ、ちょっと、どうしちゃったの!?」

 

「美咲様、どうかしましたか? 私、何か粗相をしましたか?」

 

 ロッテは、自身が表示されている美咲の皮膚をスピーカーの様に振動させて喋っていた。

 これもiDの一機能である。

 

「えええええぇ……粗相も何も、と、とりあえず、いきなり初対面でバカは無いと思うんだけどなぁ」

 

「……わかりました。大変失礼しました」

 

 ロッテは、コホンと咳払いをして仕切り直した。

 

「私は美咲様のメイドで、シャーロットと申します。以後お見知りおきを。エレノア」。

 

「どうなってんだこれ!?」

 

 エレノアは、予想外の所から現れて、美咲と話し出すロッテに目を丸くした。

 エレノアが美咲の手を持つと、ロッテをスリスリと触ろうとした。

 もちろんロッテには触れられない。

 

「美咲様を救っていただいた事には大変感謝しています。その節はどうも。それにしても、黙って聞いていれば、とんだ臆病者ですね」

 

「わかってない!」

 

 美咲は思わずツッコんでしまった。

 ロッテの失礼な物言いは、最初から完全に確信犯である。

 ロッテは、ナイスツッコミみたいに美咲に笑顔を向けるが、美咲は嬉しくない。

 

「なっ、誰だてめぇ! そこから出てきやがれ!」

 

 こっちも薄々気づいていたが、素のエレノアは、どうやらかなり口が悪いらしい。

 見た目は可憐な少女なのに、中身は悪ガキのままと言う感じである。

 

「ロッテ、どこか調子が悪いの?」

 

 AIが人を超えると言われるシンギュラリティは、美咲の暮らしていた2040年の地球では、まだ起きていない。

 確かに、人に限りなく近い動きをするAIは作られているが、そんなものは非効率過ぎて個人デバイスのサポートに使われる訳が無い。

 どんなに人間らしく振舞っていても、ロッテは一定の機能に特化したアプリケーションでしかない筈である。

 

「美咲様、わざわざメイドの心配をしてくださるなんて、あなたは本当に優しい方です。ですが、見ての通り元気ですので、ご心配なく」

 

 いくら美咲がロッテにカスタマイズを重ねていると言っても、所詮は個人デバイスの付属品の域を出る筈がない。

 正規品の枠から出ていない純正のサポートコンシェルジュAIに、ここまでの性能は、そもそも無い筈である。

 ここで言う性能とは、まだ美咲が設定してもいない辞書や翻訳を先回りして用意、運用していた事だけでなく、人をバカや臆病者呼ばわりする機能も含まれる。

 

 そこで美咲が思い出したのが、修羅場の裏側で起きていたiDのエラー修復だった。

 今の所、美咲でも分かるレベルで機能の枠を無視して、まるで自我でもあるかの様にロッテは振舞っている。

 ロッテを見る限り、どう考えてもエラーが残っていた。

 サポートセンターも無い異世界で、サポートする側のロッテがバグった可能性があるのだ。

 ウィルス感染等でiDのシステムが異常を起こす事は、よくあるが、大抵はオンラインのバックアップからデータ復旧を行えば元通りとなる。

 だが、ここにはバックアップなんて無いし、そもそもバグに害があるのかも分からなかった。

 

 だからと言って、とりあえず初期化をするわけにもいかない。

 初期化でロッテが直る保証も無ければ、初期化すれば確実に失われるデータがあまりにも多すぎた。

 特に、家族や友達の写真や動画。

 

 その次に、現実問題として、現地の言葉に対する自動翻訳と辞書である。

 デフォルトの自動翻訳の速度や精度では、美咲が再設定したところで大昔の衛星電話を使って片言で話すみたいな会話になってしまう。

 これが失われるだけで、異世界でのコミュニケーションが壊滅的になるのは目に見えていた。

 事実上、美咲はiDを操るロッテに頼っている状態なのだ。

 

 更に悪い事に、ロッテは自身の変化に気付いていない様だった。

 その中で救いは、ロッテは昔と変わらず美咲のメイドを演じ続けてくれている事である。

 

「エレノア、あなたが過去にさらわれたのは聞いていました。百年以上寝ていて、どこにも知り合いがいないのも聞いています。だからと言って、あなたがこれから先の人生を孤独に生きる事に、どれほどの意味があるでしょうか? ハッキリ言って無意味です。あなたは、再び友人を失う事を恐れているのでしょうが、私に言わせればただの怖がりです。あなたの言っている事は、何度も転んだから二度と歩かないと宣言しているのと大差ありません」

 

「なっ!? 好き勝手いいやがって! ガキの癖に、そっから出てこい!」

 

「ちょっ!? 痛っ痛いよ!」

 

 エレノアはロッテをつねるが、そんな事をしても美咲が痛がるだけである。

 ロッテは律儀につねられた所を避けて、話を続けた。

 

「美咲様から手を放して! あなたの問題は、暴力で解決できるんですか!」

 

 ロッテの言葉にエレノアは、怒っているからなのか、それとも図星なのか、何で赤くなっているのか分からないが、表情的には、かなり押されていた。

 

「何言ってやがるこいつぅ……」

 

「あんた達そんな所で何やってるの、飯だよ」

 

 レアラがわざわざ二人を探しに来ると、ロッテはすぐに姿を消した。

 レアラから隠れた様だった。

 

「ごめんなさい。すぐに戻るから!」

 

 美咲が返事をすると、レアラは二人が取り込み中と見て「早く来ないと、無くなっちまうよ」と言って、休憩地点に戻って行った。

 

「エレノア、一旦戻ろ? 話の続きは後でするから。ロッテの事も説明する」

 

「ちっ……わかったよ。それ、そのガキのシェルなのか?」

 

「違うけど、ちゃんと説明するから、ほら、ご飯だって」

 

 美咲に手を引かれ、エレノアは釈然としないまま休憩地点に戻り始めた。

 美咲は視界の端にいるロッテを見て、ロッテにだけ聞こえる声で話しかけた。 

 

「ロッテ、なんであんな事したの?」

 

「美咲様……実は私も、良く分からないんです。お二人の会話を聞いていたら、エレノアに腹が立ってしまって」

 

「エレノアに後で謝ろ。出来る?」

 

「ですが、エレノアは間違っています。美咲様の好意を……」

 

「ロッテ、ロッテの言った事は正しいかもしれないけど、エレノアだって正しいと思うの」

 

「どういう事ですか? 矛盾しています」

 

「私は、二人とも間違っていないって思ったの。まあ、友達になれないのは、残念だけどね。それに、ロッテとエレノアの仲が悪いのは、私は嫌だな」

 

「……わかりました」

 

 そう言うと、エレノアの手を引く美咲の手にロッテが表示された。

 

「エレノア、非礼を謝罪します」

 

「急になんだよ」

 

 エレノアはぶっきら棒に答えた。

 

「私の情報不足で、一方的な正論を押し付けてしまった。そう解釈しています。あなたがバカや臆病者という私の判断は訂正します」

 

「いいよ、別に。お前が言ったのは、むかついたけど」

 

「けど?」

 

 エレノアは脚を止めた。

 

「昔、ダチに言われたんだ。ダチを馬鹿にされたら、それが嘘でもムカつくけど、自分が馬鹿にされてムカついたら、それは本当の事だってな」

 

「エレノア……」

 

 美咲はエレノアの手を握り直した。

 

「と言う事は、私が正しかったと認めるのですね?」

 

「おい」

 

 ロッテの言葉に美咲がツッコんだ。

 

「冗談です。エレノア、あなたはバカでも臆病者でもない事は、今の発言で理解しました。改めて謝罪します。どうか、許してください」

 

 

 

 休憩地点に戻ると、レアラが二人の食事を荷馬車に置いて、また仕事に戻って行った。

 いやに癖のある肉の入ったスープと、それでふやかさないと噛む事も出来ないパンを、口内の傷が痛むのを我慢しながら食べつつ、美咲はエレノアに色々な事を説明する。

 

 ロッテが美咲の中に住んでいて、美咲にこの世界の言葉を教えている事。

 美咲のいた場所では、この世界でシェルが当たり前の様に、ロッテの様な存在が当たり前である事。

 美咲が見た物を記録したり出来る、シェルでは無い力を持っている事。

 

「ほら、面白いでしょ。これが私のいた場所」

 

 スカイツリーの展望台から見下ろす景色を、腕に表示して見せた。

 

「すっげぇ……けど、これって塔の上だろ? 建物もみんなデカいし」

 

「ふふふ、驚いたか」

 

 写真を見せるだけで、この優越感。

 美咲はエレノアの反応が嬉しくてたまらない。

 

「なあなあ、もっと大きく出来ないのか?」

 

「大きく?」

 

 美咲が腕一杯に写真を表示するが、包帯が邪魔だし、それほど大きく見えない。

 皮膚モニターは、皮膚と名前についているが、眼球を除く全身に表示が可能である。

 だが、ミイラ状態の美咲の腕では両腕合わせても大した面積が稼げない。

 

 そこで美咲は「そうだ」とスカートをまくり上げ、腹に表示してみせた。

 背中よりは狭いが、これならエレノアに説明しながら一緒に見られる。

 

「すげーすげー」

 

「こうやって触ると、写真の見たい所に、こうやって動かせるんだよ」

 

 そう言って美咲は、写真が表示された自分の腹を指でスライドした。

 すると、腹に映し出される写真が動く。

 

「なあなあ、触って良いか?」

 

 エレノアがやってみたいと期待の眼差しを向けた。

 

「いいよ、軽く触れば動くから」

 

 美咲がそう言うと、エレノアは美咲のお腹を触り始めた。

 

「すげーすげー」

 

「あはは、くすぐったいから! もっと優しく!」

 

 そんな事をしながら、家族や友達の写真をエレノアに見せていた美咲は、楽しそうな顔だなと思いエレノアの写真を撮って、腹に表示してみせた。

 盗撮である。

 

「これは誰なんだ? こいつもダチか?」

 

「誰って、エレノアじゃない」

 

「これが、あたし!?」

 

 そう言うと、美咲の腹に表示される楽しそうに笑う自分の写真をジッと見た。

 

「はじめて見たの?」

 

「あ、ああ、うん。はじめて見た。これがあたしか……」

 

「こんな事も出来るよ」

 

 そう言って美咲は撮影モードに切り替え、美咲の視点を腹に表示した。

 さっきまで止まっていたエレノアの写真が、エレノアの動きとリンクして動き始め、エレノアは度肝を抜かれる。

 

「すっげえすっげえ! 面白いシェルだな!」

 

「だから違うって……ん? もしかしてシェルっぽい、かも……」

 

 エレノアの反応だけでは不安だが、もしかしたらこの世界ではシェルと言い張れば、普通にiDが人前で使えるかもと美咲は思った。

 

「なにやってんの、あんた達」

 

 仕事を終えて戻って来たレアラが、スカートをまくり上げる美咲と、その前で興奮しながら良く分からない動きをするエレノアを目撃して発した言葉だった。

 美咲とエレノアは、レアラの顔を見て仲良く石の様に固まった。

 

 

 

 

 休憩を終えた騎士団の馬車が、一切の自然光の無い大きな横穴に入っていく。

 見た所、その横穴は人為的に掘られたトンネルの様だった。

 トンネルの壁はデコボコの表面がツルツルにコーティングされていて、崩落の危険は感じさせない。

 

 各馬車に松明の明かりを持つ先導者がいて、その光だけを頼りに馬車は暗闇を進むのだが、荷馬車の中にいては幌の外に火の揺らめきこそ見えるが、それ以外は暗すぎて何も見えない。

 レアラが言うには、このトンネルは、一本道の緩やかな上り坂で、通り抜けるのに3~5時間かかるという。

 

「当分はこんな感じさ。よかったら少し眠りな、疲れただろ」

 

 そうレアラに言われ、美咲とエレノアは荷馬車の中で、硬い床板の上に寄り添うように横になった。

 レアラはエレノアの場所を作る為に御者台に移動し、荷馬車の中は二人きりとなった。

 

 確かに、かなり疲れていた。

 むしろ今まで起きていたのが不思議なくらいだった。

 

 致死量では無いにしてもかなりの血を失っているし、十分な食事も休息も無いのだ。

 何よりも慣れない異国の地でモンスターに追いかけ回された後である。

 ここまで起きていたのは、異常事態に興奮していたのと、単純に死にたくないからであった。

 ここから先は休める時に休まないと、それこそ身体がもたない。

 

「なあ、ミサキ、まだ起きてるか?」

 

 エレノアがレアラに聞こえない程度の小声で話しかけてきた。

 

「うん、なに?」

「ああ……その……クレアの事、もう、怒ってないから……悪気が無いのもわかってるし……」

 

 エレノアは、他にも何か言いたそうにしているが、言葉が口から出てこない。

 

「うん」

 

 美咲は、やっと胸のつっかえが一つ取れた様な顔をすると、えへへと笑った。

 それを見るとエレノアも胸の奥に刺さった棘が取れた様な気がした。

 

「あとさ、さっきの話だけどさ」

 

「………………どれ?」

 

「アナトリアに行ってさ、ミサキが家に帰って、あたしは元にってやつ……」

 

「……うん」

 

「その……友達になれないなんて言っておいて、虫のいい話なのは分かっている……バカな奴だって思われてもしょうがないけど、それでも……アナトリアまで……一緒に……」

 

 エレノアは、勇気を振り絞る様に、顔も向けずに呟いた。

 

「……エレノアは、いいの?」

 

「いいって、ミサキは?」

 

「私は、いいよ。いいに決まってるよ。でも、エレノアは、私と一緒にいたくないんじゃ……」

 

「ミサキの事は、良い奴だと思ってる。もう知ってるよ。あたしには勿体無いぐらいさ」

 

「もったいないなんて大層な人間でもないんだけど……でも、はぁ~よかったぁ。一人だと心細かったんだ」

 

「ロッテがいるだろ?」

 

「そうですよ」

 

 ロッテが美咲の頬に表示され、話に割り込んで来た。

 暗いので表示の意味があまりないが、不満顔を見せたかったようである。

 

「ロッテは、身体の一部だもん」

「そう言う事なら」

 

 ロッテは満足そうに消えた。

 

「じゃあ、一緒に行っても……良いんだよな?」

 

「うん!」

 

「虫のいい話ついでに、もう一つだけ……いいか?」

 

「なになに?」

 

「私が元の姿に戻れたらさ、その時はさ……………………友達になって欲しい……」

 

 最後の方をちっちゃな声で、エレノアがゴニョゴニョと呟いた。

 

「……………………どういう事?」

 

 友達になれるのは良いが、それが今すぐでは無く、元の姿に戻ったらと言う条件が美咲にはよくわからなかった。

 

「あたしの勝手なのは分かってるよ。それでもさ、今のあたしじゃ嫌なんだ……あたしは、ハッキリ言って今の自分の身体が嫌いだ。ミサキが怖がるのも分かる。他人の脚なら何も思わないけど自分の身体だと気味が悪いって思うんだ。自分の身体じゃないって、ずっと、違和感を感じてる。元の身体に戻れるなら本当に戻りたい……」

 

「……」

 

「あたしは、本当のあたしに戻って、ちゃんとミサキと友達になりたいんだ……」

 

「ああ……」

 

 美咲は、ぼんやりと思った。

 エレノアには、美咲と似た所があると。

 

 エレノアも美咲と同じで、相手を大切に思えばこそ、それが独りよがりでも裏切りたくないのだ。

 美咲は、最初にエレノアの身体を怖いと思ったが、それをこれから乗り越えてでも友達になりたいと願った。

 それが命を助けてくれたエレノアに対する、美咲なりの誠実さに繋がると思ったからだ。

 

 エレノアの場合は、自身の身体を嫌い、過去のトラウマから二度と友達を作らないと決意していた。

 それでも、美咲という存在が現れて、錆び付いた決意が揺らいだ。

 だが、エレノアは美咲をクレアの代わりに助けていた無自覚を自覚してしまい、自分の内面まで嫌いになった。

 美咲は、それさえも含めてエレノアを受け入れ、ゼロから友達になりたいと望んでくれた。

 しかし、エレノアは、美咲と友達になる資格が無いと自分に言い聞かせ、自身の過去の選択に従った。

 資格を得る為の苦労を、失敗を、嫌われる事を恐れての選択だった。

 だが、その直後にロッテからぶつけられた説教じみた正論で、自身の過ちに気付いたのだ。

 

 勇気を出したエレノアは、美咲に相応しい心と身体を、エレノアの望む本当の自分を取り戻せたら、その時には友達になりたいと願った。

 そうしないと、自分を許せなかった。

 そうでなければ、自身が嫌いな身体を美咲にまで我慢させて、付き合っていく事になる。

 

 今のエレノアでは、常に美咲に一方的な我慢をさせると言う負い目が付きまとう。

 そんな形での友達には、なりたくない。

 エレノアの望む友達の関係とは、両者が対等なのだ。

 それは、どこまでも青臭い理想でもあるが、決意を曲げるエレノアにとっては必要な条件でもあった。

 

「……わがままだなぁ」

 

 美咲は、どこか嬉しそうに呟いた。

 エレノアの意図の全ては分からないが、エレノアが美咲を大切に思っている気持ちだけは伝わって来た。

 

「な、なんだよ、やっぱだめなのか?」

 

 エレノアは、断られても良いと言う覚悟で美咲に言ったつもりだったが、それでも不安だった。

 

「それでエレノアの気が済むなら、いいよ」

 

 美咲はエレノアを背中から優しく抱きしめた。

 ずっと抱きしめられていたが、抱きしめてみると美咲とさほど変わらない。

 柔らかいし、温かい。

 髪の毛から漂うエレノアのニオイは、やはり良いニオイに思える。

 

「なんだよそれ」

 

 また美咲に心を見透かされた様な気がした。

 しかし、今度は逃げ場も無いし逃げられない。

 だが、自由を奪う美咲の腕がエレノアには心地良く思えた。

 強張った身体は、背中越し美咲の温もりを感じていると、力が抜けていく。

 

 エレノアは「ああ……そうか……」と思った。

 見透かされたのではなく、理解してくれているのが鼓動と共に伝わって来た。

 

 

 

「でもさ、そうなると私とエレノアの関係って、何になるのかな? 友達じゃ無いんだよね?」

 

「あん? ああ、う~ん……」

 

 美咲から急に振られた冷静な質問に、エレノアが唸った。

 そんなの考えていない。

 

「同行者でしょうか?」

 

 ロッテが声だけで口を出して来た。

 

「合ってるけど、他に何か」

 

「同士、旅の道連れ、旅の仲間、相棒、友達未満、知り合い、他人、恩人……」

 

 美咲に言われて、ロッテはツラツラと単語を並べていく。

 

「エレノアは、どう思う? 何が良い?」

 

「なんでもいいって、そんなの」

 

「では、寄生虫というのは?」

「あぁん? マジで喧嘩うってるのか? てめぇにだけは言われたくねぇ」

「あなたも言ってくれますね」

 

 ロッテは、どうもエレノアの事が嫌いではないが、好きでも無いらしい。

 美咲は人の身体を経由して睨み合うのはやめて欲しいと思った。

 

「では、共生関係と言うのは?」

「また微妙な表現を」

「なーなー、それって決めないとダメなの?」

 

 結局、二人の関係は決まらず、エレノアがいつの間にか寝落ちる事で話は終わった。

 美咲の隣で、赤ん坊の様に両手を万歳して、スヤスヤと寝息を立てている。

 

 美咲は暗い中でiDの時計に焦点を合わせた。

 2040年8月18日午後4時と表示されていた。

 疲れ方としては、もう深夜でもおかしくなかった。

 だが、暗い中でエレノアとロッテとコソコソ話した時間は、修学旅行に似ていて楽しかった。

 エレノアと美咲、それにロッテのこの関係は、美咲からすれば既に十分に友達であった。

 ただ、エレノアの事を友達と言えないだけである。

 

 友達の定義を考えても仕方が無いが、大切だと思えばこそ友達と言えないとは、奇妙な関係である。

 

「美咲様、眠らないのですか?」

 

 ロッテが美咲にだけ聞こえる声で、心配そうに話しかけてきた。

 

「ううん、寝る。寝るよ。もしさ、何かあったら起こしてくれない?」

 

「わかりました。おやす……」

「まって、ロッテ。私の事を様で呼ぶの変えよう」

 

「では、なんとお呼びすれば? 設定変更を行います」

 

「ロッテは、なんて呼びたい?」

 

「……難しいですね。では…………美咲と。エレノアと同じように呼び捨てでいいですか?」

 

「うん。いいよ」

 

「美咲……美咲、おやすみなさい。どうか、良い夢を」

 

「うん」

 

 気付けば美咲は、ロッテに対して曖昧な事を言い、それも命令と言うよりは、友達への頼み事として伝えていた。

 いつのまにか自分がロッテを人間扱いしているのに気付いたが、それが自然な事の様に思えた。

 バグだとしても、ロッテが自律している事は事実であり、例えそれがプログラムによるパターンだとしても、ロッテに自我が無い事を証明する事は不可能である。

 それならば、面白くない方よりも、面白い方である事を期待するべきだ。

 何よりも、ここはシェルと言う魔法の力が実際にある異世界なのだ。

 ロッテは、きっと魂を持っているという風な想像の方が、ロマンがある。

 ぼんやりそんな事を考えながら、美咲は深い眠りについた。

 

 

 

 眠りが相当深かったのか、夢は見なかった。

 それどころか、目を閉じた瞬間に、時間が飛んだ様な感覚での、疲れが取れない睡眠だった。

 周囲は、まだ暗い。

 時計を見ると同日の午後6時と、寝てから2時間しか経過していない。

 エレノアは隣で変わらずスヤスヤと寝息を立てている。

 美咲は修学旅行のノリで悪戯したくなるが、ウズウズと疼く性分をグッと抑え込む。

 

 起きた美咲に気付いて、レアラが声をかけてきた。

 

「おや、起きたのかい?」

 

 いつの間にか御者台から戻ってきて、積荷の箱の上に座っている。

 

「おはよ」

 

 美咲は小声で言いながら、身体を起こした。

 

「ほら、前を見てごらん」

 

 レアラが幌をまくると、御者台越しに斜め前の方で、トンネルの壁がうっすらと見え始めていた。

 外光が入り込み、薄白く明るくなってくる。

 どうやら、外が近い。

 

「ケイミスに行った事は?」

 

「ううん。はじめて」

 

「そっか、綺麗な所だから、絶対に気に入るよ。この道を抜けたら山道に出るんだけどね、その真正面に丁度ケイミスの王城が見えて、私も初めて見た時は感動したものさ。ほら、もうすぐ地上に出るよ」

 

 レアラの言葉通り、前方の馬車が次々とトンネルを抜けて、山道を下り始める。

 やがて美咲達を乗せた荷馬車が、トンネルを抜けた。

 明るくなり、エレノアが欠伸をしながら身体を起こした。

 

「おはよ」

 と美咲が言うと、手だけ軽くあげて返事をした。

 かなり眠そうな目をしている。

 実は、あまり寝起きが良くないタイプらしい。

 

 外はと言うと、もう夕方だというのに、太陽は真上から光を降らせていた。

 と言っても、美咲のiDの時計と、この世界がリンクしている訳では無い。

 それどころか、1日24時間、1年365日では無い可能性もある。

 そんな事は、美咲も分かっていた。

 

 なので、とりあえず今がこの世界では、まだ昼ぐらいなのだろうと美咲は思った。

 空は雲が晴れている為、直射日光が眩しい。

 急な明暗の差から、目が光の量を調節し始める。

 視界が一度真っ白になり、徐々に景色が見えてくる。

 

 

 

 美咲は、目をこすった。

 視力は両目とも2以上ある。

 iDによる視力補正をすれば、視力を機械的に10程度にまで上げて昼間に星空を見る事も出来る。

 

 目の錯覚かとも思ったが、目をもう一度こすっても目の前の光景は変わらない。

 そこは、レアラの言うとおり地上だった。

 

 美咲は身体を御者台に乗り出した。

 

「ほっほっほ、お嬢ちゃん、王都は、はじめてかの? よかったら隣に座りなさい」

 

 御者台で馬を操っていた髭の生えたお爺さんが言った。

 

「どうだい、気に入ったかい?」

 

 後ろでレアラが、まるで自分の物を自慢するかのように様に言った。

 

 遠くの平野に、広大な王都が広がっている。

 美咲は勝手に、西洋建築の城壁や、某テーマパークにあるお城をイメージしていた。

 ところが、目の前に現れたのは、想像していた物とは別物であった。

 立派で巨大な王城が見えるが、その形状が独特で、まるでクリスタルで出来たシャンデリアが地面から生えた様な、一目でどうなっているのか判別できない程に細かく、豪華な建物。

 それが、日の光を反射してキラキラと上品な虹色に輝いていた。

 確かに感動する景色がそこには広がっていた。

 

 しかし、美咲が目を奪われたのは、そこだけではなかった。

 問題は、その向こう側、更なる遠景にある。

 

 地平線や山の輪郭線が、空と陸の境界に見える。

 それが美咲の知る景観の常識であった。

 

 しかし、目の前の世界は、どこまでも大地が広がっていて、大地が遠ざかれば遠ざかる程に上り坂になって見え、仕舞には大地が壁になり、それが坂道と同じ曲線で継ぎ目無く上まで続いていた。

 壁は途中で濃い青空に溶け込み暗くなっているが、そのままの曲線で天井にまで続いているのがうっすらと見えた。

 遥か遠くに見える上り坂から壁と、日が当たる天井にかけて、テレビで見た衛星写真そっくりの雲の模様が張り付いている。

 

 どう考えてもこの世界は、美咲が学校の授業で習った球形の惑星の上と言った形状ではなかった。

 この光景が可能なのは、球体の上では無い。

 とんでもなく巨大な球体の中にいなくてはいけない。

 

「これは、どうなって……」

 

 美咲は、遠景を見上げ、とりあえずパノラマ写真を一枚撮影した。

 

「これは、驚きましたね」

 

 ロッテが視界の端で、一緒に景色を見ながら呟いた。

 美咲は、自分がいるのは、球状世界の内側であると理解した。


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