風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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たいっへんお待たせしました。ちょっとリアルがゴタゴタしてたので……。

ではどうぞ


第五十四話 正史の傷跡

 

 

 

 木漏れ日の中でさわさわと草木が揺れていた。

 木々の隙間を抜けてきた緩い風が、手前勝手に伸びたそれらを弄ぶように撫で、枝を掴む力を失った葉をちらちらと攫っていく。為すがまま為されるがまま、そうやって何も考えずにただ生きている植物たちはきっと、人間から見ても理想の生き方をしていると言えるのだろう。

 そこは小高い丘の上。冬も近付き、元気のなくなった木々が囲む林の中に佇む屋敷の隅で。

 

 吹羽は三つ並んだ石碑を前に、ぽつりと座り込んでいた。

 

「お父さん、お母さん……お兄ちゃん。ゆっくり……休んでね」

 

 石碑に名は書かれていない。それぞれ大きさの違う石をこんもりと持った土に立てているだけだ。

 だが、吹羽はそれらを見て――否、それらの下に埋まっている者達を想って静かに言葉を落とした。

 

 側では毛並みの美しい白狼と、その背に同じく白い毛色の子犬が座っている。その瞳は獣のものとは思えないほど物静かだ。

 慮ってくれているのか、心配してくれているのか。犬は飼い主に似ると言われるところを考えると、彼らは――実際には“飼い主”でないとしても――吹羽の今の気持ちを鋭く察してくれているのかもしれない。

 吹羽は側に座る二匹にふと笑いかけると、再び視線を戻して目を細めた。

 

 あの夜から数日。

 “真の終階”を発動したことによる疲労はほとんど抜けきり、吹羽の身体的な健康は元に戻った。あの時共に戦った者達も、吹羽の願いによって傷はあらかた治っていたため復活に時間はかからず、実質無傷であの苛烈な戦闘を切り抜けたことになる。そのあと駆け付けた魔理沙の傷もその場で完治させ、歩く気力さえなかった吹羽は彼女に神社まで運んでもらったのだった。

 

 戦闘の最中、天候を派手に操ったことで事情を知らない幻想郷住民はかなりの数が恐慌状態に陥っていたそうだが、そのアフターケアについて霊夢たちに抜かりはなく、今は落ち着いている。

 ただ、吹羽の精神的な傷についてはそうやすやすとは行かず、未だに彼女は仕事に復帰できていなかった。

 “どこかで生きているかもしれない家族の帰還”という支えがなくなった今、吹羽の心は中身のくり抜かれた砂の城のようなものだ。それもくり抜いたのが自分自身ともなれば、後悔は無くとも虚しさや寂しさが残るのは自明の理というものだ。

 

 未だに残っている手の感触。最後の言葉。愛する兄をこの手で殺したという重過ぎる事実。

 三人の墓を簡素ながら建ててからは、吹羽はほぼ毎日この場所に訪れていた。何を話すわけでもなかったが、こうしている方が心が休まる気がしたのだ。

 

「……情けない、ね。覚悟したはずだったのに、いざやり遂げたら、こんなに寂しくなるんだもん……」

『それが心というものだ。何が情けないものか、依り代よ』

 

 独り言のつもりだった言葉は、しかし頭の中に響くような不思議な声に返された。

 ここ数日で慣れてしまった――否、思い出した(・・・・・)その感覚を受けて、吹羽は側に座る白狼を再び見遣る。その瞳は相変わらず、獣とは思えないほどに澄んで真っ直ぐだ。

 それもそのはずか、と吹羽は思い直す。なにせこの二匹は、風成家が何百年も前から信仰してきた風神 級長戸辺命、その化身である。知能などという概念に当てはまる存在ではないのだ。

 

「情けないですよ。自分で決めたことさえ貫けなかったんですから……」

『寂しさとか悲しさとか、そういう感情は正常な人間全てが持つ偉大なものだよ。脆いものではあるけど、それは無限大に力を生み出す半永久機関。君は覚悟を決めて不可能に挑み、打ち勝った。恥じることなんて何もないんだ』

 

 女の子のような可愛らしいこの声は、狼でなく子犬の方から。

 

「でも、ボクの力じゃない……氏神様の力です。ボクの力じゃ、勝てませんでした」

『『関係ない』』

 

 声が重なる。その結論に迷いも間違いもないとでも言うように、反論を許さないそれはまさに託宣だった。

 

『我は依り代だからこそ力を貸した。今やこの世界に於いて誰も祈ることのない我に強く願う依り代だからこそ、こうして我の声を聴き、我を受け入れられる』

古き器(・・・)の頃から、君は全然変わってない。自分の無力を知っていて、だからこそ神を信じ頼った。全て、そんな君だからできたことだよ。それを君の力と言って何が違うの?』

「それ、は……」

 

 自分自身にできずとも、それができる他人の力を借りて正しく振るったのは紛れもない吹羽自身である、そう氏神は言いたいのだろう。そしてそれを間違いだと断定できる材料を吹羽は持っていなかった。

 白狼は言葉を詰まらせる彼女から視線を外すと、返って静かな声音で呟く。

 

『それに……今依り代が斯様な心持ちでいるのは、そんな理由(・・・・・)が為ではないだろう?』

「っ、」

 

 ズブリと、巨大な杭が胸に打ち込まれたような心地がした。

 

『仏の教えなど知らぬだろうに、墓なぞ建てて毎日訪れるのが良い証拠。まぁ、外の世では至極当たり前のことだがな』

「…………霊夢さんの、真似をしてるだけです……」

『巫女だね。あの子も定期的に母親の墓へ足を運んでいるのを知っているよ』

 

 霊夢の母親の墓へは、彼女に連れられて一度だけ行ったことがあった。その時の彼女の表情は今でも忘れない。悔しいような悲しいような、穿った見方をしたならば底無しに空虚なようにも見える複雑な表情だった。

 彼女はその理由を教えてはくれなかったが、なんとなく吹羽は察している。家族がもう戻ってこないと理解した今の吹羽には、あの時の霊夢の気持ちがよく分かるような気がするのだ。

 

 崩れそうになる顔を膝に埋めて、吹羽は胸の痛みにジッと耐える。霊夢の真似をして墓を建て毎日のように訪れているならば、吹羽はきっとあの時の彼女と全く同じ気持ちだということ。

 氏神の言うことは、無情なほどに的を射ていた。

 

『人間は脆いね。神然り仏然り、何かに縋らないと自分を保てない。子供は肉親に縋り、大人は偶像に縋り、それすらできない者は自分自身に縋る。……依り代は、まだ子供だね』

「子供、じゃ……ないです……」

 

 返した言葉に、もはや字面ほどの気持ちは篭っていなかった。

 ここまで見透かされてしまっては取り繕うのも無駄なだけ。そこまで思って、吹羽は悲しんでいる自分を認めざるを得なくなった。

 

 戦いが終わって数日経っても、あの夜の感触が忘れられないのだ。

 覚悟を決めて握った柄の感覚も、強大な力で鶖飛を傷付けた感覚も、硬く握った拳が生暖かい液体に包まれる感覚も、冷たくなった体を抱く感覚も。

 全てが今ここで起きていることのように思い出せる。思い出せてしまう。

 

 そう、なにもかも氏神の言う通りだ。吹羽は目を背けたいだけなのだ。

 自分の力ではできなかった、他人の力を借りただけだと言い訳をして、自分がしたことをあたかも他人のやったことだと思い込もうとしているだけ。

 少し直視すれば簡単に見えてくることである。吹羽は自分に成し得ないことを成す力を借り、振るい――しかし間違いなく、自分の意思(・・・・・)で兄を殺めたのだと。

 

 と、その時。

 唐突に空気が変わったような気がして、吹羽はゆっくりと顔を持ち上げた。見遣れば、すぐ側では氏神がある方向に向けて毛を逆立てている。

 何事だ――とは今更思うまい。この感覚の正体を、吹羽は既に知っていた。

 

「……隠れてても無駄ですよ。もう分かります」

「……やはり、覚醒は一時的なものではなかったということですね」

 

 欠片の驚愕もないその声は、一見何もない空間から聞こえてきた。だが白狼が一吠えすると、そこから空間を割って、観念したように金糸の髪が覗く。

 スキマ妖怪 八雲 紫。

 吹羽の心の中に、じわりと黒い染みが広がる。

 

「なにをしに来たんですか。もうボクに用はないでしょう……!」

「一つ重荷を片付けたくらいで投げ出していたら、はなから幻想郷など存在しませんわ」

「なにが重荷ですか……全部知っててやったくせに(・・・・・・・・・・・・)ッ!」

 

 怒鳴りつけて、閃いた銀光と風の刃が紫に襲いかかる。しかし彼女はこともな気にスキマを展開すると刃をばくりと噛み砕いて相殺してしまった。

 いっそ哀れなほどに粗雑極まる一太刀。紫は扇子で口元を隠しながらも、目ははっきりと吹羽を蔑んでいた。

 

「だったらなんでしょうか。一族を見守れと、あなたが望んだことでしょう(・・・・・・・・・・・・・)? それに……風成 鶖飛が死のうが生きようが私としてはどちらでも良かった」

「っ、」

 

 きつく握る刀の柄に、じわりと赤い雫が浮かぶ。

 

 そう――風神がこの身に降りたのと同時、吹羽は己が内から込み上げるこの紫への感情の正体に気が付いた。そしてそれによって、なぜ紫がこうも吹羽に構うのかということにも辿り着いたのだ。

 それは吹羽にとって度し難い真実。この時、紫に向ける嫌悪感は正真正銘吹羽のものとなったのだ。

 

「その眼が何よりの証拠ですわ。今更約束を違えるなど、あなたらしくもない」

「ボクの……ボクの何を知ってるって言うんですか……!」

「知っていますとも。一度殺されかけた相手のことを忘れるほど、私は耄碌していませんわ。……そうでしょう?」

 

 

 

 ――風成家初代当主 風成(かざなし) 辰真(たつま)

 

 

 

「――……」

 

 はっきり言って、心当たりはあった。

 良し悪しこそあれど風を感じとる感覚に優れた風成一族の中で、なぜ吹羽と凪紗にのみこれほど飛び抜けた都合の良い(・・・・・)能力が発現したのか。

 いつか見た、知らないようで知っている不思議な夢もそう。自分が自分でなくなっていくようなあの感覚に、吹羽は自分の中に知らない誰かの存在を感じた。

 そして何より決定的なのは――氏神がこの身に降りた際に蘇った記憶。懐かしくもあり、なぜ今まで忘れていたんだろうと思えるほどに鮮明なそれは、遠い遠い過去の自分だった。

 

 鈴結眼。

 それは風成家の人間にのみ現れる特殊な能力。その正体は大昔に初代当主が神から授かった神眼である。ならば、それが現れた吹羽と凪紗は――まごうことなき。

 

「先祖、返り……」

 

 暴かれた己の正体を、吹羽は口に出して嚥下した。

 

 先祖返り――別名、隔世遺伝。祖父や祖母、あるいはそれよりも前の祖先の形質が孫に現れる現象である。

 形質というのは多種多様であり、“人間の設計図”である遺伝子によって受け継がれ、子に発現する。そしてなにが発現するかは幾つかの法則によって縛られている。

 初代当主 辰真が授かった鈴結眼は、彼自身の形質として受け継がれた。だからこそ風成一族は総じて風を感じ取る感覚に優れるのだ。

 そしてそれが辰真と並んで強力に発現したものが鈴結眼と呼ばれる。初めに発現したのは――風成 凪紗。次いで吹羽。吹羽が凪紗の先祖返りなのではなく、両者が共に初代当主の隔世遺伝だったのだ。

 

『……懐かしい。“天睦の器(凪紗)”は十全な眼こそあれど、その心は我でなく妖に向き、また己の力の可能性を見ていた』

『だからこうして語りかけても聞き取れない。君のように信仰心が強くなかった。そういう意味では、本当に“古き器(辰真)”の生まれ変わりと言えるのは君だけなのかもしれないね』

 

 依り代となれたかもしれない過去の器を想って零すその言葉は、高位神に似つかわしくない残念そうな声音である。

 そしてその言葉通り、風神の敬虔な信徒である吹羽には鮮明に言葉が聞こえ、信仰心のない紫には全く以て聞こえていないようだった。

 

 眼を授かり、声を聞いたであろう辰真。眼を受け継ぎ、会話を成立させる吹羽。

 二人は確かに似て、性別や性格こそ違えど、まさに生まれ変わりと称してなんら過言ではない。

 

「自覚していただけたようで何よりですわ」

 

 ぱちん、と扇子の閉じる音が響いた。紫は吹羽から視線を外すと、徐に旧風成邸を見遣ってゆっくりと歩き出す。

 そして徐に言葉を紡ぐ。その声音は、まるで過去を懐古し噛み締めるような響きだった。

 

「ええ、ええ。確かにその通り。私は全て知っていましたわ。風成 鶖飛を見て可能性を悟り、あなたを見て神話の再開(・・・・・)を確信しました。そしてそれは……あなたの両親にも伝えたこと」

「……運命、って」

「その通り」

 

 立ち止まり、石墓の一つを見遣る。

 

「この世に偶然などあり得ません。私たちが殺し殺され損ねたあの日に、きっと全てが決まった」

 

 遠い過去を見通すように、紫の視線は空を見上げる。つられて吹羽も見上げると、青い空に薄雲が掛かっていた。その先で太陽が鈍い光を注いでいる。隣で威嚇していた氏神は喉をきゅるると鳴らした。それが、妙に物悲しげに聞こえた。

 

「……あの日に狂った歯車が、ようやく噛み合った。故に、彼はそれに抗おうとしたのでしょう。風成 鶖飛――いえ」

 

 

 

 二代目当主、風成(かざなし) 嵐志(あらし)は。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――民族、というのは受け継がれていくものである。

 民、技術、生活環、名前などもその一つ。そして一つのコミュニティを纏めるにあたっては往々にして中心となるものが必要であり、故に必ず“当主”も受け継がれていく。ただ、それがどんな条件の元で継がれるかは十色だ。

 それが時を経て少しずつ大きくなって一族から村になり、村が大きくなって里になる。町になる。国になる。そしてその果てに世界になる。人が集まれば統率するのは難しくなっていき――避けようのない軋轢を生むのだ。

 

 今は昔、大昔。幻想郷の創世が百年ほど前ならばその何倍も遡って、遙か過去。

 始まって間もない風成一族は、深い山々に囲まれた土地でひっそりと暮らしていた。

 踏み慣らされていない地面は柔らかく、村は頑丈な石を土台にする事で住処を作り、水はすぐ側の山から流れ出る川から汲み上げて田畑を育み、時折訪れる妖怪――異形に対しては勇敢に戦った。

 

 ただの村人が妖怪に挑んだとて束になっても勝てはしない。当然だ、人ならざる力を持つからこそ人はそれを異端と呼ぶのだから。だが、風成一族には“神“がいた。

 その名を、風成 辰真。初代当主にして神の寵愛を受けた者。その加護を受けた村人たちは、心得などなくともある程度異形も渡り合うことができていたのだ。

 

 彼は体があまり強くなかった。だがその影響か、自らの族を起こす以前より強い信心を持っていた。祖先に現人神を持つ一族の末子(・・・・・・・・・・・・・・)であった彼は、元の一族が滅びた後も信仰を絶やさなかったのだ。その信仰心が、ある日彼を風神 級長戸辺命と巡り合わせた。

 

『人の子よ。その心に偽りはないか』

「はい……偉大なる風神よ。我が魂は御柱と共に」

 

 古き時代だ。人の数そのものが決して多くない当時、かの神にとって彼の強烈な信心は稀有な力の源であり、また真摯なその姿は風神の心をすら打ち抜いた。

 故に風神は、彼がより風を感じられるよう眼を授けた。そして彼が起こした一族にも、長く続くよう加護を与える傍ら、氏神として見守るようになったのだ。

 

 そんな彼には、一人の弟がいた。

 名を嵐志。兄である辰真に比べ体も強く、多分な自尊心を持つ男であった。

 二人は兄弟仲こそ悪くはなかったが、自信過剰なきらいのある嵐志を辰真が諫めることは多かった。何せこの嵐志、一族が束になっても勝てないほどの剣技の持ち主だったのだ。調子づく弟を兄が制すのは当然のことである。しかしそれも村の日常茶飯事として認識されていたし、兄弟もそれを理解していた。

 平和な一族。平和な時間。辰真の体も単なる衰弱という形で弱っていく中、次期当主は当然嵐志だろう――そう村内でささやかれ始めた頃。

 

 人の姿をした強大な異形――八雲 紫が現れた。

 

「異形だー! 異形がやってきたぞ!者共、であえーッ!」

「あらあら……随分と美味しそうな人間達が集まっているのね」

「異形め……氏神様の加護を食らえぇぇい!」

 

 ある者は妖力の弾丸に蜂の巣にされた。ある者はその強烈な存在感と恐怖に気が狂い、自らのはらわたを抉り出して死んだ。ある者は目玉の覗く不気味な空間に落とされ二度と戻ってこなかった。

 加護を受けた一族の者達が、瞬く間に数多殺されていく。体の弱い辰真は、加護を授けることでしか力を貸せないことに嘆き苦しんだ。復讐と怒りに染め上げられて果敢に武器を振り上げる者達の背中に、無力感と悲壮感しか浮かんではこなかった。

 

 次々と民が殺されていく中、その時は来るべくしてきたのだった。

 村で最も強い剣豪 嵐志が紫と立ち合い、しかし力及ばず――まさに殺されようとしたその時。

 

 辰真の、“皆を助けてください”という祈りを、級長戸辺命が聞き入れた。

 風神降ろし、その初めての発現である。

 

「兄さん、か……?」

「ああ……少しだけ待っていなさい。……もう誰も、殺させはしないッ!」

 

 血と風と妖力と。辰真の操る空の暴威と紫の妖術の衝突は、まさに天変地異を思わせた。その凄まじい力のぶつかり合いは三日三晩続き――しかし、ついに勝負はつかなかった。

 互いに満身創痍の中交わした約束は奇妙で苛烈で、あまりに負の感情に満ちていた。

 

 一つ、どちらかがどちらかに殺されるまで死なないこと。

 一つ、どちらかがどちらかに殺されるまでその他を手にかけないこと。

 一つ、決着がつくまで何度でも殺し合うこと。

 

 傷が癒える度、紫が村を訪れる度に二人は衝突した。

 それは意地のぶつかり合いとも言えただろう。紫にとって人間に負けるなんてことがあれは誇りに傷がつくし、辰真にしてみれば民を守るために必死だった。

 互いに負けることは許されず――何より己が認められず、何度も何度も立ち会った。その度に互いに死にかけ、引き分け、死にかけ、引き分け死にかけ引き分け死にかけ引き分け――……。

 

 そうして辰真のみが傷付くことで民の平穏は保たれた。弱い身体に無理を強いて村を守る彼を民達はより一層崇めるようになり、彼に少しでも近づけるようにと“紋を使った風の操作”まで追い求めるようになったのだ。

 

 ただ一人――嵐志の心に差した影に気がつかぬまま。

 

「(なぜ……なぜ俺を差し置いて、弱い兄さんが戦ってる……?)」

 

 嵐志は自信家である。その剣技に敵う者はおらず、事実彼は強力な異形が現れた際の切り札として一族内での地位を確立していた。そしてその自負と、周囲からの期待が彼の自尊心を満たしていたのだ。

 しかし紫と交戦して惨敗し、しかも脆弱であると思っていた兄に想像を絶する力を見せつけられ、彼の自信は粉砕した。更に悪かったのは――辰真への信仰心が強まるにつれ、二代目となる嵐志への期待が著しく薄くなったこと。

 

「辰真様のお身体も限界だろう。この先どうなるのやら……」

「恐ろしや……辰真様がお亡くなりになれば誰があの異形の相手をすることに……」

「剣鬼 嵐志様も大変にお強いが、果たしてあの辰真様に類うほどか……」

「馬鹿者! そんなこと嵐志様に聞かれたらどうする気だっ」

「! す、すまん」

「(……分かってんだよ、そんなことは)」

 

 徐々に己への期待が薄れていく。それは嵐志にとって耐えがたい苦痛であった。自尊心を糧に生きる者にとっては、失望されること以上の辛苦は存在しなかったのだ。

 

 特に彼が何をしたわけではない。信用を失うようなことをしたわけでもなければ、むしろ命を張って勇敢に民を守ってきた側だ。だが、それに“期待”という形で見返りを求めてしまっていたが故に、彼の心は徐々に磨耗していった。

 

 負けじと振るう刃は、辰真のように木々を薙ぎ倒さない。

 凝らした目には、辰真のように風の流れなど映らない。

 天に向けた掌は、辰真のように大空を掴めない。

 辰真に対する強烈な劣等感は確かに嵐志の実力を大いに高めたが、同時に彼が幾ら足掻いても届かない遥か高みというものを浮き彫りにした。力をつける度に、嵐志は辰真への劣等感を徐々に憎悪へと塗り替えていったのだ。

 

 そうして憎悪に心を狂わせた者がどんな思考を辿るのか――想像に難くはないだろう。それがいかに理解の及ばぬ物であったとしても。

 

 それは、紫と辰真の長き戦いについに決着が着こうとしていた時だった。

 もう何度目かも分からぬ程殺し合った二人に訪れた、“限界”という終局。何度も引き分け何度も殺し損なった二人であったが、ここに来てようやく本当の決着が着こうとしていたのだ。

 

「(最後の……一撃……)」

 

 一振りのみ。

 それを終えれば確実に死んでしまうであろうことを、辰真はよく分かっていた。長年付き合ってきた呆れるほどに弱々しい己の体は、風神により強化はされても脆弱なままである。

 どの道朽ちるのであれば、絞り出したとて遅いか早いかの違いでしかない。命を燃やして紫への殺意を高め始めると、それは巨大な竜巻と化して辰真の周囲を包み込んだ。対する紫もまた、僅かな妖力を絞り出して最後の一合に備えた。

 

 神と大妖怪。後に受け継がれていく神話の最後の場面。二人は互いに全ての力を振り絞って地を踏み砕き――その、瞬間だった。

 

 

 

 歪んだ悪意の刃が、辰真の背を貫いた――……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「今にして思えば……あの時から既に、彼は傀儡と成り果てていたのでしょう。その思いにつけ込まれ、暴走の果てに兄を襲った……」

 

 快晴の空を見上げる紫の瞳には最早怒りなど映っておらず、ただただ哀れな運命を辿った者への哀れみばかりが感じられた。

 

 風成 嵐志。辰真の弟にして、彼を殺めた真の犯人。

 辰真の生まれ変わりであると分かった今でも吹羽には二人の気持ちがなんとなくでしか分からなかったが、この結末がとても悲しいことだというのは痛いほどによく理解できた。

 どんな理由であれ、家族を殺めるなど本来ならあってはならない。殺す方も殺される方も、それは本人たちが思うより遥かに悲しく恐ろしいことだ。

 事実――兄を殺めた吹羽だって、こんなにも思い詰めているのだから。

 

「……そのあと、どうなったんですか」

「彼は二代目として家を治め、私は影から見守る側へ」

「神話の通り、ですか」

「……まぁ尤も、あなたのいう神話も間違った形で伝わっていたようですが」

 

 ぱちんと扇子を閉じると、紫の柳眉は不満げに歪んでいた。

 

「あの男が、限界などで死ぬはずがないというのに……」

 

 神話では、人間と妖怪の限界の差によって決着がついた事になっている。プライドの高い紫は、故にこそ自分を追い込んだ人間がそんな情けない死に方をしたことになっている事実が許せないのだろう。

 ならばなぜ訂正しようとしなかったのか――そう問おうとして、吹羽は口を噤んだ。そんなのは少し考えれば分かることである。

 

『内輪揉めを恐れたのだろうな。二代目が初代を殺していたなど知れれば、矮小な一部族など簡単に分裂するだろう』

『古き器との約束の手前、それだけは避けたかったんだろうね。だから二代目を手にかけることすら諦めた。まぁ、聞き入れた動機が不純だったかも知れないけれど』

 

 “見返そうと思ったとか”。そう氏神が付け加えたのを聞いて、吹羽は確かにありそうだと思った。

 きっと紫は負けず嫌いだ。見た目に似合わず、また表にも出さないが、内側では激しい炎が燃え盛っているに違いない。優秀な存在にはよくある心理状況である。

 

 だが、そんな紫だからこそ風成家を見守り続けてくれたのだろう。山奥に暮らすただと一部族が、他の干渉を受けずに何百年と存在できるはずはない。凪紗の時代、風成家が天狗と友好関係を築けたのもきっと裏では紫が動いていてくれたのだろう。鬼に目をつけられる遠因になりはしたが、結果的に天狗も風成も永らえている。

 

 ただ、そう。

 そんな紫だからこそ――鶖飛と吹羽の誕生が、きっかけ(・・・・)となった。

 

「紫さんは……ボク達をどうしたかったんですか?」

「………………」

「ボク達が辿るかもしれない運命をお父さん達に伝えたり、殺し合わせようとしたり……なにがしたかったんですか?」

「……どちらも(・・・・)、とでも言っておきましょう」

 

 曖昧な返事――とは不思議と思えなかった。自らの影に視線を落とした彼女からは今でも迷っているような、はたまた哀愁のようなものすら感じ取れてしまったからだ。

 本当にこれで良かったのか、そう思いながらも自分の答えを信じようとする姿。吹羽には紫が、そう見えた。

 

「健全な兄妹でいるのであれば上等。殺し合ってもあなたさえ生き残ればそれもまた良し……そう思っていましたわ。あくまで目的は一つ、辰真との約束を守ることだけですから」

「っ、……」

 

 ――初めは、自分たちを弄んでいるだけだと……そう思っていた。

 紫は世にも恐ろしい大妖怪で、この世界の創造主とも言える存在で、何を考えているのかまるで分からなくて……何より吹羽は、紫という存在そのものに不思議な嫌悪感を抱いていた。そんな相手に自分が好き勝手されているなんて、例え吹羽でなくとも良い気はしないだろう。

 

 だが、彼女はきっと必死だったのだと今なら思える。表にこそ出さないが、大昔に交わした約束を守ろうとこれほど策を巡らせ、掌握し、万一も起こらないよう予防線となるものを遥か昔から張り続けていた。それだけ一途に約束を想い、守ろうと必死だったのだ。

 それ故に、吹羽は弄ばれているように感じてしまったのだろう。主となるものを徹底すればその他が雑になる。自明の理なのだ。

 

 紫は風成家に伝わる神話を“偽り”だと言った。

 確かに改竄されていた間違った神話であったが――きっと、何もかも間違っていたわけではなかった。

 

「(“それは……二人の間に奇妙なキズナが生まれていたからこそだったのでしょう”……)」

 

 小さい頃に覚えた神話の一節。それを吹羽は心の中で諳んじる。

 嘘で固められた神話の中で、きっとそれだけは……嘘ではなかったのだ。

 

「さて……問答はお終いですわ。腑抜けて(・・・・)いるようなら殺してやろうかと思っていましたが、どうやら……そうではないようですわね」

「……はい。ボクのしたことが間違っていたとは、思っていません」

「そうですか」

 

 一言を感慨なさげに放り投げると、紫は手に持つ扇子ですぅと空を薙いだ。その軌跡には薄らと線が残り、次いでばくりと口を開く。いつ見ても気色の悪いそれは、心のどこかが懐かしむ、紫のスキマ。

 その中へと消えようとする紫の背に――吹羽は咄嗟に、引き留める声を上げた。

 

「っ、待ってください!」

「……まだ何か」

「まだ……訊きたいことがあります……!」

 

 紫は振り返らなかった。しかし歩みを止めた足を肯定と捉えて、吹羽は一つ唾を飲み込む。

 そう、一番訊かなければならなかったことが訊けていない。今の吹羽にとって唯一理解の及ばないこと。そもそもの原因は――なんだったのか。

 

「夢架……ううん。夢子さんは、何者なんですか。お兄ちゃんは、一体誰に操られていたんですか!?」

「……夢子。アレ(・・)はある一柱が創った最強の魔人ですわ。準備無しでは私たちですら歯が立たないほどの、ね」

 

 紫ですら歯が立たない。その言葉に、あの日夢子が見せた妖艶な笑みがチラつく。客観的に絶望的な状況で見せたあの笑顔は強がりでもなんでもなく、ただ単純に霊夢達全員を相手にしても制圧しきる自信があったからなのだろう。氏神がいたからこそ、あの場では引いてくれた。そうでなければ強引にでも吹羽を連れていくつもりだったに違いない。

 

 紫は徐に空を仰いだ。背を向けていた吹羽には見えなかったが、なんとなく……大空を睨んでいるようにも思えた。

 

「そして、それを創った張本人――鶖飛を唆したのは恐らく、その主」

 

 

 

 ――魔界の創造神、神綺(しんき)

 

 

 




 今話のことわざ

 なし

 多分次回が今章最終話です。もしかしたら今回が最終話になるかもですけど……。
 あ、おまけはやってみたかっただけなので読まなくても結構ですよ(圧

おまけ〜風神と会話しようとするとこうなります 紫ver〜

狼「グルルル、ガウアッ!(妖怪め、よくも古
  き器をッ!)」
子犬「きゃんきゃん! きゃお〜ん!(今度は
  殺させないよ! ぜぇ〜ったいに!)」
紫「………………」


紫「(……かまって欲しいのかしら。懐かれる筋合いはないはずだけれど……)」


 結果……どう言っていても懐いたように見
     える。
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