風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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 大変お待たせしました。
 後書きに少しお知らせがあるので、読んでいってもらえると嬉しいです。
 


第六十七話 零れ毀れた抜身の刃は、

 

 

 

 一方その頃、早苗はちょうど目的地に到着したところだった。

 ふわりと着地すると、木から離れた落葉がわずかに足元で舞った。周囲の木々はもう殆ど葉が落ちてしまって、つい此間までの鮮やかな暖色は一様に燻んで茶色くなっている。あまり心に感じ入るような光景ではないけれど、本格的に冬が到来して雪が降れば、処女雪を纏ったこの山は一変してまた美しく映えるのだろう。

 

 そう、山。早苗は今、妖怪の山の中腹に訪れていた。

 普段通る道とは外れた山中である。周囲には木々ばかりが立ち並び、耳を澄ませば若干川のせせらぎが聞こえてくる。恐らく河童の棲む川だ。

 

「ふぅ……さて、何処にいるかな」

 

 この辺りには天狗達の住処がある。山頂の若干下辺りに天魔の屋敷があり、その下へ広がるように住居が広がっているのだ。パッと見では分からないよう上手いこと風景に溶け込んでいるので、建物を見つけるには少しコツが要る。

 

 早苗が探しているのは当然、椛である。

 以前彼女のお見舞いでこの近くを訪れた際に天狗の住処の構造を知り、この近くならば椛の住居も見つかると考えたのだ。

 

 吹羽の捜索に椛の協力は欠かせない。彼女の能力は勿論、ことの仔細を伝える必要もある。きっと一も二もなく力を貸してくれる筈だ。

 

「(けど、どうやって探そう? あまり天狗さんに声をかけない方がいいだろうし、表札なんて……かかってないよね)」

 

 周囲を見渡して、ぽつぽつと点在する木造家屋の表を見て嘆息する。

 天狗族は一つの家族のようなものなので、いちいち家に表札などかけないのだ。

 加えて早苗は外来人である。つい最近来たばかりの新参者であり、突然妖怪の山・山頂にででんと居を構えた無法者でもある。霊夢の働きかけでなんとかいざこざは起きずに済んでいるものの、事実として、天狗の中には彼女たちを快く思わないものもいるのだ。

 

 ぴりぴりしているのが肌に伝わってくる。早苗が天狗の領域に足を踏み入れているからだ。刺すような緊張感の中には“人間風情が”と侮蔑する感情が含まれていた。

 

 だが立ち止まっているわけにはいかないのだ。今の早苗は自分のために動いているのではなく、吹羽のために動いているのだから。

 

 あぁ、でも怖いしなあ――とグズっていると、突然頭に声が降ってきた。

 

「なにを慌ててるんですか。きょときょどして気持ち悪いですよ」

「ひと言余計っ!」

 

 反射で叫ぶと、冷めた瞳が早苗を見下ろしている。驚き半分怒り半分の早苗に小さく溜め息を吐いて、声の主――犬走 椛は目の前に降り立った。

 

「……余計ではありません。早苗さんのように思考がひとりでに突っ走る人にはしっかり言わないと伝わりませんから。でないと何をしでかすか分からなすぎて側にいるのが怖いです」

「私はおばけかなんかですか!」

「幽霊など怖いわけがないでしょう。そこら辺にたくさんいるんですから。早苗さんの方が恐ろしいです」

「お、おばけより怖いなんて言われる日が来るとは思ってませんでしたよ私……っ!」

 

 愕然とする早苗を前に椛はいつものすまし顔である。まぁこれはもはや様式美となりつつあるやりとりなので、二人の間では挨拶がわりという側面があるのも事実だった。

 

 しばし頬を膨らませて椛を睨んでいた早苗だったが、改めて彼女の顔を見てはっと目的を思い出す。

 こんなことをしている場合ではないのだ。椛を連れて一刻も早く吹羽を見つけなければならない。

 

「そ、そんなことより椛さん! 大変なんですッ!」

「ええ、知ってます」

「それがですね、昨日の――へ?」

 

 呆ける早苗に、無表情の椛。

 

「あなたがここへ降りてきたのを観て(・・)いました。尋常ではなさそうだったので私から来たんです。だから初めに言ったでしょう? “なにを慌てているんですか”と」

「――……」

 

 ――ああ、きっと椛は、察しているのだ。

 早苗が慌てて天狗の集落に来る理由など少し考えれば導ける答えである。

 早苗と椛は吹羽によって繋がっていて、その早苗が椛を探しに天狗の集落にまで来たというなら、椛にとってその理由は深く考えるまでもないことだ。

 

 二人で焦燥に呑まれれば何も始まらない。

 椛にはそれが理解できていて、だから早苗が慌てる分彼女は冷静に努めている。椛には自分に何ができて、何をするべきなのかが見えているのだ。

 目が覚めるような心地になって、早苗はさすがは椛さんだ、と口の中で呟いた。一つ大きく深呼吸。そうして目の色を変えた早苗は、椛にことの仔細を語った。

 

「――なるほど、分かりました。気になる点はありますが、吹羽さんを見つけるのが先決ですね」

「ど、どうやって探しますか?」

「虱潰しという訳にもいきません。まずは私の能力でここから出来る限り広範囲を見渡します。それから人を当たりましょう」

「私は、何を……」

「ふむ……」

 

 椛は顎に手を当てて少しだけ考え込むと、

 

「とりあえず、大人しくしていてください」

「………………」

 

 微妙な顔で頬を引きつらせる早苗に、しかし椛は至って真剣な表情を向けた。

 

「大切なことです。慌てた時は一旦頭を冷やして、落ち着くことが肝要です」

「あ、そういう……でも冷静になる役は椛さんがやってくれるので大丈夫かなって……」

「役? なんの話です? 冷静になるのは一人より二人の方がいいに決まってるじゃないですか」

「そ、そうですね……」

 

 勘違いで若干頬を染める早苗を有意義に無視しながら、椛はさっさと上空へと上がっていく。周囲を見渡したいのだろう。

 “千里眼”は神通力の一種で、彼女の妖力が及ぶ範囲かつ視界に映る範囲のみ、その光景を角度に関係なく極々細部に至るまで視界に映す力である。以前そう教えてもらった。椛は上空から可能な限り広範囲を視界に収めるつもりなのだ。

 

 椛を追って上空に上がりながら、早苗は考えた。

 大人しくするにしても、何もするなという訳では決してない。椛が椛にできることをやっているのだから、早苗は早苗にできることをする義務がある。

 自分には何ができる?

 吹羽の側にいると決めたにしても、今するべきことはまた別だろう。そう考えて、早苗は「願うことだ」と思った。

 早苗が願ったことは、奇跡を以て現実になる。確率的な可能不可能はその時点では当然分からないため、早苗の“奇跡を起こす程度の能力”はどうしてもランダム性が付き纏うが、それでも砂粒ほどの偶然を問答無用で引き起こすことができる。

 

 少しでも可能性があるなら、見つけたい。あの時吹羽の危機に間に合ったように、早く見つけ出して、優しく抱き締めてあげたい。

 その為に、早苗は願うのだ。

 奇跡はこうやって、人が人を想うという素敵な行為にこそ起こるべきだと、早苗は思った。

 

「(どうか――吹羽ちゃんが無事に、見つかりますように)」

 

 両手を握って空に願う早苗。そんな彼女の姿を、椛は横目にちらりと見遣る。

 その口の端が僅かに緩んで上がっていることに、早苗はもちろん、気が付かなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――好き勝手させていいのかい?」

 

 字面ほど心配などしていなさそうな声色だった。

 相変わらず大型椅子(ソファ)にどかりと腰を沈めながら言うのだからそこに深刻さなど見えるはずもないが、実際どうにでもなるとは自分も思っているので挟む口はない。

 嘘は大嫌いなのに虚言は吐くのか、と若干の呆れを脳内にちらつかせながら、冴々桐 鳳摩は窓から視線を外す。

 対面の大型椅子では、萃香が瓢箪に口を付けていた。

 

「それで良いのですよ、あの娘は。彼女が“友”として動くときは必ず風成 吹羽のため。儂はあの娘にそれ以上を求めておらなんだ」

「求めるも何も、椛の気持ちを利用してるだけだろうに。お前も見方によっちゃ外道だな」

「護るためなら外道でも鬼畜でもなりましょうぞ。美しい外面ではそれに限りがあっていけませんからなあ」

 

 さよか、と返して萃香はまた瓢箪の酒を喉に流し込んでいく。鳳摩はその様子を横目に流しながら己の椅子に腰を下ろした。

 溜め息が漏れる。椛たちの話を盗み聞く(・・・・)限り、天狗としては少し面倒な状況になっているらしい。

 だが、と萃香が前置いた。

 

「結構まずいんじゃないのか、この状況?」

 

 ことん、と瓢箪を机に置く。悩ましげに腕を組んで、萃香は僅かに眉根を寄せた。

 

「吹羽の失踪――正直悪い予感しかしねぇ。追い詰められて自棄になったか、或いはもっと馬鹿なことを考えてるか……いずれにせよ急いだ方がいいだろ」

「現状、椛たちに任せるしかありませぬ。我らはおいそれと動けませんからな」

「まぁ――なあ。紫のやつもなに考えてんのか分からんしなー」

 

 ふぅ、と萃香の溜め息。どいつもこいつも何がしたいのか分かりゃしない、と顔に書いてあるようだった。

 八雲 紫も、博麗 霊夢も、風成 吹羽も。思考を巡らせることをあまり得意としない萃香は、頭蓋を砕いて中身を覗けたらどんなに楽か、なんて物騒なことを考えていそうである。

 とは思いつつ、まぁ一理ある。

 みな好き勝手に動いているものだから何もかもが共有できていない。一人の人間を中心に回っているにも関わらずだ。事態が迷走するのも結末が見えないのも至極当然のことである。

 

「お前は、結構余裕そうな顔してんな」

 

 見ると、萃香が横目に睨んできていた。

 

「わたしとお前の仲だ、お前の考えくらい聞かせてくれてもいいんだぜ?」

「余裕ではありませぬ。どうにかなると思っているだけですぞ、儂は」

「……無鉄砲すぎやしないかい? 流石に」

「いやいや、楽観しているわけでは。単に打開策は考えてあるというだけの話。これでどうにもならなければ、どのみち儂は“戦友”との関係を維持していくことなどできますまい」

 

 にこやか――というにはどうも不敵な色が強い笑み。萃香はよく分からないとでも言うような表情で小首を傾げる。

 それが良い、と鳳摩は思った。良くも悪くも真っ直ぐに力をぶつけることでしか物事を解決できない鬼にとって、これは少々面白くない打開策だろうから。

 

 ――と、鳳摩はふと疑問に思う。まずいと思うような状況なら、萃香は手を貸さないのかと。

 だが返ってきた答えは、

 

「残念だがわたしも好き勝手には動けなくてねぇ。特に吹羽に関することには。ほらあいつ、慎重だろ? わたしも失敗すんのはヤだし、勝手に動かれた上になんかやらかしたら怒られるじゃ済まないからなあ。小難しいことは全部紫に任せてんのさ」

 

 なるほど、どうやら八雲 紫を気にしているようだった。

 曰く、彼女は萃香に協力を要請して吹羽を陰ながら見守っているらしい。あの賢者も大概何を考えているのか分からないが、吹羽の味方と見て良いのだろうか。

 風成 鶖飛の背後にいたという魔人のこともある。あまり敵や不確定要素が多くなるとやはりよろしくないのだが。

 

 ――と気を揉みつつ、結局は椛に全てがかかっている事実を直視する。こうなると立場というものが己を縛り上げる鎖のように見えてならない。

 動こうとすればするほど肉に食い込み、度が過ぎれば己の肉体を引き裂く羽目になる。そしてそれを癒すのにかなりの時間を要するのだ。

 だからこそその隙間から指示を出し、できる手助けだけはするのだが、それをどう活用してくれるかも椛次第だ。

 

 あの子はこれを上手く扱うことができるだろうか。正しい相手に用いることができるだろうか。

 いや、それに悩む意味すらもない。鳳摩はいざ椛にこれが必要になったときに備えて、環境を整えておくことのみを考えればそれでいい。

 鳳摩は吹羽という“戦友”のことを椛に託しているのだ。

 それは全く以って言葉通りの字面通り。申し開きのないほど、椛一人に背負わせてしまっている。

 なんとも情けないな、とは何度思った言葉だろうか。

 

「――さて、では行きますかな」

「んお? どこに行くってんだい?」

「少し、頼み事をしに」

 

 天魔が人に頼み事ぉ? とあり得ないものを見たような声を出す萃香。鳳摩は彼女には反応せず、「留守を頼みますぞ」とだけ言い残して執務室を出た。

 後で怒られそうな対応だが仕方ない。これから鳳摩が行うことを知れば、生粋の妖怪である萃香はよく思わないだろう。これは、天狗族やそれに連なる者共のためなら外道にすらなれる鳳摩だからこそ取れる選択肢。

 

「やっと儂も一肌脱ぐ時が来たようです――凪紗さん」

 

 鳳摩の小さな呟きは、風音の中に掻き消えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 視界の端に夕暮れが迫っていた。

 周囲は既に光り輝く橙色に染まり始め、煌めく太陽はあと少しで山の向こうへ隠れそうになっている。

 頬を舐める風がぴりりと冷たい。幻想郷はただでさえ日が短いのに、冬間近は太陽も一段と駆け足で、ふと気がついたときには暗闇の中にいたりする。人間にはちょっぴり優しくない時期である。

 晴れていたからむしろ感謝だ、と椛は思ってみた。自分でもびっくりするほど冷ややかな皮肉だった。

 

 動き始めてからはあっという間に数刻が過ぎ去った。椛と早苗は人里と博麗神社を除いた知りうる限りの顔見知りを尋ねたが、白い髪の小さな女の子を見たという情報は絶無に終わってしまった。

 みな気を利かせて、見かけたら連絡すると言ってはくれたものの、基本的に外出などしない連中である。全く当てにならない。他の妖怪をこれほど使えないと思ったのは人生でも初めての体験だった。

 

 成果が上がらず早苗もすっかりと落ち込んでしまっている。彼女がこんな調子ではこちらも気が滅入ってしまうのだが、無理もないだろう。

 吹羽が見つかる、という奇跡が起こらなかったのだ。得意分野ですら上手くいかなかったのだから、早苗の気が沈むのも仕方のないことである。彼女に辛く当たるのはお門違いというものだ。

 

 はあ、と溜め息。いったい吹羽はどこに行ったのだ。

 

「全く、使えない人たちばかりですね……」

「ひうっ……ご、ごめんなさい椛さん……私がちゃんと能力を使えていれば……」

「あああいえ早苗さんに言ったのではありませんよ! 他の妖怪たちのことですっ!」

「ぐす……ほんとうですか……?」

 

 失言だった。少なくとも今の早苗に聞かせてはいけない言葉である。

 こんなことにも気が回らないとは、どうやら自分も多少苛々しているらしい。

 

「本当です。早苗さんの能力は必然を覆せない。そもそも上手くいかない可能性のある能力じゃないですか」

「そ、そうですけど……そうなると本当に吹羽ちゃんが見つからないってことに……!」

 

 悲痛な声に、少しだけ言葉を詰まらせる。

 

「……まだ分かりませんよ。奇跡というのは継続するものではありません。もちろん偶然も。今日私たちが向かった場所が吹羽さんの見つかるわけがない(・・・・・)場所だった場合、当然早苗さんの能力は効かないはずです」

「っ! それは……そうかも、です」

 

 と言いつつ、これは苦し紛れの慰めでしかない。偶然早苗にも心当たりがあるようだったので救われたが。

 頬に伝った汗が風にさらわれる。椛は下唇を小さく噛み締めた。後先考えずに失言するなど自分らしくないし、それで人の心を傷付けているのでは救いようのない馬鹿である。私の馬鹿。阿呆め。頭を冷やすのは自分の方なんじゃないのか。

 

「っ、……とにかく、これだけ訪ねて見つからなかった以上やれることは多くありません。ですが多くない以上は、全てやって然るべきです」

「……というと」

「…………あんまり頼りたくはないのですが」

 

 早苗がきょとんと目を瞬かせる。何も思い至っていなさそうな顔だった。だが目の前に見えてきた光景を認識すると、あ、と小さく口を開けた。

 

 「もしかして」。そんな早苗の声に小さく頷く。見えてきたのは妖怪の山――しかし、椛たち白狼天狗の住居よりも標高が高い。そこにも同じように住居が木々に隠れるように建てられており、椛は真っ直ぐにその建物の一つを目指していた。

 

「こんなときに頼れる人といえば、幻想郷中を日々飛び回ってる文さんくらいですよ。……頼りたくないですけど」

「そんなに嫌なんですか?」

「ああ、いえ……こちらの話です」

 

 ある時(・・・)のことを思い出して、少しだけ心がざわつく。心配のようでもあって、大丈夫という楽観のようでもあって、嫌な予感のようにも感じられる。それらがごちゃ混ぜになってしまうと、もはや椛自身にもなぜ心がざわつくのか分からなくなってしまう。

 視線を感じて見遣れば、早苗が少し心配そうな瞳で椛を見つめていた。椛は小さく深呼吸して、ざわつきを振り払うように前を見据えた。

 こちらの話と言った以上は人の心に余計な細波を立ててはいけない。ただでさえ早苗は吹羽のことが心配で、気が気でないのだから。

 

 そうこうとしているうちに、二人は文の自宅の前に辿り着いた。

 枯れ葉を踏み締めて降り立つと、目の前の薄暗くなり始めた木々の隙間にそれは立っていた。やはり表札はないが天狗はみなお互いの家の位置を知っている。陰に潜み虎視眈々とスクープを狙っている彼女らしい上手く陰に溶け込んだ家だった。

 

「帰ってるでしょうか」

「帰ってるでしょう。煮込み料理の匂いがします」

 

 と言ってもほんの僅かだが、と思いつつ、すんすんと鼻を鳴らしては首を傾げる早苗を置いて玄関の前に立った。

 こんこん、と門戸を叩く。――反応はない。

 

「……?」

 

 再度門戸を叩く。

 反応がない。

 もう一度叩く。

 ……反応がない。

 

 イラッとした椛がノックの代わりに戸を強く殴り付けると、今度はどたんがしゃんと音がした。

 

「いるのは分かってるんですよ。居留守を使わずさっさと出てきてください」

「怖い方の警察の人みたいですよ……」

 

 知らん。出てこないのが悪い。

 少しするとようやく戸が開き、中からそろりと黒髪赤目が出てきた。目当ての人物、射命丸 文である。

 椛も久方ぶりに顔を見たが、特に変わった様子はないようだった。

 

「誰? 椛? びっくりさせないでよもう……」

「三回ノックしました。出てこないのが悪いです」

「そ、それは悪かったけど、だからって殴り付けないでよ。お陰で部屋の中ぐしゃぐしゃだし……」

 

 げんなりした表情の文は戸の隙間から顔だけを覗かせている。驚いた拍子に何かを散らかして人様に見せられない状況のようだ。

 ぶっちゃけ失礼な態度なのだが、まぁ文だし、原因は自分らしいのでと椛は溜飲を下げることにした。

 

「それで、何の用? 珍し過ぎて見当も付かないんだけど」

「頼み事があってきました。幻想郷中を飛び回っている文さんなら、知っているかもしれないと思いまして」

 

 訝しげに片眉を上げる文に、椛は例の如く要件を伝えた。

 目を丸くした文は、しかしすぐに真剣な目になって話を聞いていた。やはりこの人は吹羽のことになると良い方に素がでてくる。あの一件を経て吹羽を特別視しているのだろうが、それをもっと多くの人に出してはくれないだろうかと切に思う。

 ――と、話がずれた。

 

 話し終わると、文はしばらく考え込むように手を顎に当てていた。

 指先がとんとんとリズムを刻む。次の言葉を心待ちにしていた二人に、やがて文は申し訳なさそうに瞳を伏せた。

 

「……ごめんなさい、心当たりがないわね。私の速度で椛みたいな目の良さがあれば違ったんだろうけど」

「……そうですか。ありがとうございます」

 

 だめだったか、とは極力顔に出さないよう、椛は簡潔に告げて一礼する。それに倣って、落胆を隠し切れていない早苗も小さく頭を下げていた。

 

「もし何かあればすぐに連絡を下さい、文さん。あまり長く吹羽さんを一人にはしておけません」

「それは勿論だけど……なんで吹羽がいなくなったのか、見当はついてるの?」

「――……いえ」

 

 ……痛いところを突く。それが分かっていればこんな強引な探し方をせずに済んだのだろうが、いなくなる直前まで一緒にいたと言う早苗と阿求が分からないのであれば椛に分かるはずはない。

 椛は小さく唇を噛んだ。

 歯痒い想いというのは、いつだって心に重く圧しかかる。

 情けない話だが、ただの剣では持ち主の心を窺い知ることはできないのである。

 

「――ともあれ、よろしくお願いします」

「……ん。分かった」

 

 ――そうして心にしこりを残したまま、二人は文の家を後にするのだった。

 赤い太陽が山頂から頭を覗かせ、木々の合間にも宵の影が忍び寄る中、早苗は心配そうな声音で尋ねてきた。

 

「こ、これからどうしましょう……こんな時間に吹羽ちゃんが一人でいるなんて、考えるだけで……」

 

 目を向けると、弱音を叱られると思ったのか彼女は少し身体をびくつかせた。椛はそんな早苗をしばし見つめると、確かにな、と目を伏せた。

 吹羽は人間だ。いくら終階を遣えると言っても、妖怪の時間である夜に出歩くのは危険極まりない。早苗の心配は尤もなことである。

 

 だけど、と薄く目を開く。

 人間なのは早苗も同じこと。彼女をこのまま付き合わせるのは、吹羽に及ぶかも知れない危険を早苗に肩代わりさせるということだ。一応友人としてそれはよろしくないだろう、と。

 椛は小さく息を吐いた。

 

「時間切れです、早苗さん。あなたはもう帰ってください。あとは私が引き受けます」

「引き受けるって……でも」

「危険なのはあなたも同じです。半分は人間だということを忘れないでください」

「でも半分は神様ですっ! ちょっとの無理くらい!」

「屁理屈を捏ねないで下さい。心配なのは分かりますが、それで早苗さんが危険に晒されては本末転倒です。本当は分かっているでしょう?」

「――……っ、」

 

 張り切っていた早苗の肩が力なく落ちていく。その無力感も慈愛の心も尊重するが、今は大人しくしてくれと椛は背を向けた。

 冷たい木枯らしが枯れ葉を攫っていく。人間には厳しくなってきた寒空だが、椛の手には変わりない力が込められた。ただ、心が凍てつくような焦燥と心配だけを握り締めて。

 

 ――太陽の光が、ふつと途切れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 一体何がどうしたのだろう、と文は思っていた。

 それは日常の裏で何かが蠢いているような不気味さが、目の前で突然顔を出してきたような、驚きや困惑に満ちた想いだった。

 別に、椛と早苗が訪ねてきたことになど驚いていない。珍しいことではあるものの、あり得ないことではない。そういうこともあるだろう。況してあの内容だ、情報通である文を頼りに来たという思考回路には納得しかない。

 

 そうじゃない。

 その不気味さが顔を出した瞬間は、決して椛たちの来訪などではなかった。

 

 彼女らが去った後、文は扉を閉めると徐に寄りかかった。

 そして、かちん、と後ろ手に鍵を閉める。得体の知れない、しかし明確に目の前に姿を表したこの事態に、向き合うための覚悟のようなものだった。

 

 短く息を吐いて、廊下を戻る。居間に入り、薄暗くなった室内を見渡して、しかし灯りはつけないままある一点に目を向ける。

 二人が来る前から何も変わらない光景が、そこにあった。

 

「言われた通り、二人とも帰したわよ――吹羽」

 

 ぼろぼろの黒い衣に包まって、部屋の端に蹲る吹羽。

 文の言葉に、彼女はちらりと瞳を動かすだけだった。

 

「何があったのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? 突然押しかけてきてずっとだんまりじゃ、私だって困るわよ」

「……ボクのために、困らなくていいです」

「それなら答えなさいよ」

「…………答える必要が、ないです」

 

 ふつと視線が途切れる。素っ気ないというにもまだ足りないその応対に、文は呆れたような息を洩らした。

 

「じゃあ答えなくていいから、私に何をして欲しいのかだけでも答えて。何かして欲しくて来たんで――」

「いいです」

「……は?」

「何にもしてくれなくて、いいです」

 

 熱のない、無感情な声音だった。

 

「何かして欲しくて来たわけじゃないです。寝る場所と休む場所を少しだけ借りたかっただけです。ボクのことなんて気にしないでください。勝手に来て、勝手に休んで、勝手に出て行きますから」

「……あのね」

 

 そんなめちゃくちゃが通ると思っているのか、と文は頭を抱えたくなった。

 そりゃあ吹羽は友達だ。そう名乗って良いのだと彼女自身が認めてくれた。最近は自分でも分かるくらいに性格が丸くなった気がするし、そのきっかけをくれた吹羽には、なんでも言うことを聞いてあげたいくらいには感謝している。

 けど、今のこれは、何か違う。

 

「私の家は休憩所じゃないのよ? そりゃ頼まれれば泊めるくらいいいけど、その言い方じゃまるで――」

「ボクに構わないでください」

 

 赤の他人みたいじゃない、と。

 そう言う前に、先手を叩きつけられたみたいに文は固まった。

 吹羽はそんな彼女のことを尻目に、本当に関わるなと告げるみたいに顔を埋める。それは明確に文を拒絶する態度だった。勝手に使うから、迷惑はかけないから、何も気にせず何もするな、と。

 そういう、言外な拒絶だった。

 

 文は言葉を失った。

 驚愕で思考が吹き飛んだのではなく、吹羽の言葉を理解しつつも、何を言えばいいのか分からなくなってしまっていた。

 開かれていた心の扉が、固く閉ざされている気がする。

 誰にでも明るく、健気で、優しく、でも誰よりも辛いことを知っている儚い少女の姿は、目の前にはなかった。況して事情も語らず、徹底的に拒絶しながらそれでもここにいさせろ、という彼女の要求は、百歩譲っても友人にする頼み事ではない。

 

 ――いや、ひょっとすると頼んだつもりすらないのかも知れない。ただ風雨を凌げる場所があって、立ち寄ったら家主という先客がいて、でも自分が退く理由にはなり得ない。

 今の吹羽は、まるでそんな感覚だった。鞘を失くして、刃毀れして、表面に傷の絶えない刀のように思えた。

 

(……それでも、と思っちゃうのは、)

 

 拒み切れないのは、一体果たして、なぜだろうか。

 文は諦めた気持ちになって、ようやく居間の灯りを付けた。煮込んでいた夕飯は二人分――さて、無駄に終わりそうなもう一人分は、どう処理したものだろうか。

 

 今の文には、そうやって受け入れることしか、できそうにもなかった。

 

 

 




 今話のことわざ

 なし

 大変お待たせしました。お久しぶりです、ぎんがぁ!です。
 前回の投稿から三ヶ月……気がつけば年を越してました。今更ながら皆さんハッピーハロウィン。あとメリークリスマス。良いお年を。そして明けましておめでとうございます。今年の私の抱負はなんとかして吹羽ちゃんを救ってあげることです、はい。

 さて、突然で申し訳ないのですが、これから先の投稿頻度が大幅に落ちることになりそうです。
 というのも少し挑戦していることがありまして、そちらに大幅に時間を取られてしまうのです。そちらでもしも成果が出たら、改めてご報告したいと思っています。読者皆々様はきっと喜んでくれるご報告になると思うので(いつになるか分かんないけど)。

 ということで、更新は気長にお待ちください。大丈夫、昔のように半年もかかったりしないので!

 ではでは。

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