エーテルちゃんはひとりぼっち   作:菓子ノ靴

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chapter 3 - 4 ああもう駄目

就寝時刻を少し過ぎて、エーテルは体を起こした。

目が覚めたのではない。最初から眠ってなどいなかった。

 

シーツの上に腹ばいになって、ベッドから頭をぶら下げる。垂れ下がった髪が床についても気にせず、ベッドの下に目いっぱい手を伸ばす。視界の悪いなか、手間取りながらも手繰り寄せたものは、珍妙な布の束だった。

その正体は、細く切り出したドレスの生地を編み合わせた、お手製のロープだ。何度か引っ張って強度を試しているが、ドレスで作ったとは思えないほど丈夫な仕上がりであった。

彼女の体重くらい支えてくれるだろう。

 

静まりかえった寝室に……ひたひた……裸足の音が反響した。

当然だが、魔法の明かりはない。点灯なんてしたら、部屋に使用人が飛び込んでくるからだ。だからエーテルは、代わりにカーテンを開く。すると室内の様子がうっすら(あお)く浮かび上がる。

 

今夜は満月だ。

エーテルは窓を大きく開け放った。夜気が室内に流れ込んだ。

窓台から外に体を出す。

出窓になっているのでぐっと頭を突き出せば、階下の窓が視認できる。明かりがついていたら、作戦は後日に延期するつもりだ。

 

(明かりのついた部屋は……なし。やるなら今のうちだ……)

 

そうと決まれば、ベッドの(あし)にロープの端をくくりつけていく。エーテル一人の力ではベッドを適した位置までは動かせなかったが、それは裏を返せばベッドの重量が充分ということでもある。加えてこのサイズなら、窓から落ちる心配だってない。

この前牢屋で読んだ老いぼれ猟師のドキュメンタリー小説から学んだ、引っ張る力が強ければ強いほど締りが固くなるロープの結び方を実践してみた。

 

余ったロープを束ねて持ち、窓から投げ捨てる。心配なのは長さである。余分に長く作ったつもりだが、はたして足りるかどうか。不安を感じながら覗いてみれば、ロープの先が夜風に揺られて、ひらひらと空中を泳いでいる。

 

「うん、届いてないな……」

 

ロープの先端と地面がどれだけ離れているのか、ここからでは判断できない。しかも、風に揺られるロープは一秒たりとも垂直を保ってくれないので、ことさら判断がつかない。

エーテルは、ロープを握った両手にぎゅっと力を込めた。

 

「まあ、何とかなるでしょ……」

 

ロープの繋ぎ目に足を引っかけ、全身を夜気のなかに躍らせた。

細長い四肢に、経験したことのないすさまじい負荷がかかる。

しかし予想以上の重さではない。

ゆっくり、ゆっくり、手と足を交互に下ろして、壁伝いに降りていく。

等間隔にあるロープの繋ぎ目のコブに体重をかけることで、エーテルの膂力でも、なんとかロープを伝い降りることができる。計算通りだ。

夜風が、火照った体を冷ましてくれる。

手首と指の痛み以外は、今のところ大したことない。

 

「うん。いけそうっ」

 

なるべく下を見ないようにして、ひたすら同じ動作を繰りかえす。途中、強い風に煽られたロープが振り子のように大きく揺れた。危うく絶叫しかけたが、じっと堪えて、無心で手足を動かした。

冷たい風にさらされていてるが、エーテルの体は慣れない運動ですでに汗だくだ。ドレスが体に張り付いて不快感が募るし、前髪が顔にひっつくのも鬱陶しい。

意識しだすと止まらなくなる。

 

「……も……もう少し、はぁ……薄いドレスにすれば……はぁ……よかった……ていうか体力ないな私……」

 

時季を考えれば薄着というのも考えものだ。だが、例えば薄いドレスを着て、羽織りものはあらかじめ窓から投げておく。それを下に着いてから改めて着用するなど、やり方はあったはずだ。頭のなかで後悔の念が渦巻いた。

 

(……もう遅いか)

 

引き返すわけにもいかないのだから、あとはこのペースを維持しながら降りていくのみだ。

 

(今ってどの辺りかな?)

 

ふと気になって、視線をそっと真下に落とす。そして愕然とした。

遠くに見える地上との距離に、エーテルは絶望した。

 

(まさか!)

 

――と、思って見上げてみれば、開け放たれた窓は悲しいほどに近かった。

 

「なんで……私の部屋は……はぁ……こんな高いとこに……あるのよっ」

 

高所から望める町並みなどに興味はない。そんなものは百害あって一利なしだ。もちろん脱走を防ぐためだと言うのなら効果はテキメンだが。

日頃から使っていない筋肉は、もうすでに限界が近い。握力の抜けた両手が、禁断症状でも出たのかというくらい震えている。ロープを離さないでいるのがやっとだ。

 

そして、ここにきて痛恨の誤算が発覚した。

 

ドレスの生地で編んだロープは、強度に関しては申し分ない。

だが、とにかく滑る。

エーテルが気づいた頃にはもう、手に汗をかけばより強い握力が求められ、そのせいでまた汗をかくという悪循環が始まっていた。この手を離してしまえたらどんなに楽か。自暴自棄になりかけていると、さらに事態は悪化する。

 

ビリリリッ!

 

死の宣告にも等しい音が、ロープの布ごしに聞こえてきたのだ。

 

「嘘っ!?」

 

エーテルは青ざめた。

 

(やばい! こんなとこから落ちたら死ぬっ!)

 

お手製のロープは、強度も不十分だった。

一刻も早く降りなければ!

最悪、落ちても死なない高さまでは降りなければ。

 

エーテルは焦った。

焦りは、いつだって失敗の素だった。

急ぐあまり、足下の確認を怠ったのが、少女の運の尽きだった。

繋ぎ目のコブを踏んだつもりの足が、空を切った――。

 

「あっ」

 

ほんの刹那の浮遊感、一瞬遅れでやってくる後悔。

片足を踏み外せば、片足にしわ寄せが行き、その足が空を切れば、次は両手に回ってくる。滑落は免れえない。取り返しのつかない大失態だった。

 

ロープが猛り狂う竜のように手の中を滑り抜けていく。コブの上を通過する度に、手に強い痛みと衝撃が走る。落下を止めようと力を込めるが、一度ついてしまった勢いはそう簡単に消せるものではない。

城壁が目まぐるしく上に遠ざかっていく。いくつもの窓が通り過ぎていく。

このままでは死ぬ。

 

「……死んでたまるかぁぁ!」

 

エーテルは、ほぼ反射的にロープに抱きついていた。

ズルズルと上に滑り抜けていくロープに、あらん限りの力を振り絞ってしがみつく。それでも落下は止まらない。止まらないが、心なしか速度が落ちてきている。

エーテルは死に物狂いでロープを抱きしめる。

上方に流れていく景色がいくらか緩やかになっていき、体にかかる衝撃も弱まりつつある。

 

希望の光がさした。

こういう時に影を落とすのが、絶望というものなのだ。

 

――ロープが足りていないことを完全に失念していたのだ。そう、ロープは地面まで届いていなかったのだ。重大な問題を先送りにしたエーテルの自業自得である。

 

「うああっ!?」

 

突如、足が宙に浮いて思わず叫ぶ。

 

この速度で、地面との距離も分からないまま落下したら、無事で済む保証はない。そんなことにまで頭が回る状況じゃなかったが、エーテルは何も考えず、ありったけの力でロープを握りしめていた。ロープの先端には、余った布をまとめた膨らみがあった。

残る力をそこにかけたのだ。

 

落下は止まっていた。

 

 

 

茫然自失の少女が、さもロープの延長部分かのように、力なくぶら下がっている……。

冷たい夜風が、少女の体を揺らして遊ぶ。

限界などとうに超えている両腕は、もはや少女の意思では動かない。一体なぜつかまっていられるのか。人体の不思議だ。

 

「あぁ……助かっ……」

ビリビリビリ!

「あ」

 

限界を超えていたのは、エーテルだけではなかった。

 

 

 

花壇のクッションに受け止められたエーテルは、花々に埋もれたまま三角座りでもしながら、もうしばらくあの綺麗な月を眺めていたいなあという気分に駆られていた。無の境地に至ったとでも言わんばかりの落ち着きぶりである。

 

千切れたロープの、残骸の連なりが、頭上に舞い落ちた。所々が裂けて生地がはみ出している。よくもまあこんなもので、無事に降りられたものだと、我ながら関心してしまいそうになる。

 

「どーして私ばっかり、こんな目に……」

 

白い息を吐いて、夜の空に放りなげると、仰向けになる。肉付きの薄い背中と小ぶりな頭蓋を、花びらがそっと押し返す。

 

「はぁー……もう、動きたくない……」

 

体の下でへしゃげた花が香りを立ち上らせている。周りを囲む茎と花弁が、視界を遮ってほどよいブラインドになっている。これは寝れる。そう確信した時、ふと、花の先にかかったロープが、赤茶けていることに気がついた。

 

「……んー……?」

 

何だろう。赤茶けたロープを取ろうと手を伸ばしたら、当然、自分の手が視界に映った。

 

――真っ赤だ! 

 

手のひらが、湯剥きされたトマトみたいだ。肘から手首にかけて、皮がキレイにめくれ上がっている。

 

「……ああ……もう駄目……」

 

どおりで腕の感覚がないわけだった。思うように動かせないのは、脱臼でもしているから?

ここまでくると他人事のように思えてくる。

 

手順を踏むなら次はこうだ。

 

日中エミルが周囲に気づかれぬよう、庭の茂みに(かぎ)付きロープを忍ばせてくれているはずなので、それを使い(へい)を越えて、そのまま城下町にあるエミルの住居に転がり込む。その後はしばらくそこで厄介になる。そういう手筈だ。

 

ここで一つ確かに言えるのは、今の彼女に、あのそびえ立つ壁を登る余力なんてないということだ。

 

「ちょっと休もう」

 

茎と花弁に覆われた星空には、透き通るように美しい月が浮かぶ。あれは夜空にぽっかりと開いた穴だ。あの穴をくぐった先に、誰も知らない夢の世界が広がっているのだ。そんな気がした。

少女の頼りない体を、揺蕩感が包む。

 

「作戦失敗だ……私はかよわい女の子だぞ……あんなの登れるわけないだろ……うんまあ……それが分かっただけでも、よしとしましょう……ふう、次はどうしようかなあ……ていうか、まず牢屋から出してもらえるかしら……一生、あそこで読書して過ごすとか……そんな馬鹿な話ってないわ……うん、何も思いつかないわね……ああ疲れた……動きたくなあい……」

 

声が少しずつ暗い水の底に沈んでいく。

絵本を読み聞かされる寝入りの子どものように、エーテルの顔つきは穏やかだった。

 

このままここで眠ってしまえば、朝には使用人に見つかって、また懲罰房に叩き込まれるのだろう。前の監禁が三十日間だったので、今回はその二倍、いや三倍の、九十日間か――切りの良いところで百日間かもしれない。解放されたときにはエミルはいないだろうし、エーテルの自由もどこまで許可されるか分からない。この脱獄が、未遂で終わることのデメリットは、挙げていけば切りがない。

しかしながら睡眠欲とは、時にあらゆる恐怖を凌駕する。すべてを承知の上で、エーテルは眠りに就こうとしているのだから。

 

「もういいやあ……」

 

すうっと瞼を閉じる。

意識の奥深くへと()ちていく心地良さに、身を委ねる……。




次の章からやっと物語が動き出します!
( ˙ө˙)…
to be continued……

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