エーテルちゃんはひとりぼっち   作:菓子ノ靴

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chapter 1 - 2 こっちに来ないで

丘の小道を下っていった馬車を、見えなくなるまで見送ってから、行動を開始する。

 

――パジャマを脱いで、鏡に映った下着姿を眺める。

 

痩せた体つき。十七の娘にしては、やや長身。

全体のバランスから見て大きめの胸は、ひそかな自慢だ。

腰まで届く長い髪は、宇宙を閉じ込めたような薄い紫色。

瞳も、夜空を卵型に圧縮したような青紫色。

 

一つ深呼吸をしてから、室内着のドレスに着替え始める。エーテルは生まれてこの方、一度も外出したことがない。だからクローゼットには室内着しか入っていない。

ドレスを着ると、二回目の深呼吸をする。

 

「よし……」

 

――窓台に膝をつく。そして窓を押し開ける。朝の冷たい風が体にかかる。

 

ついそのまま下を見てしまった。地面がかなり遠い。ここは六階だ。落ちたら怪我では済まない。浅く息を吐いて、もう一度、だが決然と呟く。

 

「よし」

 

スカートをたくし上げると、片足をそろーりと空中に伸ばす。

 

つま先がなんとか外壁の出っ張りに乗った。だけど問題はこの後だ。この出っ張りの上に、全体重を乗せなければならない。三度目の深呼吸をして、エーテルは軸足で窓台を蹴った。自分のしたことを後悔した時には、もう体は宙に浮いていた。外壁の出っ張りに無事、着地を果たすと、全身からどっと汗が噴き出した。

 

「あぁ、だめかも……動けないかもぉ……」

 

極度の緊張から、その場でしばらく石化したエーテルは、四度目の深呼吸をする。そして、壁沿いを伝って歩きだす。半歩ずつ、なるべく下を見ないように、ゆっくりと……。

 

中庭では、猫車を押した庭師が徘徊していた。父の出立と入れ替わりに来るというのは知っていたが、予想よりもだいぶ早い。庭師を見つけた時は歯噛みしたが、こちらに気づく気配はなかった。あらかじめ城壁に最も色の近いドレスを選んでおいたのが、功を奏したようだ。

 

とにかく緊張から解放されたいという願いが、高所への恐怖を凌駕し、足を速めさせた。結果、エーテルは首尾良く目的の窓へと辿り着いていた。そして、自室のものと同じ構造の窓を前にして、ついさっき通った恐ろしい試練の再現を、覚悟していた。

 

 

執務机の背後のカーテンに、桜色の()がひょっこり頭を出す。

 

その()が伸びあがり()になると、カーテンに細い隙間を作る。室内が無人であることを確認すると、カーテンの(すそ)から、白い生足がすっと二本伸びた。

 

エーテルは苦い顔をした。

 

ここに入るのは初めてだが、一般的な書斎に比べると広い造りだ。大きな書棚と姿見を置いていても、まるで手狭には感じない。この中から、目当ての物を見つけなければならないのだ。

 

時間は有限だ。

早速、手当たり次第に物色しはじめる。

 

一番怪しいのは、この執務机だ。だけどもし本棚の中――ページの間にでも挟まれていたら、探し当てるのは限りなく不可能に近いだろう。いや、机に隠されているにしても、引き出しは十四個もある。どちらにしろ一筋縄ではいきそうもない。

 

エーテルは机の中を調べていった。

この引き出しのどれかに()()が隠されていると、信じるしかない。

 

肌寒い季節にもかかわらず、額には汗が滲んでいる。引き出しの中身をひっくり返し、検分して元の位置に戻す。その繰り返しは、エーテルの細腕にはなかなかの重労働だった。だがいつ誰がやって来るか分からない状況下で、部屋を散らかす訳にもいかなかった。

 

引き出しが残り二つになったところで、居ても立っても居られなくなる。

 

そもそも、()()書斎(ここ)にあるという保証はどこにもない。

 

父が肌身離さず持っているのかもしれないし、護衛の女に管理を任せているのかもしれない。いずれも、もしそうだとしたら、丸一年、考えに考えた計画はこれで終わりだ。

 

神にも祈る気持ちで、次の引き出しを開けて、中身を検分していく。

 

――ない。

 

(……ないの?)

 

エーテルは絶望の芽を摘みとって、最後の希望である引き出しを、開ける。

 

「誰かいるんですか?」

「ひあっ!?」

 

心臓が飛び跳ねた。ような気がした。

 

――ノックの音が書斎に響く。

 

「入室いたします」

 

扉が動く。

 

(ど、ど、どうしよう! どうしよう!?)

 

とっさに引き出しを戻したまでは良かった。

 

その次にすべきことが思いつかない。

 

何も考えずしゃがみこみ、場当たり的に机の下に飛び込んだ。

 

足音が近づいてくる。

 

(な、なんでこっちに来るのよっ!?)

 

そもそも、一介のメイドが父の書斎に一体何の用があるのか、エーテルには理解できない。

入室理由が清掃などであったら、最悪だ。

 

足音はどんどん大きくなる。

 

いや、入室の理由を問うなら、たぶん原因を作ったのは自分だ。メイドは扉をノックする前に誰何(すいか)していた。しかし、だとしたら、こちらに近づいてくる理由は……?

 

突然、黒い靴を履いた両足が、視界いっぱいに現れた。

 

(わきゃぁぁぁぁぁ!?)

 

悲鳴を上げそうになる口を、必死に手で押さえる。

心臓が早鐘を打っている。

 

(うわああ、まずいって。こんなとこで見つかったら言い訳できない!)

 

最善策は、おそらく実力行使だ。

 

相手は一介のメイド、魔法の素養などない。対するエーテルは全属性を使いこなす上級魔法士だ。ある憎たらしい魔法道具(マジック・アイテム)のせいで、魔法を行使すればたちまち居場所を特定されてしまう身ではあるが、このまま大人しく捕まるよりはいい。メイドを眠らせて記憶を曖昧にしたほうが後にいろいろと証言されなくて済む分、言い訳も立ちやすい。

 

机の下から飛び出ようとした時、ふいに黒い靴のつま先がそっぽを向いた。

 

(――うっ?)

 

ギギギィ――バタンッ……。

 

(なに? あ! 窓っ!? 窓を閉めにきたんだ! あっ……危なかった……!)

 

メイドが立ち去っていく音を聞きながら、膝を抱えたまま、エーテルは長い溜息をついた。

椅子に手をかけて立ち上がると、軽く眩暈(めまい)がした。

 

……最後の、引き出しを開く。

 

中身は書類の山だった。

落胆しながらも検分していく。床の上に書類を取り出そうと持ち上げて、違和感を覚えた。

書類の間に何か挟まっている……。

 

抜き取ってみると、それは赤いカバーの本だった。表紙には何の記載もない。

 

見るからに怪しい……。

 

背表紙をつまんで振ってみる。

 

――くすんだ銀色の(かぎ)が床に落ちる。

 

「…………ああっ!」

 

エーテルはほぼ無意識でガッツポーズを決めていた。諦めかけていた分、喜びは大かった。

 

書類の山に、赤い本を挟んで、引き出しの中に戻す。

 

これで〝山〟を一つ越えた。

 

厳密にはここから自室に戻るまでが〝山〟なのだが、右手に鍵を握りしめていると、行きしなよりずいぶん、気が楽だった。




続きます( ˙ө˙
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