レミリア提督   作:さいふぁ

12 / 55
レミリア提督11 Flaming Night (2)

 

 

 

 誰かが言った。「帰投するまでが任務だ」

 

 まさしくその通り。

 

 海が抱える生命は魚だけではない。人も艦娘も深海棲艦もそうだ。

 

 

 栄えある「スカーレット・グローリー号」は現在敵の追跡を受けていた。大量の秋刀魚を詰め込み重くなった漁船が苦し気にエンジンを唸らせながら西へ、陸の漁港へ戻っている最中、哨戒のため艤装を装着して海に出ていた潮の電探が真っ直ぐこちらに向かって北上して来る敵影を探知した。

 

 敵は針路を変更する気配もなく急速に距離を詰めて来る様子だったから、もうこちらに狙いを付けているのだろう。

 

 一方で、頼みの綱の「硫黄島」からの救援は間に合いそうになかった。それは母艦との距離的な問題もあるし、救援たる金剛らが秋刀魚漁とは別に民間漁船の警護という任務を受けていて、タイミング的にも母艦に帰投したばかりという彼女たちがすぐに再出撃出来ないこともあった。

 

 すなわち、「スカーレット・グローリー号」とその乗員であるレミリアたちは自力でこの窮地を脱しなければならない。そしてそうした状況故に、目の前にある選択肢の数は片手で数え足りるくらいしかなかった。

 

 

 

「敗北条件ははっきりしてるわ」

 

 一旦船に戻った潮も入れて四人で作戦を練り始めたところで、開口一発、曙は言い放つ。

 

「この漁船の上で一番価値が高いのはあんたよ」

 

 曙の刺すような視線がレミリアを見据える。彼女は提督の返事を待たずに続けて、

 

「文字通り司令官だから、簡単に死なすわけにはいかない。私たちはあんたを逃がすことに全力を尽くすわ」

 

 状況はとても悪かった。

 

 敵はその速度から考えても足の速い部隊であり、軽巡クラスが主力の水雷戦隊か、重巡主力の警戒部隊かのどちらかだろう。特に後者であった場合、戦力差から言っても絶望的だった。

 

 対して、こちらは主砲こそ十分な予備弾があるものの、魚雷は一斉射分しかない駆逐艦二隻が限界の戦力。おまけに鈍足の漁船を守らなければならないとあれば、もはや手段は選ぶ余地がなかった。

 

 だから、彼女の決断も早い。

 

「私と潮で囮になって時間を稼ぐ。漣は可能な限り全速で西に、『硫黄島』に向かって。この船が金剛さんの射程内に入るまでは何とかもたせるから。あと、最悪も考えて一基だけ主砲を置いていく。もしもの時用に、ね」

 

 彼女はそう言って自らが装着していた艤装の内、片方の主砲を取り外してその場に置いた。

 

 誰も反対しない。漣も潮も、当然のように曙の決断を受け入れたようだ。彼女たちには敵を発見した段階でこうなることが分かっていたのだろう。

 

 実際、現状の最善策は曙の言う通りしかない。誰かが犠牲にならなければ切り抜けられない状況で、だから曙は敗北条件を明確にしてそうならないための策を考えた。

 

 無論、先ほどから沈黙を維持しているレミリアの意思はそこに含まれていない。だが、レミリアにも当然それが最善策であることは理解出来ていた。

 

 激しく揺れる漁船では、ただ立っているのにも苦労する。操舵室の波除に掴まり、レミリアを見据える曙の眼は決まっていた。同じくその隣の潮も、前を向いたまま舵輪を握る漣も、変わらない眼をしているだろう。

 

「最後くらい、カッコ良く指示受けたいものね」

 

 レミリアが黙っていると、曙は彼女にしては珍しく穏やかな弧を口元に描いた。普段の彼女からは想像出来ない優しい声色。しかして、自分の運命を受け入れて覚悟の決まった揺れない瞳。

 

 提督はおもむろに彼女から視線を逸らし、漣の腕の横から覗けるレーダースコープに目を向ける。

 

 敵との距離はだいぶ縮まっているようだ。ざっと計算するに、日中ならもう水平線の上にその影を認めることが出来るだろう。そんな距離になっていた。

 

「曙」

 

 レミリアもまた決断する。

 

 彼女は自他共に認めるくらい恐ろしくプライドの高い生き物であり、この場での最高意思決定者でもあった。すなわち、提督が曙の“最善策”をそのまま受け入れることなど、たとえ天地がひっくり返ったとしてもあり得ないことだった。

 

 

 

 

「あまり私を甘く見ないことね」

 

「は?」

 

 曙の顔が歪む。唖然として漣が振り返った気配もした。潮も目を見開いている。

 

「私の言う通りに従っていたら、全員生き残れる。だから、四の五の言わずに動きなさい」

 

「……あんた、本当に最悪のクソ提督よね? 状況分かってる? どうやって切り抜けるわけよ?」

 

 曙は先ほどの穏やかな表情を鬼のように変貌させ、ありったけの怒りを込めてレミリアを睨む。そう、彼女はとても怒っている。しかし怒っているのは何も曙だけではない。

 

「説明している暇はない。今すぐ海に出て、私の指示に従い行動すること。分かった?」

 

「生半可なことしたら全滅するわよ! そっちこそ分かってるの?」

 

「分かっているかって? もちろんよ。世界の誰よりも理解しているわ。状況だけでなく、私たちの関係性もね。

 

いい? 私は司令官で、貴女たちは部下なの。これは命令よ」

 

「馬鹿げた命令で犬死させないで」

 

 曙はなおも唸る。こんな状況でなければ、決して気の長い性分ではない彼女は掴み掛かって来ただろう。

 

 レミリアはそれも分かっていた。自分の指示が彼女の怒りを買うことも、それ自体が荒唐無稽なことも。

 

 しかし、レミリアは凡百な人間ではなかった。その正体は五百余年を生きてきた化け物で、過去幾度となく戦争を経験してきた悪魔であった。

 

 悪魔は海の上で自身が戦うのは初めてであったが、それでもここが戦場の一端であるなら原則は何も変わらないと確信している。

 

 

 

「餓鬼のくせして一丁前に死のうとしてんじゃないわよ! ここでは生存こそがすべてに優先される。どうにかしてやるからおとなしく従いなさい!!」

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 古典的なレーダースコープは、円形の濃緑色の画面を白い線が回転し、小さな電子音と共に画面上の探知した情報を表示していく。刻々と、敵を示す白い点が近付いて来る。そして、その敵に対して角度を持って反抗する二つの青い光点が進んでいた。

 

「作戦は以上よ。困難だけれど、やり遂げましょう」

 

 そう締め括ってレミリアは会話していた無線を切る。相手は「硫黄島」で暇を持てあましているであろう秘書艦だ。彼女にも状況の悪さは伝わっているだろうし、その証拠にひどく切羽詰まった喋り方だった。普段は落ち着いて余裕があるだけに、彼女がああして緊迫した振る舞いを見せるというのは実に珍しいことである。むしろ、当事者たるレミリアの方が、詰まらないことを考える程度に余裕を持っていた。これでまた彼女をからかえるネタが増えたと、場違いなことを考えていたのである。

 

 もっとも、夜間攻撃が出来ない一航戦はまだ日が変わって二時間ほどしか経っていない今の時間帯は手持ち無沙汰だ。暗闇の中では目標の識別やそれどころか航法すら覚束ない艦載機隊は力を発揮出来ないし、だから空母も本当にお役御免になってしまう。

 

 そんな赤城との会話を隣で舵輪を握る漣がひどく不審な目を向けて聞いていた。

 

「気持ちは分かるけど、私を信じなさいな」

 

「どの道、こうなってはお嬢様を信じるしかないですよ。ってか、曙本気でキレてたし。あんな怒ったの久しぶり。失敗したら殺されるかもですよ」

 

「その時は殺されてやるわよ」

 

 レミリアはレーダースコープを見下ろす。

 

 彼我の距離は徐々にだが確実に縮まっていた。曙と潮を示す光点も少しずつ離れていく。

 

「回り込んで側面から攻撃しろって言ったって、向こうは電探装備してんだから気付かれるに決まってんでしょ!」

 

 ノイズ混じりの無線が曙の声で怒鳴る。レミリアが作戦の説明をした時と同じ言葉だ。彼女は強権的なレミリアに反発し、その策にも文句を付けた。

 

 だが上下関係は絶対であり、だから彼女はこうして不平を垂れながらも渋々従っているのだった。

 

 曙と潮には横から敵を撃てと指示している。そうすれば、三隻くらいは釣れるだろうと、そして三隻程度ならあの二人だけでも十分処理出来るという目算だ。

 

「釣れました‼︎」

 

 潮が叫ぶ。漁船に追随して直進する敵艦隊の右側面から接近した曙と潮。それに敵が反応した。

 

「敵艦隊、分裂します!」

 

 レーダースコープを覗き込みつつ漣が声を上げる。一方でレミリアは操舵室から離れ、速度と波で大きく揺れる中をものともせず、しっかりとした足取りで船体の後部に向かっていた。

 

 真っ黒い海の先を望むと、そこに敵艦隊がいる。先頭を行く敵旗艦は重巡ネ級、二番艦が軽巡ツ級、三番艦が雷巡チ級、あと三隻が駆逐艦だ。曙と潮の囮部隊に釣られたのはツ級と駆逐艦二隻。残る主力たるネ級とチ級と駆逐艦一隻は変わらず漁船を追って来る。

 

 状況の変化は明瞭にレミリアの網膜に映っていた。それは、夜戦を得意とする第七駆逐隊の面々にも不可能なことで、人間はもちろんのこと、ほぼすべての艦娘にすら当然成し得ない超能力の類である。レミリアは数キロ先の漆黒の中に紛れる黒い深海棲艦の姿をはっきりと視認していて、そしてそれこそが自らを勝利に導く一つの大前提であり、他のいかなる司令官にも出来ないことだと考える理由の一つだった。

 

 作戦の第一段階は完了した。さすがに曙も潮も経験豊富なだけあって、昼戦よりずっと難易度の高い夜戦においても卒なく役割を果たしていける。まず、敵の射線を減らすことが作戦の要であった。

 

 次いで、レミリアは空を見上げる。漁を済ませるまで空を覆っていた厚い雲はいつの間にやらどこかに行ってしまっていた。まるで、この戦闘のために誰かが天候をいじくったかのように。考えすぎか、とレミリアはかぶりを振った。

 

 月夜は明るい。上弦の、中途半端に欠けた秋月と、月光に紛れて申し訳程度に夜空にまぶされた星々。月を見て場所を、星を見て時間を知ることが出来る人間がどこかにいると聞いたことがある。そんな能力があれば、この状況では実に役に立っただろう。だが、人の世はなかなかに便利になったもので、そんなオカルト能力に頼らずとも同じことが可能らしい。

 

全地球測位システムとレーダー、そして目視によりレミリアは情勢を認識する。敵艦隊で最も長射程であるのは言うまでもなく旗艦のネ級。その射程圏内にすでに漁船は捉えられている。まだ砲撃して来ないのは、単に有効射程に入っていないだけの話に過ぎない。すなわち砲撃を受けるのは時間の問題であり、猶予は幾ばくも残されていないということである。

 

 ならばそろそろ自分の出番であろう。久方ぶりに戦場の真ん中で踊ることになる。高揚するかと思った己の精神は、しかし思いの外平静を保っていた。戦闘中に落ち着いていられるのはやはり踏んできた場数が多いからなのだろうと、冷静な自分が分析する。何をするべきかはもう決まっていた。

 

 曙が自衛と自決用に自分の主砲を一基残している。レミリアは一旦操舵室まで戻って、漣の傍らに置かれていたそれを手に取った。

 

「それ、どーすんのですか?」

 

「私でも撃てるかしら?」

 

「銃と一緒です。引き金を引けば撃つことは出来るけど、当てるのは訓練していないと無理ですよ」

 

 操縦に集中しながらも漣は答えてくれた。彼女は今、出せる限り最高の速度で必死に漁船を操っている。もちろん、レミリアには船の操縦など出来ないわけだから、二人しかいない船上では当然漣が舵を握ることになる。

 

「そうね。敵に当てるのは難しいかもしれないわ」

 

 駆逐艦用の10㎝長射砲は角ばった大よそドーム型の砲塔に二本の長い砲身が生えている。持ち手は砲塔の下側にあり、持ち手を握った上で人差し指だけを伸ばしてトリガーに引っ掛けるのが正しい保持方法だ。人差し指を前に強く引くと、少し重みのあるトリガーが引かれて砲弾が発射される。基本的に体格の小柄な駆逐艦娘たちが持つことを想定されているためか、レミリアの小さな手で持っても人差し指は十分にトリガーに掛かった。「安全装置外してくださいね」という漣の指摘で、砲塔の後ろについていた装置のスイッチをオフにする。

 

 この持ち方では揺れる船の上から数キロ先の敵に命中弾を与えるのはおろか、近くに着弾させるだけでも相当な鍛錬を要するだろう。艤装をこうして持つのは初めてのことで、改めてレミリアは艦娘がいかに難しいことを強いられているかというのを実感した。「よく出来るものだ」というのが率直な感想だった。

 

 レミリアは再び船体の最後部へ。遠い水平線を望むと、チカチカとした光が目に入る。

 

「敵が撃ってきたわ!」

 

「ちょっ! 待っ!」

 

 漣が悲鳴を上げる。慌てて舵を切ろうとしたのか、がくんと船が左に傾いた。

 

 レミリアは小さく舌打ちをしてその場に踏ん張り、船の旋回に合わせて首を回しながら敵砲弾が飛んで来る方向の夜空を睨み上げる。砲塔は持ったまま、構えない。

 

 

 

 空気を切り裂く小さな鋭い音がした。

 

 続いて大音響の破裂音。月明かりに高い水柱が立ち上がる。それは、漁船が残した航跡を踏み潰すようであった。水柱は六つ。敵から見れば近弾であり、まだ漁船は砲弾の散布界に収められていない。

 

「大丈夫! 当たってないよッ!」

 

 漣が叫んでいた。レミリアの耳にまで届かなかったが、おそらく曙か潮が心配しているのだろう。応答する漣の声は、いつもの気楽さや余裕が抜けていた。

 

 その直後に、再び遠い後方で明かりが輝く。敵の第二射。閃光の数が増えたようには見えなかったので、おそらくチ級はまだ砲撃して来ていないのだろう。

 

 当然のことながら、深海棲艦の武装であっても艦砲は大きい方が射程が長く威力も高い。重巡ネ級の主砲は雷巡チ級のそれと比べてもずっと大きく、故に射程距離もより長い。もっとも、チ級相手で一番注意を払わなければならないのは雷撃であり、この敵はそれが持ち味でもある。

 

 二度目の砲撃は同じく漁船の後ろに着弾したが、前回よりずっと距離が近かった。轟音と同時に爆風と水飛沫がレミリアを襲った。

 

 砂を浴びたように、無数の飛沫が当たって小さな痛みが顔に広がる。それに眉を顰めながらレミリアは思考を巡らした。

 

 ネ級の射撃精度は中々のものだ。おそらく次でこの漁船を散布界に収めることだろう。当然のことながら、非武装の民間漁船そのものであるこの船には装甲など張られておらず、直撃はもちろんのこと、至近弾ですら着弾の衝撃波で容易に船体を破壊されてしまう。漣の操船がいかに巧みであろうと、いつかは必ず捉えられるし、その“いつか”は敵の射撃間隔からいってもそう遠い先のことでもない。

 

 厳しい状況というのは初めから分かっている。ここが正念場。全員で生きて帰るために、他ならぬレミリア自身の力で切り抜けなければならない。

 

 あれだけ曙に対して大層に啖呵を切ったのだ。これであっさり被弾して沈んだら笑い者にもならない。

 

 三度、ネ級が砲撃する。

 

 レミリアはいよいよ主砲を構え、全神経を集中させて夜空を睨み上げる。

 

 飛翔する六つの砲弾。その黒い影を捉え、主砲のトリガーを引く。

 

 爆音と爆風。漁船の両側に高い水柱が立つ。左右から襲って来た波に小さな船は持ち上げられ、同時に後ろからの衝撃に押し出されるように前に飛び出した。

 

 漣が絶叫している。片や、レミリアは間近かで起こった爆発にも怯まず、口元を一文字に結ぶ。

 

 砲弾を砲弾で撃墜する。常人はおろか、超人ですら不可能なその芸当を、五百を超える吸血鬼は天性のセンスと豊富な経験に育まれた勘で実現してしまう。

 

 危険なコースだったのは放たれた第三射の六発の内、一発だけだった。だから、一対一でこちらの砲弾で撃ち落とせば良かった。その結果が今さっきの空中爆発。かち合った二つの砲弾が中空で炸裂したのだった。

 

 四度目の発射炎が煌めく。光ってから砲弾が飛んで来るまでの時間差は極めて短く、しかも敵艦隊の方が追い付いて来ているのでさらに短くなっていく。そのわずかな間にレミリアは己の目だけで砲弾の飛翔コースを捕捉し、直撃弾・至近弾のコースに入っている砲弾を見極めなければならない。

 

 そして、撃つのだ。

 

 四度目は三発が至近弾のコースに、すなわち漁船を破壊し得る弾だった。

 

「――ヤッ」

 

 小さく呟いて、レミリアも“三発”放った。

 

 空中に現れる三つの花火。鼓膜を破るような破裂音。

 

 漁船の速度が一度がくんと落ちたが、すぐにまた加速し始めた。

 

 レミリアは口元を吊り上げる。

 

 やれば出来るものだ、と不敵な笑みを浮かべたのだ。

 

「これ、どーなってんのッ!? お嬢様ぁ!」

 

「そのまま操縦していて! 曙たちは!?」

 

「随伴は全部沈めたって! 主力を追い始めたところだよ!!」

 

「そう……ッ!」

 

 五度目の斉射。今度は二発迎撃する。

 

 先程分離した敵の随伴を処理した曙たちが主力に追いついて射撃の妨害をしてくれればもう少し余裕も出来るだろう。当然のことながら、敵の射線は少ないに越したことはない。

 

 だが、今のままでも十分だった。レミリアは完璧に砲弾のコースを見極め、寸分の狂いもなく迎撃を完遂している。

 

 

 目で、音速近くの速度で飛んで来る砲弾を捉えるのは造作もないことだった。

 

 何故ならレミリアは、吸血鬼は、それ以上の速度で飛ぶことが出来るからだ。無論、動体視力もそれ相応のものが備わっている。ならば、どうして自分より遅い砲弾を捉えられないなどということがあろうか。レミリアにとって、深海棲艦の砲弾は止まっているに等しき「遅さ」で飛んで来るものだった。

 

 後は、こちらの主砲でそれを撃てば良い。弾を飛ばすのは得意だし、一度に二発までしか発射出来ない10㎝連装砲でも、“ちょっとした裏ワザ”を用いることで三発以上の同時迎撃も可能だった。

 

 最早、敵の砲撃など何も怖くない。すべて、撃ち漏らしなく撃墜出来るからだ。

 

 それからの幾度とない砲撃も、レミリアはすべて凌ぎ切った。何度目からか雷巡も砲撃に参加して来たが、やはり問題はなかった。回数をこなす度、レミリアの集中は研ぎ澄まされ、より遠くで、すなわちより早く砲弾を迎撃出来るようになっていった。

 

「漣!」

 

 レミリアは操船に必死な駆逐艦を呼ぶ。

 

「はにゃー!」

 

 余裕のない彼女は奇声を返事の代わりにした。悲鳴には聞こえなかったが、彼女が目を回しているのは容易に想像出来た。

 

「探照灯を! 探照灯を敵艦隊に照射して!!」

 

「えーッ! 無理ッ! 手が離せない!」

 

「操縦は自動に出来るでしょッ」

 

「出来るけどさあッ! どうなっても知らないよ!!」

 

「構わないわ」

 

 漁船の針路が定まる。それまで激しく転進を繰り返していたのが、一定方向に進み出す。

 

 直線運動は格好の狙い時だ。しかし、危険は承知しても、その危険のすべてを排除出来るなら問題はない。苛立ったように放たれた敵の砲弾は、やはりレミリアの迎撃を受けて当たらない。

 

「行きますよーッ」

 

 マスト下の探照灯台まで登ったのだろう、半ばやけくそ気味に漣は喚き、船の後方にまっすぐな光の筋が浮かび上がる。

 

 照らし出されるネ級。黒い装甲を身にまとった人型の深海棲艦。その腰元からは大蛇のようにうねる尻尾が鎌首をもたげ、三門の砲が付いた砲塔を構えている。それが二つ。ネ級の主砲は合計六門ある。

 

 そのネ級の周囲に、いきなり複数の水柱が立つ。

 

 探照灯で照らされた敵の旗艦を狙って、追随する曙か潮が撃ったのだろう。それは絶妙なタイミングでの射撃で、今まさに主砲を構えていたネ級は射撃を妨害された。

 

 水柱で一瞬姿は隠れたものの、直撃弾ではなく、ネ級は再び現れた。もっとも、当たったところで駆逐艦の主砲では堅牢なネ級は撃破出来ない。

 

 そう、いくら敵の砲撃を防げたところで、レミリアの持つ10㎝長射砲でも曙や潮でもネ級の撃沈は無理な話であった。

 

 だから、レミリアは“盾”となる策と同時に“矛”になる策も講じていた。

 

 砲撃の合間。騒がしい船上が少しだけ静かになる。お陰で、その無線をレミリアは聞き取ることが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちら一航戦赤城。攻撃隊目標上空に到達。爆撃開始します!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これこそが反撃の号令。仕掛けた作戦が狂いなく、時計の歯車が噛み合うように、思惑通りに発動する。

 

 カタルシスが脊髄を貫く。

 

 天から空を切り裂き、真っ直ぐ落ちて来る幾つもの黒い粒。それが、ネ級の周囲に着弾し、水柱と爆炎を噴出させるのを見ながら、勝利の瞬間に震える。

 

 まだ夜明け前で暗い中、あの空母らは見事命中弾を出した。いくら敵が探照灯で照らし出されているからといって、これは神業の類いだと言っても過言ではない。

 

「パネェ!」

 

 と、同じく見ていた漣も歓声を上げる。だが、まだ終わっていない。

 

「仕上げなさい! 曙‼︎ 潮‼︎」

 

 夜の海にレミリアの怒号が響く。

 

 水柱が収まった時、中破した敵が再び姿を見せる。その時には、懐刀はもう真後ろまで来ていた。

 

 被弾の衝撃で動けないネ級。その背中に連続して火炎が吹き上がる。

 

 至近距離からの連撃なら、低威力の駆逐艦主砲でも大抵の敵は葬ることが出来る。砕かれて舞い上がったネ級の艤装の破片が炎に照らされた時には、もうその姿は海に沈んでいた。残ったチ級と駆逐艦も潮の餌食となった。破壊と勝利の爆炎がレミリアの顔を熱する。

 

 燃えながら深海棲艦の残骸が沈没し、その炎が海水に飲まれて消えるのを見届け、少女提督はゆっくりと背を向け操舵室に戻る。

 

 

「お嬢様……」

 

 探照灯を消して降りて来た漣が、何かを言い淀む。砲弾の迎撃も彼女は間近で見ていた。ならば、あれが人間業ではないことはよく理解出来ただろう。

 

 ただ、あえて言い訳や誤魔化しは言わない。漣が見たものをどう受け取り、周囲にどう言うか、レミリアは頓着するつもりはなかった。

 

 ちらりと視線だけ流して余裕の笑みを浮かべて見せる。そして、無線機のトランシーバーを手に取り、

 

 

 

「作戦完了。完璧な勝利には皆の貢献があったわ。礼を言いましょう」

 

「赤城です。提督、まさかこんな方法で私たちに夜間攻撃を行わせてしまうなんて。思いも寄りませんでしたよ」

 

 

 無線の向こうでは、赤城が心底感心したように言っていた。

 

 それもそのはず。先程ネ級を爆撃したのは、赤城と加賀が発艦させた艦載爆撃機部隊であった。

 

 本来、空母娘は夜間に艦載機を運用出来ないはずである。理由は、発艦はともかくとして、夜間における着艦方法(もちろん艦娘での話だ)が確立されていないことと、各機体単位でのレーダー・電探の装備が不能で航法や目標識別に難があることだった。故に、今まで空母といえば夜間は一切行動出来ず、ただ敵の砲撃や雷撃を浴びないように逃げ回るだけで、口さがない者の中には夜戦における空母を「お荷物」と揶揄するのも居たりした。

 

 そして、海軍という組織レベルでも空母は夜間に行動出来ないものという認識が広まっていたのである。それは、他ならぬ空母たち自身の間にも。

 

 だがレミリアは上記の三つの問題さえ解決出来れば空母の夜間活用も不可能ではないと考えた。まず、着艦の問題については、艦載機の帰投が日の出後になるように時間調整をした上で発艦させれば良い。今回の場合も、未明に起こったことだからこそ発艦した艦載機の着艦時間が早朝、明るくなってからという予定が立てられた。

 

 次いで航法の問題も、短距離離陸能力を付与された特殊改造型の無人哨戒機MQ-4「トライトン」を予め「硫黄島」の飛行甲板から発艦させて、赤城と加賀の攻撃隊の先導を任せてしまうことで解決を図った。洋上艦から運用され、かつ高精度のGPSやその他の種々のセンサー類によって正確な航法が可能な無人機なればこそである。発艦した艦載機隊は「トライトン」の航法灯を頼りに後を付かせれば良い。

 

 最後に、目標識別はぎりぎりまで攻撃隊の到着を待ち、危険を承知で探照灯照射を行うことで可能にしたのだった。月も星もよく見える明るい晴天の夜なら、探照灯の光線に浮かび上がった敵艦はさぞかし空からもよく見えたことだろう。

 

 レミリアとしては、航空爆撃によって敵の足止めを出来ればいいと考えていて、損傷を与えて追撃を不能にするという本命は曙たちに任せるつもりだった。しかし、赤城と加賀の攻撃隊の爆撃精度は予想以上で、初めてなはずの夜間攻撃にもかかわらず初撃で敵をほとんど戦闘不能に追い込んでしまった。曙と潮の止めも痛快極まりなく、あの危機的な状況から奇跡的な完全勝利を導くことが出来たのだ。

 

「貴女たちの精度には驚かされたわ。よく命中出したわね」

 

 思ったことを素直に賞賛として口に出した。赤城と加賀が、最強と誉高い一航戦と呼ばれる所以を目の当たりにしたからだ。

 

「自分でも出来過ぎだと思っていますよ。ぶっつけ本番だったのに上手くいって驚きました」

 

 と、赤城は謙遜する。ここで驕らないのが彼女の美徳だった。

 

「提督、今回はたまたま成功しただけです」

 

 ぼそりとした加賀の、忠告のような言葉も聞こえて来た。「仰る通りだわ」とだけ、レミリアは返す。

 

 あまり空母たちとお喋りしていられないようだ。背後から艦娘艤装が駆動する機械音が近付いて来ていた。

 

 それは本当にただの機械音であるが、何となくレミリアの頭の中でその艤装の主が「怒っているな」と浮かんだ。

 

 

「こんのっクソ提督ッ!!」

 

 

 想像通り、いや想像するまでもなかったようだ。キンキンと甲高い怒声が船上に響き渡る。きっと、今の声を無線越しに聞いた赤城たちも苦笑していることだろう。

 

「どんだけトチ狂ってるワケ!? しんっじらんないッ!! あんだけ砲撃浴びたのに無傷!? しかも夜間爆撃!? 一体全体どういうことなのよっ!!」

 

 空母に対する作戦の説明は曙と潮が再出撃してからしたので、横でレミリアが無線に喋るのを聞いていた漣だけしか事前に内容を知らなかった。レミリアにはまったくそんなつもりはなかったのだが、曙からすれば自分が蚊帳の外に置かれたという気がするのだろう。再出撃前のやり取りの影響もあって、相当頭にきているようだった。

 

 喚き声を浴びながら、レミリアはゆっくりと振り返る。そこにはもちろん、小さな体を震わせて耳の穴から噴気を放出しかねない勢いの曙がいる。まあ、小さいといっても身長は彼女の方がレミリアより少し高い。よって、“上から”怒られる格好となった。

 

「何の説明もないし! いきなり『命令に従え』だし! こっちは何が何だか全ッ然分かんないんだけど!!」

 

 彼女は本土まで聞こえんばかりの声量で怒鳴り散らす。一流のトランペット奏者並みの肺活量だと思った。元々声が甲高くて通りの良い上、鼻息荒く叫ぶので輪がかかっている。まさに今の曙は遮二無二吹き鳴らしているラッパのようにやかましい。

 

 彼女の後ろで、ゆっくりと船上に上がって戻って来た潮が苦笑いを浮かべている。「ちゃんと怒られてくださいね」という無言のメッセージが込められた笑みだ。

 

「ってか、正気!? 一歩間違えれば死んでたわよ! 至近弾だけでも危険なのに! 切り抜けられたのは奇跡よ! 分ってるの!?」

 

 と、曙はまだ興奮が収まらない。怒りだけでなく、戦闘直後ということもあって奮起した闘争本能が落ち着いていないのだろう。目も異様なまでにぎらついている。

 

「ええ。でも、お陰で全員無事じゃない」

 

「……ッ! ああ、そうねッ! あんたの脳ミソ以外はね!」

 

「酷い言われよう」

 

「言うわよ、そりゃあ! ほんっとに……ッ」

 

「心の底から心配してくれていたのね」

 

「そうよッ! 散々心配させられてこっちはいい迷惑よ!」

 

「……そう」

 

 

 レミリアは目の前に立った曙に手を伸ばす。熱くなったその体、首の後ろまで腕を回して彼女をそっと抱き寄せた。

 

 

「ごめんなさいね。でも、貴女たちを決して死なせたくなかったからなのよ」

 

 彼女の耳元にそっと囁き掛ける。曙は抵抗しなかった。

 

「私は死なないわ。だから、心配しないで」

 

「……」

 

「それと、もう二度と私の前で自己犠牲を謳わないこと。私はアナタたちを殺したりはしない」

 

 ――絶対に、ね。

 

 

 小刻みに震える曙の体を、繊細で華奢な体を、彼女が痛がらない程度に強く抱きしめる。この少女は本質的には闘争心の塊であり、勇ましい軍人なのだ。最前線の海に出て、夜闇を物ともせず、周囲に沸き立つ水の柱に臆せず、果敢に敵と渡り合える立派な戦士だ。

 

 それは確かなこと。けれど、だからと言って彼女が恐怖を感じないわけではない。死ぬことを恐れぬわけではない。覚悟を決める心の強さはあっても、感覚が麻痺しているのではないのだから。

 

 殿を申し出た時の穏やかな笑みは精一杯の強がりだった。怯えや恐怖を見せまいと必死に取り繕う彼女の姿は痛々しかった。それでも自らの役目を果たそうと、レミリアや率いる潮と漣を不安にさせないように、彼女は強気な嚮導艦を演じて見せる。

 

 ただ、それは弱さではない。死を目の前にしてなお強がりを演じられる小さな強さ。そういうものを、レミリアは両手で優しく包むように守りたくなってしまう。彼女が隠し通せなかった怯えや恐怖を見抜いて、それに挫けぬように膝を震わせている曙を、レミリアは何よりも尊く思うのだ。

 

 だから、真実の怒りを持って厳命を出し、全員が生き残れる未来をもぎ取った。正直なところ、艦載機の夜間攻撃などその場の思い付きでしかない。思い付きでしかないし、結果的にうまくいっただけのことなのだが、たとえそれが博打であっても彼女たちが死なない未来があるなら全財産をそこに賭けるのがレミリアという生き物の性だった。

 

 

 駆逐艦は提督の肩に手を置き、二人の間に腕一本の距離を作る。向かい合って、彼女は真っ直ぐ相手の目を見つめた。

 

 

 

「当り前じゃない」

 

 

 

 曙は唇を吊り上げて白い歯を見せる。

 

 獰猛な、闘志に溢れた貌。

 

 戦士の証。

 

 彼女は海にて異形を滅ぼす“駆逐艦”だ。

 

 

 

「簡単には死んでやらないわ。あんたより長生きしてやるんだからね」

 

 

 

 その言葉に、レミリアは大いに笑った。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。