「その話は本当か?」
とある鎮守府の執務室に若い男の声が響く。
「こんな嘘ついてどうするんですか……」
椅子に座る男の前へ机越しに立っていたのは、ハクが助けた蒼龍であった。あの後、仲間と再会した彼女は無事に自分の鎮守府へ帰還、彼女の帰還を提督と仲間たちは大喜びで迎えた。
そしてたった今、彼女が行方不明だった間の詳細を聞かされた提督は困惑していた。
彼女はなんと深海棲艦に助けられたというのだ。それも恐らく姫級と呼ばれる存在に。彼の隣に控える眼鏡をかけた秘書艦の少女……大淀もどう反応したら良いか分からない、といった顔をしている。
だが目の前にいる蒼龍に嘘をついているような様子は無いし、そもそも彼女がそんな嘘をつく理由が無い。
「それが本当なら大事件なんだが……」
「ええそうですね……深海棲艦はまず私たちを相手にコミュニケーションを取ろうとしませんから。対話を試みようとしても問答無用で砲弾が飛んできます」
「それはそうだけど……あの娘はなんか違うっていうか」
大淀の言っている事は事実だ。深海棲艦の中には人語を話す者もいるが、こちらが何を言って取り合ってくれず、戦闘以外の結果にならなかった事などない。あちら側にとってこちらはただの攻撃対象でしかないのだ。
「かつて深海棲艦相手に和平を持ちかけた提督がいたが、対話の最中に殺されたって話もある。それからは和平は不可能だっていうのが、海軍の中での常識になりつつあるな」
「ですが実際、蒼龍さんの艤装妖精さんたちも同じ証言をしています。ただ気になったのが『あの娘は敵だけど敵じゃない』という妖精さんたちの言葉です」
「敵だけど敵じゃない?」
「はい、なんでも『深海棲艦と艦娘が混ざったような気配』がしたらしいです」
「……」
大淀の言葉に提督が眉をひそめる。
「妖精さんたちが嘘をつくとも思えませんし……」
「謎の姫級か……今はまだ様子見だな。この件を上に報告した所で信じてもらえないだろう」
情報が少ない以上、まだ行動は起こせないと提督は判断した。
「もしその話が本当ならば、またどこかでその姫級の噂が流れるはずだ」
「そうですね」
「……」
何かを心配するように提督たちの顔を窺っていた蒼龍は、そこでホッとして胸を撫で下ろした。報告に嘘をつけなかった彼女は姫級だという理由で、友達となった少女が狙われる事にならないかと不安に思っていたのだった。
「報告ご苦労。もう下がってもいいぞ」
「では、失礼します」
部屋を出て行く蒼龍を見送った提督は、机に両肘を突いて顔の前で手を組んだ。そのまま手に頭を付け、静かに目を瞑る。彼が一体何を考えているのか、隣に控える大淀には分からない。
「提督……」
「……蒼龍の命の恩人だ、討伐しようなどとは考えていない」
「……」
複雑な表情の大淀。鬼、姫級は存在が確認された場合、即座に本部へと報告するのが規則であるが、今回の件……はたしてその姫級は討伐対象になり得るのか?
しかし、提督の中でその結論はすでに出ているらしい。
「我が艦隊の重要なおっぱい艦を救ってくれたんだ……いつか礼をせねばな。あの乳が眺められない数日間は寂しかった」
提督はとても真面目な顔でそう言った。言い切りやがった。隣の大淀の冷めた視線は無視。
「……」
「しかし……蒼龍が何度も言っていたが、そんなに可愛いのだろうか。是非ともこの目で見てみたいな。大淀もそう思わないか?」
「はぁ……結局大事なのはそこですか?」
「俺だって男だ。可愛いとエロが大好きな人間だ」
「それは知ってます。それとここは軍です」
「仕方ないだろ……お前たちは何故か揃いも揃って全員美人なんだから。お前なんかはかなり好みだし」
「……知りませんよそんな事」
ぷいとそっぽを向く大淀を見て提督が笑う。彼女の頬が少し赤くなっていた。
次に笑みを引っ込めた提督は小さく呟いた。
「……暇な時でいい、情報を集めてみてくれ」
「はい」
執務室を出た蒼龍はそのまま自室へと戻っていた。
「大丈夫だよね……」
ここの提督は基本的に可愛いものに目がない。バカだが優秀……そんな男だ。自分の報告の中で何度もあの少女の容姿を褒めておけば少しプラスに働くだろうと思っていた。まあ、容姿の評価については蒼龍の中ではあながち嘘でもないのだが。
(でも心配だなあ……)
旅に出るとあの少女は言ったが、行く宛などあるはずがない。姫である以上、そう簡単に沈む事は無いと思いたいが……
(ハクちゃん、今頃何してるのかなあ……)
「驚くほど何も無い!」
大海原のど真ん中に響く少女の叫び。どこを見ても水平線しか見えない。
「深海棲艦ともほとんど会わないし、島が全然無いです! 海ばっかり!」
『変わり映えのしない景色ねえ……』
いつまで経っても変わらない景色に少女───ハクは辟易していた。ジリジリと照りつける太陽を遮る物は何も無い。服が体に張り付く。あまりの暑さに彼女はとっくにスパッツを脱いで、セーラー服の袖を捲っていた。
「そしてお腹が空きました……」
いつものようにシロを召喚。
「……シロ、倉庫からヤシの実を」
「無いっす」
「え……。あっ、ならそれ以外の木の実をお願いします」
「それも無いっす。食料空っぽっす」
「は?……え?……う、嘘ですよね?」
(島を出るときに食料になりそうな木の実は、あらかた取り尽くしたはずなのに!)
それはちまちま食べれば一週間以上はもつであろう量。今日はまだ旅に出て二日目だ。一体何故……と考えるハクに答えたのはレディーだった。
『空母の娘がほとんど一人で食べちゃったじゃない』
「……」
『あれだけぱくぱくと食べられたらそりゃ無くなるわよ』
二日前までハクと一緒に空母の艦娘───蒼龍がいた。彼女は燃費が良い空母として有名なのだが……それでも食欲に関してはハクの想像以上だった。
「美味しい、美味しい」と喜びながら食べる彼女の「もう少し欲しいなあ……」という催促に負けて、知らず知らずのうちに大量の食料を消費していた事が発覚した。
「ど、どうしよう……」
どうしようもない。レディーによるとこの体は食事を取らなくても、燃料さえあれば生きる事自体は可能らしい。しかし空腹感というものは存在し、ただ生きていられるだけなのだ。
ぐううう~~~
「はぁ……」
とうとう鳴りだしたお腹をさすりながらも、ハクは進むしかなかった。
「……」
ぐうううう~~~
「ああ、空はあんなに青いのに……」
あれから何回自分の腹が鳴ったのか、ハクは数えていない。死んだ魚のような目で海上を進む姿は亡霊そのものだ。
……鳴り続ける腹の音が不気味な雰囲気をぶち壊しているが。
「前々世のカレーライスやカツ丼が恋しいよぉ……」
お腹が空いている時というのは、逆効果だと分かっていても、どうしても食べ物の事を考えてしまうものだ。それでますますつらくなるという悪循環が発生してしまう。腹がまた鳴った。
(……旅がこんなにつらいものだとは思いませんでした)
『……代わってあげようか?』
見かねたレディーが声をかける。
「……えっ?」
『体の支配権を一旦私に譲るのよ。私と入れ替わっている間は空腹感を感じなくなるわ』
「いいんですか?」
『なんかもう見てられなくて……。この体は私の体でもあるのだし、あなただけにつらい思いはさせないわ』
「……でもどうやるんですか?」
そう聞いてからすぐに、眠気のようなものをハクは感じた。
『眠気に逆らわずに、そのまま意識を手放せば私と入れ替われるわよ』
(分かりました……)
そうしてハクは眠気に逆らう事なく……
「成功……ねっ!?」
ハクと交代したレディーを突然襲ったのは大きな脱力感。続いて腹と背中がくっ付いてしまいそうな空腹感。
結論、体に全く力が入らない!
「にゃ、にゃにこ……ぷぎゃ!?」
ばっしゃーん!
そのまま前へと倒れていき、顔面から盛大に着水した。
『……何やってるんですか』
「げほっ、げほっ!」
(何これ!? 体に全く力が入らないっていうか、めちゃくちゃ飢えてるじゃないの!?)
ぐうううう~~~
『え? 知ってて交代したんじゃ?』
「これほどだとは思わなかったのよ! あなた今までよく耐えていたわね!?」
『大戦時代の貧困の中ではこんなの当たり前でしたよ? 基本、食べ物なんてほとんど無かったですし』
(あなたと一緒にしないで頂戴!)
『えぇ……?』
前世が前世だけにハクは飢えというものに慣れきっていた。ちなみに彼女は普段からとる食事の量が少ないが、別にそれ以上食べられないわけではない。むしろ余裕で入る。
常人にとっての「お腹空いたなあ……」がハクにとっての通常状態である。
「こんなの私には耐えられない……」
海上でうつ伏せに倒れたまま起き上がれない少女。ハクは現在、感覚は無いのに見ている景色は今までとは変わらないという奇妙な状態であった。
『まだかろうじて耐えられるレベルだと思いますけど』
ハクはそう言うが、レディーの意識はすでに朦朧としていた。
(貧困に慣れてる姫って……何なのよ……)
「……お願い、やっぱり戻して頂戴」
ハクが何かに引っ張られるような感覚を感じた瞬間、体の支配権は再び彼女へと戻っていた。
「くっ、ううう……」
気力を振り絞って体を起こし、立ち上がる。
『ごめんなさい……』
(気にしないでください、気持ちだけ受け取っておきます。何かあった時にまた頼りますから)
『うん……』
自身の体を見回す。セーラー服が水を大量に吸ってヤバい事になっていた。
(なんで私、ブラ着けてないんですかね……)
セーラー服の上が透けて肌色が見えてしまっている。この体はブラジャーという大事な物を着けていないので、そこの部分も透けてその……色々とマズい状態だ。ここにロリコン共がいれば、間違いなく拳を握ってガッツポーズをしている事だろう。
「……」
続けて彼女は恐る恐るスカートを捲る。するとそこにはなんと可愛らしい「ピンクの紐パン」が!
彼女は無言でスカートを下ろした。
「あの男の趣味に違いない……ていうか絶対そうだ!」
この体を与えた張本人の顔を思い浮かべる。ああいう真面目で清楚な奴に限って実は変態でした……なんて事がよくあるのだ。そもそも自分の記憶が正しければ「艦これ」にこんな姫級は存在しない。つまり奴のオリジナル。容姿や服装についての決定権は恐らく奴にあったはず……
「今度会ったらまず殴ろう」
怒りによって一時的に空腹を忘れる事が出来た彼女であった。
大戦時代の貧困は一体どれほどのものだったのか……
ちなみに私は朝食を一回抜いただけで死にそうになります。今の日本人はかなり幸せですね。