「貴方はどうしてここに来たの?」
僕は唐突にそう問われた。桃色の髪をした女性はどこか僕の返答を楽しみに、そしてなぜか威圧感をもって聞いてきた。
「どうしてって…そんなこと聞かれても……」
僕は頭を掻きながらそう返す。けれど、彼女の聞きたいことはそうではないようで
「違うわ、私が聞きたいのは、なぜ貴方のような人が来たのかということよ。貴方のような人間なら大半は天国行きのはずなのに」
「何か心残りになるようなことでもあったの?」
彼女から投げられた問いに思慮を巡らせる。
あぁ、そうだ。僕は彼女に…
……あれ?
「…あれ?どうしてだっけ……?」
上手く思い出せない。なんとなく感覚はあるのにはっきりとしない。確か彼女だった…はず、…あれ?何で思い出せない?
どうしてだ?確か僕は最期に誰かに何か言って……。それだけじゃない。確か僕はその人と決して忘れてはいけない大切な思い出があったはず…。
……だめだ。どうしても鮮明にならない。面影はある。楽しかったという感覚も僕の中にしっかりと刻み込まれている。そしてその人を大切に想っていたのも覚えていた。ただ、その思い出が一体いつ、どこで、誰と一緒にいた時のものだったのかが思い出せない。
もどかしい。一体僕は誰を思い出そうとしているのか。
「…分からない…です」
「あらら、分からないの?あれだけ仲睦まじかったのに」
力なく彼女の問いに答えると、そんな話に僕を彼女は小馬鹿にするようにクスクスと笑う。一体何が面白いのやら。
「…やめてもらえませんか?これでも結構ショックなんです……」
僕が落胆の表情でそう言うも、彼女は依然として笑いをこらえきれていなかった。それが余計に腹が立つ。
「ごめんなさい、つい…笑いが…」
やがて落ち着いてきた彼女は少し申し訳なさそうに(みえる気がしなくもない)僕に向かって謝罪した。
「いやー、もういいですよー。ぜーんぜん気にしてませんからー(棒)」
僕がそっぽを向くと、彼女は少し困った表情であたふたしていた。拗ねてしまった僕に今更罪悪感を覚えたらしい。
そんな時、ふと僕の目にあるものが映った。
「あれは…桜か?」
たまたま視線を向けた先、そこにはおもわず存在を否定してしまいそうに思われるほどの巨大な大樹がそびえ立っていた。
その圧倒されるような存在感にしばらく呆然としていると、彼女が僕の隣まで歩み寄ってくる。
「この桜が気になるのね?」
「…まあ、はい。」
僕は彼女の方へ視線を送る。彼女はじっと桜を見つめている。その目はまるで何かを哀れんでいるような、そんな目をしていた。
「あの桜はね、呪われているの」
彼女は小さく呟いた。その言葉には彼女の表情からは察しきれない悲痛が感じ取れた。
「呪われている?」
「ええ、あの桜はたくさんの死を溜め込んだ妖怪桜なの。たくさんの人々があの桜の下で自ら命を絶ち、死んでいった」
僕はそんな彼女をただ見つめて黙り込んでいた。慰めてあげようにも何を口にすればいいのかわからない。そもそも慰めるなんてことを安易にしていい問題なのかもわからない。実際、この話は僕が考えているよりも到底重大なことだ。そんな話に簡単に口を挟むべきではない。
「元々は他の桜と変わらなかった。けれど、私の父がその桜の下で永遠の眠りにつくと、いつのまにか、あの桜は眺めた人々を死に誘うようになった。この桜の美しさに惹かれてやって来た者のほとんどは死に、桜はその死を吸い続けた」
「死というのは生きとし生けるもの全てが持つ権利。死んだ者はあの世へ行くというのは当然のこと。けれど、死が確定した者を蘇らせるというのは、この世に生きる全ての生物の存在を冒涜しているのと同じ。私はそれだけは許さない。私の今の立場としても、私自身の信念からしても」
彼女は重く、そして淡々と話す。しかし、なぜか僕には突然死にたくなるとか、そんな衝動はなかった。すでに死んでいるからなのか…。
しかし、次の瞬間には彼女の辺りに漂っていたあの重苦しい雰囲気は一気に霧散し、逆にこちらが唖然としてしまうほどの笑みを浮かべながら言った。
「まぁ、桜の話は屋敷の伝記で書いてあった話だし、私の信念もどうせ冥界まで来て蘇らせようとする人なんて現れた試しがないし、決意するだけ無駄なんだけどねぇ」
のんびりとした口調のまま、彼女は僕の肩をポンポンと叩くと踵を返して屋敷の方へと戻っていった。「そろそろご飯にするから貴方も来なさいよ」とだけ残して。
しかし、僕はそんな彼女の態度に少しばかり呆然とし、同時に身震いもしていた。彼女のあまりにも飄々として掴み所のないところが逆に僕に警戒心を抱かせた。彼女は賢い。だからこそそうには見せず、あえて何も考えていないかのように見せかけることで、それに思わず警戒を解いた人々から色々な情報を聞き出すのだ。そして、いざ怪しまれたら適当にはぐらかせばいい。結局、僕も彼女が僕のことをどこまで知っているのか分かっていないわけだ。なにしろ、今までの記憶がぼんやりとしかないから。今の僕には生前の記憶はほとんどないといってしまっていい。彼女の言うことはどこまでが真実でどこまでが虚構なのか分からないから、むやみに信用できないし。
仕方ない、ひとまずは屋敷にお邪魔してそこからまた先のことを考えよう。そんな結論に至った僕は向こうにそびえる桜に背を向けて彼女の後を追った。
その時、僕のポケットから不意に何かが零れ落ちた。それは石畳を何回か跳ねると、クルクルと回りながらやがて止まった。
「何だっけ…これ」
それは黄金色に輝く琥珀。持ち上げて眺めていると琥珀は一段と煌びやかに光を発する。
「………あっ!!」
途端に今まで曖昧だったはずの記憶がまるで霧が晴れるかのように鮮明に僕の脳に流れ込んでくる。
「母さん…」
母さんの面影が僕の脳に蘇り、やがて薄らいで来る頃にもう一人の人物が想起された。
「……フランっ!」
思い出した。僕は何故ここにいるのか。どうしてこうなったかも。誰の為にこうなったのかを…。全ては彼女に幸せになって欲しいから。
そして、同時に本能が何かを感じ取った。
『今行くからね、俊っ!』
「フランが…来ているのか」
感じたのは僕に会おうとしている彼女の強い決意だった。
彼女に会いたい。会ってまた話をしたい。あの時みたいに…。
僕は無意識に歩みだした。右も左も分からないこの場所でフランを探すなんてこの上なく難しい。けれど、彼女に会いたいという僕の願望が無意識に身体を前に動かした。
しばらく歩いていると、やがて長い石段へと辿り着く。
僕はそっと下へと歩みを進める。辺りを見渡しながら彼女が来ていないかを確認する。
そんな時だった。
「しゅーーんっ!!いたら返事してっ!!」
どこからか僕を呼ぶ声がする。その声を聞いた時、僕は胸に込み上げる何かに背中を押された気がして急いで階段を駆け下りた。
やがて、石段が終点に近づいてきた時にその姿は見えた。
「…フラン」
彼女は僕を探しているのか辺りを見渡しながら僕の名を叫んでいる。その姿が僕の心を強く打って気づけば少し目頭が熱くなっているのに気づいた。
「俊っ!いるんでしょ!?」
「いるよ…、ここに」
僕はそっと彼女に告げると、それに気づいた彼女が僕の方を向く。
そして、僕と彼女は幾年の時を経てここでまた再会した。
彼女は酷く震えていた。けれど、それは恐怖や喪失感からくるものではなく、僕に会えたという喜びからきたものだった。かという僕も、フランに会えた喜びで思わず涙が一雫だけ零れた。
僕はゆっくりと石段を下りる。少しずつ少しずつ、一段一段と確かに下りていく。そして、段にして二段、距離としては普通に会話するよりかは幾分か近いようなそんな距離で立ち止まり、最初に一言、彼女に今の気持ちを伝えた。
「来てくれたんだね、ありがとう」
こうして僕が感謝の気持ちを伝えると、彼女はまたも震えだした。その目からは雫が少しばかり流れていた。そんな彼女を見て思わず抱き締めて落ち着かせてやりたくなったが、今はそんなことはできないと我に返り、そのまま後ろに振り向いた。
「こっちにおいで」
僕はフランを連れて、彼女のいるあの屋敷へと向かう。道中で会話らしい会話はなかったが、僕は彼女に心の中で警告した。彼岸でもその存在を耳にするほどの亡霊、西行寺 幽々子の恐ろしさを…。記憶が戻ってようやく思い出した。僕を裁いた地獄の閻魔が天国へ行くことをやめて自ら冥界で転生を待つことを選択した僕へ警告してくれた。掴み所のない彼女の性格に振り回されないように…と。本当なら口でその事を伝えてあげたいし、詳細を知らせてやりたいが、この冥界という世界にいる以上、今の僕にはそれは叶わない。伝わってくれればありがたいが…。
そうこうしていると、あの屋敷の門が僕らの前に現れ、そこで僕は一度大きく息を吸ってから叫ぶ。
「幽々子さんっ!自分ですっ!俊です!!開けていただけますか!?」
すると、ギギィィという特有の軋み音を上げながら、門が開いた。そして、その門の先に彼女がいた。
「お帰りなさい、俊。そしていらっしゃい、フランドールさん?」
やっぱりだ。彼女はフランの存在に気づいていた。知らないフリをしていたんだ。やはり、彼女の行動は読めない。どこまで知っているのかを…。警戒し続けないと、いつ魂を抜かれてもおかしくはない。僕の場合こそ、もうここの人間だが、フランまでそうはなって欲しくない。絶対に。
今一度、警戒の意味も込めてフランを見やる。しかし、僕の心配とは裏腹にフランはまるで挑戦的な笑みを浮かべて彼女を見つめていた。まるで彼女から僕を取り戻そうとしているかのような強い目で。そんな姿に心配と同時に心強さも感じながら僕とフランはその門をくぐっていくのだった。