そこから僕は延々と走り続けた。フランとの再会、ただそれだけを求めて…。地下室にいると推測してはいるが、実際彼女がどこにいるのかも分からない。
床も壁も天井すらも紅く、そして果てしなく長い廊下、途中にはいくつもの人間の死体が打ち捨てられていた。死体は何にも喋らない。けれど、僕にはフランが彼らを通して悲痛を訴えているように感じた。
延々と廊下を駆け続けていたものの、さすがに息が限界に達し、その場に立ち止まってハァハァと荒い息遣いを繰り返した。
「フラン…どこにいるんだ…」
近くの壁に体重を預け、そのままズルズルと尻を床につける。脇腹が痛い。走り過ぎた。もともと余命を宣告され、ずっと病院生活だった僕にとって、これだけでも十分過度な運動と言える。だがしかし、これではせっかくレミリアさんが命を懸けて僕を逃がしてくれたというのに面目が立たない。それに、フラン自身だってこの時もきっとどこかで苦しんでいるに違いない。一刻も早く助けてあげなければ…。フランは自身の命を投げてまで僕を助けてくれた。受けた恩はそれ以上で返す。きっと助け出して、今度こそ僕とフランの二人で一緒に幻想郷をめぐるんだ。
だからこそ、僕は死ねない。こんなところで果てるわけにいかない。ようやく息が安定したのを確認、両手に握りこぶしを作り、改めて一歩を踏んだ。
「そんなところにいたのね」
後ろから放たれたいかにも落ち着いた声、そして心臓が止まったと錯覚するに足りうる驚きとそこからくる恐怖に僕の身体が硬直した。死を覚悟した。もう追われていたのか…。恐怖でいっぱいの脳が必死にこの状況を打破する方策を模索する。全速力で駆けて撒けるか。いや、曲がり角までざっと三十メートルはある。その間に追いつかれておしまいだ。仮にぎりぎり曲がることができたとして、その後はどうなるか。おそらく捕まってジ・エンドだろう。この場合は彼女と向かい合って、話し合ったほうが得策かもしれない。といっても、取り合ってもらえるとは思えないが……。これはおそらく
しかたない、と小さく肩をすくめ、僕はそっと後ろへと振り返った。
しかし、目に映ったそのシルエットはあの恐怖の塊ではなかった。
「レミリアさんっ!!」
僕は思わず目を見開いて驚愕した。そこには青い髪をかきあげて、静かに、そしてどこか優しげに佇むレミリアさんの姿があった。
「どうしたの、そんな驚いた顔をして」
「いやだって、あの時レミリアさんはフランに…」
「フラン?どういうこと?」
レミリアさんが戸惑った表情のままこちらに視線を送っていたが、僕が言いたいのは一つだけ。
…え?いや僕が聞きたい。
「私はただ紫に事情を聞いて、ここまで送ってもらっただけよ。貴方がフランを助けに行ったって言うもんだから慌てて追いかけてきたの」
…あぁ、なるほど。ようやく理解した。
つまり、今僕の目の前にいるレミリアさんは本物、フランの記憶から出来上がった存在ではないということになる。ということは、あのレミリアさんは…。
「あー、紫?聞こえるかしら。俊と合流したわ。これから二人でフランを捜索する」
レミリアさんは紫さんと会話しているらしいが、人間であるためか一切僕にはそういうのは聞こえてこない。今のうちにと深呼吸をして荒い息遣いと爆速で脈打つ心臓を落ち着かせる。
数分の会話を終え、やがて僕の方へレミリアさんは向き直る。
「さて、行きましょうか」
レミリアさんの言葉に僕も頷いて肯定する。
「へぇ、どんな迷宮が待ってるのかと思っていたけれど、外見だけじゃなく、中の造りも紅魔館とほとんど変わらないのね」
レミリアさんが歩き、辺りを見回しながら呟いたものの、未だ紅魔館の全容を知らない僕は薄暗く紅い廊下の中をただ黙ってレミリアさんに付いて行くしかなかった。僕が気まずい心境であることを察したのか、レミリアさんは小さく溜め息を吐くと、今度は独り言のように僕に語りかける。
「もし貴方がいずれかを選択しなければならないという状況に陥ったらどうする?」
「選択、ですか…?」
「そう、例えば…自分の命か家族の命…とかね」
そう口にするレミリアさんの瞳は酷く暗かった。まるで彼女自身が何かしらの罪の意識に苛まれているように見える。彼女は立ち止まるや振り返り、僕の戸惑った表情を見ると、自嘲気味に笑った。
「私の親は、二人とも人間のせいで意識を失った…」
「人間も妖怪も、神でさえもその時その時に様々な選択をする。思い返すにも及ばない小さな選択から人生を左右する大きな選択まで…。当然だが私もまた…そんな存在の一人」
「選択はその者の運命を決める。選択次第で人は死に、またある時には数多の幸福に包まれる。それら全てはその時に行った選択によって決められる」
「だからこそ、私は運命を決めるとされる存在を、神と呼ばれる存在を信じない。神など人間が作り上げた妄想の結晶。彼等の妄想によって命を得たある種の人間」
「…仮にも私が否定するような神が実在していたとするなら、神はなぜ私達をここまで苦しめた!吸血鬼として生を受け、妹を得て、その先に両親の死という結末を突きつけた挙句、私に愛おしい妹を幽閉させるように仕向けた神なんてものが本当に存在しているというなら、私はきっとそいつを殺す」
口を開くたびにどんどん曇っていく彼女の表情。僕はただただその姿を横目に見ていることしかできなかった。その表情、言葉からも怒り、苦しみが嫌というほどよくわかった。
「私は選択を迫られた。両親の命を守るか、最愛の妹を殺すか…と」
「私には…フランを殺すことは出来なかった……。結果、人間が攻め込んで来た為に意識を失った両親は、フランの破壊の能力によって完全に死に絶え、館の従者達もほとんどが死んでしまった…。私がフランを大切にしたためにもっと多くの命が失われてしまった」
彼女はただ妹を大切にしただけ。それなのに運命は彼女を欺き、苦しめ続けた。自分のせいで両親が死んだ。自分のせいで従者が息絶えた。そんな状況に置かれた彼女が今日まで狂わずに生きてこられたのは、恐らく彼女自身が持つ芯の強さなのだろう。普通の者なら理性を保っていられなくなるに違いない。
「……つくづく哀れよね、私って…。結局は大切に思っていた妹でさえ距離をとったんだもの」
自嘲するレミリアさん。それから口を開くことはなかった。しばらく足音だけが辺りに木霊するような沈黙状態のまま、僕等はついに地下室へと辿り着く。
フランが自身の寝室としていた部屋の前に辿り着く。ジメジメとした地下室はフランの記憶の中であっても相変わらず薄暗く居心地悪い。
その時だ。
(私はいつも…独りぼっち…)
聞こえた。フランの声が確かに…。けれど、それは耳が音を聞き取った訳じゃない。まるでフランが僕の心そのものに訴えている。そのように感じた。
フランから零れたその小さな言葉はどこか冷たさを持っていた。それは針のように鋭く、なおかつ何よりも痛かった。僕は胸が突如としてそれらの鋭利な針に刺された気がして思わず手を当てた。同時に、鋭い痛みが僕を襲う。
(寂しい…さびしいよ…)
(ひとりぼっちは…いやだよ…)
彼女の悲鳴は彼女の心そのものの苦しみ、痛みを表していた。それは必然として僕の心、果てには身体にも痛みをもたらし始める。フランの精神世界にいるせいだからだろうか…。身体を蝕み始めた痛みに思わず歯を食いしばった時……
「いやぁああぁぁぁ っ!!」
「レミリアさん!?」
突如として僕の後ろにいたはずのレミリアさんが大きな悲鳴をあげてその場に座り込んだ。振り返ると、レミリアさんは両手で頭を抱え、肩を震わせてまるで何かに怯えているかのようにその場にうずくまっていた。
「レミリアさん!?大丈夫ですか?」
「ごめんなさい…。私のせいで貴方が…ごめんなさい…」
「しっかりして下さい!レミリアさん」
何かに向かって必死に許しを請うレミリアさんだが、当然周りには誰もいない。ただうずくまって泣きそうな声で誰かに許しを請い続けていた。しかし、やはり僕には何が起こったのかまるで見当がつかない。とりあえず彼女の意識を戻そうと、肩に触れた。
突然、視界が歪んだ。目眩程度ではあったが、僕はその場に座り込んで、瞼を閉じた。
一瞬の浮遊感、直後に再び瞼を開いた。
優しい風が、僕の周りを吹き抜ける。そして……
『待ってー、お姉様っ!』
『ふふっ、早くおいで、フラン』
二人の幼い姉妹。彼女等の表情は眩しかった。花畑の上を舞を舞うように元気に走り回る二人の姿には見覚えがあった。
青い髪と金色の髪はそれぞれに風を受けてなびき、その笑顔は僕を含め、見ている者の心を癒してくれる。レミリアさんとフランの楽しげなその表情は夜空に輝く望月にも負けないくらいに眩しく、美しかった。
しばらく目の前の光景に見惚れていると、ふと僕の横に歩みを進める人の気配を感じた。誰かなど今更言うまでもない。
「あの頃の私達は無邪気だった。目の前に起こっていた物事などに気づくこともなく、二人で楽しく過ごしていた。けれど……」
そして、目の前の情景が霧散し、新たに僕が立っていたのは紅魔館の中、それもあの玉座の間であった。目の前にはレミリアさんと見知らぬ男性が向かい合っており、レミリアさんは彼に向けて必死に何かを訴えていた。耳を澄ましてみると、段々とその声が鮮明になってくる。
『なぜフランを殺そうと考えるのですか!大切な家族じゃありませんか』
「ダメだ、
『フランはきっと制御できるようになりますっ!いえ、私がして見せます。だから…、だから…お願いですから…フランを殺さないで…』
『うむぅ……』
彼女の父親であろう彼は、彼女の懸命な願いを簡単に無下にすることができなかったらしく、口ごもっていたまま何も答えなかった。
「思えば、この時にもっと冷静な判断を下していれば、こういうことにはならなかったのかもしれない」
「それは…フランを殺すということですか?」
彼女もまた答えなかった。ただ静かに、そしてどこか怒りにも似たものを含んだその瞳はただまっすぐにもう一人の自分を映しこんでいた。
そこからまたもや情景が霧散する。同時に視界が紅色に包まれた。その理由はおびただしいまでに壁に飛び散った…血。あまりにも惨い数々の死体を目撃してしまったために僕は思わずその場に崩れ、胃から逆流してきた汚物をその場にぶちまけた。この世界に来て最初に見た人間の死体などまだマシな方だった。ここらにいる死体の中には四肢がもげたまま転がっている死体もあれば、目をほじくられてしまっている者もいる。骨が露出しているものなど当たり前のように存在するし、酷いものはミンチのように細かくされてしまっているものもあった。なんとも痛々しい、おぞましい光景が広がっていた。
そして、その光景の中で、レミリアさんはただ一人、その場に膝をついてすすり泣いていた。
「それ以降、私は壊れた。果てしない絶望に打ちひしがれて、あれだけ擁護していたフランを地下に幽閉した」
「私の選択がお父様とお母様、そして多くの従者の命を奪った。人殺しはフランではなくこの私」
向こうでは俯いたフランが地下室へと入っていき、そのままその鍵が掛けられたのを確認した。同時にフランの声が辺りに響いた。
(嫌だよ!独りはいやぁ!!)
彼女の叫び声に胸が痛くなってきたところで、僕たちの意識が元の場所へと戻った。目の前にはさきほどまでの扉が存在した。先ほどまでの直接的な痛みはまるで幻覚かと言わんばかりに皆無であったが、精神的な痛みは未だにギスギスと心を締め付けていた。彼女達の過去を垣間見て、そしてその壮絶さを知るや、レミリアさんが言っていたことが理解できた。これがもし神が起こした必然であったならば、僕であっても怒り狂うであろう。レミリアさんはあくまでこれを自分の犯した過ちだと無理にでも捉えることで、崩壊レベルの精神的苦痛と引き換えに理性を保った。しかし、その心はどれほどズタズタに壊されたであろうかと考えると背筋がゾッとした。そして、その過去を、むざむざと見せつけられた彼女にとってこの状況はこれほどまでにないほどの苦痛であろう。
「私が…私ごときがフランを助けに行くなんて…おこがましいにもほどがあるわね」
「そんなことないです!」
僕が声を上げ、彼女が頭を上げるタイミングで僕は彼女を抱きしめた。それも強く、少し苦しいかなと思われるほど強く抱きしめた。
「あなたは立派に頑張ってきました。あなたは誰よりも、この世界の誰よりも強い。誰よりも妹のことを想い、愛し続けた。レミリアさん、これ以上苦しむ必要なんてないんです。一人で抱え込む必要なんてないんですよ。レミリアさんがフランを愛しているように、僕もフランのことが大好きなんです。それこそレミリアさんを超えるほどに。なら、僕だって彼女の運命を背負う義務があるはずです。レミリアさんだけじゃないです。僕もフランの運命を…背負います!」
僕は立ち上がり、そしてレミリアさんに向けて手を差し出す。実際に体感したことすらない上、断片的にしか見ていない僕がレミリアさんの気持ちを真に理解しているかと聞かれれば難しいのかもしれない。けれど、少しでも彼女の支えになれたら、これ以上の喜びはない。レミリアさん自身の気持ちが少しでも軽くなれば、それは必然的にフランにも波及するし、これがきっかけでフランとレミリアさんがもっと仲良くなれればそれに勝るものはない。
「今はとにかく前に進みましょう。それがフランのためにもなるはずです」
レミリアさんは頷くと僕の手を掴み、ずっと立ち上がる。そして、今まで以上に安堵の表情を浮かべて
「ありがとう」
そう優しく告げた。
次でようやくラストスパートです。俊、フラン、レミリアの思いが交わります!乞うご期待!!