宮岡 俊の救済論
あの騒動からはや数年が経ち、俊を含んだ新しい日常が徐々に経過していった。以前までは外来人として見慣れなかった俊であったが、今ではすっかり家族のような扱いである。フランはすっかり俊に甘え、そんなフランを優しく包み込むように接する俊との関係は見ていて微笑ましい。時には嫉妬さえしてしまいそうになる。私だってフランの為にもっと色々なことを教えてあげたい。フランとの年齢差は僅か五歳差ではあるが、幽閉してしまった分、必然的に人生経験において私の方が豊かであるのは間違いない。
けれど、それは決して許されない行為である。私はフランを幽閉した。何百年もの間、孤独な檻の中に閉じ込め、彼女の心を破壊した。純粋な尊敬の念も、憧れの目も、人から手から伝わる温もりも、何もかもを私が破壊した。彼女の気が触れたのは彼女自身のせいではない。全て私が悪いのだ。そんな私が今更彼女の心の拠り所になろうなどとはあまりに
「お前はフランの人生を奪った」
「だれ?」
暗い暗い闇の中、二人の声が響きあう。やがて、スッと姿を現した彼女の目は明らかに私への侮蔑の念を抱いていた。
「お前は私だよ。レミリア」
「どういうこと?」
「ふふっ、『どういうこと』か…。まあ、お前が理解しているかなんて、そんなことはどうでもいい」
今ひとつ理解が及ばない私であったものの、彼女にとってそんなことは気に留めることでもないらしい。
「私が言いたいのはただ一つ、『何を甘えたことを言っているのか』ということだけだ」
私は彼女を睨んだ。本来であれば、何を言っているのか、気でも違ったのかと言ってやりたいところだが、その言葉は今の私には木の杭で心臓を貫かれたかのように痛烈だった。
「私が…自分自身に甘えていると、そう言いたいわけ?」
「本当は気づいているのだろう?気づいていないように見せたくて、それを認めたくなくて。そしてお前は今も懸命に自分を偽り続けている」
「お前は
「そんなこと…」
「ほぉ?まだ弁解しようというのか。はっ、愚かだな。とても私とは思えん」
彼女から言い放たれる言葉の数々に、そしてその重みに私は潰されるような思いがした。
そうだ、私は間違いなくフランの人生を奪った張本人だ。私はフランを幽閉し、傷つけ、精神を蝕んだ。俊やつぼみと仲良くなったのも私の逃げ口が欲しかったから…。本来であれば、これは私の問題であり、彼等を介入させるという行為は実に無責任で危険なことであった。それを彼等の善意に擦り寄ってどこまでも他人事のように目を伏せ続けた。結局私一人では何もできない無力な姉だ。妹一人も救えない実に滑稽な姉。
「お前はもはや人間でも吸血鬼でもない。お前は人の形をした単なる悪魔だ。温かい心を捨て切った冷酷な悪魔、それがお前だ。それがレミリア・スカーレットだ」
私は目を見開いて呆然としていた。直後、瞬きが異様に増えて視界が歪む。同時に激しい動悸が私を襲い、思わずその場に膝をついた。
「自分の手を見ろ」
そんな彼女の言葉に従って、自身の手に目を向けると、気づけばそこにはドロドロとした感触とともに紅い液体が指の間を伝ってポタポタと滴っていた。その瞬間、辺りをとてつもない腐臭が覆う。
「うっ!?」
「これが現実だ」
周囲に改めて目を配れば、そこには夥しいほどの死体の数々が存在した。どれも腕が千切れていたり、頭がねじ切れていたり、肉体の全容を保てていないものが多く、痛々しいものばかりであった。
「…オネエサマ、ユルサナイ!」
突然耳に届いたそんな声とともに、背後から私の首が激しく締め付けられた。
「その声は…フランなの?」
弱々しく零した言葉の返答はない。ただ、私の首を握るその腕の力だけが徐々に強まっていく。必死に抵抗しようともがく私。しかし、朧げな瞳の中に嘲笑する私の姿が映る。
「何を抵抗しているんだ?お前は妹を殺したんだ。抵抗する権利なんてあると思っているのか?」
私の瞳から雫が垂れた。息が出来ない。苦しい、痛い。けれど、私はフランを殺した張本人。冷静に考えればフランが私を恨んで殺しにくるのは至極当然のこと。そして、何より私にはそれを拒む権利はない。苦しめた報いを受けなければならない。
「オネエサマ…死ネ!死ネ!!」
腕の力がどんどん強まっていく。ついに意識が朦朧としてきた。頭に酸素が回っていないらしい。
「ごめんなさい…私は貴方を……」
懸命に抵抗するべく首元にあった私の腕は、次の瞬間ぶらりと滑り落ちた。
(ごめんなさい…ごめんなさい……)
心の中で懺悔を繰り返す。これが私が受けなければならない報い。仕方のないことなんだ。
『…さん!レミ…アさん!』
大罪を犯した私には当たり前のように生きることさえ許されない。当たり前だ。今更人として生きようなんて誰も許すはずがない。
『し………して…ださい!レミ……さん!』
いつまでも苦しむ。それだけが私に許された唯一の懺悔。私には幸せを享受する資格などない。
『起きろっ!!レミリアァ!!!』
えっ……?
○ ○ ○ ○ ○ ○
「ハァ…ハァ……」
レミリアさんを起こし始めて十数分。精一杯に彼女の名を叫んだところでようやく彼女は目を覚ました。普段ならせっかく眠っている彼女をそこまでして起こそうとは思わないのだが、悪夢でも見ていたのか、彼女はかなりうなされていた上、涙まで流していた。懸命にフランの名を叫び、同時に「ごめんなさい」といつまでも懺悔を続けていた彼女の表情は悲痛に歪んでおり、とても見ていられなかった。だから起こした。
「うっ……」
「大丈夫ですか?」
頭を抱えながらどうにか起き上がったレミリアさんの肩は僅かに震えていた。僕は彼女を落ち着かせるべく背をさすっていたが、彼女は俯いたまましばらく沈黙を守っていた。
「………………」
「………………」
しばらくの静寂、あたかも誰もいないかのような冷たい空間が辺りを包んでいた。
「……もうすぐ食事ですし、良かったら一緒に行きませんか?」
「…ありがとう。でも私は行けない」
「えっ?」
なんとか見繕った言葉に対して絞り出すように零した彼女の言葉。直後、彼女は両手で顔を覆い、またもや肩を震わせ、小さく声を漏らした。
「私はフランに悪いことをしたわ。それこそ償いきれないくらいに…。そんな私が周りと一緒に幸せになろうなんて烏滸がましいにも程があるわ」
彼女が追い込まれている。誰によってそうなったかまでは分からないが、この姿を見れば確実にそれだけは理解できた。今の彼女はすっかり心が折れかかってしまっている。今の俺に分かることは確実にフランの存在が関係しているということだけだ。
妖怪は細菌などによる病気には強いものの、精神的なものに関してはめっぽう弱い。そもそも人間の信心によって確立する存在故にこればかりは対応しようがないのだと以前にレミリアさんは言っていた。そして、誰の差し金かは知らないが、今のレミリアさんはフランの幽閉というトラウマを呼び起こされ、現状況にまで弱ってしまったのだろうと推定する。
ならば、僕がしてあげられることは少しでも彼女の心理的な傷を癒してあげる事だけだ。
「フランにとって幽閉は確かに辛かったかもしれない…。けど今のフランは決してレミリアさんを責めたりしていませんよ。むしろ自らのお姉様として、紅魔館の当主として尊敬すらしています」
「フランがどう思ってるとか…そういうことじゃないわ。問題なのはフランを閉じ込めた愚かな私のこと」
「幽閉したことはやり過ぎだと僕自身思うところはあります」
「けど、同時にそれをありがたく思ったこともあるんですよ」
彼女が僅かに反応した。まさか幽閉したことを肯定する言葉がくるとは夢にも思っていなかったに違いない。
「だってレミリアさんがフランを幽閉していなければ、きっと僕は彼女に会えていなかったんですから」
レミリアさんの表情に少しばかり変化があった。その証拠に冷たく淀んでいた瞳にほんのり光が宿っているのが確認できた。
そして、僕はそっと目を瞑り、これまでの思い出を振り返った。なんだかんだで口にしてこなかった恥ずかしくも懐かしい思い出、今のレミリアさんにはこの話をしてあげるのが一番最善だと僕は考えた。
「僕はあと一週間の命と宣告されて、絶望と孤独に打ちひしがれていました。どう生きようと僕は長くない。もう終わりだ…。そう捉えてばかりでした…」
「けど、そんな時僕は彼女に出会ったんです。彼女も僕と似てて、孤独に苛まれていました。友達になろうと言ったあの日、最初は僕が死ぬまでの短い間、少しでも彼女の心の支えになろうと決意しました」
「彼女が落ち込んだ時には励まして、寂しい時はいつまでもそばにいてあげる。たとえ彼女が狂気に駆られても、いつまでも一緒にいてあげよう。そんなことを考えていたある日、僕は気づいたんです」
「僕は彼女を好いていました。そしていつのまにか、一緒に居てあげようから一緒に居たいと思うようになりました。そして、彼女もまた、僕を好いてくれた」
「僕が最期を迎え、この世から姿を消しても彼女は諦めなかった。死の世界を漂う僕を追いかけ、現世に引き戻してくれた。世界の禁忌を犯してまで彼女は僕を救ってくれた」
「僕は幸せ者です。僕には自分の存在を求めてくれる大切な人がいる。そして、その彼女を引き合わせてくれたのは他ならぬレミリアさんなんですよ」
確かに幽閉したことによってフランが辛い思いをしたというのは事実だ。出会った当初のフランはレミリアさんを恨んでいたし、メイドである咲夜さんと出会った時の反応も冷たかった。
だが、フランは知った。自分の姉が一体どういう存在であるかを、自分自身がいかに姉の存在について誤解していたかを。
「…でも、私は……」
「そこまで自分を追い詰めるくらいならいっそのことフラン本人に謝ってみたらどうです?」
「フラン、そこに隠れてるのは分かってるから早くおいで」
僕の声にゴンッと何かに打ちつける音が返ってきたかと思えば、小さな「痛ったぁ…」という声がそこの柱の裏から零れてきた。そしてそれから数秒後、少女は柱の陰からひょこっと顔を出した。
「気づいてたの…?」
「あぁ、そりゃもうバッチリと」
勝負に勝ったかのような不敵な笑みを浮かべながらそう言い放つと、彼女は「なぁんだ」と少し悔しげな表情を浮かべた。
「もう…いきなり呼ぶもんだから頭打っちゃったじゃない…。俊のバカ」
「打ったのは自業自得だろ?ここのドアの開閉音は聞こえやすいからな。どうせ僕等を驚かせようって魂胆だったんだろ。違うか?」
「…………うー☆」
「『うー☆』をてへぺろみたいに使うんじゃない。それにその技はレミリアさんの専売特許だろ」
「これがセオリーを破壊する程度の能力っ♪」
「何でもかんでも破壊すりゃ良いってもんじゃないって」
そんな至極どうでもいいやり取りの中、レミリアさんだけは目を丸くしてその場に硬直していた。明るい表情をしているフランに驚いたのか、はたまた人と接していることを嬉々としていることに今更ながら驚いているのか…。
僕はフランとの会話を切り上げると、レミリアさんに再び視線を合わせる。言葉はない。あなた自身の行動で示せ。そう言いたかった。そして彼女もまたそのアイコンタクトの意味を察したらしく、もっともらしく姿勢を正して唾を飲み込んでいた。
「……フ…フラン…」
「ん?どうしたの、お姉様」
直後、レミリアさんは深々と頭を下げた。
○ ○ ○ ○ ○ ○
お姉様は私に対して深々と頭を下げて謝罪した。
「ごめんなさい!私は…今まで貴方に酷いことをしたわ…」
お姉様の心情はそれとなく察しがついた。きっと今日まで私への罪責感に苛まれていたに違いない。私のお姉様には人に与えた苦痛を簡単に忘れ去ることができるほど強い精神はない。誰かが助けてあげなければあっという間に絶望の沼に沈んで帰ってこられなくなる。お姉様はそういう人だ。
「お姉様…お姉様は私を閉じ込めた犯人。当然私は辛かったし、苦しかった。お姉様を恨んだよ。『どうしてこんなことするの?』って…」
お姉様は沈黙を続けていた。きっと今も心を痛めているのだろう。でも違う。私が伝えたいことはこんなことじゃない。
「でもね、お姉様が私を守ろうとしていたのを知った時、私は救われた気がしたの。今まで嫌われてたとばっかり思ってたから、お姉様の本心を知れた時は本当に嬉しかった」
「今の私はお姉様を恨んでなんかないよ。むしろ大好きだよ。優しくて、常にカリスマを求めてて、でもここぞって時はいつも不器用な、そんなお姉様が大好きだよ」
そっとお姉様の手を握る。表情を伺ってみれば、お姉様は顔を赤くして、同時に肩をぶるぶると震わせていた。恐らく必死に泣くのを堪えているのだと思う。と冷静に口にしている私も、実のところ結構込み上げているものがあった。禁忌の能力を持ち、疎まれて当然の私のために泣いてくれる人がいるということだけで私は嬉しかった。
「お姉様…」
私はそっとお姉様に手を伸ばし、そっと、しかし力を込めて抱きしめた。
「お姉様、もうこれ以上自分を責めないで…」
「………うぅ……ごめんなさい!!フランッ!!」
お姉様は緊張の糸が切れてしまったらしく、私の懐に顔を埋めて、そのまま泣き出してしまった。その姿に少しばかり驚いた私であったが、私は落ち着かせるという意味を込めてそっとお姉様の背中をさすってあげることにした。以前、私が俊にしてもらった時のように…今度は私がお姉様の心を癒してあげたいと、そう思った。
きっと俊は気づいてたんだ。お姉様が今まで苦しんでいたことに…。別にお姉様を助けようって示し合わせて向かったわけじゃないのに、俊は私の行動まで見切ってこんな行動に出た。流石数年一緒に居ただけのことはあると思う。
と、その時私の瞳から雫が垂れた。でも私は拭わない。そのままお姉様をぎゅっと抱きしめ、私達は静かに泣いた。
気がつけば、俊はもうそこにはいなかった。私達のことを尊重して去ってくれたんだろう。いかにも優しい俊らしい行動だ。
俊も、お姉様も、私のためにありがとう。私はきっと誰よりも幸せね…。
温かい私達の体温を窓辺からひんやりとした風が優しく吹きつける。それに僅かに心地よさを感じながら、私達二人は共に眠るのだった…。
何か後日談でこんな感じのやつやってみて欲しいというのがありましたら、どうぞ気軽に教えていただければ幸いです。