結局、俊とフランはプリンを見つけることのないまま一日を過ごしていたようだ。けれど、二人は必死になって行方を探していたし、このまま素直に諦めるつもりもないのだろうけど…。しかし真実、あのプリンは私の口にも入っていなければ、この館の住人の口に入ったわけでもない。だからといって不法侵入者に食べられたわけでもない。二人が必死に探し求めているプリンは今、私の目の前に座る一人の女性の口へと運ばれていた。
「どうかしら?自分の息子が作ったプリンの味は」
「えぇ…最高よ。あの子もこんなものまで作れるようになったのね…」
彼女は感慨深そうに言うと、その右手のスプーンで眼前のプリンをまた一口頬張っていく。まさか自分達が探しているプリンがこうして彼女の口に運ばれているとは誰が想像しただろうか…。私でも未だにこの光景に慣れていないのに。
そう、それは突然だった。彼女は唐突に私の館を訪ね、しばらくの間泊めてくれと言ってきたのだ。私はもちろん了承したが、この時の私の頭には彼女に出会えた驚愕しかなかった。
そう、彼女は帰ってきたのだ…。
幻想郷に…。
「外の世界はどうだったの?」
机に頬杖をつきながらも弾むような口調で彼女に問うと、彼女もまたそれに笑顔で応えてくれる。
「そうね、やっぱりすごい世界だったわ。レミリアが見てきた世界よりずっと進化しているんだもの」
彼女こそは俊の母、宮岡 つぼみ。もともと幻想郷の人間で、幽閉されていたフランの心を少しでも和らげてあげられる方法を求めて単身で外の世界に旅立っていった私の親友の一人。その彼女が先日突然やってきたのだ。なんの約束も交わしていない中の訪問ではあったが、私はすぐさま彼女を丁重に迎え入れることにした。だが、なぜか彼女は自身の大切な息子であるはずの俊と会うことを断った。彼女曰く「一度会えば、離れられなくなる」のだそうだ。私から見れば、久しぶりの息子との再会ぐらい喜んで受け入れればいいと思うのだが、子供を儲けたことのない者が口を挟むべきことでもないだろう。つぼみにはつぼみなりの考えがあるのかもしれないし…。
そのために、私や咲夜はどうにか俊とつぼみを会わせないように配慮しながら生活してきた。実のことを言えば今日で三日目である。
察しのいいつぼみの遺伝子を受け継いだのだろう。俊は決まってタイミングの悪い時に私の元を訪れたりする。彼はつぼみと似て人の心を読むのが得意だ。彼の放つ言葉は的確に私の気持ちを当てているし、きっとフランも自分を分かってくれる俊だからこそ好きになったのだろう。その理由は私には理解できた。なんせ私もまたそんな彼の母を好きになって、友達になったのだから…。
「ねぇ…レミリア」
「ん?」
空となった皿にスプーンを置き、布巾で口元を拭った彼女は澄ました顔で私に言う。
「ちょっと、散歩にでも行かない…?」
私とつぼみは二人で館を離れた。つぼみは行き先に関しては何も言わなかったが、私達が向かうところは既にお互いが理解していた。
紅魔館を取り囲むこの湖には唯一標高が高く、崖のような作りになっている箇所が存在する。風通しが良く、木々など遮蔽物が存在しないその場所は、どこよりも星が、そして月が美しく空に輝いているのを見ることが出来る絶好のスポットだった。私とつぼみはお互い何も口にすることなく、ただ静かにその場所に辿り着いた。
「…ここね」
「ええ…」
つぼみの言葉に相槌を打ち、私達は同じようにして空を見上げた。そこには目一杯に散りばめられた星の光がそれぞれに美しい光を発し、私達を出迎えていた。
「こんな夜だったわよね。私達がここで初めて出会った時も…」
「……そうね」
久しぶりにじっくりと見た星空は本当に綺麗で、まるで吸い込まれそうだと感じられるほどであった。そんな満点に煌めく星々の輝きの中、そのどれよりも大きく輝く光がある。
…月だ。
「……………………」
『月が綺麗ですね』
『そうね……』
あの時の会話が鮮明に蘇る。彼女の優しげな顔、声、優しく吹き抜ける風に、それになびく彼女の長い髪。一つ一つが懐かしく、けれどもこの長い年月の間一度たりとも忘れたことのない感覚ばかりだった。
「懐かしいわね…」
しばらくの静寂、そしてふと横を向けば、つぼみと目があった。彼女の温かい眼差し、そしてその手がそっと私の頬に触れる。
「………どうして泣いてるの?」
彼女の一言で初めて私は自分が涙を流しているという事実に気がついた。私はゆっくりとその雫を拭うと、彼女に気を遣わせぬよう微笑んでみせる。けれど、彼女にとって私の行動はまるで意味を成さなかった。
「不安なのかしら?これからもフランちゃんと一緒に過ごせるかどうかが…」
「………うん…」
またも当てられてしまった…。途端に自信のない表情を浮かべているであろう私に対して、つぼみの表情はその優しさを帯びた表情から何一つ変わることはなかった。
「大丈夫よ、あなたはフランと仲良くなれた。もうあなた達姉妹の関係が崩れることはないわ」
「どうしてそんなこと言えるのよ?」
私には彼女の自信に満ち溢れた回答が理解できなかった…。私は過去に彼女を、フランを幽閉し、四百年以上も長い間、冷たい冷たい地下に閉じ込めたのだ。俊と出会い、こうして地上へ上がってくるようになってからはお互いに笑い合えるような仲になれたと思う。…でも、それはあくまで私が勝手にそう思い込んでいるだけ…、もしかしたらフランはまだ心の何処かで私を恨んでいるじゃないか…そう思ってしまって仕方がなかった…。
しかし、つぼみはその笑みを崩すこともなく、私にそっと笑いかけて言った。
「決まってるじゃない。あなたはフランを愛してる。フランもあなたを愛してる。フランちゃんの姿や話し方を見れば分かるわ」
「フランに…会ってたの?」
彼女は何も言わずにそっと頷く。その瞬間、思わず私は顔を爛々と輝く星空に向けた。
あぁ…そうなんだ…。この子は、つぼみはまたしても私を救おうとしてくれている。未だ私がフランの心境を気にしていることをこの子は既に知っていたんだ。だから、フランの元を訪ねた…。
私は…本当に大き過ぎるくらいの宝物を持っていたのね…。彼女はいつも私の為に動いてくれた。相談にも乗ってくれていたし、我儘に付き合ってくれたりもした。ただでさえ迷惑をかけたのに、今になってもなお私の為に動いてくれている…。
感傷のあまりまたもや流れた涙を頬にあった彼女の手がそっと拭った。
「涙なんて流してたらせっかくの可愛い顔が台無しよ?」
そんなことを口にした瞬間、彼女は私を優しく包み込むように抱きしめてくれた。懸命にこれ以上涙を流すまいと堪えていた私だったが、これには流石に限界を迎え、彼女の胸に顔を埋めてすすり泣いてしまった。
「…怖かった…寂しかった……。つぼみが…いなくなって…わたし……どうしたらいいかわからなくて…」
「けっきょく、フランがこうなれたのも俊のおかげで…、わたしは……なにも…なにもフランにしてあげられてないまま…」
堪えていたものが溢れ出して止まらなかった…。誰にも見せないように生きてきたせいか、一度流れてしまったら止まらない…。どれだけ止めようと試みても何もかもが無駄に終わる。そんな私を見たつぼみは少しそっと私を抱いたまま、背中をポンポンと叩いてくれる。
「そんなことないわ。貴方は十分頑張った。貴方ほど妹想いな人はいないわよ」
「あなたの姿が見られて、会うことができて本当に良かったわ」
つぼみはそれ以上何も言わなかった。でも、抱きしめてくれているその腕にはさっきよりも力が入っていた。きっと外の世界へ行ってもなお私の身を案じてくれていたのだろう。そんなつぼみの心と身体の温もりを感じながら、私はそっと言葉を零した。
「………大好きだよ。つぼみ」
「…ありがとう」
しばらく二人の間には優しい静寂が訪れていた。以前は私と似たような姿だった彼女はいつのまにか成長し、私を包み込めるようなまでになっていた…。
そして、何よりも…彼女の熱が温かく、その温もりにふんわりと包まれた私は何年もの時を経て凍りついた心が溶かされていくような気がした。
彼女の腕のなかで私はゆっくりと深呼吸する。しかしそれは決して私が意図しているわけではなく、不意と本能が安心を得ることができた故だと思う。
だが、間もなくしてつぼみはなぜか私への抱擁をやめ、急に下手な作り笑いを浮かべてながら、私へ向け口を開いた。
「私、そろそろ行かなきゃ…」
お互いの身体が離れ、温もりが喪失していく。そして突然放たれたその言葉に私は戸惑いを隠せなかった。
「え?」
お互いが口をつぐみ、静寂が辺りを支配する中、つぼみのまた向こうにある暗闇の中から一つの影がゆっくりと足音を立てて姿を現した。
「そろそろ時間だよ」
ロングスカートに着物のような服、赤いツインテールの髪、そして特徴的な鎌。
「小野塚小町…何故お前がここに…」
「これはこれは、紅魔館の当主様じゃありませんか」
「つぼみ、どういうこと?」
彼女に問いかけても、彼女は何も口にはしなかった。だが、その瞬間にある程度の察しはついた。ついてしまった…。
「まさか…貴方は」
「ええ、貴方の思ってることが恐らく正解よ」
「私は…もう向こう側の人間なの…」
放たれた言葉に私は脱力した首をゆっくり横に振った。否定したい気持ちよりも信じられない思いの方が強かった。
「…そんな」
だが、よくよく考えればそれは至って当然だった。そもそも外の世界の人間が幻想郷に侵入するのは難しいを通り越して奇跡に近い。外の世界の常識をこちら側に持ってくることは幻想郷の内部崩壊を引き起こす可能性もあり、あの幻想郷の賢者がそれを許すはずもない。
「私は閻魔様にお願いして、最後に貴方と過ごす時間を貰った。だから貴方に会いに行くことができた。でも、今度こそお別れになりそうね…」
「嫌…イヤよ、つぼみ。行っちゃ嫌っ!」
私は彼女の胸に飛び込んだ。彼女の服を握り、離さなかった…。しかし、彼女は懸命に服を握る私の腕を振り払い、背を向けると、震える身体を懸命に両手で抑えながら微かに聞こえるほどの小さな声で彼女は呟いた。
「私は…貴方が好きよ。レミリア」
「えっ…?」
彼女は振り返り、涙を一杯に湛えたまま、それでも表情は笑顔を保ちつつ私に言った。
「ありがとう。…さようなら」
悲しみに打ちひしがれる暇もなく、彼女は私に背を向ける。私の意思と反する形で彼女が私から離れていく。一歩一歩と彼女の足音が小さくなっていく。
このままでいいのか?この現実を許容するのか?許容していいのか?あれほど自分を救ってくれた彼女をこのまま見送っていいのか?
……良いわけない!!
「…待って」
小さな一言、だけれどつぼみの耳にはしっかりと届いたようで、彼女は歩みを止めゆっくりとこちらへ振り返った。
「レミリ…ア?」
私は彼女に全速力で接近、素早く抱き上げると小町の元から急いで離れる。そして直後、小町がゆっくりと威圧するようにこちらを見やる。
「どういうつもりだ?」
「どういうもなにも、返してもらうのよ。つぼみをね」
私が言葉を発し、途端に小町の雰囲気が変わる。凍てつくような、今にも殺してしまいそうな表情。その中でも特にその冷たい瞳が私への殺気を十分に感じさせていた。だが、たかがその程度の話だ。
「あたいは死神ではあるけど、あまり他人に血を流して欲しくない寛容なタイプでね。なるべく穏便に済ませたいのだが?」
「それは無理な話ね」
なぜ私が従う必要がある?そこからが間違いだ。嫌なら拒否すればいい。従うのが世界の理なら、世界そのものを変えてやればいい。つぼみを離したくないなら、離さなければいい。
「戦争行為も辞さないってか…?全く…あんたみたいな命知らずの相手は骨が折れる」
「結構。むしろこちらとしては骨より私の意見に折れて欲しいのだけど?」
「力づくは嫌いじゃないが、たかが五百歳程度のひよっこが私に勝てると思うなよ」
「それはこっちの台詞ね。貴方こそ死神如きが夜を統べる吸血鬼に勝てると思って…?」
彼女がやれやれと肩をすくめながらもその肩に掛けていた鎌を構え、姿勢を低くしていつでも飛び込めるような状況を作り出す。対して私もグングニルを具現化させ、応戦できるように構えた。
「売り言葉に買い言葉か…。仕方ない、こうなったらとことんやってやろうじゃないかっ!!」
「今日は力が最も高まる満月。さぁ…かかってきなさい!」
次回で決着させる予定です。のんびりとお待ち下さい…。