ウィンドヘルム。スカイリム北東部、イーストマーチ地方の中心を成す要塞都市。タムリエル大陸の北方スカイリムにあって、ここはとりわけ気温の低い地域の一つだ。窓の向こうでは、今も雪が舞っている。
「それじゃ、またきてちょうだい。今日は特に冷え込みそうだわ、風邪をひかないようにね」
「お気遣い感謝する。では」
一晩世話になった宿屋キャンドルハース・ホールの女主人に軽く手を振り、私は扉を開けた。凶暴な風が吹き込み、体温をスリ盗ろうとする。二階で煌々と燃えているであろう暖炉への未練をなんとか断ち切り、私は宿をあとにした。
「寒い」
ハチミツ酒を一杯やってから出るべきだったかもしれない。私は
立ち止まっていても仕方がないし、立ち止まっていたくもないので、私は早く港へいくことにした。目的地であるソルスセイム島に向かう船は一艘しかないのだ、乗り遅れて立ち往生など御免こうむる。
「ねえお兄さん! どうか、お花を買ってくれませんか?」
石造りの階段を上り下り。港へ出る門の前で、少女が近づいてきた。私はもうお兄さんなどという年ではないのだが、まあそれはいい。
背格好からして十代前半、赤いチュニックと色あせた白のロングスカートを着用し、細い腕に提げたかごの中には小さな花畑ができあがっている。
「もちろん。見せてほしい」
大抵の者は、野花になど興味はない。が、錬金術師ならば別だ。花は
少女ははにかみ、かごを差し出した。その手は震え、吐息は霧となって消える。
「大丈夫か。こんな寒い日に外で花売りとは、ご両親はどうした」
言ってしまってから、すぐに後悔した。馬鹿か私は。彼女をよく見ろ、この状況から察しろ。髪も肌も薄汚れ、服もところどころ擦り切れている。年端もいかない少女がこんな格好で、雪雲のもとで凍え続けなければならない理由など、わかりきっているではないか。
「二人とも……死んだの。ママは私が小さい頃に死んで……あまり憶えていないわ」
浮浪児。保護者も家も、頼るものすべてを失った子供。珍しいことではない。治らぬ病に罹って、鉱山で落盤に遭って、海で嵐に飲まれて。人の命はたやすく失われてしまう。死と、死が招き寄せるさらなる悲しみは、ごくありふれたものなのだ。
そう。珍しいことでは、ない。
「パパは、ストームクロークの兵士だったの」
一瞬、呼吸ができなかった。もういい、それ以上しゃべらないでくれ。
「ある日、出発したまま……帰らなかった」
ああ、これは。不用意な質問をしたことへの罰なのか。
数年前まで、スカイリムは内戦の渦中にあった。主権を持つ帝国と、帝国の政策をよしとしなかった、かつてのウィンドヘルム首長ウルフリックの率いる反乱組織ストームクロークの戦いだ。両陣営は拮抗し、この地は東西に分かたれていた。
当時、帝国軍に与していた私は最前線に立ち、各地を転戦した。ホワイトラン、ペイル、リフト、ウィンターホールド、そしてイーストマーチ。眼前の敵がいなくなるまで、ひたすらに剣を振るい、呪文を唱えた。
このウィンドヘルムにある宮殿でウルフリックの首を刎ねた瞬間までに、私はいったいどれほどの
記憶の中、うず高く積み上がる死体の山。輝きの消えた無数の瞳が、私をにらみつけている。
もしかしたら、あの中のどこかに――
「お兄さん? どうしたの」
「あ、ああいや、なんでもない」
硬直していた私を、少女は不思議そうに見つめている。なんて純粋で、儚げで、寂しそうな目なのだろう。
私は慌てて顔を背けた。耐えられない。人の命がたやすく失われる原因。そのうちのもっとも忌むべきものである私は、人殺しの私は、この眼差しに耐えられない。
「これをもらおう、今お代を出す」
半ばひったくるようにして花をつかみ、数えもせずに金貨を渡して背を向けた。そのときだ。
影が、大地を覆った。
金色の巨躯から伸びる翼腕、鉤爪の生えた両足。長い尾と首をくねらせながら、それは石壁の上に降り立った。雷鳴よりも轟く咆哮が、町を震わせる。
「ドラゴンだ!」
誰かが叫ぶと、それをきっかけに混乱の波が広がった。我先にと逃げ惑う人々。
「あの子は!?」
振り返ると、尻餅をつく少女が見えた。
「何をしている、逃げろ!」
少女は口をパクパクとさせるのみ。恐怖のあまり呆然としているようだ。私は彼女に駆け寄ろうとしたが、背後から聞こえた低い声に足を止めた。
『
ドラゴンの顎門からほとばしる灼熱の奔流が、私と、私の後ろにいる少女を灰にせんと迫る。回避という選択肢は、ない。
「止まれえっ!」
私は両掌を突き出し魔力を込めた。青い光が集い、壁となってーー駄目だ、形成が間に合わない。
「ぐっ、うおおああぁぁぁ!」
不完全な
私は右手をおのれの胸にかざした。血の色をした光が生命力を絡め取り、
「はっ、はあ、はあ」
永遠に続くかとさえ思えた火刑は前触れなく終わり、私はその場に膝を突いた。後方をチラと見やり、走り去る少女の後姿を認める。かごから零れたのであろう商品が、雪の上に散乱していた。手向けの花など、私にはもったいないというのに。
前方に戻した視線が、今にも跳びかかろうとするドラゴンを捉える。あんなものにのしかかられたら、原型もとどめずすり潰されて終いだろう。無惨な最期だ、唾棄すべき殺人者にふさわしい。
痛むばかりで少しも言うことを聞かない体を諦めて、私の魂は死出の備えを始めていた。苦しむ間もあるまい、楽に死ねるか。
ドラゴンが軽く身を引き、勢いをつけた。同時、側面から殺到する矢の雨。致命打にはほど遠いが、それでも敵の注意を逸らすには充分だったようだ。ドラゴンは羽ばたき、飛び上がった。
「いい射ちっぷりだ、もっとだ、帝国軍の力を思い知らせてやれ!」
鈍色の鎧を着た指揮官の鼓舞に、茶色の軽装鎧に身を包んだ兵士たちの鬨の声が応える。終戦以来、衛兵としてウィンドヘルムに駐留している帝国の部隊だ。最終決戦に参加していた者も数多い。かつてこの町に剣を向けた彼らは今、町の盾として戦っている。
「さあ立ってくれ、あんたはこんなところでくたばっていい人じゃない。スカイリムには英雄が必要なんだ。みんなを守ってくれ、ドラゴンボーン!」
見知った顔の兵士が、死に損なった私を助け起こしてくれた。彼の手を借りるのはこれで二度目だ。
「俺は明日、リバーウッドに帰るんだ。あんたの活躍を土産話にしたい。頼めるか」
神は私を簡単には死なせてくれないようだ。それならせめて、
「いいだろう。その
罪に塗れたこの手でも、救えるものがあるのなら。この力を使おう、
路地を抜け、ドラゴンを追う。彼は宿の裏、広場に展開する兵士たちに襲いかかろうとしていた。
「お前の相手は私だ、
ドラゴン語に反応し、標的の目線がこちらを向く。私は左右それぞれの手に冷気を宿し、氷の槍を次々と発射した。槍は鱗を貫き、翼を凍てつかせ鈍らせる。
「小賢しいぞ
高度を落としながら、ドラゴンはこちらに向きなおった。突っ込んでくる気か。
両手の魔力を一つにまとめ、練り上げる。より冷たく、より鋭く。作り出すのは形ある吹雪、狙いすまし撃ち放つ。
「いけ!」
槍は翼の根元に命中し、ドラゴンの姿勢が崩れた。体が回転し、進路を外れる。宿の屋根をかすめ、宮殿前に墜落した彼は石畳をえぐり取り篝火台を跳ね飛ばし、門に衝突した。すかさず帝国兵たちの弓矢が飛ぶ。
「グウウゥゥ、
苦しげな息を吐きながらも起き上がり、ドラゴンは吠える。駆けだした私は右手を背に伸ばし、灰色の大剣を握った。ある遺跡で手に入れた古代の武器を、私自ら鍛えなおしたものだ。
「ふっ! らあ!」
牙をかわし、切り裂く。爪をくぐり、突き刺す。幾度かの攻防ののち、ドラゴンはその身を反転させ、長大な尻尾で薙ぎ払った。私はとっさに剣身を盾にした、が。
「う、おおう!?」
さすがに衝撃を殺しきれず、大きく吹き飛ばされてしまった。二三度転がってから立ち上がり、再接近を試みる。
『ヨル……』
させるか。スゥームはドラゴンだけのものではない。訓練さえ積めば人にも扱える。加えて私はドラゴンボーン、定命の体に竜の魂を宿す者。私の
『
スゥームは純粋な力として、世界を押す。
衝撃波が大気を歪めながら伝わり、ドラゴンに激突した。巨体をのけ反らせ、後退りする。好機だ。
「ううおおぉぉぉ!」
剣を振り上げ、吶喊する。ユラリと下がった頭を目がけ、跳躍。
「ドヴァーキン、やめろ!」
得物を逆手に持ち、全力で突き下ろした。鱗を裂き、肉を断ち、頭蓋さえも穿ち通す。頭部に風穴が空いたドラゴンは、そのまま動かなくなった。
「……完了」
息をつき、剣を引き抜こうとして、手を止めた。刃の根元に深くひびが入ってしまっている。酷使し過ぎたか。
代わりの武器をどうするかと思案しているうちにドラゴンの死体が燃え上がり、その魂が光となって私に流れ込んできた。これがドラゴンボーンのみに与えられた力、不死たるドラゴンを完全に滅ぼす唯一の術だ。
「やった、ドラゴンボーンがやってくれた!」
歓声が聞こえる。気づけば私は、兵士や避難していた住民たちに囲まれていた。あの子もいるだろうか。
「ん、見つけたぞ」
視界の端に、件の少女の姿があった。見たところ怪我はなさそうだ。私は彼女に歩み寄り、しゃがみ込んだ。
「無事で何よりだ、お嬢さん。ところで……」
少女のかごの中には、一輪だけ花が残っていた。雪の中、赤い花が一つ。
「花を、売ってくれないか」
「え、あ、はい、どうぞ!」
私は花を受け取ると、ベルトに結びつけてあったリンゴほどの大きさの革袋をかごに入れた。小気味のいい金属音がする。驚く少女に、私は微笑みかけた。
「今日は特に冷えるそうだ。キャンドルハース・ホールに泊まるといい」
「いいの? こんなに……ありが――くしゅん!」
控えめなくしゃみをした少女は、恥ずかしそうにうつむいた。
女主人、どうやら貴方の予想は外れそうだ。私は数歩下がると、鉛色の空を仰ぎ呼吸を整えた。
『
スゥームは天高く響き、空は声に屈する。
雪はやみ、雲は失せ、まばゆい日差しが暖をもたらした。
「わあ……本当に、ありがとう!」
少女が破顔する。きらめく双眸を、私はまっすぐに受け止めた。
「着いたぞ。ここが、レイヴン・ロックだ。ほら、起きな」
ベテラン船長に呼ばれ、甲板にある樽によりかかっていた私は瞼を開けた。モロウィンド領ソルスセイム、その玄関口レイヴン・ロック。乗客なのについ船を漕いでしまうような気持ちのいい陽気は、ここまでついてきてくれはしない。ウィンターホールド並みの厳しい寒気が、ローブを失った私の体に突き刺さる。降り注ぐのは、南のヴァーデンフェル島にあるレッドマウンテンからの火山灰だ。雪の次は灰か、やれやれ。
船が桟橋に近づき、停まる。船長に礼を言って、私は最初の一歩を踏み出した。さて、まずは町に寄って武器を、いやその前に防寒着と酒を。確かスジャンマという地酒が有名だったな。
そのあとは、
私を必要としてくれる人がいて、私に笑顔を向けてくれる人がいて。こんな私にも希望を与えてくれる、この世界が好きだから。
ギイ、と木材のきしむ音がした。私を運んでくれた船、ノーザンメイデン号が港を離れていく。今日は積み荷が多いから往復しなければならないと、船長が言っていたな。面倒だとぼやきながらもどこかうれしそうだったのは、船賃代わりに渡した首飾りの価値を想像していたからかもしれない。
船の帰る先に目をやる。あちらの
船が遠ざかっていく。小ぶりな船体はしかし力強く、うねる海を突き進む。
さらば、小さな